家族 - みる会図書館


検索対象: コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ
129件見つかりました。

1. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

男性の持っ家族像と女性の持っ家族像は当然違います。 男性の持っ家族像は抽象的ですが、女の持っ家族像というのは具体的です。それは女性には 日常の家事があるからです。ご飯を作り、掃除をし、洗濯をして干すという具体的な日常の行 為を行なっている分、家族像がより具体的になります。 それに比べて男の持っ家族像は、法律や、経済的に支えるものなどといった抽象的なイメー ジです。具体的な日常の些細なものからはかけ離れています。 男女の役割分担から考えると、男性にはふつう自分が家族を支えているという意識がありま す。まともな健康な男であれば、「俺が支えているんだ」という意識を持っているでしよう。 女性には「私が支えているんだ」という意識は希薄です。もし女性も家族を支えているとして も、その支え方は違うのではないでしようか。 女性は家庭の中ではやりたい放題ができます。それは幼稚園児が先生に「ここからここで遊 んでいいですよーと言われて、円の中でやりたい放題に遊ぶことと少し似ています。そうした 家庭内での男女の役割分担が水平であれば、つまり同一平面上のパ ートの違いだけであれば、 問題がないと私は思います。 家庭の経済的基盤は夫が支える。そこでの夫婦の関係は、妻は夫に頼り、夫は毅然と家庭を

2. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

社会の荒波から守るのです。しかしこんな夫婦関係は少ないのではないでしようか。 問題が出てくるのは、夫が「俺が金を出して支えているんだそ」と妻を支配しようとする場 合です。そうすると、妻はそれに対して「この家庭は私がいなければー「私のものよーと主張 し、行動し、支配をしなければ成り立っことができなくなります。 夫が収入のすべてを稼いでいるというのは、単なる「事実」です。しかし、それが妻との関 係の中で「誰のおかげで食べさせてもらっているんだ」という一言葉につながっていく。つまり トが違うという事実、こ 「支配」になった時、妻は苦しくなるのです。夫と妻の受けもっパ の役割分担と、それが支配・被支配になるのとは別の問題です。「自分が仕事をして経済力が あるのだから僕はこの家を支える」というように、支配でなく事実として支えてくれれば、妻 は楽になるのです。 経済力で家族を支えることと、家事・育児をして家族を支えることの間に支配・被支配の関 族係があること、上下があることが問題なのでしよう。実際どちらが大変なことなのかは優劣を つけがたいと思います。両方受けもたざるを得なかった私自身の経験からすると、家族内の人 る 物間関係を保っていくほうが仕事より難しいのではないでしようか。生身の人間にかかわること に比べたら「仕事」なんてたいしたことはないと思います。 章 第

3. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

「私ばかり家事をやっているのはおかしいわ。私も外で働くから、あなたも家事をやるべき よーという考え方では問題があるのではないでしようか。今までそういう家族もありましたが、 それはほとんどの場合、破綻してしまいました。 この誤りは何かというと、″すべきだ〃という考えを生身の人間が生活する家族にまで降ろ してきたことです。こうするべきだということを、家族の中で言ってはいけないのではないか と思います。また子どもには、抽象的な概念である「自由ーや「自立ーも、反論を封じて拘束 していく言葉となるでしよう。 ″べき〃という考えは、何かを守るために出てくるものです。つまり、無政府状態になっては いけない、秩序を守るためになどの考えが″べき〃という概念を生み出しているわけです。そ のとき、守るものとしての秩序が家族全員にちゃんと共有されていて、了解されているときに は、″べき〃は効果的に生きてきます。ところが守るべきものが何もなくなったとき、″べき〃 は空回りしてみんなを縛る ( ただし、長男はこうあるべきだ、父親はこうあるべきだ、という と思います ) 。 思いが、一つの目的に向かってうまく機能している場合はいい ″べき〃に忠実になることと、その家族の中に本当の意味の交流があるということとはまった く無関係です。 家族の中で、家事を分担す″べき〃だというように″べき〃で押していく夫婦関係の家族と

4. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

一般的に、家族像として多くの人が持っているものは、第一に「安全基地」という認識では ないでしようか。そこに帰れば安心でき、外での世界で受けた心の傷が癒され、明日の勇気が 湧いてくるところ、という像です。男と女であればセックスもでき、子どもであれば親の愛情 をもらえるという、 人間関係の基本になる「安全基地」。これが一般的な家族イメージだと思 います。ホッと安らげる場所で、外の世界で満たされないものをそこでは満たしてもらえると いうようなもの。一般的な家族像はこのように非常にいいイメージ、プラスイメージです。理 想としての家族とはそういうものだと思います。 そういう意味では、家族は「治外法権」という言い方もできるかもしれません。いや、正確 に言えば、家族は治外法権だったはずなのです。それが今は、現代社会は「同心円社会」に なってしまい、家庭も同心円の一つに組み込まれてしまったのです。 どういうことかというと、企業、地域社会、学校、さらには家庭まで、目指すべき方向、目 「家族」が空回りするとき

5. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

<<O は診断的な言葉ではなくて、自分が <O だと思えばそうなんだという自己認知の言葉だ ということ、これを押さえておいてもらうのが最も重要なのですが、もう一つ大切な言葉があ ります。 一アイスファンクショナル・ファミリー 、日本語に訳すと機能不全家族という言葉です。機能 不全家族というのは、一口にいえば家庭の″空気〃の問題のことを言います。機能不全家族の ルールは、否認、硬直性、沈黙、孤立などです。そうしたものを漂わせている家庭の空気であ るわけです。皮膚感覚で感じられる家族の雰囲気・関係です。 そのパターンをあげれば、一つにはズーンと重い空気があったり、外よりも寒々とした空虚 さ、あるいは何かしら張り詰めたような雰囲気、または自分に対しての親の関心や目が、クモ の巣の網の目に入ったように ( 網の目状家族 ) 、思惑が自分のまわりを行きかっていて自分を絡 みとる、というような感覚のある状態です。この場合、親にアルコール問題や、その他の「嗜 コントロール・ドラマーー・だれにもある愛着関係 0-

6. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

そう 「結婚して子どもを生んで、おじいちゃんおばあちゃんがいて、私にも孫ができて : やって世代は続いていく」 ふつうに平和に家庭生活を経ていくとき、こうしたものがプラ スイメージの家族像かもしれません。 しかし <0 の人たちは、家族の実態、家族の中にある怖さ、危険性を鋭く見ています。 それでは、 O の人が持っている家族像とはどのようなものか考えてみましよう。 私は、自分が <0 であると自覚している人は、まず家族像そのものを持たないだろうと思い ます。なぜなら、自分の経験した家族は苦しみだけを与えたからです。 一方、絵に描いたような美しい家族像を描き、一所懸命理想の家族を実現しようと、その理 想にとらわれる << 0 の人たちがいます。プラスイメージの家族像に縛られるのです。なかには 、ものだ、離れては生き 夫の浮気や嫁姑問題などを抱えて苦しんでいても、それでも家族はいし ていけない存在だと信じています。 <O の家族観

7. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

家族を解散して、何もなくなったところから生まれてくる家族とは、どんなものなのでしょ <<0 の人たちが苦しみの中で生き延びたような家族を、再びくりかえしてしまうのでしよう かコントロール。 ・トラマを再演してしまうのでしようか。 しかし「 <0 」「共依存ーという言葉を知った人は少なくとも、人が人を支配することにつ いて、その前よりは自覚的でしよう。そして予定調和的にパラダイスのような家族がつくれる 族 家はずもないことを知りました。それでも、焼け野原、原爆の焦土からも緑の芽はふくのです。 家族、家庭が崩壊した向こうに一体何があるのか。どういう人間関係なのか。私は、そこに て 裂はまた家族が出てくるのではないかと思います。やつばり男と女が惹かれあうのは変わらない でしようし、性欲もなくなりませんから、恋愛はなくならないのではないでしようか。 章 第私は社会学者ではありませんので、家族について語るのは難しいのですが、いろいろな本を 家族は自在に発生 217

8. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

は自分の居場所を勉強のできる子どもの母というところに求めました。この場合の善意とは、 よかれと思ってという意味です。 ところが、社会そのものが変化した結果、適応のご褒美としてもらえるはずの果実がもらえ なくなってしまったのです。それどころか、緊張と過剰な規制に満ちた「息苦しい家庭」に なってしまったのです。 家族が自分の居場所だというイメージは、今、最後に許された幻想なのだと思います。恋愛 と家族、この二つが最後の幻想を許されているところでしよう。 : と思ったとき、自分の思うようにコント 仕事もそこそこだし、お金もあまり貯まらない : ロールできる場所が家族なのです。だから、家族だけは自分の思った通りに、という思いが弓 くなっていきます。そのために、今の家族はだんだん過剰になってきています。小さな子ども 族にいろんなものを着せたりするのもその表れで、家族ごっこをしているのです。 特に若い人が理想的な家族をつくりたがっています。これはどうしてでしようか。夢がなく る わなっているから、家族ぐらいしか夢が持てないのでしようか。彼らはその夢をかなえるために、 まず舞台装置に凝ります。東急ハンズがあんなに流行るのも、それは家族の舞台装置をいつば 章 い売っているからです。カーテン、照明器具、テーブル、ソフア、机 :

9. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

する若者像があります。つまりその裏側には、ら致でもされないと家族から出られないという 現実があったのでしよう。オウム教団での生活は、はたから見れば、人間が住むようなところ ではない、インスタント食品とゴミにまみれた共同生活のようであっても、それでもいまの自 分の家族よりも、 しい、と思う人たちの集団だったわけです。彼らにとって教団は、オウムの信 者であればそれだけで肯定される場所だったのです。 オウムを脱会して、カウンセリングに来ている人に、なぜオウムに惹かれたかと質問したと き、彼は「過去と訣別できるからーと答えました。その過去とは「家族とともに生きた」過去 なのです。両親との訣別をきつばりと肯定し、保障してくれる場としてオウムを選んだのでし 「問われるのは家族 . とは、そのようなオウムのような世界を求めるしかなかった家族が存在 していたということではないでしようか。 若い人たちが家庭の中に、自分のいる場所を見いだせないという現象は、その家族そのもの がもはや人の住む場所でなくなっていたことを意味しているように思います。 では、その家族はどうしてそうなっていったのかということになりますが、そもそも家族と はもとからそういうものだった、と言ったほうがわかりやすいのかもしれません。つまり、家 族というものは、意識的に努力しないと、人の住む場所にはなりえないのでしよう。

10. コントロール・ドラマ : それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ

的なものです。これから家庭をつくろうとする人にとっては悲観的な一言葉に聞こえるかもしれ ませんが、それぐらいの覚悟をして家族を形成してもいい時代なのです。 四つ目として <0 はわかりやすくいえば、現実との違和感を持っている人ということです。 これが「居場所のなさーの感覚を形づくっているのです。 家族の中に違和感があって溶け込めないというのももちろんのこと、友人関係の中でも何か 溶け込めないとか、会社での自分の役割に違和感があるとか、自分の人生の選択に違和感があ るとか、そういう感覚をもっています。 人は子どものころからいろんなグループに所属しているものです。自分が精神的に安心でき るグループ、そうでないグループというものがあって、それらと全部つきあわなければなりま せん。そのグループとの関係は絶対的なものではないわけですが、家族というグループの関係 は絶対的なものです。ですから、家族の中での違和感は、その他のグループによるそれよりも 深刻なものとなります。 家族の違和感はもともと小さな積み重ねから生じます。そうしてできた違和感は、自分でも なかなか説明でぎないものですが、そこに O という一言葉を当てはめたとき、何かしらびった り理解できるものがあるはずです。