メリカ精神医学協会の合同会議に提出されたモールトン博士の論文「精神分析における二十年間の発達過 程」で取りあげられた。 ヒルデ・プルッフのこの発言はピープル誌 ( 一九七八年六月二十六日 ) のインタビューのなかでなされた。 プルッフ博士のテキスト「飲食障害」 ( べイシック・ブックス / 一九七三 ) には、母娘関係と拒食症につい ての恰好な資料が収められている。 博士がこのテキストに引用しているフィンランドのある研究は、拒食症患者の母親たちは性的反応を抑制 されており、結婚生活にも満足していないことを報告している。この母親たちは知能テストでは抜群の成績 をとりながら、彼女たちの教育、地位、仕事が、その能力に釣り合わない低いものであることがしばしばだ った。これらの女たちは自分の知能や才能の生かされ方に欲求不満をおばえつつも、拒食症患者である子供 が生まれるころまでには、これを宿命としてあきらめてしまっており、この子供に、彼女たち自身の失望を 補償する責務を授けたのだろう、と報告されている。彼女たちは与えられたものだけを黙って受け取るよう な子供しか受け入れることができす、自立へ向かおうとする動きをことごとく押しつぶしてきた。そして娘 の身体的思春期を、自分には防ぎようのなかった自立の表われと捉え、自らの内に怖れとパニックを引き起 こしたのである。 マーティン・セリグマン「無力感」 ( 一九七五 ) 。ここに引いたフォリングスタッドの言葉は、私がサウス カロライナ大学で彼女にインタビューしたときのもの。 朽あわれなはどの精彩のなさ、脆弱さ、輪郭の曖昧さをわざわざ求めて女の子たちは励み、男の子のほうは、 打ち込むべきものや目標を全力をあげて探し求める ( なしではすまないものなのだ ) 。なぜ女の子は精彩の 釈ないままでいるのか ? 「思春期の性格形成過程における男女差」 ( 「メリル・パー マー・クオータリー」一 九五七 ) のなかでエリザベス・ダウヴァンはいう。「彼女たちは夫となる男性のニーズに適合できるよう、 個人のアイデンティティを流動的で従順なまま保たなければならないのである」彼女によれば、この思考様
性のほうが女性よりも実質上多くを達成しているーー書かれた書物や論文、芸術的生産力、科学的 達成において」事実、女はおとなへと移行するにつれて「総合的知能」の知能検査結果が低下の一 途をたどり、これは、彼女たちが大学を出てから日がたつほど、知能をますます使わなくなること からきている。 他の研究では、知力の働く力が依存的人格特性によって実際に損なわれているらしいことが示さ れた。依存的もしくは従順なタイプの人格は、「外部の合図」ーーすなわち他者からの合図ーーーに 大きく頼っており、これが内的な逐次分析プロセスを阻害することにもなるのである。 羡望と競争心、その悪循環 数年前に行なわれたある研究は、他者と共同作業をするときの女性について、非常に興味深い事 トナーの遂行レベルに反比例するのである。驚くべ 柄を明らかにした。女性の抱く自信の量がパー のきことに、パートナーの遂行レベルが高ければ高いほど、その女性は自己の能力を認めなくなる。 る自信と自尊心が主たる原因となって、女性は達成に難渋する。自信の欠如は女を羨望の泥沼に引 きずり込む。女は男たちを、何のこだわりもなく機能しているものと見るー・ーそして兄たちの足枷 え をのない自由を羨む妹にも似て、男がなんと「ラッキー」で、女がなんと「アンラッキー」かという たことに焦点を合わせるほうが楽だと知る。不公平な状況に隔離されているので、他人のもっ能力や 自尊心には感心するにせよ、それをみずから達成する努力は一切しなくていいというわけだ。 同時に、女は競争心を抱く。三十年前、精神科医クララ・トムソンが指摘したように、女性は自
娘が自分の支配下から抜け出しそうだと父親が感じるとき、おかしなことが起こりうる。精神科 医として長年の経験で、ルース・モールトンは、娘が離れていこうとしたとたん懲罰の鞭を振りお ろす父親が驚くほど多く存在するのを見てきた。ある男性は、娘が大学を出るやすぐに結婚させよ うとして譲らなかった。「その女性はそのときまだ結婚したくなかった。大学院に進んで法律を専 攻するつもりだったんです」モールトン博士はわたしに語った。「彼女は自分が何を望んでいるか を知っていたにもかかわらす、そのとおりに実行することが、最初はとうてい不可能でした」 ダディが自分をどう思うかが、この女性にとってはあまりに重大であった。父の拒絶を覚悟して いやとい ) 。「彼女はいやというほどの気鬱を味わい まで突き進むのは、何もかも破壊しかねなし うほどの治療を施されて」とモールトン博士はいった。「それでようやく父親に立ち向かい、自分 の道を進むことができました」それでも依然としてダディは、彼女の人生の重大な時期にきまって 顔をのぞかせた。父を感情的に「処理」したと思うまもなく、父の承認を求める自分の欲求がいか に悪性の症状であるかを思い知らされるようなことが起こるのだった。 の「やがてこの女性に、特別研究員としてヨーロツ。ハに行かないかという話がきました。またしても る父親は激怒です」とモールトン博士は語る。「娘がこのまま州立大学で研究生活を送ることを望み ました。彼女はヨーロッパへ行きたかった。そして結局そうしたのです、父親を無視して」 え を この後、ふたりの関係はもとに戻らなかった。「十年後、父親が亡くなったとき、彼女は自分が ち 最初に背きはじめた時点ですでに父親を失っていたことに気づきました」 娘 女性によっては、ダディとダディの願望からの旅立ちゃ離脱の時期を迎えるのは、かなり年齢が いってからになる。メレディスはニューヨークの生活を十八年間がんばりぬいてきた女性だが、最
食品を使わずちゃんと手料理を作り、そして総じて、家庭と仕事の両方で「スー ーウーマン」た らざるをえない必要性を外に表わす。この女はまた、夫が家にいない夜、べッドでしくしく泣きも するのだ。 今日の女性には、外部の条件を変えることによって自己の問題を解決しようとする強い傾向があ るーーー結婚 ( もしくは離婚 ) 、転職、引っ越し、組合加入、あるいは女の権利を獲得する闘争。し かし、実際には、女が未解決の依存葛藤を引きずっているかぎり、「びったりの」男や「びったり の」職や「びったりの」ライフスタイルを見つけた結果として、人生が変わるものではないのだ。 女の権利のための闘争に加われば、孤立感を和らげることにはなろう。しかしそうした外的変化の どれひとっとして、内面に潜む混乱した自己破壊的な態度を解決しない。 自己に対してもっとすっきりした気持になりたい女は、まず自己の内なる動きに直面しなければ ならない。各地のセラピストや精神科医の話を聞き、さまざまの女性にインタビューし、また周囲 の女性をただ観察してみて、わたしはつぎの結論に達した。すなわち、女がまず第一に認識しなけ ればならないのは、どの程度まで怖れが女の人生を支配しているかということである。 怖れ、不合理で気まぐれなもの , ーー能力とも現実とも何のかかわりがない怖れーーそれが今日の 女性に蔓延している。自立の怖れ ( 結局はひとりになって、誰からも見向きされなくなりはしまい 生か ) 、依存の怖れ ( 支配する「他者」に飲み込まれてしまうのではないか ) 、有能で手際よいことの の 怖れ ( いつまでも手際よくやっていかねばならないのではないか ) 、無能であることの怖れ ( いっ 却 退 までも能なしだという思いにふさぎ込んで、劣等感を抱いていなければならないのか ) 。 怖れの束縛は、女が思春期にはいり、男を惹きつけたくなる時点から、人生のありとあらゆる段
喪失を家族に投影し、自分が家庭にいなければ家族が「見捨てられた」ような気持になるのだと信 じ込んでしまうのだ。もがきと焦りから、自分は仕事を辞めて家族に「再献身」したいので、もっ と気の張らないところへ引っ越して小さな家に住もうと夫を説得したと語る妻もあるーーそう決め て「とてもほっとした」という具合だ。 「子供をもうひとり」症候群というのもあるーーー家庭にとどまる ( もしくは退却する ) ことを社会 的に公認される方法だ。コロンビア大学で教職にあるフェミニストの精神科医、ルース・モールト ンによれば、きわめて才能豊かな女性ですら、花開こうとする自己のキャリアに対する不安を回避 するために妊娠しようとする。彼女の知るある画家の場合はその典型で、五年のあいだを置いて二 度、「偶然に」妊娠した。二度とも、個展を催す機会に恵まれたときで、二度とも、個展ではなく 妊娠のほうを「選んだ」のである。その結果、個展は五十歳を過ぎるまで延期され、モールトンの 述べるように、「才能を発揮し認められるために残されていた時間を莫大に浪費し」。 最近数年間の患者名簿にざっと目を通すだけでも、外の世界からの逃避として妊娠を利用した四 十歳から六十歳までの女性を、二十人はらくに数えることができたと、モールトン博士はいう。 「こうした実例の少なくとも半数において」と、博士は述べる。「上の子供たちがグラマースクー 丿かハイスクールに通い、母親が外の仕事にもっとエネルギーを費やすことができるようになるち ようどその時点で、三番目もしくは四番目の子供を宿す」 「衝動強迫的育児」と、モールトンはこの症候を名づけ、母親となることがその本来の喜びのため ではなく、社会での活動の代償となっていることを指摘する。 ( 実際、女は「除隊の手段として妊 娠を利用している」と、・キャサリーン・カーベンターが認めていることが、「陸軍における女
( 全児童の一 % ) を、カリフォルニア州の小学校から選び出した。そして成人するまで追跡調査を 行なった。すると、子供の頃のが男と同じ程度だった女が成人して就いた職業は、たいていが 平凡なものなのである。実際、七〇を超す天才レベルの女性の三分の二は、主婦か会社勤め におさまっているのだった。 女の才能の浪費は、国家全体に影響をおよばす頭脳流出である。精神科医たちがこの問題に注目 しはじめた。ここ数年、アチーヴメント葛藤に脳んで治療を受けにくる女性の数に驚いて、アレク サンドラ・シモンズ博士は、才能ある女性がほんとうに自立できる地位へ躍進するのをとかく避け たがるということを指摘した。昇進にひるんだり、わけもなくおびえるというのだ。たいていが良 き師の指導を仰ぎたがり、はなやかなわりには目立たない仕事、権力をもっ男の補佐役に甘んじよ うとするーーー自分自身の貢献という手柄も責任も拒むというのだ。治療の際、彼女たちは後退性に しがみつく。「健全な自己主張への一歩一歩を、意識的に、あるいは無意識的に、ことごとく排除 する」とシモンズ博士は述べる。「面倒をみてもらうのがいい いまの立場を変えたくないと、は つきり語る女性もいる。もっと才能を発揮したいという意思を示しながら、現実の変化の岐路に立 たされ、孤立と自己浮上というのつびきならぬ選択を迫られると、とたんにパニックに陥る女性も いる」 マンハッタンで開業するシモンズ博士は、成功し昇進する女性を数多く診ている。彼女たちのな かに、博士は自己拘束という症状がひろがっていることを見るのだ。生来の能力ということからい えば、あまりにも多くの女性が無能力化されていて、自己の十全な潜在力を認識できずにいるよう ア」 0
側と題されて「社会問題ジャーナル」 ( 一九七二 ) に発表されたもの。この研究は、包括的であることと、 ローアス・ホフマンが論理を組み立て結論を引き出すときの強い説得力とで、注目に値する。 9 ジュディス ・バードウィックは「女性心理」のなかで、女の子の自信の欠如に関連した数多くの研究を紹 介している。一九六〇年にはクランダルとロプソンが、三歳から五歳と、六歳から八歳の子供を対象に行な った研究を報告した。それによれば、女の子は自分の仕事に自信がなく、おとなの助けと承認を求めようと したという。この報告のなかでふたりは、男の子は大きくなるにつれ、以前自分が失敗した作業にもどって いく傾向があるのに対し、女の子は同じ失敗を繰り返す可能性から身を引く傾向があると述べている。 一九六一一年のラフアティ・タイラーおよびタイラー・タイラーの研究報告では、保育園で、何かを成し遂 げたことを認めてもらおうとする女児たちは、愛情を獲得しようとする働きかけもまた強い女児たちだった。 小学生では、がんばりを見せる女児ほど、おとなからの承認を得たがった。この、何かを成し遂げることと、 愛情または承認、もしくはその両方を得ることとの相関関係は、男児には当てはまらなかった。多くの心理 学者によれば、女の子がものごとを成そうとするのが主に愛情や承認を確保する手段としてであるのに対し、 男の子が何かを成すーーーあるいはマスターするーーーのは、主に自分自身のためなのである。 バードウィックはクランダル、カトロフスキイならびにプレストンの研究 ( 一九六二 ) を紹介しているが、 ここで対象となった一学年から三学年の女児たちは、自信がなく、失敗しそうだと感じており、一方男児た ちはうまくいくと思っていた。少なくともこの研究においては、女児の自信の無さは知能とともに増してい た。男児たちは自分自身について、より現実的に予測を立てただけではない。彼らは女児に比べてより高い 基準をもっていたし、最終的に成功できるかどうかを決めるのは、運命でも他の人間でもなく、自分自身で あると感じていた。 注釈 8 に挙げたローアス・ホフマンの論文より引用。 貶この「良い娘症候群」と、それを誘導する精神内部の問題点は、一九七六年のアメリカ精神分析学会とア
% るとき、彼女にとって都合のいい逃げ道となる。自分では認識していないのだが、異性との親密な関係がと きとして、幼少時の依存心と同じ危険な気持を呼び起こす引き金になりうるのだ。「男に対する何らかの優 プシケ 越をかち得ようとするもがきは」とトムソンはいう。「内なる自我を破壊から守ろうとする企てなのである」 ( 一九四一一年「精神医学」に収録のトムソン「女性心理における文化的圧迫」参照 ) 恐怖症の古典的説明は、これが「置き換えのメカニズム」として機能するということである。不安を拡大 しすぎて、根源の恐怖がそこからかけ離れた、まさかと思われる代用物に付着する。つぎに挙げるのは、も のごとに確乎たる態度を示すことを怖れる女性が運転恐怖症に陥るケースヒストリーである。この症例は、 フレデリック・レドリック、ダニエル・フリーマン著「精神医学の理論と実践」 ( べイシック・ブックス / 一九六六 ) より引用。 この患者、か弱そうで美しく控えめな、職をもっ三十二歳の女性の相談は夫婦問題についてであった。 彼女は、無責任で派手好きで、そのくせ何事にも受身な夫のふるまいを、マゾヒスティックなまでに堪 え忍んでいた。彼女は自分を殺し、淡々とした効率的なやりかたで一切を支配し、自分の仕事をこなし ながら子供や家計を取り仕切っていた。 この有能さとはきわめて対照的に、彼女の唯一明らかな「弱さ」は、車を運転することへの著しい恐 怖、しかも ( 郊外生活者にとっては ) たいへんな不便をきたす恐怖だった。彼女は車の連転という役目 をカや男らしさと同一視していた。夫を説きふせてスポーッカーを買ったものの、それが自分には手強 すぎる車に思え、 ( 大概のことには実にしつかりした思慮分別があるにもかかわらず ) 憤然とこうきめ ヾーにはなれす、 つけたのだった。修理工なみの機械の知識がなければ、自分ばかりか誰も安全なドライノ 自分自身も子供をも危険にさらすことになると。こうして彼女は連転を習おうとせす ( 習ったといえば、 夫が腹立ちまぎれに、ときたま思い立って、ややこしくまとまりのない実地教授をした程度 ) 、また誰
3 こうした著しく伝統的な男の考え方が明確に引き出されたのは、プラウン、プリンストン、ウエルズレー ダートマス、 ド、ストニープルックの諸大学である。この資料は一九七八年に行なわれた広範な調 査から得られたもので、その年の十二月、プラウン大学で催された会議、「女 / 男 / 大学、変わりつつある セックスロール 性別役割の教育的含蓄」の席上で報告された。 4 先に引用した論文で、ホーナーは、成功恐怖における黒人男性と白人女性の高い相関関係を示す研究がは かにもあることを指摘している ( タルキン、一九六八年、およびジェンセン、一九七〇年 ) 。 5 この報告は、マティナ・ホーナーとメアリー・・ウォルシュによる「女性における心理的成功障害」に おいて発表されたもので、ルース・カンドシン編「女性と成功」 ( 一九七四 ) に収められている。 6 サルカの子供たちは、物質的支持のほかに、もっと大きな悩みをかかえているかもしれない。「精神分裂 症の母親があるとすれば、それは無目的性のために、溺れる者のごとく必死になって子供にしがみつく母親 サイデンバーグは述べる。「子供はみずから現実を試すことを決して許されす、自 である」と、ロバート・ 己の境界を決して学ぶことがなく、生物と無生物とを区別できない。世界をひとつの「もの」として扱うの だ。何ひとつ「もの」をもたない母親に扱われてきたように。何かをもっ母親は、まったく別の行動を取る 傾向がある」 ( 「もの」という言葉によって、サイデンバーグ博士は、フロイトの意味するようなペニスを意 味しているのではなく、子供との関係から分離した母親自身のアイデンティティ、外界との関係から生する アイデンティティを意味している。「精神分析と女性」の「自律は宿命か ? 」参照 ) 7 離婚という辛い別離は、結婚生活が基本的参照点であり、自己の最大の定義であった女に「身元確認の基 本的疑問」をふたたび掻き立てる。「自己のアイデンティティの疑問に直面したことがなく、娘たる役割存 釈 在から妻たる役割存在へと移行した女にとって、自己の価値、必要性、目標といった問題に、孤立と挫折の 、バードウィックは「女性心理」のなかで述べている。 なかで初めて直面するのが離婚である」と 8 第四章注に既述したホフマンの研究より。
稼げるか、男みたいに自信をもって臨機応変にやっていけるかを。それを身につけたら、わたしは また女らしくなるつもり。子供をつくって、その子といっしょに五、六年、家にいます。それから また男になることにします」 女らしさということで女が経験している錯乱状態は、自分の母親のようには生きたくないという 決意とおおいに関係してくる。精神科医の最近の発見によれば、母親が引きこもり型で依存型であ ればあるほど、女はそれとは別の方向へ突き進むことが心配になるのだ。「控え目で、何ごとにも 黙って耐えてきた母親は たとえ娘に「わたしみたいで終わっちゃだめよ、ひとかどの人間にな らなくちゃね」といいながらもーーー・娘が自分と同じ役割を見ならわないことに苛立ち、おびえてい るようだ」と、アレクサンドラ・シモンズは述べる。 苛立っ母をもっ娘は、つぎの三つの性格パターンのどれかになりやすい。まず、慢性的な軽度の 憂鬱症ーーー悲観と無気力の暗流がたえず流れている様子。このタイプは、シモンズ博士がいうに、 仕事にどっぷり浸かり、他人に与えるものも多いが、自分は情緒的に栄養失調をきたす。 母親の道に背を向けた女に現われやすい第二の症候群は、女らしさの身元証明という領域での不 安感である ( さきほどの若き株式仲買人が表明しているたぐいのジェンダー混乱 ) 。「みすから男性 的とみなす人格の様相にこれらの女性がパニックを、さらには恐怖さえ感ずることに、わたしは驚 く」と、シモンズ博士は述べ、自立しようとする女たちは このいまの時代においてなお・ーー文 化が女に期待するものに真正面からぶち当たることを指摘する。 第三は隠れた依存心という芯で、これを女は長年否定しつづけ、いかにも満ち足りているふうな そとづら 外面の陰にしばしば隠し通す。偽りの自立せる女は、正規の仕事をもち、家族の面倒をみて、加工