全訳版シンテレラ・コンプレックス ・自立にとまとう女の告白 I S B N 4 ー 8 5 7 9-01 2 9 - 8 C 01 5 6 \ 4 4 0 E 知的生きかた文庫 知的生きかた文庫 自立にとまどう女の告白 ・女の自立をはばむものーーーそれは、女たち 自身がもっ隠された心の葛藤てあることに、 、ま読者の あなたは気づいているだろうかし 熱い声に応えてミリオンセラーが生まれ変わ こよる待望の全訳版。 った / 柳瀬尚紀の新訳 ( シ ン 本書の主題は、個人的、心 レ 理的な依存が一一一他者に面 倒をみてもらいたいという根深い願望が・ -- -- -- ー -- ・一今日、女を コ 押さえつけている主力だということにある。わたしはそ れを「シンデレラ・コンプレックス」と名づける プ ンデレラのように、女は今日もなお、タトからくる何かが レ 自分の人生を変えてくれ、るのを待ちつづけているのだ。 ツ ク ス C ・ダウリング 全訳版 シンテレラ コンプレックス コレット・ダウリング 柳瀬尚紀 訳 ダウリング 柳瀬尚紀訳 定価 440 円 全訳版シンデレラ・コンプレックス ・自立にとまどう女の告白 定価 440 円 1986 年 9 月 20 日 = 第 1 刷発行 1989 年 2 月 20 日 = 第 7 刷発行 著者 = コレットダウリング 訳者 = 椡嬾尚紀 発行者 = 押鐘冨士雄 発行所 = 株式会社三 . 笠書房 一知的生きかた文庫、 = 笠書房 カバー = 小松美佳子 + 稲岡卓司 表紙 = レオナルド・ダ・ヴィンチ素描より 日居
コレット・ダウリング (Colette Dowling) 一九三八年生まれ。大学卒業後、雑誌 編集者を経て、フリーライターとしてマ スコミ各方面で活躍。本書は、著者みず からの体験と多くの女性たちの生の声を もとに、これまで語られることのなかっ た女性心理を鋭くついた衝撃の書。米国 のみならず、日本をはじめとする世界中 の読者に読みつがれている。 柳瀬尚紀 ( ゃなせ・なおき ) 一九四三年、北海道に生まれる。早稲 田大学大学院英文学専攻博士課程修了。 現在、成城大学助教授。鋭い言語感覚を 有する第一線翻訳家として、翻訳文化の あるべき姿を、実践をもって示しつづけ る。訳書に、「飛ぶのが怖い」「ファ ニー」 ( 新潮社 ) 、「魔女たち」 ( サンリ オ ) 、「ゲーデル、エッシャー ( 白揚社・共訳 ) 他多数、著書に「英語 遊び」 ( 講談社 ) 、「翻訳困りつ話」 ( 白揚 社 ) 等。 知的生きかた文庫 全訳版シンデレラ・コンプレックス 著者コレット・ダウリング や訳者柳瀬尚紀 発行者押鐘冨士雄 発行所株式会社三笠書房 郵便番号一三 東京都文京区後楽一一ー一一三ー七 電話 0 三人一四ー一一六一〈代表〉 振替東京三ー一三 0 九六 印刷誠宏印刷 製本宮田製本 ◎ Naoki Yanase Printed in Japan ISBN4 ー 8379 ー 0129 ー 8 C0136 定価・発行日はカバー に表示してあります。
不安は「人生への投資」を示唆するものであり、不安をもたない夫たちは、人生への「思い入れや抱負」を 欠く者であるとみなされたのである。 ( ジェラルド・グリン、ジョセフ・べロフ、シェイラ・フィールド共 著「アメリカ人の精神は健全かーーーインタビューによる全国調査」 ) 「結婚の未来」より。 ^ 第六章 > 「成功の怖れ」の詳細な記述とホーナーの研究成果は、「女性心理学読本」収録の「成功を避ける動機と女 子大学生の変わりつつある願望」にある。この論文は最初、ミシガン州アナー 、女性の継続教育セン ター主催のもとに行なわれたシンポジウム、「キャン。ハスの女性たち、一九七〇年」で発表された。 ( マティ ナ・ホーナーは、現在ラドクリフ・カレッジ学長 ) 2 女と成功に関するホーナーの結論を裏付ける研究は、ほかにもある。広範囲の職種と年齢層にわたって、 女は男よりも成功期待度が低い ( クランダル、一九六九 ) 。実際の能力にかかわらす、成功期待度の高い人 間は成功期待度の低い人間よりもよい仕事をすることが示された ( タイラー 一九五八 ) 。この研究の多く は、「人間体験の半岔ーー女性の心理」に要約される。著者のハイドとローゼンバーグはこう述べる。「女は よい仕事ができないだろうと思い、それでますますできないことになる。失敗すると、そのことでいよいよ 自分の無能を信じ込み、成功の期待度は低下し、成功の可能性もいっそう薄れる。成功すると、それを好運 のおかげだとし、したがって成功の期待度は高くならない」 この理論を実証する姿勢を示す女性のひとりに、ワシントンポスト紙の社主、キャサリーン・グラアムが いる。「わたしが社主だなんて、いまだに信じられませんの」フォーチュン誌のウインダム・ロバートソン に彼女は語る。「運がよかったのね。そんなこというと子供みたいですけれど」 ( 「大企業の女性十傑」一九 七三年四月 )
ークハート本人だっこ。 愛着に誰より驚いたのは、もちろん、キャロリン・ 「そんな一面が自分にあるなんて、ぜんぜん知らすにいましたからね」彼女は十二年前を回想して ( 当時は二十代初め ) 、わたしに語った。そのとき彼女は、音楽家としてのキャリアを進める前に、 子供を二、三人っくろうと「決心した」のだった。 三十代後半を迎えたいま、キャロリンは ( 彼女と夫の名はともに仮名 ) 立て直しをはかろうとし ている。若き日の構想はことごとく崩れ落ち、重圧的な結婚のもとで粉々に砕けた。彼女が自分で はもうコントロールできないと感じる状況だった。 若い頃キャロリンは第一流のコントラルト歌手で、サンタフェ・オペラ・カンパニーの誘いを受 ・ハイツの、精力的で何事もみごとにやり けた最年少歌手のひとりだった。オハイオ州シェイカー 遂げてしまう少女だった彼女は、狩りをしたり馬術大会に出たりしながら育ち、そして , ーー・最後に はーー鍛えて、鍛えて、鍛えて、とうとう素晴しい若い声ができあがった。彼女を知る誰もが、そ の自己鍛練、その成熟、ゴールを目ざすそのひたむきさに目を見張った。「キャロリンはほんのち っちゃな頃から、自分の欲しいものをちゃんと知ってる子でね」母親はカントリークラブの仲間に ねた 裏よくいったものだ。仲間はうなずくが、心の内は妬ましさでいつばいだった。彼女たちの娘が、せ の糊づけをして のっせと額にウェープのかかった小さな髪の「前垂れ」をこしらえたり、ペチコート しいるあいだ、キャロリンはしつかり取り組んでいるのだ : : : そう、意味あるものに。 女少女はいつも一心不乱だった。古いジーンズとワークシャツで馬屋の汚物を掃除するにも、ジョ ーズと黒のベルべットの乗馬帽できびきびとジャンプをこなすにも。思春期の終わり頃になる 燗と、今度は馬から離れ、日に二時間、三時間、四時間と歌の稽古をした。大学四年の春、キャロリ
一歩一歩、一年一年、念の入った逆怖症の外面ができあがってゆく。細部は人によって異なる あねごはた にせよ、性格学的な全体像は同じである。つまり、威張りたがり屋、姐御肌、自信家。魅力的な活 発さが、あの冷たい芯を覆い隠していることもある。有無をいわせないようなそのエネルギーは、 じか 自分の直の環境を思うままに動かそうとする逆恐怖症の奮闘でもあるのだ。たとえば、恐怖症の女 性は実によくしゃべるーーーーものごとをはっきりと定義しなければおさまらないのだ。グリーンのシ ルクのドレスをお召しの。ハーティの花形 , ーー秘話のあれこれとあらわなデコルタージュでみなを倒 さっそう しーーそんな颯爽たる議員秘書が、実は隠れみのを着た恐怖症患者であり、知性や「魅力」やバス トに自信がないなどとは、いったい誰か想像しよう。 逆恐怖症の女性は、男性とプラスの関係をなかなか保てない。優越感を抱きたい、 「管理」した いという内的欲求があるのだ。愛情関係では、自分がみずからかかわりをもった男に不満を抱くよ うになる。ハネムーンが終わると、冷たい拒絶の態度に出る。男はあっけにとられ、自分が何かま すいことでもしたのかと、わからないままに妙に気が咎める。男がまずいことをしたとすれば、そ れは根底のところでおびえている女の投影する確信にみちた像を信じ込んだことだ。額面どおりに 裏受け取られると、そうした女たちは男に寄りかかることができなくなる。ほんとうは 心の奥底 ので・・ーーーそうしたいと願っているのに。入りまじったメッセージを伝える装置が働き、女は不安と頼 いりなさという根本的な気持を包み隠そうとして、強がってみたり、厚かましくなったり、自立を演 じたりする。 女 自足という偽りの仮面にだまされたことが、男にはわからない。女が欲しているもの、すなわち 寄りかかれる自立したたくましい「他者」を、男のほうでも欲していたのかもしれない。女の欲求 そとづら
要な社会的貢献ではあろう。しかし自活するかどうかを「選ぶ権利」こそ、女のアチーヴメント・ ギャップをおおいに増長してきたものなのだ。女には家庭に閉じこもるという社会公認の選択の道 があるゆえに、自分で責任を取ることから退却できるー , ーまた、しばしばそうしている。 実のところ、働く「必要」のない多くの女性は、夫が喜んで扶養してくれるからこそ、働かない のである。働く女性の増加は、離婚の増加とはっきり相関関係にある。働く女性の四二 % は世帯主 ど。いまもって驚くべきことに、結婚して夫と暮す女性の半数が、やはり家庭に閉じこもるほうを 望んでいる。 この国 これはどこか間違っている。それを理解するにはーー・そこの結びつきを理解するには の年長女性の経済的苦境を見ればよい。選択権を云々するあいだに、 こう自問したほうが利ロだろ う。「女が年を取ったら誰が面倒をみてくれるのか ? 」答えはむろん、誰も。女が白髪になる頃に は、「女子供第一」というかの扶養制度は、とっくに崩れ去っている。 夫が先立ったときの現実はきびしい。最近の政府統計によれば、アメリカにおける寡婦平均年齢 は五十六歳である。女ふたりのうち、ひとりは六十五歳までに寡婦となる見込みだ。しかも、若い 頃からずっと働いている女性でさえ、老後の保障はない。四人のうち、ひとりはお金に困るように なるーー同年齢の男よりすっと貧しくなる。一九七七年、老齢婦人の平均年収は三〇八七ドル、つ まり週に五九ドルで、老齢男性の平均年収はそのほば二倍である。 ( 働いていた女性の老後の暮し がそれほどひどい第一の理由は、社会保障が賃金体系に組み込まれていることで、すでに述べたよ うに、女は男の六〇 % の収人しかない。 ) こういうきびしい真実に若い女性は背を向けるーーまだロマンチックで、まだ恋をして、女は誰
れるか ? 」より。 3 「女性心理ーー性的社会的葛藤の分析」 ( 一九七一 ) より。 4 啓発的かっ驚くほど明快な書「それぞれの解決」 ( 一九七七 ) より。この書では二十三人の女性ライター パメラ・ダニエルズ共編 ) アーティスト、科学者、学者がみすからの生と仕事を語る。 ( サラ・ラディック、 5 米国労働省発表の数字。 6 「結婚・家族ジャーナル」 ( 一九七八 ) 掲載のライトの論説「働く女性ははんとうにより多くの満足を得て いるか ? 全国調査からの証言」より。 7 ターマンとオグデンによるこの有名な研究で得られた最初のデータは、一九四七年に発表された。オリジ ナルサンプルの英才児に対する追跡調査は長年にわたってつづけられた。最近の追跡調査では ( これは・ (J) ・シアーズと・・オードムによって行なわれ、エリナー・マコビイとキャロル・ジャクリン著「性差 の心理学」のなかで紹介された ) 、子供時代に英才だった女たちは、同じく子供時代に英才だった男たちょ りも、中年後期にあって人生に苦々しさと失望を感じていることがわかった。マコビイとジャクリンによれ ば、「家庭外での個人的アチーヴメントという点では、男性は概して女性よりもすっと「成功した」人生を 送ってきており、女性のほうは、機会を取り逃したことをいまさらながらに後悔するという傾向がある」。 さらに、マコビイとジャクリンによる一九七一年発表の研究では、女は十八歳から二十六歳のあいだに自 我充足と複雑性が減少し、他方男はこれらが増大することが示されている。 社会学者アリス・ロッシはこう指摘する。社会は「男たちに、自分の能力を出しきる最高レベルの仕事を 目ざせと期待する。ありったけの能力を引き出し得る仕事でなければ「やりがい」があるとはいえない、と 釈考える。もし彼らが自分の能力以下の仕事に甘んじたりすると、「社会問題」「才能の浪費」と考えられがち : それとはまったく逆に、女が能力以下の仕事に就くことは、容認されるばかりか、奨励すらされる。 そうすれば家庭で中心的役割を果たすことにエネルギーがまわされる、というわけである」。 ( 以上の引用は、
310 9 開拓時代の女たちは、積極果敢な母親像として長いこともてはやされてきたが、内的、心理的意味におい て、実はそれほど自立していなかった。現代の女と同じく、男がいないとき、生きのびるために自立したふ るまいをすることはできたが、それをとくに好みはしなかった。おとなの生活が要求するものを敬遠したの 丿ー・ジェフリーによって確かめられている。彼女は、開 である。少なくともその点は、女性史研究家ジュー 拓地の女たちが自分たちの生活を実際にどう感じていたかを研究した。ある女性は、夜 ( ろうそくを消す 前 ) 、こう日記に記す。「誰か頼れる人がいることにずっと慣れてきたので、仕事の契約に立ち向かうのはま ったく新しいことだし、とても煩わしい」書簡や日記をふんだんに引用しながら、ジェフリーは証明する。 開拓地の女たちは、夫がインディアン殺しから帰ってきたら、すぐにも簡単な家事に戻りたいと願っていた。 「彼女たちの生活に意味を与えた」のは家庭であったと、ジェフリーは失望しつつ述べている。ジェフリー の著書「開拓地の女たち」は一九七九年刊。 アチーヴァー マーガレット・ミードのごとき達成者でさえ、男と「張り合う」ように見えないよう意識的に努め、そし て当時のプロの女性の誰よりも自分が女らしかったと考えていた。自伝 1 フラックベリー の冬」 ( 一九七三 ) で、彼女は現地調査の長旅から帰ってきたときのことを記している。彼女も夫も ( と彼女は書いている ) 、 マーガレットは気を べイトソンに出会い おしゃべりに「飢えて」いた。ところが人類学者のグレゴリー・ きかして引っ込んだので、ふたりの男は「誰にも邪魔されることなく」一晩じゅう語り明かした。 「自律は宿命か ? 」 ( 既出 ) でこの倫理的葛藤を論じながら、サイデンバーグは警告する。「のちに世の中か ら教えられるにもかかわらず : : : 早期における親族からの教訓は優先権を保ち、厳しい自己粛正の努力によ ってしか克服できない」 ベネッツ「家庭作りが職となると ニューヨーク・タイムズ紙 ( 一九七九年七月十四日 ) 掲載、レズリー・ き、その 2 」より引用。 「結婚生活、女は何を期待し、何を得るか」マッコールズ誌一九八〇年一月号。
父の重圧 わたしは長すぎるくらい大事に守られ甘やかされる第一子だった。五歳のとき、両親はわたしを、 鉄道の線路の向こう側にある小さな村の学校に入れた。この年で早くも入学したのは、ひとつには ・ネーム・オプ・マリア・スクールが早い受け人れを承諾したため、も 文字が読めたので、ホリ うひとつはたったひとりのきようだいがーーー弟がーー・ちょうど生まれたからだ。 のわたしはまごっき、ほとんど見捨てられたような気持で、この特異な雰囲気をもっ学校の、黒衣 るの尼さんたちに教えられにいった。 一学年から十二学年まで、いっときたりとも居心地よかったこ とのない学校である。勉強は簡単で、よく退屈した。ほかの子供たちは悪戦苦闘、シスターに同じ え をところを何度も何度も教えられる。飲み込みの早さを得意に思ったこともあるが、たいていは自分 ち だけは特別なのだという気持だった。 娘 二年生の半分と五年生の半分を飛ばして進級したため、九歳のときには、ボルティモアの小さな 工場町にある何とも雑然とした学校、セント・トマス・アクイナス校の六年生になっていた。家か
挑戦からの退却 内面から発せられる挑戦の声にーーー危険を冒し成長せよという指令にーーー応じて立っことよりも、 危機や悲劇といった外的な挑戦に立ち向かうほうが、ときには容易である。 わたしはつねづね戦士を自認していた。戦場に駆り出されたなら、どんな窮地に陥ってもめげず ひるます戦い抜く人間だと思っていた。 勇気と不屈の精神を要求されるときがいく度もあったし、 そのたびにわたしは立ちあがって応じた。結婚生活が壊れたあと、子供たちを養う仕事がわたしに ふりかかるだろうということはすぐに明らかになった。夫は精神障害を病み、狂気の行動を繰り返 しては入院した。九年間、治療せずにいた潰瘍のために世を去るまで、一年に一度は病院にはいっ 生た。そういう発作の合間あいまに、リジウムのおかげでなんとか安定しているときもなかったわけ の ではない。 しかし病は夫を衰弱させる一方で、鋭い知性の持主であったにもかかわらす、できるだ 却 退 ーテン、皿洗い、ついに最後の五年間はメッセン け負担のかからない職に就くしかなかった ジャーボーイ。