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検索対象: シンデレラ・コンプレックス
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1. シンデレラ・コンプレックス

8 △第一章 > 依存的な人々は、しばしば批判行為によってその攻撃性を表わす。犯罪犠牲者の研究を手がけたニュー ヨークの精神分析医マーティン・シモンズ博士は、自分を無力と認める人々が攻撃性をあらわにしていく経 緯に注目する。博士の論文によれば ( 「女性における攻撃の心理力学」 ) 、批判は活動力の一種の代償となる。 「自尊心に乏しい、不安におびやかされている人々にとって、これは非常に有効な手段である。厳しい基準 を突きつけて他者を批判することにより、自分ならもっとうまくやれるのにという幻想が生まれる。その古 典的な伊カノ ・」ゞヾック、ノート・ト一フ・イノ 、すなわち後ろからあれこれ運転に口を出す人間である。実際のとこ ろ 、バックシート・ドライバーのほとんどが、みすからハンドルを握ることはない」 ( 「アメリカ精神分析学 ジャーナル」一九七六 ) 2 彼女の表明する . 「憤り」で思い起こすのは、ニューヨークの精神科医ルース・モールトンに、自分は「攻 撃的だが依存的」と語った女たちだ。 ( 本書ではモールトンの研究を多く引用しているが、彼女はコロンビ ア大学の精神医学臨床助教授であり、ニューヨーク市のウィリアム・アランソン・ホワイト研究所とコロン ビア精神分析クリニックの指導監督分析医である。 ) 論文「ふたつの生を生きる女たち」 ( 「現代精神分析学 ジャーナル」一九七七 ) のなかで彼女はいう。この女性たちは「男性から法外な安心感を得ることを要求し、 注釈

2. シンデレラ・コンプレックス

て家庭医におもむくーーそして薬を飲む。解任主婦たちの絶望は手に取るようにわかる。社会は彼 しかも彼女たちは、生まれ育った存在理由を失ったのだから 女たちを扱うすべを知らない 自分を扱うすべを知らない。彼女たちの自尊心は一夜にして消え失せるように思われる。センター の玄関口ビーを指さしながら、マイロ・スミスはわたしに語った。「あのドアからはいってくる女 は、みんながみんな、自分はいまや醜い、もう若くない、太っている、役立たずだ、そういう考え を内面化してしまっているんです」 なお悪いことに、彼女たちはこの新たに汚れた自画像を他人がしたことのように思い、だから復 讐心に燃える。「ここの女性は何でもかんでもおあいこにしようとする否定的な努力に変えてしま うことにエネルギーを浪費するんです」ミズ・スミスはいった。「恐ろしくかたくなで、融通性が ないんですね。すべて、鬱病の図の一端です。何か自分でやっていらっしゃいと送り出しますでし よ、するとあれこれ言い訳をもって帰ってくるんです。典型的な解任主婦は、こっちがその人のた めによかれと思ったことができない、その理由をこっちがひとっ考えれば向こうは五十は考えます からね。それはすべて怖れからきているんです」 「鬱病の女は何かを失った女だ」と、マギー・スカーフは「恐るべき鬱病の増大」について報告し、 数多くの新たな女性調査において、女性の ( とりわけ若い女性の ) 自殺未遂の著しい増加と、精神 生苦痛による薬剤飲用の激増を明示している。七〇年代初めに完了した国立精神衛生協会による調査 のによれば、三十歳から四十四歳までの女性の三分の一が、医師の処方による薬を服用して精神安定 退 を図っている。このうちの八五 % は精神科医の診断を受けたことがない。 鬱病の女性たちが失ったものとは何か。「決定的に依存していたものだ」と、スカーフはいう。

3. シンデレラ・コンプレックス

それが叶わぬとなると、サリヴァンのいう「悪意ある変貌」をもって夫に反抗した。彼女たちの期待に背く 夫はたちまち「悪い父親」と見なされる。結婚当初は夫とともに両親や因襲と闘い、のちには夫が両親に取 って代わり、闘うべき敵となる」。 ( この論文のテーマは、第四章注で、豊富な引用とともにさらに進めて論 じてある。 ) 3 「依存とは何か ? 」ミシガン大学の心理学者、ジュディス ・・、ードウィックは問う。「ます最初は、幼児が 人とかかわりあう上での正常な手段である。そののちは、子供・おとなを問わず、ストレスに対処する手段 となるようだ。欲求不満に対する反応であり、あるいは欲求不満に陥らないための防御膜である。それは愛 情問題ともいえるーーー誰かに、とりわけおとなに、愛情のこもった、もしくは守ってくれるようなふるまい をねだり、手に人れる。依存的行為はまた、対処行為ともいえるーー自分ひとりでは問題を解決できなくて 助けを求める。さらにそれは攻撃的にもなり得るーー関心や愛情をひとり占めして、他者を寄せつけない。 いずれの場合も、依存は自立心の欠如を意味する。依存とは、支えを提供してくれる者にもたれかかること である」 ( ノ ヾードウィック著「女性心理ーーー性的社会的葛藤の分析」一九七一 ) 4 精神分析医アレクサンドラ・シモンズよりの引用。彼女はマーティン・シモンズ ( 注釈 1 参照 ) と結婚し ており、成功したキャリアウーマンの神経症的依存をテーマに多くの論文を書いた。ここに引いた一言葉は、 一九七一一年春の「現代精神分析学ジャーナル」に発表された精神科医ルース・モールトンの論文「女性解放 運動の精神分析学的考察」についてのシモンズ博士の論考 ( すでに発表 ) より。 △第ニ章 > 本引用およびこれにつづく引用は、マドモアゼル誌 ( 一九七九 ) 掲載のコバ ーンの論説「セルフ・サポ タージューーー成功を怖がる女たち」より。 2 ヴォーグ誌 ( 一九七八 ) 掲載のアン・ e ・フレミング「アイデンティティを失うことなく私は家庭にいら

4. シンデレラ・コンプレックス

娘の自由と個性化への疾走を妬み、能力不足をあばかれて娘に出し抜かれるのを怖れ、自身の制限 された生き方を、たとえそれが幸福でも満足できるものでもなかったにせよ、擁護しようという欲 求に駆られるのです」。 こうして女は体裁屋になる こういった依存の訓練をひととおり施されてきて、さておとなの女たちの現実はどんな塩梅か ? ご想像のとおりあまり芳しくない。 この十年間、精神科医、精神分析医および社会学者たちは、膨大な学究的エネルギーを女性とい うテーマに充ててきたーー女性の乳幼児期、児童期、思春期、青年期、中年期の変遷。そして浮か だ。たとえばこれらの研 びあがってきたのが、女というもののまるつきり新しい心理的社会的状況 究によれば、女性が他の女性をリーダーとして認めたがらないことがわかった。ある研究では、デ ラウェア大学の研究者たちが男女混合の被験者グループに、男性と女性が会議室のテープルを囲ん で座長席には男性がすわっているスライドを見せ、つづいて座長席に女性がすわっているスライド を見せた。二番目のスライドでは男女双方の被験者が、そのメンバーのリーダーを男性であると見 た。 ( メンバーが全員女性であるときのみ、女性がリーダーだとされた。 ) 女性は男性より競争に困難をきたしがちである。競合的状況に置かれると、女性の自信はとたん に萎む。ポジティヴなフィードバックが女に自信をもたせるにせよ、言葉による支持を取り除いて しまうとまた振り出しに戻る。後押しされたり守り立てられた状況にあってさえ、女はーーー実際の

5. シンデレラ・コンプレックス

いうまでもなく、わたしたち女が間抜け同然のふるまいにおよぶのも、そうした願望のためである。 ーウーマンたち 悩めるスー ビヴァリーヒルズで催されたアメリカ精神分析学会の会合で、アレクサンドラ・シモンズは同じ 精神科医の聴衆にこう語って、一同を唖然とさせた。「銀行の女性幹部が上司に何か仕事のことで 叱責されたとき、わっと泣き出すなどというのは、まともではありません。年収三万ドルのれつき とした編集者が、企画を撥ねられると、かわいこちゃんぶってお色気で誘惑しようとするなど、お 話になりません。あるいは大学教授の女性が、気に人らない時間割を与えられたからといってすね てみせ、学部長が気づいて変更してくれるだろうなどと考えたりする。これは六パの可愛い娘』 にふさわしい行動パターンで、自立して行動する解放された女のものではないのです」 シモンズ博士は、自説を立証するために高給取りのパパの可愛い娘たちをでっちあげたのではな こういう「成功した」プロは、博士のもとへ治療を受けにくる患者の例なのだーーーすなわち、 依存心という内面的感情に深く葛藤する「スー ーウーマン」たちである。 企業やプロの道で女が階段を昇っていくとき、ある種の気取りやわざとらしさから、いかにも自 信あふれるふるまいがポロを出すことがある。実際、「パパの可愛い娘」たる資格を内心放棄せす にいる女は、同僚やいっしょに仕事をする人たちを戸惑わせるようなメッセージをやたら発する。 流行の「サクセスの装い」ルック同様ーーなにしろそれは、生まれ変わり清純派とコスモポリタン 誌の最新スカヴァロ・カバ ( 註フランシスコ・スカヴァロ、写真家 ) をミックスした中途半端なも

6. シンデレラ・コンプレックス

の好意にもすがろうとしなかったため、いつも歩くか、たまに友人や夫に声をかけられて乗せてもらう かだった。 彼女は女としての自分および女性一般を心底低いものと感じており、その一方で「か弱いのが女らし い」と極端に考えすぎ、さらには、確乎たる態度を示すことの結果を過大視していた。わがままな夫は 彼女の筋の通った要求をも「威張り癖」と片づけ、この思い込みに手を貸すばかりだった。彼女の恐怖 症は、気が強く威張っている ( つまり連転席にいる ) と非難されることから身を守ろうとするものであ ると思われ、また、彼女が弱さとみなしていた依存状態への欲求の表われだった。強引ながんばりと依 存願望とに対する後ろめたさをぶちまけ、有能さと男らしさを区別しはじめるにつれ、彼女の恐怖症は 軽減していった : サイデン 3 女性の恐怖症に関しては、新しい非正統的学説が現われつつある。そのひとつが、ロバート・ ーグ博士の「生活の単調さによる精神的外傷」という概念である。博士は患者から得た情報をもとに、女 が自分の生活のあまりの単調さをまじまじと見つめるうちに恐怖症になることがある、と考える。人生がこ のように無意味なまま、この先ずっとつづいていくのかという恐怖が不安を呼び起こすのである。このよう な女たちは生きることを怖れているのだが、生きていながら何の感動もないことをそれ以上に怖れている。 彼女たちにおける恐怖症的不安の発現は、一種の自衛、すなわち、自分が「自分自身の生において客体とな っている」事実への反発の叫びなのだと博士はいう。 ( サイデンバーグはニューヨーク州シラキュースの州 北メディカルセンターの精神医学教授であり、その幅広い著述活動のなかで、女たちに作用をおよぼしてい ー・ミラー一 釈る内外からの力を再評価しようと試みてきた。一九七三年刊行の、医学博士ジーン・べイカ 「精神分析と女性』に、「生活の単調さによる精神的外傷」を含む博士の論文三点が収録されている。 )

7. シンデレラ・コンプレックス

自我は疑惑に引きつり、控え目だった。 大学時代に、ひとっ妙な出来事があった。できるだけ急いで忘れ去ろうとした一件である。ある 日曜日の荘厳ミサの最中、わたしは急にチャベルから逃げ出したくてたまらなくなった。仰々しさ と、お香と、よそよそしい堅苦しさのうちにくりひろげられる儀式に、わたしはそれまでなかった 不安と嘔吐感に襲われ、汗ばんだ。わたしの最初の「パニック症状」である。いったいどうしたの かしら。わたしは思いながら、前の席にしがみつき、目まいの波がどっと押し寄せてくるのをこら えた。 思いきって立ちあがりチャベルを出るまで、とてつもなく時間がかかったように思われた。いま 考えると、ミサを抜け出したのはもっと大きな訣別を象徴していた。カトリックの儀式がつねにわ たしの頼りになるとはかぎらないという予告だった。するとほかに何か頼りにできるものはあるの 」ろ , っカ そこの点を、わたしは長いこと詮索しようとしなかった。わたしの人生で最初の男、夫は、わた しの面倒をみることができなかった。少なくとも精神上、むりだった。みずから精神障害をかかえ、 安定した男女関係に協力することができず、ましてやわたしの求めていたようなーーーまた、誰かが もたらしてくれると信じ込んでいたようなーーー安心感を与えてはくれなかった。 一一番目の男、ロウエルは、わたしの面倒をみようとはしなかった ( というか、むしろ、そのそぶ りをする伝統的な役割を演じなかった ) 。自分で自分の面倒をみる女をはっきりと求めていたし、 そしてそういう男をわたしはわたしではっきり求めていた。男は「こうすべきだ」というわたしの 古き既成概念に彼をしつくりはめ込むことができなくなると、精神的な行詰りが生じ、それがやが

8. シンデレラ・コンプレックス

307 注釈 タイドルによる論文「結婚と孤独受容力」のなかで論じられている。ウェクスラーとスタイドルはともに、 エール大学医学部助教授であり、精神医療福祉を専門とする。彼らによれば、「融合は、他者との分離を避 け、直観力や成熟した共感を捨て去り、原初的共感状態を取り戻そうとする企てである : : : 」。 5 注釈 4 に同じ。 6 女が保護的環境をどこまで巧みに操縦していくかについて、シモーヌ・ド・ポーヴォワールは冷徹な目を もって分析している。「第二の性」とくに「結婚」の項参照。 7 「結婚と個人成長」より。 8 マーシャ・パールスタインは、カリフォルニア州バークレーに住み、セラピーを行なっている。本文の一言 ークレーでのインタビューより。 葉は、ヾ 9 医学博士ジーン・べイカー・ミラー編「精神分析と女性」 ( 一九七三 ) に収録の「女性の心理ーー新しい 局面」より。 ・ソーンは、ミシガン州立大学で教鞭をとる言語学者である。スタンフォードでインタビューをし たとき、彼女は客員教授としての一年を送っていた。第一一章本文および注釈で取りあげた女性と一一一一口語に関す る研究のあることは、バリーによって知った。 良い娘とオルガスムの関係は、ニューズウィーク誌 ( 一九七九年十月二十二日 ) で報告された。 ( 第四章 にあげたルース・モールトンの「良い娘症候群」もあわせて参照のこと ) 結婚生活における女性の過剰適応については、ジェシー ーナード著「結婚の未来」参照。バーナード が引用する研究報告によれば、既婚女性は、独身女性および、未婚・既婚男性に比べ、精神面での健全性が 低い 一一千人の既婚男女を対象に行なわれた一九六〇年の研究は、女性が男性よりつねに高い不安をもっことを 示したが、これについては、調査に当たった研究者により、前向きな解釈がなされた。すなわち、妻たちの

9. シンデレラ・コンプレックス

そのまま生きていることがわかる。それにはこう書かれている。「女性はたとえ意識的に自分の価値を確信 するようになってもなお、訓練、差別行為、そして外傷性の経験によって知らす知らす植えつけられた劣等 意識と苦闘していかねばならない」 ワシントン日ポルティモア精神分析研究所の初代所長、アメリカ精神分析促進協会の初代副会長、そして ニューヨークのウィリアム・アランソン・ホワイト研究所の初代理事であったトムソン博士は、社会がどの ように女性を依存へと追い立てていくかをわかりすぎるほどわかっていた。「彼女の住む社会は、永久的な いわゆる愛情関係をのぞいては、安全のためのいかなる保障をも提供しない。愛に対する神経症的欲求が、 依存関係における保障を確立するためのメカニズムであることは知られている。 : : : 女性が男性よりも愛の 欲求が強い事実を考えれば、これはまた、依存を生む文化状況において保障を確立する方策であるとも解釈 される。愛されることは、これが男性の自然な生の一部であるのと同じ意味において女性の自然な生の一部 であるばかりでなく、必然的に、女性の職業ともなるのである」 △第五章 > サーベイ社の指揮により、三八八〇名の男女を対 「夫と妻ーーー結婚に関する全国調査」より。クロスリー・ 象に調査が行なわれた。 ・ベネッツの論文「医者の妻たち 2 ニューヨーク・タイムズ紙 ( 一九七九年五月七日 ) 掲載の、レズリ 期待はずれの結婚生活を語る」より。 ・フランクに 結婚における分離“個性化の問題については、心理学者ルービン・プランク、ガートルード・ よる共著「結婚と個人成長」 ( 一九六八 ) および、・・マーラーの論文「標準的分離個性化段階の重 要性について」を参照。後者は、・シャー編「衝動、情動、行動」 ( 一九五三 ) に収録されている。 4 この「再包含」という概念は、「精神医学」 ( 一九七八 ) に収録の、ジョーン・ウェクスラーとジョン・ス

10. シンデレラ・コンプレックス

295 注釈 << ・・べントンが「ジャーナル・オプ ・パーソナリティ」 ( 一九七三 ) のなかでリポートしたあるテス トでは、被験者の男女のペアに、たがいに交渉して金銭上の契約を結ぶよういいわたした。その「任務」を 遂行するにあたってのルールは、いすれか一方がもう一方を上回る額を獲得しなければならないというもの である。女たちは交渉の始まらないうちから、男より多くは獲得できないと予期し、交渉を進める上での説 得力と積極性で男に劣ると思い込んでいた。 女性のほうが男性よりもテストに対して強度の不安を覚えるという研究は、バードウィックならびにマテ イナ・ホーナーによって報告されている。 ( ホーナーについては第六章注を参照 ) ルース・モールトンは、多くの有能な女性が恐怖症ゆえに講義をしないことに気づきはじめ、この調査を 行なった。コロンビア大学院生の観察結果を彼女は、論文「ニュー・フェミニズムの影響」のなかで取りあ げ、これを一九七六年のアメリカ精神分析学会とアメリカ精神医学協会の合同会議に提出した。 一九七五年五月四日に発表されたシモンズ博士のこの考察は、その後「アメリカ精神分析学会会報」 ( 一 九七六 ) に「成功した女性の神経症的依存」と題されて発表された。 四ロビン・レイコフ「言葉と女の占める位置」 ( 一九七八 ) 。 8 「会話の政治学」 ( 一九七九年五月 ) より。 ニューヨーク・タイムズ紙 ( 一九七八年一月二十八日 ) 掲載の「女性と成功ーーーなぜそれほど苦痛に感じ るのか」より。 △第三章 > 男への怒りは性格防衛の機能を果たすーー・これは四十年前にクララ・トムソンが指摘したように、「二次 的利得」をともなう防衛である。圧制的な「男社会」に怒りを向ける文化的趨勢が一般化すると、個々の女 は「自己の自由の方向に進んでいるのだという幻想」をいだくようになる。これは、男性と親密な関係にあ