たくさん - みる会図書館


検索対象: ハネムーン
30件見つかりました。

1. ハネムーン

150 無数の岩のように覆っていた。人間の小ささが胸にしみるような眺めだった。 人々が指差すほうをじっと、じっと見つめていたら、やがてイルカがたくさん見えてき た。遠く連なる波頭にまみれて、小指の先ほどに小さく、なめらかな背中がかいま見えた。 よく見るとたくさん、たくさんいた。数匹で並んでジャンプしているのもたくさん見えた。 背中を並べて、タイミングを合わせて波乗りしている。タ焼けを映す海と同じくらい灰色 でよく見えなかったが、目が慣れてくると、もう見えないくらい遠くまで、たくさんのイ ルカが遊んでいた ぞっとするほど大きく連なる恐ろしく広い、宇宙のように見えるこの海全部が、イルカ にとっては生活の空間なのだ。肌寒い風と乾いた土の黄色でできた厳しい風景 : : : イルカ はただかわいいペットのようなものではなく、過酷な世界に生きる野生の生物であること を思い知った。 「遊んでるけど、楽しいのだろうか。」 裕志は言った。 「あんな寒そうな、ものすごい波の中で、僕だったら心細くて遊んでいられないな。」 「イルカは海が住みかなのよ。

2. ハネムーン

なにもない日々 で茶道のように、ひとつの無駄もなくひとつのことが次に流れていくのをいつも庭で見て いたことを思った。花が咲いて散ることも、枯れ葉が地面に落ちることも、全部が次にい つの間にか、遠い所でつながっている。人間だけがそうでないことがあるだろうか、と思 って、気をとり直した。 だから、裕志がだめになっている時に、自分がナーバスになるのをやめた。ただ、今で きることをし、後悔しないようにすることだけに集中したかった。 取り返しのつかないことをしないように。 取り返しのつかないことなどないと、人はよく自分の弱い心をなぐさめたいのかなぜか 言うけれど、取り返しのつかないことはたくさんある。ほんの少しの手違いで、うつかり しただけで、取り返せないことがたくさんある。命がかかわっている場合は特にそれを思 い知る。おじいさんに関してそうしたくないというだけでろくに外出もしたがらなかった 裕志は、やりすぎだとは思うけれど、そのことを確かに知っている。 取り返しがっかないことかいくらあっても、生きていくしかないということだけを、人 は一一一日っことができる。

3. ハネムーン

4 と店のおばさんが言った。私は笑ってそうです、と答えた。もしも私たちがおばさんの 目に映るとおりの、一緒に旅行したり、けんかしたり別れそうになったり結婚しそうにな ったりするような、単なる若い恋人たちだったらどんなにいいだろう。裕志はにこにこし てコーヒーを飲んでいた。裕志の幸福が痛かった。海の上に大きな星がたくさんまたたい ていた 島に一軒しかないレストランでタ食を食べて、蛇を踏まないように森側の道をさけて、 足を取られながら真っ白い砂浜を散歩した。砂が明かりをぼんやりと反射して薄明るくて、 全てが浮き上がるように見えた。 海が黒光りして、昼よりももっと近くに迫ってくるように息づいていた。 星はますます増え、気持ち悪いくらいにたくさんの光が空を覆っていた。 私には仕事も特技も自分を燃やせる趣味もなにもない。裕志も動物としゃべれる気がす るとか言っているばかものだ : : : しかし、私たちにも誰にも等しくこの美しい世界が開け ている。どこにいよ , っと、豊かにある、そう思えた。 疲れて腰をおろすと、砂はひんやりと冷たかった。手を沈めるとさらさらとした感触が

4. ハネムーン

夜が来ないほうがいい と私は思った。裕志のいない人生の時間を想像したくない そこに次々に透明なピンクやオレンジが吸い込まれていった。生まれてくる前に見たよ うな、懐かしい色だった。 「どうしてこんな夢見るのよ ! 」 起きた時私は自分に腹をたてて、裕志を捜した。裕志はとっくに起きて、散歩に出て行 ったらしく、 いなかった。となりにはいつもどおりの裕志のやり方でふとんがたたまれて いて、私は朝の光の中で混乱した。誰かかいなくなるとあんなに困る人生なんて、こわい と思った。そんな人がいることに気づきながら生きるなんて恐ろしかった。初めて、裕志 6 が私が死ぬのがこわくなってノイローゼ気味になっていた時の気持ちのかけらをつかんだ 夜 気がした。 ア夢の動揺はまだ私の体に残っていて、なんとなく心臓がどきどきした。天窓から直線的 な朝の光線が射し、鳥がうるさいほどたくさん、さえずっていた。こんなにたくさん鳥が 夢 いるなんてうそに違いない ラジオか OQ に決まっている、と思うような大きな音だった。 落ち着こうと思ってミルクを飲んでいるうちに、ゆっくりとまた幸福な気持ちが戻ってき

5. ハネムーン

跖して風呂につけないように手をそっと持ち上げている時の手のしびれとか、そういうこと がみんなどうでもいいような感じになって、感情が薄くなってくることはあった。ああ、 自分の影は今、きっと薄いな、と思う。今の裕志は、そういう時の私のような目をしてい ゆっくりと歩いて、大きな公園に行った。人々は、ジョギングをしたり、自転車に乗っ ハドミントンをしたり、芝生でなにか飲んだり食べたりして、たくさんいた。犬も たくさんいた。目の前を行きすぎるいろいろな種類の犬ですら、カの抜けた裕志の瞳を輝 かせることはできなかった。 麦ろには私の特別好きな杉の木があった。よ 売店でビールを買って、芝生にすわった。彳 くここにも来る、と私は一一一口った。 ここで赤ちゃ 「私は歩いたり、すわったり、知らない人と話をするのが好きなの。前。 しいですよ、ひまだからと言ってその一歳く んを見ていて、と若いお母さんに頼まれて、 らいの子と遊んであげていたら、六時間も帰ってこなかったことがあったわ、仕方ないか らタ日が落ちるまであやしたり、そのへんを通りかかる人にやり方を聞いておしめを替え たり、ジュースを飲ませたりして、待っていたけど、あの日はさすがにどきどきした。捨

6. ハネムーン

え、人間を寄せつけないほどの迫力で静かに呼吸をしているのを感じる。野性の力。 私は椿の下の庭石によりかかり、朝を待った。 まだ、ジュースがたくさん残っていて、蟻が行列を作り出したので払いのけて飲んだ。 甘く冷たく、心地よかった。 ) 。、ノヤ ぼんやりと空を見上げていたので、裕志がやってきたのに気づかなかった。青し マを着て薄闇に立っ彼は影が薄くて、まるで庭に溶け込んだなにかの精のようにひっそり とやってきた。 「眠れなかったの ? 」 私は一一一口った。 「、つん、ここのところずっと。」 裕志は言った。 「ずっと、目を開けて寝転んでいるのはつらいでしよう。」 私は言った。 「うん。眠れないことで困ることなんかないのに、どんどん追い詰められたような気持ち になるね。」

7. ハネムーン

そんな日々の中、今度は私が風邪をひいて倒れてしまった。アルバイトは一週間体んだ らくびになってしまった。でも私はそれどころではなく、高熱と頭痛に苦しみ、毎日ろく に眠れなかった。病院に行って太い注射をしてもらってたくさん薬をもらったが、悪くな る一方で、熱は数時間しか下がらず、体中が痛かった。 「裕志くんのことで、気を使いすぎたのよ。」 束母は言った。 「あれほど落ち込んでいる人と一緒にいたら、健康な人は体がおかしくなるよ。」 花 母が忙しい時期だったので、私は毎日自分でおかゆを作った。具合が悪くておかゆを作 るくらいしかできなくて、ひまだったからだ。母は喜んで毎食おかゆを食べた。それで、 花束

8. ハネムーン

「海が見たいよね。」 「海って、熱海と伊東以外は +> でしか見たことがない。」 「だから、あの時、結構感動していたんだけど。」 「もっとすごい海はたくさんあるよ、晴れていたり、砂がきれいな所に行こうか」 「まなかちゃんは今までどこに行ったことがあるの ? 」 私は考えた。 「修学旅行と、ハワイと、グアムと、ベトナムと、オーストラリア。学校で行った旅行以 外は全部、お母さんとお父さんかほんとうのママと行ったんだけど。」 「いつもおみやげと写真でしか、知らない所だなあ。」 々「海外でもいいわよ。パスポートでも取ってみる ? とりあえず。」 「そうだなあ、学校に行きはじめたら時間がないし。」 「私も旅費をかせぐわ。」 「僕も貯金を調べてみるよ。」 さんさんと降り注ぐ太陽の光の中で、お互いにそうは言っているが、まだ本気になれる

9. ハネムーン

155 島、イルカ、遊び 伝わってきた。裕志は星のことで頭がいつばいの様子で、貧弱な喉ぼとけをつきだして真 上を見続けていた。 波音はこわいくらいに静かに響き、海はゆるく粉をといたようにゆらゆらと揺れていた。 遠くから、音楽がかすかに聞こえてきた。 「まなかちゃんのふともも、太いね。砂にめりこんでるよ。」 裕志が言った。 「放っておいて。」 「ひとっ聞いてもいい ? 」 「いいわよ。」 私が答えると、裕志が言った。 「前に、駆け落ちした時に見たこわい夢って、どんな夢 ? 」 私は少し割愛することにして言った。裕志が少しでも父親を思っている可能性がある限 り、一生あの夢の全貌を話すつもりはなかった。 「裕志が、死んだ夢。見たこともない建物が出てきて、血がたくさんあった。その建物の 中では、殺したりひどいことをするのがなんでもないことで、昼間でも人々の心は暗黒し

10. ハネムーン

じっと見ていた。ワラビーに触ったりもしていたか、やがて私のほうに歩いてきて、とな りにすわった。 「あいつらは、ねずみみたいなものだ。あんまり、心が通わない感じ。」 と、あまり気に人らない様子だった。 「初めて接する動物だものねえ。」 私はなぐさめてみた。 しばらくすわっていたら、エミューが寄ってきた。だちょうのようなすごく大きい迫力 のある鳥だった。首が長く、頭なんて、私くらいあるのではないかと思うくらい大きく、 目は真っ黒で、まっげとしか思えないものがたくさん生えていて、とてもかわいく見えた。 「つつかないかしら。」 ( したエミューも 私もエミューをじっと見つめた。裕志も見とれていた。すると、遠くこ ) 次々にすたすたと歩いてきて、私と裕志は囲まれるような感じになった。体にふさふさと 羽毛が揺れている。そのまじめな顔がおかしくて、私と裕志は笑いが止まらなくなった。 「変な生き物、変な時間。」 私は言った。風に乗ってユーカリの匂いがしてきた。日だまりの中でただ時間が過ぎて