プリスペン - みる会図書館


検索対象: ハネムーン
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1. ハネムーン

はテリア犬のオリープを飼った。だからオリープがずっと私の妹がわりだった。 父は学生の時に仲間たちと海辺で家を借りて、自給自足の生活をしていた。学生仲間に ありがちなことで、みなイラストを描いたり、親のすねをかじったり、恋人を連れ込んだ り、野菜を作ったり、マリファナを栽培したり、家具を作ったりしていた。どんなに時代 が変わっても、そういう人は決していなくならないというたぐいのまじめな人々だった。 そこで父と私の実の母は知り合って、すぐに結婚して私が産まれた。その中のひとりが東 京にある家業のレストランを継ぐことになって、父はそれについて行ってその店を共同経 営することにした。店をやるのが父の夢だった。しかし自由な暮らしと海を愛していた私 の母はすぐに東京生活に飽きてしまい、私がまだほとんど赤ん坊の頃に家を出てしまった A 」い一つ 実の母は後にオーストラリアの人と結婚してプリスペンに行き、大きくなった私とは連 ん 絡を取り合っていた。私はプリスペンに遊びに行ったこともあった。 母が出て行った時すでに、父は父の店の常連だった義理の母と出会っていた。その頃か 釜 ら海外の珍しい料理の本を翻訳したり買い付けに行ったり店のメニューを考えたりするの を仕事にしていた義理の母は気の優しい人で、私がいれば他の子供は要らないというくら

2. ハネムーン

「いつの間に ? 」 「まなかちゃんが風邪で寝ている間に。」 「 ~ のら。」 「できれば学校がはじまる前に行きたい。」 裕志は言った。 「学校も申し込んだの ? 」 コつん。」 「がんばりすぎてない ? 」 「いつまでもうちにいても仕方ないし。」 裕志はまるで普通の青年みたいなことを言った。 「あんたのママの所へ行けばいゝ しのよ、それなら安心だし。」 と思ってあわててそう言ったような感じだ 調理中の母が、大声で言った。今しかない、 った。母も、私たちのこのところのあぶなっかしさを見ていられないと思っていたのだろ 「私のママの所へ行く ? プリスペン。イルカもいると思うよ。」

3. ハネムーン

Ⅱ 0 それからは旅行のことだけを考えて暮らした。裕志のびかびかのパスポートや、新しい 写真を見ていたら、なにか明るい感じがして嬉しかった。プリスペンの母にも電話をした。 目的に向かってきちんと現実が動いていくのがわかった。 裕志は私の部屋で眠るようになった。 ある夜、電気を消して眠る時に、窓からの風でふと、ドライフラワーにしていた裕志作 の花束の香りが鼻に届いた。私は思い出して、 「この間は毎日、お花ありがとう。」 と言ったら、 「作るのが楽しくて、小さな花を取りに遠くの川べりまで行った。 と答えがかえってきた。 ーもあったね。」 「四つ葉のクロー と一一一日っと、 「わりとすぐ見つかったよ。」 と一一一口った。 「どうもありがとう、とても嬉しかった、おやすみ。」

4. ハネムーン

飛行機の中の裕志は無ロだった。私も決して飛行機が好きというわけではないが、人の 心の底からのつらさを肌で感じると、自分のつらさが大したことないように思えた。それ にしても裕志は大人だった。決めたことには、どんなにいやでも文句を言うまいと思った 一のだろう。私にやつあたりすることはなく、ただひたすらにうちにこもって体を固くして、 ム 時間をやり過ごしていたので感心した。かわいそうにも思った。私がいやな時にぶつぶつ の一一一口えるのは、言える環境に育ったからだと思った。 目 回 とにかく到着してみたらプリスペンの空港はできたてで美しく、朝の光は豪快に濃い緑 に覆われてどこまでも続く大地に降り注ぎ、私たちはロビーで母を待った。裕志の顔色も 少しずつよくなってきた。 二回目のハネムーン

5. ハネムーン

「プリスペンに行きたくもないのに話が進んでしまったっていうことない ? 」 と母は言った。 「そんなことないわよ。嬉しいよ」 私は言った。 「それならよかった、気晴らしをしたほうがいし 母は笑って、自分の部屋に戻って行った。 こういう時、もしかして血がつながっていないっていうのはこういうことかもしれない と思う。私は、後押ししてくれて、ほんとうに嬉しかったのだ。 普通にしているだけでなにかを無理しているように見えるのなら間題だ、と私は思った カ私こは、いつも、たいていの時、みんなが無理をしているように見えた。どうしてそ んなにがんばっているのか、なにに向かっているのか、わからなかった。 だからと言って私の人生がそんなにすばらしいことに満ちあふれているわけでもないの に。自分の人生は、なにかきらきらしたものが通っていった後の、しっぽのきらきらした ところだけを味わっている、という感じがした。もちろん生きていくうえで甘えていると いうことは多分、ない不 。ムは、決して母の仕事や母の状態よりも自分の気分を優先させた ) と思ったのよ。なんとなく。」

6. ハネムーン

盟を想像するよりも、今の光線のほうが美しくて強かった。いつもそうだった。 ヘンネアラビアータだっ プリスペンくんだりまで来て、裕志がタ飯に食べたいものは、。 た。彼は、今度はパスタ類に心を奪われているようだったが、そうなっていった道筋はわ かりやすかったので、その素直さを快く思った。少しずつ心が強くなり、強烈なものも受 けつけられるように外を向きはじめているのを象徴しているような感じがした。 私たちは、驚くほどの軽装で外に出かけた。つまり、財布だけ持って、サンダルばきで。 そういうふうにして町に出て、初めてこの町の色をはっと思い出した。たとえばこの場所 が過ごしやすくて、豊かな町で、少し空が高すぎて透明すぎて退屈で淋しい感じがするこ とが、初めて直接的に人ってきた。その場所に立たなければ、思い出せないことがある、 それをよみがえらせるそういう瞬間が好きだった。自由な感じがした。 母の部屋から歩いて十分くらいで、華麗と言っていいほどきらびやかな、観光地らしい ーで食材を買い ショッピングモールがえんえん続いている所に着いた。私たちはスー その時はとても集中していろいろなものを見たので、そして横を見ると見慣れた裕志がい るので、私はまたもや外国にいるということを忘れていた モールの真ん中になぜかカフェがあり、喉が渇いたのでそこでオーストラリアのビール

7. ハネムーン

Ⅱ 6 私はひとりでプリスペンに遊びに来た時に楽しかったことを、昔、裕志にたくさん話し た。そのことが裕志の中に長い間種として眠っていて、すんなり場所が決まったのかもし れないと思った。その時は自分でも少し言いすぎかな、と思いながらも興奮してべらべら としゃべってしまったけれど、言っておいてよかった、と思った。実の母についても、会 った後などはよく裕志に話した。義理の母は実の母と私が会った時のことを聞きたそうに していて、でも、ほんとうは少し聞きたくなさそうで、話しにくかった。だから、楽しか ったとか面白かった以外の心動かされたことは、裕志に言った。 母の夫は自然化粧品の会社をやっていて、母はそのパッケージのデザインとか、広告用 のイラストを描いたりする仕事をしていた。その会社はゆくゆくは日本にも店を出そうと 思っていて、二人で時々日本に来たりもしていた。母は初めから私の誕生日やなにかの言 念日にはまめに手紙や電話をくれたので、私は、家を出て行った人は普通娘とはそんなに 素直に交流しないなんて、他の家を見るまで知らなかった。父も義理の母も全く気にする 様子がなかった。母の手紙はいつも感情的で波瀾万丈だったり、相談ごとが書いてあった りして、まるで大人の人ではないような感じがして面白かった。