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検索対象: 三国志演義 1
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1. 三国志演義 1

「おれは人にも知られた男、お前に息子よばわりされてたまるもんか」 7 「どうしたのだ、奉先。その言い草は」 呂布は一歩踏み出して一刀のもとに丁原の首を斬り落とし、大音あげて、 「丁原は情義をわきまえぬ奴だから、おれが殺した。おれに従う者は残り、従わぬ者はどこへなり と ~ 何け」 と叫べば、兵士はあらかた落ち去った。 次の日、呂布は丁原の首を持って李粛をたずね、李粛は呂布を董卓に引きあわせた。董卓は大い に喜んで酒を出してもてなし、まず席を滑り下りて、 「それがし、この度将軍のお味方を得たのは、正に干天に慈雨を得た如きものにござる」 と挨拶すれば、呂布は董卓をもとの座になおして、 「殿がお見棄てなくば、それがし義理の父とあおいでお仕えさせていただきとう存じます」 よろい ひたたれ 董卓は黄金の鎧、錦の直垂をあたえ、大いに歓をつくして別れた。董卓の威勢はこれよりますま すふるい、自らは前将軍の職をあずかり、弟董旻を左将軍・鄂侯に封じ、呂布を騎都尉・中郎将・ とてい - 一う 都亭侯に封じた。 李儒が、早急に廃立の企みを進めるよう董卓に進言したので、董卓は禁中に酒宴を設けて百官を たいふえんかい 集め、呂布に命じて甲冑の兵千名あまりを左右に立たせた。その日は太傅袁隗以下百官みな出席し 酒が数巡したとき、董卓は剣の柄に手をかけ、 とうびん

2. 三国志演義 1

県に着任して四カ月にもならないうち、朝廷から軍功で地方官に任命された者は、審査の上で不 ン一′、ゆ・つ 適格者を免官とするとの詔が降り、玄徳もその対象になっているようであった。おりしも督郵 ( 行 ていちょう 政監察官 ) が視察に回って来た。玄徳は城外に督郵を出迎え、鄭重に挨拶をした。督郵は鞭の先を 動かして見せただけで馬から下りようともしない。関公と張飛はその無礼な仕草に唇をかんだ。宿 舎に着くと、督郵は正面に向かって坐り、玄徳は庭に立って督郵の言葉を待った。しばらくして、 ようやく督郵が尋ねた。 「劉県尉はいかなる功によって現職に着かれたのかな」 ちゅうぎんせい 「小官は中山の靖王の末孫で、泝郡より黄巾賊討伐に立って大小三十余回の合戦に加わり、 ち 鞭さか功あってこの職に任ぜられたものにござります」 郵督郵は大喝した。 * 一しよう て「その方は皇族を詐称し、ありもせぬ功績を申したてる気か。さきに朝廷より詔があったのは、ま っ 怒さしくその方どものような貪官汚吏を処分せよとの御旨なのじゃ」 玄徳はひたすらに恐縮して引き退がり、役所に帰って県吏に諮ると、 張 「督郵が事を荒ら立てるは、袖の下を催促しているのでございます」 回 二「わしは領民からなに一つとったこともなし、出すようなものはないわ」 翌る日、督郵はまず県の下役人を引っ立てて行き、県尉が民を害しているとの弾劾文をむりやり 書かせようとした。玄徳は放免を請いに何度も出向いたが、その都度門番にはばまれ、目通りさせ しき、

3. 三国志演義 1

ワ】 「張梁らはもはや打ち破れて数少なくなったゆえ、広宗の張角を頼って行くに違いない。よって、 そなたはこれよりただちに取って返すがよかろう」 と皇甫嵩が言うので、玄徳はまた軍勢をひきいて取って返した。途中まで来ると、向うから一群 の人馬が囚人車を護送してやって来る。車中の囚人はと見れば、なんと盧植ではないか。仰天して 馬から飛び下り、これはどうしたことと尋ねると、盧植の言うのに、 「わしは張角を取り囲んで何度も打ち破るところまでいったが、 / レ 彼こ妖術を使われてどうしても破 寺ほう ることが出来ずにおったのじゃ。そこへ朝廷より宦官の左豊めが軍情視察に差し遣わされて参り、 ひょうろう ちよくし わしに賄賂を求めよった。それでわしは、『兵粮すら不足しておるのに、勅使に献上するようなも のがあるか』と言ってやったのじゃが、左豊めこれを根にもって、都に帰ってから、わしが陣に引 きこもって戦わず、士気をゆるませておると奏上したので、陛下はいたくご機嫌を損じられて、中 郎将董卓をご差遣のうえわしと代わらせられ、わしはこうして都へ連れもどされて罪を問われる仕 儀になったのじゃ」 玄徳が急いで、 聞くなり張飛は真赤になって怒り、護送の兵士を斬って盧植を救おうとしたが、 「朝廷では公正なお裁きが下るはずだ。早まるな」 と引きとめる間に、兵士らは盧植を囲んで立ち去った。 ( 注一 0 ) すると関公が言った。 す 「盧植殿が捕えられ、ほかの者が軍勢を統べるとあらば、われらにはもはや頼るべきあてもない。 とうたく まいない

4. 三国志演義 1

もうとく しよう そう そうすう か - 一う 誰郡の人、姓は曹、名は操、字孟徳その人である。曹操の父曹嵩は夏侯家の出であったが、中常 きちり そうとう あまん 2 侍曹騰の養子となって曹家の姓を名乗るようになったもので、曹操は幼名を阿瞞、また吉利ともい った。幼時より狩猟、歌舞音曲を好み、権謀術策にたけて、機智に富んでいた。曹操の叔父がその ゅうと、つ 度はずれな遊蕩ぶりを怒って曹嵩に忠告したため、曹嵩が曹操を叱責したことがある。すると曹操 はたちまち一計を案じ、叔父が家に来たときに、卒中のまねをして床に倒れた。驚いた叔父の知ら せに、曹嵩があわてて様子を見に行くと、彼は何事もなかったような顔をしている。 「お前が卒中と叔父御より聞いたが、もうよいのか」 「わたくしには左様な病はございませぬ。叔父上はわたくしを憎んでおいでになるので、ありもせ ぬことをいわれたのではありませんか」 曹嵩はこの言葉を信じ、以来、叔父が彼の目にあまる振舞いを注意してもいっこうに聞き入れな ふけ かった。そのため曹操はますます放蕩に耽った。 きようげん その頃、橋玄という人が彼に言ったことがある。 みだ 「世の紊れん日も近い。一世の賢者でなければ、これを治めることかなうまい。それが出来るのは、 あるいは貴公かも知れぬ」 なんようかぎよう また南陽の何顯も、彼を見て言った。 「漢の皇室は滅亡の寸前にある。天下を安んずる人は、必ずやこの人であろう」 じレはんきよしよう 汝南の許劭はよく人物を見ることで知られていたが、曹操はわざわざ彼を訪ねて行ってきいて そう

5. 三国志演義 1

もの命令に従いますまいと存じたのでござる」 と詫びて、韓当を出馬させた。韓当が橋上にさしかかった時、早くも蒔欽・陳武が小舟を操って 岸から橋の下に寄せかかるなり、岸の敵勢に矢を浴びせかけ、岸に躍り上がって斬りこんだので、 しよう 厳輿はかなわずに敗走した。孫策は軍勢をひきいて閭門に押し寄せ、賊軍は城内に逃げこんだ。孫 策は軍勢を水陸に分けて進め、呉城を取り囲むこと三日に及んだが、一人として討って出て来ない。 孫策が軍をひきいて閭門の前し、 こ進み、投降をすすめたところ、矢倉に一人の部将が上って、左手を 梁にかけて身を乗り出し、右手で城下を指差してさんざんに罵った。太史慈はただちに馬上で弓に 矢をつがえ、あたりの大将たちを見まわして、 と「それがし、きやつの左手を射通してご覧にいれる」 と言うや、びゅんと弦の音響いて、矢は見事かの部将の左手を射通し、梁に縫いつけた。城の内 外、これを見て喝采せぬはなかった。あたりの者がその男を矢倉から助け下せば、厳白虎は、 酣 慈「あのような者がおるのでは、とてもかなわぬ」 ひょうじよう 太と仰天して、和睦の評定をはじめ、次の日、厳輿を孫策のもとに遣わして来た。孫策は彼を幕 回中に請じて酒を出してもてなしたが、 酒がたけなわとなった頃、孫策は尋ねた。 第「其方の兄は何を望んでおるのじゃ」 「将軍と江東を折半することでござる」 孫策は大いに怒って、

6. 三国志演義 1

と言い、ただちに夏侯厚に左翼から討って出るよう命じ、みずからは本隊をひきいて突進する手 筈をきめた。かくて太鼓の音を合図に、三軍どっとなだれかかれば、賊兵かなわす総崩れとなって ふる 敗走する。曹操みずから宝剣を揮って兵を下知し、全軍をひきいて夜通し追討ちをくらわせたので、 討ち取られた者きわめて多く、降参した者は数知れなかった。李催・郭汜は西を目指して落ちのび たが、その狼狽振りは喪家の狗の如く、落ち行く先もないので、やむなく山賊になりはてた。曹操 は帰陣して、依然洛陽城外に駐屯していたが、楊奉・韓暹は、 「いま曹操が大功を立てし上は、大権を握ること必定。とてもわれらをそっとしてはおくまい」 いとま たいりよう さんだい 幸 と話し合った上、参内して李催・郭汜を追い討っとの名目でお暇を請い、手勢を大梁に移した。 都 許 一日、帝は人を曹操の本陣に遣わし、参内するようお召しになった。曹操は勅使のお成りと聞い て て、お通しした。見ればその人、眉目秀麗、精気にみちみちている。曹操ひそかに、 移 を「いま都は大飢饉で、百官軍民とも飢えに苦しむというのに、この男がひとりだけ肥えふとってい 徳るとはど , っしたことか」 曹 と思い 回「お手前はいかにも福々しいお顔をしておられるが、どのような養生をなされておられるのかな」 + 「とくに養生法と言うものもやっておりませぬ。ただ三十年間、精進ものしか食わなかったまで」 曹操は大きく頷いて、さらに、 「して、いまは何の官職に」 そうか

7. 三国志演義 1

272 楊奉・韓暹、 「臣らが命を棄てて賊軍と戦い、陛下をお守りいたしまする」 とうしよう 董承、 「城壁は用をなさず、軍勢も手薄な今日、もし戦って敗れなば、い : ゝいたされます。むしろ、 ったん山東に難を避けるのが宜しいと存じまする」 た 帝はその言に従われて、即日鹵を整えて山東へお発ちになった。百官は馬もなく、みな徒歩で 聖駕に随った。洛陽を出て、まだ矢のとどくほどしか進まぬうち、空を覆うばかりの砂塵があがり、 どら 銅鑼・太鼓の音天にどよもして、数知れぬ兵馬が近づいてきた。帝・皇后ともに震えおののかれ、 息をのんでおられるところへ駆けつけてきた騎馬の者、これぞ先に山東へ遣わされた勅使であった。 ご前に拝伏して、 「曹将軍は山東の全軍をひきい、詔勅を奉じて打ち立ち、李催・郭汜が洛陽を犯すと聞いて、夏侯 とん 惇を先鋒として部将十名、精兵五万をつけて先発させ、陛下のご警固に参じさせてございます」 きょちょてんい かく聞いて帝はようやくご安心になった。間もなく、夏侯惇が許緒・典韋らをともなってご前に とな まかりこし、万歳を称え奉った。帝のねぎらいのお言葉が終わらぬところに、真東より大軍迫ると の注進あり、帝がただちに夏侯惇に物見をお命じになれば、彼が立ち帰って、 「あれなるは曹操の歩卒の軍勢にございます」 そう、 ) う りてんがくしん と申し上げるうち、曹洪・李典・楽進がご前に伺候した。拝謁を終わって、曹洪、 かんせん か第一う

8. 三国志演義 1

の余勢を駆ってこれを攻めれば、一撃にて落とすことができようとの由。曹操はただちに軍勢をひ きいて竟州に殺到した。薛蘭・李封は虚を衝かれて、已むなく兵をひきいて城外に出陣した。許褶 みやげ 「それがしかの二人を生捕って、お目見得の土産にいたしたく存じまする」 と言えば、曹操大いに喜び出陣を命ずる。李封は画戟をきらめかせてこれを迎えたが、馬を交え ること二合にして許褶に斬って落とされた。薛蘭はあわてて陣へ逃げ帰るところ、吊り橋のたもと きょや で李典にさえぎられ、城にもどるのを諦めて同勢とともに鉅野へ逃れんとしたが、呂虔が追いすが 屮って一矢で射殺したので全軍四散した。 を 曹操はふたたび州を得たので、程昱がさらに兵を進めて濮陽を取るよう進言した。曹操は許 州 餘褶・典韋を先手とし、夏侯惇・夏侯淵に左備え、李典・楽進に右備えを命じ、己は中軍をひきい、 うきん 于禁・呂虔に後詰をさせて打ち立った。曹操の軍勢が濮陽に至るや、呂布は自ら出陣しようとした。 祖陳宮が、 よろ 陶「いま出て戦うのはいかがかと存ぜられます。諸将の集まるのを待ってからが宜しゅうございまし ロ 十 と諫めたが、呂布は、 第 1 「誰が来ようと恐れるわしではないわ」 と聞きいれず、兵をひきいて出陣するや、戟を小脇にかいこんで曹操をさんざんに罵った。許緒 っ りよけん

9. 三国志演義 1

216 張飛これを見て、物も言わずに打ってかかる。両馬渡り合って数合するとき、玄徳雌雄の剣を揮 、兵に下知してどっと打ちかかれば于禁たまらずに敗走し、張飛まっ先かけてこれを追い、徐州 の城下まで一気に馳せつけた。城内では赤地に白で『平原劉玄徳』と大書した旗を望み見、陶謙が 急いで門を開かせる。玄徳が入城すれば、陶謙がこれを迎えてともどもに役所にはいった。挨拶を 終わって、宴席をしつらえてもてなし、兵士らをねぎらった。陶謙は玄徳の人品すぐれ、応対によ ろしきを得ているのを見て心中大いに喜び、糜竺に命じて徐州の牧の印をもって来させ、玄徳に譲 ろうとした。 「これは何事でござるか」 と玄徳が愕然とすると、 「天下大いに乱れて、王威振わざるいま、貴殿は漢皇室のご一門にござれば、力を社稷のために いたされるご仁と存ずる。それがしいたずらに馬齢を重ねて何の能もござらぬゆえ、徐州をお譲り いたしたいものと思いしもの。なにとそお受け下されい。それがしただちに上奏文を上せて、朝廷 にこの・田聞こえまいらせましよ、つ」 玄徳は席を滑って再拝し、 しよう 「それがし漢皇室につらなる者とは申せ、功すくなく徳薄く、平原の相だに過ぎたる任と思ってお かかるお一一 = ロ葉をいただくとは、 るもの。この度は大義によっておカ添えに参上っかまつりましたに、 それがしにご領地乗っ取りの心でもあるかとお疑いあられてか。もしそれがしがそのような心を起 しやしよく

10. 三国志演義 1

ひ をもって途中の警固に当たらせた。曹嵩が一家の者を連れて華県と費県の県境まで来たおり、あた かも夏の末、秋の初めのこととて、はげしいにわか雨に襲われ、やむなくある古寺に宿を求めた。 寺僧に迎えられて一家が堂内に落ち着くと、曹嵩は張闔に軍勢を廻廊に休ませるよう命じた。兵士 ひとけ どもは雨に打たれてしとどに濡れ、さんざんに限み言を言った。張闔は手下の重立った者を人気の ないところへ呼び集めて、 げ「おれたちはもとはといえば黄巾の残党だ。いま行くところもなく陶謙の手についてはいるものの、 を何一ついいところもねえ。ちょうど曹の一家には荷物が山ほどある。お前たちも、もし金が欲しけ 義りや何の苦もなく手に入るぜ。 いいか、今夜の三更頃、一同で斬りこんで曹嵩一家を皆殺しにし、 馬金目のものを山分けにした上、山賊になろうじゃないか。どうだこの手は」 て 一同一言もなく同意した。 とき ん風雨は夜にはいってもおさまらす、曹嵩がまだ寝ないでいたところ、にわかに四方からどっと鬨 勤の声があがった。曹徳は剣を手にして様子を見に出たところを、出会いがしらに突き殺された。曹 室嵩はあわてて妾の手を引き、方丈の裏へ走り出て塀を越えて逃げようとしたが、妾が肥っていて越 かわや えられず、おろおろして二人で厠にひそんでいるところを、乱入した兵士に殺された。応劭は辛く 回 第も逃れ、袁紹のもとへ身を寄せた。張闔は曹嵩一家を皆殺しとし、金目の物を奪った上、寺に火を わいなん 掛け、五百人をひきいて淮南へ逃げ去った。後の人の詩に、