「さきほど賊将を斬ったのは何者であるか」 とのご下問に 、楊奉がその大将をご前に平伏させて、 かとうよう こうあぎな 「これは河東郡楊県の者にして、姓を徐、名を晃、字を公明と申す者にございます」 と奏上すれば、帝は厚くねぎらわれた。楊奉は聖駕を警固して華陰県城に至り、ここにご仮泊を だんわい 願った。将軍段燬から御衣・ご食膳が献上され、この夜天子は、楊奉の本陣にお泊まりになった。 郭汜は一敗を喫して、次の日再び軍を集め本陣へ殺到して来た。 , 徐晃がまっさきに出陣したが、 郭汜の大軍は八方からひしひしと取り囲み、天子・楊奉を真只中にとりこめた。もはやこれまでか 交とみえたとき、にわかに東南の方にあたって鬨の声天をゆるがし、一人の大将、軍をひきいて馬を 兵飛ばせ討ってかかる。賊軍千々に乱れるところ、徐晃得たりと攻めかかって郭汜の軍をさんざんに とうしよう 打ち破った。かの大将が天子のご前に伺候すれば、これぞ国戚 ( 天子の外戚 ) 董承である。帝が涙 大 汜ながらにこれまでの事をお話しになれば、 「陛下、ご安堵下されませ。臣は楊将軍とともに誓って二賊を亡ばし、天下をお鎮めいたします 回 と董承が奏上したので、帝は急ぎ東都へ向かうようお命じになり、夜通し聖駕を急がせて、弘農 みゆき 第に幸せられた。 さて郭汜は敗軍をひきいての帰途、李催に出会った。 とき こくせき
けんとく キ」んとう さて曹操が山東を平らげて朝廷にこのむね上奏すると、朝廷は曹操を建徳将軍費亭侯に陞された。 だいしば ( 注こ 時に李催は自ら大司馬となり、郭汜は大将軍となって朝廷をわがもの顔にのし歩いていたが、廷臣 ようひゅうだいしのう ( 注二 ) しゅしゅん 誰一人としてこれに異をさしはさむ者もないありさま。ここに太尉楊彪、大司農朱儁がひそ に献帝に上奏して、 「当今、曹操は兵二十余万を擁し、軍師武将数十名を抱えておりますれば、もしあの者をして社 しよく 稷の力といたさせ、悪人ばらを除くことができれば、正に天下にとってこの上もなきしあわせと 存じまする」 兵帝はご落涙あって、 「朕はかの二賊がために久しい間ないがしろにされて参った。あの者共を誅することがかなわば、 大 汜嬉しく思 , っそ」 郭 楊彪が、 みことのり 李「されば、臣に一計がござります。まずあの両名に同士討ちをさせた上、曹操に詔を下して逆賊 回を残らず攻め亡ばさせ、朝廷の安泰をもたらさんとの策にござりまするが」 十「してそれをどうしてやるか」 四「郭汜の妻女ははなはだ嫉妬深い女と聞いております。されば人を彼の妻女のもとへ遣わして離間 の計を打たせれば、かの逆賊どもは自ずと殺しあうことになると存じまする」 ちゅう しゃ
守りを固めてくれ。わしは兵を進めて曹操を打ち破って参る」 と命じ、二人はかしこまって承知した。陳宮は「この由を聞いて〕急いで呂布に見えた。 「将軍は竟州を棄てて、どこへ行かれようとなさるのでございますか」 「わしは濮陽に出陣して、鼎足の陣構えをとろうと思うのだ」 「それはいけません。薛蘭ではとても竟州を守りきることはかないません。これより南へ百八十里 ・行った泰山の谷あいに精兵一万を伏勢されるがよろしい。曹操の軍は州の破れたのを聞き必すや 先を急いで参るでございましようほどに、その半ばをやり過ごしておいて一撃すれば、一挙に全軍 を手捕りに出来ましよう」 を「わしが濮陽に布陣するのは、良策あってのこと。そちの知るところではないわ」 呂布はついに陳宮の言を用いす、薛蘭に ~ 兌州をまかせて進発した。一方、曹操の軍が泰山の難路 海にきト・し、カ、カ子 / ゝっこ時、郭嘉が言った。 叔「ご用心召され。ここには伏兵がありましょ , っそ」 劉曹操は笑った。 回「なにが、呂布は策なき男。薛蘭に ~ 兌州をまかせ濮陽へ出陣したのでもそれは知れる。ここに伏兵 第をするような奴ではない。曹仁に兵をあたえて竟州を囲ませ、わしは濮陽へ進んで呂布の不意を衝 いてくれよ , つ」 陳宮は曹操の軍勢が迫ったと聞いて、 まみ
あだ 「それがし、このたび閣下がご尊父の讐を報ぜんとて大軍をもって徐州を攻められんとし、途々、 領民を一人あまさず殺さんとしておられることを伝え聞きましたのでご意見に参上っかまつりまし 陶謙殿は仁義を重んずる君子であって、利のために義を忘れるような輩にはござらぬ。ご尊父 あや を害めしは、張闔のしたことで陶謙殿のあすかり知らぬこと。しかも、州県の領民が閣下になんの 讐がありましようや。それを殺そうとは、正しきこととは申せませぬ。よくよくのご考慮を望みま 挙 を曹操は怒って言った。 義「貴公はむかしわしを見棄てて逃げたのを忘れたのか。よく図々しくもわしの前に出られたものだ 馬の。陶謙はわしの一族を手にかけた奴、誓って胆をえぐり出し、讐をはらしてやる。貴公が陶謙の しために扱いを入れて来たとて、わしが聞くと思うか」 レ」 ん陳宮は前を辞し、 め 勤「陶謙殿に会わす顔がない」 ちよら′ばく 室と嘆息して、馬を飛ばし陳留の太守張遞をたよって行った。 さて曹操の大軍の通った跡は、領民は殺しつくされ、墓はすべて掘りかえされた。陶謙は徐州に 回 さつりく 第あって、曹操復讐の車をおこし、領民を殺戮している由を聞き、天を仰いで、 「ああ、わしの不徳から徐州の民をかような大難におとしてしまった」 どう - 一く そうひょう と慟哭し、急ぎ諸官を集めて評議した。すると曹豹という者が進み出て、 やから
さて李催・郭汜・張済・樊稠らは董卓すでに死し、呂布押しよせきたると聞いて、ただちに飛熊 軍をひきい涼州さして奔った。呂布は城に着くや、まず貂蝉を引き取った。皇甫嵩は城内に捕え られていた良家の子女たちをすべて釈放した。だが、董卓の親族は老幼を問わす、一人あまさす とう - 一うさら ちゅうりく とうびん 誅戮した。卓の母も殺された。卓の弟董旻・甥董瑣は晒し首にされた。呂布たちは、城内に蓄え てあった黄金数十万、白金数百万、絹・珠玉・調度・食糧など数知れす没収して都に持ち帰り、王 允に復命した。王允は兵士らを大いにねぎらい、都堂に宴を設けて百官をよび慶祝の酒をくみかわ 助宴の最中に、 「董卓の屍を晒しておりますところで、一人の男が屍の上に倒れて泣き叫んでおります」 布と知らせがあった。 て「董卓が誅に伏し国を挙げて喜んでおると申すのに、悲しむとは何奴じゃ」 除怒った王允は、 兇「ここに引ったててまいれ」 と武士に命じた。たちまち捕えられて来た者を見れば、驚いたことに、余人にあらず侍中の蔡琶 回 第である。 しかるに、漢朝の臣であり 「逆賊董卓が今日誅に伏したのは、国の大いなるしあわせではないか。 ながらこれを喜ばす、国賊のために嘆くとはどうしたことじゃ」 じちゅうイ一いよう
「こりや、そちは用なくば退がっておれ」 と言ったので、呂布は暗い顔で退出した。 董卓は貂蝉を手に入れてからというもの、彼女にうつつをぬかしてひと月あまりも政務を見よう としなかった。董卓がたまたまちょっとした病気にかかった時、貂蝉は夜も帯をとかず、我が意に もあらで看病これつくすふりをしたので、董卓はいよいよ憎からず思っていた。呂布がある日見舞 に上がると、ちょうど董卓が眠っているところだった。貂蝉が寝台のうしろから半身をのり出し、 手で自分の胸を指さし、また董卓を指さして涙をほろはろ落とした。呂布がこれを見て心もはりさ 健けんばかりの思いをしているとき、董卓はうつつのうちに、呂布がまばたきもせで床のうしろを見 を 計詰めているのを見、振り返って見れば、そこに貂蝉が立っている。董卓はかづとして、 環「貴様、わしの可愛がっている女にいたずらする気か」 と叱咤し、控えの者を呼んで彼を追いださせると今後の出入りを禁じた。 み りじゅ 巧 呂布は無念やるかたなく怒りをこらえて帰る途中で李儒に行きあったので、この由を話した。李 徒 司儒は急いで董卓の前に伺候し、 「太師は天下をお取りなされようとしておられるに、何故ささいなことで温侯をとがめ立てなそさ 回 れたのでございますか。もし彼が心変りでもすれば、万事休しまするそ」 「では、ど , っせよとい , つのじゃ」 きんばくたま 「明朝さっそくに彼を召して金帛を賜わり、慰めのお言葉をかけておやりになれば、無事に相済む
「袁紹はわしを誘って韓馥を攻めさせておき、蔭で立ち廻ってわしをあざむいた上、今度は董卓の 兵といつわって弟を射殺したもの。この恨みはきっとはらしてやるぞ」 と麾下全車をあげて冀州へ殺到した。 ばんが 袁紹は公孫墳の軍勢いたると知り、同じく軍勢をひきいて出陣した。両軍は盤河において遭遇し、 袁紹の軍は橋の東に、公孫環の軍は西に陣取った。公孫環は橋の中程に馬を進めて大音に呼ばわっ 「人でなしめ。よくもわしをこけにしおったな」 袁紹も馬を橋のたもとまで出して公孫璟に指つきつけ、 「韓馥は己が非才をさとってわしに冀州を譲ろうとしたのじゃ。貴様と何のかかわりがある」 「かっては貴様を忠義の男と見込んで盟主に立てたが、当今のやりようを見ればまことに狼か犬の 孫 たぐい、よくも世間に顔出しできるわ」 物袁紹は大いに怒って、 紹「誰か奴を手捕りにいたせ」 その言も終わらぬうち、文醜が馬を飛ばせ槍をしごいて、橋上に躍り出した。公孫璟は橋のたも 回 第とで文醜と切先を交えたが、十合あまりしてかなわすに敗走し、文醜、勢いに乗って追いかけ、公 孫璟が陣中へ走りこむのを追って本陣へ突きいり縦横に駆け散らす。公孫環の手の勇将四人が一斉 に迎え打ったが、文醜の槍がひらめいてひと突きに一人を突き落とせば、残り三人はちりぢりに逃 とうたく
もらいたいといって来るでございましよう。その機をはずさず策を用うれば、何の労することもな く取ることができるというものです」 袁紹は大いに喜び、ただちに書面を公孫環のもとへ送った。公孫璟は書面を受け取り、ともに冀 州を攻めて領地を分けどりにしようとあるのを見て大いに喜び、即日兵をおこした。一方袁紹は密 じゅんしんしんひ上う 使をやって韓馥に公孫璟のことを知らせた。韓馥は狼狽して幕僚の荀諶・辛評を呼びよせ協議し 辛評が言うのに、 えんだい 「公孫璟が燕・代二カ国の兵をもって長駆押し寄せきたるとあっては、その鋭鋒当たるべからざる りゅうびかんちょう ほんしょ ものがありましよう。しかも劉備・関・張がこれに加わらばとてもかないますまい。当今、袁本初 殿は、智勇群を抜き、配下の名将も少なくありません。将軍が彼に州刺史の任をお譲りになれば、 と 彼も必ず将軍に厚くむくいるでありましようし、公孫璟を恐れることもなくなりましよう」 べつが ( 注一 ) かんじゅん 公 韓馥はただちに別駕関純を使者としてこのむね袁紹に申しいれることにした。 ちょうし ( 注二 ) こうぶ 長史耿武はこれを諫めて、 紹「袁紹はよるべもなく力もっきてひたすらわれわれの鼻息をうかがっているばかり、たとえて申さ ば赤子を掌にのせているようなもので、乳をやらなければたちどころに餓死させることもできるの 回 第でございます。それを何を好んでこの大任を委ねたりしようとなされるのです。これでは虎を羊の 群に引き入れるようなものにござりまするそ」 えら 「わしはもともと袁家の恩顧に与った者。才能も本初殿には及ばぬ。賢者を択んで任を譲るは古よ
もはやこれまでと弓を棄て馬を飛ばして逃げた。 「殿、その赤の頭巾が目立ち、賊の目じるしになりますそ。それがしにお貸し下されい」 かぶと 言われて孫堅は、頭巾を脱いで祖茂の兜とかえ、左右に分かれて逃げれば、華雄の手勢はひたす ら赤い頭巾を追いかけたので、孫堅は間道をつたって逃げおおせることができた。祖茂は華雄が身 ちかに迫ったので、赤い頭巾を人家の焼けのこった柱にかぶせ、林の中に身をひそめた。華雄の手 勢は月光のもとはるかに赤い頭巾を見つけ、周りをきびしく囲んで近づこうとしない。矢を射かけ てみて、はじめて計略と知り、近寄ってそれを分捕った。そこへ祖茂、林のかげから飛びだし、二 公 本の刀を揮って華雄を斬り落とさんとしたが、華雄は大喝一声、一刀のもとに祖茂を斬り落とした。 曹 鎮かくて夜の明けるまで揉みたてたうえ、ようやく兵をひきいて関に引き揚げた。 て程普・黄蓋・韓当らは孫堅をたずねあて、ふたたび兵馬をととのえて陣をとった。孫堅は祖茂を ら失ったことで大いに悲しみ、ただちに人をやって袁紹に報告した。 せ 発袁紹は、 の「孫文台が華雄に敗れるとは思いもよらなんだ」 と大いに驚き、協議のため諸イ 矣を呼んだ。一同揃ったところに、ただ一人公孫璟が遅参したので、 回 第袁紹が幕中に請じいれた。 袁紹、 「先に迎将軍の弟が命令に従わず、みだりに兵を進めて自らの命を棄て、多くの将兵を失ったが、
91 第四回漢帝を廃して陳留位に即き・・ 陳宮は返すことばもなく黙りこんでしまった。 その夜のうち数里行って、月の光をあびて宿屋の門をたたき宿をとった。馬に十分秣をやって、 曹操は先に眠った。陳宮は、つくづく考え、 「わしは曹操をりつばな男と見たればこそ、官を棄ててついて来たのに、かくも残忍な男とは知ら なんだ。このまま生かしておけば、必ずや後の禍いとなるであろう」 と、白刃をかざして曹操の胸に擬した。正に、あな恐ろしやその心底、曹操・董卓いすれ劣らず、 というところ。さて曹操の命はどうなるか。それは次回で。 注一節古代から天子の使者に授けられた「しるしばた」。「節を返す」とは、天子より授けられた官を 去ることを意味する。 二象簡臣下が天子のご前に出るときに持っ象牙のしやくで、用事があればこれに書きつけてメモの かわりともした。 三初平と改元少帝劉弁は四月即位して「光熹」と改元、八月「昭寧」と改元したが、九月に廃位、 献帝が即位して「永漢」と改元、十二月ふたたび「中平」にもどして「中平六年」とした。「初平」 と改元したのは翌年 ( 一九〇 ) 正月のことである。 四相国天子をたすけ政治の一切を処理する。宰相に同じ。 五謁見するにも名をいわす云々原文」・・賛拝不名、入朝不趨、剣履上殿」。臣下は天子のご下問に答え