と寄りそった。何進が愕然としたとき、張譲がたけだけしく何進に迫り、 5 「貴様はなぜ罪もない董太后を殺したのか。太后のご葬儀にも仮病を使って出なかったな。貴様な そもとをただせば豚殺しではないか。われらが天子にお薦めしたればこそ今日の栄華をいたしおる のに、その恩に報いようともせず、却ってわれらが命を狙うとは何事か。貴様はわれらを不正よば わりいたしおったが、正しいのはいったい誰か」 何進はあわてて逃げ道を求めたが、門はすべて固く閉ざされている。そのとき伏勢一度に現われ、 何進をまっ二つとした。後の人が嘆じた詩に、 漢室傾き天数終わらんとして 策なき何進三公となる いくたび 幾番か聴かず忠臣の諫 免れ難し宮中に剣峰を受くるを 張譲らが何進を殺したあと、袁紹は何進の退出が遅いので門外から叫んだ。 「将軍、お車をお召し下されませ」 張譲たちは何進の首を壁の上から投げ下して詔を伝え、 むほん 「何進は謀反を企てしゆえ、すでに誅に伏したり。その余の心なく従いおりし者どもはすべて赦す」 かえ ゆる
てんぐんこうい ( 注一 0 ) そうそう 何進がその男を見れば、典軍校尉曹操である。何進は一喝して退けた。 「その方ごとき小輩に朝廷の大事が分かるものか」 かくていまだ方策も立たすにいる時、潘隠が来て報告した。 「陛下はすでにおかくれになり、いま蹇碩が十常侍と協議のうえ喪をかくして偽りの詔を宣し、 さくりつ こくきゅう ( 注一一 ) 国舅どのをお呼びのうえ禍根を絶って、協皇子を冊立しようといたしております」 その言葉の終わらぬうちに勅使が到着し、後事を定めるため速やかに参内せよとのお言葉を伝え 「いまやます君の御位を正し、然るのち賊を亡ばすことこそ肝要と存じます」 と曹操。 「誰ぞ余が為に御位を正し賊を討つ者ありや」 という何進の言葉に、一人が進み出た。 「精兵五千の借用かないますれば、禁裡に斬り入って新君を冊立し、宦官を誅滅して朝廷を払いき よめ、天下を安んずるでありましよう」 しよう えんかい ほんしょ しとえんほう しれいこうい ( 注一一 l) 、いま司隷校尉をつとめる男 何進が見れば、司徒袁逢の子、袁隗の甥、名は紹、字は本初といし かっちゅう かぎようじゅん である。何進はいたく喜び、近衛の軍五千を動員した。袁紹は甲冑に身を固め、何進は何顆・荀 ゅうていたい 攸・鄭泰ら重臣三十余人をしたがえてともに宮中に入るや、霊帝の柩の前で太子弁を擁立して皇帝 ( 注一三 ) の御位に即かせた。
疑り深い奴め、その方ごときに大事は諮れぬわ」 ろしよく と言い、盧植も、 おもて 「わたくし平素より董卓の人となりを知っておりますが、面に善意をあらわしながら内に悪心を隠 しおる者でございます。禁裡に立ち入れば、禍いを成すこと必定。上京をとどめて乱を未然に防ぐ ことにしたほ , つがよろしいと ~ 仔じます」 と言ったが、何進が聞きいれないので、鄭泰・盧植は官を棄てて去り、朝廷の大臣たちの大半も べんち 去った。何進は迎えの使者を測地 ( 洛陽の西約七十キロ ) まで出したが、董卓は兵をとめて動かない 張譲らは外州の兵きたると知り、寄りより話し合った。 「これは何進の企みに違いない。われわれが先に手を下さねば、一族皆殺しの目にあおうぞ」 ちょうらく かとく ななた かくて薙刀や斧をもった刑手五十名を長楽宮嘉徳門内にひそませ、太后のもとに伺候して、 「いま大将軍は偽りの詔を発して外州の兵を都へ召しよせ、臣らを殺そうとなされております。な にとそ皇太后さまのお力でお救い下さいませ」 「そなたたちが大将軍府へ参ってお詫びすればよいではないか」 「滅相もございませぬ。骨も肉も粉々にされてしまいます。どうそ皇太后さま、大将車を召されて 一と たま お諭しになって下さいませ。それもお聞きいれ下さらぬとあらば、ご前にて死を賜わりまするよ しゅばちんりん 太后は詔を下して何進を召された。何進が詔を受けて行こうとすると、主簿陳琳が諫めた。
か とうたいこうみもと もうけられたが、その王美人は何皇后の嫉みを買って毒殺され、皇子協は董太后の御許で養われて りゅうちょう いた。この董太后と申されるのは、霊帝の御生母で、解漬亭侯劉萇の妻である。はじめ桓帝に御 みくらい 子がいらせられなかったので、解漬亭侯の子を迎えられた。これが霊帝で、帝は御位に即きたもう や、母君を宮中にお迎えして太后として尊ばれたのである。 董太后はかって皇子協を東宮に立てられるよう帝にお勧めしたことがあり、帝も協を偏愛されて おられたのでそのご意向でいらせられた。病あっくなられた時、中常侍蹇碩が、 「もし協皇子をお立てになる御心にわたらせられますなら、ます何進を誅して禍根を絶っておかれ ますよ , つ」 ち と奏上した。 鞭 郵帝もそれをよしとされて、何進を宮中に召されたのである。何進が御門まで来たとき、司馬の潘 て隠が言った。 っ 怒「参内はなりませぬそ。蹇碩が将軍のお命をねらっておりまする」 何進は大いに驚いて急ぎ帰宅し、諸大臣を集めて宦官をことごとく誅戮せんとした。そのとき席 張 から進み出て言った者がある。 こんにち 回 ちゅうしつ 「今日の宦官の勢いは、冲・質両帝の御時よりおこって今や朝廷にくまなくはびこっており、一気 第 誅滅しつくすことはとうていできかねます。もし機密が洩れれば、一族皆殺しの禍いにあうのは 必定。よくよくご考慮なされませ」 そね けんせき っ
ワ】 そうそう かしん さて曹操はそのとき何進に答えて言った。 かんがん きんじよう 「宦官が国の大事をあやまったことは、今に始まったことではございません。この度は今上陛下 ちょうあい が彼らをご寵愛のすえ大権を授けられたが故に、かようなことになったものでございます。処分 なさろうとのご所存なら、その元兇を除けばよろしく、一人の獄吏の手に引き渡すことで事たりま ちゅうりく しよう。ことさらに諸国の兵をかり集めるなそ無用のこと。彼らを残らず誅戮いたそうとされれ あら ば、事かならす露われ、仕損ずること必定と存じます」 「ふむ、その方も二心あるか」 と何進は怒った。 曹操は退出してから、 「何進こそ、天下を乱す者だ」 第三回 おんめい とうたくていげんしつ 温明殿に議して董卓丁原を叱し りしゆくりよふと 金珠を贈って李粛呂布を説く ふたごころ
百官みな万歳をとなえて式をおわるや、袁紹は蹇碩を捕えんと禁裡に踏みこんだ。蹇碩はあわて かくしよう ふためいて御園に逃げこんだところを、花のかげで中常侍郭勝に殺され、蹇碩の指揮下にあった 親衛軍はすべて降参した。 袁紹が何進に言った。 「宦官どもは徒党を組んでおります。この機に皆殺しにしてくれようではありませぬか」 張譲らは事態のただならぬことを知り、何太后のもとに駆けこんで訴えた。 「もともと大将軍をおとしいれようと謀ったのは蹇碩だけで、臣らは全く存じませぬこと。大将軍 はいま、袁紹の言をいれて臣らを皆殺しにされようとしております。なにとそ皇太后さまのお力で ち 鞭お救い下さりませ」 を 心配しやるな。わたしがよいようにしてつかわす」 て何太后はただちに何進を召してひそかにいった。 怒「わたしもそなたももとは微賤の生まれ、こうしていられるのもみな張譲たちのお蔭ですよ。いま、 蹇碩が悪事をたくらんですでに誅に伏したというのに、宦官を皆殺しにするなぞ、いったい誰にそ 張 そのかされたのです」 回 一一何進はこれを聞きおわって退出し、一同に向かって、 「蹇碩は余をなきものにせんとした。よって一族を誅滅するに値いする。その他の者には危害を加 えるでないそ」
太后はその言をいれた。まもなく何進が参内し、宦官を誅せんとの企てを奏上した。 何太后はそれに答えて、 「宦官が禁裡の用事万端をつかさどるのは、漢皇室のしきたり。先帝がおかくれになって日も浅い こんにち 今日、そなたが旧臣を誅戮しようと企てたりするのは、国家のことを忘れた仕儀というものではあ りませぬか」 何進はもともと決断力に乏しい男であるから、太后の言に唯々として従って退出した。 「大事いかがでござりました」 と待ちかねた袁紹に、 ち 鞭「太后にはお聞きとどけがない。どうしたものじやろう」 郵「全国の英雄に兵をひきいて上京するよう呼びかけ、宦官どもを皆殺しにさせましよう。その時に てなっては太后も従わずにはおれますまい」 っ 怒「それは妙計 ちんりん しゅぼ と何進、すぐさま各地へ檄を飛ばし、都へ召しよせようとした。そのとき主簿 ( 文書係 ) 陳琳が、 張 「それはなりませぬぞ。俗に『目を覆って雀を捕らえる』と申しまするが、これは己を欺くのたと 二え。かはど微細なものすらなお己の思い通りにならぬものを、ましてや国家の大事でござりまする。 いま将軍は皇威をかりて兵権を掌握せられ、まさに竜虎の勢い、何事も思いのままになるのではご ざりませぬか。もし、宦官を誅せられんとなら、もえさかる炉で髪の毛を焼くが如きもの。ただ
じ再拝して申されるのに、 「わたくしどもは女の身にござりますれば、自ら政事にあずかるのは如何かと存ぜられます。その りよ むかし呂后 ( 漢の高祖の妻 ) は重権を握りしがゆえ、その一族千人ことごとく亡ばされることとなり きゅうちト ` う・ いまわたくしどもは九重の奥深く引きこもって、朝廷の大事は大臣元老どもが議するに まかせられれば、これ国家の幸いでございます。なにとそお聞きとどけのほど願わしゅう存じます」 董太后は大いに怒り、 そね 「そなたは、はしたなくも王美人を嫉んで毒殺し、近頃はわが子を御位に即け、兄の何進の勢いが ぢいかに強いからとて、よくもそのような人もなげな言い草、お控えなさい。わたくしが驃騎将軍に 鞭ひと言いえば、そなたの兄の首を斬ることなそ、掌をかえすようなものを」 郵何太后も怒って、 て「わたくしが腰を低うしてのお勧めに、それはあまりなお言葉」 っ 怒「そなたのような豚殺し風情に、なにが分かるものですか」 おふた方いすれ劣らじと言いつのられるのを、張譲らがおとりなししてそれそれの御殿へお送り ィ一ん - 一う 張 した。何太后は、その夜ただちに何進を召してこのことを告げた。何進は退出すると急ぎ三公を呼 きさき 回 二び寄せて協議し、翌日、朝廷において廷臣に、董太后は本来諸侯の妃ゆえ宮中に長く留まらせるは かかん ( 注一六 ) よろしからず、河間国に送り帰して監視すべく、日を限って都を立ち退かせるべしと奏上させた。 やかた 同時に人をやって董太后を送り出す一方、近衛の兵を召集して驃騎将車董重の館を取り囲ませ、印
じゅ 綬の返上を迫らせた。事態の急迫を知った董重は奥の間で自ら果て、家人の哀悼の泣声がおこるの だんけい をきいて兵士たちはようやく引き揚げた。張譲・段珪は董太后一門の没落を見るや、一同打ち揃い かびよう ぶようくん 金銀珍宝をもって何進の弟何苗、その母舞陽君にとりいり、朝夕何太后のもとに伺候してよしなに とりなして貰うよう頼みこんだ。かくて十常侍はふたたび側近に用いられることとなった。 ぶんりよう ( 注一•P) 六月、何進はひそかに人をやって董太后を河間の駅で毒殺し、柩を都へ運んで文陵に葬った。 その後、彼は病気と称して朝見しなかったが、司隷校尉袁紹が訪ねて来て言うのに、 「張譲・段珪らが外に噂をひろめ、殿が董太后を毒殺して大権を握ろうとしたのだと申しておりま かんがん す。いまのうち宦官らを始末しておかねば、のちのち大きな害をいたすこと必定です。むかし竇武 ちゅう が彼らを誅せんとして事あらわれ、かえってわが身を亡ばした例もあります。いま殿のご兄弟、配 下の将士の面々は、いずれ劣らぬ英俊の士ばかり、もし一同力を尽くして働けば、大事はすでに掌 中にあるが如きものです。まさに天与のとき、躊躇される時にはございませぬそ」 「さらば、その事を考えることとしょ , つ」 この由、左右の者が張譲に注進に及んだので、張譲らはそれを何苗に伝え、あわせて多額の贈物 を届けた。何苗は何太后のもとに伺候して、 「大将軍は新君を補佐しながら、仁慈を布くどころか、専ら殺伐なことのみに明け暮れいたしてお ります。このたびはまた、いわれもなく十常侍を殺そうとしておりまするが、これは乱を招くもと に 1 ギ、います・」 もつば とうぶ
「そんな中途はんばなやりかたでは、さきざき身の禍いのもととなりましようぞ」 と袁紹が言ったが、 「余の心はすでに決まっておる。そちは黙っておれ」 と聞きいれなかったので、一同はそのまま引き退がった。 ろくしようしよじ ( 注一四 ) ・ 次の日、何太后は何進に命じて録尚書事を兼ねさせ、その他の者をもことごとく官職に封じた。 董太后は張譲らを禁裡に召して、 「何進の妹はわたしが引き立ててやったものです。それがいまではどうです。わが子を御位に即け、 朝廷の内外を腹心で固めて、わがもの顔に振舞っています。あれを押えるには、どうしたらよいで とお諮りになると、張譲が言った。 みす きよう 「皇太后さまがお出ましになって簾のかげで政務をおとりになり、協皇子さまを王に封ぜられ、国 とうふつトう 舅董重殿を高位に昇せられて兵馬の権をさずけられ、臣らを重くお用い下さりますれば、万事御 心のままになるでギ、りましょ , つ」 せんじ ちんりゅう 董太后は大いに喜んだ。翌日、董太后は朝廷にお出ましになり、宣旨を下して、皇子協を陳留 ひょうき 王に封じ、董重を驃騎将軍とし、張譲らを朝政に預らしめることとした。〔ひと月あまりするうち、 ( 注一五 ) 権力はすべて董太后の手に帰した。〕何太后は董太后が権勢をほしいままにしているのをみて、一 日、宮中に宴席を設け、董太后を招いた。宴半ばしたとき、何太后がやおら立って盃を董太后に献