奪ったと知り、軍勢をひきいて李催の陣屋の前で合戦に及んだので、帝・皇后ともどもに魂も消え るばかりに驚かれたのであった。後の人が嘆じた詩に ・につぶ 光武中興して漢の世を興し 上下相承けて十二帝なり かんれい くず 桓・霊道無くして宗社堕れ かんがん まっせい 閹臣権を擅にして叔季となる かしん 謀無き何進三公と作り かんしん 社鼠を除かんと欲して奸雄を招く 豺獺は駆れりと雖も虎狼入り ぎやくぞく 西州の逆豎淫凶を生す おういん ふじん 王允赤心を紅粉に託し とう りよ 董・呂をして矛盾を成さしむるにいたる きよかいてんめつ やす 渠魁殄滅して天下寧らかなるに いきどおりいだ 誰ぞ知らん李・郭 、いに憤を懐くを かんなん 神州の荊棘奈何かすべき おおおくしよくつきかんか 六宮の饑饉干戈に愁う
なことがございましたら、わたくし命もいといませぬ」 王允は杖で地面を叩き、 カカく っしょに画閣 ( 彩色をほどこした建物 ) に 「おおそうだ。漢の天下はそなたの手にあったのじゃ。い 来なさい」 貂蝉が王允について室内に入ると、王允はそこにいた女たちを退け、貂蝉を正面の席に着かせて、 その前にばっとひれ伏した。 貂蝉、驚いて平伏し、 健「お殿さま、なんでこのようなことを」 を 計「漢の天下の人民たちのことを思ってやってくれ」 環と王允は、それだけ言って涙を落とした。 「ただいま申し上げたとおり、わたくしにてかないますことなら、たとえいくたび死のうといとう み 巧 ものではございませぬ」 司王允は跪いて、 るいらん 「いまや天下の民草は生死の関頭に立たされ、君臣ともに累卵の危きにある。これを救うことがで 回 と申すのは、国賊董卓は天子の御位を奪おうとしているのに、朝廷の きるのは、そなたしかない。 文武百官、何のてだても施すすべもないありさま。董卓には姓を呂、名を布と申す養子があって、 れんかん これが天下に並びない剛の者。わしの見るにこの二人はいずれも色好みのやからゆえ、「連環の計』
こさば、たちどころに天罰が下るでありましよう」 「これは何を一言われる。これはそれがしの心より出でしことにござる」 と陶謙、再三譲ろうとしたが、玄徳が受けようはずはない。 この時、糜竺が進み出て、 「いまや敵兵が城下に迫りおるおりにもござりますれば、まずはこれを退ける策を談合いたし、事 おさまってから、改めてお譲りなされることに致してはいかがでございますか」 「しからば、それがし曹操に書面をつかわして和議を勧め、もし聞かずば、皆殺しにしてくれまし 救 を と言って玄徳はただちに三軍に下知して出陣を控えさせるとともに、使者を曹操のもとに差し向 「れ十ノこ 0 艷さて曹操が陣中にあって諸将を集め、軍議をこらしていたおりしも、徐州から挑戦状が届いたと 叔の知らせがあった。曹操が封をひらいて見れば、劉備からの書状である。その大略、 劉 不肖備、関外にて尊顔を拝せしよりこの方、遙かにかけ離れ見参いたすおりもなかりしところ、 回先にご尊父が悲運に遭われしは、ひとえに張闔が不仁のなせしところにして、陶恭祖の罪にはあ みだ 第らざるもの。当今黄巾の残党ども各地を紊し、内には董卓の余党なお禍いをなしおれり。貴君願 ししゅう わくは朝廷の危急を先として私讐を後とし、徐州の囲みを解いて国難に赴かれんことを。これた だに徐州のしあわせのみにあらず、天下のしあわせとぞ存する。
167 第八回王司徒巧みに連環の計を使い・ つけぬ。そこで戟を投げつければ、呂布それを叩き落とし、董卓が拾いあげてふたたび追わんとし あわただ たとき、呂布はすでに遠ざかっていた。董卓がなおも追いすがって庭の門を出たとき、慌しく駆 けこんで来た一人の男と真向からぶつかってばったり倒れた。正に、怒り千丈天を沖き、肥っちょ ばったり肉の山、というところ。さてこの男は誰か。それは次回で。 注一尚父周の太公望呂尚は武王をたすけて天下を平定したので、武王は呂尚を「尚父」と呼んで尊ん だ。ここでは董卓が自分を呂尚になそらえたもの。しかし実際には、卓の配下に彼をこう呼ばうと といったので取り止めになったという。 いう者があったが、蔡琶が天下を平定してからにしたがいい 二司空大尉・司徒と並ぶ三公の一人。 三伊・周伊は殷王朝の始祖湯王の宰相伊尹のこと。湯王をたすけて夏を亡ばし天下を平定した。周 は周の武王の弟、周公のこと。武王の死後、甥の成王のもとで宰相となり各地の叛乱を平定した。 また官制を定め礼法をつくって周の制度を大成した。 四教坊唐代に宮中に設置され、歌舞・音楽の奉仕にあたったところ。三国の時代にはなかった。
325 解説 ころもある。「平話」は宋のときの「説話」と同じで講談の意。内容は後漢のすえから孔明の死ま でを主とし、最後に晋の天下統一が加えられている点、のちのものと大差なく、桃園結義をはじめ しばちゅうしよう 主要な場面はすべておさめられている。大きな違いといえば、まくらに司馬仲相の冥土裁判とい きようど りゅうえんりゅうび う因果話がすえてあることと、元来は匈奴であった漢 ( 前趙、三〇四ー三二九 ) の劉淵を劉備の一族 み ~ い、か′、 とし、彼が晋を滅ばして漢の天下を恢復したことをもって結びとしていることである。そのまくら は次のようなものである。 ひもと しん ふんしょこうじゅ 後漢光武帝の御代のこと、白面の書生司馬仲相は史書を繙くうち秦の始皇帝の焚書坑儒のく だりまできて、「もしわしを天子とすれば、天下の人民を安楽にさせてやろうものを」と慨嘆 し、天帝のおろかさを罵った。すると、冥土の役人が現われて彼を冥土へ連れて行き、「報恩 殿」で裁判をやらせる。天帝は彼を冥土の天子とし、そこで公平な裁きをつければ現世へかえ して天子とするが、できなければ二度と現世へはかえさないと申しわたす。法廷をひらくと、 かんしんほうえっえいふ りゅうほう 韓信・彭越・英布の三人が、自分らは罪もなく劉邦 ( 漢の高祖 ) に殺されたと訴えたので、高 りよ第一う 祖・彭越・英布の三人を呼んで調べた結果、高祖と呂后の罪が明らかとなったので天帝に報告 する。天帝はみなのロ述書を読んで次のような裁断をくだす。すなわち、韓信ら三人に天下を わけ、韓信には中原を分かちあたえて曹操に生まれかわらせ、彭越には蜀を分かって劉備に、 そんけん 英布には江東を分かって孫権に生まれかわらせる。漢の高祖は献帝に、呂后は伏皇后に転生せ 力いと、つ しよかっこうめい しめて、韓信すなわち曹操に仇を討たせる。また通を諸葛孔明に生まれかわらせ、司馬仲相
216 張飛これを見て、物も言わずに打ってかかる。両馬渡り合って数合するとき、玄徳雌雄の剣を揮 、兵に下知してどっと打ちかかれば于禁たまらずに敗走し、張飛まっ先かけてこれを追い、徐州 の城下まで一気に馳せつけた。城内では赤地に白で『平原劉玄徳』と大書した旗を望み見、陶謙が 急いで門を開かせる。玄徳が入城すれば、陶謙がこれを迎えてともどもに役所にはいった。挨拶を 終わって、宴席をしつらえてもてなし、兵士らをねぎらった。陶謙は玄徳の人品すぐれ、応対によ ろしきを得ているのを見て心中大いに喜び、糜竺に命じて徐州の牧の印をもって来させ、玄徳に譲 ろうとした。 「これは何事でござるか」 と玄徳が愕然とすると、 「天下大いに乱れて、王威振わざるいま、貴殿は漢皇室のご一門にござれば、力を社稷のために いたされるご仁と存ずる。それがしいたずらに馬齢を重ねて何の能もござらぬゆえ、徐州をお譲り いたしたいものと思いしもの。なにとそお受け下されい。それがしただちに上奏文を上せて、朝廷 にこの・田聞こえまいらせましよ、つ」 玄徳は席を滑って再拝し、 しよう 「それがし漢皇室につらなる者とは申せ、功すくなく徳薄く、平原の相だに過ぎたる任と思ってお かかるお一一 = ロ葉をいただくとは、 るもの。この度は大義によっておカ添えに参上っかまつりましたに、 それがしにご領地乗っ取りの心でもあるかとお疑いあられてか。もしそれがしがそのような心を起 しやしよく
くりや た。廚をさがしてみると、豚が一頭、縛って殺すばかりになっている。 「これはしたり、孟徳殿疑いがすぎて罪もない者を手にかけてしまいましたな」 二人は急いで屋敷を出、馬にのって逃げた。 ふたかめ 二里も行かぬところで、驢馬の鞍に酒を二甕かけ、果物や野菜を手にした伯奢に行きあった。 「これは孟徳と陳宮殿。なにゆえ早々に帰られるのか」 「追われる身ゆえ、長居もかないませぬので」 「わしは家人に豚をつぶしておもてなしするよう申しつけておいた。なんでそのようなことをいわ れる。さ、馬をお返しなされ」 曹操は返事もせすに馬に鞭をくれて行きすぎた。と、数歩も行かぬうち、不意に剣を引き抜いて とって返し、伯奢に呼びかけた。 「そこへ行くのは誰だ」 伯奢が振り向いた瞬間、曹操は剣を揮って伯奢を斬り落とした。陳宮はあっと驚き、 「先ほどは思い違いでござったに、これはなんとしたことでござる」 「伯奢が家にたち帰って家人どもが殺されているのを見れば、黙ってはおるまい もし人々をかり 集めて追って来たなら、大変なことになるではないか」 「しかし罪もないのを承知の上で殺すのは、大なる不義と申せましようそ」 「わしは、自分が天下の人にそむこうと、天下の人にそむかれることは我慢ならんのだ」
すんごう の御心ふかく聡明にわたらせられ、寸毫の過ちとてござらぬ。貴公は外州の刺史にすぎず、もとよ り国政に参与する権もなければ伊・霍の才もなし、廃立のことを云々するなそもっての外と申すも の。聖人も『伊尹の志あらば可、伊尹の志なくんば則ち簒奪なり』といっているではござらぬか」 一いよう じちゅう 董卓は大いに怒り、剣を引き抜いて植に斬りかかろうとしたが、侍中 ( 顧問官 ) 蔡琶・議郎彭伯 あや ろしようしょ 「盧尚書は天下の人望をあつめる方、その盧植殿を第一に害めたりしては、おそらく天下の動揺 をきたすでありましよう」 と諫めたので、ようやく思いとどまったところ、司徒王允が、 「廃立といったことは、酒のあとで話すべきことではない。 と言ったので、百官はそれそれ引き取った。 董卓が剣をひっさげて園門に出ると、一人の男が馬上に戟を持って門外を右に左に駆けまわって 「あれは何者だ」 と李儒に尋ねると、 「あれは丁原の養子で、姓は呂、名は布、字を奉先と申す者です。殿はしばらく身を隠されたがよ ろしかろうと存じます」 りよ ふあぎなほうせん 日をあらためて論議することにしょ
154 を用いようと思うのじゃ。それには、ますそなたを呂布にやると約束し、後で董卓に献ずるから、 そなたは二人の間に立って彼ら親子を反目するようにしむけ、呂布の手で董卓を殺させて悪逆無道 の根を絶って貰いたいと思っておるのじゃ。傾いた国を再びたてなおし、天下を再び定めるのは、 みなそなたのカ一つなのじゃ。そなたの覚悟はどうじゃ」 「お殿さまのためには死をもいとわぬわたくしでございます。なにとぞわたくしを董卓におあたえ 下さいませ。その上は、わたくしに考えがございます」 「事洩れなば、われら一族は破滅するのじゃそ」 「ご安堵下さいませ。わたくしがもしお殿さまのご恩顧におこたえできぬようなことがあれば、地 獄に落とされようとかまいませぬ」 王允は感謝して別れた。 あく 翌る日、王允は秘蔵の真珠を数粒出し、細工師に命じて黄金の冠にはめこませると、ひそかに呂 布の許に届けさせた。呂布は大いに喜び、答礼のために王允の館を訪ねた。王允は酒肴をととのえ て呂布の来るのを待ちうけ、門前に出迎えて奥に通すと彼を上座にすえた。 じようしようふ 「それがしは丞相府の一介の侍大将、司徒殿は朝廷の大臣におわすに、なんでこのようなことを されるのでござるのか」 「当今、天下に英雄といえるのは、将軍ただお一人。わたくしは将軍の官職をうやまっておるので はなく、将軍の才能に尊敬をはらっておるのです」
′」じよう 「謹んで御諚にしたがいます」 しゅうひ 宴がすんでから、董卓は侍中周毖・校尉伍瓊に尋ねた。 「袁紹の奴これからどうするつもりだろう」 周毖、 「袁紹は一時の怒りにかられて去ったのでありますから、もし手厳しく追いたてたりすれば、かえ むほん って謀反の心を起こさせるようなものです。それに袁の一家は四代にわたる名家、その恩顧にあず かった連中が天下にちらばっております。もし彼が自分の息のかかった有力者に呼びかけて軍勢を さんとう 集め、地方の暴徒がそれに応じて謀反すれば、山東 ( 函谷関から東の広大な地方 ) は殿の手を離れる おうよう ことになりましよう。むしろ鷹揚に出て郡守にでもしてやれば、袁紹は罪を免れたことを喜び、後 の心配も自ずとなくなるでございましょ , つ」 伍瓊、 「袁紹は何か企むのは好きですが決断力のない男ですから、恐るるに足りません。周毖の言ったよ うに、郡守にでもしてやって民衆の心をつかむようにしたほうが得策です」 ばっかい 董卓はこれに従い、即日使者をやって袁紹を渤海郡の太守とした。 かとく 九月一日、嘉徳殿に帝の出御を請うて、文武百官を集めた。董卓は白刃を手にして一同に、 さくぶん 「天子は暗弱にして、天下の君となすにたらぬ。ここに策文を用意したによって、読み聞かす」 と言い、李儒に命じて読みあげさせた。 ごけい