太史慈 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 1
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1. 三国志演義 1

とした。太史慈がもとの道をたどらずに山麓を廻れば、孫策追いすがって大喝一声、 「逃げるとは卑怯だぞ」 太史慈、心中で『こいつには十二人もついて来ている。おれはただ一人だからたとえ奴を手捕り にしても、また奪いかえされてしまうだろう。もうしばらく引っぱりまわし、奴を一人きりにして おいて討ち取ってやろう』と考えたので、時々戦いながら逃げまわる。孫策のがさじと追いすがっ て、ついに平地に出た。太史慈馬首を返して戦いを挑み、またも五十合にもなる。孫策が槍をくり だすところを太史慈さっとかわしてその槍を小脇に挾みこみ、同じく槍をくりだせば、孫策もかわ して同じくその槍を小脇に挾みとって、二人はがっしと組み合ったまま、どうと馬から転げ落ち、 じんばおり 馬は何処ともなく走り去った。二人は槍を棄て襟首をひつつかんで殴り合い、戦袍いずれも粉々に ちぎれ飛ぶ。孫策一手早く、太史慈の背中の短戟を取り上げれば、太史慈も孫策の頭の兜をもぎ取 かんせい った。孫策が戟で太史慈を突けば、太史慈は兜で受けとめる。そこへどっと喊声があがり、劉緜が 援軍千人余りをひきいて馳せきたる。孫策がこれはしたりと焦るところ、程普ら十二騎も駆けつけ たので、孫策と太史慈はようように手を離した。太史慈が軍中から馬を借り受けて槍をとり、馬に またがって再び寄せかかれば、孫策の馬は程普によってとりおさえられていたので、孫策も槍をと り馬に乗る。劉緜の一千余騎と入り乱れて戦い戦い、次第に神亭の山麓に近づくところ、どっと喊 声がわいて、周瑜が援軍をひきいて馳せつけた。劉緜がみずから大軍をひきいて山麓に殺到したが、 おりしも空は暮れかかって、烈しい雨風となったので、双方軍をまとめて退いた。

2. 三国志演義 1

さて太史慈は屈強の若者二千余人を集めて手勢と合わせ、劉緜の仇を打とうとしていたところで 引あったが、孫策は太史慈を生捕りとする計略を周瑜と煉った。周瑜は、県城に三方から寄せかかり、 東門を彼らの退路としておいて、城から二十五里離れて三カ所に伏勢をするよう命じた。太史慈が そこまで来れば、人馬ともに疲れ果てて生捕りとなるのは必定と見たのである。もともと太史慈が 集めた兵士どもは大半が山家育ちの者とて統制のとりようもなく、しかも涇県県城の城壁もあまり 高くはなかった。その夜、孫策は陳武に命じて軽装させ、刀をもってまっ先に城壁によじ上って火 を掛けさせた。太史慈は城に火の手の上がるのを見て、馬に飛び乗り東門から走り出た。孫策がう しろから軍勢をひきいて追ってきたが、三十里ばかりを走りに走って、追手を引き離した。かくて 五十里も来たときには、人馬ともに疲れ果てた。ところへ葦の繁みからどっと喊声が湧き、太史慈 がすわと逃げかけた時には、両側から足がらみの縄を投げかけられて馬もろとも引きたおされ、手 捕りにされて陣屋に引っ立てられた。孫策は太史慈が引っ立てられて来たと知るや、自ら立ちいで ひたたれ て兵卒を退がらせ、その縄をほどいて己の錦の袍を与え陣屋に請じ入れた。 「子義殿がまことの大丈夫であることは、わしはよう存じ上げておる。しかし、貴公ごとき大将を よう用いきれずに、敗戦の憂き目にあわす劉緜は、また何たる愚物でござろうかの」 太史慈は孫策の手厚い持てなしに感じて降参を申し出た。 孫策は太史慈の手をとって笑い 「神亭での一騎打のおり、もし貴公がわしを手捕りとしていたら、恐らく生かしてはおかなかった

3. 三国志演義 1

次の日、孫策が軍勢をひきいて劉緜の陣屋の前に至れば、劉緜も軍をひきいて迎え打つ。両軍の 陣容備うや、孫策は槍の穂先に太史慈の小戟を吊って陣頭に打ち振り、兵士に叫ばせる。 「太史慈の逃げ足が遅ければ、今頃は串刺しなるぞ」 太史慈も孫策の兜を陣頭に高々とさし上げ、兵士に叫ばせる。 「孫策の首はもはやここにあるそ」 両軍たがいに鬨の声をあげ、いずれも負けじと罵りあう。太史慈が乗り出して、孫策に勝負を決 せんと挑めば、孫策我慢ならずに乗り出そうとするのを程普が引き留め、 「殿直々のご出馬を願わすとも、それがしが手捕りにしてご覧に入れまする」 と陣頭に馬を乗りいだす。太史慈、 王 「貴様では相手にならぬ。孫策を出せ」 程普、大いに怒り、槍をしごいて太史慈にとってかかる。両馬、駆けたがえて三十合したとき、 酣 どら 慈劉緜がにわかに銅鑼を鳴らして戦いをやめさせた。太史慈が引き取って来て、 太「それがし今ひと息にて賊将を手捕りにせんとしたるを、なぜ軍を退かれるのでござる」 回 と一 = ロ , っと、劉緜の一一 = ロ , つのに、 五 しようじちんぶ しれつ 第「周瑜が軍をひきいて曲阿を襲い、廬江郡松滋の陳武、字子烈と申す者が内応して周瑜を迎え入れ まつりよう たとの知らせがあったのじゃ。本拠を取られたとあっては、ぐずぐずしておれぬ。ただちに秣陵 せつれいさくゆう へ行って薛礼・窄融の軍と合流し、急ぎ取りもどしに行かねばならぬのじゃ」 とき

4. 三国志演義 1

であろうな」 と言うと、太史慈も笑って、 「それは分かりませぬ」 孫策は大いに笑って幕中に請じて上座になおし、酒宴を開いて歓待した。すると、太史慈の言う 「劉緜殿にはこの度の敗戦で、士卒の心を全く失っております。それがしが参って彼らを集め殿の お手許に馳せ参じさせたく存じまするが、この段、お聞き届け下さりまするか」 孫策は席を立って礼を述べ、 と「それこそわしの望むところ。ここで貴公と約束いたそう。明日の昼に帰ってこられよ」 太史慈は承知して出た。諸将が、 「太史慈はこれ限りもどっては参りますまい」 酣 慈 と言 , つのを、孫策は、 史 たが 太「子義は信義を知る男じゃ、約を違えることはない」 回 と言ったが、諸将はなお信じなかった。翌日、竿を陣門に立て、日影をはかって待っていたとこ 五 第ろ、正に正午になろうとする時、太史慈が千余の兵を引き連れて陣屋にもどって来たので、孫策は 大いに喜び、一同は孫策の眼力の鋭さに敬服したものであった。かくて孫策は数万の軍勢を集めて 江東に下り、民衆を慰撫したので、降参して来る者数知れす、江東の人民は、みな孫策のことを

5. 三国志演義 1

さて孫策はしばらく眺めていて、ようやく馬首を返した。峠を過ぎようとしたとき、上から、 「孫策、待てい」 という叫び。 孫策がふり返って見やれば、二頭の馬が飛ぶように駆け降りて来る。孫策は味方十三騎を横に並 べ、槍を小脇に構えて待ちうける。 太史慈、荒々しく、 「孫策はどやっか」 「そういう貴様は」 孫策が問いかえすと、 王 「わしは東莱の太史慈だ。わざわざ孫策を手捕りにしに来たのだ」 孫策はからからと笑い 酣 慈「身どもが孫策だ。貴様ら二人でかかって来ようと、逃げるようなわしではない。逃げるようなら 太孫伯符ではないぞ」 回「貴様らが一度にかかって来ようと、恐れはせぬ」 第言うなり太史慈は、馬を躍らせ、槍をしごいて孫策に突きかかる。孫策また槍をしごいてこれを 0 迎え、両馬駆け合わすこと五十合に及んだが勝負がっかず、程普らは心中ひそかに舌を巻いた。太 おび 史慈のほうは孫策の隙のない見事な槍さばきを見て、かなわぬ振りをして逃げ、孫策を誘き出そう

6. 三国志演義 1

「母は殿のご恩に感じてそれがしを遣わしましたるに、この囲みを解くことかなわずば、それがし 母に会わせる顔がありませぬ。なにとぞ決戦をお許し下されい」 りゅうげんとく 「わしは劉玄徳殿が当世の英雄と聞いておる。もし彼に加勢に来て貰うことがかなえば、囲みも おのずから解けようと思っておるのだが、その使いの者がいないので悩んでおるのじゃ」 「殿のご書面をいただけますれば、それがしただちに参りまする」 かっちゅう 孔融は喜んで書面をしたため、太史慈に託した。太史慈は甲冑に身を固めて馬に乗り、腰には 弓矢をたばさみ、手には鉄槍をひっさげ十分腹ごしらえをした上厳重に身づくろいして、城門を押 彼は し開くやただ一騎躍り出した。たちまち壕ばたより賊徒を随えた部将が打ってかかったが、 救またた を瞬く間に数人を突きたおして囲みを破った。管亥は城を討って出た者ありと聞いて、援軍を求め 孔るに違いなしと見てとり、自ら数百騎をひきいて追い迫り、四方八方より取り囲んだ。太史慈が槍 を馬腹へ立てかけ、弓をとって矢を放てば、弦音とともに賊が必ず落馬するありさまに、賊どもは 叔その上追おうとはしなかった。 かくて太史慈は追手を振り切り、夜を日についで平原県にいたって劉玄徳に見えた。挨拶を終え 回て、孔北海が囲まれ援軍を求めている由をつぶさに語るとともに、書面を差し出した。玄徳はそれ 第を読んでから、 「して、貴公は」 「それがし太史慈と申す東海の田舎者にございます。孔融殿とは縁つづきにもあらず、同郷の者で まみ

7. 三国志演義 1

210 「開門、開門」 と叫んだ。 孔融が、何者とも分からないので開門を躊躇するうち、賊徒どもが壕まで追い迫った。すると 孔融が急ぎ門を開い かの武者、馬首を返してたちまち十数人を馬から突き落とし、賊が退く間に、 て彼を引き入れさせた。かの武者は、馬を下りて槍を棄て、ただちに物見に上がって孔融に目通り した。孔融が姓名を尋ねると、 「それがしは東莱郡黄県の者で、姓は太史、名は慈、字を子義と申し、かねてより老母が殿のご恩 りようとう を受けておる者にございます。それがし昨日遼東より親許に立ち帰ったところ、はじめて賊が城 下に攻め寄せておる由を知った次第にござりますが、老母より『殿様よりはたびたびご恩をかけて いただいているのだから、お前からご恩返しをしておくれ』と言われ、ただ一騎にてまかり越しま 彼の武 とのこと、孔融は大いに喜んだ。元来孔融は太史慈と面識があったわけではなかったが、 , 勇を聞き知っていたが故に、彼が遠方に行っている間、城外二十里のところに住む老母につねづね 粟や反物を届けさせていたもので、母親はその孔融の徳に感じて、彼を加勢に差し向けたのである。 よろい 孔融は太史慈を厚くもてなし、鎧や鞍を置いた馬を引出物とした。太史慈が言った。 「それがしに屈強の兵一千をお貸しくださらば、討って出て賊を駆け散らしてくれましよう」 「そなたの武勇は存じておるが、賊の勢いはいかにも多い。軽々しく出るのは控えるがよかろう」 とうらい 第」う ちゅうちょ

8. 三国志演義 1

もござらぬが、意気投合して、苦難をともにせんと思っておる者。当今、管亥みだりに賊徒を集め、 幻北海殿は囲まれて孤立無援のありさま、落城も今日明日と迫っておりますところ、殿が仁義に厚く 人の危急を救わるるとのことを伝え聞き、かくそれがしに命じて囲みを破り、ご加勢をお頼みにな った次第でございます」 玄徳はこれを聞いて、襟を正し、 「なんと、孔北海殿は世に劉備ありとご存知であったか」 うんちょうよくとく とただちに雲長・翼徳とともに精兵三千をすぐり、 北海郡へ進発した。管亥は援軍いたると見 て、自ら兵をひきいて迎え撃ったが、玄徳の兵の無勢を見てせせら笑った。玄徳が関・張・太史慈 とともに陣頭に馬を乗り出すと、管亥が奮然と斬りかかった。太史慈が受けて出ようとするとき、 雲長躍り出して管亥と渡り合う。馳せちがう両馬に、両軍どっと鬨の声をあげるところ、管亥なじ かは雲長に敵すべき、数十合ののち、青竜刀きらめいて、管亥まっ二つとなって馬から落ちた。太 史慈・張飛がすかさずくつわを並べて討っていで、切先を揃えて賊陣に殺到すれば、玄徳も兵を下 知してなだれこむ。孔融は城頭より太史慈が関・張とともに羊の群にはいった虎の如く縦横無尽に 賊軍を斬り立てる様を望んで、兵をひきい、城門を押し開いて討って出た。前後より攻め立てられ て、賊軍はたまらずに大敗し、投降する者数知れず、残党は散りぢりに逃げ失せた。 孔融は玄徳を城内に迎え入れて、挨拶ののち、盛大な祝賀の宴を張った。席上、糜竺を玄徳に引 ちょう力い そうすう き合わせて、張闔が曹嵩を殺害したおもむきをつぶさに話し、 とき

9. 三国志演義 1

と鎧をつけ槍を引っさげて馬に乗り、程普・黄蓋・韓当・蒋欽・周泰ら都合十三騎をしたがえて 陣を出、山に登って廟に参詣した。馬を下りて参詣を済ますと、孫策は廟前にぬかずいて祈った。 「もし孫策が江東において大業を立て、亡き父の志を継ぐことがかないましたら、ただちに廟宇を 建てなおして、祭祀をたやさぬでありましよう」 祈願してから廟を立ちいで、馬にまたがると諸将に向かって、 「わしは峠を越して劉緜の陣備えをさぐって来ようと思う」 と言った。一同が思い留まるよう言ったが、孫策は聞き入れす、皆とともに峠に出て南方の村や 林を眺めた。 この知らせが早くも物見の兵から劉緜にもたらされた。 「これは孫策の誘いの手じゃ、追うな」 と劉緜が言ったが、太史慈は、 「いま孫策を捕えなければ、二度と機会はない」 とこおどりし、劉緜の命も待たずに鎧をつけて馬に飛び乗り、槍をにぎって陣を出るや、 「度胸のある者はついて来い」 と叫んだが、一人として動かない。ただ一人、身分の低い部将が、 「太史慈殿こそまことの勇士。それがしご加勢いたす」 と馬を躍らせて随ったが、諸将はどっとあざ笑った。

10. 三国志演義 1

太史慈が劉緜に随って軍を退けば、孫策も追わずに軍勢をととのえた。そのとき長史張昭から、 「敵は周瑜殿に曲阿を取られ、戦意を失っております。今宵こそ夜討ちの好機と存じます」 と言われてげにもとうなずき、軍勢を五手に分けて一挙に突き進んだ。ために劉緜の軍勢はさん ざんに討ち崩され、四方八方に逃げ散った。太史慈は単騎踏み止まって戦ったがカ及ばず、十数騎 を随えて夜のうちに涇県へ落ちて行った。 さて孫策はまた新たに陳武を得たが、この人、身の丈七尺、顔は黄色く眼赤く、容貌怪異。孫策 ははなはだ彼を敬愛して校尉に取り立て、先鋒を命じて薛礼にかからせた。陳武は十数騎をひきい しるし て敵陣に突きいり、首級五十余をあげたが、薛礼は門を閉ざして出ようとしない。孫策が一挙に敵 城を押しつぶそうとしたとき、劉緜が融と合流して牛渚を奪ったという思いがけぬ知らせがあり、 激怒した孫策はみずから大軍をひきいて牛渚に押し寄せた。劉緜・融の両名が馬を乗り出してこ れを迎えれば、孫策が、 「こりや、わしが参ったに、なぜ早々に降参せぬか」 うび と叫ぶところ、劉緜の背後から一人の荒武者が槍をしごいて躍り出る。これぞ部将の于糜である。 孫策は三合せずしてこれを生け捕り、馬首をかえして帰陣した。劉緜の部将樊能は于糜の捕えられ たのを見るや槍をかまえて追いすがり、その穂先あわや孫策の背中を突き通すかと見えたとき、孫 策の陣中の兵士が、 「殿、うしろから狙われておりますぞ」 はんのう