「禰衡はわしをいたく侮ったが故、劉表の手を借りて殺させたまでじゃ。何も尋ねることはない」 と言い劉表を説得させに、韓嵩を荊州に帰らせた。韓嵩は立ち帰って劉表の前に出、朝廷のご盛 徳をたたえて、息子を朝廷に出仕させるよう劉表にすすめた。劉表が大いに怒って、 「貴様、わしを裏切るのか」 と斬ろうとすると、韓嵩は大声で、 「将軍こそそれがしとの約を破られたもの、それがし約をたがえはいたしませぬぞ」 、ついりト、つ と叫び、剛良も、 を「韓嵩は出立に先立って、こう申しておりました」 ゆる で と言ったので、劉表は彼を赦した。 裸 かくするうち黄祖が禰衡を斬ったとの知らせをもたらした者があったので、劉表が事の次第を尋 を 衣ねると、それに答えて、 正「黄祖が禰衡と酒盛りして、ともに酔っておったおり、黄祖が、『貴公、許都での人物は誰だと思 しように ようとくそようしゅうようひゅう うかな』と尋ねたところ、禰衡が、『大児は孔文挙 ( 孔融 ) 、小児は楊徳祖 ( 楊修。楊彪の子 ) 、この 回 三二人のほか、人物らしいものはおらぬ』と一言 い、『では、わしなどは』と黄祖がきいたところ、禰 第衡が、『貴公なぞはさしずめ祠の神様といったところだな。供物だけ貰って、いっこうに験を見せ ぬというやつだ』と言ったので『おのれ、わしを木偶あっかいにするか』と怒って斬ったのでござ います。禰衡はしかし、いまはの際まで罵りつづけておりました」 あなど きわ
304 「貴公も旧友の誼みで参られたからは、なにとそご教示賜わりたい」 「殿が無勢をもって大敵に立ち向かわれておりながら、早急に勝を収められようとしないのは、自 えら ら死を択ぶようなもの。それがしの策をもってすれば、三日をいでずして、袁紹百万の軍勢を戦わ ずして自滅させることができますが、殿はお聞き届け下さりまするか」 曹操、喜んで、 「是非ともお聞きしたい」 しちょう うそう じゅんうけい 「さらば、袁紹は兵粮輜重をすべて烏巣に貯えており、ただいま、淳于瓊が守っております。彼は しようき 酒に溺れて何の備えもいたしておりませんから、殿には精兵を択りすぐって袁紹の部将蒋奇が彼の 地へ兵粮を守るために行くと詐り、油断している隙に共粮輜重を焼き払いますれば、袁紹の軍勢は 三日せずして崩れましようぞ」 曹操、大いに喜び、許攸を厚くもてなして、陣中に留めた。 あく 翌る日、曹操は自ら歩騎五千を択び、烏巣へ兵粮を襲いに行く支度をした。これを張遼が、 「袁紹が兵粮を貯えておるところに、備えのなかろうはずはござりませぬ。ご出馬はお差し控えの ほど願わしゅう存じます。許攸の言は疑わしゅうござりまするそ」 と止めたが、曹操は聞き入れない。 「いやいや。許攸が参ったのは、天が袁紹を破り給うたもの。いまやわが軍の兵粮すでに尽き、と うてい長くはもちこたえられぬ。もし許攸の策を用いなければ、坐して死を待つようなものじゃ。 たま
孫策を奥に呼んで言った。 「そなたが于仙人を獄に下されたとか聞きましたが、あのお方は多くの人の病をいやし、軍民の尊 敬を集めておられるから、害を加えたりすることはなりませぬぞ」 「彼は妖術で人々を惑わす曲者です。生かしておくことはできませぬ」 と言ったが、夫人からねんごろになだめられて、 「母上には他の者の下らぬ言葉をお聞きなされますな。わたくしにはわたくしの考えがございま と言って引き退がって来るや、獄吏を呼んで于吉を引き出させた。 もともと獄吏たちはみな于吉を信じうやまっていたので、獄中では于吉の手枷や鎖をはすしてお いたが、孫策に引き出せと命ぜられてから、それらをつけて連れて来た。孫策はこれを聞き知って 大いに怒り、獄吏をはげしく叱責した上、于吉にあらためて手枷・足枷をつけさせて獄に下した。 張昭ら数十人は、連名で嘆願書をつくり、孫策の前に平伏して于仙人の命乞いをした。 ちょうしん 「そなたたちはみな学問をした者なのに、なぜ道理をわきまえないのか。むかし交州の刺史張津 は邪教にこり、楽を奏し香を焚き、常に赤い頭巾をかぶって軍勢に力を添えると自称しておったが、 のちに敵軍に殺された。こうしたことが何の益もないことであるのを、諸君はまだ覚らぬのか。こ ういう迷妄を覚まさせ邪教を禁絶しようと思うからこそ、わしは于吉を殺そうと思っておるのだ」 りよはん 呂範が言った。 てかせ
わざわ いたさるべし。地方におらせるは、後の禍いとならん。 この使者が書面をたずさえて長江を渡ろうとした時、警備の者に捕えられて孫策の前に引き出さ れた。孫策は書面を見て大いに怒り、その使者を斬ったうえ、人をやって他事にかこつけて許貢を 呼び寄せた。許貢が罷り出るや、孫策は書面をつきつけて、 「貴様はわしを死地へ追いやろうとしたな」 となじり、武士に命じて縊り殺させた。許貢の家族はみな逃げ去ったが、彼の家に寄食していた 三人の者は、仇を討とうとして機の至るのを待っていた。 たんと 斬 一日、孫策は軍勢をひきいて丹徒県の西山に巻狩をもよおしたが、一頭の大きな鹿を狩り出して、 を 士ロ」お」 一騎、馬を躍らせて山の上まで追って行った。途中、林の中に槍や弓を持った三人の男が立っ てているのを見かけたので、馬をとめ、 怒「その方らは何者か」 と尋ねたところ、 そんけん 「韓当殿 ( 孫堅の時からの部将 ) の手の者でございます。ここで鹿を射止めようと待っておりまし 回 十 もも と言うので、そのまま行き過ぎようとしたとき、一人が槍をとりなおすなり孫策の左の腿にぐさ 第 はいけん りと突きたてた。驚いて孫策、急いで佩剣を引きぬき、馬上から斬りつけようとしたところ、刀身 よこつら が抜け落ちて柄だけが手に残った。その隙にもう一人が放った矢が、孫策の横面にはっしとばかり かんとう まか
「いや、実は雲長が気に入っておるので、たわむれてみたまでじゃ。貴公より人をやって早く来る 2 よう申しておいてくれい」 「さらば、孫乾をやって連れて来させまする」 袁紹は大いに喜んで同意した。玄徳が退出すると、簡雍が進み出て言うのに、 「玄徳はこのたびこそ帰っては参りますまい。劉表を説きつけかたがた、玄徳の目付として、それ がしを同道させて下さりませ」 かくと 袁紹はこれに同意して、玄徳と同道するよう命じた。郭図は、 「劉備は先に劉辟を説きに参って空しく帰って参ったもの。このたび簡雍とともに荊州へ行けば、 二度ともどって参りますまい」 と言ったが、 「そちは疑いが過ぎる。簡雍はなかなかの智者じゃ」 と退けられたので、嘆息して退出した。 さて玄徳は、まず孫乾に命じて関公に返事を伝えさせておいて、簡雍とともに袁紹に暇を告げ、 く・一ギ、かし 馬に乗って城を出た。風境まで来ると孫乾が待っていて関定の屋敷に案内し、関公は門前に出迎 えて、手をとりあって涙にくれたものであった。関定が二人の息子を連れて草堂の前で挨拶したの で、玄徳が名を尋ねると、関公が代わって かんべい 「この仁は身どもと同姓で、ご子息が二人あり、長男の関寧は学問をいたし、次男の関平は武芸の かんねい かんてい
を固め、両手に刀をひっさげて陣頭に立ち、 4 「主にそむく下司とは貴様のことだ」 と呂布をさんざんに罵った。呂布が大いに怒って戟をきらめかせて躍り出せば、袁術の部将李豊 が槍をしごいて立ち向かったが、三合せずして、李豊、呂布の穂先を利き腕に受け、槍を投げ棄て て逃げだした。呂布がすかさず手勢に下知してなだれかかれば、袁術の軍勢総崩れとなり、呂布は ばひっかっちゅう これを追い散らして、馬匹甲冑など数知れず分取った。袁術が敗軍をひきいて数里も行かぬうち、 かんうん 山かげより一隊の軍勢が押し出して、退路に立ちはだかった。その先頭に立ったは、誰あろう関雲 ちょう 長。 「逆賊。命をもらったぞ」 と大喝すれば、袁術はあわてふためいて逃げ失せ、他の者どもも八方へ逃げ散るところを雲長に 打ち崩され、袁術は討ち洩らされた手勢をとりまとめて、ほうほうの態で淮南に逃げ帰った。 呂布は勝利を得、雲長や楊奉・韓暹らを迎えて徐州に引きあげると、盛大な酒宴を開いて労をね あく ぎらい、兵士らにも洩れなく引出物を与えた。翌る日、雲長が辞し去ったあと、呂布は韓暹を沂都 の牧、楊奉を瑯堺の牧に推挙するとともに、この両名を徐州に留めおきたく思って、陳珪を呼んで 謚った。すると陳珪が、 「それはなりませぬ。韓・楊両名を山東にやっておけば、一年を出ずして、山東各地はすべて将軍 の手に帰すでござろう」 ( 注こ りほう
りよほうせんげきえんもん 呂奉先戟を轅門に射 くすいやぶ 第十六回そうもうとく 曹孟徳師を清水に敗る えんこうろ 袁公路大いに七軍を起こし ロそうもうとく 第十七ロ 曹孟徳三将を会合せしむ かぶんか 賈文和敵を料って勝を決し かこうとん 第十八回 夏侯惇矢を抜いて睛を啖う かひ そうそう みなごろし 下郵城に曹操兵を鏖にし りよふ おと 第十九回はくもんろう 白門楼に呂布命を殞す そうあまんきょでんまきがり 曹阿瞞許田に打囲し みことのり 第一一十回とうこくきゅう 董国舅内閣に詔を受く そうそう 曹操酒を煮て英雄を論じ しゃちゅう 第二十一回かん 関公城を賺きとって車胄を斬る えんそう 袁・曹おのおの馬歩三軍を起こし おうりゅう 第二十二回かんちょう 関・張共に王・劉二将を擒とす でいせいへい 禰正平衣を裸いで賊を罵り も あ 第二十三回き。たい【 吉太医毒を下って刑に遇う 目次 しく一 あギ、む か まな - 一くら とり - 」 152 113 133 9 っ 0
すこぶる尊敬していたのである。 その時、玄徳はこの人を思い出して大いに喜び、ただちに陳登とともに鄭玄の家を訪ねて書面を 書いてくれるよう頼んだ。鄭玄はこころよく承知して、一通の書面を書き、玄徳に与えた。玄徳は そんけん 孫乾に命じて急ぎ袁紹に届けさせた。袁紹は読み終わって、 「玄徳はわしの弟を攻め亡ばした奴ゆえ、本来なら加勢すべきではないが、鄭玄殿のおロ添えがあ るのでは助けに行かすばなるまい」 起 を と考え、文武諸官を集めて、曹操討伐の是非をった。 でんはう 一一一幕僚田豊、 馬「このところ打ち続いた戦乱に、人民は疲弊し、倉の貯えも尽きおることにござれば、かさねて大 こうそんさん お軍をおこすはいかがと存じられます。まず使者を遣わして天子に勝利 ( 公孫環にたいする ) を奏上し、 お もしこれがお耳に達しなかった時、曹操がわれらの尊王の道をふさぎおるとの上奏文を奉った上で、 れいよう 曹 かだい 兵を黎陽に出して駐屯せしめ、さらに河内 ( 河北 ) においては船舶をふやし、武器をととのえ、精兵 袁 を辺境各地に派遣いたすが宜しゅうござります。かくすれば、三年のうちに、大勢決しましようそ」 回 しんばい 一一幕僚審配、 カ」く 第「それは違う。わが君のご威光にて河朔 ( 河北 ) の雄 ( 公孫璟をさす ) を討ちとった上は、軍をおこ たなごころ して曹操を討っことなど掌をかえすが如きもの。空しく日を延ばす要はござらぬ」 そじゅ 幕僚沮授、
ちょうしゅう 「実はさっき梅の枝に青々とした実のついておるのを見て、ふっと去年の張繍征伐のおりのことを 思い出したのだが、あれは途中水がなくて、者ども喉の渇きに参っておった時じゃ、わしが一計を 案じて、『先に梅林があるぞ』と、ありもせぬのに鞭で指し示したところ、兵士どもは聞いただけ で唾を湧かせて、それから喉の渇きも忘れおった。それで、いまこの梅を見て、これは是非賞味い ちん たさねばと思い、それに仕込んでおいた酒も飲み頃になっておるので、貴公をお招きしてあの亭で いっこん 一献さしあげようと思ったのじゃ」 玄徳はこの話にようよう胸をなでおろして、案内されるままに亭にはいった。中にはすでに酒宴 論の用意がととのえられて、盤には青梅が盛られ、酒も置いてある。二人は差し向かいで、大いに、 雄を飲んだ。 て宴たけなわとなった頃、にわかに真黒な雨雲が空一面に垂れこめた。側の者が遙か天の一角を指 らんかん を さして、竜が登る ( 竜巻 ) のが見えるというので、曹操と玄徳は欄干にもたれてそれを眺めた。 酒 操「玄徳殿には竜の変化をご存じかな」 「まだ存じておりませぬ」 回 一「竜は大きくもなれば小さくもなる。天に昇ることもできれば、水中に隠れることもできる。大き ちりあくた 第くなれば雲を呼び霧を吐き、小さくなる時は塵芥の中に身をかくすこともできる。天に昇れば宇 宙の間を駆けめぐり、身を隠せば波の間にもひそむという。春たけなわの今こそ、竜が変化をあら わす時、正に人の志を得て四海を縦横するようなものじゃ。まこと、竜は人の世の英雄にも比すべ
えんしよう じゅっ 術の縁者であることじゃ。もし彼が袁術・袁紹と内通するような事があれば、事重大じゃ。早々 に始末しておこう」 ぎんそ かくして曹操は、ひそかに人に命じて楊彪が袁術と通じていると讒訴させ、彼を捕えて獄に下し、 一うゆう - / 、ん 2 い きゅうもん まんちょう 満寵に命じて糾問させた。時に北海の太守孔融が許都に出て来ていたが、これを聞いて曹操を諫 めた。 「楊彪殿は四代にわたって上に仕えられたお家柄、袁氏との事ぐらいで罪せらるるには及びますま 「これは天子のご意向なのじゃ」 ( 注三 ) しゅう しよう 「成王に召公を殺させておいて、周公が知らぬと言えましようか」 ぎろうちょう ひめん 打曹操はやむを得す、楊彪を罷免して国許へ放逐するに止めた。この曹操の専横を見て議郎の趙 だんがい ちよくめい 彦は憤懣やる方なく、上書して曹操が勅命も仰がず、ほしいままに大臣を捕えた罪を弾劾したが、 瞞曹操は大いに怒って、ただちに趙彦を捕えて殺したので、百官らは一人として恐れおののかぬはな 曹かった。幕僚の程昱が曹操に勧めて言った。 回「今日、殿のご威勢は天にも昇る勢い。霸業を成しとげらるる好機ではござりませぬか」 よ 一一「朝廷にはまだまだ股肱の臣がおる。そう軽はずみなことはできぬ。ひとっ天子を巻狩に招んで、 様子をうかがってみよう」 たか かくて良馬、手なれた鷹・犬をよりすぐり、弓矢を揃え、あらかじめ城外に軍勢を集めておいた