えんじゅっわいなん そんさく さてここに袁術は淮南にあって、広大な領土と豊富な食物に恵まれていたうえ、孫策から質に ぎよくじ せんしよう ふてい 起 を 取った伝国の玉璽まで持っていたので、ついに帝号を僭称せんとの不逞な野望を抱くにいたった。 七そこで部下たちを一堂に集めて言うのに、 かん , 一うそしじよう 「そのかみ漢の高祖は泗上の一介の亭長より身を起こして、天下を握った。以来四百年、漢朝の気 大 かなえ 一ん、一う 路数すでに尽き、天下は鼎の沸くが如く乱れておる。わが一門は四代引き続いて三公に昇り、民の心 こた きゅう 1 、 はすべてわれらになびいている。そこで、わしは天の命に応え人々の望みにしたがって九五の位 回 ( 天子の位 ) に即こうと思うが、皆はどう思うか」 えんしよう + 主簿閻象がこれに答えて、 しゅう・」うしよく 「それはなりませぬ。昔、周は后稷 ( 周の始祖 ) より始めて代々徳を積み功をかさねて、文王にし たり、天下を三分してその二を領するにいたってもなお殷に臣事いたしました。しかるに殿は貴顕 えんこうろ 袁公路大いに七軍を起こし ロそうもうとく 第十七ロ 曹孟徳三将を会合せしむ ぶんのう
182 「劉備を征伐したいのじゃが、袁紹のことが気掛りなのじゃ。どうすればよいかな」 と訊 / 、と、 「袁紹は血のめぐりが悪く疑り深い男であり、幕僚どもは互いにそねみ合っておりますれば、別に 恐るるには足りませぬ。劉備は新たに軍勢を揃えたばかりで、いまだ人心をつかんでおりませぬ。 じようしよう 丞相がご出馬になればただ一戦にて打ち破ることかないましよう」 「わしもそう思っておった」 と曹操は大いに喜び、かくて二十万の大軍を起こし、全軍を五手に分けて徐州へ向かった。 かひ 間者がこれを探知して、徐州へ注進する。孫乾はまず下郵に行って関公にこの由を知らせ、その しようはい げんとく 足で小沛に回って玄徳に知らせた。玄徳は孫乾に 「この上は、是非とも袁紹殿の加勢を頼まねばなるまい」 でんばう と言い、一通の書面をしたためて、孫乾を河北へ向かわせた。孫乾はまず田豊に会って事の次第 をつぶさに物語り、袁紹へのとりなしを頼んだ。田豊は孫乾をともなって袁紹に目通りさせ書面を 差し出したが、袁紹がいたくやつれて、装束もしどけないありさまなので、 「殿には、今日は如何なされました」 「わしの命も、もう長くはない」 「なんと仰せられますか」 かいせんわずら 「五人の息子のうち、末の子をわしは最も気に入っていたのじゃが、それが疥癬を患いよって、今 そんけん かん
276 末になさりませぬよう」 えんしよう ちんしん かく話しているおりしも、袁紹からの使者陳震が到着したとの知らせがあった。孫策が召し出 とう′一 すと、陳震は袁紹が東呉 ( 孫策をさす ) と結んで共に曹操を攻めようと考えている由をつぶさに語 やぐら った。孫策は大いに喜んで即日、諸将を集め、城門の櫓に宴席を設けて陳震をもてなした。酒盛り の最中、大将たちが互いにささやきあって次々に下りて行くので、わけを尋ねると、側に控えた者 が一一 = ロ , つのに、 う 「于仙人という方が、いまこの下を通ったので、拝みに行かれたのでございます」 らんかん かくしっ とのこと。そこで席を立ち、欄干にもたれて見下すと、一人の道士が身に鶴幤 ( 道袍。道士の着 あかざ た 物 ) をまとい、手に藜の杖をついて道のまん中に立ち、人々が香を焚き道端に平伏して拝んでいる。 孫策、怒って、 「人を惑わせる奴め。早々に引っ捕えてまいれ」 左右の者が、 きっ 「あのお方は、姓を于、名を吉と申し、東の方に住んで、ここによくおいで下さり、護符を入れた 水を施されて万病をお救い下さる霊験あらたかなお方でございます。当今、人々が仙人と呼んでう やまいおる方にござりますれば、軽々しく扱うことは控えられるが宜しいかと心得ます」 と言ったところ、孫策はますます怒って、叱咤した。 「すぐ捕えて参れ。聞かねば斬るぞ」 れいげん
312 たとき、袁紹は軍勢の大半を失っていた。曹操のほうは、 ぎよう れいよう さんそう 「いまわが軍は軍勢を分けて、一手は酸棗を通って郊郡に攻め、一手は黎陽に出て袁紹の退路を 絶とうとしていると言い触らさせれば、袁紹はあわてて軍勢を分けて防ごうとするに違いありませ ん。敵が軍勢を動かした隙に乗じて討ちかかれば、袁紹を敗ることもできます」 という荀攸の献策にしたがい、兵士たちに命じて、各地でこれを言い触らさせた。これを耳にし た袁紹の兵士が、陣屋に駆けつけ、 「曹操は兵を二手に分け、一手は郊郡に向かい、一手は黎陽に向かおうとしております」 しんめい えんたん と注進したので、袁紹は大いに驚き、急いで袁譚に五万の軍勢を与えて郊郡へ、辛明に同じく五 万を与えて黎陽へ加勢に遣わすこととし、夜を日についで急行させた。曹操は袁紹が軍勢を動かし たのを探知するや、全軍を八手に分け、一斉に袁紹の陣に寄せかけた。袁紹の軍勢は全く闘志なく、 ひとえ 総くずれとなって潰滅した。袁紹は鎧をつけるのも間に合わず、単衣に頭巾だけという姿で馬に乗 えんしよう こ随った。張遼・許褶・徐晃・于禁の四大将が軍勢をひきいてこれを追えば、 り、その子袁尚が後レ ぎじようきんばく 袁紹は急いで黄河を渡り、家に伝わる文書・乗物・儀仗・金帛などことごとく打ち棄て、わすか八 百騎あまりをひきいて落ちのびた。曹操の軍勢はついに追いつけず、袁紹の遺棄したものをすべて 分捕ったが、討ち取った者の数八万余、血は流れて溝にあふれ、溺れ死んだ者は数知れなかった。 曹操は大勝を収め、分捕った金銀反物を恩賞として兵士に与えた。このとき分捕った文書類の中か ら一束の書面が出て来たが、みな許都および曹操の軍中の人々が袁紹に内通した書面であったので、
りよ おじよく 去って、その汚辱、今に至るまで永く世の戒めとなる。呂后 ( 漢高祖の后 ) の末年にいたりて、 りよう亠っムう りよさんりよろく 呂産・呂禄、政事を専らにし、朝にあっては南北二軍の将となり、外にあっては梁・趙二国を治 めて、ほしいままに万機を決し、禁中に威をふるいたれば、君臣ところをことにし、ために国を ちゅう こうしゅうばっしゆきよりゅうしよう 挙げて心を痛めたり。かくして絳侯周勃・朱虚侯劉章、兵をおこし怒をふるい、逆賊を誅して み たいそう 太宗 ( 漢孝文皇帝 ) を立つ。ために王道大いにおこり、御稜威、海内を照らすにいたる。これす なわち権勢を立つるの任、大臣にあることを示すもの。 たんらん そうとう さわんじよこう 司空曹操が祖父中常侍曹騰は、左愃・徐珱と語らって害悪をなし、貪婪をきわめて、政事を紊 そうすう り民草を虐ぐ。父曹嵩はその養子となり、賄賂によって位をうけ、金宝珠玉を権門につらね納め かんがんばら さんこう て三公の位をぬすみ、ついに天下を傾けるにいたる。曹操はかかる醜き宦官輩の後にして徳行と 、一うかっ てこれなく、狡猾たぐいなく、乱を好み禍を楽しむ。 余、精兵をひきいて宦官どもを討ちしに、続いて董卓の官を犯し遷都の暴挙に出するにおよび、 ばっかい 剣をひっさげ鼓を鳴らし渤海に兵を挙げて天下の英雄を幕下に集め、賢を用い愚を棄つ。故につ はか いに曹操と事を謀り、一軍を授けたるが、これ用うるにたると思いしによる。しかるに曹操に策 なく軽挙妄動して、敗北を重ね、しばしば軍勢を失いしが、余はただちに兵を分け与えて補強せ とう えん たいしゅ しめ、上奏して東郡の太守とし、州の刺史にのばせ、威力を貸し与えて威権を振るわしめ、も きた って勝利の報の来らんことを願いおりたり。しかるに曹操、ひとたび力を得るや四方に跋扈して かんあく ほしいままの姦悪を働き、民草を虐げ賢人を殺し善行の人を害す。 もうどう つかいだい ばっ第 ) みだ
「将軍、恐れ入りましたそ」 ちょうよくとく 「なんのそれがし如き。舎弟張翼徳なら、百万の軍中にて大将の首をとるにも、袋の中の物をと るが如きものにごギ、る」 曹操は大いに驚き、左右を顧みて、 ちょう 「この先、張翼徳に会うようなことあらば、よくよく用心いたせ」 と言い、着物の襟にその名を書きつけておくよう命じた。 せきめんちょうぜんおおな さて顔良の敗軍が逃げもどって来ると、途中で進んで来た袁紹に会ったので、赤面長髯の大薙 なた 刀を使う猛将がただ一騎で駆け入り、顔良を斬って立ち去ったため、この惨敗を喫したのだと報告 した。袁紹が驚いて、 「それは何者じゃ」 そじゅ と尋ねると、沮授が、 「それは劉玄徳の弟、関雲長に相違ございませぬ」 と答えたので、袁紹は大いに怒り、玄徳に指つきつけて、 「おのれ敵に内通して、弟にわしの気に入りの大将を斬らしおったな。もはや生かしてはおけぬ」 と、刑吏に玄徳を引き出して打ち首にするよう命ずる。正に、賓客となったのもっかの間に、 日は死を待っ捕われの身、というところ。さて玄徳の命はどうなるか。それは次回で。
ころを、山賊に襲われてその半ばを奪い去られました。聞けば劉備の弟張飛が、山賊といつわって 馬を奪ったものとのことにございます」 聞いて呂布は大いに怒り、ただちに兵をととのえて小沛に至り張飛にいどんだ。玄徳はこれを聞 いて大いに驚き、あわてて兵をひきいて出陣した。両軍布陣を終わるや、玄徳馬を進めて、 「兄者、この度の出陣はいったいいかがなされてか」 呂布は指をつきつけ、 「わしが轅門で戟を射当て、貴様の大難を救ってやったのを忘れたか。なんでわしの馬をとったの 「それがし、馬が少ないため、人をやって各地から買い集めておりまするが、兄者の馬を奪おうな そとは考えたこともござらぬ」 「貴様は張飛にわしの良馬百五十頭を奪いとらせておきながら、なおしらをきるのか」 張飛、槍をしごいて馬を乗り出し、 「たしかに、お前の大事な馬をとったのはおれだ。それで、どうしようと言うのだ」 「目玉野郎。かさねがさねわしを馬鹿にしよったな」 「おれが貴様の馬をとったと言って怒っているが、貴様だっておれの兄貴の徐州を奪いとったでは 呂布は物も言わずに戟をしごき張飛目がけて躍り出し、張飛も槍をしごいて迎えうった。二人、
「文遠殿はどこにおわす」 なぎなた と叫んだ。その時、雲長、火の光を受け薙刀片手に馬を躍らせて車胄にとってかかった。 「下郎、よくもわしの兄者を殺そうなどと企みおったな」 車胄は仰天し、数合もせぬうち、かなわじとみて馬首を返すやまっしぐらに逃げもどった。吊り 橋まで来ると、上から陳登に矢を浴びせかけられ、城壁の外を回って落ちのびようとしたが、追い すがった雲長が一刀のもとに馬から斬って落とし、首を手にして門前にもどると、 「謀反人車胄はわしが討ち取った。他の罪なき者は、降参すれば赦してつかわそうそ」 くだ と城壁の上に呼びかけた。かくて城内の者どもは武器を投げ棄てて降り、軍民ともに平常にかえ を 雄った。 て 雲長は車胄の首をもって玄徳の到着を迎え、車胄が危害を加えようとしたので、首を取った由を を細大もらさず語った。玄徳は、 操「曹操が来たら、どうするつもりだ」 と大いに驚いたが、雲長、 回 「それがし張飛とともに迎え撃ちます」 十 第 と言い、玄徳が大いに悔みながらも、徐州に入れば、長老・人民たちが道端に平伏してこれを迎 えた。役所につくなり張飛をさがすと、彼はすでに車胄の一家を皆殺しにしたあと、 「曹操の腹心を殺したとあっては、とうていおだやかには済まされまい」
道を絶ってしまえば、敵軍はおのずから乱れましよう」 四「して誰をやるか」 「徐晃殿が宜しいかと存じます」 ごづめ かくて曹操は徐晃に命じ史渙および手勢をひきいて先行させ、張遼・許緒に後詰をさせた。その 夜、韓猛は糧秣車数千輛を護送して、袁紹の陣へ近づいて来たが、途中の山あいに徐晃・史渙が軍 勢をひきいて立ちはだかったので、馬を躍らせて斬りかかった。徐晃が迎え撃って斬り合いとなる 隙に、史渙は人夫たちを駆け散らし、糧秣車に火を掛けた。韓猛が支えきれずに馬首を返せば、徐 しちょう かた 晃は手勢に下知して輜重を焼き払った。袁紹は陣中にあって、西北の方に火の手のあがるのを眺め、 何事かと驚いている時、逃げもどった兵士が、 「兵粮が襲われました」 と注進して来た。袁紹が急いで張部・高覧に命じて街道筋をさえぎらせれば、おりしも兵粮を焼 いてもどって来た徐晃とぶつかった。あわや合戦というところへ、背後から張遼・許褶の軍勢が到 着して、前後からはさんで袁紹の軍勢を駆け散らし、大将四人、軍勢を合わせて官渡の陣に立ち帰 った。曹操は大いに喜んで、厚くこれをねぎらうとともに、軍勢を分けて陣の外に陣地を構えさせ、 きかく 掎角の勢を張った。 さて韓猛の敗軍が陣地に帰りつくと、袁紹は大いに怒って韓猛を斬ろうとしたが、皆の者が命乞 いをしたので、「雑兵に格下げした〕。
「徐州が落ちてより、われら兄弟二人、難を避けて故郷に帰っておりました。人をおちこちに出し かんよう % て便りをさぐらせたところ、雲長殿が曹操に降り、殿が河北におられること、また簡雍殿も河北に 身を寄せておることまでは分かりましたが、将軍がここにおられることだけは存じよりませんでし た。ところが、昨日道で行き逢った旅の商人たちが、『張というこれこれしかじかの風采の将軍が、 いま古城を乗っ取っている』と言っておるのを耳にし、これは将軍に違いないと思ったので、お尋 ねして参った次第。お目にかかれて嬉しく存じます」 「雲長の兄貴が孫乾といっしょに嫂上がたをお連れして、いましがた着いたところだ。兄者のいる ところも分かったぞ」 糜竺・糜芳は大いに喜んで関公に見参し、また二人の夫人にお目通りした。かくて張飛は二人の 夫人を城内にお迎えし、役所に落ち着いてから、夫人たちがこもごも関公のこしかたのことどもを 物語られると、張飛ははじめて声を放って大いに泣き、雲長の前に平伏した。糜竺兄弟も感涙にむ せんだが、張飛も別れて以来の事を話し、かたがた祝賀の宴を張った。 翌る日、張飛は関公とともに汝南へ行って玄徳に対面しようと言った。しかし、関公が、 「そなたは嫂上のお側にいて、しばらくこの城にいてくれ。わしがまず孫乾といっしょに兄者のご 様子をさぐって来る」 りゅうへききようと と言ったので、それを承知し、関公は孫乾と数騎をひきいて汝南へ急行した。劉辟・襲都が出 迎えたので、 くだ