272 そんさく ひょうろう けんあん さて孫策は江東を切りしたがえて以来、精兵を整え兵粮も豊かに貯えていたが、建安四年 ( 一九 りゅうくん ろ - 一う ぐほんよしよう かきん 九 ) には劉勲を破って廬江を攻めとり、虞翻を予章郡へ遣わして太守華歌を投降させた。これより ちょうこうきよしよう そうそう 威勢おおいにふるうに至ったので、張紘を許昌に遣わして勝利を報ずる上奏文を奉った。曹操は 孫策が強大になったのを知って、 「獅子の子め、なかなかやりおるわい」 そうじん そんきようめあ と嘆息し、曹仁の娘を孫策の末弟孫匡に妻わせて両家の誼みを固め、張紘を許昌に留めておい きよと 孫策は大司馬の地位を求めたが、曹操が許さなかったのを根にもって、常々、許都を襲おうと きょ - 一う の心を抱いていた。そこで呉郡の太守許貢はひそかに許都へ使者をやって曹操に上書しようとした。 その文意は、 よろ 孫策の武勇、古の項籍 ( 項羽 ) にも比すべきもの。朝廷には宜しく高位をもって彼を都に召還 第二十九ロ しようはおう うきっ 小霸王怒って于吉を斬り 、 : っとう ロへきがんじ 碧眼児坐して江東を領す こうせき
らくよう あく 翌る日、朝飯が済んで、二人の嫂を車にのせ、胡華の手紙を預って別れを告げると、洛陽への道 とうれい 2 をとった。やがてさしかかった関所、東嶺関とよばれるところで、関を預る大将は姓は孔、名は しゅう 秀といし 、五百の兵をひきいて峠を固めている。その日、関公が車を守って山道を登って行くと、 兵士よりの知らせで、孔秀が関所の門口に出迎えた。関公が馬を下りて挨拶すると、 「将車はどこへおいででござるか」 「それがし丞相にお暇を告げて、河北へ兄者を尋ねに参る」 えんしよう 「河北の袁紹は、当今丞相に歯向かいおる奴。そこへおいでとあらば、丞相の手形をお持ちであ ろうな」 しゆったっ 「早々の出立に取りまぎれて、いただいて参らなかった」 「手形をお持ちでないとならば、それがしが人をやって丞相にお伺いした上、お通しいたそう」 「それは、とても待ってはおれぬ」 はっと 「天下のご法度ゆえ、いたしかたござらぬ」 「では、関を通さぬと申すのか」 「どうでも通ると言わるるなら、連れの者どもを質において行かれい」 関公が大いに怒って、薙刀を振り上げ孔秀に斬ってかかれば、孔秀は関所に逃げこんで太鼓を打 かっちゅう ちならし、兵を集め、甲冑に身を固めて馬にまたがると、どっと関から押し出して、 「通れるものなら通ってみよ」
りよ おじよく 去って、その汚辱、今に至るまで永く世の戒めとなる。呂后 ( 漢高祖の后 ) の末年にいたりて、 りよう亠っムう りよさんりよろく 呂産・呂禄、政事を専らにし、朝にあっては南北二軍の将となり、外にあっては梁・趙二国を治 めて、ほしいままに万機を決し、禁中に威をふるいたれば、君臣ところをことにし、ために国を ちゅう こうしゅうばっしゆきよりゅうしよう 挙げて心を痛めたり。かくして絳侯周勃・朱虚侯劉章、兵をおこし怒をふるい、逆賊を誅して み たいそう 太宗 ( 漢孝文皇帝 ) を立つ。ために王道大いにおこり、御稜威、海内を照らすにいたる。これす なわち権勢を立つるの任、大臣にあることを示すもの。 たんらん そうとう さわんじよこう 司空曹操が祖父中常侍曹騰は、左愃・徐珱と語らって害悪をなし、貪婪をきわめて、政事を紊 そうすう り民草を虐ぐ。父曹嵩はその養子となり、賄賂によって位をうけ、金宝珠玉を権門につらね納め かんがんばら さんこう て三公の位をぬすみ、ついに天下を傾けるにいたる。曹操はかかる醜き宦官輩の後にして徳行と 、一うかっ てこれなく、狡猾たぐいなく、乱を好み禍を楽しむ。 余、精兵をひきいて宦官どもを討ちしに、続いて董卓の官を犯し遷都の暴挙に出するにおよび、 ばっかい 剣をひっさげ鼓を鳴らし渤海に兵を挙げて天下の英雄を幕下に集め、賢を用い愚を棄つ。故につ はか いに曹操と事を謀り、一軍を授けたるが、これ用うるにたると思いしによる。しかるに曹操に策 なく軽挙妄動して、敗北を重ね、しばしば軍勢を失いしが、余はただちに兵を分け与えて補強せ とう えん たいしゅ しめ、上奏して東郡の太守とし、州の刺史にのばせ、威力を貸し与えて威権を振るわしめ、も きた って勝利の報の来らんことを願いおりたり。しかるに曹操、ひとたび力を得るや四方に跋扈して かんあく ほしいままの姦悪を働き、民草を虐げ賢人を殺し善行の人を害す。 もうどう つかいだい ばっ第 ) みだ
282 夫人はこの由を聞いて、なおのこと心を痛めていたが、孫策は安心させようと思い、病をおして母 親の前に出た。すると母親が、 しんぎ 「聖人も『鬼神の徳たる、それ盛んなるか』と言われ、また「なんじを上下の神祇に疇る』とも言 われております。鬼神の事は信じなければなりませぬ。そなたは于先生を罪もないのに殺したので ぎよくせいかん すから、報いのないはすはありませぬ。わたくしが郡内の玉清観 ( 道教の寺 ) に厄払いの手筈をと じきじき とのえておきましたから、そなたが直々に参詣しておいでなさい。そうすれば事なくて済みましょ , っ一はに」 と言った。孫策も母親のいいつけとあっては背くこともならず、いやいやながら轎に乗って玉清 観へ行った。道士が迎え入れて、香を焚くように言うと、孫策は香を焚いただけで祈ろうとはしな かった。するとたちまち香炉の煙がわだかまり、宝蓋の形になるとみるや、于吉がそこに端坐した。 孫策は怒って唾を吐きかけ、本堂から立ちいでると、またも于吉が門のところに立って、じっと自 分の方を睨みすえているのが見える。そこで左右の者を顧みて、 「そちたちにはあの亡者の姿が見えるか」 と尋ねると、ロを揃えて、 「見えませぬ」 と言う。孫策はますます怒り、腰に帯びた剣を引き抜くなり于吉目掛けて投げつけると、一人の 者が剣に当たってばったり倒れた。皆が見れば、これぞ先日、于吉の首を刎ねた兵士で、脳天をぶ
ちわられ、七穴から血を流して死んでいた。孫策がこれをかつぎ出して葬るよう命じてそこを出よ うとすると、またも于吉が門をはいって来るのが見える。孫策は、 「この観も妖怪の住みかだな」 てら ニ = ロし 、、門前に腰を下すや、武士五百人に命じて観を取りこわさせた。武士が屋根に上って瓦を はがしていると、于吉が屋上に立って瓦を投げつけるのが見えたので、孫策は大いに怒り、観内の かえん 道士たちを追い出して、堂に火を掛けるよう命じた。火焔が立ちのばると、またも于吉が火の中に 立った。孫策は怒って館にもどったが、門前に于吉が立っているのが見えたので、館にははいらず、 斬そのまま全軍を揃えて城外に陣屋をかまえ、袁紹に加勢して曹操を討つべく諸将を召して出陣の協 を 吉議をした。しかし、大将たちはロを揃えて言った。 て「殿にはご気分すぐれぬいま、軽々しく出陣召されるは宜しくございませぬ。ご全快を待って出陣 怒なされても遅くはご、りますまい」 王 霸 この夜、孫策は陣屋に寝たが、またまた于吉が髪をふりみだして現われたので、幕中で夜通し怒 ことづて 鳴りつづけた。翌日、呉太夫人から館にもどるよう一 = ロ伝があったので、帰って母親に対面した。夫 回 人が孫策の変わりはてた相貌に、涙を流して、 第「何とまあ痩せてしまったこと」 と言ったので、すぐさま鏡をとって顔をうっして見ると、なるほど、げつそりと頬のそげた己の 顔に、思わず愕然として左右の者をかえりみ、 てら やかた
わざわ いたさるべし。地方におらせるは、後の禍いとならん。 この使者が書面をたずさえて長江を渡ろうとした時、警備の者に捕えられて孫策の前に引き出さ れた。孫策は書面を見て大いに怒り、その使者を斬ったうえ、人をやって他事にかこつけて許貢を 呼び寄せた。許貢が罷り出るや、孫策は書面をつきつけて、 「貴様はわしを死地へ追いやろうとしたな」 となじり、武士に命じて縊り殺させた。許貢の家族はみな逃げ去ったが、彼の家に寄食していた 三人の者は、仇を討とうとして機の至るのを待っていた。 たんと 斬 一日、孫策は軍勢をひきいて丹徒県の西山に巻狩をもよおしたが、一頭の大きな鹿を狩り出して、 を 士ロ」お」 一騎、馬を躍らせて山の上まで追って行った。途中、林の中に槍や弓を持った三人の男が立っ てているのを見かけたので、馬をとめ、 怒「その方らは何者か」 と尋ねたところ、 そんけん 「韓当殿 ( 孫堅の時からの部将 ) の手の者でございます。ここで鹿を射止めようと待っておりまし 回 十 もも と言うので、そのまま行き過ぎようとしたとき、一人が槍をとりなおすなり孫策の左の腿にぐさ 第 はいけん りと突きたてた。驚いて孫策、急いで佩剣を引きぬき、馬上から斬りつけようとしたところ、刀身 よこつら が抜け落ちて柄だけが手に残った。その隙にもう一人が放った矢が、孫策の横面にはっしとばかり かんとう まか
よろい 「あの絹傘の下に、錦の戦袍に金の鎧を着、薙刀を手に馬をとめておるのが、顔良じゃ」 関公、きっと見やって、 「あの男は、首に売り物の札を下げておるように見えまする」 「うかとは侮れぬそ」 関羽、立ち土がって、 「それがしふつつかながら、敵陣の真只中にてあの首をとり、丞相に献上っかまつりましよう」 張遼、 ぎれごと 事「雲長殿、陣中にての戯言は許されませぬぞ。侮って仕損じられるな」 まなこ 公関公、勇躍馬にまたがって、薙刀片手に山を駆け下り、切れ長の眼かっと怒らせ、太い眉をきり てりと逆立てて敵陣に駆け入れば、河北の軍勢わっと波のように分かれるところを、顔良目指して殺 屯到した。顔良は絹傘の下にあったが、関公がすさまじい勢いで突き進んで来たので声をかけようと 臨した時、赤兎馬早くも眼前に迫り、薙刀を構えるいとまもなく、雲長の薙刀一閃して馬下に斬って 落とされていた。関公ひらりと飛びおりてその首を掻ききり、馬首にくくりつけるなり馬に飛び乗 回 五つて、敵陣を駆けいでたが、その勢いあたかも無人の境を行く如く、河北の将兵はただただ仰天し しるし 第て、戦わずして総くずれとなった。曹操の軍勢はその機に乗じて揉み立て、首級無数をあげ、馬、 物の具、槍などおびただしく分捕った。関公は一気に山を駆け上がり、大将たちのやんやの喝采の 中を、曹操の前に首級を差し出した。 あなど じんばおり ( 注二 )
りゅう 雲長が数騎をしたがえて、東に西に敵勢を駆け散らすおりしも、劉玄徳が三万の車勢をひきいて 到着した。先に出してあった物見の者が、 ひげ 「今度も顔が赤く髯の長い男が文醜殿を斬りました」 と注進に来たので、玄徳、急いで馬を進めて見れば、河をへだてて一群の人馬、飛ぶが如く馳せ めぐり、旗には大きく『漢寿亭侯関雲長』の七字が書かれている。 「おお、やはり曹操のところにおったのか」 と玄徳はひそかに天地の神々に礼を述べ、呼び寄せて対面しようとしたが、曹操の大軍が寄せて 折来たので、やむなく軍をまとめて引き返した。袁紹は官渡まで救援に出て陣を取ったが、郭図・審 をばい 将配が本陣に罷り出て、 敗「このたびも関雲長が文醜を殺しましたのに、劉備は知って知らぬ振りをしておるものにございま 初 本 と言ったので、袁紹、 ~ 表おおみみ 「大耳の奴、よくもやりおったな」 回 と大いに怒り、間もなく玄徳が来ると、引き出して首を刎ねるよう命じた。 十 第「身どもに何の罪があると申されるのか」 と玄徳が言うと、 「貴様はまた弟にわしの大将を斬らせたではないか。罪がないといえるか」 まか
276 末になさりませぬよう」 えんしよう ちんしん かく話しているおりしも、袁紹からの使者陳震が到着したとの知らせがあった。孫策が召し出 とう′一 すと、陳震は袁紹が東呉 ( 孫策をさす ) と結んで共に曹操を攻めようと考えている由をつぶさに語 やぐら った。孫策は大いに喜んで即日、諸将を集め、城門の櫓に宴席を設けて陳震をもてなした。酒盛り の最中、大将たちが互いにささやきあって次々に下りて行くので、わけを尋ねると、側に控えた者 が一一 = ロ , つのに、 う 「于仙人という方が、いまこの下を通ったので、拝みに行かれたのでございます」 らんかん かくしっ とのこと。そこで席を立ち、欄干にもたれて見下すと、一人の道士が身に鶴幤 ( 道袍。道士の着 あかざ た 物 ) をまとい、手に藜の杖をついて道のまん中に立ち、人々が香を焚き道端に平伏して拝んでいる。 孫策、怒って、 「人を惑わせる奴め。早々に引っ捕えてまいれ」 左右の者が、 きっ 「あのお方は、姓を于、名を吉と申し、東の方に住んで、ここによくおいで下さり、護符を入れた 水を施されて万病をお救い下さる霊験あらたかなお方でございます。当今、人々が仙人と呼んでう やまいおる方にござりますれば、軽々しく扱うことは控えられるが宜しいかと心得ます」 と言ったところ、孫策はますます怒って、叱咤した。 「すぐ捕えて参れ。聞かねば斬るぞ」 れいげん
はきゅう いるとき、周瑜が巴丘より軍勢をひきいて呉郡に立ち帰ったとの知らせがあったので、 - 一うきん 「公瑾 ( 周瑜の字 ) が帰ったなら、もう安心だ」 と言った。元来、周瑜は巴丘を守っていたのであるが、孫策が矢傷を受けたと聞いて、見舞にも ふほう どる途中、呉郡に近づいたときに彼の訃報に接し、夜を日についで馳せつけて来たもの。周瑜が孫 策の柩の前に泣き伏した時、呉太夫人が出て遺一一 = 口を伝えれば、周瑜は、 「それがし及ばずながら一命を投げすててもお役に立たせていただきます」 と平伏した。間もなく孫権が来た。周瑜が挨拶すると、孫権の言うのに、 斬「兄上のご遺命を忘れぬように」 を とんしゅ 吉周瑜、頓首して、 て「肝脳、地にまみるとも、先君の知己のご恩に報いる所存でござります」 怒「父兄の大業を継いだものの、どうしてこれを守ったらよいものか」 ほろ こんにち 「古より『人を得る者は昌え、人を失う者は亡ぶ』と言われております。今日、深謀遠慮の人を 補佐の役に求めることがまず先決、さすれば江東の地を保つこともかないましよう」 回 九「兄上は、国内の事は子布 ( 張昭 ) に問い、 国外の事はすべて公瑾にまかせよとご遺一言なされたぞ」 第「子布殿は賢達の士にござりますれば、ゆうにその大任を果たすこともかないましようが、身ども 8 には才なく、ご遺命に沿いえぬこともあろうかと存じますれば、将軍のご相談役として一人の者を ご推挙いたしたく存じまする」 ひつぎ さか