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検索対象: 三国志演義 2
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1. 三国志演義 2

146 所在はよう分からぬ。聞けば黎陽の陣中には彼の旗じるしが上がっておらぬとかいうが、ここにそ れがあるのは、どうしたことであろう」 「曹操は詭百出の男にござれば、河北に重きを置いて自ら監督にあたりおるに相違ござりませぬ。 故にわざと旗じるしをたてずに、ここにことさらに立ててみせておるもの。それがしは、曹操はこ こにおらぬと思います」 かんうちょうひ 「関羽・張飛、おまえたちのうち誰ぞ実状をさぐりに行って参らぬか」 張飛、 「おれに行かせてくれ」 「おまえは粗暴で、だめじゃ」 張飛、 「曹操がいたらひつつかまえて来てやるわ」 うんちょう 雲長、 「それがしが参って様子を見て参りましよう」 「そなたが行ってくれるなら、わしも安心じゃ」 かくて雲長は兵三千をひきいて徐州の城を出た。 ひひ 時に冬のはじめ、厚い雲たれこめ、雪霏々と乱れ飛ぶ中を、兵馬ものともせで陣を布いた。雲長 なぎなた は馬を駆り薙刀片手に進み出るや、王忠、出でよと呼ばわった。王忠が進み出て、

2. 三国志演義 2

じきじき 「丞相、直々のご出陣なるぞ。すみやかに降参せい」 「丞相を出していただきたい。それがし直々お話しいたしたい 「その方ごとき弱輩に、丞相がお会いすると思うてか」 雲長、烈火の如く怒り、馬を躍らせて打ってかかれば、王忠、槍をしごいてこれを迎えたが、両 馬は接近すると見る間に、雲長、馬を飛ばせて走りぬける。王忠これを追って、山の麓を回ったと 。し き、雲長、馬首を返すなり、大喝一声、薙刀を舞わしてとってかかる。王忠、支えきれす、馬を飛 よろい 起 を ばして逃げようとするのを、雲長、薙刀を左手に持ちかえ、右手で王忠の鎧の上帯をむすとっかん 三で鞍から引きすり下し、小脇にかかえて帰陣したので、王忠の軍勢は四方八方に逃げ散った。雲長 馬は王忠を引っ立てて徐州に帰り、玄徳の前に出た。 お「そなたは何と申す。いま何の職にあるのか。よくも曹丞相の名をかたりおったな」 けんせい お「名をかたったものにはござりませぬ。丞相のご命令によって、それがし虚勢を張り、牽制の作戦 に出ておったもの。実は丞相はここにはおられませぬ」 袁 りゅうたい 玄徳は王忠に衣服、酒食を与えてしばらく監禁しておくよう命じ、劉岱を捕えてから改めて協 回 二議することとした。 第「それがし、兄者に和睦のお心あるのを知って、わざわざ生捕りにして参ったのでござる」 よくとく 「わしも翼徳が乱暴者じやから、王忠を殺しては困ると思って、やらなかったのじゃ。あの者ども は殺したところで益もなし、生かしておいて和睦のために使った方がよいからの」

3. 三国志演義 2

「文遠殿はどこにおわす」 なぎなた と叫んだ。その時、雲長、火の光を受け薙刀片手に馬を躍らせて車胄にとってかかった。 「下郎、よくもわしの兄者を殺そうなどと企みおったな」 車胄は仰天し、数合もせぬうち、かなわじとみて馬首を返すやまっしぐらに逃げもどった。吊り 橋まで来ると、上から陳登に矢を浴びせかけられ、城壁の外を回って落ちのびようとしたが、追い すがった雲長が一刀のもとに馬から斬って落とし、首を手にして門前にもどると、 「謀反人車胄はわしが討ち取った。他の罪なき者は、降参すれば赦してつかわそうそ」 くだ と城壁の上に呼びかけた。かくて城内の者どもは武器を投げ棄てて降り、軍民ともに平常にかえ を 雄った。 て 雲長は車胄の首をもって玄徳の到着を迎え、車胄が危害を加えようとしたので、首を取った由を を細大もらさず語った。玄徳は、 操「曹操が来たら、どうするつもりだ」 と大いに驚いたが、雲長、 回 「それがし張飛とともに迎え撃ちます」 十 第 と言い、玄徳が大いに悔みながらも、徐州に入れば、長老・人民たちが道端に平伏してこれを迎 えた。役所につくなり張飛をさがすと、彼はすでに車胄の一家を皆殺しにしたあと、 「曹操の腹心を殺したとあっては、とうていおだやかには済まされまい」

4. 三国志演義 2

て入城し、城内の人民を安堵させたあと、幕僚たちを集めて下郵攻略の策を練った。荀彧の言うのに、 うんちょう 「雲長は玄徳の妻子を委されております手前あの城を死守いたしましようから、早急に攻め取ら ぬことには、袁紹に隙を襲われましようそ」 「わしはかねがね雲長の武芸、人材に感心しておるので、何とかわしのもとで働かせたいのじゃ。 で、攻めるより誰かに行って貰って降参させたいのじゃが」 「雲長は義を重んする人間でございますゆえ、降参はいたしますまい。人をやっても、殺されるだ けではないかと心得ます」 と郭嘉が言ったその時、幕下から進み出た一人の者、 「それがし関公と面識がございます、なにとぞ使者の役目お申しつけ下さりませ」 一同が見やれば、誰あろう張遼である。すると、程昱が言った。 ぶんえん 「文遠殿がいかに雲長と旧交ありとは申せ、それがしの見るところ、彼は言葉だけで説き伏せるこ とのできる人間ではございませぬ。それがしに一計あり、これにて彼を進退きわまらせ、しかるの ち文遠殿に説得に行ってもらえば、必す丞相のご膝下に参じましよう」 正に、隠し弓にて猛虎を射、好餌にて大魚を釣る、というところ。さてその計とは。それは次回で。 注一牙旗大将の旗。陣頭に立てる大きな旗で、竿の先を象牙で飾るからこういうともいわれる。

5. 三国志演義 2

「まだご存じありませぬ」 「人を殺したのをご存じないとすれば、逃しはせぬ」 と夏侯惇、配下の兵士に下知して関公を取り囲ませた。関公が大いに怒って薙刀をひらめかせ、 二人が正に切先を交えようとした時、一人の武者が馬を飛ばして到着し、 げんじよう 「雲長殿、元譲殿、馬をひかれい」 ちょうりよう と叫んだ。みなが見れば、これぞ張遼である。二人が手綱をひかえて待てば、張遼、近づいて、 き「それがし丞相のご命令によって参った。丞相には雲長殿が関所の大将を斬られた由をお聞きにな を り、途中をさえぎるようなことあってはと懸念されて、各地の関所すべてお通しするよう仰せいだ 疑 弟された」 しんき て「秦琪は蔡陽殿の甥で、わしが蔡陽殿からよくよく頼まれて目をかけて来た者。それをこ奴に討ち 斬取られたとあっては、黙って見すごすことはできぬ」 を 陽と夏侯惇が一 = ロ , っと、張遼、 「それは、それがしが蔡将軍に会ってよく話をつけておく。丞相が大度量をもって雲長殿を許され 回 たものを、貴公まさか背くことはできぬはすじゃぞ」 十 第夏侯惇が仕方なく軍勢を退くことを約束すると、張遼が言った。 「して雲長殿、これからいずれへ」 「兄者がもはや袁紹のところにおられぬと聞いたので、これから天下をへめぐってお尋ねする所存 一いよう

6. 三国志演義 2

を固め、両手に刀をひっさげて陣頭に立ち、 4 「主にそむく下司とは貴様のことだ」 と呂布をさんざんに罵った。呂布が大いに怒って戟をきらめかせて躍り出せば、袁術の部将李豊 が槍をしごいて立ち向かったが、三合せずして、李豊、呂布の穂先を利き腕に受け、槍を投げ棄て て逃げだした。呂布がすかさず手勢に下知してなだれかかれば、袁術の軍勢総崩れとなり、呂布は ばひっかっちゅう これを追い散らして、馬匹甲冑など数知れず分取った。袁術が敗軍をひきいて数里も行かぬうち、 かんうん 山かげより一隊の軍勢が押し出して、退路に立ちはだかった。その先頭に立ったは、誰あろう関雲 ちょう 長。 「逆賊。命をもらったぞ」 と大喝すれば、袁術はあわてふためいて逃げ失せ、他の者どもも八方へ逃げ散るところを雲長に 打ち崩され、袁術は討ち洩らされた手勢をとりまとめて、ほうほうの態で淮南に逃げ帰った。 呂布は勝利を得、雲長や楊奉・韓暹らを迎えて徐州に引きあげると、盛大な酒宴を開いて労をね あく ぎらい、兵士らにも洩れなく引出物を与えた。翌る日、雲長が辞し去ったあと、呂布は韓暹を沂都 の牧、楊奉を瑯堺の牧に推挙するとともに、この両名を徐州に留めおきたく思って、陳珪を呼んで 謚った。すると陳珪が、 「それはなりませぬ。韓・楊両名を山東にやっておけば、一年を出ずして、山東各地はすべて将軍 の手に帰すでござろう」 ( 注こ りほう

7. 三国志演義 2

「死ぬ蔔こ 目し一言いわせていただきたい。曹操はかねてより身どもを忌みきらっておりましたが、こ 幻のたび身どもが殿の御許におるのを知り、身どもが殿におカ添えいたすのを恐れて、わざわざ雲長 な に二人の大将を討たせたもの。殿のお怒りはごもっともなれど、これは殿の手を借りて身どもを亡 き者にせんとの彼の策略にござる。よくよくお考え下されい」 あや 「おお、いかにももっとものこと。その方どもは、危くわしに賢者を害める汚名を着せるところで あったそ」 と、左右の者を引き退がらせ、玄徳を上座になおした。 玄徳が礼を述べて、 「殿の大恩、まことにお報いしようにも術もないほどでございますが、それがし腹心の者に密書を 授けて雲長のもとへ参らせ、それがしの消息を知らせますれば、雲長は必ずやただちに馳せ参じま すから、殿におカ添えして、ともどもに曹操を討ち取り、顔良・文醜殿の仇を討ちたいものと存じ おばしめ ますが、しかが田召き、れますか」 袁紹は大いに喜び、 「雲長が来てくれれば、顔良・文醜を十人得たにもまさるものじゃ」 玄徳はただちに書面をしたためたが、適当な使者が見つからない。袁紹は軍勢を武陽まで退かせ、 か、 ) うとん 陣屋を数十里にわたって掛けさせて、そのまま兵を出そうとしなかった。そこで曹操は夏侯厚に一 きよと 隊をひきいて官渡の要害を守るよう命じて己は軍勢をひきいて許都にもどり、盛んな宴会に文武百 ぶよう

8. 三国志演義 2

220 出迎えて、兵士らをねぎらった。 慰労の宴果てて家に帰った雲長は、内門の前で二人の嫂に挨拶したが、甘夫人に、 - 一うしゆく 「両度のご出陣で、皇叔さまのお便り、なにかお分かりでございましたか」 と尋ねられ、 「いまだ分かりませぬ」 と答えた。関公が退がったあと、二人の夫人は門内で、 「ああ、皇叔さまはもうお亡くなり遊ばしたのじゃ。雲長さまはわたくしどもが心を痛めてはと、 隠しておられるのに違いない」 とはげしく泣いた。泣きつづけている時に、合戦に従った一人の老兵が、あまりいつまでも泣き 声がとまらないので、門外から声をかけた。 「奥方さま、ご安堵なされませ。ご主君はいま河北の袁紹殿のもとにおいでなされまするそ」 「それをどうして知ったのじゃ」 「関将軍のお供をして出陣いたしたおり、陣中にて伝え聞いたのでございます」 夫人方は急ぎ雲長を召し寄せ、 「皇叔さまはこれまでそなたを裏切ったことなぞ一度もありませぬのに、そなたはいま曹操の恩を 受けて昔の恩を忘れ果て、わたくしどもに本当のことを話してくれぬとは、どうしたわけですか」 となじれば、関公、頓首して、 とんしゅ かん

9. 三国志演義 2

194 くび 曹操は頸を振った。 「それでは彼の面倒をみてやっても何もならぬではないか。それは承知できぬ」 いにしえよじようしゅうじんこくし ( 注一 ) 「古の予譲の衆人国士の論もあるではござりませぬか。劉玄徳の如きも、雲長に厚く恩をかけて やっただけに過ぎませぬ。丞相がそれにも増して厚遇し、その心を取り結ばれれば、 いかな雲長と て従わぬはずはござりませぬ」 「なるほど、よう申した。では、その三条、聞き届けてつかわそう」 張遼はふたたび山に登って、関公に返答したところ、関公が、 あによめ 「さらば、それがしいったん城内にはいってこの由を嫂方にお話しいたし、その上で降参いたす ことにいたしたい故、丞相の軍勢はしばらく退いていただきたい」 と一言うので、ふたたび立ち帰ってこのことを曹操に告げた。曹操はただちに軍勢を三十里退くよ じゅんいく う命令し、荀彧が、 「それはなりませぬ。策略かも知れませぬそ」 と言ったが、 「雲長は義を知る男じゃ、言をたがえたりはいたさぬ」 と軍勢をひきいて陣を退いた。関公は兵をひきいて下郵に入り、城内の人民が全く元どおりに暮 かんび らしているのを見ながら玄徳の館に至って嫂二人に会った。甘・糜両夫人は関公が来たと聞いて、 やかた

10. 三国志演義 2

りゅう 雲長が数騎をしたがえて、東に西に敵勢を駆け散らすおりしも、劉玄徳が三万の車勢をひきいて 到着した。先に出してあった物見の者が、 ひげ 「今度も顔が赤く髯の長い男が文醜殿を斬りました」 と注進に来たので、玄徳、急いで馬を進めて見れば、河をへだてて一群の人馬、飛ぶが如く馳せ めぐり、旗には大きく『漢寿亭侯関雲長』の七字が書かれている。 「おお、やはり曹操のところにおったのか」 と玄徳はひそかに天地の神々に礼を述べ、呼び寄せて対面しようとしたが、曹操の大軍が寄せて 折来たので、やむなく軍をまとめて引き返した。袁紹は官渡まで救援に出て陣を取ったが、郭図・審 をばい 将配が本陣に罷り出て、 敗「このたびも関雲長が文醜を殺しましたのに、劉備は知って知らぬ振りをしておるものにございま 初 本 と言ったので、袁紹、 ~ 表おおみみ 「大耳の奴、よくもやりおったな」 回 と大いに怒り、間もなく玄徳が来ると、引き出して首を刎ねるよう命じた。 十 第「身どもに何の罪があると申されるのか」 と玄徳が言うと、 「貴様はまた弟にわしの大将を斬らせたではないか。罪がないといえるか」 まか