「そなたは呂布の配下でも名だたる猛将と聞いた。顔良と勝負して見よ」 と命じた。宋憲は言下に槍を小脇にして馬にまたがり、陣頭に乗り出した。顔良も薙刀を手に門 旗の下に駒をとめていたが、宋憲の馬が近づくや、一声おめいて馬を躍らせ、三合とせぬうち、薙 刀一閃、宋憲を斬り落とした。 「ううむ、見事な腕前じゃ」 ぎぞく と曹操が舌をまくところ、魏続が 約「朋輩の仇、拙者に討たせて下さりませ」 事 と言うので、曹操これを許した。魏続、馬にまたがるや矛をしごき、陣頭に躍り出して、さんざ 公んに顔良を罵った。顔良は物も言わずに斬ってかかり、ただ一合にして、魏続をまっ二つにした。 て「誰そ出ぬか」 し 屯曹操が言うや徐晃が言下に躍り出したが、二十合も打ち合ったすえ、本陣に逃げもどったので、 山諸将、震え上がり、曹操は軍勢をまとめて陣地に帰り、顔良も引き揚げた。 あんたん 一にいい′、 曹操は眼の前で大将二人を失い、心中暗澹たるものがあったが、程昱が、 回 五「顔良を相手にできる者を、それがし一人存じております」 と一一 = ロうので、曹操が誰かと尋ねると、 第 「関公でなくてはかないますまい」 「したが、彼に手柄を立てさせれば、すぐにも行ってしまうのではないか」 じよ - ) う なぎなた
「わしは軍とともに行くが、もし勝てば思うままの威勢を振るえるが、破れればこの命も計りがた と別れを告げ、一同涙ながらに彼の出陣を見送った。 がん . り 4 う 袁紹は大将顔良を先鋒として、白馬県に向かわせることとし、沮授が、 「顔良は勇猛ではございまするが、偏狭な者ゆえ、彼一人にまかせるは如何かと心得まするが」 と諫めたのを、 「わしの大将に、お前らがとやかく口を出すことはない」 きよしよう りゅうえん れいよう と退けて、大軍をひきいて打ち立ち、黎陽に到着した。東郡の太守劉延が急を許昌に告げれば、 曹操は急ぎこれに応ずる策を協議した。関公はこれを耳にして、曹操の前に罷りいで、 「承りますれば丞相にはご出陣とのこと、なにとそそれがしに先陣をお申しつけ下さりませ」 と言ったが、 「将軍のお骨折りをわずらわすまでもない。そのうち事があれば、こちらからお迎えに上がる」 と言われて、引退がった。曹操は十五万の軍勢を三手に分けて進んだが、ひきもきらぬ劉延より し はげやま の早馬に、ます自ら五万をひきいて白馬県に進出し、土山を背に陣を布いた。眼前にひろがる平野 を眺めやれば、顔良のひきいる先鋒の精兵十万が堂々の陣形を張っている。曹操は鼻白んだが、か そうけん って呂布の配下にあった宋憲を顧みて、 て、 とう まか
209 第二十五回土山に屯して関公三事を約し・・ しん 注一予譲の衆人国士の論予譲は戦国時代の晋の人。はじめ六卿の范・中行氏に仕えたが重用されなか ったため辞して同じ六卿の智伯に仕えて厚遇された。のち智伯が趙襄子に亡ばされると、「士は己を 知るもののために死し、女は己をよろこぶもののために容る ( よそおう ) 」と復讐を誓い、何度か趙 襄子を刺そうとして失敗、ついに自殺した。そのとき、襄子に、二君に仕えたことを責められ、 「范・中行氏は自分を衆人 ( 並みの人間 ) として遇したので自分も衆人として報いたが、智伯は自分 を国士として遇してくれたので自分も国士として報いるのである」といった。『史記』刺客列伝に見 える故事。 二関羽、顔良を斬る個所ここに、嘉靖本では次のように注している。「もともと顔良が袁紹の前を辞 し去る時、玄徳が『身どもに関雲長と申す弟がござる。その身の丈九尺五寸、鬚の長さ一尺八寸、 きいろまだら じんばおり 顔はくすべた棗の如く、眼は切れ長、太く濃い眉をした男で、緑色の戦袍を着用し乗馬は黄驃、青 竜の大薙刀の使い手じゃが、曹操のところにおるに相違ござらぬから、もし見かけられたら、急い で来るようお伝え下さらぬか』とひそかに頼んだ。それ故、顔良は関公の来たのを見て、彼が逃れ て来たものとのみ思いこみ、手向かいする心もないうち関公に斬って落とされたのである」 なつめ
「もし劉備が生きておれば、袁紹のもとに身を寄せておるに相違ござりませぬ。いまもし雲長を使 2 って袁紹の軍勢を破らせれば、袁紹は必すや劉備を疑って殺すでござりましよう。劉備が死ねば、 雲長とて出て行きようがありますまい」 曹操は大いに喜び、人をやって関公を迎えに行かせた。関公がただちに嫂たちに暇乞いに行くと、 嫂たちの言うのに、 「おでかけの上は、どうそ皇叔さまの消息をさぐって来て下さりませ」 せきと 関公は仰せをかしこまって引き退がり、青竜刀をひっさげ赤兎馬に打ち乗り、従者数人を連れて、 まみ ただちに白馬に至って曹操に見えた。 「顔良のために大将二人をつづけざまに討ち取られ、どうにも手が出せぬので、ご足労を願ったの 「しばらく様子を見させて下さりませ」 曹操が酒を出してもてなすところへ、とっぜん、顔良が戦いを挑んで来たとの知らせに、曹操は はげやま 関公をともなって土山の頂に上り、形勢を見た。大将たちがぐるりを取りまいて立った中に関公と ともに坐った曹操は、山麓に色とりどりの旗さしものを立てつらね、槍薙刀を林立させた顔良の 堂々たる陣容を指さしながら、 「どうじゃ河北の軍勢は。なかなか見事なものであろうが」 かわらけ 「それがしの目からすれば、焼物の鶏、土器の犬のようなものにござる」
210 しようよう えんしようげんとく さて袁紹が玄徳を斬らせようとした時、玄徳が従容として進み出で、 「殿には一方の言葉にのみ耳を傾けられて、これまでの誼みを絶とうとされるのでござるか。身ど もは徐州にて別れ別れになって以来この方、弟たちの生死すら存ぜずにおりまする。天下に似た者 せきめんちょうぜん うんちょう は数あり、赤面長髯なればとて、雲長とは限りますまい。この段とくとお考え下され」 そじゅ 袁紹は己の考えを持つ人間ではないので、玄徳の言葉を聞くや、沮授を叱って、 「そなたのおかげで、罪もない方を殺すところであった」 がんりよう すべはか と、元どおり玄徳を上座になおし、顔良の仇を討っ術を諮った。その声に応じて進み出た一人 の武者、 そうそう 「顔良はそれがし兄弟同然に親しくしておった者。それが曹操に討たれたとあっては、それがし仇 を返さでおられましようか」 第二十六回 えんほんしよいくさやぶ 袁本初兵に敗れ将を折れ かんうんちょう 関雲長印を挂け金を封ず うた ふう
「将軍、恐れ入りましたそ」 ちょうよくとく 「なんのそれがし如き。舎弟張翼徳なら、百万の軍中にて大将の首をとるにも、袋の中の物をと るが如きものにごギ、る」 曹操は大いに驚き、左右を顧みて、 ちょう 「この先、張翼徳に会うようなことあらば、よくよく用心いたせ」 と言い、着物の襟にその名を書きつけておくよう命じた。 せきめんちょうぜんおおな さて顔良の敗軍が逃げもどって来ると、途中で進んで来た袁紹に会ったので、赤面長髯の大薙 なた 刀を使う猛将がただ一騎で駆け入り、顔良を斬って立ち去ったため、この惨敗を喫したのだと報告 した。袁紹が驚いて、 「それは何者じゃ」 そじゅ と尋ねると、沮授が、 「それは劉玄徳の弟、関雲長に相違ございませぬ」 と答えたので、袁紹は大いに怒り、玄徳に指つきつけて、 「おのれ敵に内通して、弟にわしの気に入りの大将を斬らしおったな。もはや生かしてはおけぬ」 と、刑吏に玄徳を引き出して打ち首にするよう命ずる。正に、賓客となったのもっかの間に、 日は死を待っ捕われの身、というところ。さて玄徳の命はどうなるか。それは次回で。
よろい 「あの絹傘の下に、錦の戦袍に金の鎧を着、薙刀を手に馬をとめておるのが、顔良じゃ」 関公、きっと見やって、 「あの男は、首に売り物の札を下げておるように見えまする」 「うかとは侮れぬそ」 関羽、立ち土がって、 「それがしふつつかながら、敵陣の真只中にてあの首をとり、丞相に献上っかまつりましよう」 張遼、 ぎれごと 事「雲長殿、陣中にての戯言は許されませぬぞ。侮って仕損じられるな」 まなこ 公関公、勇躍馬にまたがって、薙刀片手に山を駆け下り、切れ長の眼かっと怒らせ、太い眉をきり てりと逆立てて敵陣に駆け入れば、河北の軍勢わっと波のように分かれるところを、顔良目指して殺 屯到した。顔良は絹傘の下にあったが、関公がすさまじい勢いで突き進んで来たので声をかけようと 臨した時、赤兎馬早くも眼前に迫り、薙刀を構えるいとまもなく、雲長の薙刀一閃して馬下に斬って 落とされていた。関公ひらりと飛びおりてその首を掻ききり、馬首にくくりつけるなり馬に飛び乗 回 五つて、敵陣を駆けいでたが、その勢いあたかも無人の境を行く如く、河北の将兵はただただ仰天し しるし 第て、戦わずして総くずれとなった。曹操の軍勢はその機に乗じて揉み立て、首級無数をあげ、馬、 物の具、槍などおびただしく分捕った。関公は一気に山を駆け上がり、大将たちのやんやの喝采の 中を、曹操の前に首級を差し出した。 あなど じんばおり ( 注二 )
りゅうひょうと 「殿には明日、袁紹に対面いたされ、荊州へ行って劉表を説きつけ、共に曹操を討つようにして 来ると申されれば、ここを脱け出すよい口実となりましよう」 「それは妙案じゃ。さりながら、そなたはわしといっしょに来られるのか」 「それがしは別に亠丐えが。こき、います」 かくて手筈がととのうと、翌る日、玄徳は袁紹の前に出て言った。 じよう りゅうけいしよう 「劉景升殿は荊・襄の九郡を領し、屈強の軍勢を擁して兵粮の貯えも多いことゆえ、誼みを結ん きでともに曹操を討つのが宜しかろうと存じまするが」 を「わしも前に使者をやったのだが、承知しないのじゃ」 弟「彼は身どもと同族でござれば、身どもが参って利害を説けば、承知せぬことはありますまい」 りゅうへき 「もし劉表を味方につけることができるなら、劉辟ごときとは比較にならぬ」 て 斬と言って、袁紹は玄徳に行くように命じ、重ねて、 を 陽「ところで、近頃、関雲長が曹操のもとを立ち退いてこちらに来る途中であるとか聞いたが、わし は奴を殺して、顔良・文醜の恨みを晴らそうと思っておる」 回 八「殿は先には彼を召し抱えようとされて、身どもに呼ばせられましたに、殺そうとなされるのは解 第せませぬが。しかも雲長を虎とすれば、顔良・文醜ごときは鹿のようなもの。鹿を二頭失ったとこ ろで、虎を一頭得られる上は、恨みとされるには及ばないではござりませぬか」 ワ 1 袁紹笑って、
「死ぬ蔔こ 目し一言いわせていただきたい。曹操はかねてより身どもを忌みきらっておりましたが、こ 幻のたび身どもが殿の御許におるのを知り、身どもが殿におカ添えいたすのを恐れて、わざわざ雲長 な に二人の大将を討たせたもの。殿のお怒りはごもっともなれど、これは殿の手を借りて身どもを亡 き者にせんとの彼の策略にござる。よくよくお考え下されい」 あや 「おお、いかにももっとものこと。その方どもは、危くわしに賢者を害める汚名を着せるところで あったそ」 と、左右の者を引き退がらせ、玄徳を上座になおした。 玄徳が礼を述べて、 「殿の大恩、まことにお報いしようにも術もないほどでございますが、それがし腹心の者に密書を 授けて雲長のもとへ参らせ、それがしの消息を知らせますれば、雲長は必ずやただちに馳せ参じま すから、殿におカ添えして、ともどもに曹操を討ち取り、顔良・文醜殿の仇を討ちたいものと存じ おばしめ ますが、しかが田召き、れますか」 袁紹は大いに喜び、 「雲長が来てくれれば、顔良・文醜を十人得たにもまさるものじゃ」 玄徳はただちに書面をしたためたが、適当な使者が見つからない。袁紹は軍勢を武陽まで退かせ、 か、 ) うとん 陣屋を数十里にわたって掛けさせて、そのまま兵を出そうとしなかった。そこで曹操は夏侯厚に一 きよと 隊をひきいて官渡の要害を守るよう命じて己は軍勢をひきいて許都にもどり、盛んな宴会に文武百 ぶよう
ちんりん 「陳琳とか聞いております」 「文事ある者は、武略をもってこれを充実いたさねばならぬ。陳琳の文章はたしかに見事だが、袁 紹の武略の不足の方は、どうともなるまい」 と曹操は笑い、幕僚たちを呼んで敵を迎え撃っ策を練った。 とうりゅう 「この時、北海の太守孔融は将軍に昇せられて、許都に逗留していたが、袁紹の軍が攻め上ると ーし 、て〕曹操の館に罷り出て、 を「袁紹の勢いはなかなかのものにござれば、合戦を避け、和を講ぜらるるが至当かと存じます」 じゅんいく と一一一一口 , っと、 ~ 旬一が、 「袁紹は無能な男、和睦なそする要がどこにござる」 きょゅうかくと しんばい お「袁紹の領土は広く、人民は強く、部下の許攸・郭図・審配・逢紀らは、いずれも智謀にたけ、田 こうらんちょう がんりようぶんしゅう ばうそじゅ お 豊・沮授らはみな無二の忠臣。また顔良・文醜ごとき三軍に冠たる勇者あり、その他の高覧・張 こうじゅんうけい 曹 部・淳于瓊らはいずれ劣らぬ当代の名将。袁紹の無能よばわりは解せませぬが」 袁 荀彧はからからと笑って、 回 友ま貪欲であくことなく、 「袁紹の兵は多いとは申せ軍律乱れ、田豊は剛直にして上にさからい、許イ。 十 審配は我意強くして策なく、逢紀は勇あれど人の言を用いぬ。これらの者はともすれば意見合わず、 第 昭必す内紛を生じましよう。顔良・文醜は匹夫の勇に過ぎぬ故、一戦にして手捕りとすることもかな いましよう。その他の取るにもたらぬ者どもは、たとい百万ありとも、恐るるには及びませぬ」 第一うゆ・つ ひつぶ ほうき