馬 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 2
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1. 三国志演義 2

ころを、山賊に襲われてその半ばを奪い去られました。聞けば劉備の弟張飛が、山賊といつわって 馬を奪ったものとのことにございます」 聞いて呂布は大いに怒り、ただちに兵をととのえて小沛に至り張飛にいどんだ。玄徳はこれを聞 いて大いに驚き、あわてて兵をひきいて出陣した。両軍布陣を終わるや、玄徳馬を進めて、 「兄者、この度の出陣はいったいいかがなされてか」 呂布は指をつきつけ、 「わしが轅門で戟を射当て、貴様の大難を救ってやったのを忘れたか。なんでわしの馬をとったの 「それがし、馬が少ないため、人をやって各地から買い集めておりまするが、兄者の馬を奪おうな そとは考えたこともござらぬ」 「貴様は張飛にわしの良馬百五十頭を奪いとらせておきながら、なおしらをきるのか」 張飛、槍をしごいて馬を乗り出し、 「たしかに、お前の大事な馬をとったのはおれだ。それで、どうしようと言うのだ」 「目玉野郎。かさねがさねわしを馬鹿にしよったな」 「おれが貴様の馬をとったと言って怒っているが、貴様だっておれの兄貴の徐州を奪いとったでは 呂布は物も言わずに戟をしごき張飛目がけて躍り出し、張飛も槍をしごいて迎えうった。二人、

2. 三国志演義 2

「あいや、しばらくお待ち下され。貴公にお見せしたいものがごギ、る」 と彼を書院に伴い、詔を取り出して見せた。 馬騰はそれを読むや、髪を逆立て、きりきりと歯を噛みしめた。そして、破れた唇より血を滴ら せながら言うのに、 「貴公が事を起こされる時には、それがし西涼の軍勢をひきいて馳せ参じましようぞ」 董承は彼を一同に引き合わせ、連判状を取り出して、馬騰にも名を連ねさせた。 馬騰は盃をとって血を滴らせ、それを飲んで誓った。 「われらは死しても盟約にそむくまいぞ」 しそして席上の五人を指さしながら、 じようじゅ 打「これが十人になれば、大事の成就疑いないのだが」 田「忠義の士は、なかなかおるものではない。いかがわしい者を加えたりすれば、かえって為になら 瞞ぬ」 えんこうろじよば 曹と董承が言うと、馬騰は鴛行鷺序簿 ( 職員録 ) を取りよせて繰っていたが、劉氏の一門まで来た 回 とき手を打って、 十 「この人こそ、その人だ」、 第 一同がその名を尋ねると、馬騰はあわてずさわがず、その人の名を言い出す。正に、国舅に下っ た詔、ここに皇族乗りいだす、というところ。さてその馬騰の言葉とは。それは次回で。

3. 三国志演義 2

214 「文醜は河北の名将なるぞ、誰か手捕りにして参れ」 ちょうりようじよ・」う 張遼・徐晁の両名が轡を並べて馬をとばし、 「文醜、待てい」 と呼びかける。文醜は振り返って二人が追って来るのを見るや、鉄の槍を小脇にかいこんで弓に 矢をつがえ、張遼目掛けてひょうと放った。徐晁 「おのれ、弓はやめい」 と叫び、張遼さっと前にかがめば、矢は兜に当たって緒を絶ちきった。張遼がなにくそと馬に乗 りなおして追いすがるところを、またも文醜の放った矢がはっしと頬に突き立ち、馬も前足を折っ てのめったので、まっさかさまに落馬した。文醜してやったりと馬首を返して駆け寄ろうとするの を、徐晁は車輪のように大斧を振りまわしてさえぎったが、文醜の軍勢が押し寄せて来たのを見て、 とてもかなわすと馬を返して逃れた。一文醜、河に沿ってこれを追ったが、にわかに旗じるしをひる なぎなた がえして十騎あまりが現われ、一人の大将がまっ先に薙刀をきらめかせて近づいた。これそ関雲長、 「賊将、止まれ」 おじけ と大喝一声、文醜と馬を馳せたがえたが、三合せずして文醜はやくも怯気づいて河づたいに逃れ ようとする。関公の馬は早く、文醜に追いすがるなり背後から薙刀一閃、文醜を斬って落とした。 曹操、丘の上から関公が文醜を斬ったのを見て、大軍を一挙にかからせれば、河北の軍勢は大半、 河中に落ち、兵粮、馬なぞはふたたび曹操の手に取りもどされた。 かぶと

4. 三国志演義 2

状に署名するよう求めた。子服が言った。 「お二方、しばらくここでお待ち下されい。身どもは呉子蘭殿を呼んで参る」 王子服は間もなく呉子蘭を伴って来、呉子蘭は一同と会って、同じく署名をした。董承は一同を 奥の部屋にさそって共に酒をくんだ。 せいりよう ばとう そこへ、とっぜん西涼の太守馬騰の来訪が報ぜられたので、 董承が、 「わしは病気でお会いできぬと言え」 と言い、門番がそれを伝えると、馬騰は大いに怒った。 とうか し「わしは昨夜東華門外で、董承殿が錦の袍に玉帯をつけて退出されるところをこの目で見た。仮病 打をつかうとは何事だ。用があって来たのに、何故会わぬのか」 許門番が、馬騰の怒っている由を伝えると、董承は席を立ち、 瞞「おのおの方しばらくお待ち下されい。ちょっと会って参るによって」 曹 と言って、客間に出て馬騰を通させた。挨拶が済んで席に着くと、馬騰が言った。 回「それがし上京の用務を終え帰任いたすについてわざわざご挨拶に上がったに、なんで避けようと 第なされたのでござる」 四「急に加減が悪くなったものでお出迎えもいたさず、平にご容赦下されい」 「したが、お顔の色つや、とてもご病気とは見えませぬな」

5. 三国志演義 2

に無数の騎馬武者が、長柄の槍をしごいて殺到している。典韋がここを先途と斬りまくり、二十人 かち あまりを倒してようやく敵を退けたと思えば、後詰の徒歩の一隊が進み出て槍ぶすまを作る。典韋 よろい は鎧もつけす、数十の傷を受けながら、死に物狂いに駆けまわった。刀の刃こばれがはなはだしく 九人を殴り殺すありさまに、 物の用に立たなくなるや、それを投げすてて素手で立ち向かい、ノ 敵兵は遠巻きにして、矢を雨の如く射かけて来るのを、なおもひるます門に立ちはだかって寄手を くいとめるうち、如何せん本陣の裏手が破られ、後から迫った敵の槍先が背中に突き立った。典韋 は数回おめき叫んだかと思うと、血をあたり一面に流して相果てたが、彼が死んでも、しばらくは 門をはいろうとする者がなかった。 さて曹操は典韋が門をさえぎっている間に、裏手から馬に乗って逃れたが、曹安民ただひとり、 ベルシャ みぎひじ 徒歩で随った。曹操は右臂に矢を受け、馬も三本受けたが、幸いその馬が大宛種の良馬であったの で、痛みにもめげず、飛ぶように走った。ようよう清水のほとりにたどりついた時、賊兵に追いっ かれ、曹安民は斬りきざまれて肉泥と化した。曹操は馬を急がせ流れを押し分けて向う岸に上がっ そうこう たところ、飛来した矢が馬の眼に突き立って、馬はどうと師れた。長子曹昻が己の乗馬を差し出し たので、それに乗りかえて先を急ぎ、曹昻は浴びせかけられる矢の下で死んだ。曹操はようよう落 かこうとん ちのび、途中諸将に行き逢って討ちもらされた兵を手許に集めた。時に、夏侯惇のひきいる青州の へいりよういうきん 兵が、占領下の民家に略奪を働いていたのを、平虜校尉于禁が手勢をひきいて掃討し、農民を安堵 させた。青州の兵は逃げ帰って、曹操に、于禁が謀反し、青州の軍勢を攻撃していると訴えた。曹

6. 三国志演義 2

じきじき 「丞相、直々のご出陣なるぞ。すみやかに降参せい」 「丞相を出していただきたい。それがし直々お話しいたしたい 「その方ごとき弱輩に、丞相がお会いすると思うてか」 雲長、烈火の如く怒り、馬を躍らせて打ってかかれば、王忠、槍をしごいてこれを迎えたが、両 馬は接近すると見る間に、雲長、馬を飛ばせて走りぬける。王忠これを追って、山の麓を回ったと 。し き、雲長、馬首を返すなり、大喝一声、薙刀を舞わしてとってかかる。王忠、支えきれす、馬を飛 よろい 起 を ばして逃げようとするのを、雲長、薙刀を左手に持ちかえ、右手で王忠の鎧の上帯をむすとっかん 三で鞍から引きすり下し、小脇にかかえて帰陣したので、王忠の軍勢は四方八方に逃げ散った。雲長 馬は王忠を引っ立てて徐州に帰り、玄徳の前に出た。 お「そなたは何と申す。いま何の職にあるのか。よくも曹丞相の名をかたりおったな」 けんせい お「名をかたったものにはござりませぬ。丞相のご命令によって、それがし虚勢を張り、牽制の作戦 に出ておったもの。実は丞相はここにはおられませぬ」 袁 りゅうたい 玄徳は王忠に衣服、酒食を与えてしばらく監禁しておくよう命じ、劉岱を捕えてから改めて協 回 二議することとした。 第「それがし、兄者に和睦のお心あるのを知って、わざわざ生捕りにして参ったのでござる」 よくとく 「わしも翼徳が乱暴者じやから、王忠を殺しては困ると思って、やらなかったのじゃ。あの者ども は殺したところで益もなし、生かしておいて和睦のために使った方がよいからの」

7. 三国志演義 2

おじけ 怯気をふるって来ようといたしませぬ。それがし腹にすえかねてその武者を討ち取ろうとしたとこ % ろ、さんざんに突きたてられ、三カ所も手傷を受けましたので、殿に注進に参りました」 玄徳が訊いた。 「その者はどのような顔立ちをしておる。名はなんと申した」 「世にもまれな豪傑と見うけましたが、名は存じませぬ」 かくして関公が先頭きって馬を走らせ、玄徳も後に続いて、一散に臥牛山に駆けつけた。周倉が かっちゅう 麓から悪口を浴びせかければ、その大将は甲冑に身をかため、槍を小脇に馬にまたがって、配下 をひきいて山を下りて来た。それを見るや玄徳、馬に一鞭くれて躍り出し、 しりようちょううんあざな 「そこに来るのは子竜 ( 趙雲の字 ) ではないか」 と叫んだ。その大将は玄徳の姿を見るなり、馬からまろびおりて、道端に平伏した。まぎれもな 、趙子竜だったのである。玄徳・関公も馬をおりて挨拶をかわし、どうしてここに来たのかと尋 ねた。すると、 こうそんさん 「それがしが殿とお別れいたしたのち、公孫璟は人の諫めを聞かず、合戦に破れて自ら火中に投じ て死にました。その後、袁紹よりしばしば招かれましたるが、袁紹は人の器をはかれる人間ではな おんもと いと思いましたので、彼のところには参りませんでした。その後、徐州へ赴いて殿の御許に馳せ参 ぜんとしましたものの、徐州が落ち、雲長殿が曹操に降られ、殿も袁紹のもとに身を寄せられたの を聞いて、何度か馳せ参ぜんものと思いながらも袁紹に疑われはせぬかと思えば行くこともならす、 うつわ

8. 三国志演義 2

200 という返事。曹操が側の者に馬を引いて来るように命じれば、たちまち引いて来られたのは、火 のように赤く、見るからに勇壮な名馬である。曹操これを指さして、 「この馬を知っておいでかな」 りよふ せきと 「呂布の乗っておった赤兎馬ではござりませぬか」 「そ , つじゃ」 と曹操は、鞍や轡をつけて関公に贈った。関公が繰り返し礼を述べると、曹操は不満の面持で、 きんばく 「これまでたびたび美しい女や金帛なそを差し上げたが、一度も礼を言ってくれたことがなかった のに、馬を差し上げたらこうも喜んで礼を言うとは、人間よりも畜生の方が大事だとでもお思い こんにち 「それがしこの馬が日に千里を走ることを存じております。今日幸いにもこれが手に入りし上は、 いったん兄者の行方が分かりました時に、一日にて対面することがかないましよう」 ほぞ 曹操が愕然として後悔の臍をかむうち、関公は辞し去った。彳 麦の人が嘆じた詩に、 威は三国を傾けて英豪を著わし 一宅分居して義気高し 奸相枉しく虚礼をもって待せしとも いずくん 豈そ知らん関羽曹に降らざることを むな くつわ あら

9. 三国志演義 2

110 董承が返す言葉もなく口をつぐんでいる時、馬騰は荒々しく立ち上がり、階を下りながら吐き 出すように言った。 「誰も腰抜けばかりか」 董承はその言葉にはっとなって、彼を引き留めた。 「腰抜けとは誰のことでござるか」 「許田の巻狩の事では、それがしでさえ怒りをおさえかねているほどであるのに、貴公は皇室につ らなる身でありながら、酒色におばれ、国賊を討とうとも思わぬこのありさま。皇室のため難を除 こうとする人などとはロが腐っても申せぬわ」 董承は敵の回し者であってはと、わざと驚いたふりをして、 「曹丞相は国の大臣、天子のご信任厚いお方でござるに、貴公はなんでそのようなことを仰せられ るのか . 」 馬騰は大いに怒って、 「貴様は、まだ曹操を信じているのか」 「壁に耳ありと申す。お声が高うござるぞ」 「何たる腰抜け。お前ら如きとは話もできぬわ」 と、言うなり馬騰はふたたび席を立とうとした。 董承はその忠義の心を見抜いたので、 きぎはし

10. 三国志演義 2

「たとい丞相が屈強の者どもを繰り出そうと、わしは命の限り戦ってみせるぞ」 と雲長が馬を橋の上に止め、遙かに眺めやれば、曹操が数十騎を随え馬を飛ばせて来るのが見え きょちよじよこう うきんりてん た。後に続くのは許緒・徐晃・于禁・李典などの面々である。曹操は関公が薙刀を小脇にして馬を 橋上に止めているのを見ると、諸将に馬を止めてわきに立ち並ぶよう命じ、関公はみなが武器を手 にしていないのを見て、ようやく緊張を解いた。 「雲長殿、いかがなされたな、このとっぜんの旅立ちは」 関公は馬上で身をかがめ、 走「かねて丞相のお許しをいただいておりましたるが、このたび旧主が河北におることを知りました で やかた 騎ので、かくは急いだものにござります。何度かお館に参上っかまつりましたが、お目通りがかなわ をなかったので、是非なく書面にてご挨拶にかえ、金は封じ印は遺しおいて、丞相にお返しいたしお 千きましてござる。当初のお約束、なにとぞご想起下さりまするよう」 髯「天下の信頼を得ようとしておるこのわしが、前一言を翻すようなことはせぬ。ただ将軍が途中お困 りになることがあってはと気掛りじゃったので、路用を受け取っていただこうと思って参ったのじ 回 一人の大将が乗馬のまま黄金を盆にのせて差し出すと、 第 ちょうだい 9 「たびたび頂戴いたした物だけでもあり余るほどでござります。これはお手許に留めて将兵への 引出物にお当て下さりませ」