馬 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 4
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1. 三国志演義 4

182 じようしよう 「丞相の錦袍は、われら外様の者に賜わって然るべし、ご一門よりの抜け駆けはご遠慮下されい」 と叫ぶ。曹操が見れば、文聘である。一同が、 ちゅうぎよう 「文仲業殿の手並、拝見したいもの」 と言い合ううち、文聘が馬を飛ばせながらひょいと放てば、これまた見事、赤丸を貫く。一同ど っとどよめき、銅鑼太鼓が轟き渡る。 ちょうだい 「袍、頂戴仕る」 文聘が大音を挙げたところへ、赤の組から躍り出した一人の大将、 「文烈 ( 曹休 ) が先に射当てたものを、横合から取ろうとはちょこざいな。それはわしがいたたい ておく」 と大喝するなり、弓をひきしばってひょうと放てば、同じく赤丸に突き立つ。同ゃんやとほめ そう - 一う そやしてその人を見れば、これそ曹洪である。曹洪が袍を取りに向かおうとするところへ、緑の組 からまたも一人の大将が駆けて出て、弓を高々とさし上げ、 「おのおの方ごとき事は誰にでもできるわ。それがしの手並を見られよ」 も・しう・一う と叫ぶ。一同が見れば、張部である。張部、馬を飛ばすと見るや、ひらりと身をひねってうし ろざまに矢を放てば、これまた赤丸に突き立ち、四本の矢、赤丸に集まる。 「見事、見事」 と一同、ロを揃えて囃し立て、張部が、 「錦の袍はそれがし申し受けたり」 ぶんれつ はや ぶんべい たま

2. 三国志演義 4

「わしを欺くのか」 と彼は怒った。 「敵勢が連日わが陣の前に来て悪態をついて行くのを、わしはとうに知っておる。程仲謀殿 ( 程 普 ) は全軍を預りながら、なぜ黙って見過ごしておるのか」 こう言って周瑜は、程普を呼びつけ、そのわけを尋ねた。すると程普は答えて、 「傷口にさわるから貴公を怒らせぬようと、医者に言われておったので、敵が挑んで参ってもお知 らせしなかったのでござる」 「戦わぬとすれば、どうする所存でござったのかな」 「われらの考えでは、いったん江東へ引き揚げ、貴公の傷が治癒するのを待って、改めて出方を決 めようかと思っておったのだが」 これを聞くや、周瑜は床を蹴って起きなおり、 しかばねさら 「大丈夫たる者、国家の禄を食む上は、戦場に屍を晒し、馬の皮に包まれて国に帰ることこそ望 むところ。わし一人のために国家の大事を誤ってよいものか」 と言うなり、鎧を着けて馬にまたがったので、大将たちはただあっけにとられるばかりであった。 かくて数百騎をひきいて陣頭に立ちいでれば、かなたには敵勢が陣型をととのえ、曹仁自ら門旗の 下に乗り出して、鞭を振り上げ、 「周瑜の小せがれめが、もうくたばりおったか。向かって来れるものなら出て来てみよ」 と、その声も終わらぬうち、周瑜がだしぬけに姿を現わすなり、 あぎむ ていちゅうばう

3. 三国志演義 4

を返すと見るや、間髪を入れず、大将たちとともに一斉に駆けぬけた。雲長がふたたび向き直った 時には、すでに曹操らの姿はない。大喝一声すると、兵士たちが一斉に下馬して泣き泣き地面にひ れ伏したので、雲長はますます憐れを覚え、どうしたものかと迷っているところへ、張遼が馬を飛 ばせて来た。それを見るや、雲長はまたも故旧の情がおこり、長い溜息をもらして、全員を許して 立ち去らせた。後の人の詩にもある。 いくさ 曹操兵敗れて華容に走り 正に関公と狭路に逢う 算 ただ当初の恩義の重きがため 」うりよう 容 金鎖を放ち開きて蛟竜を走らしむ 華 て っ あま を曹操が華容の難を逃れて谷の出口まで来、随って来る者どもを見やれば、わずか二十七騎を剰す たいまっ 亮のみであった。この日、暮れ方に及んでようよう南郡に近づいた時、松明をあかあかと輝かした一 諸隊の軍勢が行手に現われた。 回「わしの命もこれまでか」 そうじん 五と曹操が仰天した時、先手の者たちが馬を飛ばせて来た。よくよく見れば、それは曹仁の手の者 である。曹操がほっと安堵の溜息をもらすところ、ついで曹仁が迎えに来て、 「敗戦の事は存じておりましたが、持ち場を離れるのもどうかと思われましたので、近くでお出迎 なんぐん

4. 三国志演義 4

曹操は赤壁で敗れてより、一日として復讐を思わぬことはなかったが、孫権と劉備が力を合わせ けんあん ることを怖れて逸る心を抑えていたのである。時に建安十五年春、銅雀台が落成したので、曹操は し、よう 文武百官を郊郡に集めて盛大な慶賀の宴を催した。この台は潭河のほとりに築かれ、中央は銅雀台、 ぎよくりゅう きんばう 左には玉竜、右には金鳳と名づけられた台がそびえて、それぞれ高さは十丈、中空に二条の橋が みどり かかって、千門万戸、金に碧に輝きを競う。この日、曹操が宝玉をちりばめた黄金の冠をいただき、 ひたたれ 身には緑の地に美しい模様を散らした薄絹の袍を着け、珠玉をちりばめた帯と履といういでたち で台上に着席すれば、文武百官は台の下に居並ぶ。 ひたたれ ゅんぜい きんじゅう せいせんしよく 宴曹操は武官たちの弓勢の程を見ようとして、近習に命じて西川 ( 蜀 ) 産の赤い錦の袍を柳の枝 まと あずち 台 にかけさせ、その下に躱を築かせて的を据えた。それより百歩離れて武官が二手に分かれ、曹家一 雀 ちょうきゅうながみ とギ、ま 銅門の面々は揃いの赤の袍を着、外様の面々は一様に緑の袍を一着して、それそれ雕弓と長身の矢 をたずさえ、馬にまたがり手綱をひかえて号令の下るのを待ち受ける。 大 操「的のまん中の赤丸を射当てた者には、袍をとらすそ。仕損じた者は、罰杯の水を飲ます」 そう 曹操の言葉とともに、赤の隊列から一人の弱年の大将が馬を駆って躍り出た。一同が見れば、曹 回 きゅう 六休である。曹休、馬を乗り廻すこと三度、弓に矢をつがえてきりりと引きしばり、さっと放てば、 どら 第見事、赤丸に突き立ち、銅鑼と太鼓、一斉に轟いて、一同ゃんやの喝采。台上より見ていた曹操も、 「でかしたそ。一門の誇りじゃ」 そう 1 一う と相好をくずして、かの錦袍を取って曹休に与えよと言うおりしも、緑の列から躍り出した一騎、 はや みたび こがね くっ

5. 三国志演義 4

じきじき て直々お教えにあずかることがかなって、大変、嬉しく存じまする」 はくらくしゅう 「蜀の下役人にすぎぬそれがしに、かようなご挨拶、いたみいります。馬は伯楽 ( 周の時の馬の鑑別 いなな の名人 ) に逢えば嘶き、人は知己に遇えば死するとか。張別駕が先日お話しいたしましたること、 将軍にはすでにお心を決められましてござりまするか」 みそさ一い 「それがしとて、人にすがって生きている身でござれば、鷦鷯すら一枝の巣をもち、兎も三つの 穴を持つのに、人間でありながらなんたることかと、つねづね悲しみまた嘆息いたしておる次第。 蜀は豊穣の地ゆえ、かしこに入りたく思わぬわけではござらぬが、劉季玉殿がそれがしと同族であ るゆえ、それもいたしかねておるのでござる」 「益州は天府の国でござれば、名君でなくては治めることもかないませぬ。劉季玉殿は賢者を用う るの能なきため、かの国も間もなく人手に渡ることでござりましよう。今日、自ら将軍にお引き渡 ししようと申し出たのを、受けぬ法はござりますまい。兎を追うには早い者が取ると申す言葉があ るではござりませぬか。将軍がご出馬召されるとなら、それがし一命を賭してご奉公つかまつる所 存にご、さりまする」 玄徳は厚く礼を述べて言った。 「しばらく考えさせて下されい」 この日、宴果てて、孔明が自ら法正を客舎まで送って行ったあと、玄徳が一人、思案をこらして いるところへ、靡統が罷り出て言った。 「事を決すべき時にあたってとまどうのは、愚かな人間のすること。ご英明な殿が、かようにまど

6. 三国志演義 4

れ、いま親しくそれを仰せられなば、この難も脱れることができようかと存じまするが」 曹操はげにもとうなずき、ただちに馬を進めると、雲長に会釈して言った。 「将軍にはその後お変りござらぬか」 雲長も会釈を返して、 「それがし、このたびは軍師の命によって久しく丞相をお待ちいたしておりました」 「それがしはこのたびの合戦に敗れて兵を失い、かかる窮地に立ちいたったが、将軍には往日の情 義に免じて、この場をお見逃し下されたい」 がんりようぶんしゅう ・一うむ 「あいや、それがしとて丞相の厚恩を蒙ったことはござれど、すでに顔良・文醜を斬って白馬で の危地をお救いし、ご恩報じをいたしましたそ。今日は私情は許されませぬ」 「貴殿が、五カ所の関にて守将を斬られた時の事を、まだ覚えておいででござるか。大丈夫たる者 ゅこうしし したくじゅし ぞうけい は信義を重んずるもの。『春秋』のご造詣深い貴殿のことゆえ、痍公之斯が子濯孺子を追った時の ( 注こ ことをご存じでごギ、ろ , つが」 雲長は義を重んずること山の如き人であるから、かっての日、曹操から受けたいくたの恩義、そ して五関の守将を斬って棄てた時のことを思い起こして、心を動かさぬはずはない。その上、曹操 にいん の軍勢が戦々兢々、みな涙を浮かべているのを見ては、惧隠の情を禁じ得なかった。そこで馬首を 返すと、 「散れ」 と手勢に下知した。これは言うまでもなく、曹操を逃がそうとの心からである。曹操は雲長が馬 のが

7. 三国志演義 4

たしまする」 「おお、そなたが行ってくれれば、わしも安心しておれる。散関にも軍勢がおいてあるが、そなた さキ、て ぞうは がとりしきってくれい。さっそく、騎馬武者と歩卒、都合三千をつかわし、臧霸を先手の大将に命 ずるゆえ、後れをとらぬよう、ただちに打ち立て」 徐庶は曹操の前を辞し、臧霸とともに出立した。実は、これが、廳統が徐庶に教えた救命策で あったのである。後の人の詩に、 うれ し 曹操南を征して日々憂えたりしは を 馬騰・韓遂が戈矛を起こさんこと ほうす、う・ 詩 鳳雛一語に徐庶に教えしは 操 つ」りばり 曹 正に游魚の釣鉤を脱するに似たり て 宴 汨曹操は徐庶を差し向けたことで、いくらか不安がおさまったので、馬に乗るとまず岸辺に張った 長 陸上の陣を見回り、次に水上の陣地を視察した。一艘の大船に乗り、その中央に『帥』と書いた旗 八じるしを立てさせた。両側に水軍を並べ、船上には弓、石弓、千張を伏せて、曹操は座につく。時 四に建安十三年 ( 二〇八 ) 十一月十五日、空には一点の雲もなく、風おだやかに浪もない。曹操は言 がくじん 「酒を用意し楽人を集めよ。今宵、この船上にて酒宴をもよおそうそ」 けんあん いくさ しゆったっ なみ

8. 三国志演義 4

呉国太仏寺に新郎を看 第五十四回りゅうこうしゆくどうばうかぐう「 劉皇叔洞房に佳偶を続ぐ げんとく そん 玄徳智もて孫夫人を激せしめ ロこうめい ふた しゅうこうきんいか 第五十五ロ 孔明二たび周公瑾を気らしむ そうそう どうじゃくだいうたげ 曹操大いに銅雀台に宴し - 一うめい しゅうこうきん 第五十六回 孔明三たび周公瑾を気らしむ さいそう - 一う がりようそうとむら 柴桑口に臥竜喪を弔い ほうす・う 第五十七回ら」よう 耒陽県に鳳雛事を理む ばもうき すす 馬孟起兵を興して恨みを雪がんとし たひたたれ 第五十八回そうあまん 曹阿瞞髪を割ち袍を棄っ きょちょ ばちょう 許褶衣を裸いで馬超と闘い ロそうそう まっ かんすい へだ 第五十九ロ 曹操書を抹して韓遂を間っ ようしゅう ちょうえいねんかえ 張永年反って楊修を難じ せいしよく ロほうしげんはか 第六十ロ 士元議って西蜀を取らんとす 登場人物表 ( 5 ) 後漢末地図 ( 8 ) 略年表 ( 川 ) おさ み 145 164 179 197 218 254 236

9. 三国志演義 4

「わしが頂戴したものを、何をぬかすか」 徐晃が言うのに、許褶は物も言わず、馬を飛ばせてぶつかって行く。両馬が近づいて徐晃が弓で 殴りかかれば、許褶はそれをしつかとっかみとるなり、彼を引きずりおろそうとする。徐晃が弓を 棄て、ひらりと地面に下り立てば、許緒も飛び下りて、二人くんづほぐれつ殴り合う。曹操が急い で二人を引き離させた時には、かの錦の袍は跡かたもなく引き裂かれていた。二人を台の上に呼び まなじり 寄せたが、徐晃は眼尻を決し、許緒は歯をかみ鳴らして、はげしく睨み合っているありさまに、曹 操はからからと笑って、 「わしは貴公らの手並のほどを見たいと思っただけじゃ。錦袍の一枚や二枚、惜しくはない」 と、大将たちをすべて台上に呼び、一同に蜀錦一疋ずつを与えた。大将たちがこもごも礼を述べ れば、曹操は序列に従って座に着くよう命じ、楽の音、一時におこって、山海の珍味が運ばれる。 文武百官は互いに盃をかわし、盛大な酒宴となった。 曹操は文官たちを見やって、 「大将たちは存分に騎射の手並をたたかわし、武勇のほどを披露してくれた。貴公たちとて、いず れおとらぬ博学の士、この高台に登った上は、美しき詩文をもってこの盛事を祝ってはくれぬか」 と一一 = ロえば、一同はっとかしこまって、 「承知いたしました」 おうろうしようようおうさんちんりん この時、王朗・鍾緜・王粲・陳琳ら文官たちが、それぞれ書き上げて差し出した詩には、い、 れも曹操の高い徳がたたえられ、天命を受けて至高の位に昇るべしとの心が含まれていた。曹操は

10. 三国志演義 4

「追手がまたやって参った。どうしたらよかろう」 「どうそお先に行って下さりませ。わたくしが子竜どのと後詰をいたします」 言われて玄徳は三百の軍勢をひきい、岸を目指して先へ進み、子竜は夫人の車のかたわらに馬を とめ、兵士たちを展開させて追手を待ち受けた。近づいた四人の大将は、孫夫人の姿を見ると仕方 なく馬を下り、うやうやしく前に立った。 「陳武・潘璋、何をしにまいったのじゃ」 「殿の仰せにより、夫人と玄徳殿をお迎えに参りました」 夫人はきっとなって、 「お前たちは、わらわ兄妹の仲を割こうというのかえ。わらわは玄徳さまの妻、夫のお供をして国 に帰るので、不義の出奔とは事がちがうのじゃそ。わらわは、母上より夫婦して荊州に帰るよう言 われて参ったのじゃ。たとえ兄上であろうと、礼儀をつくして来られるが当然であるのを、お前た ちは軍勢など連れて参って、わらわを殺すつもりなのかえ」 おばしめ こうなじられて四人は顔を見合わせ、互いに『一万年たとうと兄妹は兄妹。それに国太の思召し とあれば、孝心のあつい呉侯のことであるから、親に背くようなことはあるまい。明日になって風 向きが変われば、罪はみなこちらにかかる。ままよ、見て見ぬふりをした方がよさそうだ』と思い また軍勢の中に玄徳の姿が見えず、目を怒らせた趙雲がいまにも斬ってかかりそうな勢いでいるの で、平謝りに謝って引き退がり、孫夫人は再び車を進めさせて遠ざかって行った。 「これより四人して周都督のもとへ参り、事の次第を報告いたそうではないか」