太史慈 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 4
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1. 三国志演義 4

142 りくそんとうしゅう 勢の大半を殺して、勢いにのって呉の陣地まで襲いかかったが、陸遜・董襲が討って出て太史慈 ふかで を救ったので、曹操の軍勢は引き揚げた。孫権は太史慈が深手を負ったので、いっそう心をいため ちょうしよう なんじよ ていたところ、張昭からいったん戦いをやめるようとの進言があったので、兵船を連ねて南徐の てはず じゅん ( 注一 ) 潤州にもどった。軍勢の駐屯の手筈がととのったとき、太史慈の容態が悪くなったので、孫権が 張昭らを見舞いに遣わすと、太史慈は、 「男として、この乱世に生まれた上は、三尺の剣をひっさげて万世に名をあげてこそ本望というも の。それもできずに死なねばならぬのか」 と一声叫ぶなり息絶えた。時に四十一歳。後の人が詩をつくって彼を讃えて言うのに、 た 志を矢っ忠孝を全うせんと とうらい 東莱の太史慈 えんさい あき 姓名遠塞に昭らかに 弓馬雄師を震わす 北海に恩を酬ゆるの日 しんてい たけなわ 神亭に戦酣なりし時 おわり 終に臨んで壮志を言う たんをもら 千古ともに嗟咨す まっと たた

2. 三国志演義 4

図に、張遼を刺し殺して宋謙の仇を討ちたいと申して参りましたので、それがし軍勢をひきいて外 から攻めこむ覚悟。お許しのほど願わしゅう存じまする」 「その戈定とやらは、どこにおるのか」 「すでに合濯にまぎれこんでおります。それがしに五千騎をお貸し下さりませ」 しよかっきん そこへ横から諸葛瑾が、 「張遼はなかなか慎重な男ゆえ、恐らくきびしく固めておるでござろう。油断は禁物でござるぞ」 と言ったが、太史慈は頑として聞きいれない。孫権も宋謙を死なせたばかりのこととて、仇討を あせっていたので、尢史慈に・五千騎をあたえ、外から呼応するよう命じた。 さてこの戈定は太史慈と同郷の者であったが、この日、兵卒にまぎれて合の城内にもぐりこみ、 廐番を尋ねて行って話し合った。 「おれの方から太史慈将軍に知らせておいたから、今夜は間違いなく来て下さる。お前の方はどう するつもりなんだ」 まぐさ 「ここは陣屋から離れているので、夜のうちに一気にはいりこむことは無理だ。それで秣の山に火 を掛けるから、お前、陣中を謀反だと怒鳴り回れ。足軽どもが騒ぎ出したら、そのすきに張遼を刺 し殺しちまえ。奴が死ねば、ほかの連中は逃げ出すにきまってる」 「なるほど、そいつはうめえや」 よろい この夜、張遼は勝利を得て城にもどり、全軍をねぎらったが、鎧をとって寝ることは禁ずると触 れをまわした。

3. 三国志演義 4

「今日は呉の勢をさんざんに打ち破って、遠くまで退がらせましたゆえ、鎧をとってゆっくり休ま せたらよいではござりませぬか」 と左右の者に言われて、張遼が、 「それは違う。勝って喜ばす、負けて憂えすというのが、大将たる者の心得だ。もし呉の勢が、わ 。しつにもましてよくやっておかねばなら が方のすきをみて寄せて来たらどうする。今夜の守備ま、、 ぬ」 と言っているおりから、陣の後方で火が出、謀反だという叫びとともに、注進の者が続々と駆け をつけて来た。張遼は本陣を出て馬に乗り、近侍の将校十数人を呼んで前に立ち並ばせた。 漢「ただごととは思えませぬ。ご検分になっては」 これは謀反人が、わざと兵卒どもをおどかしているのだ。 て「城中の者が全部、謀反するはすはない。 はわめきまわっている奴を斬って棄てよ」 義 と、間もなく、李典が戈定と廐番を引っ立てて来た。張遼は謀反の次第を糾問してから、その場 かんせい どら 雲で首を刎ねさせた。ところへ、城門の外で銅鑼や太鼓の音とともに、どっと喊声があがる。 「あれは呉の軍勢が気脈を通じて寄せてきたものだぞ。敵の裏をかいてやれ」 回 一一一張遼は、城門の内側に火の手をあげて、口々に謀反だと叫ぶよう下知し、城門をおし開かせて吊 第り橋を下させた。太史慈は城門がさっと開かれるのを見るや、かねての合図とみて、槍を片手にま やぐら れっ先に馬を乗り入れた。この時、櫓に石火矢が一発、矢が雨あられと降って来たので、太史慈は急 いで馬を返したが、すでに数本の矢を受けていた。これを追って李典・楽進が討っていで、呉の軍

4. 三国志演義 4

孫権は太史慈の死を聞いて、いたく悲しみ、南徐の北固山の麓に手厚く葬るよう命じ、その子太 しきようやかた 史享を館に引き取った。 さて玄徳は荊州にあって軍勢をととのえていたが、孫権が合において敗れ、すでに南徐に引き 揚げた由を聞いて、孔明に諮った。 「それがし、昨夜、星の動きを見ておりましたところ、西北で星が落ちました。皇族のお方が一人、 亡くなられたに相違ござりませぬ」 りゅうき 釈 を と孔明が答えているところへ、公子劉琦が病没した由の知らせがあった。ー玄徳はこれを聞いては 漢げしく泣いたが、孔明が一一一一口うのに、 て「生死は定めあるもの。そのようにお嘆きあって、お身体にさわるといけませぬ。それよりもまず ュやらねばならぬことは、取り急ぎ人をやってかの地の守備を固めさせ、葬儀をいとなませることで 義、こイ、りましょ , っそ」 長 雲「誰をやったらよかろうか」 「雲長殿をおいてはありませぬ」 回 じようよう 一一一玄徳はただちに雲長を襄陽へ遣わした。 五「して、劉琦殿が亡くなられたからは、東呉より荊州を返すよう言って来るに違いござるまいが、 どう返答したものでござろうか」 「使者が参ったなら、それがしが応対いたしまする」 ふもと

5. 三国志演義 4

「張遼め、小癪な。程普の軍勢の到着を聞いて、わざと戦を挑んで来おったものだな。よいわ、明 あらて 昭日は新手の軍勢を使わずにわしの腕のほどを見せてやろう」 たっ はんみち と、その夜の五更に全軍、出陣し、合瀧へ向かえと下知した。辰の刻頃、軍勢はちょうど半途に こがね 達したが、曹操の軍勢もすでに到着していて、双方、陣型をととのえた。孫権は黄金づくりの甲 ほうてんがげき そうけんかか 冑に身を固めて出馬したが、左右を方天画戟の使い手、宋謙・賈華の二大将が警護する。陣太鼓 * 、んかい が三通鳴り終わると、曹操の軍勢の門旗がさっと開き、三人の大将が甲冑姿もりりしく、陣頭に姿 がくしん を現わした。中央に張遼、左に李典、右に楽進である。張遼がまっ先に馬を飛ばせ、孫権と一騎討 せんものと突き進んで来た。孫権も槍を構えて受けて出ようとしたとき、本陣から一人の大将が槍 たいしじ をしごき、馬を躍らせて討って出た。これぞ太史慈である。張遼、薙刀を揮ってこれを迎え、二人 の大将は七、八十合戦ったが、勝負がっかない。曹操の陣では、李典が楽進に、 「ふうむ、あの金の兜が孫権か。奴を捕えることができれば、このあいだ死んだ八十三万の味方の 仇も討てるのだが」 と話しかけたが、楽進は全部を言わせず、ただ一騎、薙刀片手に、横合から孫権目ざして躍り出 し、あっというまに、孫権の目の前に駆けつけ、薙刀を振り下した。宋謙・賈華が画戟を差し出し て防ごうとしたが、穂先を斬り飛ばされたので、ままよとばかり、残った柄で楽進の馬の頭を殴り つけた。楽進がいったん馬を返そうとするのを、宋謙は兵士が持っていた槍を取り上げて追いすが った。李典はこれを見て弓に矢をつがえ、宋謙の胸を狙ってきっと放てば、宋謙はもんどりうって 落馬した。太史慈はうしろで誰かが落馬したので、張遼を振りきって、本陣へ馳せもどったが、張 ちゅう りてん かっ

6. 三国志演義 4

遼が息もつがせず軍勢をひきいて押し寄せたので、呉の軍勢は総崩れとなり、八方へ逃げ散った。 張遼は孫権を見つけ、馬を飛ばせて追いかけた。あわや追いつくかに見えたとき、横合から押し出 した一手の軍勢、まっ先に立った大将は程普、ひとしきり揉み合って、孫権を救い出し、張遼は軍 勢をまとめて合瀧に引き揚げた。 程普は孫権を守って陣屋に引き揚げたが、討ち洩らされた者どもも後を追って続々ともどって来 ちょうしちょうこう た。孫権は宋謙を死なせたので、大声をあげて泣いていたが、長史の張紘が、 「殿には血気にはやって大敵をあなどっておられまするゆえ、それがしどもも実はひそかに胆を冷 をやしておったのでござります。敵将を斬ったり旗さし物を奪ったりして戦場に名を挙げるのは部将 もうふんかいく しゅう あるじ 漢のやることで、一国の主のなすべきことではござりませぬ。なにとそ、孟賁・夏育 ( 戦国・周の時代 ての勇士 ) の如き武勇はお控えになって、王霸の大計をこそご考慮下さいますよう。今日、宋謙を矢 玉の下で殺したのも、もとはと申せばみな殿が敵を軽んじられたからにほかなりませぬ。以後は固 義くお慎み下されませ」 雲と一一一戸っと、孫権も、 「いかにもわしが悪かった。これからは改めよう」 回 = 一とうなずいたのである。 まか 第ややあって、太史慈が罷り出て言った。 うまやばん かてい 「それがしの手の者に戈定と申す者がおりますが、その兄弟が張遼の手に加わって廐番をしてお ります。その者が、懲罰を受けたのを根にもち、さきほど使いをよこして、火の手をあげるのを合

7. 三国志演義 4

軍勢が、 じト・うしト ` う 「丞相、ご放心あれ。徐晃、参上っかまつりました」 と叫んだ。かくて、両軍、入り乱れての戦いのうち、曹操は退路を斬り開いて北へ逃れた。行く えんしよう うちに、一隊の軍勢が山を背に控えている。徐晃が乗り出して尋ねれば、袁紹のもとから降参し ばえんちょうがい て来た馬延・張顗で、北方の軍勢三千を揃え、陣を布いていたもの。この夜、満天の火の上がる のをはるかに眺め、軍勢を控えてとどまっていたところを、おりよく曹操に会うことができたので * 一きて ある。曹操はこの二人に一千の軍勢をひきいて先手となるよう命じ、他は己の警護に当たらせたが、 あらて この新手の軍勢を得たので、ようやく一息ついた。馬延・張顗の両将は、馬を飛ばせて先行したが、 かんせい 十里も行かぬうち、どっと喊声があがって、一隊の軍勢が立ちふさがった。先頭の大将が呼ばわる とう′一かんこうは つ「われこそは、東呉の甘興霸なり」 を馬延が馬を乗りいだしたが、一刀のもとに斬り落とされ、ついで槍をしごいて立ち向かった張顗 も、甘寧の大喝にたじろぐところを、早くも大薙刀を浴びて馬からころげ落ちた。 亮 がっぴ 諸この知らせが曹操に届いた時、曹操はひたすらに合よりの援軍を待ちわびていた。ところが、 そんけん 回この時、孫権は合瀧に通する道を固めており、長江に火の手の上がるのを見て味方の勝利を知るや、 のろし ・卞りくそん 五陸遜に合図の狼煙を上げさせたから、これを見た太史慈が、陸遜と一手になって討って出た。曹操 ちょう・」う しりよう はもはやこれまでと、彝陵を目指して落ちのびたが、途中、張部に出会って後詰を命じた。 じよ第」う ななた し

8. 三国志演義 4

た由を告げると、周瑜は仰天して、 「どこまで恐ろしい奴じゃ。わしは夜もおちおち眠れぬわ」 魯粛、 「まずは曹操を破ってから、ゆるゆると考えようではござらぬか」 周瑜はこの言葉に従って、命令を下すべく諸将たちを呼び集めた。まず甘寧に、蔡中と彼の配 下の降兵たちをひきいて南岸沿いに進むよう命じ、 うりん 「北軍の旗さし物を押し立てて曹操の兵粮が置いてある烏林へ攻め入れ。首尾よくいったなら、合 のろし さいか 図の狼煙をあげよ。蔡和だけは、わしが使う用があるからここに残しておくよう」 次に太史慈を呼んで、 がっぴ 「そなたは手勢三千をひきいて一気に黄州の境へ押し出し、合から来る曹操の援軍を食いとめよ。 のろし 敵に近づいたら、狼煙をあげよ。赤旗が見えたら、わが君の援軍の到着と心得よ」 め・ト - もら′ と命じ、この二隊は最も遠方へ出るため、先発させた。次に呂蒙に三千の兵をもって烏林の甘寧 りようとう のもとへ加勢に向かい、曹操の陣屋を焼き払うよう命じ、四番手として凌統に、三千の兵をひき いりっ とうしゅう いて彝陵へ抜け、烏林に火の手があがるや加勢に討って出よと命じ、五番手として董襲に三千の かんよう 兵をひきいて漢陽を攻め取り、漢川から曹操の陣中に斬りこんで白旗をあげた援軍が着くまで踏み はんしよう とどまれと命じ、最後に六番手として潘璋に三千の兵をひきい、総勢白旗を押し立てて漢陽へ攻 めかかり、董襲に加勢するよう命じこ。、 ロオカくて六隊それそれの方向へ打ち立ったあと、黄蓋に火船 - 一う かんねい さいちゅう ・一ら・カし

9. 三国志演義 4

どうあっても娘を嫁がせます」 孫権は孝心の厚い人であったから、母親の言葉を聞いて言下に承知して引き退がると、呂範を呼 んで、明日、甘露寺の方丈において国太が劉備と対面するゆえ宴席の用意をととのえるようと命じ 「さらば、賈華に刑手を三百ばかりひきいさせて両側の廊下にひそませ、もし国太のお気に入らな かった時は、号令一下、一斉に出て彼を引っ捕えさせることにしたらば宜しいのではござりませぬ てはず と呂範に言われて、孫権はただちに賈華を呼び、手筈をととのえておいて、国太の挙動をうかが をつているように命じた。 を 郎さて喬国老は呉国太のもとを辞してから、玄徳へ使をやって、 「明日、呉侯と国太が親しく対面されるゆえ、よくよく心して来られるよう」 寺 ちょううん 仏と言いやった。玄徳が孫乾と趙雲に諮ると、趙雲の言うのに、 国「明日の対面は、いかにもお危うござりますれば、それがし軍勢をひきいてお供つかまつります」 翌る日、呉国太・喬国老が甘露寺の方丈にはいると、孫権が幕僚たちを随えて到着し、呂範を客 回 よろい ひたたれ 四舎へやって玄徳を請じた。玄徳は錦の袍の下に細身の鎧を着こみ、剣を捧げた従者を身辺に随え 第て、馬で甘露寺に向かったが、趙雲が鎧に身を固め、兵士五百をひきいて随行した。かくて寺の門 前に至って馬を下り、まず孫権と対面したが、孫権は玄徳の世の常ならぬ風貌に、思わずたじたじ となった。二人は挨拶を終えて方丈にはいり、国太に対面した。国太は玄徳を一目見て大いに喜び、 かか

10. 三国志演義 4

「なにをおっしやるのです」 「廊下に刑手どもをひそませられたのは、それがしの命をお取りになろうとのためではござりませ ぬか」 国太は激しく怒り、孫権に向かって、 「今日、玄徳殿をわたくしの婿とした上は、わたくしの子であるのに、刑手なぞを廊下にかくすと は何事ですか」 と責めたが、孫権はひたすら知らぬ振りをして呂範を呼ばせると、呂範は賈華に罪をおしつけた ので、国太は賈華を呼びつけて厳しく叱った。だが、賈華が返答もできずにいるので、国太は首を を刎ねよと命じた。そこを玄徳が、 を 郎「いま大将をお斬りになっては、せつかくの婚礼を前に不吉であり、それがしとて長くお膝もとに お仕えいたしにくくなりまする」 寺 仏と、取りなし、喬国老もともにロ添えしたので、国太はようやく怒気を収めて賈華を引き退がら 国せ、刑手たちはこそこそと姿を消した。 かわや 〔呉国太が帰ったあと〕玄徳は厠に立ったが、ふと見ると庭先に大きな石がある。そこで従者が捧 回 四げていた剣を抜き取ると、天を仰いで、『自分が無事、荊州にもどり、王霸の業が成しとげられる 第なら、一太刀にて二つとなれ。ここで命を落とすなら、刃も砕けよ』と祈って、さっと振り下せば、 火花とともに石は二つとなった。このありさまをうしろから見ていた孫権が尋ねた。 「玄徳殿。何ぞその石に恨みでもござるのか」