急い - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 4
120件見つかりました。

1. 三国志演義 4

ち・よう・しよう したが、張昭が言うのに、 「ここで逃がしたら、いずれ大事が起こるでございましよう。すぐ追うべきかと心得ます」 ちんぶはんしよう 孫権は陳武・潘璋の両名に、屈強の兵五百をすぐり、昼夜を分かたず追いかけて、必す引っ捕 えて参れと命じた。二人が命を受けて引き退がったあと、孫権はにつくきは玄徳の奴、と机上にあ った玉硯を床に叩きつけて粉々に打ち砕いた。見ていた程普が、 「いたずらにお怒りになっても詮なきこと。それがし、陳武・潘璋の両名にては到底お役目を果た せぬかと存じます」 「わしの命令に背く者はおらぬ」 「仰せにはござりまするが、かの姫君はご幼少の頃より武芸を好まれ、男まさりのお方ゆえ、大将 たちもひたすら怖れておりまするに、劉備とご同道なされしは、よくよくのお覚悟あってのことと 存じまする。追手の者たちとて、姫君に会っては、手を下せますまい」 まいけ . れ しようきんしゅうたい 孫権は大いに怒り、佩剣を引き抜いて蒋欽と周泰を呼ぶと、 ようしゃ 「そなたたちはこの剣を持って妹と劉備の首をとって参れ。命令に背けば、容赦はせぬぞ」 と命じ、蒋欽・周泰はただちに一千騎をひきいて後を追った。 さて玄徳は馬を責めたてて急いだが、その夜も道端でふたときあまり休んだだけで、あわただし さい】て、つ・ く出発した。ようやく柴桑郡の境まで来たとき、遙か後方に土煙がもうもうとおこるとみるや、追 手が迫ったとの知らせ。 「追手が参ったぞ、どうしたものか」 おそ

2. 三国志演義 4

あく して、ゆうゆうと引き退がった。翌る日、鍾緜が城頭から眺めると、敵がすっかり引き退がってい るので、何か企みがあるのではないかと、物見を出してさぐらせたところ、たしかに遠方へ退いた ことが分かったのでようやく安心した。かくて軍民に城外に出て柴や水を取ることを許し、城門を 開け放って、自由に出入させた。五日目に、馬超の軍勢がまた押し寄せて来るとの知らせがはいっ たので、兵士や領民はわれ勝ちに逃げこみ、鍾緜はまた城門を閉ざして守りを固めた。 しようしん さて、鍾緜の弟鍾進は西門を守っていたが、そろそろ三更という時、とっぜん城門の内側に火 んの手が上がったので、消しとめようとして急いで駆けつけた。ところへ、城壁のかげから躍り出た 騎馬武者が、 み「廳徳これにあり」 なぎなた て と言いざま、薙刀を揮って斬りつけたので、切先を交えるいとまもなく、一刀のもとに斬り落と しよう 興された。徳は敵兵を斬り散らし、門の錠を切り落として、馬超・韓遂の軍勢を迎え入れた。鍾 上う 兵緜は城を棄てて東門より落ちのび ( 馬超・韓遂は城を首尾よく手に入れて、三軍を厚くねぎらった。 とうかん 孟鍾緜は潼関に立て籠り、この由を曹操に急報した。曹操は、長安が落ちたと聞いて、南征を取りや じよ - 一う そう - 一う め、曹洪・徐晃を呼んで、 回 「まず一万騎をひきいて、鍾緜に代わって潼関を守れ。十日以内に破られるようなことがあれば打 十 第ち首と心得よ。十日間守り抜けば後は罪には問わぬ。わしも大軍をひきいて、すぐ後から参る」 そうじん と命じた。二人はただちに打ち立ったが、曹仁が、 「曹洪は気短か者ゆえ、失態を仕出かすのではござりませぬか」

3. 三国志演義 4

けておったのでござります」 孫夫人は火のように怒って、 第、うしゆく かんしつ 「周瑜の逆賊めが。国の恩を忘れたのか。玄徳殿は漢室の皇叔であり、わらわの夫じゃ。わらわ は母上と兄上に荊州へ帰るお許しを得て参ったに、このような山あいに軍勢をたむろして道をふさ ぐとは、お前たちはわらわ夫婦の財宝を奪おうとしておるのじゃな」 徐盛・丁奉はひたすら恐れ入って、口々に、 「滅相もござりませぬ。平にお赦し下さりませ。これは周都督の仰せにて、われらのあずかり知ら め ぬことに、こギ、ります」 激「お前たちは周瑜の言うことは聞いても、わらわの言うことは聞けぬと申すのか。周瑜がお前たち を 人を殺すなら、わらわとて周瑜を棄ておかぬぞえ」 孫と言って、孫夫人はひとしきり周瑜を罵り散らしてから、車を進めるよう命じた。徐盛と丁奉は、 も『われわれは臣下の身、夫人に逆らうことはできぬ』と考え、また趙雲が目をいからせているのを 徳見て、やむなく軍勢を開いて通過させた。 ちんぶはんしよう それからまだ五、六里も行かぬかと思われるころ、陳武・潘璋が追って来た。徐盛・丁奉が事 回 五の次第を告げると、陳武たちが、 第「逃したのは間違いであったぞ。われらは呉侯の仰せによって追って参ったのじゃ」 と言い、かくて四人は軍勢を一つにしてまっしぐらに後を追った。一方、玄徳は先を急がせて行 くうちに、背後でどっと鬨の声があがったので、また孫夫人に言った。 とき ゆる

4. 三国志演義 4

102 かねます」 いりト・う 周瑜は大いに喜び、一万余の軍勢を凌統に預け、その日のうちに大軍をおこして彝陵へ急いだ。 途中、呂蒙が、 「彝陵の南の間道は南郡への近道にござれば、かしこに軍勢を五百遣わして木を切り倒させ、道を ふさがせるが宜しゅうござりましよう。敵は破られれば必ずかの間道づたいに逃れましようが、馬 にては進めぬため、馬を棄てて逃げるに相違ござりませぬ。さすれば、その馬を手に入れることが 、カ・ないオーしょ , つ」 と言うので、ただちに兵卒をそこへ差し向けた。 かくて大軍が彝陵に近づいたとき、周瑜が一同に向かって、 かんねい 「誰ぞ、囲みを破って甘寧を救いに参る者はおらぬか」 しゅうたい と言うと、周泰が名乗って出るなり、薙刀をひつつかみ、馬を飛ばせて曹洪の軍勢の中へ駆け こむとみるや、たちまち城壁の下に行き着いた。甘寧は周泰がやって来るのを眺め、城を出て迎え 入れたが、 「都督、直々のご出馬にござるそ」 と聞き、ただちに城内に触れを回し、兵士たちに身支度をととのえ、腹いつばい食って出撃の命 令を待つように伝えた。 一方、曹洪・曹純・牛金は周瑜の軍勢、迫ると聞くや、まず南郡へ早馬を立ててこの由を曹仁に 知らせるとともに、軍勢を分けて迎え撃っこととした。呉の軍勢が到着すると、曹洪の軍勢が迎え

5. 三国志演義 4

194 「さあ今度こそわしの計略にかかったぞ」 ごづめ と言い、魯粛をしてこの由を呉侯に伝えさせるとともに、後詰として程普を出してくれるように 言いやった。この時、周瑜の矢傷はあらかた癒えており、不自由も感ぜられなかったので、甘寧を さきて りようとう りト・もう じよせいていほう 先手、己と徐盛・丁奉を二番手、凌統・呂蒙を後詰として、水陸合わせて五万の大軍をおこし、 荊州目指して進発した。周瑜は船中でも、孔明めうまうまと掛かりおったわと、上機嫌で談笑して か - 一う いた。夏口に到着すると、周瑜は尋ねた。 「荊州から迎えの者が来ておらぬか」 びじく 「劉皇叔のご使者糜竺殿がお目通りを願い出ております」 周瑜が引見して、軍勢をねぎらう支度が整っているかと尋ねると、 「わが君には万端の手筈をととのえてお待ちかねにござります」 「皇叔はどこにおられる」 ととく いっこん 「荊州の城門外にて、都督殿に一献差し上げたいとお待ち申しております」 「今度の遠征は、すべてそなたたちのためなのであるから、粗略なことのないよう心して用意され こうあん 糜竺は承知してもどって行き、兵船は広大な長江の流れを圧して整然と進んだ。間もなく公安に 到着したが、兵船の影も見えず、出迎える者もない。船を急がせて荊州の手前十里あまりに近づい とうとう たが、見えるのは滔々と流れる長江の水ばかり。ところへ物見の者より注進があり、 「荊州の城壁には二面の白旗が立っているだけで、人影もありません」 かんねい

6. 三国志演義 4

「分かりきったことではござらぬか。はじめわが君が荊州を借り受けられた時には、西川を得られ えき りゅうしよう 1 なばすぐお返しするようお約束なされたが、よくよく考えれば、益州の劉璋はわが君の弟にあた られ、いずれも漢皇室のご一門であらせられる。されば、もし兵をおこして彼の領地を奪ったりい たさば、天下に恥をさらすことになり、かと言ってそれを取らねば、荊州を返した上は身の置き所 もなくなるわけ。だが、お返しせねば、孫権殿に対して申し訳ない。いずれともできかねて、かく は悲しまれておるのじゃ」 この孔明の言葉に、玄徳は胸の底をかきむしられ、今度は本心から胸を叩き足踏み鳴らして、声 をあげて泣き出したので、 「皇叔、お静まり下さりませ。それがし、孔明殿とゆるりと相談いたすことにいたします」 と魯粛がなだめると、孔明が言った。 「では子敬殿、ご面倒とは存ずるが、呉侯にご対面の節は、わが君のご心労の次第をよくよくお伝 えの上、もうしばらくお貸し下さるようお取りなし下さらぬか」 「しかし呉侯がご承知なければ、何といたしたものでござる」 「呉侯は妹君を皇叔に嫁がせられたほど、ご承知下さらぬはずはない。くれぐれも宜しくお願いし たす」 魯粛は心の寛い人であるから、玄徳の嘆きようを目にしては承知しないわけにはいかない。玄徳 さいそう と孔明は厚く礼を述べ、酒宴が済んでともどもに魯粛を船まで送って行った。魯粛はまっすぐ柴桑 ちくいち 郡へ行って周瑜に会い この由を逐一、話して聞かせた。すると周瑜は地団駄ふんで口惜しがり、 ひろ

7. 三国志演義 4

勢に遭遇し、押しもどされるところを、馬超に救けられてともに潼関にはいった。曹洪は潼関を失 って、曹操の前にまかり出た。 「そなたにあたえた日限は十日であったそ。なぜ九日で取られてしまったのか」 「西涼の軍勢が悪口の限りをつくし、そのうえ、戦意がおとろえたように見受けましたので、機を 逃さず討って出たところ、賊の計略にかかったのでございます」 「曹洪はもともと血気盛んな上に短気者のことゆえいたしかたないが、徐晃、そなたは分からなか と ったのか」 ん 「たびたびお諫めしたのに、お聞き入れがなかったのでござります。あの時は、おり悪しくそれが みし関の中の糧秣車を点検いたしており、それと知った時には、若将軍にはすでに討って出られたあ てと。間違いがあってはと急いで後を追いましたところ、賊の計にはまってしまったのでござりま を 兵曹操は大いに怒り、曹洪を斬れと命じたが、他の者たちが助命を乞い、曹洪は恐れ入って引き退 孟がった それより曹操は兵を進めてただちに潼関を取りもどそうとしたが、曹仁が、 回 「ます陣屋を構えておいてからでも遅くはござりますまい」 十 第と言うので、木を切らせて陣地の柵を造らせたが、陣を三つに分け、左に曹仁、右に夏侯淵を据 あく え、自らは中央の陣地におさまった。翌る日、曹操が三軍の将校を随えて関の前へ押し寄せたとこ ろ、討って出た西涼の軍勢と出会った。両軍はそれぞれ陣型をととのえ終わり、曹操が門旗の下に かこうえん

8. 三国志演義 4

この夜の二更、果たして手に手に草の束を持った一手の軍勢が陣屋に殺到して、一斉に火をかけ 。両人が勢いに乗 た。すかさず、劉賢・邪道栄が両側から討って出ると、その軍勢はわっと退い ってこれを追ううち、十里あまり行くと、とっぜん、前を逃げていた軍勢が消え失せた。驚いた二 人が、急いで陣屋に取って返せば、まだ燃えつづけている火の光を浴びて、陣中から一人の大将が 躍り出す。これそほかならぬ張翼徳であったから、劉賢は、 「陣へははいれぬぞ。このまま孔明の陣屋へ押し寄せよう」 と邪道栄へ呼びかけるなり、ふたたび軍勢をひきいて取って返したが、十里も行かぬうち、横合 から趙雲が一隊をひきいて討って出で、一撃のもとに邪道栄を突き落とした。劉賢があわてて馬を 粛飛ばすところ、うしろから追いすがった張飛に組みつかれた。縛り上げられて孔明の前に引っ立て てられた劉賢が、 も「すべて邪道栄の差し金でやったことで、本心からではござりませぬ」 智 と言うと、孔明は縄目をとかせて、着物を与え、気付の酒を飲ませてから、人をつけて城へ送り 葛帰してやったが、帰城の上は父親に降参をすすめるよう、もし降参しなければ、攻め落とした上、 一門皆殺しにすると固く言い含めた。劉賢は零陵にもどって父親の劉度の前に出、孔明の情義ある 回 二仕打をつぶさに話して、降参をすすめた。劉度はその勧めに従い、城頭に白旗をかかげて城門を開 たいしゅ いんじゅ 第き、印綬を捧げて城外の玄徳の本陣へ降参を申し入れた。孔明は劉度をそのまま太守として留め、 劉賢を荊州へ連れ帰って軍務に服させることとしたので、零陵の領民たちは、大いに喜んだのであ つ ) 0 さがね

9. 三国志演義 4

やじり ちトすー・りト - う・ こうがい そうそう さてこの夜、張遼は一矢に黄蓋を射落とし、曹操を助けて岸に上がったが、馬をさがして逃げ かんとう 出した時には、全軍すでに上を下への大騒動となっていた。韓当は煙の下をかいくぐって水軍の陣 地へ突き進んだが、不意に兵卒が飛んで来て、 「舵にすがって将軍のお名前を呼んでおる者があります」 と言う。耳を澄ませば、 ・一うぎ 「公義、助けてくれ」 という叫び。 - 、う - 一うふく 「おお、黄公覆殿なるぞ」 と、急いで引き上げさせれば、黄蓋の肩先に矢が突き立っている。矢竹をくわえて抜き出したが、 鏃が深く肉に食い入っている。急いで濡れた上衣を脱がせ、刀でそれをくじり出すなり、旗を裂 じんばおり いてしつかと縛り、自分の戦袍を脱いで彼に着せると、別の船に乗せて本陣へ手当を受けに帰らせ 第五十回 しよかつり、よう・ かしつはか 諸葛亮智をもって華容に算り かんうんちょう そうそうはな 関雲長義によって曹操を釈っ

10. 三国志演義 4

一夜の東風に江水騰る 孔明妙計を施すにあらざれば 周郎いずくんぞ才能を逞すを得んや 丁奉の騎馬隊が先に到着したが、見れば、壇上には旗を持った兵士が、風の中にじっと立ってい る。丁奉は馬から飛び下りるなり、剣をひっさげて壇へ駆け上がったが、孔明の姿がないので、あ わててそこの兵士に尋ねると、 「今しがた壇を下りて行かれました」 との答え。 急いで駆け下りてさがし回るところへ、徐盛の船が着いたので、岸辺で二人が協議していると、 一人の雑兵が、 「昨夜から、一艘の小舟がそこの岸にもやっておりましたが、さきほど孔明殿が髪を乱したまま乗 りこまれ、舟はそのまま上流へ漕ぎ出しました」 これを聞くや、丁奉・徐盛はふたたび水陸二手に分かれて後を追った。 , 徐盛は帆をいつばいに上 へさき げさせ、追風に乗って急いだ。やがて前を行く舟に近づいたので、舳に立って大音に叫んだ。 「軍師殿、お待ち下されい。都督よりのお迎えにござるそ」 すると、孔明がともに姿を現わして、からからと笑い 「都督にお伝え下されい。ぬかりなくやられるようとな。それがしいったん夏ロへもどるによって、 た ! つく か - 」ス′