軍勢が、 じト・うしト ` う 「丞相、ご放心あれ。徐晃、参上っかまつりました」 と叫んだ。かくて、両軍、入り乱れての戦いのうち、曹操は退路を斬り開いて北へ逃れた。行く えんしよう うちに、一隊の軍勢が山を背に控えている。徐晃が乗り出して尋ねれば、袁紹のもとから降参し ばえんちょうがい て来た馬延・張顗で、北方の軍勢三千を揃え、陣を布いていたもの。この夜、満天の火の上がる のをはるかに眺め、軍勢を控えてとどまっていたところを、おりよく曹操に会うことができたので * 一きて ある。曹操はこの二人に一千の軍勢をひきいて先手となるよう命じ、他は己の警護に当たらせたが、 あらて この新手の軍勢を得たので、ようやく一息ついた。馬延・張顗の両将は、馬を飛ばせて先行したが、 かんせい 十里も行かぬうち、どっと喊声があがって、一隊の軍勢が立ちふさがった。先頭の大将が呼ばわる とう′一かんこうは つ「われこそは、東呉の甘興霸なり」 を馬延が馬を乗りいだしたが、一刀のもとに斬り落とされ、ついで槍をしごいて立ち向かった張顗 も、甘寧の大喝にたじろぐところを、早くも大薙刀を浴びて馬からころげ落ちた。 亮 がっぴ 諸この知らせが曹操に届いた時、曹操はひたすらに合よりの援軍を待ちわびていた。ところが、 そんけん 回この時、孫権は合瀧に通する道を固めており、長江に火の手の上がるのを見て味方の勝利を知るや、 のろし ・卞りくそん 五陸遜に合図の狼煙を上げさせたから、これを見た太史慈が、陸遜と一手になって討って出た。曹操 ちょう・」う しりよう はもはやこれまでと、彝陵を目指して落ちのびたが、途中、張部に出会って後詰を命じた。 じよ第」う ななた し
102 かねます」 いりト・う 周瑜は大いに喜び、一万余の軍勢を凌統に預け、その日のうちに大軍をおこして彝陵へ急いだ。 途中、呂蒙が、 「彝陵の南の間道は南郡への近道にござれば、かしこに軍勢を五百遣わして木を切り倒させ、道を ふさがせるが宜しゅうござりましよう。敵は破られれば必ずかの間道づたいに逃れましようが、馬 にては進めぬため、馬を棄てて逃げるに相違ござりませぬ。さすれば、その馬を手に入れることが 、カ・ないオーしょ , つ」 と言うので、ただちに兵卒をそこへ差し向けた。 かくて大軍が彝陵に近づいたとき、周瑜が一同に向かって、 かんねい 「誰ぞ、囲みを破って甘寧を救いに参る者はおらぬか」 しゅうたい と言うと、周泰が名乗って出るなり、薙刀をひつつかみ、馬を飛ばせて曹洪の軍勢の中へ駆け こむとみるや、たちまち城壁の下に行き着いた。甘寧は周泰がやって来るのを眺め、城を出て迎え 入れたが、 「都督、直々のご出馬にござるそ」 と聞き、ただちに城内に触れを回し、兵士たちに身支度をととのえ、腹いつばい食って出撃の命 令を待つように伝えた。 一方、曹洪・曹純・牛金は周瑜の軍勢、迫ると聞くや、まず南郡へ早馬を立ててこの由を曹仁に 知らせるとともに、軍勢を分けて迎え撃っこととした。呉の軍勢が到着すると、曹洪の軍勢が迎え
と あ ら ば ま に 天 の 助 け と つ も の じ や そ甘詐 は 才っ ギ と ん で せ 35 第四十七回闕沢密かに詐りの降書を献じ・・ わ何 闕呉 わ将 ら耳 じ案 闕れ う寧 の何沢て 、は と何 わ実 ま揃 し . 、喜 あち が操せす に色 、は に囁 て覚 へ蔡 し謀 手の つ和 と見 て反 。て 引仰 が公 、れ 心彼 か甘 つを かす 。て 生、 と垂 つれ の長 がせ のを 満を う黙 り り せ ぬ は ギ声ま を ん そ 人れな は と か る ら れ お き か ま つ り ま し ょ っ れ ら は ら曹申 展殳 せ 受 け て 詐 っ て ま殳 降 て 参 た も の で る 両 所 帰 の お が や く じ 、召蔡 れ ま な わ れ ら の 本 を お 聞 き 下 さ れ こ、蔡、 和 と き中様 は わ き は た ら た 上 は か し て お け て沢を き と 彦頁 を・ 変 ん 。寧、 は の剣て を ひ キ 抜 い て ち ぬ上ま り ギ ま は裏沢 切 て 苗 操 つ と き れ お し、 で で は り ぬ か ら 言苦を み 貴 に 分 る も の で は し と が っ と 軍 屈 お ら れ ま る ま オこ な先オ 、生 も 何 お あ り の 様 和と は は闕と 思甘事 い寧カ の が あ る と か見頭 で か腹息 不内吐 が確ば か め よ も く と は は - つ と を し、 、溜 く か り で で し ま た 蔡
「黄公覆殿と将軍が屈辱を与えられたことも、すでにわれらより丞相にお知らせしてございます」 一一人の言葉に、闕沢も、 「それがしも、実は黄公覆殿よりの書面を丞相へお届けいたし、興霸殿 ( 甘寧 ) に降参をすすめに 参っておったのでござる」 と言い、甘寧もこれに同じて、 「男と生まれて幸いにも明君にお会いできた上は、進んでお膝もとに馳せ参するのが当然というも のじゃ」 かくて四人は卓をかこんで酒をくみかわし、心を打ち割って語り合った。蔡和らはすぐさま密書 をしたため、甘寧がともに内応する旨を曹操へ知らせた。閾沢も別に書面をしたため、密使をやっ て曹操へこの由を伝えたが、文中、黄蓋はすぐにも行こうとしているが、まだおりをつかめずにい ること、舳に青色の旗を立てた船が着いたら、それが彼であることを書いておいた。 さて曹操は立て続けに二通の書面を得たものの、心中なお疑念がはれないので、幕僚たちを集め て、 「敵側の甘寧が周瑜に辱しめられて内応したいと申し越し、黄蓋も罰を受けて闕沢を通じて降参を 申し入れて参っておるのじゃが、どこまで信じてよいかよう分かりかねる。誰か、周瑜の陣中へ乗 りこんで実情をさぐって来てくれぬか」 しようかん と言うと、蒋幹が進み出て言った。 へさき
た由を告げると、周瑜は仰天して、 「どこまで恐ろしい奴じゃ。わしは夜もおちおち眠れぬわ」 魯粛、 「まずは曹操を破ってから、ゆるゆると考えようではござらぬか」 周瑜はこの言葉に従って、命令を下すべく諸将たちを呼び集めた。まず甘寧に、蔡中と彼の配 下の降兵たちをひきいて南岸沿いに進むよう命じ、 うりん 「北軍の旗さし物を押し立てて曹操の兵粮が置いてある烏林へ攻め入れ。首尾よくいったなら、合 のろし さいか 図の狼煙をあげよ。蔡和だけは、わしが使う用があるからここに残しておくよう」 次に太史慈を呼んで、 がっぴ 「そなたは手勢三千をひきいて一気に黄州の境へ押し出し、合から来る曹操の援軍を食いとめよ。 のろし 敵に近づいたら、狼煙をあげよ。赤旗が見えたら、わが君の援軍の到着と心得よ」 め・ト - もら′ と命じ、この二隊は最も遠方へ出るため、先発させた。次に呂蒙に三千の兵をもって烏林の甘寧 りようとう のもとへ加勢に向かい、曹操の陣屋を焼き払うよう命じ、四番手として凌統に、三千の兵をひき いりっ とうしゅう いて彝陵へ抜け、烏林に火の手があがるや加勢に討って出よと命じ、五番手として董襲に三千の かんよう 兵をひきいて漢陽を攻め取り、漢川から曹操の陣中に斬りこんで白旗をあげた援軍が着くまで踏み はんしよう とどまれと命じ、最後に六番手として潘璋に三千の兵をひきい、総勢白旗を押し立てて漢陽へ攻 めかかり、董襲に加勢するよう命じこ。、 ロオカくて六隊それそれの方向へ打ち立ったあと、黄蓋に火船 - 一う かんねい さいちゅう ・一ら・カし
曹操はこれに同意し、その夜、ひそかに二人を呼んで言いふくめた。 「そなたたちは、兵卒を少し連れて東呉へ降参いたせ。その上、向うの動静を何にてもあれ、こち らへ通報いたすのじゃ。首尾よく敵を破った上は、重く取り立ててつかわす。必ず心変りいたすで , ないぞ」 「われらの妻子は、みな州に残してござります。決して変心なそいたしませぬ。何とそおまかせ 下さりませ。われら二人、必ず周瑜・諸葛亮の首を取り、ご前に献上っかまつるでござりましょ あく 二人が答えると、曹操は数々の引出物を与えた。翌る日、二人は兵士五百をひきい、数艘の船に を分乗して、追風を背に南岸へ向かった。 箭 さて、周瑜が出陣の策を練っているところへ、北岸より船が着いて、蔡瑁の従弟蔡和・蔡中が投 明 孔 降して来たとの知らせがあった。呼び入れると、二人は彼の前に泣き伏した。 て い「われらの兄は、罪もなく曹操に殺されました。われら両名、何とぞして兄の仇を討ちたく、こう さきて 謀して参上っかまつりました。お願いにござります、われわれを先手にお加え下さりませ」 かんねい 奇 周瑜は満悦のていで、二人に引出物を与え、その場で甘寧とともに先鋒の指揮をとるように命じ 六た。二人は拝謝して、してやったりとはくそえんだ。一方、周瑜はひそかに甘寧を呼び寄せて、 四「あの二人は妻子を連れて来ておらぬ。本心から降参して参ったのではなく、曹操の廻し者として ていちょう 来たのだ。わしはその裏をかいて、わざと奴らに内通させてやるつもりだ。鄭重にあっかう振り をして、よく見張っておるよう。出陣の日には、ます奴らを血祭りとしよう。よくよく心して、見
「この漢中の民は十万あまりで、暮しも豊かに食糧の貯えも多く、四面要害に囲まれておりますと し 1 」こく ころ、このたびの馬超の敗戦にて、子午谷より漢中に流れこんで来た西涼の兵士たちも数万を下り りゅうしようだじゃく せいせん ませぬ。さらば、それがしの思いまするに、益州の劉璋は懦弱な男ゆえ、まず西川四十一州を取 って足場となし、しかるのち王位にお即きになっても遅くはないと存じまするが」 ちょうえい と言ったので、張魯は大いに喜び、弟張衛と出兵の協議を始めた。 一方、この由は早くも間者によって西川へ報じられた。 しよう きようり編っ キ、ぎよく ろきよう げんな りゅうえん さて益州の劉璋、字季玉は、劉焉の子で、漢の魯の恭王の末孫である。章帝の元和年間、竟陵 とへ転封になったので、その子孫がこの地に移って来たのである。劉焉はのちに益州の牧にすすみ、 よう ちょうい 馬興平元年 ( 一九四 ) に廱がもとで死んだので、州の重役、趙題らが劉璋を益州の牧に推したのであ ほ・つ一 はせい る。劉璋は前に張魯の母親と弟を殺したので、かねがね反目しており、廳羲を巴西の太守として、 を 張魯の侵攻を防がせていた。この時、靡羲は張魯が軍をおこして西川を取ろうとしているのを探知 衣 褶するや、劉璋にこれを急報した。劉璋は生まれつき臆病だったので、この知らせを聞くや、心中い たく憂え、急いで役人たちを集めて協議した。と、一人が昻然と進み出て言うのに、 回 さんずんふらん 九「殿、ご安心下さいますよう。それがし非才とはいえ、この三寸不爛の舌にて、張魯めにわが西川 第へ目を向けることもできぬようにして進ぜまする」 しよく 正に、の臣下の一言に、」 弗州の豪傑、現われいずる、というところ。さてこの人は誰か。それ は次回で。 っ えき
東風意ありて周郎に便す とある。 おうさっ かんねい さいちゅう 長江における鏖殺はさておき、ここに甘寧は蔡中に命じて曹操の陣中深く案内させるや、彼を くさむら りよもう 一刀のもとに斬り殺し、あたりの叢に火を掛けた。呂蒙は敵陣に火の手の上がるのを見るや、十 はんしようとうしゅう 数カ所に火を放って甘寧に加勢し、潘璋・董襲もそれぞれ火を掛けて鬨の声をあげ、四方に陣太 鼓がとどろきわたった。曹操と張遼は僅か百余騎をひきい、火の林をくぐって逃れようとしたが、 行手は一面の火の海である。馬を飛ばすうち、毛班が文聯を助けて十数騎で追いついたので、ただ ちに退路をさがさせたが、張遼が、 うりん 「烏林へ参りましよう。逃げられそうなのはあそこしかありませぬ」 と指さしたので、いっさんに烏林を目指して走った。ところへ、背後に一手の軍勢が追いすがる 「曹操、待てい」 - りト ` - もう と叫ぶ。火の光の中から現われたは呂蒙の旗じるしである。曹操は、構わずに手勢を先へ行かせ、 ごづめ たいまっ 張遼を後詰に残して、呂蒙をくいとめさせた。と、行手に松明が輝き渡るとみるや、谷あいから一 手の軍勢が押し出して、 りようとう 「凌統これにあり」 と大音に呼ばわる。曹操あっとばかりに胆をつぶすところ、たちまち横合から馳せつけた一手の や、
しよく とっては天下無敵。蜀の五虎将の一人。 ・本巻の主な登場人物・配列は姓の五 + 音順 こうはそんけん かんねい えんしよう あぎなほんしょ ー二二〇 ) 字は本初。漢の名門の出で甘寧 ( ? ) 字は興霸。孫権の部将。 袁紹 ( ? きょちょ ちゅうこう 河北に強大な勢力を張る。性は優柔不断、た許褶 ( ? ) 字は仲康。曹操の武将。親衛隊長と かんとそうそう して常に身辺に侍す。 めに官渡で曹操に大敗する。 こうふくそんけん 、 ) うろ えんじゅっ 袁術 ( ? ー一九九 ) 字は公路。袁紹の従弟。淮黄蓋 ( ? ) 字は公覆。孫堅父子三代に仕えた部 なん 将。 南で成を建て、一時帝位を僭称する。 こうちゅう かんしよう ぶんか 賈 ( ? ) 字は文和。はじめ董卓に仕え、のち黄忠 ( ? ー二三〇 ) 字は漢升。弓の名手。劉備 父子に仕えた蜀の五虎将の一人。 曹操に仕える智将。 こうきん かくか ほう、一う しゅうそう 郭嘉 ( 一七〇ー二一 (l) 字は奉孝。曹操の片腕と周倉 ( ? ー二一九 ) 黄巾の残党で、関羽を慕っ いわれた幕僚。 てその部将となる豪傑。正史には見えない。 ようへい そんさくそんけん しゅうたい 郭汜 ( ? ) 幼名阿多。董卓の部将。李と共に周泰 ( ? ) 字は幼平。孫策、孫権の部将。 こうきん しゅうゆ 一時天下をとる。 周瑜 ( 一 - 七五ー二一〇 ) 字は公瑾。孫策の義弟。 ぶんじゃく かこうえん み - うさい じゅんいく ー二一 (l) 字は文若。曹操の幕僚。 物夏侯淵 ( ? ー二一九 ) 字は妙才。曹操挙兵以来荀彧 ( 一六三 じよしょ しよかつりトつ げんちよく ぜんふく 徐庶 ( ? ) 字は元直。一名単福。諸葛亮の学 場の部将、以降数々の戦功を立てる。 かこうとん げんじよう 夏侯惇 ( ? ー一三一 ) 字は元譲。夏侯淵の従兄。友。はじめ劉備の軍師、のち曹操に仕える。 主 - 一うめい ・かり、よっ しよかつりよう 諸葛亮 ( 一八 ー二三四 ) 字は孔明。別名臥竜。 巻淵と共に曹操の挙兵に参加 じトっ・よう うんちょうりゅうび りゅうちゅう ・本・かんう 関羽 ( 一六二 ー二一九 ) 字は雲長。劉備に兄事襄陽郊外の隆中に隠棲中すでに天下三分の する文武両全の名将。信義に厚く、大薙刀を 計をたて、劉備の三顧の礼にこたえて出廬、 あた とうたく
「それがしはいったん江東より出て参った身ではあり、二度ともどることはできかねると存じます。 誰ぞ内密に人を遣わしてはいただけませぬか」 「いや他人では、、いもとのうて」 闕沢は繰り返しことわったが、ややあって、 「では、行くとなれば手間取ってはおられませぬ。これよりただちに参りましよう」 曹操が引出物を与えようとしたが、閾沢は受け取ろうとせず、そのまま別れて陣屋を出ると、ふ たたび小舟を操って江東へ立ち帰り、黄蓋に会って、これまでの事をつぶさに物語った。 「そなたの弁舌のお蔭で、わしも無駄骨を折らずに済んだというものじゃ」 かんねい 「それがし、これより甘寧殿の陣屋へ参り、蔡中・蔡和の様子をさぐって参ろうと存じますが」 「宜しく頼む」 闕沢は甘寧の陣屋を訪ねて中に通るや、開口一番、 こうきん はずか 「将軍は、昨日、黄公覆殿を救われようとして、周公瑾めに辱しめられましたが、それがしもあの 無礼なやり方には腹をすえかねております」 甘寧は笑って答えない。そこへ蔡和と蔡中がはいって来た。闕沢が甘寧に目配せすると、甘寧は その意を悟って、 「周公瑾の奴は、己の才を鼻にかけてわれらのことなぞ見向きもせぬ。あのような恥辱を蒙ったか らには、わしも国の者どもに会わせる顔がない」 と言って歯をばりばりと噛み鳴らし、なおも机を叩いて喚き立てる。そこを近づいた闕沢がわざ