船 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 4
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1. 三国志演義 4

さて曹操は軍勢を揃え終わると、これを三手に分けて渭水へ向かった。軍勢が渡河点に到着した のは、日が昇りはじめた時である。曹操はまず屈強の兵士をすぐって北岸へ渡って陣屋を構えさせ、 自らは警護の武将百人を随え、剣を手に南岸に腰を据えて、軍勢の渡るのを眺めていた。と、 ひたたれ 「うしろに白い袍の大将が現われました」 という知らせ。皆はそれが馬超と知り、一斉に船に押しかけ、われ先に船に乗ろうと、はげし、 しようぎ 騒ぎになる。曹操が少しもあわてす、床几に腰を下したまま、剣に手をかけて、静まるよう下知し とっかん いなな ているうち、吶喊の声、馬の嘶きが、あたりを圧して迫って来た。ところへ、一人の大将が船から 岸に飛び移るなり、 み「賊が参りました。・ とうそ船へお移り下さい」 きょちょ て と叫ぶ。見れば許褶である。曹操はなおも、 興「何をうろたえるか」 兵 と言いながら、振りかえって見れば、馬超は早くも百歩あまりのところへ来ている。許褶が曹操 孟の手を引いて船に乗り移ろうとした時、船はすでに一丈あまりも岸を離れていたので、曹操を背負 うや岸を蹴って飛び移った。供の者たちがみな水に飛びこみ、船べりにすがって、先を争って船に 回 上がろうとしたので、小さな船は覆えらんばかり。許緒は刀を引き抜いてあたりを斬り払えば、船 十 第に取りすがっていた者どもは、手を斬り離されて、水中に沈んでゆく。そのすきに、船は下流へ漕 へさき ぎ出した。許緒は舳に立ってしきりに竿を使い、曹操はその足許に身を伏せた。馬超は岸まで来て、 船がすでに川の中ほどに出ているのを見るや、弓を取りあげるとともに、大将たちに川に沿って追 くつが

2. 三国志演義 4

と言うなり、小船に飛び移り、味方に手で指図して漕ぎ出せば、見回りの船十数艘がこれに随う。 7 「やあやあ、丞相の仰せなるそ。南軍の船、陣に近寄ること罷りならぬ。そこにとまれ」 舳に立った文聘が大音に呼びかければ、兵士たちも声を揃えて、 「早々に帆を下せ」 と怒鳴る。 その声も終わらぬうち、弓絃の音一声、文聘は左の肩のつけ根に矢を突き立てられて、船中にど っと倒れ、浮足立った兵士たちは先を争って逃げもどった。南軍の船は曹操の陣の手前二里まで近 づいたが、 このとき黄蓋が大刀をひと振りすれば、前にあった船が一斉に火を吹き上げる。火は風 に乗り、風は火を助け、船は矢のように突っ走り、天に沖する火煙を吹いて、火船二十艘、水軍の 陣へ突入した。曹操方の船は固まりあい、鉄の鎖でしつかりつなぎとめられているから、逃げよう にも逃げられない 。ところへ、南岸に石火矢の音一声、四方から火の塊りとなった船が殺到すると ぐれん ともに、たちまちにして長江一面に紅蓮の炎、風に乗ってうずまき、天地をあかあかと照らし出す。 曹操が陸上の陣屋を見かえれば、早くもあちこちより火の手があがっている。小舟に飛び移って 舳に立った黄蓋は、数人の兵士に櫓を押させ、渦巻く火煙をかいくぐって曹操の姿をさがし求める。 ち・よう・り・よう・ 曹操がもはやこれまでと、岸に向かって身を躍らせようとしたとき、張遼が小舟を漕ぎ寄せて彼 を助け下したが、 この時、その兵船には火が移っていた。張遼は十人あまりの者と曹操を守って飛 じんばおり ぶように岸へ急いだ。黄蓋は赤い戦袍を着た者が船から下りたのを目にし、あれそ曹操と、兵士ど しった もを叱咤して舟を急がせるとともに、白刃をひっさげて大音に呼ばわった。 へさき

3. 三国志演義 4

趙雲に言われて、玄徳は孫夫人とともに船に乗り、子竜も五百の軍勢とともに乗り移った。と、 かんきん 船中に綸巾を戴き道袍をまとった人が坐っていて、からからと笑い、 しよかつりよう 「殿、祝着至極にござりまする。諸葛亮、待ちかねておりましたそ」 乗合いの客と見たのは、すべて荊州の水軍の面々である。玄徳は手を打って喜んだ。ところへ、 四人の大将が追いついて来た。孔明はからからと笑って岸を指さし、 つつもたせ 「わしはとうに見越しておったぞ。お前らは帰って周瑜に言ったらよい。二度と美人局なそ企むで ないとな」 め し 岸からばらばらと矢が射かけられた時には、船はすでに遠く岸を離れ、蒋欽ら四人は、ただ呆然 激と見送るばかり。 かんせい 人玄徳と孔明らが船を進めるうち、とっぜん、江上にどっと喊声が轟いた。振りかえれば、数知れ - 一う力し かんとう てだれ 孫ぬ兵船、『諏』の字の旗の下に周瑜自ら手練の水軍を指揮し、左に黄蓋、右に韓当を随えて、奔馬 の如き勢い、流星の如き早さで、みるみるうちに近づいて来る。孔明は船を北岸に着けさせるや、 徳船を乗りすてて一斉に岸に上り、車馬をつらねて行く。周瑜も岸辺に船を着けるや、全員上陸させ かち て後を追おうとしたが、水軍の者どもはすべて徒歩で、馬のあるのは大将ばかり。周瑜はまっ先に 回 五進み、黄蓋・韓当・徐盛・丁奉がすぐ後につづく 五「ここはどこか」 周瑜が言えば、兵士が答えて、 - ) う 「先は黄州の境にござります」 0

4. 三国志演義 4

と叫ばせた。この知らせが曹操に届いた時には、船は足も軽く急流に乗り、すでに二十里あまり ゃいばか も遠ざかっていたので、追い着くこともできない。曹操は無念の牙を噛むばかりであった。 さて孔明は船を返してから魯粛に言った。 「各船に五、六千本ずつはござろう。江東の力はいささかも用いず、十万本あまりの矢を手に入れ たわけでござる。これなら、明日にでも曹操の軍勢が寄せて来ようと、心配ないでござろうが」 「先生はまこと人とは思われませぬな。して今日のこの深い霧をどうして知られましたか」 てんもん 「大将ともあろうものが、天文に通ぜず、地理を知らず、奇門を知らず、陰陽の術をわきまえず、 陣型を見分けられず、兵法の勢に明らかでないようでは、物の用にも立たん。それがしは、三日 前にすでに今日のこの霧を察知しておったゆえ、わざと三日と日限をきったのでござる。公瑾殿は それがしに十日の間に造るよう命じておいて、職人や材料をおさえ、これを口実としてそれがしを 殺そうとなされたのだが、それがしの運命は天にかかっておる。公瑾殿にはそれがしの命を取れは す・まい」 魯粛はただただ感服するばかりであった。 船が岸に着くと、周瑜のよこした兵士五百が矢を運びに来ていたので、孔明が船から抜き取らせ たところ十余万本あり、すべて陣中へ運びこませた。魯粛が周瑜のもとへ行って、孔明が矢を取っ ちくいち ぶぜん たいきさつを逐一、話すと、大いに驚いた周瑜は、憮然として洩らしたものであった。 「孔明の奇智はこの世のものとも思われぬ。それがしなそのとうてい及ぶところではない」 後の人がこれを讃えた詩に、 たた いきおい

5. 三国志演義 4

この夜、五更の頃おい、船は曹操の水上の寨に近づいた。孔明は船を西から東へ一列に並ばせる と、一斉に太鼓を鳴らして鬨の声をあげさせた。 「これはしたり。曹操の軍勢が討って出たら、いかがなさるご所存でござるか」 と魯粛が驚くと、孔明は笑った。 「この霧では曹操は出ようとしまい。われらは酒でも楽しんでおって、霧があがったらもどればよ いのでござる」 さて曹操の陣中では、どっと上がった陣太鼓と鬨の声に、毛と于禁があわてて曹操へ知らせを やったが、曹操は、 を「このはげしい霧の中を不意討ちを掛けて来たからは、伏勢があるに相違ない。軽々しく討って出 明てはならぬ。水軍の射手を揃えて存分に射かけてやれ」 ↓っ画う . りト - うじよ第」う 孔 と下知し、さらに人を陸上の陣へやって、張遼・徐晃にそれぞれ射手三千をひきい、ただちに て 岸辺に出て加勢するよう命じた。曹操の下知が伝えられたとき、毛畍・于禁は南軍の乱入をおそれ 用 て、すでに射手を繰り出して矢を浴びせかけており、間もなく陸上の射手たちも到着して、都合一 奇 万余人が、流れに向かって雨のように矢を射かけた。一方、孔明は船を返させて、東から西へとさ 六らに敵陣へ近づいて矢を受けとめ、また陣太鼓や鬨の声をさかんに上げさせた。かくて、朝日が上 四つて霧が晴れかかるや、急いで引っ返すよう命じたが、二十艘の船の両側に並べた藁束には、隙間 もなく矢がささっている。孔明は各船の兵卒たちに命じて、一斉に っー じようしよう 「丞相、矢をありがたく申し受ける」 とき とりで

6. 三国志演義 4

したが、船の件は伏せておいて、孔明が自分には考えがあるから矢竹・羽根・膠・漆などはいっさ いいらないと一言った旨だけを伝えた。 「ふうむ。ひとまず三日目にどういう返事をするか見ることといたそう」 と周瑜も首をひねったものであった。 さて魯粛はひそかに足の早い船を二十艘、支度し、それそれに三十人あまりの兵士、幔幕や藁束 なそ言われたとおりにして、孔明が使うのを待ち受けた。ところが、一日目、孔明からは何とも言 って来ず、二日目になっても動かない。三日目の四更の頃おい、孔明よりひそかに迎えが来た。舟 へ行って、 を「何かご用でござるか」 明「ご苦労でも、それがしといっしょに矢を取りに行ってはいただけませぬか」 孔 「して、どこへ」 て い「しばらくお待ち下され。行けばお分かりでござる」 謀かくて二十艘の船を長い綱でつなぎ合わせ、北岸へ向けて漕ぎ出した。この夜、濃い霧がたちこ ちょう 奇 め、長江の中ほどは、一段と深くなって、対坐する相手の顔も見分けられぬほどであった。孔明は 六船を早くやるよう命じたが、霧はかって見ぬ深さである。古人の『大霧江に垂る』という賦 ( 長編 四の韻文 ) に、 大いなるかな、長江。西は岷・峨 ( 山名 ) に接し、南は三呉を控え、北は九河を帯す。百川を びんが にかわうるし

7. 三国志演義 4

て参りまする」 5 「では、そなたたちに舟二十艘と、槍と石弓を持った屈強の兵卒五百をつけてつかわそう。明日は 夜明けとともに主力の兵船を江上へ漕ぎ出して威勢を張り、さらに文聘に三十艘の見回り船をひき いさせて、そなたたちの帰りを待ち受けさせることとしよう」 焦触・張南は喜びいさんで退出した。 ひょうろう 翌る日、四更に兵粮をとり、五更にはいっさいの支度をととのえたが、早くも陣中に陣太鼓・ どら 銅鑼の音が響き渡るのを合図に、各船一斉に漕ぎいだし、水上に堂々の陣を張った。たちまち長江 工南目指して繰 一帯は、青旗・赤旗で埋まる。その中を、焦触・張南は見回り船二十艘をひきい、、冫 り出した。 さて南岸では夜来、勢んな陣太鼓の音を聞き、遙かに曹操が水軍を調練するありさまを見てとっ たので、物見の者が周瑜に注進したが、周瑜が様子を見に山頂に登った時は、すでに引き揚げた後 であった。と、翌日、にわかに天に轟くばかりの陣太鼓の音がおこったので、兵士が急いで丘に駆 け登ると、小さな舟が波を蹴って進んで来る。あわててこの由を本陣へ知らせた。周瑜が誰か先手 かんとうしゅうたい をつとめぬかと尋ねると、韓当・周泰の二人が同時に進み出た。 「それがしにお申しつけ下されませ」 周瑜は喜んで各陣へ下知し、守りを固めて軽々しく動くなと命じた。韓当・周泰は、おのおの五 艘の見回り船をひきい、左右に分かれて繰り出した。 ながえ 一方、焦触・張南はしやにむに小舟を飛ばせて進んで来る。韓当は胸当だけをつけ、手に長柄の さか ぶんべい

8. 三国志演義 4

に乗って赤壁目指して漕ぎ出せば、時に東の風ますます吹きつのり、波頭、天に躍る。 曹操は水上の本陣にあって長江を見渡していたが、皎々たる月影が水に照りはえ、あたかも無数 の金色の蛇の逆立っ波にたわむれるが如くである。彼は吹きつける風をまともに浴びて、わが事、 成れりと思わずからからと笑った。と、一人の兵士が指差して、 「南岸より追風に帆をあげた船の一団が、こちらにやって参る様子でございます」 曹操が櫓に上がって眺めるところへ、また注進が来て、 「みな青竜の旗を立て、中の大旗には、『先鋒黄蓋』と大書してございます」 こうふく 「公覆が来てくれたのは、天の助けというものじゃ」 と曹操が笑ううちにも、船は次第に近づいて来る。これをじっと眺めていた程昱が言った。 「あれは敵の計略と見えまする。陣へ近づけてはなりませぬ」 風 「どうしてそれが分かる」 「兵粮が積まれてあるなら、船足は重いはずにござりまするが、あの船を見まするに、軽々と浮か たくら 星んでいるではありませぬか。しかも、このはげしい東南の風。もし敵の企みであれば、どうなされ ますか」 九曹操は、はっと気づいて、 十 四「誰ぞ、あれをせきとめよ」 ぶんべい と言えば、言下に文聘が、 「それがし水には慣れておりますゆえ、それがしにお申しつけ下されませ」 せきへき

9. 三国志演義 4

巡視の役を命ぜられたので、脱出の目処がついた。必す江東の名ある大将の首を取って降参する。 よって、今夜二更、青竜の旗を挿して漕ぎ寄せるのが兵粮船ゆえ、お間違いなきよう」とある。 曹操は大いに喜び、諸将とともに水軍の大船に乗りこんで、黄蓋の船の到着を待ち受けることと さいカ 一方、江東にあっては、日が暮れかかるとともに、周瑜が蔡和を呼びつけるなり、やにわに兵士 に命じて縄をかけさせた。 「それがし、何もした覚えはござりませぬ」 蔡和が叫んだが「 「不届者めが。貴様の投降が本意からでないのはとうに分かっておったのだ。出陣の犠牲が手許に ないゆえ、貴様の首を借りるぞ」 逃れられぬと知った蔡和は、開きなおって、 「貴様たちの闕沢・甘寧もわしの味方だぞ」 と叫んだが、 「あれもわしの差し金だ」 と言われて、後悔の臍をかんだ。 周瑜は彼を岸辺の黒色の軍旗の下へ引っ立てて行かせ、酒を注ぎ紙銭を焼いてから、一刀のもと に蔡和の首を刎ねさせ、その血で軍旗を祭るや、出陣の命令を下した。黄蓋は三艘目の火船に乗り こみ、胸当をつけただけで、『先鋒黄蓋』と大書した旗の下に白刃を手にして立った。やがて追風 がね はぞ しせん

10. 三国志演義 4

いずれ改めて見参いたす」 「しばらくお待ち下されい。大事にごギ、る」 「都督はそれがしを目の仇にして、それがしの命を取ろうとされておるのであろうが、それがしは ちょうしり、よ - っ とうに見抜いておったゆえ、趙子竜に迎えに来てもろうたのじゃ。お引き取りになるが身のためで ござろうぞ」 徐盛は、前を行く舟が帆を上げていないのを見て、しやにむに追いすがった。みるみる間がちぢ まったとき、趙雲が弓に矢をつがえて船尾に立ち、大音に、 じようぎん 「われこそは常山の趙子竜なり。このたび命を奉じて軍師殿のお迎えに参ったに、いらざるとめ い・一ろ 立ては無用なるそ。一矢にて貴様を射殺すところなれど、それでは両家の不和のもとともなろうゆ 祭 え、まずわしの手並を見せてくれよう」 を 風 と言うなり、ひょうときって放てば、見事、徐盛の船の帆綱を射切り、帆はばらりと水中に落ち 諸て、船はぐらりと傾いた。その間に趙雲は己の舟の帆をいつばいに上げさせて順風に乗ったから、 星まるで飛ぶが如く、たちまち遠のいてゆく。 一方、岸からは丁奉が徐盛に船を近づけさせて言うのに、 ばんぶふとう 九「諸葛亮の才智は、われわれ如きの及ぶところではない 。しかも、趙雲は万夫不当の豪傑。貴公も、 とうよう・ろよ , ー・はん 四彼の当陽長坂での働きを知っておるだろうが、もはやこれまでだ。帰って事の次第を報告するよ り仕方あるまい」 かくて二人は立ち帰って周瑜の前に出、孔明が前もって趙雲を迎えに来させるように定めておい