馬騰 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 4
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1. 三国志演義 4

が進み出た。これそ曹洪であるので、馬騰が急いで馬を返そうとする時、左右に鬨の声がおこり、 左から許緒、右から夏侯淵が討っていで、背後にも徐晃が討って出て、西涼の軍勢との間を絶ちき って馬騰父子三人をまん中に取りこめた。馬騰は形勢非なりと見てとり、カの限り斬りまくった。 馬鉄は早くも矢玉の雨の中で死に、馬休は馬騰の後について右に左に馳せまわったが、斬り抜ける ふかで ことができない。二人は深傷を受けた上、馬が矢を受けて倒れたので、ともどもに捕えられた。曹 操は黄奎と馬騰父子を引っ立てて来させた。黄奎は、 「それがしに罪はござらぬ」 と大声で叫んだが、曹操は苗沢を呼んで対決させた。馬騰が、 「ええい腐れ儒者めが大事を誤りおって。国賊を殺せぬとは、これがわしの運命か」 弔 を と罵るうち、曹操は引き出すよう命じ、馬騰はなおも罵りながら、その子馬休、黄奎とともに首 喪 竜を刎ねられた。後の人が馬騰を嘆いた詩に、 ロ ひと 父子忠烈を斉しゅうし 柴 あら 忠貞一門を著わす 回 おもんば 生を捐てて国難を図かり 十 五 死を誓って君恩に答えんとす 第 血を嚼みし盟一言在り 奸を誅せんとの義状存す ちゅう とき

2. 三国志演義 4

ろうせい りよふ ほうせん 隴西の豪族。強大な武力を背景に献帝を擁立呂布 ( ? ー一九八 ) 字は奉先。董卓の義子。後 し、専横をきわめる。 漢末随一の武勇をうたわれながら、転変常な ・ばとう・ じゅせい ふくは ばえん 馬騰 ( ? ) 字は寿成。漢の伏波将軍馬援の末孫。き性格のため天下の嫌われ者となる。 ろしゆく 巨驅強力の隴西の豪族。 魯粛 ( 一七二ー二一七 ) 字は子敬。孫権の幕僚。 もうき ばちょう * 印は正史に記載なく『演義』によった。 馬超 ( 一七六ー二二一 l) 字は孟起。馬騰の長子。 劉備父子に仕えた蜀の五虎将の一人。 ほうと - っ しげん ほうすう 廠統 ( 一七八ー二一三 ) 字は士元。別名鳳雛。劉 備の軍師。諸葛亮と並び称される智恵者。 りかく 李催 ( ? ー一九七 ) 董卓の部将。董卓没後、郭 汜と共に長安に乱入、一時天下をとる。 りゅうきよう 劉協 ( 一八一 ー二三四 ) 後漢第九代の献帝。 りゅうしよう きギ - く 劉璋 ( ? ) 字は季玉。益州の栁。 りゅうび げんとく ちゅうざん 物劉備 ( 一六一 ー二二一一 l) 字は玄徳。漢の中山の 人せい 場靖王の末孫。黄巾の乱に際して関羽、張飛と 共に挙兵。 主 りゅうぜん あと 巻劉禅 ( 二〇七ー二七一 ) 字は公嗣。幼名阿斗。 本 劉備の子。 「ーりゅうひょう けいしようナい 劉表 ( ? ー二〇八 ) 字は景升。荊州の牧。 けん

3. 三国志演義 4

「この男を西山の庵室へ押しこめておけ。追いかえすのは、曹操を破ってからでも遅くはあるまい」 蒋幹が口を開こうとした時、周瑜は奥へはいってしまった。たちまち左右の者が馬を引いて来て いおり 蒔幹を乗せ、西山の山かげにある小さな庵へ連れて行くと、二人の番卒を配置した。蒋幹は中に坐 ったものの心が重く、食物も喉を通らず眠ることもできない。おりしも満天の星月夜に、一人そこ を立ちいでて裏の方へ廻ってみると、何やら書物を読む声が聞こえる。声を頼りに歩いて行くと、 大きな岩かげに草ぶきの家があって、灯が洩れている。近づいて中の様子をうかがえば、一人の人 そんぶ が剣をかたわらの壁に掛け、灯を前にして、孫・呉 ( 孫武・呉起 ) の兵法書を朗読しているではな いか。これはただ者ではないと思ったので、戸を叩くと、その人が門を開いて出迎えたが、いかに 献 を も俗人とは見えぬ風貌である。姓名を問うと、その人の言うのに、 書 「姓は靡、名は統、字を士元と申す」 ほ、つすう 判「されば、鳳雛先生ではござりませぬか」 密 沢賰幹は喜んで、 「ご高名はかねてより承っておりました。して、どうしてこのような人里離れたところにお住まい 回 七で」 十 四「周瑜は自惚れが強く、人を容れる度量がない男ゆえ、こんなところに隠れておるのでござるが、 貴公は」 「それがし、蒋幹でござります」 うめば

4. 三国志演義 4

212 いまもし行かねば、 「曹操は天子の詔を奉じて父上を召し出そうとしておるのでございますから、 謀反呼ばわりをいたすに相違ござりませぬ。彼が言って来たのを受けて、京師へ上り、時をみて事 をおこさば、かねてよりの望みも達せられるのではござりませぬか」 ばたい と馬超が答えると、馬騰の兄の子、馬岱が、 「曹操は何を企みおるや知れませぬゆえ、お出ましあって、彼の手にかかるようなことがあるやも 知れませぬそ」 と諫めたが、馬超は、 「わたくしが西涼の軍勢を残らずひきい、父上にお供して許昌に攻め入り、天下のために賊を亡ば すことにいたさば、宜しいではござりませぬか」 ばきゅうばてつ 「そなたは羌兵をひきいて西涼を守っておれ。わしは次男馬休、馬鉄と甥の馬岱を連れて行く。曹 操とて、そなたが西涼におり、かっ韓遂殿がついておるのを見れば、手出しもできまい」 「おいでの上は、決して軽々しく都にはいったりなさりませぬよう。臨機応変に、彼の動静を見定 められますよう」 「わしとて考えがある。心配いたすな」 ごづめ かくて馬騰は西涼の兵五千をひきい、馬休・馬鉄を先鋒、馬岱を後詰として許昌を目指したが、 許昌の手前二十里のところで軍勢をとめた。 もんかじろう ( 注一 l) こうけい 曹操は馬騰の到着を知るや、門下侍郎黄奎を呼んで、 「今度、馬騰が南征することになったので、そなたを行軍参謀にする。まず馬騰の陣へ出向いて軍

5. 三国志演義 4

たしまする」 「おお、そなたが行ってくれれば、わしも安心しておれる。散関にも軍勢がおいてあるが、そなた さキ、て ぞうは がとりしきってくれい。さっそく、騎馬武者と歩卒、都合三千をつかわし、臧霸を先手の大将に命 ずるゆえ、後れをとらぬよう、ただちに打ち立て」 徐庶は曹操の前を辞し、臧霸とともに出立した。実は、これが、廳統が徐庶に教えた救命策で あったのである。後の人の詩に、 うれ し 曹操南を征して日々憂えたりしは を 馬騰・韓遂が戈矛を起こさんこと ほうす、う・ 詩 鳳雛一語に徐庶に教えしは 操 つ」りばり 曹 正に游魚の釣鉤を脱するに似たり て 宴 汨曹操は徐庶を差し向けたことで、いくらか不安がおさまったので、馬に乗るとまず岸辺に張った 長 陸上の陣を見回り、次に水上の陣地を視察した。一艘の大船に乗り、その中央に『帥』と書いた旗 八じるしを立てさせた。両側に水軍を並べ、船上には弓、石弓、千張を伏せて、曹操は座につく。時 四に建安十三年 ( 二〇八 ) 十一月十五日、空には一点の雲もなく、風おだやかに浪もない。曹操は言 がくじん 「酒を用意し楽人を集めよ。今宵、この船上にて酒宴をもよおそうそ」 けんあん いくさ しゆったっ なみ

6. 三国志演義 4

262 張松は客舎にもどるや、その夜のうちに城を出て、西川へ帰りかけたが、ふと思うのに、『わし はもともと西川を曹操に引き渡すつもりで来たのだが、あんな無礼な奴とは思ってもいなかった。 しゆったっ 出立のとき劉璋の前であれだけ大口をたたいてきた手前、今さら空手で臆面もなく帰ったとあっ げんとく ては、蜀中の笑い物だ。荊州の劉玄徳は仁義の聞こえ高い人物、ひとっ荊州を廻って帰ることにし よう。彼の人物を見た上で、何とか考えることにいたすとするか』。そこで、馬に乗り、供の者た えい ( 注こ ちを連れて荊州の境へとやって来た。郢州の境まで来ると、約五百騎ばかりの軍勢が姿を現わした。 そのまっ先に立った身軽ないでたちの大将が、前まで来てびたりと馬をとめ、 ちょうべつが 「これは張別駕殿ではござりませぬか」 と聞くので、 と答えると、その大将は鞍からまろび下り、 ちょううん 「趙雲、久しくお待ち申しておりました」 張松も馬を下りて、 しーりト - う じ上うざん 「と言われると、常山の趙子竜殿でござるか」 あるじ 「、かにも。それがし、主君劉玄徳の命によりここに出張っておりました。それがし、主より、遠 路はるばるお越し下される別駕殿にいささか酒肴なそ進ぜるよう申し付かって参ったものにござり ます」 ひぎまず その言葉とともに、兵士が跪いて酒肴を捧げ、趙雲もうやうやしくそれをすすめた。

7. 三国志演義 4

皆の者が尋ねると、曹操は言った。 「わしは諸葛亮・周瑜がやはり能なしであったので、笑ったのじゃ。わしが彼らであったら、ここ へ一隊伏せておいて、疲れ果てた敵勢を待ち伏せさせるところじゃ。かくすれば、われらはたとえ ふかで 命は拾えても、深傷を受けずには済むまい これに気が付かぬとは、はは、笑止のいたりじゃ」 と言うところへ、前後。 こどっと鬨の声があがった。仰天した曹操、鎧もつけずに裸馬に飛び乗っ ひけむり たが、兵士たちは自分の馬をさがして右往左往する。そのうちにも四方は早くも火煙にとりかこま えんひとちょうよくとく れ、山あいに一隊の軍勢が押し出すとみるや、まっ先に馬を乗り出したのは、これそ燕人張翼徳、 矛を小脇にかいこみ、手綱を控えて、大喝一声。 「曹操、どこへ逃げる」 ・きょち・よ 大将たちは、張飛の姿を見て胆を冷やさぬ者はなかったが、中から許褶が裸馬を躍らせて戦いを 挑んで行ったので、張遼・徐晃の両将も、左右から斬ってかかる。かくて両軍一団となって混戦す るうち、曹操がまっ先に馬を飛ばせて走り去り、大将たちも次々に逃げ出した、張飛はこれを追っ たが、曹操は死物狂いになって彼を振りきった。追手が遠のいたので、大将たちはと見てやれば、 ほとんどの者が手傷を負っていた。 かくて先を急ぐうち、兵士が、 よろ 「この先は分れ道となっておりまするが、どちらの道をとるが宜しいでござりましようか」 「どちらが近道か」 とき

8. 三国志演義 4

言うと、大将たちの言うのに、 「馬も疲れきっておりますことゆえ、暫時の休息をお許し下されませ」 「荊州に行き着いたら休ませるゆえ、我慢いたせ」 曹操がそう言って、さらに数里も行かぬうち、彼はとっぜん鞭を上げてからからと笑った。 「丞相、また何をお笑いにござりまするか」 と大将たちに尋ねられた。曹操は言った。 「人はみな周瑜・諸葛亮の智謀を言うが、わしの見たところ、やはり能なしどもじゃ。もしここに つか 一隊の伏勢を置けば、われらとて手を束ねて捕えられるほかないではないか」 なぎなた 算 と、その声も終わらぬうち、石火矢の音一声、左右から薙刀を持った兵士五百が立ちあらわれ、 かんうんちょう せきと 華まっ先に馬を乗り出した大将関雲長が、大薙刀をひっさげ赤兎馬にまたがって行く手をさえぎつ った。曹操の軍勢は、これを一目見て胆をつぶし、ただ顔を見合わせるばかり。 を「もはやこれまで、一か八か、死物狂いでぶつかるばかりじゃ」 と曹操が言い、諸将が、 亮 諸「われらとて怯みはいたしませぬが、馬がもはや役に立たなくなっておりますゆえ、合戦はかない 回ませぬ」 一、いいく 十 五と一一 = ロ , っとき、程昱が、 たす 「それがし、雲長をよう存じておりますが、彼は上には強く下には弱く、強きを挫いて弱きを扶け る性格にて、恩義を忘れず、仁義の志厚い男にござります。丞相には、先に彼に恩義をかけておら ひる

9. 三国志演義 4

「今日は呉の勢をさんざんに打ち破って、遠くまで退がらせましたゆえ、鎧をとってゆっくり休ま せたらよいではござりませぬか」 と左右の者に言われて、張遼が、 「それは違う。勝って喜ばす、負けて憂えすというのが、大将たる者の心得だ。もし呉の勢が、わ 。しつにもましてよくやっておかねばなら が方のすきをみて寄せて来たらどうする。今夜の守備ま、、 ぬ」 と言っているおりから、陣の後方で火が出、謀反だという叫びとともに、注進の者が続々と駆け をつけて来た。張遼は本陣を出て馬に乗り、近侍の将校十数人を呼んで前に立ち並ばせた。 漢「ただごととは思えませぬ。ご検分になっては」 これは謀反人が、わざと兵卒どもをおどかしているのだ。 て「城中の者が全部、謀反するはすはない。 はわめきまわっている奴を斬って棄てよ」 義 と、間もなく、李典が戈定と廐番を引っ立てて来た。張遼は謀反の次第を糾問してから、その場 かんせい どら 雲で首を刎ねさせた。ところへ、城門の外で銅鑼や太鼓の音とともに、どっと喊声があがる。 「あれは呉の軍勢が気脈を通じて寄せてきたものだぞ。敵の裏をかいてやれ」 回 一一一張遼は、城門の内側に火の手をあげて、口々に謀反だと叫ぶよう下知し、城門をおし開かせて吊 第り橋を下させた。太史慈は城門がさっと開かれるのを見るや、かねての合図とみて、槍を片手にま やぐら れっ先に馬を乗り入れた。この時、櫓に石火矢が一発、矢が雨あられと降って来たので、太史慈は急 いで馬を返したが、すでに数本の矢を受けていた。これを追って李典・楽進が討っていで、呉の軍

10. 三国志演義 4

ひろ 張松は、『劉玄徳は心が寛く客を好むとか聞いておったが、いかにもそのとおりだ』と思い、趙 くつわ 雲と盃を交わしてから、轡をならべて進んだ。荊州の境に着いた時には、もはや日も暮れていたが、 客舎の前まで来ると、門前に百人あまりの兵士が立ち並び、太鼓を打って出迎えた。そこへ一人の 大将が馬前に進み出て挨拶し、 「関羽にござります。このたび兄者の命にて、客舎を清め、別駕殿のおいでをお待ちいたしており ました」 うんちょう 張松は馬を下りて、雲長・趙雲とともに中にはいると、改めて挨拶を交わして席についた。程 なく酒肴が運ばれて二人が慇懃に酒をすすめ、夜の更けるまで歓をつくしたすえ、張松をそこに泊 いめた。 を翌る日、朝の食事を済ませ、馬に乗って四、五里も行かぬうち、ひと群の人馬が前から近づいて ふくりようほ - っす、う 楊来た。玄徳が、伏竜・鳳雛を随えて親しく迎えに出て来たものである。彼は遙かに張松の姿をみ っ るや、急いで馬を下りて待ち受けた。張松もあわてて馬を下りて対面した。玄徳が、 反 やまかわ 年「別駕殿のご雷名はかねがね承りおり、一度お教えにあずかりたいと思いながら、山河にへだてら 張れて無念至極に思っておりましたるところ、このたび都よりお帰りの由を聞き、お出迎えに参上っ おばしめ 回 かまつりました。むさいところではござりますが、特別の思召しをもってしばらく足をお休め下さ 十 り、ご教示を賜わることが願えますれば、幸甚に存じまする」 第 やかた と一言うと、張松はいたく喜び、轡を並べて城にはいった。館について挨拶を交わし、主客に分か れて座に着き、酒宴が催された。酒の間にも、玄徳は雑談ばかりしていて、いっこうに西川の事に たま いんぎん むれ