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検索対象: 三国志演義 5
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1. 三国志演義 5

226 くび 馘を献じて功勲を重ね きよう 疆を開き帝畿を展げたり 黄忠が夏侯淵を討ちはたすや、曹操の軍勢は総崩れとなり、先をあらそって落ちのびた。黄忠が きよ、つげき 勢いに乗って定軍山に攻めかかると、張部が軍勢をひきいて迎え撃ったが、黄忠と陳式に挾撃さ れ、ひとしきり揉みあったのち、敗走した。ところへ山かげよりおどり出た一手の軍勢、退路をさ えぎるとみるや、先頭に立った大将が叫んだ。 じようギ、んちょうしりよろ′ 「常山の趙子竜これにあり」 仰天した張部が、軍勢をひきいて定軍山へ逃げこもうとするところ、ゆく手から馳せつけた一手 としゅう の軍勢がある。これは杜襲で、 りゅうほうもうたっ 「定軍山はもはや劉封・孟達に乗っ取られました」 かん と言う。驚いた張部は、杜襲とともに討ちもらされた兵士をひきいて漢水のほとりまで落ちのび ると、陣を構えて曹操へ早馬を飛ばせた。曹操は夏侯淵の死を聞いて、声をあげて泣いたが、この かんろ ときになってはじめて管輅の言葉の意味をさとったのであった。「三八に縦横して」とは、建安二 っちのとい 十四年のこと、「黄猪虎に遇う」とは、己亥正月のこと、「定軍の南」とは定軍山の南のこと、「一 股を傷つき折る」とは、夏侯淵と曹操が実の兄弟同然の間柄にあることを指したものだったのであ よう る。ただちに管輅を召し出すように命じたが、行方は杳として知れなかった。曹操は深く黄忠を恨 ていきひろ

2. 三国志演義 5

むなく陣にこもっていた。ところへ、この日、山上の軍勢が討って出たとの知らせがあったので、 ちんしよく 黄忠が軍勢をひきいて迎え撃とうとしたとき、部将陳式が、 「将軍、ますそれがしにやらせて下さりませ」 し と申し出たので、大いに喜び、兵一千をひきいて山麓に陣を布くよう命じた。間もなく夏侯尚の 軍勢が到着して打合いとなったが、しばらく戦うと夏侯尚はわざと逃げ出した。陳式はすかさずこ れを追ったが、半ばいったとき両側の山上から大きな木や石を投げ下ろされたので、はたとゆきづ まった。馬首をかえそうとするところ、退路に夏侯淵が軍勢をひきいて押し出したので、ささえき れず、ついに生け捕られて、陣に引っ立てられた。兵士もほとんど降参したが、命からがら逃げか えった兵士が、陳式が生け捕られた由を注進におよんだので、黄忠があわてて法正にはかると、 はかり′一と 「夏侯淵は軽はずみで、謀を知らぬ武勇一途の男でござる。それゆえ、士卒を励まして軍をあげ とり - 一 おび て前進し、しばらく進んでは陣を取って夏侯淵を誘き出さば擒とすることができるでござろう。こ れこそ『客を転じて主となす』 ( 主導権を奪いとる ) 法でござる」 黄忠はその計をとりあげて、陣中にあるかぎりのものを全軍に分け与えたので、歓声、谷にみち、 一同、命をかけて戦うことを誓った。黄忠は即日、陣払いして前進したが、しばらく進んでは陣を 取り、数日そこに止まってはまた進んだ。夏侯淵はこれを聞いて討って出ようとした。張部が、 「これは『客を転じて主となす』の計。討って出るのはお控え下さりませ。戦っても勝ち目はござ りませぬ」 さんろく

3. 三国志演義 5

あらて と、夏侯尚とともに新手の軍勢をひきいて出陣した。一方、黄忠は日ごと物見を出してさぐらせ、 あたりの道筋をすっかり承知していたが、厳顔の一一 = ロうのに、 てんとう そうそうりようまっとんせき 「この先に天蕩山という山があり、曹操が糧秣を屯積いたしておるところでござるが、かしこを 攻め取って糧道を絶てば、漢中もわれらのものとなりましようそ」 「いかにも、貴公の申すとおりじゃ。さらば、これこれにして下されい」 厳顔は承知して、一手の軍勢をひきいて立ち去った。 さて黄忠は、夏侯尚・韓浩が寄せて来たと聞き、軍勢をひきいて出陣した。韓浩が陣頭に立ち、 「義を知らぬ老いばれめ」 ののし と罵るなり、馬を飛ばせ槍をしごいて打ちかかれば、夏侯尚も力をあわせて攻め立てる。黄忠は、 二人の大将を向こうにまわしてそれぞれ十余合渡りあい、敗れて逃げた。二人が二十里あまり追い かけて黄忠の陣地を奪い取れば、黄忠は黄忠でにわかづくりの陣屋を構えた。あくる日、夏侯尚と 韓浩が寄せてくると、黄忠またも出陣し、数合打ちあってまた逃げる。二人はまた二十里あまり追 いかけて、彼の陣屋を奪い、張部を呼んで、うしろの陣地を守らせた。張部は前の陣地へ出て来て、 「黄忠が二日も続けて逃げたのは、計略があってに違いござらぬぞ」 と諫めたが、夏侯尚から、 「そんな臆病者のことだから、負けてばかりいるのだ。今度は黙ってわしら二人が手柄を立てるの を見ておられい」

4. 三国志演義 5

黄忠は全軍に下馬を命じ、柴を兵粮の山の下に積ませた。まさに火をかけようとするところ、張部 ド - 一う の軍勢が駆けつけて、打ち合いとなる。曹操、この由を聞いて、急ぎ徐晃に加勢を命じ、徐晃は軍 勢をひきいて馳せつけるや、黄忠をまん中にとりこめた。張著は三百騎をひきいて斬りぬけ、陣へ とってかえそうとしたが、押し出した一手の軍勢に退路をさえぎられた。真っ先に立った大将は、 ぶんべい これそ文聘である。あとからも曹操の軍勢が迫って張著を取り囲む。 よろい ここに趙雲は陣中で待ち受けるうち、午の刻になっても黄忠がもどらないので、急いで鎧をつけ 馬に飛び乗ると、三千の軍勢をひきいて加勢におもむいたが、ゆきしなに張翼に、 「そなたはここを固め、両側に弓・石弓を伏せて万一に備えておれ」 と命じ、張翼はいちいち承知した。趙雲が槍をしごき馬を飛ばせて突きいれば、真正面に一人の ばようれつ 大将が立ちはだかった。これは文聘の部将慕容烈で、馬をおどらせ薙刀をふるって打ちかかって来 たが、趙雲はひと突きで討ち取り、曹操の兵士たちはどっと逃げ出した。重囲の中に突きいれば、 しようへい またも一手の軍勢が前をさえぎる。その先頭に立ったのは焦炳である。 「蜀の軍勢はどこか」 「一人残らず討ち取ってしまったわ」 趙雲、大いに怒り、馬をおどらせ、槍を繰り出してひと突きに焦炳を討ち取り、雑兵を蹴散らし て、山の麓に殺到すれば、張部・徐晃の二人が黄忠をとりこめて、味方の兵士たちは疲れはててい る様子。見るなりひと声おめいて重囲におどりこみ、あたかも無人の境をゆくごとく右に左に馳せ

5. 三国志演義 5

216 りゅうほう もうたっ それから劉封・孟達にも命じた。 「三千の兵をひきいて山中の要害へおもむき、旗さし物を立て連ねて味方に気勢をそえ、敵の意気 かべん ばちょう 三人がそれぞれ軍勢をひきいて打ち立ったあと、人を下辧へやって馬超に何事か計を授け、ただ げんがんはせい ろうちゅう ちょうひ ぎえん かんちゅう ちに打ち立たせ、また、厳顔を巴西・間中の陣へやって張飛・魏延とかわらせると、二人を漢中 へ向かわせた。 ちトすノ - 一う か・一う . しト - う えん さて張部と夏侯尚は夏侯淵のもとにたどりついて、 とく てんとう かん・一う りゅうび 「天蕩山を取られ、夏侯徳と韓浩は殺されました。今や劉備がみずから軍勢をひきいて漢中に向か って来るとのことゆえ、至急、魏王に注進して、ただちに屈強の軍勢のご派遣を青、 一三ロ—> これに備え ねばならぬと存じますが」 そう、一う きよしよう 夏侯淵はただちに使者をたてて、この由、曹洪に知らせ、曹洪は夜を日についで許昌に馳せ上 そうそう ると、曹操に注進した。曹操は大いに驚き、急ぎ文武諸官を集めて、漢中へ加勢を差し向ける軍議 ちょうしりゆ、「 ( 4 、フ を催した。長史劉曄が進み出て、 ちゅうげん 「漢中を失うようなことがあっては、中原もおだやかにはすみますまい ここはぜひとも、大王 のご出馬が望ましゅう存じまする」 と言うと、曹操は、 「あのとき、そなたの申すことをきいておれば、このような羽目にはならなかったであろうにの つら

6. 三国志演義 5

ひきしばった矢を切って放せば、見事、凌統の乗馬に命中、馬は棒立ちとなって凌統をふり落とす。 つるおと えたりとばかり楽進が槍を繰り出すせつな、びゅんと弦音がして、矢が顔面に突っ立ち、どうとば かりに落馬した。ところへ双方から軍勢が押し出して、それぞれ大将を救い出し、銅鑼を鳴らして 戦いを止めた。帰陣してから凌統が孫権に礼を述べると、 「あの矢を射たのは甘寧であるぞ」 と孫権が言ったので、甘寧の前に平伏して、 「貴殿からかようなご恩にあずかろうとは思いもよりませなんだ」 きゅうえん 劫 を と言い、以来、甘寧と固い交わりを結んで、旧怨を忘れ去ったのであった。 営 の 魏 - りト - う・じ て さて曹操は楽進が矢を受けたのを見て、幕中にて療治するよう命じた。あくる日、軍勢を五手に 騎分けて濡須に押し寄せ、曹操みずから本隊をひきい、左一番手に張遼、同じく二番手に李典、右一 じよ - 、う ほうとく 寧番手に徐晃、同じく二番手に廳徳がなって、各大将、一万の軍勢をひきい、長江の岸に殺到した。 やぐらぶね ときに董襲・徐盛の二将は、櫓船に乗っていたが、押し寄せる五手の軍勢を眺めて兵士たちが色 回 めき立つのを見るや、徐盛、 十 おんため 「わが君の知行をいただき、わが君の御為に命を棄てるが、何がこわいか」 と言うなり、屈強の者数百人をひきい、小舟を岸に漕ぎ寄せて、李典の軍勢に斬りいった。董襲 は船上にあって、兵士たちに太鼓を打たせ鬨の声をあげさせて気勢をあげていたが、にわかにはげ とき

7. 三国志演義 5

すると甘寧が、 おおぎよう 「ただの百騎もあれば、駆け散らすことがかないます。三千なぞとは大仰な」 と言ったので、凌統は大いに怒り、孫権の前で激しい口論をはじめたが、孫権は、 「曹操は多勢ゆえ、油断できぬ」 と言って、凌統に兵三千をひきいて濡須ロへ物見に出、曹操の軍勢に出会ったら一戦交えるよう じゅしゅう 命ずる。凌統は命を受けて、三千の軍勢をひきい濡須塢を打ち立った。と、はるかに土煙りがあが せんばら - ようりよう ると見るや、早くも曹操の軍勢が押し寄せて、先鋒張遼が凌統と渡りあったが、五十合しても勝 りしも・つ・ 負がっかない。孫権は凌統の身を気遣い、呂蒙を加勢に出して陣に引き取らせた。 甘寧は凌統が帰陣すると、早々に孫権に申し出た。 「それがし、今宵ただ百騎をひきいて曹操の陣屋に夜討ちをかけてまいります。もし一騎でも失わ ば、手柄とはいたしませぬ」 かめ 孫権はその豪胆さを嘉し、本陣づきの屈強の騎兵百人を選って甘寧に与え、酒五十瓶、羊肉五十 たま わん 斤を兵士たちに賜わった。甘寧は陣屋にもどると、百名を集め、まず銀の碗になみなみと酒をつい で、みずから二碗、飲みほしてから言った。 「今夜、わが君の仰せにより夜討ちをかける。みなもそんぶんに飲んで大いに働いてくれい」 だが一同は、顔を見合わせるばかり。甘寧はその頼りなげな様子を見るなり、剣を抜き放って、 「大将たるわしですら命を棄ててかかっておるのに、貴様たちは命が惜しいのか」 かんねい よみ

8. 三国志演義 5

212 黄忠は笑って、 「いやいや、これこそ天の賜物。天意にさからうことはできますまい」 と言い棄て、太鼓の音も勇ましく押し出した。韓浩が同じく軍勢をひきいて討って出れば、黄忠 ひとな は薙刀をふるっておどりかかるなり、ただ一薙ぎで馬下に斬り落とし、蜀の軍勢はどっと山頂めざ して攻め上った。張部・夏侯尚が急いで迎え撃っところ、山かげにとっぜんはげしい喊声がわき、 くれない 天をこがさんばかりの火の手が吹き上がって、あたり一面、紅の色に染まった。夏侯徳が軍勢を げんがん いっせん ひきいて消火に馳せつけるとき、まん前に老将軍厳顔が現われ、薙刀一閃、馬下に斬って落とす。 これは、黄忠の命で前もって山中の人目につかぬところにひそんでいた厳顔が、黄忠の到着を待っ て、柴草の山にいっせいに火をかけたもの。すさまじい火の手は、山や谷にあかあかと照り映えた。 厳顔は夏侯徳を討ち取って山の裏手から押し出した。張部・夏侯尚は前後から攻めたてられてささ えきれず、やむなく天蕩山を見棄てて定軍山を目指し、夏侯淵のもとへ落ちのびた。黄忠・厳顔は 天蕩山に陣を構え、勝利の使者を成都へ馳せた。玄徳はこれを聞き、諸将を集めて祝宴を張ったが、 法正の言うのに、 ちょうろくだ 「さきに曹操は張魯を降して漢中を手中におさめながら、余勢を駆って巴・蜀を攻めようとせず、 夏侯淵・張部の二人に守備を命じてみずから大軍をひきいて北へ帰りましたが、あれは失策にござ じきじき りました。い ま張部が敗れ、天蕩山をも棄てたこの機を逃さず、大軍をあげて直々出馬めされます たまもの

9. 三国志演義 5

162 甘寧が百騎をひきいて陣にもどったとき、一人として欠けた者はなく、陣門において百人に太鼓 を打たせ笛を吹かせて、いっせいに「万歳」を叫べば、歓声、天地にこだました。孫権がみずから たす 迎えに出ると、甘寧は馬から飛び下りて拝伏した。孫権は彼を扶け起こしてその手をとり、 「見事であったそ。これであの老いばれめも胆を冷やしたことであろう。わしは好んでそなたに あぶな 危い思いをさせたわけではないが、そなたの胆力のほどを見たかったのじゃ」 ひやくふりひきでもの せんびき と言って、絹千疋と鋭利な刀百振を引出物とし、拝受した甘寧は、それを百人に分け与えた。 孫権は諸将に言ったものである。 もうとく ちょうりよう 「孟徳には張遼がおるが、わしには甘興霸 ( 寧の字 ) がおる。恐れるにはおよばぬわい」 いど あくる日、張遼が軍勢をひきいて戦いを挑んできた。凌統は甘寧が手柄をたてたのを見て、奮然 として一一 = ロった。 「それがし、張遼と打ち合ってみたく存じまする」 孫権がこれを許せば、凌統は兵五千をひきいて濡須を出、孫権みずから甘寧を従えて戦いぶりを 見るべく出陣した。双方、陣定まるや、張遼が左に李典、左に進を従えて出馬する。凌統が薙刀 片手に馬をおどらせて陣頭から乗り出だせば、張遼は楽進を出馬させ、二人は五十合も渡り合った が勝負がっかぬ。この由を聞いた曹操も、みずから門旗の下に馬を進めたが、二人がはげしく打ち そうきゅう 合う様子を見て、曹休にひそかに矢を射かけるよう命じた。曹休が張遼のうしろに身をかくして、 きも あぎな なぎなた

10. 三国志演義 5

と言うなり、馬の用意を命じた。これを聞くや、李典がすっくと立ち上がり、 「将軍がその気持なら、身どもとてとるにたりぬゆきちがいから国事を忘れたりする者ではない。 さし 喜んでお指図を受けよう」 張遼がいたく喜んで、 しようようしん 「おお、おカぞえ下さるなら、明日、一手の軍勢をひきいて逍遙津の北にひそみ、呉の軍勢が渡 し・ようし がくぶんけん ったあと、小師橋を落として下されい。それがしは楽文謙殿 ( 進の字 ) と討って出る」 と言えば、李典は承知して軍勢をそろえ、ひと足先に出た。 おのれ さて孫権は呂蒙・甘寧に先鋒を命じ、己は凌統とともに中軍におさまって、諸将、陸続と合瀧目 平指して押し寄せた。呂蒙・甘寧が進んでゆくと、討って出た楽進と遭遇したので、甘寧が出馬して、 地楽進にとってかかったが、楽進は数合も打ち合わぬうちわざと逃げ出した。甘寧は呂蒙を招いてい 中っせいに追撃する。孫権は中軍にあって、先鋒が勝ったと聞き、軍勢をはげまして逍遙津の北へと れんじゅまう 操さしかかった。ところへ連珠 ( 合図の石火矢。第七回注六参照 ) がひびきわたり、左から張遼、右か ら李典が手勢をひきいて討って出た。仰天した孫権が急いで人をやって呂蒙・甘寧に救いを求める 回 七うちにも、張遼の軍勢は間近に迫った。凌統の手には、わずか三百余騎が従うのみで、山のごとき ル曹操の軍勢に歯むかうすべもない。 「殿、急いで小師橋をお渡り下されい」 凌統の叫びも終わらぬうち、張遼が二千余騎をひきいて殺到したので、凌統は身を翻して必死 ひるがえ