彼らをあらためて呼び上げ、各人に酒を与えて、 「われらは、祖先を同じゅうする血を分けた兄弟じゃ。二心あって、大事が語れるものではなかろ うが。いらざる疑いは無用であるそ」 と一言えば、一同、はっと平伏し、劉璋は玄徳の手をとって、はらはらと涙を落とした。 あにじゃ 「兄者のご恩、誓って忘れませぬそ」 かくて二人は、夜に入るまで酒をくみかわし歓談して別れたが、陣屋に引き取った玄徳は、廳統 を呼んで、 奪「貴公らは、なぜわしを不義の道に陥れようとするのじゃ。これからは、二度とあのようなことは 諏せぬよう」 て っ となじり、統は吐息して引き退がった。 を 一方、劉璋が陣屋にもどると、劉瑣らが言った。 雲「殿には本日の席上のありさまをなんとご覧めされましたか。一刻も早く、この地を引き揚ぐるが 趙 上策と存じまするが」 一「兄者劉玄徳殿は、そのようなお方ではない」 十 「たとえ玄徳殿にさような心がなくとも、配下の面々は、一人残らずわが西川を併呑して富貴をは 第 3 からんとしておりまするそ」 「その方らは、われらが兄弟の情をさこうと思っておるのか」 へいどん ふうき
とうせんちょうろよし 「東呉の孫権が人をやって東川の張魯と誼みを通じ、葭萌関へ攻めかからんとしております」 とのこと。玄徳が驚いて、 「葭萌関を取られては退路を断たれ、進むことも退くこともできなくなる。どうしたらよかろう 力」 もうたっ と言うと、寵統は孟達に向かい、 「貴公は蜀の方でござるから地理にはおくわしいはず。葭萌関の守備にまいっては下さらぬか」 「それがし、もう一人の者とともにまいりとう存じまする。この者とまいれば、万が一にも間違い は。こギりますまい」 玄徳が誰かと尋ねると、 なんぐんしこう ちゅうろうしよう りゅうひょう 「それは、以前荊州の劉表のもとで中郎将をつとめていた南郡枝江県の人、姓は霍、名は峻、字 ちゅうばく 仲にギ、います」 玄徳は大いに喜び、ただちに孟達と霍峻を葭萌関へやった。 廳統が宿所に帰ったところ、 「お客さまでございます」 と門番より取次ぎがあった。出迎えると、その人は身のたけ八尺、容貌魁偉、髪は短く切って 項に垂らし、着物もしどけなく乱れている。 どなた 「誰方でござるか」 とう′ ) かばう 力しし しゅん
272 うきんはん さて曹操が于禁を樊城の救援に差し向けようとして、大将たちに誰か先鋒となる者はないかと尋 ねると、一人が言下に進み出た。見れば寵徳なので、曹操は大いに喜び、 かんう てんか 「関羽は華夏に剛勇をうたわれ、これまで敵なしといわれておったが、令明 ( 徳の字 ) がまいらば、 さぞよい勝負であろう」 せいなん せんばう ( 注こ と、于禁を征南将軍に、徳を征西都先鋒に任じ、大いに七軍を起こして樊城へおもむくことを 命じた。この七軍は、すべて北方の屈強の兵士よりなっており、董衡・董超という二人の将校が 指揮をとっていた。この日、二人はおもだった者たちを連れて于禁のもとに挨拶にまかり出たが、 董衡が言うのに、 「このたび将軍が七手の軍勢をひきいて樊城の急を救いにおいでになるかぎり、勝利は疑いないと ころにござります。しかし、廳徳を先鋒にお用いになるのは考えものと存じまするが」 そうそう 第七十四回 ほうれいめいひつぎにな 靡令明概を擡いて死戦を決し かんうんちょう 関雲長水を放ちて七軍を滄らす はな おば せんばう
して凶兆にはござりませぬ。また天文をも占ってみましたが、太白が雛城の上にまいったのは、こ しよく のたび蜀の大将冷苞を斬ったことに応じており、すでにこれにて凶兆は現われたのでござります。 お疑いめされることなく速やかに軍をお進め下さりませ」 靡統に再三うながされて、ついに玄徳は軍をひきいて打ち立ち、黄忠・魏延がこれを陣に迎えい れた。廳統が、 「維城へゆくには、どのような道がござるか」 ちょうしよう 哭 と法正に聞くと、彼が地面に図を描いて見せたので、玄徳が張松より贈られた地図を取り寄せ て引き合わせてみると、寸分の違いもなかった。 統「山の北側には広い街道があって雛城の東門に通じ、南側の間道は西門に通じております。いずれ でも軍勢を進めることができまする」 痛と法正が言うので、寵統は玄徳に言った。 せんぼう 亮 「しからば、それがしは魏延を先鋒といたして南の間道より進み、殿には黄忠を先鋒として北側の 葛 街道より進んでいただき、同時に離城へ寄せかかることといたさ、 。しカカで、こ、いますか」 一一一「わしは若いときから武術になじんでまいったのであるから、間道をゆくことにした方がよかろう。 六軍師は街道より東門を攻められよ。わしは西門を攻める」 「街道には必ず敵が出張っておりましようゆえ、殿が軍勢をひきいて破って下されませ。それがし は間一迴よりまいります」
周泰は死物狂いで囲みに突きいり、ようやく孫権を尋ねあてた。 「殿、それがしについておいで下されい」 と周泰が先に立ち、孫権があとに続いて斬って出た。岸についた周泰がふりむけば、また孫権の 姿がないので、ふたたびとって返して囲みの中に斬りこみ、孫権をさがし出した。 やだま 「矢石を射かけられて、出ることができぬ。どうするか」 ごづめ 「さらば、殿が前に立ち、それがしが後詰をいたさば、斬り抜けられましようそ」 孫権が馬を飛ばせて先に立てば、周泰が右に左に馳せまわってそれを助ける。かくて身にいくっ をもの槍を受け、厚手の鎧もとおす矢をこうむりながらも、からくも孫権を救い出すことができた。 の岸に出れば呂蒙が一手の水軍をひきいて漕ぎ寄せ、船中に救いあげた。 て「わしは周泰が三度まで駆けいってくれたおかげで、重囲を脱することができたが、まだ徐盛がと りこめられておる。救い出せぬか」 百 寧孫権が言うと、周泰、 「それがしが亠まいります・」 回 と言うなり、槍をふるってまたまた重囲の中におどりこみ、徐盛を救い出してきたが、二人とも 十 ひどい手傷を負っているので、呂蒙が兵士に命じて追手を射すくめさせ、彼らを船に助けいれた。 さて陳武は、廳徳とはげしく渡り合っていたが、加勢も現われず、次第に樹木のうっそうと茂っ ひたたれそで た山あいに追いつめられ、いま一度打ち合おうと馬首を返すところ、袍の袖が立ち枯れた木の株
士があって、 「軍師は馬もろとも、谷間で矢を浴びて亡くなられました」 と申し出た。玄徳はこれを聞くや、西の方角を望んで声をあげて泣きつづけたが、やがてはるか に招魂の祭りをとりおこなった。大将たちも泣かぬ者はなかった。 「このたび、廳統軍師がお亡くなりになったうえは、必すや張任が当関へ攻めよせてまいりましょ う。どうなされますか。ここはます荊州へ人をやって諸葛亮軍師のおいでを願い、西川を取る策を 哭練られたがよろしいかと存じますが」 め と黄忠が言うおりしも、張任が軍勢をひきいて城下に迫ったとの知らせ。黄忠・魏延が討って出 統ようというのを、玄徳がおさえた。 「いまは兵士の士気もあがるまい。守りを固めて軍師の来るのを待とう」 で 痛黄忠・魏延はこれに服して、ひたすら守備をかためた。玄徳は一通の書面をしたためて、荊州へ 葛軍師を呼びに行くよう、関平に命じ、関平が書面を持って荊州へ急行したあと、浯関にたてこもっ て、一歩も討って出ようとはしかった。 回 十 さて荊州にあった孔明は、七夕の佳節に、諸将を集めて盛んな夜宴を催し、西川攻略のことを語 第 ます り合っていたが、 真西の方角に当たって、升のように大きな星が、あたりに光をふりまきながら流 れ落ちた。それを見て、彼はあっと驚き、杯を投げ棄てるなり、顔をおおって泣き出した。 たなばた
と楊懐が言うと、高沛、 「玄徳の命もこれまでだ。剣を懐中に忍ばせていって、送別の席上で刺し殺し、わが君のために わぎわ 禍いの根を絶とうではないか」 「うむ、それは良い策だ」 かくて二人は、わすか二百名の供を連れただけで送りに出かけ、他の者をすべて関に残しておい た。玄徳は大軍をあげて進発し、浯水のほとりへとさしかかったが、馬を進めながら靡統が、 授「楊懐らが喜んで出て来るようなら、よくよく用心しなければなりませぬ。また、もし参らねば、 首このまま一気に関へ押し寄せましよう。遅れてはなりませぬ」 すい 高 と言うおりしも、にわかにつむじ風がおこって、馬の前をゆく『帥』の字旗を吹き倒した。 しらせ 楊 「おお、これはなんの兆であろうか」 て り「これは警報にござります。楊懐・高沛の両名が殿のお命をねらいおりますゆえ、ご用心なされま 関すよ , つ」 みじたく あつみ そこで玄徳は厚身の鎧をまとい、宝剣を腰に帯びて身支度をととのえた。楊・高二将が送りに出 ぎえんこうちゅう 二向いて来たとの知らせがあると、玄徳は軍勢に停止を命じ、廳統は魏延と黄忠に、 六「関から来る者どもは、・ とれだけおろうと、歩騎の別なく、一人も逃してはならぬ」 と命じ、二人は心得て引き退がった。 さて楊懐・高沛の二人は、それそれ懐中に鋭い剣をかくし、兵士二百を従え、羊を牽き酒をたず ひ
274 あるじ はかり′」と おのれ 次第。またもとの主馬超は、武勇あれど謀を知らず、己の国も失ってやむなく身ひとつで、西川 に逃れたもの、いまは主を異にして昔の恩義なそとうにきれておりまする。身にあまる大王のご恩 顧をこうむっておりますそれがしが、二心なそ抱くはずがござりましようや。なにとそお考え直し のほど願わしゅう存じます」 たす 曹操は徳を扶け起こしてなだめた。 「そなたの忠義の心はわしも知っておる。あのようなことを申したのは、皆のロをふさごうと思っ たからじゃ。そんぶんの働きをしてきてくれい。わしは決して疑ったりはせぬ。こののちもその気 持を忘れぬようにの」 徳は厚く礼を述べて家にもどると、大工に命じて柩をつくらせた。あくる日、親しい朋輩を酒 宴に呼び、柩を部屋にすえた。朋輩たちがそれを見て仰天し、 「将軍、ご出陣にあたって、何でかような不吉なものをお造りになったのでござるか」 と口々に尋ねると、廳徳が杯を挙げて、 「それがしは、魏王のご恩顧にあずかった者ゆえ、命をかけてこのご恩に報ゆる所存だ。このたび 樊城へ出陣のうえは関羽と一戦やって来る。それがしが奴を討ち取るか、それがしが死ぬるかいず れかだ。たとい奴に命をとられずとも、負けておめおめと生恥をさらすつもりはない。それゆえこ うして柩を用意し、むなしくは帰らぬ決意をあらわそうと思ったのでござる」 と言ったので、一同、思わす感嘆の声をもらしたものであった。徳はさらに妻の李氏と子寵会 ひつぎ
「合戦に臨もうというのにこのありさまでは、先が危ぶまれる。わしの白馬はよくなれておるゆえ、 乗られるがよかろう。万々、間違いはない。 この馬にはわしが乗る」 と、玄徳は靡統と馬をかえた。靡統は、 「かたじけのうござりまする。このご恩、死んでも忘れませぬ」 と礼を述べ、各自、馬にまたがって左右に別れたが、玄徳は統のうしろ姿を見送って心中ただ うつうつ ならぬ不安を感じ、鬱々として駒を進めたのであった。 哭 りゅうか、れいほう ちょうじん め ここに維城の呉懿・劉瑣は冷苞が殺されたと聞いて、一同を集めて協議したが、張任が、 統「当城東南の山あいにある間道は、最も肝要の場所にござれば、それがしが一手の軍勢をひきいて で固めましよう。おのおの方には当城をお守り下されい。よろしくお願いいたしまするぞ」 痛と言うところへ、漢の軍勢が二手に分かれて攻めよせて来るとの知らせ。張任は急いで三千の軍 葛勢をひきい、間道の側にひそんだ。やがて魏延の軍勢が通りかかったが、張任はじっと動かずにや り過ごした。その後に、廳統の軍勢がさしかかった りゅうび 三「あの白馬に乗ってまいるは劉備に相違ござりませぬ」 はるかに列中の大将をさして兵士が言うのを聞き、張任は大いに喜んで、かくかくと下知した。 第 さて何気なく馬を進めて来た廠統は、ふと頭をあげて、両側の山がせまり、木々がむらがってい るのに気がついた。しかも夏のすえ秋の初めのこととて、いずれもこんもりと葉をつけている。こ
と言い、刑手に命じて、その場で首を刎れさせた。それより先、黄忠・魏延は二百人の従者を一 人残らず捕えていた。玄徳がその者どもを呼び入れ、一人一人に酒を与えてから、 「楊懐・高沛はわれら兄弟の仲をさこうといたし、しかも、剣をかくし持ってわしを亡き者にせん とたくらんだがゆえ、首を刎ねた。お前たちはなにも知らなかったのであるから、案するにはおよ ばぬそ」 と言うと、一同、平伏して礼を述べる。そこへ廳統が、 授「そなたたちにわが軍の手引きを頼もう。褒美はぞんぶんにとらす」 首と一言えば、皆は喜んで承知した。この夜、二百人が先に立ち、大軍そのあとに続いて、関の下ま 高 でゆくと、先に立った者が叫んだ。 楊 「将軍方には急用にておもどりである。門を開けよ」 て 中の者どもが、味方の声を聞いてすぐさま門を開くところ、大軍がなだれこんで、一兵も殺さず 取 ひきでもの 妣に浯関を乗っ取 0 た。蜀の兵士たちがすべて降参すると、玄徳はおのおのに十分な引出物を与え、 ただちに兵を分けて関の前後を固めさせた。あくる日、広間において慰労の酒盛りを開いたが、し 二たたかに酔った玄徳は、寵統に向かって、 六「楽しいのう、今日の酒盛りは」 ひと 「他人の国に攻め入って楽しむなそとは、仁義をむねとする者のなすことではござらぬ」 ちゅう しトうぶ 「むかし、武王が紂を討たれたとき、象武の舞 ( 周の武王が制定したと伝えられる ) を舞わせられたと ほうび しゅう