あく かくて日の暮れるまで一人も討って出なかったので、張飛は怒りをこらえて陣にひきとった。翌る かぶと やぐら 日の朝、またも軍勢をひきいて寄せかけたところ、厳顔が櫓に立ちいでて、一矢で張飛の兜に射当 てた。張飛は彼に指をつきつけて、 「ううむ、老いばれ爺いめ。貴様を引っ捕えたら、貴様の生肉を喰ってやるぞ」 ののし と罵り、日が暮れてまたむなしく引き揚げた。三日目、張飛は軍勢をひきい、城壁のまわりを罵 やまじろ ってまわったが、この城は山城であったので、まわりはすべてけわしい山に取りかこまれている。 哭張飛がみすから馬を駆って山に登り、城内の様子をうかがうと、兵士たちはすべて甲冑姿もかいが め いしく、隊伍もあざやかに、城内にひかえて討って出る気配もない。また、人夫たちが盛んに往来 れんが 統して煉瓦や石を運び、守備の軍勢を助けている。そこで、騎馬の者たちにはみな馬を棄てさせ、徒 この日もまた、さん っこうに出て来ない で歩の軍勢を坐りこませて、敵をおびき出そうとしたがい 痛ざん悪口しただけでむなしくたち帰った。 亮「こう連日、誘いをかけてみても、出て来ないとなると、はて、どうしたものか」 張飛は陣中で考えていて、ふと、一計が浮かんだ。これまで戦いを挑みに出していた大勢の軍勢 三をすべて引っこめ、陣中で待機させておいて、四、五十人の兵士を城壁の真下へやって罵らせた。 六首尾よく厳顔の軍勢を誘い出せたら、ひともみにもみつぶしてくれようというわけで腕をさすって まゆね 待ち受けていた。しかし三日間やってみたが、とんと出て来ない。そこで張飛、眉根をよせて考え ていたが、また一計を案じ、戦いを挑むことはいっさいやめて、兵士をあたりに出して柴刈りをさ
132 「何事か」 とお尋ねになった。 「魏公の命によって皇后の玉璽を召上げにまいりました」 ちりよ 帝が事のあらわれたのを知って、魂も消えんばかりに驚かれるうち、都慮は大奥に押し入った。 じじゅ 伏皇后はこのとき、お目ざめになったばかりのところであったが、都慮は璽綬を管理する役人を呼 しようばう ( 注五 ) んで、玉璽をさし出すよう命じた。皇后は事が発覚したのをおさとりになり、奥の椒房 ( 皇后の居 しようしよれいかきん 室 ) の二重壁の間におかくれになった。間もなく、尚書令華歌が甲冑の兵五百をひきいて大奥に押 し入り、 「皇后はどこにおるか」 と宮女に尋ねたが、宮女たちはいずれも知らぬと言いはった。華歌は兵士たちに扉を開け放させ てさがしまわったが、どこにも見当たらないので、さては壁の中だなと思い、兵士に命じて壁を打 ち破らせた。お姿を見つけるや、彼はみずから皇后の髪をひつつかんで、ずるするとひきずり出し 「なにとそ助けてたもれ」 と仰せられる皇后に、彼は一喝した。 「そんなことは、魏公のご前で言え」 すあし 皇后は髪ふり乱し、素足のままで、二人の兵士に引っ立てられてそこを出られたのである。
激怒した曹洪は、加勢を出すのを承知しなかったばかりか、 逆に討って出るよう催促した。あわ てた張部は、仕方なく一計を案じ、二手の軍勢をさくと、 「わしがわざと負ければ、張飛は必ず追って来よう。お前たちはその退路を絶て」 と命じて、関の前の山のくばみにひそませた。この日、張部が軍勢をひきいて討って出れば、真 らいどう っ向から雷銅とぶつかった。数合も打ち合わずに張部が逃げ、雷銅がこれを追ううち、伏勢が討っ 第て出て、退路を絶ち、張部すかさずとって返して、雷銅を馬から突き落とした。逃げ帰った兵士に じきじき いど 隘これを聞いた張飛が、直々、馬を進めて張部に戦いを挑むと、張部はまた逃げ出したが、張飛は追 ロおうとしない。張部はふたたびとって返して打ち合い、数合もしないでまた逃げたが、張飛は誘い ぎえん ての手と知ったのでそのまま軍勢をまとめて帰陣し、魏延にはかった。 「張部は伏勢を使って雷銅を討ったが、わしまでその手にかけようとしておる。ひとっ奴の裏をか を 智いてやろうではないか」 張「ど , つなされますか」 猛「わしは明日、一手の勢をひきいて先に進むから、貴公は屈強の者どもをひきいてあとについて来 回て、敵の伏勢が出ようとしたら、兵を分けてうち崩し、車十二、三台に柴草を積んで間道をふさい 第でおいて火をかけてくれ。わしはその間に張部を引っ捕えて雷銅の仇をとる」 魏延は承知した。あくる日、張飛が軍勢をひきいて押し出せば、張部も出てきて、張飛と切っ先 を交え、十合も打ち合ったところで、また逃げ出した。張飛が歩騎の軍勢をひきいて追えば、張郤
236 さて徐晃は、軍勢をひきいて漢水を渡ろうとし、王平の諫めも聞かずに、対岸に押し渡って陣を げんとく こうちゅうちょううん とった。黄忠と趙雲は、玄徳に願い出た。 「われらが手勢をひきいて討ち取ってまいりまする」 玄徳の許しをえて二人は陣屋を出たが、黄忠の言うのに、 「徐晃はいま気負いたっておるゆえ、しばらく討って出ず、日暮れまで待って、敵兵に疲れが出た ところを、二手に分かれて討って出ることにしよう」 徐晃は辰の刻 ( 午前八時 ) より 趙雲はこれに同意し、二人は一手の軍勢をひきいて陣をとった。 , しよく 申の刻 ( 午後四時 ) にいたるまで、息もつがせず攻めたてたが、蜀の軍勢がいっかな討って出ない やだま ので、射手たちを前に出して思いきり矢石を射込ませた。 「こう射かけてくるところを見ると、徐晃め引き退がる所存じゃな。ときを移さず追討ちをかけよ かんちゅう しよかつりようち 諸葛亮智をもって漢中を取り やこくひ 第七十二回そうあまん 曹阿瞞兵を斜谷に退く かん おうへい たっ
きんがん 「金雁橋にござります」 そこで孔明は馬に乗り、橋のそばへいって、川ぞいをひとわたり見てまわって陣にもどると黄忠 と魏延を呼んで、 あしお 「金雁橋より南に五、六里ゆくと、両岸一面に葦の生い茂ったところがあるゆえ、そこに伏勢せよ。 なギ一なた 魏延は槍組一千をひきいて左側にひそみ、もつばら馬上の大将を突き落とせ。黄忠は薙刀組一千を ひきいて右側にひそみ、もつばら馬の足を払え。敵を追い散らさば、張任は必ず山の東側の間道へ 逃げる。張翼徳殿は一千騎をひきいてそこで待ち受け、きやつを生捕りとされたい」 え 捉 と命じ、さらに趙雲を呼んで、金雁橋の北岸にひそむよう命じた。 を おび 張「わしが張任を誘き出して橋を渡らせるから、そなたはすかさす橋を切り落とし、そのまま軍勢を め北側に留めて、張任をおびやかし、北へ逃げるのをあきらめさせて、南へ向かわせれば、首尾よく をわしの計略にかかるわけじゃ」 いっさいの手はずがととのうや、軍師はみすから敵を誘い出しに出た。 明 りゅうしよう たくようちょうよく 孔 さて劉璋は、卓膺・張翼の二将を雛城の加勢にさし向けて来た。張任は張翼と劉瑣に城を固め ロ おのれ 四させ、己は卓膺と二手に分かれ、みすから先鋒となり、卓膺に後詰をさせて討って出た。孔明は隊 かんきん 六伍もふそろいな軍勢をひきいて金雁橋を渡り張任と対陣した。彼は四輪の車に乗り、綸巾をいただ うせん うちわ き羽扇 ( 羽の団扇 ) を手に、左右に百騎あまりを従えて進み出ると、はるかに張任を指さして、 「曹操百万の大軍すら、わしの名を聞いただけで逃げるほどじゃ。貴様もぐずぐずせずに降参いた
黄忠が定軍山のま下に押し出して、法正に諮ると、彼は指さしながら、 「定軍山の西に、一つのけわしい山がそびえておるが、あの山頂よりは、さだめし定軍山の様子を 手にとるように見ることができるでござろう。あの山を取ることができれば、定軍山はもはや取っ たも同然と申すものだが」 仰ぎ見れば、山頂に狭い平地があって、僅かの軍勢がいる様子である。その夜の二更、黄忠は兵 としゅう 士をひきい、銅鑼・太鼓を打ち鳴らして山頂に攻め上った。この山は、夏侯淵の部将杜襲が僅か数 百人をひきいて守っていたが、そのとき、黄忠が大軍をもって攻め上ってくるのを見て、山を棄て て逃げ去った。山頂に上れば、正に定車山は目の下にある。法正が言った。 「将軍は山の途中におって下されい。それがしが山頂に控えましよう。夏侯淵の軍勢がまいったら、 それがし合図の白旗を振りますゆえ、討って出るのをお控え下されい。敵が疲れて備えを怠ったと きに、赤旗を振りますゆえ、将軍には一挙に攻め下られるよう。力を養って敵の疲れを待つものゆ え、勝利は疑いごギ、るまい」 黄忠はいたく喜んで、その計に従った。 ここに杜襲が軍勢をひきいて逃げもどり、夏侯淵の前にまかり出て、黄忠に向かいの山を奪われ た由を告げると、夏侯淵は激怒して、 「黄忠が向かいの山を取ったからは、討って出ねばならぬ」 張部が諫めた。
に入り、家に帰るつもりでございます」 「それで、その道は瓦ロ関とはどれほど離れておる」 「梓潼山越えの山道は、瓦ロ関のすぐ裏手でございます」 張飛はいたく喜び、百姓たちを陣屋につれ帰って酒食を与えると、魏延には、 「軍勢をひきいて関へ攻めかかれ。わしは身軽な者どもを連れて梓潼山より関の裏にまわる」 と言いおき、百姓に案内を命じ、身軽なみごしらえの兵士五百をひきいて、間道づたいに進んだ。 取 もんもん を ここに張部は援軍が来ないので、悶々としていたが、ところへ、魏延が関の下へ攻め寄せたとの 隘 よろい ロ知らせ。鎧をつけて馬にまたがり、攻め下ろうとするとき、 とこから来たものかわかりませぬ」 て「関の裏手に四、五カ所、火の手が上がりました。・ っ との注進。軍勢をひきいて迎え撃てば、門旗開くと見る間に、張飛が現われたので、仰天して山 を 智道へ逃げこんだ。馬がゆきなやむうちにも、張飛が迫ってくるので、馬を棄て、山によじ登って道 張をさがし、辛うじて逃げおおせることができたものの、あとに従う者はわすか十余人。ほうほうの なんてい 猛ていで南鄭にたどりついて、曹洪に目通りした。曹洪は彼がたった十余人しか連れ帰らなかったの 回を見て大いに怒り、 まさら、大軍を殺して、 第「わしがゆくなと言ったのに、誓紙を置いてまでゆきたがったのは誰だ。い よくものめのめと帰って来たものだな」 こうぐんしばかくわい と左右の者に、引き出して打ち首にせよと命じた。それを、行軍司馬郭淮が、
はちゅう 「城内の倉をすべて焼き払い、南の山へ逃げて、巴中にたてこもるがよろしゅうごさりましよう」 と言い、楊松は、 「開城いたした方がよろしいかと存じまする」 と言うので、決しかねていると、張衛、 「とにかく焼き . 払 . い、ましょ , っぞ」 ま、その志も成らぬうち、 「いや、わしはもともと、この国を天子にお返しする所存でおった。い 落ちのびねばならぬ羽目になったが、倉はすべて国家のものであるから、焼いたりはできぬ」 と張魯はすべての倉に固く錠を下ろさせてから、その夜の二更、家族を引き連れて、南門から討 し。しオが張魯が倉を封鎖して去った 平って出た。曹操はあとを追わせず、軍勢をひきいて南鄭こま、つこ、 : 地のを見ていたく感じいり、使者を巴中へ遣わして降参を勧めた。張魯は降参しようとしたが、張衛 中 が承知しない。楊松は曹操に密書を送り、軍勢を進めれば、手引きすると言いやった。この密書を 漢 操えた曹操がみすから軍勢をひきいて巴中におしよせれば、張魯は弟張衛に出陣させたが、張衛は許 褶と打ち合って、馬上に斬り殺された。逃げもどった兵士の知らせを聞いた張魯は守りを固めて立 回 七て籠ったが、楊松に、 「いま討って出ねば、坐して死を待つも同然にござります。それがしがお留守を引き受けまするゆ 第 じきじき え、殿には直々ご出陣下さりませ」 と言われて、これに同意し、閻圃の諫めも聞かずに、軍勢をひきいて討って出た。ところが、ま ・一も なんてい
たんと契られたはず。貴公とて、なにゆえ、暗君を棄てて明君に投じ、上はご尊父の仇を報じ、下 は功名を立てんと考えられぬのでござるか」 しるし 馬超は大いに喜んで、ただちに楊柏を呼び入れると、一刀の下に斬り殺し、その首級をたずさえ、 李恢とともに関にのばって玄徳に降参した。玄徳がみずから出迎えて、賓客として厚くもてなせ とんしゅ ば、馬超は頓首して、 「今日、明主にお会いいたし、雲霧を払って青天を見たがごとき心地にござりまする」 そんけん かくしゅんもうたっ ときに孫乾は、すでに立ち帰っていた。 玄徳は霍峻と孟達にふたたび関の守備を命じて、軍勢 りゅうしゅんばかん をひきいて成都へ向かい、趙雲と黄忠が綿竹に迎え入れた。ところへ、蜀の大将劉畯・馬漢が軍 勢をひきいて攻め寄せたとの知らせ。趙雲が、 「それがし、かの者どもを手捕りにいたしてまいります」 と言って馬に乗り、軍勢をひきいて討って出た。玄徳は城内にあって、酒の用意をして馬超をも てなしたが、まだ席も温まらぬうち、子竜がかの二人の首を宴席に差し出したので、馬超はひとか たならす驚き、いよいよ敬意をいだいたのである。彼は言った。 「殿がご出馬されずとも、それがしがまいって劉璋を降参いたさせます。もし承知せねば、それが し、従弟の馬岱とともに成都を攻め取り、殿に献上っかまつります」 玄徳はいたく喜び、この日は心ゆくまで楽しんだのであった。 ちぎ ひんきやく あだ
「それは違いましよう。韓信は敵の無謀を知ったればこそ、この計をとったもの。しかるにいま、 将軍は趙雲・黄忠の心中をご承知にござりますか」 「ではそなたは徒歩の者どもをひきいてここにおれ。わしは騎馬の者どもをひきいて奴らを駆け散 らしてきてくれる」 待と徐晃は浮き橋をかけるよう命じ、ただちに漢水を押し渡って蜀軍に戦いを挑まんとする。正に、 むね しばうちょろ・りよう 労魏は韓信を宗とせど、蜀には子房 ( 張良 ) ひかえおり、というところ。さて、この勝負どうなるか。 っそれは次回で。 を 逸 忠 黄 て め 占 を 山 対 回 十 第 注一押陣官合戦および行軍中、常に最後尾にあって、兵士の逃亡を監視する「押伍」に類する役であろ