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検索対象: 三国志演義 5
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1. 三国志演義 5

あく かくて日の暮れるまで一人も討って出なかったので、張飛は怒りをこらえて陣にひきとった。翌る かぶと やぐら 日の朝、またも軍勢をひきいて寄せかけたところ、厳顔が櫓に立ちいでて、一矢で張飛の兜に射当 てた。張飛は彼に指をつきつけて、 「ううむ、老いばれ爺いめ。貴様を引っ捕えたら、貴様の生肉を喰ってやるぞ」 ののし と罵り、日が暮れてまたむなしく引き揚げた。三日目、張飛は軍勢をひきい、城壁のまわりを罵 やまじろ ってまわったが、この城は山城であったので、まわりはすべてけわしい山に取りかこまれている。 哭張飛がみすから馬を駆って山に登り、城内の様子をうかがうと、兵士たちはすべて甲冑姿もかいが め いしく、隊伍もあざやかに、城内にひかえて討って出る気配もない。また、人夫たちが盛んに往来 れんが 統して煉瓦や石を運び、守備の軍勢を助けている。そこで、騎馬の者たちにはみな馬を棄てさせ、徒 この日もまた、さん っこうに出て来ない で歩の軍勢を坐りこませて、敵をおびき出そうとしたがい 痛ざん悪口しただけでむなしくたち帰った。 亮「こう連日、誘いをかけてみても、出て来ないとなると、はて、どうしたものか」 張飛は陣中で考えていて、ふと、一計が浮かんだ。これまで戦いを挑みに出していた大勢の軍勢 三をすべて引っこめ、陣中で待機させておいて、四、五十人の兵士を城壁の真下へやって罵らせた。 六首尾よく厳顔の軍勢を誘い出せたら、ひともみにもみつぶしてくれようというわけで腕をさすって まゆね 待ち受けていた。しかし三日間やってみたが、とんと出て来ない。そこで張飛、眉根をよせて考え ていたが、また一計を案じ、戦いを挑むことはいっさいやめて、兵士をあたりに出して柴刈りをさ

2. 三国志演義 5

132 「何事か」 とお尋ねになった。 「魏公の命によって皇后の玉璽を召上げにまいりました」 ちりよ 帝が事のあらわれたのを知って、魂も消えんばかりに驚かれるうち、都慮は大奥に押し入った。 じじゅ 伏皇后はこのとき、お目ざめになったばかりのところであったが、都慮は璽綬を管理する役人を呼 しようばう ( 注五 ) んで、玉璽をさし出すよう命じた。皇后は事が発覚したのをおさとりになり、奥の椒房 ( 皇后の居 しようしよれいかきん 室 ) の二重壁の間におかくれになった。間もなく、尚書令華歌が甲冑の兵五百をひきいて大奥に押 し入り、 「皇后はどこにおるか」 と宮女に尋ねたが、宮女たちはいずれも知らぬと言いはった。華歌は兵士たちに扉を開け放させ てさがしまわったが、どこにも見当たらないので、さては壁の中だなと思い、兵士に命じて壁を打 ち破らせた。お姿を見つけるや、彼はみずから皇后の髪をひつつかんで、ずるするとひきずり出し 「なにとそ助けてたもれ」 と仰せられる皇后に、彼は一喝した。 「そんなことは、魏公のご前で言え」 すあし 皇后は髪ふり乱し、素足のままで、二人の兵士に引っ立てられてそこを出られたのである。

3. 三国志演義 5

激怒した曹洪は、加勢を出すのを承知しなかったばかりか、 逆に討って出るよう催促した。あわ てた張部は、仕方なく一計を案じ、二手の軍勢をさくと、 「わしがわざと負ければ、張飛は必ず追って来よう。お前たちはその退路を絶て」 と命じて、関の前の山のくばみにひそませた。この日、張部が軍勢をひきいて討って出れば、真 らいどう っ向から雷銅とぶつかった。数合も打ち合わずに張部が逃げ、雷銅がこれを追ううち、伏勢が討っ 第て出て、退路を絶ち、張部すかさずとって返して、雷銅を馬から突き落とした。逃げ帰った兵士に じきじき いど 隘これを聞いた張飛が、直々、馬を進めて張部に戦いを挑むと、張部はまた逃げ出したが、張飛は追 ロおうとしない。張部はふたたびとって返して打ち合い、数合もしないでまた逃げたが、張飛は誘い ぎえん ての手と知ったのでそのまま軍勢をまとめて帰陣し、魏延にはかった。 「張部は伏勢を使って雷銅を討ったが、わしまでその手にかけようとしておる。ひとっ奴の裏をか を 智いてやろうではないか」 張「ど , つなされますか」 猛「わしは明日、一手の勢をひきいて先に進むから、貴公は屈強の者どもをひきいてあとについて来 回て、敵の伏勢が出ようとしたら、兵を分けてうち崩し、車十二、三台に柴草を積んで間道をふさい 第でおいて火をかけてくれ。わしはその間に張部を引っ捕えて雷銅の仇をとる」 魏延は承知した。あくる日、張飛が軍勢をひきいて押し出せば、張部も出てきて、張飛と切っ先 を交え、十合も打ち合ったところで、また逃げ出した。張飛が歩騎の軍勢をひきいて追えば、張郤

4. 三国志演義 5

236 さて徐晃は、軍勢をひきいて漢水を渡ろうとし、王平の諫めも聞かずに、対岸に押し渡って陣を げんとく こうちゅうちょううん とった。黄忠と趙雲は、玄徳に願い出た。 「われらが手勢をひきいて討ち取ってまいりまする」 玄徳の許しをえて二人は陣屋を出たが、黄忠の言うのに、 「徐晃はいま気負いたっておるゆえ、しばらく討って出ず、日暮れまで待って、敵兵に疲れが出た ところを、二手に分かれて討って出ることにしよう」 徐晃は辰の刻 ( 午前八時 ) より 趙雲はこれに同意し、二人は一手の軍勢をひきいて陣をとった。 , しよく 申の刻 ( 午後四時 ) にいたるまで、息もつがせず攻めたてたが、蜀の軍勢がいっかな討って出ない やだま ので、射手たちを前に出して思いきり矢石を射込ませた。 「こう射かけてくるところを見ると、徐晃め引き退がる所存じゃな。ときを移さず追討ちをかけよ かんちゅう しよかつりようち 諸葛亮智をもって漢中を取り やこくひ 第七十二回そうあまん 曹阿瞞兵を斜谷に退く かん おうへい たっ

5. 三国志演義 5

きんがん 「金雁橋にござります」 そこで孔明は馬に乗り、橋のそばへいって、川ぞいをひとわたり見てまわって陣にもどると黄忠 と魏延を呼んで、 あしお 「金雁橋より南に五、六里ゆくと、両岸一面に葦の生い茂ったところがあるゆえ、そこに伏勢せよ。 なギ一なた 魏延は槍組一千をひきいて左側にひそみ、もつばら馬上の大将を突き落とせ。黄忠は薙刀組一千を ひきいて右側にひそみ、もつばら馬の足を払え。敵を追い散らさば、張任は必ず山の東側の間道へ 逃げる。張翼徳殿は一千騎をひきいてそこで待ち受け、きやつを生捕りとされたい」 え 捉 と命じ、さらに趙雲を呼んで、金雁橋の北岸にひそむよう命じた。 を おび 張「わしが張任を誘き出して橋を渡らせるから、そなたはすかさす橋を切り落とし、そのまま軍勢を め北側に留めて、張任をおびやかし、北へ逃げるのをあきらめさせて、南へ向かわせれば、首尾よく をわしの計略にかかるわけじゃ」 いっさいの手はずがととのうや、軍師はみすから敵を誘い出しに出た。 明 りゅうしよう たくようちょうよく 孔 さて劉璋は、卓膺・張翼の二将を雛城の加勢にさし向けて来た。張任は張翼と劉瑣に城を固め ロ おのれ 四させ、己は卓膺と二手に分かれ、みすから先鋒となり、卓膺に後詰をさせて討って出た。孔明は隊 かんきん 六伍もふそろいな軍勢をひきいて金雁橋を渡り張任と対陣した。彼は四輪の車に乗り、綸巾をいただ うせん うちわ き羽扇 ( 羽の団扇 ) を手に、左右に百騎あまりを従えて進み出ると、はるかに張任を指さして、 「曹操百万の大軍すら、わしの名を聞いただけで逃げるほどじゃ。貴様もぐずぐずせずに降参いた

6. 三国志演義 5

黄忠が定軍山のま下に押し出して、法正に諮ると、彼は指さしながら、 「定軍山の西に、一つのけわしい山がそびえておるが、あの山頂よりは、さだめし定軍山の様子を 手にとるように見ることができるでござろう。あの山を取ることができれば、定軍山はもはや取っ たも同然と申すものだが」 仰ぎ見れば、山頂に狭い平地があって、僅かの軍勢がいる様子である。その夜の二更、黄忠は兵 としゅう 士をひきい、銅鑼・太鼓を打ち鳴らして山頂に攻め上った。この山は、夏侯淵の部将杜襲が僅か数 百人をひきいて守っていたが、そのとき、黄忠が大軍をもって攻め上ってくるのを見て、山を棄て て逃げ去った。山頂に上れば、正に定車山は目の下にある。法正が言った。 「将軍は山の途中におって下されい。それがしが山頂に控えましよう。夏侯淵の軍勢がまいったら、 それがし合図の白旗を振りますゆえ、討って出るのをお控え下されい。敵が疲れて備えを怠ったと きに、赤旗を振りますゆえ、将軍には一挙に攻め下られるよう。力を養って敵の疲れを待つものゆ え、勝利は疑いごギ、るまい」 黄忠はいたく喜んで、その計に従った。 ここに杜襲が軍勢をひきいて逃げもどり、夏侯淵の前にまかり出て、黄忠に向かいの山を奪われ た由を告げると、夏侯淵は激怒して、 「黄忠が向かいの山を取ったからは、討って出ねばならぬ」 張部が諫めた。

7. 三国志演義 5

に入り、家に帰るつもりでございます」 「それで、その道は瓦ロ関とはどれほど離れておる」 「梓潼山越えの山道は、瓦ロ関のすぐ裏手でございます」 張飛はいたく喜び、百姓たちを陣屋につれ帰って酒食を与えると、魏延には、 「軍勢をひきいて関へ攻めかかれ。わしは身軽な者どもを連れて梓潼山より関の裏にまわる」 と言いおき、百姓に案内を命じ、身軽なみごしらえの兵士五百をひきいて、間道づたいに進んだ。 取 もんもん を ここに張部は援軍が来ないので、悶々としていたが、ところへ、魏延が関の下へ攻め寄せたとの 隘 よろい ロ知らせ。鎧をつけて馬にまたがり、攻め下ろうとするとき、 とこから来たものかわかりませぬ」 て「関の裏手に四、五カ所、火の手が上がりました。・ っ との注進。軍勢をひきいて迎え撃てば、門旗開くと見る間に、張飛が現われたので、仰天して山 を 智道へ逃げこんだ。馬がゆきなやむうちにも、張飛が迫ってくるので、馬を棄て、山によじ登って道 張をさがし、辛うじて逃げおおせることができたものの、あとに従う者はわすか十余人。ほうほうの なんてい 猛ていで南鄭にたどりついて、曹洪に目通りした。曹洪は彼がたった十余人しか連れ帰らなかったの 回を見て大いに怒り、 まさら、大軍を殺して、 第「わしがゆくなと言ったのに、誓紙を置いてまでゆきたがったのは誰だ。い よくものめのめと帰って来たものだな」 こうぐんしばかくわい と左右の者に、引き出して打ち首にせよと命じた。それを、行軍司馬郭淮が、

8. 三国志演義 5

はちゅう 「城内の倉をすべて焼き払い、南の山へ逃げて、巴中にたてこもるがよろしゅうごさりましよう」 と言い、楊松は、 「開城いたした方がよろしいかと存じまする」 と言うので、決しかねていると、張衛、 「とにかく焼き . 払 . い、ましょ , っぞ」 ま、その志も成らぬうち、 「いや、わしはもともと、この国を天子にお返しする所存でおった。い 落ちのびねばならぬ羽目になったが、倉はすべて国家のものであるから、焼いたりはできぬ」 と張魯はすべての倉に固く錠を下ろさせてから、その夜の二更、家族を引き連れて、南門から討 し。しオが張魯が倉を封鎖して去った 平って出た。曹操はあとを追わせず、軍勢をひきいて南鄭こま、つこ、 : 地のを見ていたく感じいり、使者を巴中へ遣わして降参を勧めた。張魯は降参しようとしたが、張衛 中 が承知しない。楊松は曹操に密書を送り、軍勢を進めれば、手引きすると言いやった。この密書を 漢 操えた曹操がみすから軍勢をひきいて巴中におしよせれば、張魯は弟張衛に出陣させたが、張衛は許 褶と打ち合って、馬上に斬り殺された。逃げもどった兵士の知らせを聞いた張魯は守りを固めて立 回 七て籠ったが、楊松に、 「いま討って出ねば、坐して死を待つも同然にござります。それがしがお留守を引き受けまするゆ 第 じきじき え、殿には直々ご出陣下さりませ」 と言われて、これに同意し、閻圃の諫めも聞かずに、軍勢をひきいて討って出た。ところが、ま ・一も なんてい

9. 三国志演義 5

たんと契られたはず。貴公とて、なにゆえ、暗君を棄てて明君に投じ、上はご尊父の仇を報じ、下 は功名を立てんと考えられぬのでござるか」 しるし 馬超は大いに喜んで、ただちに楊柏を呼び入れると、一刀の下に斬り殺し、その首級をたずさえ、 李恢とともに関にのばって玄徳に降参した。玄徳がみずから出迎えて、賓客として厚くもてなせ とんしゅ ば、馬超は頓首して、 「今日、明主にお会いいたし、雲霧を払って青天を見たがごとき心地にござりまする」 そんけん かくしゅんもうたっ ときに孫乾は、すでに立ち帰っていた。 玄徳は霍峻と孟達にふたたび関の守備を命じて、軍勢 りゅうしゅんばかん をひきいて成都へ向かい、趙雲と黄忠が綿竹に迎え入れた。ところへ、蜀の大将劉畯・馬漢が軍 勢をひきいて攻め寄せたとの知らせ。趙雲が、 「それがし、かの者どもを手捕りにいたしてまいります」 と言って馬に乗り、軍勢をひきいて討って出た。玄徳は城内にあって、酒の用意をして馬超をも てなしたが、まだ席も温まらぬうち、子竜がかの二人の首を宴席に差し出したので、馬超はひとか たならす驚き、いよいよ敬意をいだいたのである。彼は言った。 「殿がご出馬されずとも、それがしがまいって劉璋を降参いたさせます。もし承知せねば、それが し、従弟の馬岱とともに成都を攻め取り、殿に献上っかまつります」 玄徳はいたく喜び、この日は心ゆくまで楽しんだのであった。 ちぎ ひんきやく あだ

10. 三国志演義 5

「それは違いましよう。韓信は敵の無謀を知ったればこそ、この計をとったもの。しかるにいま、 将軍は趙雲・黄忠の心中をご承知にござりますか」 「ではそなたは徒歩の者どもをひきいてここにおれ。わしは騎馬の者どもをひきいて奴らを駆け散 らしてきてくれる」 待と徐晃は浮き橋をかけるよう命じ、ただちに漢水を押し渡って蜀軍に戦いを挑まんとする。正に、 むね しばうちょろ・りよう 労魏は韓信を宗とせど、蜀には子房 ( 張良 ) ひかえおり、というところ。さて、この勝負どうなるか。 っそれは次回で。 を 逸 忠 黄 て め 占 を 山 対 回 十 第 注一押陣官合戦および行軍中、常に最後尾にあって、兵士の逃亡を監視する「押伍」に類する役であろ