「ツて、れ、がーレ、がオいつつ , つ」 りゆ・つばう 劉璋が見やれば、義理の兄呉懿である。「注・懿の妹は劉璋の兄劉瑁に嫁し、瑁と死別してこの 時まだ在世していた。〕 「兄上がいっていただけるなら、これにこしたことはござらぬ。して、副将には誰をやりましよう 呉懿は呉蘭と雷銅を推挙し、かくて二万の軍勢をととのえて雛城に来着した。劉瑣・張任がこれ 授を迎えて、これまでのことを話したが、 首「敵に城下まで押しよせられてからでは、防ぐことはかなわぬ。貴公らのご意見を承りたい」 高 と呉懿が言うと、冷苞が言った。 ふ 楊 「このあたり一帯は浯江に接して、非常に流れの急なところ。しかるに敵陣は山麓にあって、もっ て すきくわ とも低地にござりまする。よって、それがし兵五千を借領いたし、鋤鍬をもって川上の堤を切って 取 関落としますれば、劉備の軍勢は一人あまさずおばれ死ぬでござりましよう」 呉懿はそれに同意し、冷苞に堤を切ることを命するとともに、呉蘭・雷銅にも軍勢をひきいて、 二万一の場合の応援に出向かせることとした。冷苞は命を受けて、鍬や鋤の用意に向かった。 第 ほうとう さて玄徳は黄忠と魏延にそれぞれの陣を守らせておいて浯城に帰り、軍師靡統と協議するところ へ、間者から知らせがあって、 ロ ごらんらいどう さんろく
あまりするうち、厳顔が、軍勢をひきいて進んで来たので、張任はあわてて馬首を返し、張飛はそ れを追って城下まで迫ったが、張任は城へ駆けこんで、吊り橋を引き上げた。 張飛はもどって来て玄徳と対面し、 「車師は川をさかのばって来るはずだが、まだ着かぬとなれば、一番手柄はわしのものだ」 「このけわしい山道を、よくもこう早く来られたものだな。邪魔だてする者もあったろうに」 「途中、面倒なところが四十五ばかりあったが、みんな厳顔殿のおかげで事もなくすみ、汗ひとっ かかずに来られた」 と言って張飛は、義によって厳顔を許した一条を逐一、話し、厳顔を呼んで玄徳に目通りさせた。 玄徳は、 「もし老将軍がおいででなければ、弟もここまで来ることはかなわなかったでござろう」 くさりよろい こがね ひきでもの と礼を述べ、身につけていた黄金作りの鎖の鎧をぬいで引出物とした。厳顔は平伏してそれをい ただき、さて酒宴を設けて飲みはじめようとしたとき、物見の早馬が馳せもどって、 りゆ - っ・し 「黄忠殿、魏延殿が、敵将呉蘭・雷銅と合戦中のところ、城内より呉懿・劉瑣が加勢に出て、前 後から攻めたてられたため、お味方は打ち破られて東の方へ逃れましてござります」 との注進。聞くなり張飛は、玄徳と二手に分かれて加勢に繰り出そうと言った。かくて張飛は左 手から、玄徳は右手から、戦場へ急いだ。呉懿・劉瑣は後方に鬨の声がおこったので、あわてて城 内へ逃げこんだが、呉蘭と雷銅は夢中になって黄忠・魏延を追っているうち、玄徳と張飛のため退 とき
とう′一 のを見ては、孫権が喜ぶはずはござりますまい。されば、大王から東呉へ使者を出されて利害を説 あかっき こうなん かせ、孫権にひそかに雲長のうしろを衝くように仕向けて、成功の暁には江南の地を孫権に与え おのずか ることを約束してやれば、樊城の危機は自ら解けるでござりましよう」 しようさい しゅば と諫め、主簿の蒋済も、 ちゅうたっ 「仲達殿の申し条、まことにもっともと存じまする。これよりただちに東呉へ使者を差し向けら せんと おおぎよう れなば、遷都など大仰なことをなさらずとすむでござりましよう」 と言ったので、曹操もこれに同意して、遷都のことは取止めとしたが、思わず嘆息して、 を「于禁は三十年もわしに仕えてきたのに、わからぬものじゃのう。いざとなっては、靡徳にもおよ てばぬとは。さっそく使者を立てて東呉に書面をやり、一方、大将を出して雲長の意気込みをとりひ 刮しいでくれよ , つ」 骨 と、諸将に言いかける。その言葉も終わらぬうちに、階下に一人の大将が進み出た。 長 雲「それがしにお命じ下されませ」 じよ - 一う りよけん 見れば、徐晃であったので、曹操はいたく喜び、徐晃を大将、呂建を副将として精兵五万を与え、 回 しゆったっ ようりようは 五出立の日を定め、陽陵陂に陣をとって東南 ( 呉 ) の動き出すのを待ち、そのうえで軍を進めるよ うに命じた。 第 ワ】 きんぜん さて孫権は曹操の書面に接して目を通すと、欣然としてこれに応じ、ただちに書面をしたためて っ
路を断たれた。すかさず黄忠と魏延が馬首を返して攻めたてたので、もはやこれまでと、手勢をひ きいて降参した。玄徳は二人の降参を許し、彼らの軍勢を味方に繰りいれて、城の間近に陣をとっ さて、張任は二人の大将を失って、いたく心を痛めていたが、呉懿・劉瑣が = = ロうのに、 ひ 「ことここに至ったからは、討死に覚悟で討って出ねば、とうてい退くこともできぬ。成都へ使者 てだて をやってわが君に急を告げ、手段をもちいて援軍を待とう」 「わしは、明日、一手をひきいて討って出、負けたと見せて北へ逃げる。そこを誰か討って出て敵 え 捉のうしろへまわってくれ。そうすれば必ず勝てる」 任「では劉将軍、貴公は若殿をお助けして城を守っておって下されい。それがしが討って出よう」 て と呉懿が言い、手はずをきめた。あくる日、張任は数千の軍勢をひきい、旗を打ち振り喚声をあ め をげて討って出た。張飛が馬をおどらせて迎え撃ち、ものも言わすに張任に打ってかかったが、十五、 明六合と打ち合わぬうち、張任は負けたふりをして、城壁にそって逃げ出した。張飛が必死にこれを 孔 追うところへ、呉懿の軍勢がうしろにまわり、張任もとって返して、張飛を真ん中にとりこめた。 四進退きわまり、もはやこれまでかに見えたとき、一手の軍勢が川の方から討って出た。真っ先に立 十 ただ一合にして、彼を生け捕 った大将、槍をしごき馬をおどらせて呉懿に打ちかかると見る間に、 ち上ううん 第 り、敵兵を追い払って張飛を救い出した。見れば、これそ趙雲。張飛が聞いた。 「一早師は、レ」一か」
かん 「わしは兄者と桃園にて義を結び、ともに漢室を助けまいらそうと誓った者だ。荊州とて元来漢の 国土、一寸たりと勝手に人に与えたりはできぬ。『将、外にありては、君命も受けざる所あり』と か。たとい兄者が申し越されたとて、わしは断じて返さぬぞ」 「呉侯はいま、それがしの一家を人質に捕えており、もし荊州がもどらねば、必すや殺すでござり ましよう。ご同情下されい」 「それは呉侯の策略ではないか。そんなことにごまかされるわしではない」 赴「将軍、それはあまりに心なき仰せ」 会 雲長が剣を握って、 て 「ええい、黙らぬか。この剣には心なぞないぞ」 っ と言ったとき、関平が横から、 ひ 刀「軍師 ( 孔明 ) のお顔に免じて、ご辛抱下さりませ」 長 雲ととりなすと、 「軍師への義理がなければ、貴様も東呉へ生きてはかえさぬところだ」 回 いとま 六諸葛瑾はいたく恥じいり、急いで暇を告げると、船に乗って、ふたたび西川へとって返した。だ が、孔明が巡視に出向いたあとであったので、やむなく玄徳に目通りし、雲長に殺されかかったこ 四とを泣いて訴えた。すると、 とうせんかんちゅう 「弟は短気ゆえ、すぐには説き伏せられぬ。貴公はいったんお帰り下されい。わしが東川・漢中 とうえん かんべい そと
8 「城へ一気に突き進み、街道へ出て進むよりほかありません」 と言ったので、魏延は真っ先に立って血路を開き、維城目指して突き進んだ。ところへ、もうも うたる土煙があがり、ゆく手から一手の軍勢が進んで来た。これそ、雛城を守っていた呉蘭・雷銅 である。背後からは張任が軍勢をひきいて追い迫る。前後から攻め立てて、魏延をまんなかに取り 。と、呉蘭・雷銅の軍 こめたので、魏延は死に物狂いであばれ回ったが、脱け出ることができない 勢がうしろの方で崩れたったので、二人は急いで馬を返した。魏延が勢いこんで追いかければ、前 だいおんじよう 方で一人の大将が、薙刀をふるい馬をおどらせて大音声に、 ぶんちょう 「文長 ( 魏延の字 ) 、加勢にまいったそ」 こうちゅう 見れば、老将黄忠である。二人は前後から攻めたてて、呉蘭・雷銅を打ち破り、そのまま雛城 城下へ殺到した。劉瑣が軍勢をひきいて討って出たが、玄徳が到着してこれを押しかえし、黄忠・ 魏延と一手になって引き返した。玄徳の軍勢が自陣に逃げもどって来たとき、張任の軍勢がまたも 間道から討って出、劉瑣・呉蘭・雷銅が先頭きって追いすがって来たので、二つの陣地を守りきれ ふ ず、戦いながら浯関へ逃げもどろうとした。蜀の軍勢は気おいたってこれを追ったが、玄徳は人馬 ともに疲れ果てて、戦う気もなく、ひたすら馬を飛ばす。浯関に近づいたとき、張任の軍勢がすぐ かんべい りゆ、つほ・つ うしろまで追いついてきたが、おりよく左から劉封、右から関平が新手の軍勢三万をひきいて討 っていで、張任を打ち破ったうえ、二十里も追いかけておびただしい軍馬を奪い返した。 玄徳の一行はふたたび浯関にはいって靡統の消息を求めた。すると落鳳坡から逃げのびて来た兵 なぎなた ごらんらいどう
・一うかちょうさ が江夏・長沙・桂陽の三郡を呉に返し、弁舌の士を遣わせて利害を説き、呉に軍を起こして合瀧を けんせい 攻めさせて、彼を牽制いたしますれば、軍勢をひきいて南に向かうこと間違いござりませぬ」 「して誰をやったらよいものでござろうか」 玄徳が尋ねたとき、伊籍が進み出た。 「それがしにお申しつけ下さりませ」 うんちょう しんもっ 玄徳は大いに喜び、書面をしたため進物をととのえると、ます荊州へ回ってこの由を雲長に知 まつりよう らせたうえ、呉に向かうよう命じた。伊籍は秣陵に着いて、孫権のもとに至り、目通りを申しい あいさっ れた。孫権が引見して、伊籍の挨拶が終わるのを待ち、 「用件はなにか」 と聞くと、 しよかっしゅ 「さきに諸葛子瑜殿 ( 瑾の字 ) が長沙などの三郡をお引取りにまいられた節は、軍師不在のため思 わぬ齟齬をきたしましたが、このたびお引渡しの書面を持参っかまつってござります。荊州・南 ぐんれいりよう かん 郡・零陵をもお返しいたす所存でござりましたが、曹操に川を奪われて、関将軍を回すことが できませぬ。して、当今、合が手薄となっておりますれば、なにとぞ殿よりお攻め下さりませ。 さすれば曹操は軍を退いて南へ向かいまするゆえ、わが君が東川を取られたうえは、ただちに荊州 全土をお返しいたします」 「相談いたすゆえ、そなたはしばらく客舎にて待ってくれい」 きん せき
のろし 「長江にそい、二十里、三十里ごとの岡に狼煙台が造られました」 と知らせ、また荊州の軍勢が来襲に備えて万端の準備をととのえている由を聞いて大いに驚き、 「そうとあっては、早急に攻めかかることもできぬ。呉侯に荊州攻めをお勧めしてきた手前、どう したらよいものか」 やま とさまざま考えたが良い策も浮かばないので病いといつわって家に閉じこもり、孫権にも使いを わずら りくそん やった。孫権は蒙が患ったと聞いてすっかり落胆したが、陸遜が進み出て言うのに、 りよしめい し「呂子明殿のご病気はいつわりで、本当のものではござりませぬ」 はくげん あぎな 療 を 「伯言 ( 澄の字 ) 、そなたがいつわりと知っておるなら、様子を見にいってまいれ」 毒 て陸遜は命を受け、その夜のうちに陸ロの陣屋におもむいて呂蒙に会ったところ、はたして病いと 刮は見えぬ顔色。 骨「呉侯の仰せにより、お見舞いに参上っかまつりました」 雲「これしきの病いにわざわざおいで下されたとは、かえって痛みいります」 「呉侯より大任をまかせられたのに、せつかくの好機を見送られて手をつかねて悩んでおられるの 回 五は、なにゆえにござりますか」 第言われて呂蒙は、じっと陸を見つめたまま黙りこくっている。そこで、陸遜が笑いながら、 「それがし、将軍のご病気を治すことのできる処方を持ちあわせておりまするが、お用い下さいま オ・ . 「ト , しょ , つ、か」
118 こうなん れ去ったりしおって、無礼にもほどがある。これより西川の大軍をおこして江南へ攻め下り、恨み をはらしてやろうと思っておったとこ・ろであったに、あろうことか荊州を返せだと」 すると、孔明が泣き伏して、 「呉侯はそれがしの兄の一家を質にとっております。もしお返し下さらねば、兄の一家は皆殺しと なりましよう。兄が死んだうえは、それがしとて生きてはおられませぬ。なにとぞ、それがしに免 とう 1 一 じて荊州を東呉にお返し下さり、それがしの兄弟の情義を全うさせて下されませ」 玄徳は聞き入れるふうもなかったが、孔明が泣き泣き頼んだので、おもむろに口を開くと、 ↓っレ - うされいりようけいレっ 「しからば、軍師に免じて、荊州の半ばを割き、長沙・零陵・桂陽の三郡を返してつかわそう」 たま うんちょう 「お聞きとどけを賜わったうえは、ご書面をおっくりになって雲長殿にかの三郡を引き渡すよう お申しつけ下さりませ」 あぎな 「子瑜殿 ( 瑾の字 ) 、あちらにまいられたら、言葉にはよくよく注意されて、弟に頼まれたがよい 弟は気性がはげしいので、わしですらはれ物にさわる気でおるのじやからな。心してゆかれよ」 諸葛瑾は書面をもらって玄徳のもとを辞し、孔明とも別れて帰途につくと、荊州にやって来た。 雲長は、広間に迎え入れて挨拶をかわしたが、諸葛瑾は玄徳の書面を差し出して、 、一うしゆく 「皇叔殿には、三郡を東呉にお返し下さることをご承知下されました。わが君もお待ちかねのこ とゆえ、早々にお引渡しのほどお願いいたします」 と言うと、雲長は血相を変えた。 まっと
催すとともに、一方、檄を東呉へ馳せて、水路加勢を繰り出して荊州へ攻めかかるように命じたの % であった。 とうせん さて、ここに漢中王は魏延に軍勢を統率させて東川の守りにつかせ、百官をひきいて成都に帰る はノ、すい と、役人を任命して宮殿の造営にとりかからせ、客舎を設けた。また、成都から白水までの間に、 りようまっ 都合四百余力所の駅亭 ( 宿場 ) が置かれた。かくて糧秣を各地から集め、大いに武器をこしらえて、 ちゅうげん 中原進出の用意をととのえていた。かかるとき、間者が曹操が東呉と結んで荊州を攻めようとし ているのを探知し、蜀に急報した。漢中王が孔明を招いて諮ると、 「曹操がこれを考えるであろうことは、それがしとうに見抜いておりました。しかし、呉には策士 が多数おることゆえ、曹操を動かして曹仁からまず攻めかからせるように仕向けるに違いござりま せぬ」 「しからば、ど , っしたらよいもので、こギ、ろ , つか」 「使者をつかわして雲長殿にご沙汰書をとどけ、わが方より軍勢を催して樊城に攻めかかって、敵 ・「ルめ ~ し の心胆を寒からしめれば、彼らの策略なそおのずから瓦解いたすでござりましよう」 ぜんぶしばひし 漢中王は大いに喜び、ただちに前部司馬費詩に使者の役を命じ、沙汰書をたずさえて荊州へおも むかせた。雲長は城外まで出迎えて、役所に案内すると、挨拶をすませてから尋ねた。 たま 「漢中王はわしにどんな爵位を賜わったのか」 げきとう 1 ) せいと