り・よス′か この由、早くも関公に注進されるや、関公はいたく怒り、廖化に樊城を攻めさせておいて、みず から徳を迎え撃たんと出馬した。関平が出迎えて、廳徳と打ち合ったが勝負がっかなかった旨を 話すと、関公はただちに薙刀を手に馬を乗り出し、大音に呼ばわった。 うんちょう 「関雲長これにあり。廳徳、死にたくば早く出てまいれ」 と、太鼓の音ひびいて、廳徳が出馬する。 「わしは魏王の命を奉じて、わざわざ貴様の首をもらいにまいったのだ。その証拠には、ほれこの とおり柩まである。命が惜しくば、さっさと馬を下りて降参せよ」 せいりし画うとう 「下郎、ロはばったい事をぬかすな。貴様ごとき奴を斬らねばならぬとは、この青竜刀が泣くわ」 言うなり関公は馬をおどらせ薙刀をふるって徳に斬りかかり、靡徳また薙刀を舞わして進み出 ばうぜん たが、百合あまり打ち合っても、二人はいささかの疲れも見せぬ。両軍の陣中、ただ呆然としてこ れを見守るばかりであったが、魏の陣中で廳徳の身を気遣って引揚げの銅鑼を鳴らせば、関平も父 親の年を考えて銅鑼を鳴らし、二人は陣に引き取った。帰陣した廳徳が、 「関公の雷名は聞いておったが、今日はじめてそれがわかった」 あいさっ と一同に一一 = ロうおりしも、于禁がやってきた。挨拶をすませて于禁の言うのに、 いったん軍勢を退い 「聞けば、将車は関公と打ち合われたとか。百合の余も戦って利がなければ、 たらよいではないか」 ふが 「魏王はわざわざ将軍を大将に命じられたのではござらぬか。不甲斐ないことを申されるな。それ ひ
からだ 「父上、泰山のごとき大事のお身体をもって、石ころごとき者と争うことはござりませぬ。それが し、父上にかわって廳徳と手合わせしてまいりまする」 「ではそなたがいってみよ。わしもすぐあとから加勢にゆこうぞ」 関平は本陣を出るや、薙刀片手に馬にまたがり、軍勢をひきいて廳徳を迎えた。両軍、陣取りを ひたたれしろがね おわれば、魏の軍中に、『南安靡徳』と黒地に白で大書した旗がひるがえり、廳徳が青の袍に白銀 よろい の鎧といういでたちで、鋼の薙刀をひっさげ白馬にまたがって陣頭に乗り出だし、すぐあとに五百 決の兵士が従い、歩卒数名が柩をかつぎ出す。 あるじ 戦「主にそむいた国賊め」 ののし 死 て と関平が罵ると、靡徳は、 擡「あれは誰だ」 襯 と兵士に尋ね、 「関公の養子関平にござります」 との返事を聞くと、大音で呼ばわった。 回 こわっぱ おやじ 四「わしは魏王の仰せで、貴様の父親の首を取りにきたのじゃ。貴様のような小童を殺したところで 第何にもならぬ。早く父親を呼んでまいれ」 怒った関平が馬をおどらせ薙刀をふるって寵徳にうちかかれば、廳徳また薙刀をふるってこれを 迎え、三十合打ち合ったが勝負がっかないので、それぞれ陣へ引き取った。 はがね なぎなた
146 と言って、先に帰らせてから、その夜のうちに張魯に目通りして、廳徳は曹操に賄賂を受けてわ めんば ざと敗れたのだと告げロした。激怒した張魯は廳徳を呼んで面罵し、打ち首にしようとしたが、閻 圃がしきりに諫めたので、 「明日、討って出よ。もし負けたら生かしてはおかぬそ」 と言い、徳は不満気に退出した。あくる日、曹操が攻め寄せるや、廳徳は軍勢をひきいて討っ て出た。曹操は許緒に出馬を命じ、負けたふりをして逃げる許緒を徳が追ってくるところ、曹操 いただき みすから小高い岡の頂に馬を進めて呼ばわった。 ほうれいめい あぎな 「靡令明 ( 徳の字 ) 、早々に降参いたせ」 廠徳は、『曹操を手捕りとすれば、大将千人を手捕りとするにも当たる』と考えたので、馬を飛 ばせて駆け上がる。ところへ、あっと一声、天地はりさけて、人馬もろとも陥し穴にころげこむ。 たちまち四方から熊手が延びて引きすり上げられ、生捕りとされて、頂へ引っ立てられた。曹操は 馬を下りて兵士たちを退がらせると、みずからその縄目を解いてやって、降参するかどうか尋ねた。 靡徳が張魯の薄情さを考えて、投降を願いでれば、曹操は抱えるようにして彼を馬に乗せ、連れだ って本陣に引き揚げたが、 その姿をわざと城中より眺めさせた。廳徳が曹操と馬をならべて立ち去 ったことが知らせられたので、張魯はますます楊松の言葉を信するようになった。 やぐら あくる日、曹操は城の三方に高い櫓をたてさせ、石弓を城内にうちこませた。張魯はもはやささ えきれぬと見て、弟張衛にはかったところ、張衛は、 おと えん
「それはよくない。わしは昨夜、神のような人に鉄の棒で右腕をなぐられた夢を見、目をさまして もその痛みが去らなかった。このたびの出陣は不吉に思えるが」 「武人が戦場に出て、死なずとも傷を受くるくらいのことは理の当然でござります。夢なぞにまど わされることは。こギ、りますまい」 「いや、気がかりなのは、孔明が申してよこしたことなのじゃ。やはり軍師は浯関にもどられた方 がよいのではなかろうかな」 廳統はからからと笑った。 「殿は孔明にまどわされておいでですな。彼はそれがしが大功をひとりじめにするのを快からす思 わざとあのようなことを申して来て、殿に不安の心をいだかせようとしたのでござりますそ。 そのおまどいが夢に現われたもので、凶兆なぞでは決してござりませぬ。それがしは殿のご前に命 しゆったっ を棄ててこそ本望にござります。さようなおまどいは棄てて、明朝、早々にご出立下さりませ」 ひょうろう かくてこの日、全軍に下知して、五更に兵粮をつかい、夜のひき明けとともに打ち立つよう伝 えた。黄忠と魏延はそれぞれ軍勢をひきいて先発したが、玄徳が廳統とかさねて錐城で再会を約束 していたとき、廳統の乗った馬がなにに驚いたのかとっぜん棒立ちになり、彼を振り落とした。玄 徳は馬より飛び下りて、馬を取り押え、 「軍師はなぜこのような悪い馬にお乗りでござるか」 「これには長く乗ってまいりましたが、このようなことは初めてでござります」
の 姿 が る の 受 ら れ ま 襄で 281 余関立 い城 で関 つあ は関 い屈 。は き。矢を強 ると徳徳 ら傷 の諸 の知 、お でん場将廳休 が旗 か動だ所 を公 、ド車 。構 け物 の誰取や 勢え つ催 促け 明討 ひ戦 、れ のす 、た た . し、公知 て関 いれ だ出公押 つず 。な 、れ い知 の士 た出 げち を聞 、オこ 、ぬ い様 い魏 に大徳た 、で 何し ま将は を諮 ; と遅 落、 知は ち士 を軍 が小 つな 徳北 公ま の十 で于 里軍 に勢 あを い七 廳を い山 か手 かす 田、軍 い勢 にを 内軍 し知 第七十四回廳令明概を擡いて死戦を決し・・・ で あ城公に関 ら た そ で 関 は を し 数 を ひ キ て 高 い に 登 つ て め た と ろ 役勢樊急樊 城 で 壁 六 し も ふ ろ ク ) 北 に移平 し て せ陣関 た と ら せ が 多 ) っ の で か く ら ん で る の 0 ょ な と 六 て は の ロ が つ か り ふ が た の た 喜 ん で い が が の 功てふし 名麓な 術り げを靡 あ陣 をに が し、 于 林 が つ ぬ は公戦 が も く 六 て し ま た 、何功 なあ度名 も し の しこ い に き いれ王 す 道七葉 固を盾を 樊 ク ) 谷る動 山 げ し移承 江う兵馬 の 流子騎 に も き く 城 の 」ヒ 十 見里眺 の あ に は し れ が 目 しよ い た し は、 ら く て て 案 け ぬ は か の 機 に 七 軍 多 ) げ て 商攵 陣 を 駆 け 破 り 樊 城 の 囲 み を 解 も が も っ ま き ん み か ら 軍 勢 ひ き て 街 め 廳 隊 を の 奥 に 回 て を あ る の を ひ た す ら の を に と て か の が に て の 日 十 は く か た し、 お て じ 叩 に た っ よ せ ら に た が よ っ そ を く る が徳み が ' 軍う き し ら の わ の で 、于 禁 っ た と ど た 兵 下 知 し 六 ん て し戦こ い を る と に め挑な つ は て関す に の キ . ん つ て も く り い 悪をて て態を出 つ か せ た が よ つ と い き り
に、もはや逃れるすべもないと思い、降参を願い出た。関公は于禁らの鎧や着物を剥ぎ取らせて船 とう・一うとうちょう 中に捕えおき、さらに徳を手捕りにしようとした。ときに廳徳と董衡・董超および成何は、歩 卒五百人とともに、一同鎧もなく堤の上に立っていたが、関公が押し寄せて来るや、廳徳は恐れる 色もなく、猛然、これを迎え撃った。関公が船で四方をかこませ、兵士たちにいっせいに矢を射か けさせたから、魏の兵士の大半はたちまち倒れる。董衡・董超は、すでに利なしと見て寵徳に言っ みち 「兵士はほとんど倒され、どこにも逃げ路はござりませぬ。降参するよりほかありますまい」 徳、大いに怒り、 「魏王のご恩顧を忘れ、節を屈げることなぞできるか」 と、その場で二人を斬り棄てるなり、 「二度と降参を口にする者は、この二人のとおりだそ」 と叫んだので、兵士たちは奮いたって防ぎ守り、夜明けから昼にいたり、意気ますます増して衰 やだま えるふうもない。関公が四方から息もつがせず寄せかからせ、矢石を雨とそそぎかければ、廳徳は 兵士らに白刃をもって応戦させる。彼は成何を見返って、 「『勇将は死を怯れて一時の難を逃れるようなことはせず、壮士は節を屈げて生を求めるようなこ とはしない』と聞いておる。今日はわしの最期の日だ。そなたも覚悟をきめてぞんぶんに働いてく れい」 おそ
めここに留まりました。これまでご恩顧をかけてこられた者ではあり、彼をゆかせたらよろしいか と ~ 仔じます・が」 ひきでもの 張魯は大いに喜び、すぐさま廳徳を呼ぶとかずかずの引出物を与え、一万の軍勢を授けて出陣を いど 命じた。靡徳は城外十里あまりのところで曹操の軍勢と対陣し、馬を乗り出だし戦いを挑んだ。曹 操は渭橋の合戦で彼の武勇を知っていたので、大将たちに言いふくめた。 せいりよう 「廳徳はもと馬超の手に属しておった西涼の勇将じゃ 。、まは張魯のもとにはあるとはいえ、決 して満足してはおらぬ。わしは、あの男を手につけたい。そなたたちは手加減して戦い、彼を疲れ させておいて、手捕りとせよ」 かくて張部は真っ先に出馬して、数合渡り合って退き、夏侯淵も数合打ち合って退いた。つぎに きト・ち - よ 徐晃が出て、これまた四、五合で引き退がり、最後に許褶が五十合あまり打ち合って退いて来た。 靡徳は四人の大将と堂々と渡り合って臆する色もなく、大将たちが曹操の前で彼の手並みをたたえ たので、曹操は心中いたく喜び、 「どうしたらあの男を手につけることができようか」 と諸将にはかると、賈訒が言った。 ようしよう まいない 「張魯の幕僚に楊松と申す者があり、賄賂には目がない男と聞いております。ひそかに金帛を贈 ぎんげん って張魯に廳徳のことを讒一一 = 口させれば、首尾よくまいりましよう」 「その使者をどうして南鄭へまぎれこませるか」 か ひ きんばく
「関羽は智勇兼備の者ゆえ、軽々しく立ち向かうことは禁物である。すきあらば攻め、かなわぬと きは無理をせずに守るよう」 廳徳はこの命令を聞いて、部将たちに言った。 「大王には少し関羽を重く見すぎておられるようじゃ。わしはきっと奴の三十年の名声を打ち砕い てくれるぞ」 于禁が、 「魏王のお言葉じゃ。心して聞かねばなるまいぞ」 どら と言うと、廳徳は奮然として軍勢を駆り、銅鑼・太鼓を打ち鳴らし、威風堂々、樊城目指してひ た押しに押しよせる。 さて関公はおりしも本陣の幕中にあったが、にわかに物見からの注進で、 「曹操が于禁を大将として、七手の軍勢を差し向けてまいりました。その先鋒の靡徳は先頭に柩を かつぎ出し、将軍と命のやりとりをしようなそと無礼なことを申しており、 いま当地より三十里の ところまで迫っております」 ひげ とのこと。聞いて関公は、さっと顔色を変え、美しい髯をふるわせて怒った。 「なんと、天下の英雄たるこのわしに、そのようなことを申しておるとな。ええい、小癪なり徳、 わしを何と思っておるのか。関平、そなたは樊城を攻めたてよ。わしはあの下郎の素っ首をたたき 斬ってまいる」 かんべい 一一しやく くび
「おお、何たる悲しき事か」 一同があわてて何事かと尋ねると、 てんこう ( 注二 ) 「わしは今年、星が西にあるので、軍師の身に不吉の事があると見、また天狗星がわが軍を犯し、 太白が維城の上に輝いておったので、先にわが君に書面をさしあげて、よくよくご用心あるよう申 ほうしげん し上げておいたのじゃ。しかるに、 いま西に星が落ちた。廳士元の命に間違いがあったに違いな と言って、 「いまやわが君は片腕を失われたか」 とはげしく泣いた。一同は驚いたものの、信じかねていると、 「数日中に、必す知らせがあろう」 と言い、かくてこの夜の酒盛りはそこでうちきりとなった。 うんちょう 数日後、孔明が雲長らと話しているところへ、関平の到着が報じられた。一同が驚くうちに、 関平が入って来て、玄徳の書面をさし出した。孔明が見れば、中には、『本年七月七日、廳軍師、 やだま 張任のため落鳳坡にて矢石の中で死せり』とある。孔明は声をあげて泣き、一同も涙にくれた。 「わが君が浯関に閉じこめられておるうえは、どうあってもわしがゆかねばならぬ」 孔明の言葉に、雲長が、 「軍師がゆかれたら、誰が荊州を守るのでござるか。当地は肝要の地ゆえ、うかつにはできませぬ
0 言うではないか。それも仁の道にはずれるとぬかすか。貴様の言うことは筋が通らぬ。出てうせ たす すると靡統は、からからと笑って席を立った。玄徳も左右の者に扶けられて奥へはいったが、そ ちくいち のまま夜中まで眠って、ふと目をさますと側の者が、廳統の言ったことを逐一、話して聞かせた。 玄徳はいたく後悔し、翌朝、衣服をあらためて公事の間に出ると、靡統を招いて、 「昨日はおばえずとりみだして、無礼をいたした。気にかけないでおいてくれい」 と詫びたが、廳統が耳もかさずに笑っているので、 「昨日は、わしが間違っておった」 「君臣ともに間違ったのでございます。殿だけではござりませぬ」 言われて玄徳もからからと笑い、憂いを忘れたのであった。 さて劉璋は、玄徳が楊・高二将を殺し浯関を奪ったと聞いて、大いに驚き、 「まさか、このよ , つなことになろ , っとは」 と、ただちに文武諸官を集めて、玄徳討伐の策をはかったが、黄権の言うのに、 「至急、軍勢を雛県に差し向けて、要路をかためさせれば、劉備に精兵猛将があろうとて、通るこ とはかない亠よす、まい」 りゅうかい れいほうちょうじんとうけん かくて劉璋は、劉瑣・冷苞・張任・鄧賢に五万の大軍を与え、ただちに雛県へおもむいて、劉 ふ こうけん