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検索対象: 三国志演義 5
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1. 三国志演義 5

り・よス′か この由、早くも関公に注進されるや、関公はいたく怒り、廖化に樊城を攻めさせておいて、みず から徳を迎え撃たんと出馬した。関平が出迎えて、廳徳と打ち合ったが勝負がっかなかった旨を 話すと、関公はただちに薙刀を手に馬を乗り出し、大音に呼ばわった。 うんちょう 「関雲長これにあり。廳徳、死にたくば早く出てまいれ」 と、太鼓の音ひびいて、廳徳が出馬する。 「わしは魏王の命を奉じて、わざわざ貴様の首をもらいにまいったのだ。その証拠には、ほれこの とおり柩まである。命が惜しくば、さっさと馬を下りて降参せよ」 せいりし画うとう 「下郎、ロはばったい事をぬかすな。貴様ごとき奴を斬らねばならぬとは、この青竜刀が泣くわ」 言うなり関公は馬をおどらせ薙刀をふるって徳に斬りかかり、靡徳また薙刀を舞わして進み出 ばうぜん たが、百合あまり打ち合っても、二人はいささかの疲れも見せぬ。両軍の陣中、ただ呆然としてこ れを見守るばかりであったが、魏の陣中で廳徳の身を気遣って引揚げの銅鑼を鳴らせば、関平も父 親の年を考えて銅鑼を鳴らし、二人は陣に引き取った。帰陣した廳徳が、 「関公の雷名は聞いておったが、今日はじめてそれがわかった」 あいさっ と一同に一一 = ロうおりしも、于禁がやってきた。挨拶をすませて于禁の言うのに、 いったん軍勢を退い 「聞けば、将車は関公と打ち合われたとか。百合の余も戦って利がなければ、 たらよいではないか」 ふが 「魏王はわざわざ将軍を大将に命じられたのではござらぬか。不甲斐ないことを申されるな。それ ひ

2. 三国志演義 5

からだ 「父上、泰山のごとき大事のお身体をもって、石ころごとき者と争うことはござりませぬ。それが し、父上にかわって廳徳と手合わせしてまいりまする」 「ではそなたがいってみよ。わしもすぐあとから加勢にゆこうぞ」 関平は本陣を出るや、薙刀片手に馬にまたがり、軍勢をひきいて廳徳を迎えた。両軍、陣取りを ひたたれしろがね おわれば、魏の軍中に、『南安靡徳』と黒地に白で大書した旗がひるがえり、廳徳が青の袍に白銀 よろい の鎧といういでたちで、鋼の薙刀をひっさげ白馬にまたがって陣頭に乗り出だし、すぐあとに五百 決の兵士が従い、歩卒数名が柩をかつぎ出す。 あるじ 戦「主にそむいた国賊め」 ののし 死 て と関平が罵ると、靡徳は、 擡「あれは誰だ」 襯 と兵士に尋ね、 「関公の養子関平にござります」 との返事を聞くと、大音で呼ばわった。 回 こわっぱ おやじ 四「わしは魏王の仰せで、貴様の父親の首を取りにきたのじゃ。貴様のような小童を殺したところで 第何にもならぬ。早く父親を呼んでまいれ」 怒った関平が馬をおどらせ薙刀をふるって寵徳にうちかかれば、廳徳また薙刀をふるってこれを 迎え、三十合打ち合ったが勝負がっかないので、それぞれ陣へ引き取った。 はがね なぎなた

3. 三国志演義 5

146 と言って、先に帰らせてから、その夜のうちに張魯に目通りして、廳徳は曹操に賄賂を受けてわ めんば ざと敗れたのだと告げロした。激怒した張魯は廳徳を呼んで面罵し、打ち首にしようとしたが、閻 圃がしきりに諫めたので、 「明日、討って出よ。もし負けたら生かしてはおかぬそ」 と言い、徳は不満気に退出した。あくる日、曹操が攻め寄せるや、廳徳は軍勢をひきいて討っ て出た。曹操は許緒に出馬を命じ、負けたふりをして逃げる許緒を徳が追ってくるところ、曹操 いただき みすから小高い岡の頂に馬を進めて呼ばわった。 ほうれいめい あぎな 「靡令明 ( 徳の字 ) 、早々に降参いたせ」 廠徳は、『曹操を手捕りとすれば、大将千人を手捕りとするにも当たる』と考えたので、馬を飛 ばせて駆け上がる。ところへ、あっと一声、天地はりさけて、人馬もろとも陥し穴にころげこむ。 たちまち四方から熊手が延びて引きすり上げられ、生捕りとされて、頂へ引っ立てられた。曹操は 馬を下りて兵士たちを退がらせると、みずからその縄目を解いてやって、降参するかどうか尋ねた。 靡徳が張魯の薄情さを考えて、投降を願いでれば、曹操は抱えるようにして彼を馬に乗せ、連れだ って本陣に引き揚げたが、 その姿をわざと城中より眺めさせた。廳徳が曹操と馬をならべて立ち去 ったことが知らせられたので、張魯はますます楊松の言葉を信するようになった。 やぐら あくる日、曹操は城の三方に高い櫓をたてさせ、石弓を城内にうちこませた。張魯はもはやささ えきれぬと見て、弟張衛にはかったところ、張衛は、 おと えん

4. 三国志演義 5

「それはよくない。わしは昨夜、神のような人に鉄の棒で右腕をなぐられた夢を見、目をさまして もその痛みが去らなかった。このたびの出陣は不吉に思えるが」 「武人が戦場に出て、死なずとも傷を受くるくらいのことは理の当然でござります。夢なぞにまど わされることは。こギ、りますまい」 「いや、気がかりなのは、孔明が申してよこしたことなのじゃ。やはり軍師は浯関にもどられた方 がよいのではなかろうかな」 廳統はからからと笑った。 「殿は孔明にまどわされておいでですな。彼はそれがしが大功をひとりじめにするのを快からす思 わざとあのようなことを申して来て、殿に不安の心をいだかせようとしたのでござりますそ。 そのおまどいが夢に現われたもので、凶兆なぞでは決してござりませぬ。それがしは殿のご前に命 しゆったっ を棄ててこそ本望にござります。さようなおまどいは棄てて、明朝、早々にご出立下さりませ」 ひょうろう かくてこの日、全軍に下知して、五更に兵粮をつかい、夜のひき明けとともに打ち立つよう伝 えた。黄忠と魏延はそれぞれ軍勢をひきいて先発したが、玄徳が廳統とかさねて錐城で再会を約束 していたとき、廳統の乗った馬がなにに驚いたのかとっぜん棒立ちになり、彼を振り落とした。玄 徳は馬より飛び下りて、馬を取り押え、 「軍師はなぜこのような悪い馬にお乗りでござるか」 「これには長く乗ってまいりましたが、このようなことは初めてでござります」

5. 三国志演義 5

の 姿 が る の 受 ら れ ま 襄で 281 余関立 い城 で関 つあ は関 い屈 。は き。矢を強 ると徳徳 ら傷 の諸 の知 、お でん場将廳休 が旗 か動だ所 を公 、ド車 。構 け物 の誰取や 勢え つ催 促け 明討 ひ戦 、れ のす 、た た . し、公知 て関 いれ だ出公押 つず 。な 、れ い知 の士 た出 げち を聞 、オこ 、ぬ い様 い魏 に大徳た 、で 何し ま将は を諮 ; と遅 落、 知は ち士 を軍 が小 つな 徳北 公ま の十 で于 里軍 に勢 あを い七 廳を い山 か手 かす 田、軍 い勢 にを 内軍 し知 第七十四回廳令明概を擡いて死戦を決し・・・ で あ城公に関 ら た そ で 関 は を し 数 を ひ キ て 高 い に 登 つ て め た と ろ 役勢樊急樊 城 で 壁 六 し も ふ ろ ク ) 北 に移平 し て せ陣関 た と ら せ が 多 ) っ の で か く ら ん で る の 0 ょ な と 六 て は の ロ が つ か り ふ が た の た 喜 ん で い が が の 功てふし 名麓な 術り げを靡 あ陣 をに が し、 于 林 が つ ぬ は公戦 が も く 六 て し ま た 、何功 なあ度名 も し の しこ い に き いれ王 す 道七葉 固を盾を 樊 ク ) 谷る動 山 げ し移承 江う兵馬 の 流子騎 に も き く 城 の 」ヒ 十 見里眺 の あ に は し れ が 目 しよ い た し は、 ら く て て 案 け ぬ は か の 機 に 七 軍 多 ) げ て 商攵 陣 を 駆 け 破 り 樊 城 の 囲 み を 解 も が も っ ま き ん み か ら 軍 勢 ひ き て 街 め 廳 隊 を の 奥 に 回 て を あ る の を ひ た す ら の を に と て か の が に て の 日 十 は く か た し、 お て じ 叩 に た っ よ せ ら に た が よ っ そ を く る が徳み が ' 軍う き し ら の わ の で 、于 禁 っ た と ど た 兵 下 知 し 六 ん て し戦こ い を る と に め挑な つ は て関す に の キ . ん つ て も く り い 悪をて て態を出 つ か せ た が よ つ と い き り

6. 三国志演義 5

に、もはや逃れるすべもないと思い、降参を願い出た。関公は于禁らの鎧や着物を剥ぎ取らせて船 とう・一うとうちょう 中に捕えおき、さらに徳を手捕りにしようとした。ときに廳徳と董衡・董超および成何は、歩 卒五百人とともに、一同鎧もなく堤の上に立っていたが、関公が押し寄せて来るや、廳徳は恐れる 色もなく、猛然、これを迎え撃った。関公が船で四方をかこませ、兵士たちにいっせいに矢を射か けさせたから、魏の兵士の大半はたちまち倒れる。董衡・董超は、すでに利なしと見て寵徳に言っ みち 「兵士はほとんど倒され、どこにも逃げ路はござりませぬ。降参するよりほかありますまい」 徳、大いに怒り、 「魏王のご恩顧を忘れ、節を屈げることなぞできるか」 と、その場で二人を斬り棄てるなり、 「二度と降参を口にする者は、この二人のとおりだそ」 と叫んだので、兵士たちは奮いたって防ぎ守り、夜明けから昼にいたり、意気ますます増して衰 やだま えるふうもない。関公が四方から息もつがせず寄せかからせ、矢石を雨とそそぎかければ、廳徳は 兵士らに白刃をもって応戦させる。彼は成何を見返って、 「『勇将は死を怯れて一時の難を逃れるようなことはせず、壮士は節を屈げて生を求めるようなこ とはしない』と聞いておる。今日はわしの最期の日だ。そなたも覚悟をきめてぞんぶんに働いてく れい」 おそ

7. 三国志演義 5

めここに留まりました。これまでご恩顧をかけてこられた者ではあり、彼をゆかせたらよろしいか と ~ 仔じます・が」 ひきでもの 張魯は大いに喜び、すぐさま廳徳を呼ぶとかずかずの引出物を与え、一万の軍勢を授けて出陣を いど 命じた。靡徳は城外十里あまりのところで曹操の軍勢と対陣し、馬を乗り出だし戦いを挑んだ。曹 操は渭橋の合戦で彼の武勇を知っていたので、大将たちに言いふくめた。 せいりよう 「廳徳はもと馬超の手に属しておった西涼の勇将じゃ 。、まは張魯のもとにはあるとはいえ、決 して満足してはおらぬ。わしは、あの男を手につけたい。そなたたちは手加減して戦い、彼を疲れ させておいて、手捕りとせよ」 かくて張部は真っ先に出馬して、数合渡り合って退き、夏侯淵も数合打ち合って退いた。つぎに きト・ち - よ 徐晃が出て、これまた四、五合で引き退がり、最後に許褶が五十合あまり打ち合って退いて来た。 靡徳は四人の大将と堂々と渡り合って臆する色もなく、大将たちが曹操の前で彼の手並みをたたえ たので、曹操は心中いたく喜び、 「どうしたらあの男を手につけることができようか」 と諸将にはかると、賈訒が言った。 ようしよう まいない 「張魯の幕僚に楊松と申す者があり、賄賂には目がない男と聞いております。ひそかに金帛を贈 ぎんげん って張魯に廳徳のことを讒一一 = 口させれば、首尾よくまいりましよう」 「その使者をどうして南鄭へまぎれこませるか」 か ひ きんばく

8. 三国志演義 5

「関羽は智勇兼備の者ゆえ、軽々しく立ち向かうことは禁物である。すきあらば攻め、かなわぬと きは無理をせずに守るよう」 廳徳はこの命令を聞いて、部将たちに言った。 「大王には少し関羽を重く見すぎておられるようじゃ。わしはきっと奴の三十年の名声を打ち砕い てくれるぞ」 于禁が、 「魏王のお言葉じゃ。心して聞かねばなるまいぞ」 どら と言うと、廳徳は奮然として軍勢を駆り、銅鑼・太鼓を打ち鳴らし、威風堂々、樊城目指してひ た押しに押しよせる。 さて関公はおりしも本陣の幕中にあったが、にわかに物見からの注進で、 「曹操が于禁を大将として、七手の軍勢を差し向けてまいりました。その先鋒の靡徳は先頭に柩を かつぎ出し、将軍と命のやりとりをしようなそと無礼なことを申しており、 いま当地より三十里の ところまで迫っております」 ひげ とのこと。聞いて関公は、さっと顔色を変え、美しい髯をふるわせて怒った。 「なんと、天下の英雄たるこのわしに、そのようなことを申しておるとな。ええい、小癪なり徳、 わしを何と思っておるのか。関平、そなたは樊城を攻めたてよ。わしはあの下郎の素っ首をたたき 斬ってまいる」 かんべい 一一しやく くび

9. 三国志演義 5

「おお、何たる悲しき事か」 一同があわてて何事かと尋ねると、 てんこう ( 注二 ) 「わしは今年、星が西にあるので、軍師の身に不吉の事があると見、また天狗星がわが軍を犯し、 太白が維城の上に輝いておったので、先にわが君に書面をさしあげて、よくよくご用心あるよう申 ほうしげん し上げておいたのじゃ。しかるに、 いま西に星が落ちた。廳士元の命に間違いがあったに違いな と言って、 「いまやわが君は片腕を失われたか」 とはげしく泣いた。一同は驚いたものの、信じかねていると、 「数日中に、必す知らせがあろう」 と言い、かくてこの夜の酒盛りはそこでうちきりとなった。 うんちょう 数日後、孔明が雲長らと話しているところへ、関平の到着が報じられた。一同が驚くうちに、 関平が入って来て、玄徳の書面をさし出した。孔明が見れば、中には、『本年七月七日、廳軍師、 やだま 張任のため落鳳坡にて矢石の中で死せり』とある。孔明は声をあげて泣き、一同も涙にくれた。 「わが君が浯関に閉じこめられておるうえは、どうあってもわしがゆかねばならぬ」 孔明の言葉に、雲長が、 「軍師がゆかれたら、誰が荊州を守るのでござるか。当地は肝要の地ゆえ、うかつにはできませぬ

10. 三国志演義 5

0 言うではないか。それも仁の道にはずれるとぬかすか。貴様の言うことは筋が通らぬ。出てうせ たす すると靡統は、からからと笑って席を立った。玄徳も左右の者に扶けられて奥へはいったが、そ ちくいち のまま夜中まで眠って、ふと目をさますと側の者が、廳統の言ったことを逐一、話して聞かせた。 玄徳はいたく後悔し、翌朝、衣服をあらためて公事の間に出ると、靡統を招いて、 「昨日はおばえずとりみだして、無礼をいたした。気にかけないでおいてくれい」 と詫びたが、廳統が耳もかさずに笑っているので、 「昨日は、わしが間違っておった」 「君臣ともに間違ったのでございます。殿だけではござりませぬ」 言われて玄徳もからからと笑い、憂いを忘れたのであった。 さて劉璋は、玄徳が楊・高二将を殺し浯関を奪ったと聞いて、大いに驚き、 「まさか、このよ , つなことになろ , っとは」 と、ただちに文武諸官を集めて、玄徳討伐の策をはかったが、黄権の言うのに、 「至急、軍勢を雛県に差し向けて、要路をかためさせれば、劉備に精兵猛将があろうとて、通るこ とはかない亠よす、まい」 りゅうかい れいほうちょうじんとうけん かくて劉璋は、劉瑣・冷苞・張任・鄧賢に五万の大軍を与え、ただちに雛県へおもむいて、劉 ふ こうけん