張遼 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 5
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1. 三国志演義 5

154 の日、合瀧目ざして全軍うち立った。 もんもん 張遼は皖城が落ちたので、中途から合瀧にひき返し、悶々としていたところ、曹操から遣わされ た薛悌が一つの手箱をとどけてきた。曹操の親筆で封じられ、横に、「賊至らば開け」と書いてあ る。この日、孫権みずから十万の大軍をひきいて、合瀧に向かいつつあるとの注進があったので、 ちょうりレっ 張遼はさっそくその手箱を開くと、「孫権至らば、張・李二将軍は出でて戦い、楽将軍は軍城を りてんがくしん 守るべし」との命令がはいっている。張遼はその令状を李典・楽進に示した。 「将軍のご意見は」 楽進が聞いた。 これより 「わが君がご遠征中のことゆえ、呉はわれらを必ず破れると思ってまいったに違いない ただちに迎え撃ち、カかぎり戦って敵の出鼻をくじき、まず味方の心を落ち着けてから、立て籠る ことがよかろ , つ」 李典はもともと張遼のことを快からず思っていたので、この張遼の言葉を聞いても、おし黙って いる。楽進は李典が黙然としているのを見て言った。 「賊は多勢、味方は無勢。戦ったところでせんないことだ。立て籠って守るに越したことはない」 張遼は、 「貴公らは自分のことにばかりかかずらって、国事を顧みようとしないのか。わしはこれより討っ て出て、思うさま戦ってまいる」 せってい もくねん

2. 三国志演義 5

162 甘寧が百騎をひきいて陣にもどったとき、一人として欠けた者はなく、陣門において百人に太鼓 を打たせ笛を吹かせて、いっせいに「万歳」を叫べば、歓声、天地にこだました。孫権がみずから たす 迎えに出ると、甘寧は馬から飛び下りて拝伏した。孫権は彼を扶け起こしてその手をとり、 「見事であったそ。これであの老いばれめも胆を冷やしたことであろう。わしは好んでそなたに あぶな 危い思いをさせたわけではないが、そなたの胆力のほどを見たかったのじゃ」 ひやくふりひきでもの せんびき と言って、絹千疋と鋭利な刀百振を引出物とし、拝受した甘寧は、それを百人に分け与えた。 孫権は諸将に言ったものである。 もうとく ちょうりよう 「孟徳には張遼がおるが、わしには甘興霸 ( 寧の字 ) がおる。恐れるにはおよばぬわい」 いど あくる日、張遼が軍勢をひきいて戦いを挑んできた。凌統は甘寧が手柄をたてたのを見て、奮然 として一一 = ロった。 「それがし、張遼と打ち合ってみたく存じまする」 孫権がこれを許せば、凌統は兵五千をひきいて濡須を出、孫権みずから甘寧を従えて戦いぶりを 見るべく出陣した。双方、陣定まるや、張遼が左に李典、左に進を従えて出馬する。凌統が薙刀 片手に馬をおどらせて陣頭から乗り出だせば、張遼は楽進を出馬させ、二人は五十合も渡り合った が勝負がっかぬ。この由を聞いた曹操も、みずから門旗の下に馬を進めたが、二人がはげしく打ち そうきゅう 合う様子を見て、曹休にひそかに矢を射かけるよう命じた。曹休が張遼のうしろに身をかくして、 きも あぎな なぎなた

3. 三国志演義 5

と言うなり、馬の用意を命じた。これを聞くや、李典がすっくと立ち上がり、 「将軍がその気持なら、身どもとてとるにたりぬゆきちがいから国事を忘れたりする者ではない。 さし 喜んでお指図を受けよう」 張遼がいたく喜んで、 しようようしん 「おお、おカぞえ下さるなら、明日、一手の軍勢をひきいて逍遙津の北にひそみ、呉の軍勢が渡 し・ようし がくぶんけん ったあと、小師橋を落として下されい。それがしは楽文謙殿 ( 進の字 ) と討って出る」 と言えば、李典は承知して軍勢をそろえ、ひと足先に出た。 おのれ さて孫権は呂蒙・甘寧に先鋒を命じ、己は凌統とともに中軍におさまって、諸将、陸続と合瀧目 平指して押し寄せた。呂蒙・甘寧が進んでゆくと、討って出た楽進と遭遇したので、甘寧が出馬して、 地楽進にとってかかったが、楽進は数合も打ち合わぬうちわざと逃げ出した。甘寧は呂蒙を招いてい 中っせいに追撃する。孫権は中軍にあって、先鋒が勝ったと聞き、軍勢をはげまして逍遙津の北へと れんじゅまう 操さしかかった。ところへ連珠 ( 合図の石火矢。第七回注六参照 ) がひびきわたり、左から張遼、右か ら李典が手勢をひきいて討って出た。仰天した孫権が急いで人をやって呂蒙・甘寧に救いを求める 回 七うちにも、張遼の軍勢は間近に迫った。凌統の手には、わずか三百余騎が従うのみで、山のごとき ル曹操の軍勢に歯むかうすべもない。 「殿、急いで小師橋をお渡り下されい」 凌統の叫びも終わらぬうち、張遼が二千余騎をひきいて殺到したので、凌統は身を翻して必死 ひるがえ

4. 三国志演義 5

張遼の名を聞いただけで、子供は夜泣きをやめるというありさま。諸将が孫権を守って帰陣したが、 じゅしゅ 孫権は凌統・谷利を厚く賞し、 いったん軍を濡須にかえすと、兵船をととのえて水陸より押し進ま んと評議し、同時に人を江南へやって、加勢の軍勢をよこすよう命じた。 ここに張遼は、孫権が濡須にあり、大軍をもって押し寄せんとしている由を聞くや、合瀧の無勢 きゅうきよせってい ではとうてい敵しがたいとみて、急遽、薛睇を漢中へ差し向け急を曹操に告げ、援兵を請うた。 「これより西川を攻めて、攻め取ることができるであろうか」 りゅうよう ーし 曹操が一同にはかると、劉曄が答えた。 定 平「当今、蜀は平常に復しつつあり、すでに防備も固めておりまするゆえ、攻めるのは不利にござり 地ます。軍を引き払って合瀧の急を救い、一気に江南を攻め取るがよろしゅうござりましよう」 ちょう - 一う かこうえん ていぐん もうとうがん 中 かくて曹操は、夏侯淵を残して漢中定軍山の要害を守らせ、張部に蒙頭巌などの要害を固めさ 漢 じゅしゅう ろうゆう 操せたうえ、その他の軍勢に陣払いを命じて、濡須塢へと急行する。正に、鉄騎隴右 ( 隴山の西、ここ ぐんき は漢中を指す ) を平らげ、旌旄また江南を目指す、というところ。さてこの勝負はどうなるか。そ 回 七れは次回で。 第 注一「人の欲は限りないものだな。 かんしゆく ・ : 」後漢の光武帝が、全国平定の軍をすすめ、隴右 ( 甘粛 ) を平 - 一うぶ

5. 三国志演義 5

そうそう せんばう かこうえんちょうこう ーし さて西征の軍を起こすこととした曹操は、、全軍を三手に分け、先鋒に夏侯淵・張部を命じて、 定 そうじん かこうとんごづめ りしっまっ 平みずからは諸将を従えて中軍におさまり、曹仁・夏侯惇を後詰として糧秣の輸送に当たらせた。 かんちゅう ちょうろ ちょうえい 地この由、早くも間者が漢中に注進したので、張魯が弟の張衛に、これを防ぐ策をはかると、衛が 中 一言った。 漢 ようへい 操「漢中第一の要衝は陽平関でございます。関の左右の山内、林の中に十余力所の陣を設け、曹操の あにじやかんねい 軍勢を迎え撃っことにいたすがよろしゅうござりましよう。兄者は漢寧にお出ましになり、糧秣を 回 七送って下さりませ」 よう - 一うようじん ル張魯はこれに従い、楊昻・楊任の二大将に命じて弟とともに即日、打ち立たせれば、軍勢は陽平 関に到着し、陣取りを終わって待ち受けた。やがて夏侯淵・張部ら、先手の軍勢が到着したが、陽 平関に備えができていると聞いて、手前十五里のところに陣をとった。その夜は、兵士らも疲れは 第六十七ロ そうそう かんちゅう 曹操漢中の地を平定し ロちょうりよう しようようしんふる 張遼威を逍遙津に震う さきて

6. 三国志演義 5

311 略年表 操南征。荀攸 ( 五八 ) 没。一一月、曹操、伏皇后・伏完一族を殺す。◎劉 備と孫権 ( 三三 ) 、荊州をめぐって対立。 二〇一月、献帝、曹貴人を皇后に立つ。七月、曹操、張魯を破って漢中を取る。 八月、孫権、合瀧で張遼 ( 四七 ) と戦う。一一月、張魯、曹操に降伏。 二一五月、曹操、魏王となる。 一三一月、曹操、居巣・濡須で孫権を破る。一〇月、曹丕 ( 三一 ) 魏王の太子 となる。◎劉備、漢中に進出。◎魯粛 ( 四六 ) ・陳琳没。 二三一月、耿紀・紀晃 ( および吉本 ) ら曹操に謀反して失敗。四月、劉備、陽 平関で張部と戦う。七月、曹操、劉備討伐の軍をおこし、九月、長安に出 陣。◎楽進没。 二四一月、劉備、陽平関で夏侯淵を斬る。三月、曹操、斜谷に進出して劉備と 対峙、五月、引揚げ。七月、劉備、自立して漢中王となる。八月、関羽、 襄陽を占拠、樊城で徳を斬り于禁を捕う。一〇月 ( 『演義』では一二月 ) 、 呂蒙、江陵を占拠。関羽 ( 五八 ) 父子、臨沮において斬らる。一二月、呂 蒙 ( 四一 l) 没。

7. 三国志演義 5

308 これを継ぐ。 四夏、陶謙、徐州の牧となる。秋、曹操、陶謙を攻めて十余城を抜き、領民 一〇万を殺す。 一九四興平一二月、曹操ふたたび徐州を攻撃。陶謙、青州刺史田楷・平原の相劉備 ( 三 三 ) に救援を乞う。劉備、予州の牧となって小沛に駐屯。呂布、張遞に迎 えられて克州の牧となる。八月、曹操、濮陽において呂布に苦戦。陶謙 ( 六 lll) 没、劉備、徐州の牧となる。孫策、江東に帰り、周瑜 ( 二〇 ) を幕 下に加う。 二曹操、定陶で呂布を破る。三月、李催・郭汜、長安を騒がす。夏、呂布、 鉅野で曹操に大敗、劉備を頼る。七月、献帝、洛陽へ向かう。一〇月、曹 操、州の牧となる。 一九六建安一七月、献帝、洛陽にはいる。曹操 ( 三六 ) 入京して録尚書事となる。九月、 曹操、献帝を許昌に移す。一〇月、劉備、下郵で呂布に敗れ、曹操を頼る。 孫権 ( 一五 ) 、呉郡陽羨の県長となる。 一一一月、曹操、張繍に大敗。春、袁術、淮南で成を建国。 三七月、曹操、張繍・劉表を大破。九月、曹操、袁術を討つ。一二月曹操、 下邸で呂布・陳宮を斬り、張遼 ( 三〇 ) を幕下に加う。劉備、献帝に拝謁、 一九五 一九七

8. 三国志演義 5

ちょううん あと 趙雲江を截って阿斗を奪い まんしりぞ ロそんけん 第六十一口 孫権書を遺して老瞞を退く よう ふ 焙関を取りて楊・高首を授し 一 ) うぎ 第六十二回馭く 雛城を攻めて黄・魏功を争う しよかつりよういた ほら′レ」ら′ 諸葛亮痛んで統のために哭き ロちょうトくとく げんがんゆる 第六十三ロ 張翼徳義をもって厳顔を釈す ちょうじんとら 第うめい 孔明計を定めて張任を捉え ばちょう 第六十四回よう・ふ 楊阜兵を借りて馬超を破る ばちト - う かばう 馬超大いに葭萌関に戦い えき 第六十五回り 4 うび 劉備自ら益州の牧を領す かいおもむ かんうんちょうとう 関雲長刀ひとつにて会に赴き いのちす 第六十六回ふく 伏皇后国の為に生を捐てる そうそうかんちゅう 曹操漢中の地を平定し ロちょうりよう しようようしんふる 第六十七ロ 張遼威を逍遙津に震う ぎじんおそ かんねい 甘寧百騎にて魏の営を劫い さじさかずきな そうそうたわむ 第六十八回 左慈盃を擲げて曹操を戯る 目次 わた 139 159 116

9. 三国志演義 5

孫権の幕僚。 ち曹操に仕える。 じよこう ・」うめい ちょうしよう しふ 徐晃 ( ? ー二二七 ) 字は公明。強力無双。はじ張昭 ( 一五六ー二三六 ) 字は子布。孫策、孫権 ・よら・ほう め楊奉に仕え、のち曹操の部将となる。 の幕僚。 そうそう - もうとく ちょうひ よくとく 曹操 ( 一五五ー二二〇 ) 字は孟徳。幼名阿瞞。張飛 ( 一六、 ー二二一 ) 字は翼徳。劉備、関羽 " 乱世の奸雄、治世の能臣 , といわれ、権謀 に兄事する。直情径行の勇将。蜀の五虎将の 術数にたけた文武両全の英雄。幕下に多くの ちゅうげん ちょうりよう ぶんえん 人材を集め、天機をつかんで中原を統一、張遼 ( 一六九ー一三一 l) 字は文遠。はじめ呂布 魏王となる。 に仕え、のち曹操の部将となる。情義に厚く、 そうひ 曹丕 ( 一八七ー一三六 ) 字はれ様。曹操の長子。 関羽と肝胆相照らす仲となる。 ・一うき ごとぺいどう 文武両道にたけ、のち献帝を廃して魏を建て張魯 ( ? ) 字は公祺。五斗米道の教祖として三 ぶん かんちゅう る。魏の文帝。 十年にわたり漢中に君臨。のち曹操に仕え そうじん し・一う 曹仁 ( 一六八 る。 ー二二三 ) 字は子孝。曹操の従弟。 そんけん ちゅうまう ちょううん しりレ - う とうよう 孫権 ( 一八二ー二五一 l) 字は仲課。孫堅の次子。趙雲 ( ? ー一三九 ) 字は子竜。劉備に仕え当陽 ちつはんは りゅう 父兄の業を継ぎ呉を建てた名君。 の長坂坡で単騎百万の敵中を突破、幼主劉 ちょうしよう えいねんりゅうしよう ぜん 張松 ( ? ー二一三 ) 字は永年。劉璋の幕僚。 禅を救出した英雄。蜀の五虎将の一人。 えき ちゅうとく 劉備に益州の地図を献じ入の手引きをする。程昱 ( 一四一ー一三〇 ) 字は仲徳。曹操の幕僚。 ちレっ・こう しゅんがい とくう 張部 ( ? ー二三一 ) 字は儁乂。袁紹の部将、の程普 ( ? ) 字は徳課。孫堅父子三代に仕えた文 あまん ちょうろ 0

10. 三国志演義 5

を授け、出入りにはそれをさしかけて功名のしるしとするよう命じたのであった。 孫権は濡須にあって曹操と対陣すること月余におよんだが、勝ちを占めることができなかったの - 一トっ で、張昭・顧雍が進言した。 もしこのまま対陣が長びけば、 「曹操の軍勢は多く、まともに戦っても勝っことはかないますまい 兵士を失うばかりでございます。ここはひとまず和を結び、領民を安んずるが上策かと存じます」 ほしつ 孫権はこれを聞きいれ、歩驚を和睦の使者として曹操の陣屋へやり、毎年、朝貢することを申し こうなんくだ いれた。曹操は早急に江南を降すことはできぬとみたので、これを受けいれ、 ひ を「孫権がまず軍勢を引き揚げれば、わしも軍を退くであろう」 しようきん の と返事した。歩驚がたち帰ってこれを伝えると、孫権は蒋欽・周泰の二人だけを残して濡須ロ まつりよう てを守らせ、残りの全軍をあげて水路秣陵に引き揚げた。 百 きよしよう 寧曹操が曹仁と張遼を合瀧に残し、軍をひきいて許昌にもどると、文武百官が一同して彼を魏王 しようしょ ( 注一 ) さいえん に立てようと建議した。ところが、尚書崔珱がただ一人、強く異をとなえたので、皆が、 回 じゅんぶんじゃくじゅんい 「「貴公は荀文若 ( 荀彧 ) のことを忘れたのか」 と言うと、彼は大いに怒って言った。 第 「ああ、これも時勢か。必ず異変がおこるであろう。黙って見ていよう」 きゅうもん 崔璞と仲の悪い者がこれを曹操の耳にいれたので、いたく怒った曹操は、彼を獄に下して糾問 そうじん