徳 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 5
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1. 三国志演義 5

がしは明日、関羽と死ぬか生きるかの勝負をする所存でござる。断じて退きはせぬ」 寵徳に憤然として言われ、于禁は重ねて一一 = ロう言葉もなく帰っていった。 一方、関公は陣に引き取って来て、関平に言った。 「廳徳の薙刀の使いようはなかなかのものじゃ。あれでのうてはわしの相手にならぬ」 おそ 「『生まれたての犢は虎をも懼れぬ』というではござりませぬか。寵徳を斬られたところで、たか せいきよう が西羌の雑兵にすぎませぬ。それより父上の身に万一のことがあっては、伯父上より預かったご 決大任にそむくことになりはいたしませぬか」 戦「わしはきやつを殺してしまわねば、腹の虫がおさまらぬ。言うても無駄なことじゃ。もう一言う 擡あくる日、馬にまたがり兵をひきいて進み出れば、徳も軍勢をひきいて迎え撃つ。両軍、陣取 りが終われば、二人いっせいに馬を乗り出だし、ものもいわずに打ち合いを始めた。五十合あまり 令したとき、廠徳が馬首を返していっさんに逃げ出し、関公も逃さじと追ったので、関平は間違いあ ってはと、同じくあとを追った。 回 四「廳徳、不意討ちをかけようなぞと思っても、驚くわしと思うか」 第関公は大音に呼ばわったが、いかにも靡徳はいつわって逃げていたので、薙刀を鞍にかけ、ひそ 四かに弓をとって矢をつがえるなり、ひょうと射かけた。目ざとく見てとった関平、廠徳が弓をひき しばるところ、大立日に、 くら

2. 三国志演義 5

146 と言って、先に帰らせてから、その夜のうちに張魯に目通りして、廳徳は曹操に賄賂を受けてわ めんば ざと敗れたのだと告げロした。激怒した張魯は廳徳を呼んで面罵し、打ち首にしようとしたが、閻 圃がしきりに諫めたので、 「明日、討って出よ。もし負けたら生かしてはおかぬそ」 と言い、徳は不満気に退出した。あくる日、曹操が攻め寄せるや、廳徳は軍勢をひきいて討っ て出た。曹操は許緒に出馬を命じ、負けたふりをして逃げる許緒を徳が追ってくるところ、曹操 いただき みすから小高い岡の頂に馬を進めて呼ばわった。 ほうれいめい あぎな 「靡令明 ( 徳の字 ) 、早々に降参いたせ」 廠徳は、『曹操を手捕りとすれば、大将千人を手捕りとするにも当たる』と考えたので、馬を飛 ばせて駆け上がる。ところへ、あっと一声、天地はりさけて、人馬もろとも陥し穴にころげこむ。 たちまち四方から熊手が延びて引きすり上げられ、生捕りとされて、頂へ引っ立てられた。曹操は 馬を下りて兵士たちを退がらせると、みずからその縄目を解いてやって、降参するかどうか尋ねた。 靡徳が張魯の薄情さを考えて、投降を願いでれば、曹操は抱えるようにして彼を馬に乗せ、連れだ って本陣に引き揚げたが、 その姿をわざと城中より眺めさせた。廳徳が曹操と馬をならべて立ち去 ったことが知らせられたので、張魯はますます楊松の言葉を信するようになった。 やぐら あくる日、曹操は城の三方に高い櫓をたてさせ、石弓を城内にうちこませた。張魯はもはやささ えきれぬと見て、弟張衛にはかったところ、張衛は、 おと えん

3. 三国志演義 5

り・よス′か この由、早くも関公に注進されるや、関公はいたく怒り、廖化に樊城を攻めさせておいて、みず から徳を迎え撃たんと出馬した。関平が出迎えて、廳徳と打ち合ったが勝負がっかなかった旨を 話すと、関公はただちに薙刀を手に馬を乗り出し、大音に呼ばわった。 うんちょう 「関雲長これにあり。廳徳、死にたくば早く出てまいれ」 と、太鼓の音ひびいて、廳徳が出馬する。 「わしは魏王の命を奉じて、わざわざ貴様の首をもらいにまいったのだ。その証拠には、ほれこの とおり柩まである。命が惜しくば、さっさと馬を下りて降参せよ」 せいりし画うとう 「下郎、ロはばったい事をぬかすな。貴様ごとき奴を斬らねばならぬとは、この青竜刀が泣くわ」 言うなり関公は馬をおどらせ薙刀をふるって徳に斬りかかり、靡徳また薙刀を舞わして進み出 ばうぜん たが、百合あまり打ち合っても、二人はいささかの疲れも見せぬ。両軍の陣中、ただ呆然としてこ れを見守るばかりであったが、魏の陣中で廳徳の身を気遣って引揚げの銅鑼を鳴らせば、関平も父 親の年を考えて銅鑼を鳴らし、二人は陣に引き取った。帰陣した廳徳が、 「関公の雷名は聞いておったが、今日はじめてそれがわかった」 あいさっ と一同に一一 = ロうおりしも、于禁がやってきた。挨拶をすませて于禁の言うのに、 いったん軍勢を退い 「聞けば、将車は関公と打ち合われたとか。百合の余も戦って利がなければ、 たらよいではないか」 ふが 「魏王はわざわざ将軍を大将に命じられたのではござらぬか。不甲斐ないことを申されるな。それ ひ

4. 三国志演義 5

からだ 「父上、泰山のごとき大事のお身体をもって、石ころごとき者と争うことはござりませぬ。それが し、父上にかわって廳徳と手合わせしてまいりまする」 「ではそなたがいってみよ。わしもすぐあとから加勢にゆこうぞ」 関平は本陣を出るや、薙刀片手に馬にまたがり、軍勢をひきいて廳徳を迎えた。両軍、陣取りを ひたたれしろがね おわれば、魏の軍中に、『南安靡徳』と黒地に白で大書した旗がひるがえり、廳徳が青の袍に白銀 よろい の鎧といういでたちで、鋼の薙刀をひっさげ白馬にまたがって陣頭に乗り出だし、すぐあとに五百 決の兵士が従い、歩卒数名が柩をかつぎ出す。 あるじ 戦「主にそむいた国賊め」 ののし 死 て と関平が罵ると、靡徳は、 擡「あれは誰だ」 襯 と兵士に尋ね、 「関公の養子関平にござります」 との返事を聞くと、大音で呼ばわった。 回 こわっぱ おやじ 四「わしは魏王の仰せで、貴様の父親の首を取りにきたのじゃ。貴様のような小童を殺したところで 第何にもならぬ。早く父親を呼んでまいれ」 怒った関平が馬をおどらせ薙刀をふるって寵徳にうちかかれば、廳徳また薙刀をふるってこれを 迎え、三十合打ち合ったが勝負がっかないので、それぞれ陣へ引き取った。 はがね なぎなた

5. 三国志演義 5

さいはいふる ったものである。張任は城頭から、玄徳が西門外に馬を飛ばせて寄せ手の采配を揮っているのを眺 ひつじ めていたが、辰の刻 ( 午前八時頃 ) から末の刻 ( 午後二時頃 ) になるにおよんで、ようやく人馬に疲 ごらんらいどう 」門から討って出て東門 労の色の現われるのを見てとった。すかさす、呉蘭・雷銅の二将を呼び、 おのれ へまわり、黄忠・魏延に討ってかかるよう命じ、己は一手の軍勢をひきいて南門から押し出して西 じきじき 門へまわり、直々玄徳を討っこととして、城内の民兵をことごとく城壁の上にかり出し、太鼓をた たいて気勢をあげさせた。 ごづめ ここに玄徳は真っ赤な日が真西に傾いたのを見て、後詰の軍勢から引き揚げるよう命じた。兵士 え かんせい 捉たちが退きかけたおりしも、城頭にどっと喚声がわくとみる間に、南門から軍勢が押し出し、張任 張が玄徳めざして突き進んで来た。玄徳の軍勢はたちまち総崩れとなったが、黄忠・魏延の方も呉 め蘭・雷銅に食いとめられて、どうすることもできないありさま。玄徳が張任に敵しかね、馬を飛ば をせて山あいの間道に血路を求めれば、張任、そのうしろに追いすがって、みるみる間をせばめてゆ むち 玄徳はただ一騎、張任には数騎が従う。玄徳が必死に鞭を鳴らせて馬を飛ばせるところ、とっ 孔 ぜん行手に一手の軍勢が現われた。 四「前には伏勢、うしろには追手。天われを滅ばしたもうか」 六玄徳は馬上で絶叫したが、近づく車勢の先頭に立った大将は、なんと張飛。元来、張飛は厳顔と この間道ぞいに進んで来たのであったが、はるかに、もうもうたる土煙のあがるのを望んで、西川 の軍勢と合戦の最中と見、真っ先かけて馳せつけたもの。張任とぶつかるなり、打ち合った。十合 0 たっ

6. 三国志演義 5

に、もはや逃れるすべもないと思い、降参を願い出た。関公は于禁らの鎧や着物を剥ぎ取らせて船 とう・一うとうちょう 中に捕えおき、さらに徳を手捕りにしようとした。ときに廳徳と董衡・董超および成何は、歩 卒五百人とともに、一同鎧もなく堤の上に立っていたが、関公が押し寄せて来るや、廳徳は恐れる 色もなく、猛然、これを迎え撃った。関公が船で四方をかこませ、兵士たちにいっせいに矢を射か けさせたから、魏の兵士の大半はたちまち倒れる。董衡・董超は、すでに利なしと見て寵徳に言っ みち 「兵士はほとんど倒され、どこにも逃げ路はござりませぬ。降参するよりほかありますまい」 徳、大いに怒り、 「魏王のご恩顧を忘れ、節を屈げることなぞできるか」 と、その場で二人を斬り棄てるなり、 「二度と降参を口にする者は、この二人のとおりだそ」 と叫んだので、兵士たちは奮いたって防ぎ守り、夜明けから昼にいたり、意気ますます増して衰 やだま えるふうもない。関公が四方から息もつがせず寄せかからせ、矢石を雨とそそぎかければ、廳徳は 兵士らに白刃をもって応戦させる。彼は成何を見返って、 「『勇将は死を怯れて一時の難を逃れるようなことはせず、壮士は節を屈げて生を求めるようなこ とはしない』と聞いておる。今日はわしの最期の日だ。そなたも覚悟をきめてぞんぶんに働いてく れい」 おそ

7. 三国志演義 5

さえて陣の前まで来たが、玄徳の軍勢がなんの備えもしていないのを見て、心中してやったりとほ くそえんだものであった。本陣の幔幕の中にはいると、玄徳が靡統と坐っているので、挨拶をして、 「皇叔にはこのたびお帰りと承り、わずかではございますが進物をもってお見送りに参上っかまっ りました」 と酒を勧めたが、玄徳は、 さかずき 「あいや、貴公らこそお役目ご苦労に存ずる。さあ、まずこの杯を受けて下されい」 二人がそれを飲みほすと、 「貴公らに折り入って、お話いたしたきことがござるによって、お供の方々をお下げいただきた と言って、二百名の兵士を本陣の外に追い出し、 「ものども、この賊どもを引っ捕えよ」 りゅうほうかんべい と下知すれば、声とともに、幔幕のかげから劉封・関平がたちいで、楊・高両名が慌てて立ち 上がったところを、早くも押えつけてしまった。 あるじ 「わしは貴様らの主と同族の兄弟であるのに、よくも間を割こうなぞとたくらみおったな」 ふり と玄徳がなじり、廠統が近侍の者に二人の身体をさぐらせれば、果たして鋭い剣がひと振ずつ出 ちゅうちょ て来たので、斬って棄てよと命じた。玄徳が躊躇すると、靡統は、 「この者たちは殿のお命をねらっておったのでござりまするぞ。容赦できませぬ」 まんまく

8. 三国志演義 5

・」うかん と大喝した者がある。簡雍はあわてて車を下り、挨拶したが、この人は、広漢郡綿竹の人、姓は しちよく ふく 秦、名は宀必、字子勅であった。簡雍は、 「貴公のおられることを知らす、ご無礼つかまつりました。ひらにご容赦下されい」 と笑って、ともどもに劉璋の前に通り、玄徳の心ひろく、危害を加えるようなことは万々ない旨 をつぶさに伝えた。かくて劉璋は降参の心を固め、簡雍を厚くもてなしたうえ、次の日、親しく印 綬・文書をたずさえ、簡雍と同車して降参して出た。玄徳は陣の外に出迎え、その手をとって、 輒「それがしが仁義にはすれたのではなく、勢いやむをえすこうなってしまったのでござる」 関 と、はらはらと落涙し、ともに本陣にはいって印綬・文書の引渡しを受けると、駒を並べて入城 萌 玄徳が成都にはいると、領民たちが香華・燈明を供えて出迎えた。かくて玄徳が役所にはいり正 大 超面の座につけば、郡内の諸官が庭先に目通りしたが、黄権・劉巴の二人だけは家に引きこもって伺 候しなかった。諸将が怒って、二人を殺しにゆこうとしたが、玄徳はあわてて、 回 五「あの二人に手をかけた者は、一門皆殺しとする」 ルと触れ、みずから彼らの家を訪ねて、出仕を請うたので、二人は玄徳の恩義に感じ入って出仕し 孔明が勧めて言うのに、 あるじ 「今日、西川が治まったうえは、二人の主がおることはできませぬ。劉璋を荊州へ送られますよ しん じゅ

9. 三国志演義 5

あまりするうち、厳顔が、軍勢をひきいて進んで来たので、張任はあわてて馬首を返し、張飛はそ れを追って城下まで迫ったが、張任は城へ駆けこんで、吊り橋を引き上げた。 張飛はもどって来て玄徳と対面し、 「車師は川をさかのばって来るはずだが、まだ着かぬとなれば、一番手柄はわしのものだ」 「このけわしい山道を、よくもこう早く来られたものだな。邪魔だてする者もあったろうに」 「途中、面倒なところが四十五ばかりあったが、みんな厳顔殿のおかげで事もなくすみ、汗ひとっ かかずに来られた」 と言って張飛は、義によって厳顔を許した一条を逐一、話し、厳顔を呼んで玄徳に目通りさせた。 玄徳は、 「もし老将軍がおいででなければ、弟もここまで来ることはかなわなかったでござろう」 くさりよろい こがね ひきでもの と礼を述べ、身につけていた黄金作りの鎖の鎧をぬいで引出物とした。厳顔は平伏してそれをい ただき、さて酒宴を設けて飲みはじめようとしたとき、物見の早馬が馳せもどって、 りゆ - っ・し 「黄忠殿、魏延殿が、敵将呉蘭・雷銅と合戦中のところ、城内より呉懿・劉瑣が加勢に出て、前 後から攻めたてられたため、お味方は打ち破られて東の方へ逃れましてござります」 との注進。聞くなり張飛は、玄徳と二手に分かれて加勢に繰り出そうと言った。かくて張飛は左 手から、玄徳は右手から、戦場へ急いだ。呉懿・劉瑣は後方に鬨の声がおこったので、あわてて城 内へ逃げこんだが、呉蘭と雷銅は夢中になって黄忠・魏延を追っているうち、玄徳と張飛のため退 とき

10. 三国志演義 5

0 言うではないか。それも仁の道にはずれるとぬかすか。貴様の言うことは筋が通らぬ。出てうせ たす すると靡統は、からからと笑って席を立った。玄徳も左右の者に扶けられて奥へはいったが、そ ちくいち のまま夜中まで眠って、ふと目をさますと側の者が、廳統の言ったことを逐一、話して聞かせた。 玄徳はいたく後悔し、翌朝、衣服をあらためて公事の間に出ると、靡統を招いて、 「昨日はおばえずとりみだして、無礼をいたした。気にかけないでおいてくれい」 と詫びたが、廳統が耳もかさずに笑っているので、 「昨日は、わしが間違っておった」 「君臣ともに間違ったのでございます。殿だけではござりませぬ」 言われて玄徳もからからと笑い、憂いを忘れたのであった。 さて劉璋は、玄徳が楊・高二将を殺し浯関を奪ったと聞いて、大いに驚き、 「まさか、このよ , つなことになろ , っとは」 と、ただちに文武諸官を集めて、玄徳討伐の策をはかったが、黄権の言うのに、 「至急、軍勢を雛県に差し向けて、要路をかためさせれば、劉備に精兵猛将があろうとて、通るこ とはかない亠よす、まい」 りゅうかい れいほうちょうじんとうけん かくて劉璋は、劉瑣・冷苞・張任・鄧賢に五万の大軍を与え、ただちに雛県へおもむいて、劉 ふ こうけん