がしは明日、関羽と死ぬか生きるかの勝負をする所存でござる。断じて退きはせぬ」 寵徳に憤然として言われ、于禁は重ねて一一 = ロう言葉もなく帰っていった。 一方、関公は陣に引き取って来て、関平に言った。 「廳徳の薙刀の使いようはなかなかのものじゃ。あれでのうてはわしの相手にならぬ」 おそ 「『生まれたての犢は虎をも懼れぬ』というではござりませぬか。寵徳を斬られたところで、たか せいきよう が西羌の雑兵にすぎませぬ。それより父上の身に万一のことがあっては、伯父上より預かったご 決大任にそむくことになりはいたしませぬか」 戦「わしはきやつを殺してしまわねば、腹の虫がおさまらぬ。言うても無駄なことじゃ。もう一言う 擡あくる日、馬にまたがり兵をひきいて進み出れば、徳も軍勢をひきいて迎え撃つ。両軍、陣取 りが終われば、二人いっせいに馬を乗り出だし、ものもいわずに打ち合いを始めた。五十合あまり 令したとき、廠徳が馬首を返していっさんに逃げ出し、関公も逃さじと追ったので、関平は間違いあ ってはと、同じくあとを追った。 回 四「廳徳、不意討ちをかけようなぞと思っても、驚くわしと思うか」 第関公は大音に呼ばわったが、いかにも靡徳はいつわって逃げていたので、薙刀を鞍にかけ、ひそ 四かに弓をとって矢をつがえるなり、ひょうと射かけた。目ざとく見てとった関平、廠徳が弓をひき しばるところ、大立日に、 くら
146 と言って、先に帰らせてから、その夜のうちに張魯に目通りして、廳徳は曹操に賄賂を受けてわ めんば ざと敗れたのだと告げロした。激怒した張魯は廳徳を呼んで面罵し、打ち首にしようとしたが、閻 圃がしきりに諫めたので、 「明日、討って出よ。もし負けたら生かしてはおかぬそ」 と言い、徳は不満気に退出した。あくる日、曹操が攻め寄せるや、廳徳は軍勢をひきいて討っ て出た。曹操は許緒に出馬を命じ、負けたふりをして逃げる許緒を徳が追ってくるところ、曹操 いただき みすから小高い岡の頂に馬を進めて呼ばわった。 ほうれいめい あぎな 「靡令明 ( 徳の字 ) 、早々に降参いたせ」 廠徳は、『曹操を手捕りとすれば、大将千人を手捕りとするにも当たる』と考えたので、馬を飛 ばせて駆け上がる。ところへ、あっと一声、天地はりさけて、人馬もろとも陥し穴にころげこむ。 たちまち四方から熊手が延びて引きすり上げられ、生捕りとされて、頂へ引っ立てられた。曹操は 馬を下りて兵士たちを退がらせると、みずからその縄目を解いてやって、降参するかどうか尋ねた。 靡徳が張魯の薄情さを考えて、投降を願いでれば、曹操は抱えるようにして彼を馬に乗せ、連れだ って本陣に引き揚げたが、 その姿をわざと城中より眺めさせた。廳徳が曹操と馬をならべて立ち去 ったことが知らせられたので、張魯はますます楊松の言葉を信するようになった。 やぐら あくる日、曹操は城の三方に高い櫓をたてさせ、石弓を城内にうちこませた。張魯はもはやささ えきれぬと見て、弟張衛にはかったところ、張衛は、 おと えん
り・よス′か この由、早くも関公に注進されるや、関公はいたく怒り、廖化に樊城を攻めさせておいて、みず から徳を迎え撃たんと出馬した。関平が出迎えて、廳徳と打ち合ったが勝負がっかなかった旨を 話すと、関公はただちに薙刀を手に馬を乗り出し、大音に呼ばわった。 うんちょう 「関雲長これにあり。廳徳、死にたくば早く出てまいれ」 と、太鼓の音ひびいて、廳徳が出馬する。 「わしは魏王の命を奉じて、わざわざ貴様の首をもらいにまいったのだ。その証拠には、ほれこの とおり柩まである。命が惜しくば、さっさと馬を下りて降参せよ」 せいりし画うとう 「下郎、ロはばったい事をぬかすな。貴様ごとき奴を斬らねばならぬとは、この青竜刀が泣くわ」 言うなり関公は馬をおどらせ薙刀をふるって徳に斬りかかり、靡徳また薙刀を舞わして進み出 ばうぜん たが、百合あまり打ち合っても、二人はいささかの疲れも見せぬ。両軍の陣中、ただ呆然としてこ れを見守るばかりであったが、魏の陣中で廳徳の身を気遣って引揚げの銅鑼を鳴らせば、関平も父 親の年を考えて銅鑼を鳴らし、二人は陣に引き取った。帰陣した廳徳が、 「関公の雷名は聞いておったが、今日はじめてそれがわかった」 あいさっ と一同に一一 = ロうおりしも、于禁がやってきた。挨拶をすませて于禁の言うのに、 いったん軍勢を退い 「聞けば、将車は関公と打ち合われたとか。百合の余も戦って利がなければ、 たらよいではないか」 ふが 「魏王はわざわざ将軍を大将に命じられたのではござらぬか。不甲斐ないことを申されるな。それ ひ
からだ 「父上、泰山のごとき大事のお身体をもって、石ころごとき者と争うことはござりませぬ。それが し、父上にかわって廳徳と手合わせしてまいりまする」 「ではそなたがいってみよ。わしもすぐあとから加勢にゆこうぞ」 関平は本陣を出るや、薙刀片手に馬にまたがり、軍勢をひきいて廳徳を迎えた。両軍、陣取りを ひたたれしろがね おわれば、魏の軍中に、『南安靡徳』と黒地に白で大書した旗がひるがえり、廳徳が青の袍に白銀 よろい の鎧といういでたちで、鋼の薙刀をひっさげ白馬にまたがって陣頭に乗り出だし、すぐあとに五百 決の兵士が従い、歩卒数名が柩をかつぎ出す。 あるじ 戦「主にそむいた国賊め」 ののし 死 て と関平が罵ると、靡徳は、 擡「あれは誰だ」 襯 と兵士に尋ね、 「関公の養子関平にござります」 との返事を聞くと、大音で呼ばわった。 回 こわっぱ おやじ 四「わしは魏王の仰せで、貴様の父親の首を取りにきたのじゃ。貴様のような小童を殺したところで 第何にもならぬ。早く父親を呼んでまいれ」 怒った関平が馬をおどらせ薙刀をふるって寵徳にうちかかれば、廳徳また薙刀をふるってこれを 迎え、三十合打ち合ったが勝負がっかないので、それぞれ陣へ引き取った。 はがね なぎなた
さいはいふる ったものである。張任は城頭から、玄徳が西門外に馬を飛ばせて寄せ手の采配を揮っているのを眺 ひつじ めていたが、辰の刻 ( 午前八時頃 ) から末の刻 ( 午後二時頃 ) になるにおよんで、ようやく人馬に疲 ごらんらいどう 」門から討って出て東門 労の色の現われるのを見てとった。すかさす、呉蘭・雷銅の二将を呼び、 おのれ へまわり、黄忠・魏延に討ってかかるよう命じ、己は一手の軍勢をひきいて南門から押し出して西 じきじき 門へまわり、直々玄徳を討っこととして、城内の民兵をことごとく城壁の上にかり出し、太鼓をた たいて気勢をあげさせた。 ごづめ ここに玄徳は真っ赤な日が真西に傾いたのを見て、後詰の軍勢から引き揚げるよう命じた。兵士 え かんせい 捉たちが退きかけたおりしも、城頭にどっと喚声がわくとみる間に、南門から軍勢が押し出し、張任 張が玄徳めざして突き進んで来た。玄徳の軍勢はたちまち総崩れとなったが、黄忠・魏延の方も呉 め蘭・雷銅に食いとめられて、どうすることもできないありさま。玄徳が張任に敵しかね、馬を飛ば をせて山あいの間道に血路を求めれば、張任、そのうしろに追いすがって、みるみる間をせばめてゆ むち 玄徳はただ一騎、張任には数騎が従う。玄徳が必死に鞭を鳴らせて馬を飛ばせるところ、とっ 孔 ぜん行手に一手の軍勢が現われた。 四「前には伏勢、うしろには追手。天われを滅ばしたもうか」 六玄徳は馬上で絶叫したが、近づく車勢の先頭に立った大将は、なんと張飛。元来、張飛は厳顔と この間道ぞいに進んで来たのであったが、はるかに、もうもうたる土煙のあがるのを望んで、西川 の軍勢と合戦の最中と見、真っ先かけて馳せつけたもの。張任とぶつかるなり、打ち合った。十合 0 たっ
に、もはや逃れるすべもないと思い、降参を願い出た。関公は于禁らの鎧や着物を剥ぎ取らせて船 とう・一うとうちょう 中に捕えおき、さらに徳を手捕りにしようとした。ときに廳徳と董衡・董超および成何は、歩 卒五百人とともに、一同鎧もなく堤の上に立っていたが、関公が押し寄せて来るや、廳徳は恐れる 色もなく、猛然、これを迎え撃った。関公が船で四方をかこませ、兵士たちにいっせいに矢を射か けさせたから、魏の兵士の大半はたちまち倒れる。董衡・董超は、すでに利なしと見て寵徳に言っ みち 「兵士はほとんど倒され、どこにも逃げ路はござりませぬ。降参するよりほかありますまい」 徳、大いに怒り、 「魏王のご恩顧を忘れ、節を屈げることなぞできるか」 と、その場で二人を斬り棄てるなり、 「二度と降参を口にする者は、この二人のとおりだそ」 と叫んだので、兵士たちは奮いたって防ぎ守り、夜明けから昼にいたり、意気ますます増して衰 やだま えるふうもない。関公が四方から息もつがせず寄せかからせ、矢石を雨とそそぎかければ、廳徳は 兵士らに白刃をもって応戦させる。彼は成何を見返って、 「『勇将は死を怯れて一時の難を逃れるようなことはせず、壮士は節を屈げて生を求めるようなこ とはしない』と聞いておる。今日はわしの最期の日だ。そなたも覚悟をきめてぞんぶんに働いてく れい」 おそ
さえて陣の前まで来たが、玄徳の軍勢がなんの備えもしていないのを見て、心中してやったりとほ くそえんだものであった。本陣の幔幕の中にはいると、玄徳が靡統と坐っているので、挨拶をして、 「皇叔にはこのたびお帰りと承り、わずかではございますが進物をもってお見送りに参上っかまっ りました」 と酒を勧めたが、玄徳は、 さかずき 「あいや、貴公らこそお役目ご苦労に存ずる。さあ、まずこの杯を受けて下されい」 二人がそれを飲みほすと、 「貴公らに折り入って、お話いたしたきことがござるによって、お供の方々をお下げいただきた と言って、二百名の兵士を本陣の外に追い出し、 「ものども、この賊どもを引っ捕えよ」 りゅうほうかんべい と下知すれば、声とともに、幔幕のかげから劉封・関平がたちいで、楊・高両名が慌てて立ち 上がったところを、早くも押えつけてしまった。 あるじ 「わしは貴様らの主と同族の兄弟であるのに、よくも間を割こうなぞとたくらみおったな」 ふり と玄徳がなじり、廠統が近侍の者に二人の身体をさぐらせれば、果たして鋭い剣がひと振ずつ出 ちゅうちょ て来たので、斬って棄てよと命じた。玄徳が躊躇すると、靡統は、 「この者たちは殿のお命をねらっておったのでござりまするぞ。容赦できませぬ」 まんまく
・」うかん と大喝した者がある。簡雍はあわてて車を下り、挨拶したが、この人は、広漢郡綿竹の人、姓は しちよく ふく 秦、名は宀必、字子勅であった。簡雍は、 「貴公のおられることを知らす、ご無礼つかまつりました。ひらにご容赦下されい」 と笑って、ともどもに劉璋の前に通り、玄徳の心ひろく、危害を加えるようなことは万々ない旨 をつぶさに伝えた。かくて劉璋は降参の心を固め、簡雍を厚くもてなしたうえ、次の日、親しく印 綬・文書をたずさえ、簡雍と同車して降参して出た。玄徳は陣の外に出迎え、その手をとって、 輒「それがしが仁義にはすれたのではなく、勢いやむをえすこうなってしまったのでござる」 関 と、はらはらと落涙し、ともに本陣にはいって印綬・文書の引渡しを受けると、駒を並べて入城 萌 玄徳が成都にはいると、領民たちが香華・燈明を供えて出迎えた。かくて玄徳が役所にはいり正 大 超面の座につけば、郡内の諸官が庭先に目通りしたが、黄権・劉巴の二人だけは家に引きこもって伺 候しなかった。諸将が怒って、二人を殺しにゆこうとしたが、玄徳はあわてて、 回 五「あの二人に手をかけた者は、一門皆殺しとする」 ルと触れ、みずから彼らの家を訪ねて、出仕を請うたので、二人は玄徳の恩義に感じ入って出仕し 孔明が勧めて言うのに、 あるじ 「今日、西川が治まったうえは、二人の主がおることはできませぬ。劉璋を荊州へ送られますよ しん じゅ
あまりするうち、厳顔が、軍勢をひきいて進んで来たので、張任はあわてて馬首を返し、張飛はそ れを追って城下まで迫ったが、張任は城へ駆けこんで、吊り橋を引き上げた。 張飛はもどって来て玄徳と対面し、 「車師は川をさかのばって来るはずだが、まだ着かぬとなれば、一番手柄はわしのものだ」 「このけわしい山道を、よくもこう早く来られたものだな。邪魔だてする者もあったろうに」 「途中、面倒なところが四十五ばかりあったが、みんな厳顔殿のおかげで事もなくすみ、汗ひとっ かかずに来られた」 と言って張飛は、義によって厳顔を許した一条を逐一、話し、厳顔を呼んで玄徳に目通りさせた。 玄徳は、 「もし老将軍がおいででなければ、弟もここまで来ることはかなわなかったでござろう」 くさりよろい こがね ひきでもの と礼を述べ、身につけていた黄金作りの鎖の鎧をぬいで引出物とした。厳顔は平伏してそれをい ただき、さて酒宴を設けて飲みはじめようとしたとき、物見の早馬が馳せもどって、 りゆ - っ・し 「黄忠殿、魏延殿が、敵将呉蘭・雷銅と合戦中のところ、城内より呉懿・劉瑣が加勢に出て、前 後から攻めたてられたため、お味方は打ち破られて東の方へ逃れましてござります」 との注進。聞くなり張飛は、玄徳と二手に分かれて加勢に繰り出そうと言った。かくて張飛は左 手から、玄徳は右手から、戦場へ急いだ。呉懿・劉瑣は後方に鬨の声がおこったので、あわてて城 内へ逃げこんだが、呉蘭と雷銅は夢中になって黄忠・魏延を追っているうち、玄徳と張飛のため退 とき
0 言うではないか。それも仁の道にはずれるとぬかすか。貴様の言うことは筋が通らぬ。出てうせ たす すると靡統は、からからと笑って席を立った。玄徳も左右の者に扶けられて奥へはいったが、そ ちくいち のまま夜中まで眠って、ふと目をさますと側の者が、廳統の言ったことを逐一、話して聞かせた。 玄徳はいたく後悔し、翌朝、衣服をあらためて公事の間に出ると、靡統を招いて、 「昨日はおばえずとりみだして、無礼をいたした。気にかけないでおいてくれい」 と詫びたが、廳統が耳もかさずに笑っているので、 「昨日は、わしが間違っておった」 「君臣ともに間違ったのでございます。殿だけではござりませぬ」 言われて玄徳もからからと笑い、憂いを忘れたのであった。 さて劉璋は、玄徳が楊・高二将を殺し浯関を奪ったと聞いて、大いに驚き、 「まさか、このよ , つなことになろ , っとは」 と、ただちに文武諸官を集めて、玄徳討伐の策をはかったが、黄権の言うのに、 「至急、軍勢を雛県に差し向けて、要路をかためさせれば、劉備に精兵猛将があろうとて、通るこ とはかない亠よす、まい」 りゅうかい れいほうちょうじんとうけん かくて劉璋は、劉瑣・冷苞・張任・鄧賢に五万の大軍を与え、ただちに雛県へおもむいて、劉 ふ こうけん