はかり ) 一と 「彼は武勇ばかりで謀を知らぬ男、恐れるにはおよびませぬ。すでに梁寛・趙衢と手はずをきめ てございますゆえ、兄者が軍をおこしてくださらば、かの者たちが必す内応いたしまする」 すると母親が言った。 た 「いま起たずに、 いっ起っというのです。誰でも一度は死ぬるもの。忠義のために死んでこそ、死 ぎざん に場所を得たというものじゃ。わたしのことは心配せずともよい。お前がどうしても義山 ( 楊阜の 字 ) の申すことがきけぬというなら、わたしはこの場で命を絶って、心残りないようしてあげます そえ」 え ちょうげつ とうへい いんほうちょう、一う 捉 かくて姜叙は、統兵校尉尹奉・趙昻と評議した。この趙昻の子趙月はこのとき馬超の下で部将 を 張となっていたが、趙昻はその日、承知して家に帰り、妻の王氏に め「わしは今日、姜叙殿・楊阜殿・尹奉殿と談合し、韋康殿の仇を討っことを決めて来た。だが趙月 をが馬超のところにおる。もし兵をおこせば、・奴は必す息子を殺すであろうが、どうしたものか」 計 と一言うと、王氏はきっとなって、 明 すす 孔 「主の仇を雪ぐためなら、わが身を殺しても惜しくはござりますまい。まして子供なそ、何ほどの 四ことがありましよう。あなたさまが、もし子ゆえにゆかれないようなら、わたくし、この場で死な 十 六せていただきます」 この一言で趙昻の心もきまったのである。あくる日、一同うちそろって兵をあげ、姜叙・楊阜は きんばく ちゅうとん 歴城に、尹奉・趙昻は祁山に駐屯した。王氏は自分の頭の飾り物や金帛をすべて取り出して、み おう
のろし 「長江にそい、二十里、三十里ごとの岡に狼煙台が造られました」 と知らせ、また荊州の軍勢が来襲に備えて万端の準備をととのえている由を聞いて大いに驚き、 「そうとあっては、早急に攻めかかることもできぬ。呉侯に荊州攻めをお勧めしてきた手前、どう したらよいものか」 やま とさまざま考えたが良い策も浮かばないので病いといつわって家に閉じこもり、孫権にも使いを わずら りくそん やった。孫権は蒙が患ったと聞いてすっかり落胆したが、陸遜が進み出て言うのに、 りよしめい し「呂子明殿のご病気はいつわりで、本当のものではござりませぬ」 はくげん あぎな 療 を 「伯言 ( 澄の字 ) 、そなたがいつわりと知っておるなら、様子を見にいってまいれ」 毒 て陸遜は命を受け、その夜のうちに陸ロの陣屋におもむいて呂蒙に会ったところ、はたして病いと 刮は見えぬ顔色。 骨「呉侯の仰せにより、お見舞いに参上っかまつりました」 雲「これしきの病いにわざわざおいで下されたとは、かえって痛みいります」 「呉侯より大任をまかせられたのに、せつかくの好機を見送られて手をつかねて悩んでおられるの 回 五は、なにゆえにござりますか」 第言われて呂蒙は、じっと陸を見つめたまま黙りこくっている。そこで、陸遜が笑いながら、 「それがし、将軍のご病気を治すことのできる処方を持ちあわせておりまするが、お用い下さいま オ・ . 「ト , しょ , つ、か」
関公は矢傷がよくなったので、宴席を設けて華佗を招いたが、華佗の言うのに、 「矢傷は治りましたが、あとを大切になさらねばなりませぬ。怒ったりされると傷にさわります。 百日もすれば、もとどおりとなりましよう」 関公が黄金百両を差し出すと、 「わたくしは将軍の仁義の名を聞いてまいったもので、さようなものをあてにしてまいったのでは ござりませぬ」 いとまこ と言って固辞し、傷口に塗る薬を一袋のこして、暇を乞うて立ち去った。 うきん ほうとく さて、関公が于禁を生捕りとし、廳徳を斬ったので、威名、大いにふるい、天下は驚嘆したが、 この由、物見の者から許都に知らせがとどくと、曹操は仰天して、文武諸官を集めてはかった。 ナいじ。よら・ 「わしはかねがね雲長の智勇のなみなみならぬことを知っておったが、いま荊襄を手にいれたと とり・一 あっては、虎が翼を得たようなものじゃ。于禁は擒にされ、廳徳は斬られて、わが軍の士気はすっ かりくじけてしもうた。もし、彼が軍勢をひきいて許都に攻め上ってまいったらどうしたものであ ろう。わしは都を遷して難を避けようかと思うのじゃが」 すると司馬懿が、 「それはなりませぬ。于禁らは水に溺れたのであって、合戦に敗れたわけではなく、国家の大事に そんけんりゅうびよし は何のかかわりもござりませぬ。当今、孫権・劉備は誼みを絶っておりますゆえ、雲長が志を得た うつ
じよう きよし きよしよう 丞 ( 太史令の属官 ) 許芝が、許昌より伺候したので、曹操が易をトさせたところ、彼が言うのに、 かんろ う・ない 「大王には、管輅というトの名手のことをお聞きおよびにはござりませぬか」 「おお、それならかねてより耳にしておるが、実のところはよう知らぬ。詳しく申してみよ」 曹操に尋ねられて、許芝は語り出した。 ろうや あぎなこうめい 管輅は字を公明といい、平原の人である。容貌は醜く、酒を好み奇行が多い。父親はかって瑯堺 そくきゅう 郡即丘の県令をつとめたことがある。管輅は幼少より星を眺めるのを好み、夜も眠らぬことがあ りって、両親もそれを止めることができなかった。常々、「鶏や鵠すら時を知っているのに、人間で - 一ども を ありながらそれを知らずにおれようか」と言い、近隣の童たちと遊ぶときにも、地面に天象の図を 機 じっげつせいしん しゅうえき つうぎよう ふ、つかく 輅描き、日月星辰を描きいれた。やや長ずるにおよんでは、『周易』 ( 易経 ) に通暁し、よく風角 ( 風 た て向きによって吉凶を占う術 ) を見、人の寿命をあてることは神のごとく、さらに人相の術にも長ける ーし たいしゅぜんししゅん に至った。瑯耶の太守単子春がその名声を聞いて召し出だしたことがある。このとき、単子春はい を 易ずれ劣らぬ能弁の士百余人を左右にはべらせていたが、管輅は恐れる色もなく言った。 ちそう 「わたくしは年がゆかず、胆力もまだできておりませぬゆえ、まず美酒を三杯ほどご馳走いただき 回 九 とう存じます。ちょうだいいたしたうえで、お話しいたします」 十 単子春はおもしろいことを言う奴と、三杯の酒を与えた。飲み終わって彼は言った。 四「これよりわたくしの相手をなされるのは、府君 ( 太守の尊称 ) のお傍に控えておいでの方々にご イ、いますか」 ふくん
けげん と尋ねたのに、返事もせずにつかっかと奥へ通って、寝台にごろりと横になった。怪訝に思って、 しつこく尋ねると、 「しばらく休ませてくれ。それから天下の大事を知らせて進ぜよう」 と言うので、ますます不審に思い、側の者に酒食を供するよう命じた。その人はむつくり起きな っこうに遠慮するふうもなく、たらふく飲食すると、また眠ってしまっ おって食いはじめたが、い ほ - っ・せい た。どうにも不安なので、法正を呼びにやった。間者ではないかと思ったからである。あわてて駆 授けつけた法正を出迎えて、これこれかような男なのだがと言うと、法正は、 ほうえいげん ( 注一 ) 首「それは彭永一言かも知れませぬ」 高 と言いながら、近寄っていった。と、その人はばっと起き直るなり、 こうちよく 楊 「おお孝直、その後、変わりないか」 て 正に、西川の人、旧知に出会い、うすまく浯水をおさえこむ、というところ。さてこの人は誰か 取 関それは次回で。 回 十 第 注一彭永言嘉靖本では永年とある。永年の方が正しい
236 さて徐晃は、軍勢をひきいて漢水を渡ろうとし、王平の諫めも聞かずに、対岸に押し渡って陣を げんとく こうちゅうちょううん とった。黄忠と趙雲は、玄徳に願い出た。 「われらが手勢をひきいて討ち取ってまいりまする」 玄徳の許しをえて二人は陣屋を出たが、黄忠の言うのに、 「徐晃はいま気負いたっておるゆえ、しばらく討って出ず、日暮れまで待って、敵兵に疲れが出た ところを、二手に分かれて討って出ることにしよう」 徐晃は辰の刻 ( 午前八時 ) より 趙雲はこれに同意し、二人は一手の軍勢をひきいて陣をとった。 , しよく 申の刻 ( 午後四時 ) にいたるまで、息もつがせず攻めたてたが、蜀の軍勢がいっかな討って出ない やだま ので、射手たちを前に出して思いきり矢石を射込ませた。 「こう射かけてくるところを見ると、徐晃め引き退がる所存じゃな。ときを移さず追討ちをかけよ かんちゅう しよかつりようち 諸葛亮智をもって漢中を取り やこくひ 第七十二回そうあまん 曹阿瞞兵を斜谷に退く かん おうへい たっ
取 を - もう・とうさい よ とうきょ寺一い ・ト ` う第」う の ロ さて張部の軍勢三万は、これまで山間の難所に拠って、宕渠寨・蒙頭寨・蕩石寨なる三カ所の はせい とりで て砦をかまえていたが、この日、張部は各砦の軍勢の半ばを割いて巴西へ向かい、残りの者たちに も留守をさせることとした。張部来るとの知らせは、物見の者によって早くも巴西にもたらされる。 らいどう ちょうひ 智張飛が急ぎ雷銅を呼び寄せてはかると、 張「当地はけわしい山にかこまれておりますゆえ伏勢をいたすがよろしゅうござります。将軍にご出 猛馬願えますれば、それがしが伏勢となって、張部を手捕りといたしましようぞ」 ろうちゅう 回 と言うので、屈強の兵五千を雷銅に与えて打ち立たせ、みずからは一万の兵をひきいて闃中 十 第 ( 巴西 ) から出陣、三十里進んだところで張部の軍勢と出会った。両軍、陣をとり、張飛が馬を乗 り出して張部に挑めば、張部は槍をしごき馬をおどらせてかかって来る。打ちあうこと二十合あま しよく ごづめ り、とっぜん、張部の後詰の軍勢がどっと浮き足立った。この騒ぎは、山かげに蜀軍の旗さしもの 第七十回 ・か , : つかん たけちょうひち 猛き張飛智をもって瓦ロの隘を取り てんとう こうちゅう 老いし黄忠計をもって天蕩山を奪う きた とうせきさい
216 りゅうほう もうたっ それから劉封・孟達にも命じた。 「三千の兵をひきいて山中の要害へおもむき、旗さし物を立て連ねて味方に気勢をそえ、敵の意気 かべん ばちょう 三人がそれぞれ軍勢をひきいて打ち立ったあと、人を下辧へやって馬超に何事か計を授け、ただ げんがんはせい ろうちゅう ちょうひ ぎえん かんちゅう ちに打ち立たせ、また、厳顔を巴西・間中の陣へやって張飛・魏延とかわらせると、二人を漢中 へ向かわせた。 ちトすノ - 一う か・一う . しト - う えん さて張部と夏侯尚は夏侯淵のもとにたどりついて、 とく てんとう かん・一う りゅうび 「天蕩山を取られ、夏侯徳と韓浩は殺されました。今や劉備がみずから軍勢をひきいて漢中に向か って来るとのことゆえ、至急、魏王に注進して、ただちに屈強の軍勢のご派遣を青、 一三ロ—> これに備え ねばならぬと存じますが」 そう、一う きよしよう 夏侯淵はただちに使者をたてて、この由、曹洪に知らせ、曹洪は夜を日についで許昌に馳せ上 そうそう ると、曹操に注進した。曹操は大いに驚き、急ぎ文武諸官を集めて、漢中へ加勢を差し向ける軍議 ちょうしりゆ、「 ( 4 、フ を催した。長史劉曄が進み出て、 ちゅうげん 「漢中を失うようなことがあっては、中原もおだやかにはすみますまい ここはぜひとも、大王 のご出馬が望ましゅう存じまする」 と言うと、曹操は、 「あのとき、そなたの申すことをきいておれば、このような羽目にはならなかったであろうにの つら
186 ききよう はつかゆうび 八卦の幽微は鬼竅に通じ り′、 - : っ きわ 六爻の玄奥は天庭を究む あらかじ 預め相法もて寿無かるべきを知り 自ら心源に極めて霊あるを覚る 惜しむ可し当年が奇異の術 ま 後の人復た遺経の授けらるるなきを とう 1 、せいしよく 曹操が東呉と西蜀の二カ所を占うよう命じたところ、管輅は卦を立てて言った。 「東呉の主は大将を一人なくし、西蜀よりは軍勢がご領分を侵すでござりましよう」 がっぴ 曹操は疑っていたが、ところへ合より、 ろしゆくみまか 「東呉の陸口を守る大将魯粛が身罷りました」 かんちゅう と注進があり、曹操が大いに驚いてただちに漢中へ人をやり、様子をさぐらせたところ、日な ばちょう りゅうげんとく かべんちょうひ らすして、劉玄徳が下辧に張飛・馬超の軍勢を出し、関によせかかるとの注進が来た。激怒した 曹操は、みすから大軍をひきいて漢中に攻めいろうとし、管輅に前途を占わせた。すると彼は、 きよと 「大王はみだりに動かれるのはよろしくござりませぬ。来春、許都に火災が起こりましようぞ」 ぎ上う と言う。曹操は彼の一一 = ロ葉がこれまですべて正しかったことを思い、動くのを慎んで郊郡にふみ留 そう - 一ら・ とうせん かこうえんちょうこう まることとし、曹洪に兵五万を与えて、東川を守る夏侯淵・張部の加勢におもむかせ、また夏侯
194 しよう のば と、彼らを渾河のほとりに引き出して首を刎ねさせたが、殺された者は三百余人に上った。白 ひきでもの 旗の下に立った者には引出物を与え、ふたたび許都へもどらせた。ときに王必は矢傷から破傷風を しようようしよう 起こして死に、曹操は厚く葬るよう命じた。かくて、曹休に御林の軍勢の統率を命じ、鍾緜を相 こく ( 注三 ) かきんよしたいふ しじゅ 国、華歌を御史大夫とし、侯の爵六等十八級、関中侯の爵十七級を定めて、金印紫綬を与えるこ かんだい きちゅう ーくじゅ ととし、また、関内侯・関外侯十六級を置いて、銀印亀紐 ( 亀の形をしたつまみ ) 綬とし、五大夫 かんちゅう 十五級を置いて、銅印鐶紐 ( つまみに丸い穴がある ) 墨綬とした。それぞれ爵位を定め官に封じて、 かんろ 朝廷でも一部の人員をいれ換えた。曹操はこのときになって、はじめて管輅が火災のことを言った 意味をさとり、重い恩賞を与えようとしたが、彼は受けなかった。 ちょうこうかこうえん さて、曹洪は、軍勢をひきいて漢中に到着するや、張部・夏侯淵に要害の地を固めさせ、みす ちょうひらいどう はせい ばちょう かべん ごらんせんはう から軍勢を進めた。ときに張飛は雷銅とともに巴西をかため、馬超が下辧に出て、呉蘭を先鋒に立 じんき てて物見に出したところ、曹洪の軍勢とぶつかった。呉蘭が兵を退こうとすると、部将の任が、 もうき 「賊が遠路よせてまいったところ、その出鼻をくじきもせず帰っては、孟起殿に会わす顔がござり ますまい」 と言って、馬をおどらせ槍をしごいて曹洪に立ち向かった。曹洪はみずから薙刀をひっさげ馬を おどらせて討って出たが、たった三合で任を斬り落とし、勢いに乗って押し出したので、呉蘭は さんざんに討たれ、馬超のもとに逃げ帰った。 このえ なぎなた