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検索対象: 三国志演義 5
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1. 三国志演義 5

236 さて徐晃は、軍勢をひきいて漢水を渡ろうとし、王平の諫めも聞かずに、対岸に押し渡って陣を げんとく こうちゅうちょううん とった。黄忠と趙雲は、玄徳に願い出た。 「われらが手勢をひきいて討ち取ってまいりまする」 玄徳の許しをえて二人は陣屋を出たが、黄忠の言うのに、 「徐晃はいま気負いたっておるゆえ、しばらく討って出ず、日暮れまで待って、敵兵に疲れが出た ところを、二手に分かれて討って出ることにしよう」 徐晃は辰の刻 ( 午前八時 ) より 趙雲はこれに同意し、二人は一手の軍勢をひきいて陣をとった。 , しよく 申の刻 ( 午後四時 ) にいたるまで、息もつがせず攻めたてたが、蜀の軍勢がいっかな討って出ない やだま ので、射手たちを前に出して思いきり矢石を射込ませた。 「こう射かけてくるところを見ると、徐晃め引き退がる所存じゃな。ときを移さず追討ちをかけよ かんちゅう しよかつりようち 諸葛亮智をもって漢中を取り やこくひ 第七十二回そうあまん 曹阿瞞兵を斜谷に退く かん おうへい たっ

2. 三国志演義 5

むなく陣にこもっていた。ところへ、この日、山上の軍勢が討って出たとの知らせがあったので、 ちんしよく 黄忠が軍勢をひきいて迎え撃とうとしたとき、部将陳式が、 「将軍、ますそれがしにやらせて下さりませ」 し と申し出たので、大いに喜び、兵一千をひきいて山麓に陣を布くよう命じた。間もなく夏侯尚の 軍勢が到着して打合いとなったが、しばらく戦うと夏侯尚はわざと逃げ出した。陳式はすかさずこ れを追ったが、半ばいったとき両側の山上から大きな木や石を投げ下ろされたので、はたとゆきづ まった。馬首をかえそうとするところ、退路に夏侯淵が軍勢をひきいて押し出したので、ささえき れず、ついに生け捕られて、陣に引っ立てられた。兵士もほとんど降参したが、命からがら逃げか えった兵士が、陳式が生け捕られた由を注進におよんだので、黄忠があわてて法正にはかると、 はかり′一と 「夏侯淵は軽はずみで、謀を知らぬ武勇一途の男でござる。それゆえ、士卒を励まして軍をあげ とり - 一 おび て前進し、しばらく進んでは陣を取って夏侯淵を誘き出さば擒とすることができるでござろう。こ れこそ『客を転じて主となす』 ( 主導権を奪いとる ) 法でござる」 黄忠はその計をとりあげて、陣中にあるかぎりのものを全軍に分け与えたので、歓声、谷にみち、 一同、命をかけて戦うことを誓った。黄忠は即日、陣払いして前進したが、しばらく進んでは陣を 取り、数日そこに止まってはまた進んだ。夏侯淵はこれを聞いて討って出ようとした。張部が、 「これは『客を転じて主となす』の計。討って出るのはお控え下さりませ。戦っても勝ち目はござ りませぬ」 さんろく

3. 三国志演義 5

黄忠が定軍山のま下に押し出して、法正に諮ると、彼は指さしながら、 「定軍山の西に、一つのけわしい山がそびえておるが、あの山頂よりは、さだめし定軍山の様子を 手にとるように見ることができるでござろう。あの山を取ることができれば、定軍山はもはや取っ たも同然と申すものだが」 仰ぎ見れば、山頂に狭い平地があって、僅かの軍勢がいる様子である。その夜の二更、黄忠は兵 としゅう 士をひきい、銅鑼・太鼓を打ち鳴らして山頂に攻め上った。この山は、夏侯淵の部将杜襲が僅か数 百人をひきいて守っていたが、そのとき、黄忠が大軍をもって攻め上ってくるのを見て、山を棄て て逃げ去った。山頂に上れば、正に定車山は目の下にある。法正が言った。 「将軍は山の途中におって下されい。それがしが山頂に控えましよう。夏侯淵の軍勢がまいったら、 それがし合図の白旗を振りますゆえ、討って出るのをお控え下されい。敵が疲れて備えを怠ったと きに、赤旗を振りますゆえ、将軍には一挙に攻め下られるよう。力を養って敵の疲れを待つものゆ え、勝利は疑いごギ、るまい」 黄忠はいたく喜んで、その計に従った。 ここに杜襲が軍勢をひきいて逃げもどり、夏侯淵の前にまかり出て、黄忠に向かいの山を奪われ た由を告げると、夏侯淵は激怒して、 「黄忠が向かいの山を取ったからは、討って出ねばならぬ」 張部が諫めた。

4. 三国志演義 5

「『三軍は得やすく、一将は求め難し』と申します。張部の罪は当然にござりますが、魏王のお気 跚にいりでもあり、殺すのはどうかと存じます。いま一度、五千の兵をお与えになって葭萌関を攻め させ、各地の敵兵をかしこに寄せつけますれば、当地の不安は去りましよう。これすら仕損じたな ら、そのときこそ打ち首になさるがよろしいと存じます」 と諫めたので、思いとどまり、ふたたび兵五千を与えて葭萌関を攻めることを命じ、張部はただ ちに打ち立った。 きた もうたっかくしゅん さて葭萌関を固めていたのは孟達と霍峻である。張部の軍勢来ると知ると、霍峻が堅く守って 出まいとするのを、孟達は迎え撃とうと言いはり、軍勢をひきいて関より討って出たが、張部にさ んざんに討ち崩されて逃げもどった。霍峻が早馬をもって成都に注進すれば、玄徳は軍師を招いて はかった。孔明は大将たちを広間に集めて言った。 ろうちゅう あぶな 「葭萌関が危くなったが、聞中 ( 巴西 ) の翼徳殿にいってもらわねば、張部を退がらせることはで き士小い」 「いま翼徳殿は瓦口をおさえて、闃中を守っておられる。かしこも大事の場でござるゆえ、呼びも どすことはできますまい。ここにおられる大将方のうちより一人をえらんでゆかせられたが良いの ではござりませぬか」 法正が言うと、孔明は笑った。

5. 三国志演義 5

で避けるという者ゆえ、軽々しくは当たれませぬ。ここのところは守りを固めて討って出ぬほうが よろしゅうござりましよう。敵は兵粮につまって、ひと月もたたぬうちにおのずと退散いたすでご ざりましよう。さらに張飛は短気な男で、みだりに士卒を鞭うち戦いに駆りたてるでござりましょ うが、当方で相手とせずば、必ず怒ります。怒ればますます横暴となり、兵士たちに恨みの心が生 じます。敵兵の士気が乱れるのを待ち、その乱れに乗じて討って出ますれば、きやつを手捕りとで きましょ , っぞ」 と進言したので、厳顔はそれに従い、兵士たちをあげて城の守りにつかせた。そこへ一人の兵士 が来て叫んだ。 「開門、開門」 中に入れて、来意を問うと、その兵士は自分は張飛軍からさし遣わされて来たと言って、張飛の 言葉をそのまま告げたので、厳顔は烈火のごとく怒り、 「下郎め、何をほざく。わしが降参するような男と思ってか。貴様からよう返事しておけ」 と刑手に命じて、その兵士の耳と鼻を削がせ、追いかえす。 兵士は逃げ帰って、泣き泣き厳顔がののしった言葉を伝えた。張飛は大いに怒り、歯をかみ鳴ら かっちゅう し目をむいて、甲冑に身を固めて馬に飛び乗ると、数百騎をひきいて巴郡の城下へ馳せつけ、戦 いを挑んだ。城頭から兵士たちが口々に悪口したので、いきりたった張飛は何度も吊り橋のきわま で殺到して、濠をおし渡ろうとしたが、そのたびにはげしく矢を浴びせかけられて引き退がった。 むち

6. 三国志演義 5

頂に馬を止めると、鞭をさしつけ、 ちゅうげん 2 「丞相こま、、 し。しながらにして中原を治められ、富貴のきわみをつくしておられるというのに、あ くことを知らす、わが江南をも侵されようとま、、、 。し力なる所存でござるか」 みことのり 「貴様が臣下の分際で王室をないがしろにしておるゆえ、天子の詔を奉じて討伐にまいったのじ 孫権はからからと笑った。 「よく恥ずかしくもなく、そのようなことが一一 = ロえたものよ。貴様が天子をあやつって諸侯に号令し ているのを、天下に知らぬ者はおらぬそ。わしが漢朝をないがしろにしておるなどとよくも申した。 わしこそ、貴様を討ちほろばして、国を救わんとしておるのだ」 烈火のごとく怒った曹操が、駆け上がって孫権を引っ捕えよと諸将に下知したとき、太鼓の音一 ちんぶはんしよう 声、山かげから二手の軍勢が討っていで、右から韓当・周泰、左から陳武・潘璋の四人の大将、 それそれ三千の射手を引き具して、雨のように矢を射かけたから、曹操は諸将をひきいて逃げた。 四人の大将、逃さじと追いせまるところ、途中で虎衛軍 ( 曹操の親衛隊 ) をひきいてはせつけた許褶 たす かちどき が前に立ちふさがり、曹操を救けて引き返せば、呉の軍勢は勝鬨をあげて、濡須に引き揚げていっ 曹操は陣屋にもどって、『孫権はなみなみならぬ人物だ。あの日輪の夢は、後日、帝王に昇るこ とを示したものにちがいない』と思い、軍を引き揚げる心をもったのであった。しかしまた、東呉 こえい

7. 三国志演義 5

198 が現われたために起こったもの。張部はあわてて馬首を返し、張飛がこれを追ってなだれかかれば、 前には一銅が軍勢をひきいて討って出る。前後から攻めたてられて張部の軍勢は大敗し、張飛・雷 とうきょ 銅は夜を徹して追討ちをかけ、宕渠山まで追いかけた。張部はふたたび元どおり軍勢を分けて三つ ・一も の砦を固め、大木や岩石を山と積んで立て籠る。張飛は宕渠寨から十里離れて陣をとり、あくる日、 軍勢をひきいて寄せかけたが、張部は山上で賑々しく酒盛をやっていて下りて来ようとしない。雷 銅が兵士に下知して山に取りつかせたが、山上から木や石を投げかけられたので、急いで退くとこ ろ、蕩石・蒙頭、二つの砦の軍勢が討って出て、さんざんに討ち崩された。次の日、張飛がふたた び寄せかけたが張部はやはり出て来す、兵士たちに口をきわめて罵らせれば、張部も山の上から罵 り返す。何か良い計略でもと考えたが、いっかな思い浮かばない。かくて滞陣五十余日、張飛は山 おおがか ふもと あくたい のま下に大掛りな陣屋を構え、毎日、酒をくらい、大酔して麓に坐りこんでは悪態をついた。 げんとく かかるとき、玄徳から陣中見舞いの使者が来たが、使者は張飛が明けても暮れても酒をくらって ・一うめい いるのを見て、帰って玄徳に知らせた。仰天した玄徳が、あわてて孔明にはかったところ、孔明は 笑って、 せいと 「そうでござりましたか。しからば陣中にはうまい酒もござりますまい成都には美酒が多々ござ りよう かめ りますゆえ、車三輛、五十甕ばかり、陣へ送って張将軍に飲んでいただいたらよろしゅうござりま ー ) よ , つ」 「弟はこれまでたびたび酒で失敗いたしておる。かえって酒を送ろうとはどうしたことでござるか にギ一にギ一 ののし

8. 三国志演義 5

にからまり、身がまえる暇もなく徳に討ちはたされた。曹操は孫権が逃げたと見るや、みずから 馬を飛ばせ軍勢に下知して岸辺に押し出し、矢を射かけさせた。呂蒙が矢を射つくしてあわてると そんさく ころ、とっぜん、対岸より一群の船が漕ぎ寄せた。その先頭にたったのは、これぞ孫策 ( 孫権の兄 ) りくそん の女婿陸澄が、みずから十万の軍勢をひきいて馳せつけたもの。たちまち曹操の軍勢を射すくめ、 余勢を駆って岸に駆け上がるや、曹操の軍勢を追い散らして軍馬数千頭を奪い返す。曹操の軍勢は 傷ついた者数知れず、さんざんに討ち崩されて逃げ帰った。陳武の屍は、合戦の跡からさがし出さ れた。 孫権は陳武死し、董襲また長江に呑まれたと知って、はげしく泣き、水中から董襲の屍をさがし 出させて陳武とともに厚く葬らせた。また周泰の大功に感じて、酒宴を設けて彼をねぎらったが、 みずから杯を進め、その背中をさすりながら、涙で頬をぬらして、 「そなたは二度までも、・命を投げ棄ててこのわしを救ってくれた。そのために幾十という槍先を受 け、くまなくえぐられた傷あとに肌も見えぬほどじゃ。もはやそなたは、わしの血を分けた兄弟同 然、兵馬の大権はすべてそなたにまかそう。そなたこそわしの第一の功臣じゃ。これよりは栄華を ともにし、→古労をともにしょ , っそ」 ひろう と言い、着物をぬがせ、大将たちに披露させれば、肌は刀でえぐったごとく、傷痕は全身をうず めている。孫権がいちいちその傷痕を指さしながら尋ね、周泰が傷を負ったときの戦いのさまを申 し述べれば、一つの傷ごとに大杯で酒を与えた。この日、周泰は大いに酔ったが、孫権は青絹の傘 むくろ か、

9. 三国志演義 5

8 「城へ一気に突き進み、街道へ出て進むよりほかありません」 と言ったので、魏延は真っ先に立って血路を開き、維城目指して突き進んだ。ところへ、もうも うたる土煙があがり、ゆく手から一手の軍勢が進んで来た。これそ、雛城を守っていた呉蘭・雷銅 である。背後からは張任が軍勢をひきいて追い迫る。前後から攻め立てて、魏延をまんなかに取り 。と、呉蘭・雷銅の軍 こめたので、魏延は死に物狂いであばれ回ったが、脱け出ることができない 勢がうしろの方で崩れたったので、二人は急いで馬を返した。魏延が勢いこんで追いかければ、前 だいおんじよう 方で一人の大将が、薙刀をふるい馬をおどらせて大音声に、 ぶんちょう 「文長 ( 魏延の字 ) 、加勢にまいったそ」 こうちゅう 見れば、老将黄忠である。二人は前後から攻めたてて、呉蘭・雷銅を打ち破り、そのまま雛城 城下へ殺到した。劉瑣が軍勢をひきいて討って出たが、玄徳が到着してこれを押しかえし、黄忠・ 魏延と一手になって引き返した。玄徳の軍勢が自陣に逃げもどって来たとき、張任の軍勢がまたも 間道から討って出、劉瑣・呉蘭・雷銅が先頭きって追いすがって来たので、二つの陣地を守りきれ ふ ず、戦いながら浯関へ逃げもどろうとした。蜀の軍勢は気おいたってこれを追ったが、玄徳は人馬 ともに疲れ果てて、戦う気もなく、ひたすら馬を飛ばす。浯関に近づいたとき、張任の軍勢がすぐ かんべい りゆ、つほ・つ うしろまで追いついてきたが、おりよく左から劉封、右から関平が新手の軍勢三万をひきいて討 っていで、張任を打ち破ったうえ、二十里も追いかけておびただしい軍馬を奪い返した。 玄徳の一行はふたたび浯関にはいって靡統の消息を求めた。すると落鳳坡から逃げのびて来た兵 なぎなた ごらんらいどう

10. 三国志演義 5

130 して頼みになる者がおらぬ。それで、そなたに皇后の密書を伏完のもとに届けてもらいたいのじゃ。 そなたの忠義は、決して忘れぬそ」 かんきゅう 穆順は感泣して、 と 「陛下のご大恩、臣は命を賭してもお報いっかまつります。これよりただちにまいりとう存じます る」 そこで皇后は書面をおっくりになって穆順にお授けになり、彼はそれを髪の中にかくして宮中か やかた ら忍び出ると、伏完の館に急行してご書面を差し出した。伏完は伏皇后のご直筆であるのを見て、 穆順に言った。 「曹操の腹心ははなはだ多く、すぐには手を下しかねる。ただ一つ、江東の孫権と西川の劉備がこ そって兵をあげるなら、必ずや曹操みずから出陣するであろう。そのすきに朝廷の忠義の臣をつの きようげき ってともどもに事をあげよう。内外より挾撃すれば、十中の九まで仕損ずることはあるまい」 ・一うじトっ・ みつしよう せんげ しゅうと 「皇丈 ( 天子の舅。尊称 ) よりお二方へご返書を差し上げられて密詔のご宣下を請い、呉と蜀に密 使をお送りになって、ともどもに兵を起こし、国賊を討って天子をお救いいたすよう申しつけられ るがよろしゅ , つ。こギ、りましょ , つ」 もとどり 伏完はただちに紙をとりよせて返書をしたため、穆順に渡した。穆順はそれを髻の中にかくし、 伏完のもとを辞した。 しかるに、このことを早くも曹操に知らせた者があり、曹操は宮門において待ちうけていた。と