貴様 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 5
48件見つかりました。

1. 三国志演義 5

命を乞う。 「貴様はどうしてわしに手向かったのか」 「命じられたことゆえ、やむなくいたしましたまででござります。一命をお助けいただかば、誓っ てご恩報じをいたしまする」 ひげ 関公は髯をしごいて、 「貴様ごときを殺したところで、犬か豚を殺すも同然、刀の汚れじゃ」 と笑い、荊州の牢獄へ送るよう命じて、 「わしが帰ったら、改めて沙汰しよう」 と言った。彼が連れ去られると、関公は廳徳を引き出させた。靡徳は眥を決し、ひざますこう ともしない 「そなたの兄はいま漢中におり、もとの主人馬超も蜀で大将となっておる。そなたも降参いたさ ぬか」 関公に言われて、靡徳はいたく怒り、 くだ 「貴様に降るくらいなら、殺されるがましだ」 と、さんざんに罵りつづけた。関公が大いに怒り、引き出して打ち首にせよと刑手に命すれば、 廠徳はみずから首をさしのべて刑を受けた。関公は彼を惜しんで手厚く葬らせたうえ、水がひかぬ うちふたたび兵船を繰り出し、将校たちをひきいて樊城に寄せかかった。 かんちゅう まなじり

2. 三国志演義 5

えん 「なんだ、貴様は馬超ではないのか。相手にならん、帰れ帰れ。馬超の奴に出て来るよう一言え、燕 ひと 人張飛が待っておるとな」 馬岱は真っ赤になって、 「おのれ、わしをなめる気か」 と一言うなり、槍をしごき馬をおどらせて打ちかかった。が、十合もぜぬうち、逃げ出したので、 張飛が追おうとしたとき、 「弟、待てい」 と叫んで関から馬を飛ばせて来た者がある。ふり返れば、玄徳なので、追うのをあきらめて、と し。したが、玄徳の言うのに、 関 葭「そなたがまた短気を起こしはせぬかと思ったので、急いで追って来たのだ。馬岱に勝ったのだか ら、今夜はひとます休んで、明日、馬超とやったらよい」 大 超あくる日、夜のひき明けとともに、関の下に太鼓がとどろき、馬超の軍勢が押し寄せた。玄徳が 馬 関頭に立ちいでれば、おりしも門旗のかげから馬超が馬をあやつり槍を小脇に乗り出すところ。獅 しろがねよろい ひたたれ 回しがしらかぶと 五子頭の兜に獣面模様の帯、白銀の鎧に白い袍といういでたちに、威風あたりを払い、人品また群 六を抜く。玄徳は思わず、 「『錦馬超』と人は一一 = ロうが、いかにもそのとおりじゃ」 と嘆息し、張飛が討って出ようとしたのを急いで止めた。 きん

3. 三国志演義 5

のであった。 華歌が伏皇后を曹操の前に引き立ててゆくと、曹操は、 「わしが真心から貴様たちを取り扱ってやったのに、よくもわしを殺そうなどとたくらみおったな。 わしが貴様を生かしておけば、貴様は必すわしを殺すであろう」 と罵り、左右の者に命じて棒でたたき殺させ、そのあと、ただちに宮中におもむいて、伏皇后の ばくじゅん もうけられたふたりの皇子を毒殺した。その夜、伏完・穆順らの一族二百余人を、すべて市にお 赴いて斬り殺したが、朝野の人、これに驚かぬ者はなかった。ときに建安十九年 ( 二一四 ) 十一月の ことである。後の人が嘆じた詩にも、 て っ そうまん と 曹瞞の兇残世に ( ふたっ ) なき所 ひ いかん 伏完の忠義も何如ともなしがたし ・一と 雲憐れむべし帝と后と分かれて処を離にする つま 民間の婦と夫とに及ばざるを 回 十 さんだい ル献帝は伏皇后をおなくしになって以来、たえてお食事も召し上がらなかったが曹操が参内して 肪言上するのに、 みもと 「陛下、臣には二心ござりませぬゆえ、ご心配はご無用にござります。臣の娘は陛下の御許に貴人 ののし きじん

4. 三国志演義 5

「いかにも身どものあやまりでござった。貴公のお教えなくば大事を誤るところでござった」 いんじゅ わ と詫び、印綬を拝受した。 かくて費詩ははじめて、樊城を攻め取れとの王命を伝えた。雲長は命を受けて、ただちに傅士 せんばう じんびほう 仁・糜芳の二人を先鋒とし、一軍をひきいて城外に出ているよう命するとともに、城中に宴席を設 けて費詩をもてなした。酒宴の最中、二更になったころ、とっぜん城外の陣中に火災がおきたとの よろい 知らせがあったので、雲長が急いで鎧をつけて馬を飛ばせて城外に出れば、それは傅士仁・糜芳が えんしよう 酒を飲んでいるうち陣屋の裏手で失火を出しそれが煙硝に引火して陣中、火の海となり、武具・ りようまっ 糧秣などを残らず焼いてしまったもの。雲長は兵士に下知して火を消させ、四更に至ってようや く消し止めることができた。城にもどるや、雲長は傅士仁・糜芳を呼びつけて、 「貴様たちに先鋒を命じたのに、出陣もせぬうち多くの武具・糧秣を焼き、本陣の兵士を殺してし まうとは何事か。こんなざまでは、貴様らなどに用はない」 と叱り、首を刎ねよと命じた。 「出陣を前にして大将を斬るのは不吉でござります。ここのところは見逃してやるがよろしゅうご 、り , 6 ーしょ , つ」 費詩がとりなしたが、雲長の怒気は収まらず、 「費司馬の言葉がなければ、貴様らの首はないところだそ」 と怒鳴りつけ、刑手を呼んで二人の背中を四十回棒でたたかせ、先鋒の印綬を取りあげて、糜芳

5. 三国志演義 5

頂に馬を止めると、鞭をさしつけ、 ちゅうげん 2 「丞相こま、、 し。しながらにして中原を治められ、富貴のきわみをつくしておられるというのに、あ くことを知らす、わが江南をも侵されようとま、、、 。し力なる所存でござるか」 みことのり 「貴様が臣下の分際で王室をないがしろにしておるゆえ、天子の詔を奉じて討伐にまいったのじ 孫権はからからと笑った。 「よく恥ずかしくもなく、そのようなことが一一 = ロえたものよ。貴様が天子をあやつって諸侯に号令し ているのを、天下に知らぬ者はおらぬそ。わしが漢朝をないがしろにしておるなどとよくも申した。 わしこそ、貴様を討ちほろばして、国を救わんとしておるのだ」 烈火のごとく怒った曹操が、駆け上がって孫権を引っ捕えよと諸将に下知したとき、太鼓の音一 ちんぶはんしよう 声、山かげから二手の軍勢が討っていで、右から韓当・周泰、左から陳武・潘璋の四人の大将、 それそれ三千の射手を引き具して、雨のように矢を射かけたから、曹操は諸将をひきいて逃げた。 四人の大将、逃さじと追いせまるところ、途中で虎衛軍 ( 曹操の親衛隊 ) をひきいてはせつけた許褶 たす かちどき が前に立ちふさがり、曹操を救けて引き返せば、呉の軍勢は勝鬨をあげて、濡須に引き揚げていっ 曹操は陣屋にもどって、『孫権はなみなみならぬ人物だ。あの日輪の夢は、後日、帝王に昇るこ とを示したものにちがいない』と思い、軍を引き揚げる心をもったのであった。しかしまた、東呉 こえい

6. 三国志演義 5

うなものでござりまするそ」 「兄弟同様の玄徳殿におカ添えいたすは、当然ではないか」 すると、進み出て言った者がある。 きトつゆう 「劉備は世の梟雄にござれば、彼をいつまでもわが国に留めおくのは、あたかも虎を家にひき入 れるがごときことにござるに、そのうえ、軍勢や兵粮を与えるなぞとは、まるで虎に翼を添えてや るよ、つなものにご、りまするそ」 はあざなししょ れいりようじようよう ーレ 一同が見やれば、零陵郡烝陽の人、姓は劉、名は巴、字子初である。劉璋が劉巴の言葉を聞い 授 - 一うけん 首て、心を決めかねているとき、黄権がさらに再三いさめたので、ついに意を決し、役にもたたぬ老 高 兵ばかり四千と、米一万石を出すこととして、使者を立てて玄徳に返書を届け、一方、楊懐・高沛 の両名に命じて前どおり浯水関の守りを固めさせた。葭萌関に着いた使者が、玄徳に目通りして劉 て 璋の返書を差し出すと、玄徳は激しく怒り、 取 関「おのれ、わしは貴様のために肝胆を砕いて敵を防いでやっておるのに、わずかなことにも物おし みしおって、こんなもので、兵士たちを働かせられると思ってか」 こなごな 回 と書面を粉々に引き裂き、さんざんに罵って奥にはいってしまった。使者は成都へ逃げ帰ったが、 六靡統が言うのに、 「殿には、これまで仁義の名をもって通ってこられましたが、本日、書面を引き裂いたり怒ったり されたことで、これまでの誼みもすべて無に帰しましたぞ」 ののし

7. 三国志演義 5

を鳴らさせて引揚げを命じ、二人は戦いをやめて自陣にひきとった。かくてこの日もすでに暮れか けていたので、玄徳が、 「馬超はなかなかの剛の者、あなどることはできぬ。ひとまず関に引き揚げて、明日またやること にー ) トっ」 と言ったが、 気の立っている張飛が聞くはすはない。 「いやだ。死んでももどらぬ」 「こう暗くなっては、戦うこともできぬそ」 たいまっ 輒「松明をならべて、夜戦をやろう」 だいおんじよう こちら馬超も馬を換えてふたたび出て来ると、大音声に、 関 萌 葭 「こりや、張飛、夜戦をやるか」 張飛はいきり立ち、玄徳に請うて乗馬をかえてもらい、槍をとりあげておどり出した。 大 超「貴様を生け捕らぬかぎり、誓って関へは帰らぬぞ」 馬 「わしこそ貴様に勝つまでは、陣へは帰らぬわ」 五両軍どっと鬨の声をあげて、無数の松明に火をともせば、天地こうこうと照り映えて白日のごと 六く、二人はまたも陣頭において火花を散らす。が、二十合あまりしたとき、馬超が不意に馬首をか えして逃げはじめた。 「逃げるな」 とき

8. 三国志演義 5

からだ 「父上、泰山のごとき大事のお身体をもって、石ころごとき者と争うことはござりませぬ。それが し、父上にかわって廳徳と手合わせしてまいりまする」 「ではそなたがいってみよ。わしもすぐあとから加勢にゆこうぞ」 関平は本陣を出るや、薙刀片手に馬にまたがり、軍勢をひきいて廳徳を迎えた。両軍、陣取りを ひたたれしろがね おわれば、魏の軍中に、『南安靡徳』と黒地に白で大書した旗がひるがえり、廳徳が青の袍に白銀 よろい の鎧といういでたちで、鋼の薙刀をひっさげ白馬にまたがって陣頭に乗り出だし、すぐあとに五百 決の兵士が従い、歩卒数名が柩をかつぎ出す。 あるじ 戦「主にそむいた国賊め」 ののし 死 て と関平が罵ると、靡徳は、 擡「あれは誰だ」 襯 と兵士に尋ね、 「関公の養子関平にござります」 との返事を聞くと、大音で呼ばわった。 回 こわっぱ おやじ 四「わしは魏王の仰せで、貴様の父親の首を取りにきたのじゃ。貴様のような小童を殺したところで 第何にもならぬ。早く父親を呼んでまいれ」 怒った関平が馬をおどらせ薙刀をふるって寵徳にうちかかれば、廳徳また薙刀をふるってこれを 迎え、三十合打ち合ったが勝負がっかないので、それぞれ陣へ引き取った。 はがね なぎなた

9. 三国志演義 5

り・よス′か この由、早くも関公に注進されるや、関公はいたく怒り、廖化に樊城を攻めさせておいて、みず から徳を迎え撃たんと出馬した。関平が出迎えて、廳徳と打ち合ったが勝負がっかなかった旨を 話すと、関公はただちに薙刀を手に馬を乗り出し、大音に呼ばわった。 うんちょう 「関雲長これにあり。廳徳、死にたくば早く出てまいれ」 と、太鼓の音ひびいて、廳徳が出馬する。 「わしは魏王の命を奉じて、わざわざ貴様の首をもらいにまいったのだ。その証拠には、ほれこの とおり柩まである。命が惜しくば、さっさと馬を下りて降参せよ」 せいりし画うとう 「下郎、ロはばったい事をぬかすな。貴様ごとき奴を斬らねばならぬとは、この青竜刀が泣くわ」 言うなり関公は馬をおどらせ薙刀をふるって徳に斬りかかり、靡徳また薙刀を舞わして進み出 ばうぜん たが、百合あまり打ち合っても、二人はいささかの疲れも見せぬ。両軍の陣中、ただ呆然としてこ れを見守るばかりであったが、魏の陣中で廳徳の身を気遣って引揚げの銅鑼を鳴らせば、関平も父 親の年を考えて銅鑼を鳴らし、二人は陣に引き取った。帰陣した廳徳が、 「関公の雷名は聞いておったが、今日はじめてそれがわかった」 あいさっ と一同に一一 = ロうおりしも、于禁がやってきた。挨拶をすませて于禁の言うのに、 いったん軍勢を退い 「聞けば、将車は関公と打ち合われたとか。百合の余も戦って利がなければ、 たらよいではないか」 ふが 「魏王はわざわざ将軍を大将に命じられたのではござらぬか。不甲斐ないことを申されるな。それ ひ

10. 三国志演義 5

あく かくて日の暮れるまで一人も討って出なかったので、張飛は怒りをこらえて陣にひきとった。翌る かぶと やぐら 日の朝、またも軍勢をひきいて寄せかけたところ、厳顔が櫓に立ちいでて、一矢で張飛の兜に射当 てた。張飛は彼に指をつきつけて、 「ううむ、老いばれ爺いめ。貴様を引っ捕えたら、貴様の生肉を喰ってやるぞ」 ののし と罵り、日が暮れてまたむなしく引き揚げた。三日目、張飛は軍勢をひきい、城壁のまわりを罵 やまじろ ってまわったが、この城は山城であったので、まわりはすべてけわしい山に取りかこまれている。 哭張飛がみすから馬を駆って山に登り、城内の様子をうかがうと、兵士たちはすべて甲冑姿もかいが め いしく、隊伍もあざやかに、城内にひかえて討って出る気配もない。また、人夫たちが盛んに往来 れんが 統して煉瓦や石を運び、守備の軍勢を助けている。そこで、騎馬の者たちにはみな馬を棄てさせ、徒 この日もまた、さん っこうに出て来ない で歩の軍勢を坐りこませて、敵をおびき出そうとしたがい 痛ざん悪口しただけでむなしくたち帰った。 亮「こう連日、誘いをかけてみても、出て来ないとなると、はて、どうしたものか」 張飛は陣中で考えていて、ふと、一計が浮かんだ。これまで戦いを挑みに出していた大勢の軍勢 三をすべて引っこめ、陣中で待機させておいて、四、五十人の兵士を城壁の真下へやって罵らせた。 六首尾よく厳顔の軍勢を誘い出せたら、ひともみにもみつぶしてくれようというわけで腕をさすって まゆね 待ち受けていた。しかし三日間やってみたが、とんと出て来ない。そこで張飛、眉根をよせて考え ていたが、また一計を案じ、戦いを挑むことはいっさいやめて、兵士をあたりに出して柴刈りをさ