魏延 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 5
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1. 三国志演義 5

曹操は楊修を殺したうえ、、いにもなく夏侯惇をなじってともに打ち首にしようとしたが、皆が命 や、一く 乞いをしたので彼を退がらせ、あくる日、兵を進めるよう下知した。夜が明けて、斜谷から討って 出れば、行手に一手の軍勢が待ちかまえる。真っ先に立った大将は魏延である。曹操が降参せよと ほ、つとく 呼ばわると、魏延がはげしく罵ったので、廳徳に出馬を命じた。二将がはげしく渡りあうおりしも、 陣中に火の手があがり、馬超が中軍と後詰に討ちいったとの知らせ。曹操は剣を引き抜いて下知し 取「退く者は、大将でも斬って棄てるぞ」 を 中 言われて大将たちが必死に進み出れば、魏延はわざと敗れて逃げはじめる。それを見て曹操は軍 漢 てを返し、馬超へ向かわせておいて、小高い丘に馬を進めると、両軍の揉みあうありさまを眺めてい た。ところへにわかに一手の軍勢が目の前におどり出し、 を 智「魏延これにあり」 葛と大喝一声、矢を飛ばせて、曹操に突き立てる。どうとばかりに転げ落ちるところ、魏延は弓を なぎなた 棄てて薙刀をとり、馬をおどらせ曹操目掛けて馳せ登ってくる。そこへ横合いよりおどり出た一人 回 二の大将、 第「わが君に何をするか」 と叫ぶ。見れば徳である。すさまじい勢いで打ちかかり、魏延を追い払うと、曹操を救い出し た。馬超も引き退がったので、曹操は手傷を負って帰陣したが、魏延の矢が上唇に当たって、門歯 か、一うとん

2. 三国志演義 5

「ともかくわしがゆく。もし奴に勝てなかったら、どんな処罰でも受けよう」 せんはう 「誓紙をいれるとまで言われるのなら、先鋒となっていただきたい。殿にもご出馬をお願いいたし まする。それがしは当城を守り、子竜がもどってから、別に考えることといたします」 魏延が、 「それがしもまいりとう存じます」 と申し出たので、孔明は彼に物見の者五百騎をひきいて先行するよう命じこ。、 ロオカくて、張飛が二 ごづめ 番手、玄徳が後詰となって葭萌関目ざして打ち立った。魏延の物見の隊がひと足さきに関の下まで 来たところ、楊柏と出会った。魏延は楊柏と打ち合ったが、十合もせぬうち、楊柏が逃げ出した。 魏延が張飛の手柄を横取りしようと、勢いに乗って追いかけると、ゆく手に一隊の軍勢が陣を布い またい ななた ている。先頭に立ったのは、縣岱である。魏延は、これぞ馬超と、薙刀をふるい馬をおどらせて打 ちかかった。馬岱が十合もせず逃げはじめたので、逃さじと追ううち、馬岱がふり向きざまに放っ た矢が、左の臂に突き立った。急いで馬首を返せば、今度は馬岱が追って関の前まで来た。ところ へ、一人の大将、雷のごときおめき声とともに、関から駆け下りる。これは、関についた張飛が、 前で鬨の声があがっているので見に出たところ、魏延が矢を突き立てられたので、馬を飛ばせて加 勢に駆け下りて来たもの。大喝一声、 「誰か貴様は。名を名乗ってから戦おう」 せいりよう 「西涼の馬岱とはわしのことだ」 とき

3. 三国志演義 5

こうちゅうえん 「黄忠と魏延がおるが」 とありのままを生ロげると、 「大将たる者は、よろしく地理をわきまえねばなりませぬ。かの陣地は浯江に接しておりますゆえ、 ひとたび堤を切られて、前後を囲まれますれば、一人も逃げのびることはかないますまいに」 玄徳がはっと気づくところ、 ・一う 島正星 ( 北斗の柄の部分 ) 西にあり。太白 ( 金星 ) が当地の上にまいっておるのは不吉の兆、よくよ 哭 くの用心が肝要にござりまするぞ」 玄徳は即座に彼を幕賓 ( 幕僚 ) に取り立てるとともに、魏延・黄忠のもとへ密使をやって、敵が 統堤を切るのを防ぐため、日夜、厳重な警戒をするよう言いやった。黄忠と魏延は談合のうえ、 「二人が一日交代で見回りに当たり、もし敵が来たら、互いに知らせることとしよう」 で 痛と決めた。 れいほう 葛さて、冷苞は、その夜はげしい風雨となったので、五千の軍勢をひきいて、浯江ぞいに急進し、 堤を崩しにかかろうとするおりしも、後方でどっと鬨の声が起こった。さては敵に備えがあったの せいせん 三かと、急いで軍をかえそうとするところへ、魏延の軍勢が殺到したので、西川の軍勢は上を下への いけど 六大混乱となった。冷苞は馬を飛ばせて逃げたが、魏延にぶつかり、数合と打ち合わぬうち生捕りと 一らんらいどう 3 なった。呉蘭と雷銅が加勢に馳せつけたが、黄忠の軍勢に撃退された。魏延が冷苞を浯関へ引っ立 ててゆくと、玄徳は、 たいはく とき しるし

4. 三国志演義 5

て冷苞と打ち合い、三十合もしたとき、西川の軍勢が二手に分かれて〔後方から〕討って出た。漢 の軍勢 ( 魏延の軍勢 ) は夜来の行軍に人馬ともに疲れはてていることとて、ささえようもなく、 っせいに崩れたつ。魏延はうしろの騒動を聞いて、冷苞をふりきって逃れ、西川の軍勢は漢の軍勢 かんせい を駆け散らした。魏延が五里も馬を飛ばさぬうち、山のかげで天地もゆるがす喚声があがるとみる や、鄧賢が一手の軍勢をひきいて行手の谷間に立ちふさがり、 「魏延、馬を棄てて降参せよ」 むち と大音に呼ばわる。魏延が馬に鞭をくれて逃げようとしたとき、馬がとっぜん、前足を折ってが つくりのめったため、鞍から投げ出された。鄧賢がすかさず駆け寄り、槍をひねって一突きに突い つるおと てかかる。あわや穂先にかかったかと思ったとき、弦音とともに、鄧賢が馬からころげ落ちた。う しろから冷苞が加勢に出ようとするところ、一人の大将が山から馬をおどらせて駆け下りて来るな 「老将黄忠これにあり」 と大喝一声、薙刀をふるって打ってかかる。冷苞、かなわじと馬首を返せば、黄忠、勢いに乗っ て追いかけ、西川の軍勢は総崩れとなった。 黄忠の軍勢は、魏延を救って鄧賢を殺し、一気に敵陣へ攻め寄せた。冷苞はふたたび馬を返して 黄忠と打ち合ったが、十合あまり戦ううちに、背後から大軍が押し寄せて来たので、やむなく左側 の陣地を見棄て、討ちもらされた軍勢をひきいて右の陣地へもどって来れば、陣中の旗さし物がま くら

5. 三国志演義 5

ったく違っているのであっと驚いた。馬を止めてよくよく見るとき、真っ先に立った一人の大将、 よろい ひたたれ 金の鎧に錦の袍、これそ劉玄徳、左に劉封、右に関平を従えて大喝した。 「陣はわしがもらったそ。貴様、どこへゅこうというのか」 玄徳は車勢をひきいてうしろから馳せつけ、勢いに乗じて鄧賢の陣を奪い取っていたのである。 カ十里もゆかぬうち、狭い 冷苞は前後をかこまれ、山中の間道づたいに維城へもどろうとした。、、 : 山道の両側にひそんでいた兵士が姿を現わすなり、 いっせいに熊手を繰り出して冷苞を生捕りとし 授た。これは、自分の罪のまぬがれがたいのを知った魏延が、残った兵をまとめ、蜀の兵士に案内さ 首せここで待ち受けていたもの。冷苞を縛り、玄徳の陣へ引っ立てていった。 めんし 高 さて玄徳は免死旗を立てて、降参して来る者は決して殺してはならず、これを破る者は処刑する と下知するとともに、降参した兵たちに、 て り「お前たち西川の者には、みな父母妻子があるであろう。わが軍に加わろうという者は、兵士とし 関て留めてやる。また家へ帰りたい者はここで放してやる」 と申し渡したので、喜びの声、天地をどよもした。黄忠は陣を固めると、玄徳のところへ来て、 二軍令にそむいた魏延を斬るよう願い出た。急いで魏延を呼ぶと、魏延が冷苞を引っ立てて来たので、 つぐな 六「魏延は罪を犯したとはいえ、これで贖いをつけたといえる」 と言って、魏延に、黄忠に一命を救われた恩を謝し、今後、二度と争うようなことをせぬように 命じれば、彼は額を打ちつけて謝罪した。玄徳はさらに黄忠の功を厚く賞してから、冷苞を前につ

6. 三国志演義 5

8 「城へ一気に突き進み、街道へ出て進むよりほかありません」 と言ったので、魏延は真っ先に立って血路を開き、維城目指して突き進んだ。ところへ、もうも うたる土煙があがり、ゆく手から一手の軍勢が進んで来た。これそ、雛城を守っていた呉蘭・雷銅 である。背後からは張任が軍勢をひきいて追い迫る。前後から攻め立てて、魏延をまんなかに取り 。と、呉蘭・雷銅の軍 こめたので、魏延は死に物狂いであばれ回ったが、脱け出ることができない 勢がうしろの方で崩れたったので、二人は急いで馬を返した。魏延が勢いこんで追いかければ、前 だいおんじよう 方で一人の大将が、薙刀をふるい馬をおどらせて大音声に、 ぶんちょう 「文長 ( 魏延の字 ) 、加勢にまいったそ」 こうちゅう 見れば、老将黄忠である。二人は前後から攻めたてて、呉蘭・雷銅を打ち破り、そのまま雛城 城下へ殺到した。劉瑣が軍勢をひきいて討って出たが、玄徳が到着してこれを押しかえし、黄忠・ 魏延と一手になって引き返した。玄徳の軍勢が自陣に逃げもどって来たとき、張任の軍勢がまたも 間道から討って出、劉瑣・呉蘭・雷銅が先頭きって追いすがって来たので、二つの陣地を守りきれ ふ ず、戦いながら浯関へ逃げもどろうとした。蜀の軍勢は気おいたってこれを追ったが、玄徳は人馬 ともに疲れ果てて、戦う気もなく、ひたすら馬を飛ばす。浯関に近づいたとき、張任の軍勢がすぐ かんべい りゆ、つほ・つ うしろまで追いついてきたが、おりよく左から劉封、右から関平が新手の軍勢三万をひきいて討 っていで、張任を打ち破ったうえ、二十里も追いかけておびただしい軍馬を奪い返した。 玄徳の一行はふたたび浯関にはいって靡統の消息を求めた。すると落鳳坡から逃げのびて来た兵 なぎなた ごらんらいどう

7. 三国志演義 5

は戦いながら逃げ、首尾よく谷間に引きいれるや、後詰の軍勢を前にたてて陣を立て直すと、ふた たびたち向かい、左右の伏勢が出て張飛をとりこめるのを今やおそしと待ち受けた。ところが伏兵 は、魏延の精兵のため横あいの谷間に追いこめられ、車で間道をふさがれたうえに火をかけられた からたまらない。火は谷間の草や木に燃えひろがり、煙にまかれて出ることができない。その間、 が、一う 張飛にしやにむにおしまくられて張部は大敗し、ようやく血路を斬り開いて瓦ロ関に逃げもどると、 討ちもらされた兵士を集めて固くたてこも・つた。 それより張飛と魏延は、連日、瓦ロ関を攻めたてたが、破ることができない。かくてはならじと 張飛はいったん軍を二十里退き、魏延と二人、数十騎をひきいて、みずから四方の間道をさぐって くずつる まわった。と、数人の男女が小さな包みを背負い、人も通わぬような道を藤や葛の蔓をつたって登 ってゆくのを見かけた。張飛は馬上から鞭で魏延にさし示し、 「瓦ロ関が取れるか否かは、あの百姓たちにかかっている」 と言うと、兵士を呼んで命じた。 「あの者たちを、驚かせぬよう、うまい具合に連れて来い」 兵士はただちに呼んで来た。張飛はやさしい言葉をかけて彼らを落ち着かせると、どこから来た か尋ねた。 かんちゅう 「わたくしどもはみな漢中の者でございますが、国に帰ろうと思ってやってまいったところ、合 しとう ろうちゅう 」、「′けい 戦で闔中の街道が通れぬと聞きましたので、蒼渓を回り、これより梓潼山、檜釿川を通って漢中 むち かいきん

8. 三国志演義 5

孔明はからからと笑った。 4 くとく 「殿には翼徳殿と長年、兄弟で来ておられながら、まだ彼の人物をご存じないのでござりますか。 げんがん せいせん 翼徳殿はこれまでは武骨一方でしたが、さきの西川攻めのおり、義によって・厳顔を許した事なぞは、 なかなか武骨・一点ばりの人間にできることではござりませぬ。当今、張部と五十日の余も対陣し、 ののし 取酒に酔っては、麓に坐りこんで傍若無人に罵り散らすとは、決して酒に淫してのうえではなく、張 隘部を討ち取るための計略にござりまするぞ」 ぎえん の ロ 「なるほど、それなら気遣いござらぬ。ひとっ魏延を加勢に遣わしましよう」 瓦 て孔明は魏延を呼んで、酒を張飛の陣へ運ぶこと、車にはそれそれ「陣中見舞い酒」と大書した黄 も旗を押し立ててゆくことを命じた。魏延は命を受けて酒を陣中に運びこむと、張飛に会って、玄徳 智から酒を賜わった旨を告げた。張飛は謹んで受け取ると、魏延と雷銅におのおの一手の軍勢をひき 張いて左右にひらき、本陣で赤旗を振るのを合図に討って出るよう命じたうえ、酒を幔幕の前になら 猛べ、兵士たちに旗をつらね太鼓を打ち鳴らせて、飲みはじめた。この由、間者が山へ知らせ、張部 じきじき すもう 回が直々山頂に出て眺めれば、張飛が幔幕の前に坐って酒を飲み、前で二人の兵士に相撲をとらせて 第いる。 的「おのれ張飛め、馬鹿にするにもほどがある」 と張部は、当夜、山を下りて夜討ちをかけると下知し、蒙頭・蕩石の砦にも、左右から加勢に討 たま いん まんまく

9. 三国志演義 5

「せつかくのご宴席に何の座興もござりませねば、それがし、ふつつかながら剣舞をひとさしご覧 に供したく存じまする」 と一一一一口ううちにも、統は屈強の者どもを庭先に呼びいれ、魏延が斬りかかるのをいまや遅しと待 ちうける。劉璋配下の諸将も、魏延が宴席の真っ只中で剣舞をはじめ、しかも庭先に立ち並んだ兵 じゅうじ なぎなたえ かたず 士たちが、薙刀の柄に手をかけているのを見て、固唾をのんで見まもる。このとき、進み出た従事 ちょうじん 張任、同じく剣をひき抜いて舞いはじめ、 「剣舞は相手がなくばかないませぬ。それがし、魏将軍のお相手つかまつりまする」 りゅうほうめく・は と、二人相対しての剣舞となれば、魏延、劉封に目配せし、劉封も剣をひき抜くなり舞いはじ りゅうかいれいほうとうけん めた。これを見た劉瑣・冷苞・鄧賢らが、 「われらも群舞をご座興に供しまする」 と、剣をとって進み出たから、玄徳は大いに驚き、急いで近侍のものの剣をひき抜くなり、すっ くと立ち上がった。 「われら兄弟は念願の対面を果たし、心を打ち割って飲んでおるのじゃ。鴻門の会でもあるまいし、 剣舞とは何事か。剣を棄てぬ者は斬って棄てるそ」 劉璋も、 「兄弟の集まりに刃物なそ無用じゃ」 ↓画いけ , れ と大喝し、供の者一同に佩剣をはずすよう命じたので、みなはぞろぞろと庭先に下りた。玄徳は だいかっ ャ一うもん

10. 三国志演義 5

じきじき ごづめ 「あの二人は、途中でいがみ合うやも知れませぬゆえ、殿が直々軍勢をひきいて、後詰をなさるが よろしゅ , つ。こギ、りましょ , つ」 と言ったので、玄徳は寵統に留守をまかせ、みすから劉封・関平とともに兵五千をひきいてあと を追った。 - 一う ひょうろう さて黄忠は陣屋にもどると、その夜四更 ( 夜の二時 ) に兵粮をつかい、五更 ( 同四時 ) に勢ぞろい しゆったっ して、夜明けとともに出立し、左側の谷そいに進むように触れを回した。 授こちら魏延は、ひそかに人をやって黄忠の出陣の時刻をさぐらせていたが、その間者が立ち帰っ 首て、「今宵四更に兵粮をとり、五更に出陣いたします」と知らせて来た。魏延はしてやったりと、 高 兵士たちに二更に兵粮をつかい、三更に出陣して、夜明けには鄧賢の陣の近くに到着しておるよう 楊 に下知した。兵士たちは下知を受けて、いずれも腹いつばい兵粮をつかうと、馬の鈴をはすし、人 て かっちゅう りは枚をふくみ、旗をまき、甲冑をつけ、夜討ちの支度をととのえて、三更前後に陣を出た。半ば 関まで進んだとき、魏延は馬上で、『ただ鄧賢の陣を破るだけでは、手柄にもならぬ。ます冷苞の陣 に討ち入り、余勢を驅って鄧賢の陣を破れば、手柄はすべてわしのものになる』と考え、すぐさま 二左の山道へはいるよう下知した。空が白みかけるころ、冷苞の陣の手前に着いたので、兵士たちに どら 十 一息つかせ、旗さし物や太鼓・銅鑼・槍・薙刀などの用意をさせた。 第 この由、早くも途中に伏せっていた物見の者によって陣へ注進され、冷苞は手はずをととのえて いしびや 待ち受ける。ところへ石火矢の音とともに、大軍が押しよせた。魏延が馬をおどらせ薙刀を舞わし