曹操は楊修を殺したうえ、、いにもなく夏侯惇をなじってともに打ち首にしようとしたが、皆が命 や、一く 乞いをしたので彼を退がらせ、あくる日、兵を進めるよう下知した。夜が明けて、斜谷から討って 出れば、行手に一手の軍勢が待ちかまえる。真っ先に立った大将は魏延である。曹操が降参せよと ほ、つとく 呼ばわると、魏延がはげしく罵ったので、廳徳に出馬を命じた。二将がはげしく渡りあうおりしも、 陣中に火の手があがり、馬超が中軍と後詰に討ちいったとの知らせ。曹操は剣を引き抜いて下知し 取「退く者は、大将でも斬って棄てるぞ」 を 中 言われて大将たちが必死に進み出れば、魏延はわざと敗れて逃げはじめる。それを見て曹操は軍 漢 てを返し、馬超へ向かわせておいて、小高い丘に馬を進めると、両軍の揉みあうありさまを眺めてい た。ところへにわかに一手の軍勢が目の前におどり出し、 を 智「魏延これにあり」 葛と大喝一声、矢を飛ばせて、曹操に突き立てる。どうとばかりに転げ落ちるところ、魏延は弓を なぎなた 棄てて薙刀をとり、馬をおどらせ曹操目掛けて馳せ登ってくる。そこへ横合いよりおどり出た一人 回 二の大将、 第「わが君に何をするか」 と叫ぶ。見れば徳である。すさまじい勢いで打ちかかり、魏延を追い払うと、曹操を救い出し た。馬超も引き退がったので、曹操は手傷を負って帰陣したが、魏延の矢が上唇に当たって、門歯 か、一うとん
「ともかくわしがゆく。もし奴に勝てなかったら、どんな処罰でも受けよう」 せんはう 「誓紙をいれるとまで言われるのなら、先鋒となっていただきたい。殿にもご出馬をお願いいたし まする。それがしは当城を守り、子竜がもどってから、別に考えることといたします」 魏延が、 「それがしもまいりとう存じます」 と申し出たので、孔明は彼に物見の者五百騎をひきいて先行するよう命じこ。、 ロオカくて、張飛が二 ごづめ 番手、玄徳が後詰となって葭萌関目ざして打ち立った。魏延の物見の隊がひと足さきに関の下まで 来たところ、楊柏と出会った。魏延は楊柏と打ち合ったが、十合もせぬうち、楊柏が逃げ出した。 魏延が張飛の手柄を横取りしようと、勢いに乗って追いかけると、ゆく手に一隊の軍勢が陣を布い またい ななた ている。先頭に立ったのは、縣岱である。魏延は、これぞ馬超と、薙刀をふるい馬をおどらせて打 ちかかった。馬岱が十合もせず逃げはじめたので、逃さじと追ううち、馬岱がふり向きざまに放っ た矢が、左の臂に突き立った。急いで馬首を返せば、今度は馬岱が追って関の前まで来た。ところ へ、一人の大将、雷のごときおめき声とともに、関から駆け下りる。これは、関についた張飛が、 前で鬨の声があがっているので見に出たところ、魏延が矢を突き立てられたので、馬を飛ばせて加 勢に駆け下りて来たもの。大喝一声、 「誰か貴様は。名を名乗ってから戦おう」 せいりよう 「西涼の馬岱とはわしのことだ」 とき
こうちゅうえん 「黄忠と魏延がおるが」 とありのままを生ロげると、 「大将たる者は、よろしく地理をわきまえねばなりませぬ。かの陣地は浯江に接しておりますゆえ、 ひとたび堤を切られて、前後を囲まれますれば、一人も逃げのびることはかないますまいに」 玄徳がはっと気づくところ、 ・一う 島正星 ( 北斗の柄の部分 ) 西にあり。太白 ( 金星 ) が当地の上にまいっておるのは不吉の兆、よくよ 哭 くの用心が肝要にござりまするぞ」 玄徳は即座に彼を幕賓 ( 幕僚 ) に取り立てるとともに、魏延・黄忠のもとへ密使をやって、敵が 統堤を切るのを防ぐため、日夜、厳重な警戒をするよう言いやった。黄忠と魏延は談合のうえ、 「二人が一日交代で見回りに当たり、もし敵が来たら、互いに知らせることとしよう」 で 痛と決めた。 れいほう 葛さて、冷苞は、その夜はげしい風雨となったので、五千の軍勢をひきいて、浯江ぞいに急進し、 堤を崩しにかかろうとするおりしも、後方でどっと鬨の声が起こった。さては敵に備えがあったの せいせん 三かと、急いで軍をかえそうとするところへ、魏延の軍勢が殺到したので、西川の軍勢は上を下への いけど 六大混乱となった。冷苞は馬を飛ばせて逃げたが、魏延にぶつかり、数合と打ち合わぬうち生捕りと 一らんらいどう 3 なった。呉蘭と雷銅が加勢に馳せつけたが、黄忠の軍勢に撃退された。魏延が冷苞を浯関へ引っ立 ててゆくと、玄徳は、 たいはく とき しるし
て冷苞と打ち合い、三十合もしたとき、西川の軍勢が二手に分かれて〔後方から〕討って出た。漢 の軍勢 ( 魏延の軍勢 ) は夜来の行軍に人馬ともに疲れはてていることとて、ささえようもなく、 っせいに崩れたつ。魏延はうしろの騒動を聞いて、冷苞をふりきって逃れ、西川の軍勢は漢の軍勢 かんせい を駆け散らした。魏延が五里も馬を飛ばさぬうち、山のかげで天地もゆるがす喚声があがるとみる や、鄧賢が一手の軍勢をひきいて行手の谷間に立ちふさがり、 「魏延、馬を棄てて降参せよ」 むち と大音に呼ばわる。魏延が馬に鞭をくれて逃げようとしたとき、馬がとっぜん、前足を折ってが つくりのめったため、鞍から投げ出された。鄧賢がすかさず駆け寄り、槍をひねって一突きに突い つるおと てかかる。あわや穂先にかかったかと思ったとき、弦音とともに、鄧賢が馬からころげ落ちた。う しろから冷苞が加勢に出ようとするところ、一人の大将が山から馬をおどらせて駆け下りて来るな 「老将黄忠これにあり」 と大喝一声、薙刀をふるって打ってかかる。冷苞、かなわじと馬首を返せば、黄忠、勢いに乗っ て追いかけ、西川の軍勢は総崩れとなった。 黄忠の軍勢は、魏延を救って鄧賢を殺し、一気に敵陣へ攻め寄せた。冷苞はふたたび馬を返して 黄忠と打ち合ったが、十合あまり戦ううちに、背後から大軍が押し寄せて来たので、やむなく左側 の陣地を見棄て、討ちもらされた軍勢をひきいて右の陣地へもどって来れば、陣中の旗さし物がま くら
ったく違っているのであっと驚いた。馬を止めてよくよく見るとき、真っ先に立った一人の大将、 よろい ひたたれ 金の鎧に錦の袍、これそ劉玄徳、左に劉封、右に関平を従えて大喝した。 「陣はわしがもらったそ。貴様、どこへゅこうというのか」 玄徳は車勢をひきいてうしろから馳せつけ、勢いに乗じて鄧賢の陣を奪い取っていたのである。 カ十里もゆかぬうち、狭い 冷苞は前後をかこまれ、山中の間道づたいに維城へもどろうとした。、、 : 山道の両側にひそんでいた兵士が姿を現わすなり、 いっせいに熊手を繰り出して冷苞を生捕りとし 授た。これは、自分の罪のまぬがれがたいのを知った魏延が、残った兵をまとめ、蜀の兵士に案内さ 首せここで待ち受けていたもの。冷苞を縛り、玄徳の陣へ引っ立てていった。 めんし 高 さて玄徳は免死旗を立てて、降参して来る者は決して殺してはならず、これを破る者は処刑する と下知するとともに、降参した兵たちに、 て り「お前たち西川の者には、みな父母妻子があるであろう。わが軍に加わろうという者は、兵士とし 関て留めてやる。また家へ帰りたい者はここで放してやる」 と申し渡したので、喜びの声、天地をどよもした。黄忠は陣を固めると、玄徳のところへ来て、 二軍令にそむいた魏延を斬るよう願い出た。急いで魏延を呼ぶと、魏延が冷苞を引っ立てて来たので、 つぐな 六「魏延は罪を犯したとはいえ、これで贖いをつけたといえる」 と言って、魏延に、黄忠に一命を救われた恩を謝し、今後、二度と争うようなことをせぬように 命じれば、彼は額を打ちつけて謝罪した。玄徳はさらに黄忠の功を厚く賞してから、冷苞を前につ
8 「城へ一気に突き進み、街道へ出て進むよりほかありません」 と言ったので、魏延は真っ先に立って血路を開き、維城目指して突き進んだ。ところへ、もうも うたる土煙があがり、ゆく手から一手の軍勢が進んで来た。これそ、雛城を守っていた呉蘭・雷銅 である。背後からは張任が軍勢をひきいて追い迫る。前後から攻め立てて、魏延をまんなかに取り 。と、呉蘭・雷銅の軍 こめたので、魏延は死に物狂いであばれ回ったが、脱け出ることができない 勢がうしろの方で崩れたったので、二人は急いで馬を返した。魏延が勢いこんで追いかければ、前 だいおんじよう 方で一人の大将が、薙刀をふるい馬をおどらせて大音声に、 ぶんちょう 「文長 ( 魏延の字 ) 、加勢にまいったそ」 こうちゅう 見れば、老将黄忠である。二人は前後から攻めたてて、呉蘭・雷銅を打ち破り、そのまま雛城 城下へ殺到した。劉瑣が軍勢をひきいて討って出たが、玄徳が到着してこれを押しかえし、黄忠・ 魏延と一手になって引き返した。玄徳の軍勢が自陣に逃げもどって来たとき、張任の軍勢がまたも 間道から討って出、劉瑣・呉蘭・雷銅が先頭きって追いすがって来たので、二つの陣地を守りきれ ふ ず、戦いながら浯関へ逃げもどろうとした。蜀の軍勢は気おいたってこれを追ったが、玄徳は人馬 ともに疲れ果てて、戦う気もなく、ひたすら馬を飛ばす。浯関に近づいたとき、張任の軍勢がすぐ かんべい りゆ、つほ・つ うしろまで追いついてきたが、おりよく左から劉封、右から関平が新手の軍勢三万をひきいて討 っていで、張任を打ち破ったうえ、二十里も追いかけておびただしい軍馬を奪い返した。 玄徳の一行はふたたび浯関にはいって靡統の消息を求めた。すると落鳳坡から逃げのびて来た兵 なぎなた ごらんらいどう
は戦いながら逃げ、首尾よく谷間に引きいれるや、後詰の軍勢を前にたてて陣を立て直すと、ふた たびたち向かい、左右の伏勢が出て張飛をとりこめるのを今やおそしと待ち受けた。ところが伏兵 は、魏延の精兵のため横あいの谷間に追いこめられ、車で間道をふさがれたうえに火をかけられた からたまらない。火は谷間の草や木に燃えひろがり、煙にまかれて出ることができない。その間、 が、一う 張飛にしやにむにおしまくられて張部は大敗し、ようやく血路を斬り開いて瓦ロ関に逃げもどると、 討ちもらされた兵士を集めて固くたてこも・つた。 それより張飛と魏延は、連日、瓦ロ関を攻めたてたが、破ることができない。かくてはならじと 張飛はいったん軍を二十里退き、魏延と二人、数十騎をひきいて、みずから四方の間道をさぐって くずつる まわった。と、数人の男女が小さな包みを背負い、人も通わぬような道を藤や葛の蔓をつたって登 ってゆくのを見かけた。張飛は馬上から鞭で魏延にさし示し、 「瓦ロ関が取れるか否かは、あの百姓たちにかかっている」 と言うと、兵士を呼んで命じた。 「あの者たちを、驚かせぬよう、うまい具合に連れて来い」 兵士はただちに呼んで来た。張飛はやさしい言葉をかけて彼らを落ち着かせると、どこから来た か尋ねた。 かんちゅう 「わたくしどもはみな漢中の者でございますが、国に帰ろうと思ってやってまいったところ、合 しとう ろうちゅう 」、「′けい 戦で闔中の街道が通れぬと聞きましたので、蒼渓を回り、これより梓潼山、檜釿川を通って漢中 むち かいきん
孔明はからからと笑った。 4 くとく 「殿には翼徳殿と長年、兄弟で来ておられながら、まだ彼の人物をご存じないのでござりますか。 げんがん せいせん 翼徳殿はこれまでは武骨一方でしたが、さきの西川攻めのおり、義によって・厳顔を許した事なぞは、 なかなか武骨・一点ばりの人間にできることではござりませぬ。当今、張部と五十日の余も対陣し、 ののし 取酒に酔っては、麓に坐りこんで傍若無人に罵り散らすとは、決して酒に淫してのうえではなく、張 隘部を討ち取るための計略にござりまするぞ」 ぎえん の ロ 「なるほど、それなら気遣いござらぬ。ひとっ魏延を加勢に遣わしましよう」 瓦 て孔明は魏延を呼んで、酒を張飛の陣へ運ぶこと、車にはそれそれ「陣中見舞い酒」と大書した黄 も旗を押し立ててゆくことを命じた。魏延は命を受けて酒を陣中に運びこむと、張飛に会って、玄徳 智から酒を賜わった旨を告げた。張飛は謹んで受け取ると、魏延と雷銅におのおの一手の軍勢をひき 張いて左右にひらき、本陣で赤旗を振るのを合図に討って出るよう命じたうえ、酒を幔幕の前になら 猛べ、兵士たちに旗をつらね太鼓を打ち鳴らせて、飲みはじめた。この由、間者が山へ知らせ、張部 じきじき すもう 回が直々山頂に出て眺めれば、張飛が幔幕の前に坐って酒を飲み、前で二人の兵士に相撲をとらせて 第いる。 的「おのれ張飛め、馬鹿にするにもほどがある」 と張部は、当夜、山を下りて夜討ちをかけると下知し、蒙頭・蕩石の砦にも、左右から加勢に討 たま いん まんまく
「せつかくのご宴席に何の座興もござりませねば、それがし、ふつつかながら剣舞をひとさしご覧 に供したく存じまする」 と一一一一口ううちにも、統は屈強の者どもを庭先に呼びいれ、魏延が斬りかかるのをいまや遅しと待 ちうける。劉璋配下の諸将も、魏延が宴席の真っ只中で剣舞をはじめ、しかも庭先に立ち並んだ兵 じゅうじ なぎなたえ かたず 士たちが、薙刀の柄に手をかけているのを見て、固唾をのんで見まもる。このとき、進み出た従事 ちょうじん 張任、同じく剣をひき抜いて舞いはじめ、 「剣舞は相手がなくばかないませぬ。それがし、魏将軍のお相手つかまつりまする」 りゅうほうめく・は と、二人相対しての剣舞となれば、魏延、劉封に目配せし、劉封も剣をひき抜くなり舞いはじ りゅうかいれいほうとうけん めた。これを見た劉瑣・冷苞・鄧賢らが、 「われらも群舞をご座興に供しまする」 と、剣をとって進み出たから、玄徳は大いに驚き、急いで近侍のものの剣をひき抜くなり、すっ くと立ち上がった。 「われら兄弟は念願の対面を果たし、心を打ち割って飲んでおるのじゃ。鴻門の会でもあるまいし、 剣舞とは何事か。剣を棄てぬ者は斬って棄てるそ」 劉璋も、 「兄弟の集まりに刃物なそ無用じゃ」 ↓画いけ , れ と大喝し、供の者一同に佩剣をはずすよう命じたので、みなはぞろぞろと庭先に下りた。玄徳は だいかっ ャ一うもん
じきじき ごづめ 「あの二人は、途中でいがみ合うやも知れませぬゆえ、殿が直々軍勢をひきいて、後詰をなさるが よろしゅ , つ。こギ、りましょ , つ」 と言ったので、玄徳は寵統に留守をまかせ、みすから劉封・関平とともに兵五千をひきいてあと を追った。 - 一う ひょうろう さて黄忠は陣屋にもどると、その夜四更 ( 夜の二時 ) に兵粮をつかい、五更 ( 同四時 ) に勢ぞろい しゆったっ して、夜明けとともに出立し、左側の谷そいに進むように触れを回した。 授こちら魏延は、ひそかに人をやって黄忠の出陣の時刻をさぐらせていたが、その間者が立ち帰っ 首て、「今宵四更に兵粮をとり、五更に出陣いたします」と知らせて来た。魏延はしてやったりと、 高 兵士たちに二更に兵粮をつかい、三更に出陣して、夜明けには鄧賢の陣の近くに到着しておるよう 楊 に下知した。兵士たちは下知を受けて、いずれも腹いつばい兵粮をつかうと、馬の鈴をはすし、人 て かっちゅう りは枚をふくみ、旗をまき、甲冑をつけ、夜討ちの支度をととのえて、三更前後に陣を出た。半ば 関まで進んだとき、魏延は馬上で、『ただ鄧賢の陣を破るだけでは、手柄にもならぬ。ます冷苞の陣 に討ち入り、余勢を驅って鄧賢の陣を破れば、手柄はすべてわしのものになる』と考え、すぐさま 二左の山道へはいるよう下知した。空が白みかけるころ、冷苞の陣の手前に着いたので、兵士たちに どら 十 一息つかせ、旗さし物や太鼓・銅鑼・槍・薙刀などの用意をさせた。 第 この由、早くも途中に伏せっていた物見の者によって陣へ注進され、冷苞は手はずをととのえて いしびや 待ち受ける。ところへ石火矢の音とともに、大軍が押しよせた。魏延が馬をおどらせ薙刀を舞わし