兵士 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 6
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1. 三国志演義 6

げんしつけんそ 「原・隰・険阻を包んで陣を取るのは、兵法のもっとも忌むところじゃ。もし敵が火攻めにきたら、 禍いは目に見えておる。 どうするのか。もしも、敵を前にして七百里も陣を連ねるという法はな、。 陸遜が討って出なかったのはこれを待っておったからじゃ。そなたはただちにもどって、天子に陣 取りを改めるようお勧めいたせ」 「もしすでに敗られていたなら、どういたしましようか」 「陸遜は追ってはこまい。成都は心配ない」 「陸が追わぬと言われるのは」 「魏に虚を衝かれるのを恐れてじゃ。お上がもし打ち破られたら、白帝城に落ちられるがよい。わ ぎよふくほ せいせん しは西川いりの途中、魚腹浦に伏勢を十万残して来た」 じよう 焼「それがし、魚腹浦を何度も往来いたしましたが、兵士の姿を見かけたこともござりませぬ。丞 田亠しよう 百相、それはご冗談ではござりませぬか」 馬良が仰天すると、 営 「黙って見ておれ。あとで分かる」 かくて馬良は上奏文を請い受けて夜を日に継いで本陣へと向かい、孔明は成都にもどって援軍を 回 四揃えた。 第 さて陸遜は、蜀の兵士の心がゆるんで防備も怠り勝ちとなったのを見るや、本陣に大将たちを集 めた。 はくてし わざわ

2. 三国志演義 6

236 さんこ 誓って雄略をもって三顧に酬いん しちしよう 豈征蛮七縦の労を憚らんや さて孔明は、瀘水を渡って陣屋を設けさせると、全軍の兵士を大いにねぎらい、大将たちを幕下 に集めて言った。 とり・一 「孟獲を二度目に擒にしたとき、わしが味方の各陣の様子を見せて回ったのは、彼に夜討ちをかけ させようと思ったからじゃ。孟獲にいささか兵法の心得あるのを見てとったので、わしは味方の軍 勢や糧秣を見せびらかす風をして、実は彼に味方の弱点を見透させ、火攻めに出る気持をもたそう とした。「すると果たして彼は不届きな心を起こし〕弟に手引きをさせるつもりで、詐って降参さ せて来た。わしが三度も彼を擒としながら殺そうとしなかったのは、彼を心から服従させたいから ねだ であって、彼ら蛮人を根絶やしにするのは本意でないからじゃ。改めて申しおくが、労苦をいとわ す、国のために働いてくれよ」 しがちょ、つりよう 「智・仁・勇を兼ね備えるとはまことに丞相のこと。子牙・張良とてもおよぶところではござり ますまい」 と諸将が平伏すれば、 ふそん 「古人に比べるような不遜な心はわしにはな、 できることじゃ」 諸将はこの言葉を聞いて、喜ばぬ者はなかった。 これもすべてそなたたちの力があって、はじめて ばっか

3. 三国志演義 6

り出された兵士たちで埋まり、兄弟の名を呼び、子や親を尋ねる声、潮の満つるがごとくひびきわ たるありさまに、兵士たちはことごとく心変わりして落ちてゆく。関公が、声をからして止めよう としたが聞かばこそ、わずか三百余人をあますばかりとなった。三更に至るころおい、真東にあた かんべいりようか って喊声、天をゆるがし、関平・廖化が二手に分かれて重囲に斬りこみ関公を救い出した。 「兵士たちの心はもはや離れてしまいました。ひとまず城におさまって、援軍を待つよりほかござ りますまい。麦城は小城ではござりますが、たてこもるには手ごろかと存じます」 と言う関平の言葉に従い、関公は残った軍勢を急がせて麦城にはいると、兵を分けて四方の門を ちょうるい きびしく固め、一同を集めて評議したが、趙累の言うのに、 じしっよう りゆ、つは . っ . もうたっ 「ここは上庸に近く、かしこはいま劉封殿・孟達殿が守っておられることゆえ、急ぎ人をやって しせん 援兵を求めるがよろしゅうござります。援兵がまいったなら、ゆるゆると四川の大軍の到着を待て おのずか ばよく、兵士たちも自ら落ち着くでござりましよう」 話し合ううちにも知らせがあって、呉の軍勢が城の四方を固く取りかこんだとのこと。 「囲みを破って、上庸へ加勢を求めにまいる者はおらぬか」 関公の言葉に、 「それがしがまいりまする」 と廖化が申し出で、関平が、 「それがしが討って出てお送りいたす」 と言ったので、関公はただちに書面をしたためる。廖化はそれを懐中深くおさめ、腹いつばい食

4. 三国志演義 6

えんちょううん して、陸地の道は一方しかない。そこでただちに魏延・趙雲の二人に一手の軍勢を授け、陸路か % ら寄せかからせた。軍勢が城壁に迫るや、上からいっせいに矢を浴びせかけられる。もともと南蛮 やじり の兵士は弓の習練を積んでいて、一度に十本の矢を放っことができ、鏃には毒が塗ってあるから、 当たると皮肉ただれ臓物が飛び出して死ぬのである。趙雲・魏延は追い返されて、孔明に毒矢のこ とを告げた。孔明はみすから陣頭に車を進め、敵の様子をさぐって本陣にもどると、軍勢に数里、 はや 引き退がって陣取りするよう触れた。蛮兵は蜀の軍勢が退いていくのを見て、やんやと囃したて、 喜びあったものであったが、蜀の軍勢が恐れをなして退いたものとばかり思っていたので、夜の見 回りも廃してぐっすりと眠りこんだ。 さて孔明は軍勢を退かせると、陣門を固く閉ざして討って出す、そのまま五日というもの、何の 下知もしなかったが、この日、日暮れが近づく頃、ゆるやかな風が吹きそめるのをみるや、 「各人、着物の襟を一枚、初更までに用意せよ。ととのえられぬ者は打ち首とする」 と陣触れした。大将たちもその意味が分からなかったが、兵士たちは下知通りに用意した。する とまた、 「各人、襟に土を入れよ。違う者は斬る」 との下知があり、一同わけが分からぬままに、下知に従った。と、また下知があって、 ほうび 「土をいれたら、三江城の城壁の下へあけよ。一番にゆき着いた者には褒美をつかわす」 これを聞いて、兵士たちが土をもって城壁へ駆け出せば、孔明が土を積んで階段を作るように下 知し、一番乗りを第一の手柄とすると触れた。かくて、蜀兵十余万、降参した兵士一万あまりが、 えり たが

5. 三国志演義 6

とも乗り移った。その瞬間、それっと掛け声があがってたちまち縛り上げられた。これは孔明の命 を受けた馬岱が、配下の兵士に蛮兵の身なりをさせてここに舟を着け、孟獲の飛びこむのを待ち受 けていたものである。 かくして孔明が蛮兵たちに投降するよう呼びかければ、降参し来る者、数知れず。孔明は一人一 人にやさしい言葉をかけてやって、何ら危害を加えず、消え残っている火を消しとめさせた。間も なく、馬岱が孟獲を、趙雲が孟優を、魏延・王平・関索が諸洞の酋長たちを引っ立ててくると、孔 明は孟獲に指つきつけてからからと笑い 「おのれ、今度は弟に心にもない降参をさせてきおったな。これほどのことでわしが瞞されると思 うか。さあどうじゃ。そろそろ降参せぬか」 たな じきじき 「今度のことは、弟が意地汚い真似をしたので、貴様に毒を盛られて仕損じたのだ。わしが直々、 出向いて弟にあとからこさせていたなら、間違いなくわしが勝っていたところ。これは運が悪かっ たので、わしが仕損じたわけではない。降参などできるか」 「三度も捕まりながら、まだ降参せぬというのか」 孟獲が頭を垂れて返事もできずにいるのを見て、孔明は笑った。 「よいわ。もう一度だけ許してやろう」 「もしわれら兄弟を帰してくれるなら、わしの家の子郎党を引き連れて存分に戦うそ。それでも捕 まったら、心から降参一しよ、つ」 「もう一度捕まえたら、今度こそ容赦せぬそ。よくよく心して兵法書でも読み、改めて腹心の者を きた だま

6. 三国志演義 6

200 じきじき たくら 「何やら企んでおるな。朕が直々、参って様子をさぐってみよう」 りゅうほうじっげつ と、かくて水路をひろげ、竜舟を大江に乗り出して、岸に舟を着けた。船上には竜鳳・日月・ はくばう・一うえっ 五色の旗がひるがえり、白旄黄鉞むらがって、きらきらと光り輝く。曹丕は船上から遙か南岸を眺 りゆ・つし 4 うしト - う * 、い め渡したが、何の動きもないので、劉曄・蒔済を顧みて、 「どうじゃ。渡ったものかな」 と言うと、劉曄が言った。 「兵法は虚々実々にござります。敵とて、大軍が押し寄せるのを知りながら、備えをしておらぬは ずはござりませぬ。ここは軽々しくお出ましになるはお控えになり、四、五日待って敵の様子をう かがったうえ、先鋒を渡らせてさぐってみるがよいと存じます」 「朕もそれを考えていたところじゃ」 その日、夜にはいって船中で宿をとったが、おりしも空には月影もなく、兵士たちが手に手に松 まっとも 明を灯して天地は昼もあざむくばかり。遙かに南岸を望めば、一点の光もない。曹丕が左右の者に、 「これは、どうしたわけじゃ」 と尋ねると、近臣が、 う 「おそらく陛下の天兵の到着を聞いただけで、あわてて逃げ失せたものと存じます」 と答えたので、彼は心中あざ笑っていた。夜が明けかかってくると、濃い霧が立ちこめて顔をあ わせても見えぬほどであったが、風が吹きはじめて一瞬に霧が上がるや、なんと対岸には城壁がっ らなり、櫓には槍・薙刀が日にきらめき、旗さし物、すき間もなく立てつらねられている。ところ やぐら ななた

7. 三国志演義 6

とど 「これは、諸葛亮めがわしに追討ちをかけられるのが怖くて、踏み止まったものだ。二日もせずに 逃げだすぞ」 と孟優に言い、蛮兵を南岸に屯させて、人をやって山から竹を切り出させ、筏を作って河を押し しよく 渡る支度をするとともに、勇敢な兵士たちを陣の前に移した。ところがこの間に、蜀の軍勢は早く も彼らの背後にまわっていたのである。 この日、にわかにはげしい風が起こるとみるや、四方に火の手が上がって太鼓が轟き、蜀の軍勢 が殺到した。蛮兵たちは不意を討たれて同士討ちをはじめる。仰天した孟獲は、あわてて一族をひ きいて血路を開き、もとの陣地に逃げもどって来た。ところへ一手の軍勢が陣中から討って出る。 趙雲である。あわてふためき、西河河へとって返そうと山あいのさびれた間道へ走りこめば、また 用 も現われた一手の軍勢。これぞ馬岱であったから、孟獲は討ち洩らされた僅か数十の兵士をひきい を 計 て、谷間に逃げこんだ。と、南・北・西の三方に土煙・火の手が上がったので、これはしたりと東 番 四へ走った。とある山の麓を回ったとき、行手に大きな森が見え、その前に、数十人の兵士に車をひ 郵かせて孔明が端坐し、からからと笑って、 「蛮王孟獲。天に見離されたな。待ちかねたそ」 回 九孟獲が烈火の如く怒り、左右の者どもに、 「きやつのために、わしは三度まで恥をかかされたが、ここで会ったからにはもう逃がさぬ。一同、 第 れしやにむに斬りこんで、きやつを車ごと斬りきざんでしまえ」 と言えば、数人の蛮兵が勇躍して走り出す。孟獲は先頭きっておめきながら森の前まで駆けてき ふもと たむろ こわ

8. 三国志演義 6

と言い立てると、孔明は処罰を取り止めて酒食を与え、兵士に命じて境まで送り出させて、自分 の陣に帰らせた。次に高定方の者どもを呼び出して尋ねると、一同が、 「われらこそ、まことの高定の配下にござります」 と申し立てたので、これまた許してやり、酒食を与えてから一段と声を張り上げて、 あるじ ひきでもの 「雍闔は今日、使者をよこして、お前たちの主と朱褒の首を取って降参の引出物としたいと言って とが し参ったが、わしは腹が立ってならぬ。お前たちが高定の部下と分かったからは咎めだてせずに帰し をてやるゆえ、二度と背く気を起こすでないそ。もしまた擒にされて参るようなことあらば決して許 さぬからな」 大 一同は礼を述べて引きさがり、味方の本陣に立ち帰ると、高定に目通りしてこの由を報告した。 丞高定がそこで、ひそかに人をやって雍闔の陣中の様子をさぐらせてみると、およそ半分は許されて 帰って来た者たちで、いずれも孔明の情けある扱いを言い触らしており、そのため兵士たちのほと 征んどが高定の手につこうと思っている様子。しかしそれでも高定はなお不安に思ったので、一人の を 寇者を孔明の陣中へ放って実情をさぐらせにやった。ところが、この間者は途中を固めていた者に捕 えられ、孔明の陣屋に引っ立てられた。孔明は雍闔方の者と思い違えたふりをして呼び寄せると、 回 たが 七「お前の大将は、前に高定・朱褒の首を持って参ると申し越しておりながらなぜ日限を違えたか。 うかっ そもそも貴様のような迂闊な者に、間者なそっとまりはせぬぞ」 あいまい 兵士は曖昧に答えていたが、孔明は酒食を与え、一通の密書をしたためて彼に渡した。 「これを雍闔に届け、、いして早く手を下すようと申しておけ」 よう力い そむ しゅほう とり - 一

9. 三国志演義 6

るよう命じた。 ここに麦城にあった関公は、兵士の数を当たってみたところ、わずか三百余人をあますのみで、 りようまっ 糧秣も全くなくなっている。しかも、その夜のこと、呉の兵士たちに城外から名指しで投降を勧 められ、多くの者が城壁を乗り越えて逃亡するという始末であった。援軍はこない。万策尽きて、 おうほ 王甫に、 くや レ」 , っ 1 し」 「前にそなたの一言葉を用いなかったのが、つくづく悔まれる。ここまできてしまったが、、、 らよかろ , つ」 と言うと、王甫は涙ながらに、 きようしが りよしよう い「事ここに至っては、姜子牙 ( 太公望呂尚のこと ) が生まれ変わってまいろうと、どうにもできます を・オし」 と一 = ロった。 公 もうたっ じトっ・よう りゅうは、つ 関 「上庸の援軍がまいらぬのは、劉封・孟達が軍勢を動かそうとしないからでござります。このう せいせん えは、このような小城なぞ見棄てて西川へ逃れ、軍勢を立て直して取りもどしにまいるがよろしい 玉 では、こ、りませぬか」 回ちょうるい 七趙累の言葉に 七「わしもそれを考えておった」 と、城壁に上って見渡せば、北門外が手薄になっているので、城内の住民を呼んで、 「これより北の地の理はどうなっておるか」

10. 三国志演義 6

276 して奪った土地をことごとく返してやったので、孟獲の一党と蛮兵たちは一人として孔明を徳とせ ぬ者はなく、一同、喜び勇んで立ち去った。後の人が孔明をたたえた詩に かんきんへきどうあおいろ 羽扇・綸巾碧幢 ( 碧色の天幕 ) を擁し しち - きん 七擒の妙策蛮王を制す けい / 辷っ 今に至るも渓洞に威徳を伝え 為に高原を選びて廟堂を立っ ちょうしひき 長史費幃がまかり出て、 「このたび、丞相には親しく士卒をひきいられて、蛮族平定のため不毛の地深くお出ましになられ ましたるに、蛮王がすでに帰順いたしましたうえは、官吏を置いて孟獲とともに治めさせることに いたすがよろしいと存じますが」 と進言したが、孔明が、 「それをすると、三つのむずかしい事が起こる。外地の者をここに兵士として留めおいても、食う ものがない これがその一つ。蛮人はこのたびの敗車により、親を討たれ兄を殺されておるゆえ、 官吏だけ留めて兵士を引き払えば必す不測のことが起きよう。これがその二つ。蛮人はこれまで中 国としばしば戦ってきて、疑念をもっておるゆえ、官吏を留めおかば、なおのこと疑いを抱くであ ひょうろう ろう。これがその三つ。して今、わしが誰もここに留めず、兵粮も送りこまなければ、おのずと