大軍 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 6
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1. 三国志演義 6

「それがし、非才といえども一軍をひきいて魏軍を食い止めてご覧にいれます。もし曹丕がじきじ き大江を渡って参るなら、それがし必ずや手捕りといたして殿下に献じ、また渡って参らずとも、 魏の軍勢をさんざんに打ち破って二度とわが国をうかがうことができぬようにして進ぜまする」 孫権が見やれば、徐盛である。 「おお、そなたが江南一帯を守ってくれるとあらば、わしも憂うることはない」 ととく とうす・い けんぎよう し といたく喜び、彼を安東将軍に封じて建業・南徐の軍勢を統帥する都督に任じた。 ゅ 徐盛は慎んで命を受け、引きさがってくると、ただちに全軍に下知して、武具を十分に備え、旗 し 逞さし物を用意させ、江岸守護の手はずをととのえた。すると、とっぜん一人の者が進み出て言った。 弁「今日、大王が、大任を将軍におまかせになったのは、魏を打ち破って曹丕をとりことせんとのお わいなん ~ 必ばしめしより出たものと存じます。これより時を移さず軍勢を北岸へ出して、淮南の地にて敵を迎 てえ撃つべきではござりませぬか。曹丕がここまで来てからでは、まにあいませぬそ」 じ そんしよう ゅ そんかん 難徐盛が見れば、呉主の甥孫韶 ( 第八十二回に出る孫桓の従兄弟にあたる。兪家の出 ) である。孫韶、 を - 」うれいようい 温字は公礼、揚威将軍の官にあり、さきには広陵の守備をつとめたこともあって、血気盛んの若武者 であった。 回 「曹丕は大軍のうえ、さだめし名ある大将を先鋒にすえておろう。北岸に渡って迎え撃つのはよく 十 ない。敵の船が北岸に集まって参らば、わしに打ち破る手がある」 「それがしには三千の手勢があり、しかも広陵の地理は手に取る如く存じておりますゆえ、かの地 へ押し出して曹丕と決死の戦いをやって参りとう存じます。もし不覚をとるようなことあらば、し じよせい あんとう

2. 三国志演義 6

214 は僻遠の地と山嶽の険を恃みとして久しくご威光に屈服せずに参ったものゆえ、今日、いったん破 れたとて、明日はまた背を向ける者どもでござります。丞相の大軍がお出向きのうえは、もちろん のこと帰順いたすでござりましようが、大軍を引き揚げて曹丕討伐に北上いたされる時は、彼らが そむ ひつじよう わが方の手薄を見て背くことは必定。用兵の道は、『心を攻むるを上策、城を攻むるを下策とし、 心を戦わすを上策、兵を戦わすを下策とす』とか。彼らの心を帰順せしめられなばよろしいかと心 得ます」 「ううむ、それこそわしの考えておったところじゃ」 感嘆した孔明は、彼を参軍 ( 参謀 ) に任じ、ふたたび大軍をひきいて進発した。 さんどうげんすい しムっ・者 2 し ここに孔明が策略をもって雍闔らを破った由を聞き知った蛮王孟獲は、ただちに三洞の元帥を集 とうとな あかいなん きんかんさんけっ めて評議した。この第一洞は金環三結元帥、第二洞は董荼那元帥、第三洞は阿会喃元帥という。三 洞の元帥が孟獲の前に集まると、孟獲は、 「このたび諸葛丞相が大軍をひきいてわが国に攻めいった。われらは力を合わせて追い返さねばな らぬ。お前たち三人は三手に分かれて進め。勝った者は洞主にしてやる」 と言い、金環三結は正面、董荼那は左、阿会喃は右と手分けし、それそれ五万の蛮兵を授けて打 ち立たせた。 さて、孔明が陣中で軍議を催しているところへ早馬が来て、三洞の元帥が三手に分かれて押し寄 せたとの知らせ。孔明はこれを聞くや、ただちに趙雲・魏延を呼び寄せたが、二人には何も命ぜす、 へきえん * 、んがく けんたの もうかく

3. 三国志演義 6

と尋ねたところ、 3 「北はすべて山中の小道ばかりで、西川へ抜けることができます」 とのこと。 「間道には伏勢がございます。街道に出られますよう」 王甫が諫めたが、関公は、 「伏勢があろうと、なにほどのこともないわ」 しようぞく と言って、騎歩の軍勢に装束を固めて討って出る支度をするよう下知した。 「では途中よくよくお大事においで下さりませ。それがしは手勢百人ばかりとこの城を死守いたし、 くだ たとえ城が砕けようと、決して降りませぬ。殿のおいでをひとえにお待ちいたしておりまする」 しゅうそう 王甫が泣けば関公も涙ながらに別れを告げ、周倉を残して彼とともに麦城を守らせることとし かんべい なぎなたこわき て、みずからは関平・趙累と残りの二百余名を引き具して北門から討って出た。関公は薙刀を小脇 に馬を進め、初更 ( 夜の八時 ) を過ぎるころには、およそ二十里の余も進んだ。と、とっぜん山あ どら とき しに銅鑼・太鼓がとどろき、どっと鬨の声をあげて一手の軍勢が押し出した。真っ先に立った大将 だいおんじよう は朱然、馬をおどらせ槍をしごいて大音声に、 うんちまう 「雲長待てい。早々に降参いたさば、命を救けてつかわそうぞ」 ひとむち 大いに怒った関公が、馬に一鞭くれ薙刀を舞わして打ちかかれば、朱然がくるりと背を向けて逃 げはじめたので、勢いに乗って追い討っところ、太鼓の音一声、四方の伏勢が討って出る。関公は 戦おうとせす、臨沮目指して間道を走ったが、大軍をひきいた朱然に追討ちをかけられて、引き具

4. 三国志演義 6

の軍勢は東の方が塞がれているのを見れば、必ず西の道から参ります。そうなれば途中に水もない から、この四つの泉を見つければ飲むに違いなく、それで百万の大軍も皆殺しというわけでござい ます。戦うこともありません」 孟獲は大いに喜び、手を額にやって、 「これでようやく落着き場所ができたというものだ」 かた の方を指さして、 と一一 = ロい」 「どうだ諸葛、貴様にいかに妙計があろうと、今度こそその手は食わぬそ。四つの泉が、わしの恨 みを晴らしてくれようからな」 これより、孟獲・孟優は連日、朶思大王と酒盛りをしていた。 用 を もうかく 計 さて孔明は、孟獲がいっこうに攻め寄せないので、大軍に下知し、西河河を渡って南へ押し出し 番 四た。時まさに六月の炎天、あたかも火に焼かれるが如き苦しさであった。後の人が南方の酷暑を詠 郷んだ詩に、 回 九 山沢焦げ枯れんと欲し 十 たいきょ 火光太虚 ( おおぞら ) を覆う 第 知らず天地の外 さら 暑気更に如何ばかりならんを ふさ ひたい おお

5. 三国志演義 6

「わしはこれよりこの三つの陣を棄てて北岸へ退く。わが軍が渡り終わったなら、そなたは浮き橋 幻を切って川下へ流し、趙雲・魏延の軍勢が渡るのをまって二人と手はすをととのえよ」 ちょうよく 馬岱が計を授けられて引き退がると、張翼を呼んで、 かがりび 「味方が退いたあと、陣中各所に篝火をたいておけ。孟獲はわが軍の退いたのを知れば、必す追討 ごづめ ちをかけてくるであろうゆえ、そなたは後詰をいたせ」 かん寺一く 張翼が引き退がると、孔明は関索に身辺の警護を命じて一同、退去したが、陣中にはあかあかと 篝火がたかれていた。蛮兵はこれを眺め、衝きいってこようとはしなかった。 あくる日の明け方、孟獲が大軍をひきいて押し寄せたときには、三つの陣屋には一兵も見えす、 りようまっ りよう 糧秣を積んだ車が数百輛も棄ておかれているばかり。 しよかっ たくら 「諸葛が陣を棄てて逃げたのは、また何やら企んでいるのではなかろうか」 もうゆう 孟優が言ったが、孟獲の言うのに、 りよう しちょう 「わしの考えでは、諸葛亮が輜重を棄てて逃げるからは、国内に大事が起こったからに違いない。 呉が攻め寄せたか、魏が軍勢を起こしたのだろう。それだからこそ、こんなに篝火をたいて軍勢の いる如く見せかけ、何もかも棄てて逃げたのだ。さあ、急いで追討ちをかけよう。この機を逃すこ とはない」 さきてとくれい かくて孟獲はみずから先手を督励して西河河のほとりに至ったが、北岸を望めば、陣中の旗さし みま ) 一 物、常と異ならず、錦の雲かと見紛うばかりに燦然と立ち並び、河ぞいに旗さし物、果てもなく続 いているありさまに、蛮兵はいちょうに尻ごみする。孟獲は、 さんぜん

6. 三国志演義 6

じきじき ゆえ、わしが直々ゆかねばならぬのじゃ。時に応じ柔剛さまざまの手を使わねばならぬことゆえ、 みだりに人に任せるわけにはゆかぬ」 いとま 1 」 しようえんさんぐんひ 王連がなおも再三、諫めるのもきかず、孔明はこの日、後主に暇乞いすると、蒋碗を参軍、費 き亠っト ` う・し とうけつはんけん えんしちょううんぎえん おうへいちょうよく 幃を長史、董厥・樊建の両名を掾史、趙雲・魏延を軍勢を統率する大将、王平・張翼を副将に命 せいせん じ、西川の大将数十名をしたがえ、五十万の大軍をおこして益州へ打ち立っこととした。ところへ、 かん かんさく 関公の三男関索が軍中の孔明を訪ねて来た。 「それがし、荊州が落ちたのち、鮑家の荘園に難を避けて病いを養っておりました。これまでも先 帝のお恨みを晴らさんものをと、何度も西川へ参ろうといたしましたが、傷口がふさがらぬため しゆったっ 出立いたすこともかなわずにいたもの。このたびようよう回復いたしましたので、所々に問いあ かたぎ ちゅう わせましたるところ、東呉におりました仇どもはすべて誅に伏したとのことゆえ、西川へ参って天 子にお目通りいたさんとてこれまで参り、南征の軍勢に出会いまして、お供いたさんと参上っかま つったものにござります」 孔明はこれを聞いて、いたく感じいったものであったが、ただちにこの由を朝廷に知らせ、彼を せんばう す のど 先鋒に任じて南征の軍に加えた。かくして大軍は隊伍も整然と行軍を続けたが、腹が空けば食い喉 かわ か渇けば飲み、夜は泊まって夜明けとともに出立し、途中、一粒の米といえどみだりに領民から奪 , つよ , つなことはしなかった。 ここに雍闔は孔明がみずから大軍をひきいて押し寄せ来ると聞くや、すぐさま高定・朱褒と評議 レ、う力し きた えき

7. 三国志演義 6

- 」うしょ 二十余丈、二千人あまりを乗せることができるもの。このほか兵船三千余艘をそろえた。魏の黄初 じよ - 一う せんばうちょうりようちょうこうぶんべい 五年 ( 一三四 ) 秋八月、軍勢をととのえ、曹真を先鋒、張遼・張部・文聘・徐晃らを大将として 1 一づめりゅうようしようさい きょちよりよけん 先行させ、許緒・呂虔を中軍の護衛、曹休を後詰、劉曄・蒋済らを参謀に任じて、水陸の総勢三 * 一よしよう しようしよばくや ( 注三 ) 十余万、日を定めてうち立った。許昌には、司馬懿を尚書僕射に封じて残しおき、国政のすべて を彼の裁断にゆだねることとした。 魏軍の出陣はさておき、これを探知した東呉の間者が呉に注進したので、近臣はあわてふためい て孫権に知らせた。 「このたび魏王曹丕は、みずから竜舟に乗って水陸三十余万の大軍をひきい、蔡河・潁水から淮河 に出たとのこと、広陵をへて長江を押し渡りわが国に攻めいるのは必定にて、容易ならざることに ごギ、りまする」 仰天した孫権が、すぐさま文武百官を集めて諮ったところ、顧雍が言うのに、 「大王には、すでに西蜀と誼みを結んでおられることにござりますれば、諸葛孔明にご書面をおっ かんちゅう かわしのうえ、漢中から兵を出させて魏の軍勢を二分いたし、一方、大将をつかわして南徐にお いて防ぎ止めるがよろしかろうと存じまする」 りくはくげん 「この大任は陸伯言 ( 陸遜 ) でのうては果たせまい」 「陸伯一一一一口殿はただいま荊州をお守りゆえ、みだりに動かすことはできませぬ」 「それはわしも存じておるが、さしあたって代わりのできる者もおるまいが」 という言葉も終わらぬうち、一人の者が進み出た。

8. 三国志演義 6

さて、ここに張飛は、闃中に立ち帰るや、軍中に触れて、三日以内に白旗白衣をととのえ、三軍 はんきようちょうたっ ばっか しろしようぞく 割白装束にて呉を討っことを下知した。あくる日、幕下の末将、范疆・張達の両名がまかり出て一言 張 て「白旗白衣は、一時にてはととのえかねまするゆえ、しばらくご猶予を賜わりとう存じまする」 急すると張飛は大いに怒り、 ち「わしは一刻も早く仇を討ちたいのだ。明日にも呉に攻めいれたらと思っておるのに、貴様たちは 大将の命令がきけぬというのか」 の 兄 と、刑手に命じて二人を木に縛りつけ、背中を鞭で五十回たたかせておいて、指をつきつけて言 回 つ 0 そろ 十 「明日中にきっと揃えるのだそ。もし遅れたら、見せしめのため首を刎ねるからな」 第 二人はたたかれて口から血を吐きながらおのれの幕舎に引き取り、話し合った。范疆の言うのに、 「今日はひどい目にあわされたが、われらにはとても揃えることはできぬ。あの男は火の玉のよう かんちゅう ちんまく えん は、鎮北将軍魏延を助けて漢中を固め、魏の軍勢に備えることを命じておいて、虎威将軍趙雲に こうちゅう ばりようちんしん りト ` うまっ ごづめ は後詰として糧秣の宰領を兼ねさせ、黄権・程畿を参謀、馬良・陳震を文書の管理、黄忠を先鋒、 ふとうちトうよく ちト 4 うゆう りようじゅん ふうしゅうちょうなん 馮習・張南を副将、傅形・張翼を中車護尉、趙融・廖淳を後詰とし、両川の大将数百名、これ し。ようぶ ひのえとら に五の蛮将らをあわせ、都合七十五万の大軍を催して、章武元年七月丙寅の日を択んでうち立 こうけんていき たま えら

9. 三国志演義 6

かんせい たいまっ した者どもは次第に残り少なくなる。四、五里もゆかぬうち、またも行手に喊声がわき、松明が照 おど はんしよう り輝いて、潘璋が馬を躍らせ薙刀を揮って打ちかかる。関公は大いに怒り、薙刀を舞わして迎え 撃ったが、ただ三合にして、潘璋が逃げ出したので、あとを追おうともせず、まっしぐらに山道に 走りこんだ。ところへ、あとから追いついてきた関平が、趙累が乱軍の中で死んだことを知らせた ごづめ ので、はげしく泣いたが、ともかく関平に後詰をさせて、みずから先頭に立った。従う者は、わす あしかや か十余人。決石のあたりにさしかかれば、山が両側に迫って、一面に葦や葭がばうばうと生い茂り、 樹木すきまもなく立ち並んでいる。すでに五更 ( 朝の四時 ) も過ぎようとしていたが、ゆくうち、 どっと喊声がわいて、左右に伏兵がいっせいに討って出で、熊手、足がらみを繰り出していっせい ばちゅう しに関公の乗馬をひき倒し、関公は、もんどりうって落馬するところを、潘璋の部将馬忠に取り押え をられた。関平がこれを見て、救いにはせつけたが、潘璋・朱然が大軍をひきいて追いっき、四方か 公らひしひしと取り囲む。関平はただ一騎戦ったが、ついにカ尽きて、同じく捕えられた。 関 夜が明けて、孫権は関公父子を手捕りとした由を聞いていたく喜び、諸将を集めて待ち受ける。 泉やがて、馬忠が関公を引っ立ててきたので、 「わしはかねてより将軍のお人柄を慕い、一家の誼みを結びたいものをと思って。おったのじゃが、 七どうしてかなえてくれなかったのか。それに、かっては天下無敵と自負されておった貴公が、今さ 七らわしに捕えられるとはどうしたことでござる。今となっても、まだわしにつく気はないかな」 第 - へきがん しぜんそはい 「碧眼の小児、紫髯の鼠輩」 関公は、声をはげまして、罵った。 けっせき ののし した ふる くまで

10. 三国志演義 6

かえ 呉に降るを可ならずとして却って魏に降る 忠義安んそ能く両朝に仕うるをえんや 嘆くべきは黄権が一死を惜しみしこと しよう ( 注一 ) かろがろ 紫陽が書法軽しく饒さじ はか 曹丕は賈訒に言った。 託「朕は天下を統一しようと思うのだが、まず蜀を攻めるべきか、それとも呉を攻めるべきか」 そんけん りゅうび しよかつりよう 児「劉備は英雄の器にして諸葛亮のごとき能臣をかかえており、東呉の孫権は深謀を蔵して陸遜が て いま要所を固め江湖の険をたのんでおりますゆえ、早急に取ることはむずかしく、かっ臣の見ます 遺ところ、わが諸将のうち孫権・劉備に敵しうる者は遺憾ながら一人もおらぬと存じまする。いかに 詔陛下が天威をもって臨まれましても必勝は期し難く、しばらくは守りを固めて両国に異変の起こる 洗のをお待ちになるが至当かと存じまする」 「朕はすでに三手の大軍を呉に出しておる。敗れるはすはない」 回 しようしよりゅうよう 五曹丕が言うと、尚書劉曄が、 「このほど東呉は陸遜が蜀の七十万の大軍を破ったばかりにて上下心を一にしており、加えて川や 第 湖を控えておりまするゆえ、にわかに破ることはできかねると存じます。それに陸遜は智謀にたけ た者でござりますから、備えを怠っておるはずはござりませぬ」 ゆる