「蜀帝が憎んでおるのは、呂蒙・潘璋・馬忠・糜芳・傅士仁にござりますが、今日ではすべて死に、 ちょうひ はんきようちょうたっ 残るは范疆・張達の二人のみにて、いずれもわが国におります。この二人を捕えて、張飛の首と ともに送りかえし、かっ、荊州を引き渡し、夫人 ( 孫権の妹 ) をお送りしたうえ、和睦を求める上 奏文をやって従前の誼みを取りもどし、ともどもに魏を討たんと申しいれられますれば、蜀の軍勢 ひ はおのず・から退くで、こギ、りましょ , つ」 じんこうおけ 孫権はこれにしたがい、沈香の桶をしつらえて張飛の首を収め、范疆・張達を縛って囚人車に入 れると、程秉を使者に立て、国書を捧じて琥亭へおもむかせた。 得 を 人 ここに先主が軍を進めようとしていた時、近臣が、 しやき 主「東呉より使者が参り、張車騎のみしるしと、范疆・張達を送って参りました」 て と取り次いだので、両手を額にあて ( 満足の気持を表わす動作 ) 、 たま 戦「これそ天の賜わりしもの。また弟の霊によるものじゃ」 亭 と言うと、ただちに張苞に命じて張飛の祭壇を設けさせた。先主は桶に収められた張飛の首の生 けるがごときなのを見て、声をあげて泣き、張苞は利刃を手に范疆・張達をずたずたに斬りきざん 回 三で父親の霊を慰めたのであった。 ばりよう 祀り終えても、先主の怒気は収まらす、是が非でも呉を滅ばすと言いはった。馬良が、 肪「これにて仇はすべて討ち取り、恨みを晴らすこともかないました。呉の大夫程秉がこれに参って、 荊州を返し、孫夫人を送り帰して末長く誼みを結び、ともどもに魏を滅ばさんと申し越し、ご聖旨
ちょうはん 長坂橋辺水逆しまに流る しよく げんがんゆる 義もて厳顔を釈して蜀境を安じ ふつ画み′・ : っ 智もて張部を欺きて中州を定めたり 呉を伐ちて未だ克たざるに身まず死し とこしなえろう 秋草長に闃の地に愁を遺す 遇さて二人の賊は、その夜、張飛の首をかき取り、数十人をひきいて東呉へ走った。あくる日、陣 害中の者が知って追手をかけたが、追いつくことはできなかった。時に張飛の部将に呉班があった。 がもん まみ 張呉班はさきに荊州より成都に至って先主に見えたおり、先主より牙門将に取り立てられて、張飛を たす て 輔けて闃中を固めることを命じられていたのである ( 第七十三回に出る胡を誤記したもの ) 。この時、 ちょうほう 急 呉班は取りあえす上奏文を発して、この由を天子に知らせ、そのあとで、長子張苞に張飛の遺体 ちょうしよう うを柩に納めさせ、弟 ( 張飛の次子 ) 張紹に闃中を守らせておいて、張苞を先主のもとへやった。時 のに先主は吉日に出陣したあとで、諸官は孔明に従って城外十里のところまで見送って引き返した。 うつうつ 孔明は成都にもどってからも、鬱々として楽しまず、諸官を顧みて言った。 回 ほう・一うちよくまうせい 一「法孝直 ( 法正 ) が生きておったなら、このたびのご東征など決していたさせはしなかったであろ , つにユな」 第 さて先主はこの夜、胸が騒ぎ皮肉ふるえて、眠りつけぬままに、外へ立ち出でて天文を仰ぎ観る ひつぎ
ろから謝旌が躍り出て迎え討ち、両将、三十合の余も渡り合ったすえ、謝旌が逃げ出したので張苞 きんめつきま、かりふる は勢いこんで追いかけた。謝旌敗れたりと見た李異は、あわてて馬を飛ばせ金鍍金の斧を揮って たんゅう 加勢に出で、二十余合も打ち合ったが勝負がっかぬ。呉の部将譚雄は、張苞が武勇すぐれ、李異に は勝っことおばっかないと見てとったので、陣中から遠矢を射かけ、矢は張苞の乗馬に突き立った。 ふかで 馬は深傷を受けて、自陣へ走ったが、門旗までゆき着けすにばったり倒れ、張苞を地面に投げ出し せつな 李異が急いで大斧を打ち揮って進みいで、張苞の頭目がけて振り下ろそうとしたその刹那、紅 の光一閃、彼の首は地面にころがっていた。これは関興が張苞の馬のもどってくるのを見て、加勢 に乗り出したところ、馬が倒れ、李異が迫ったので、大喝一声、馬下に斬り落としたもの。張苞を を救い出し、余勢を駆って孫桓の軍勢をさんざんに打ち破った。 どら 九 かくてこの日は、両軍、銅鑼を鳴らして軍を収めたが、あくる日、孫桓がふたたび軍勢をひきい 。て寄せかかれば、張苞・関興も轡を並べて討って出た。関興が陣頭に出馬して孫桓に戦いをいどん だので、大いに怒った孫桓は馬を躍らせ薙刀を揮って迎え撃ったが、三十余合打ち合ったすえ、カ ちょうなん 物たらず打ち敗れて陣に逃げかえり、二人の大将がこれを追って陣中へ斬りいれば、呉班も張南・ しやせい ふうしゅう 馮習を従え軍勢をひきいて攻めいった。張苞は真っ先駆けて呉の軍中に突きいったが、謝旌に出 回 二会ってひと突きに刺し殺し、呉軍は四散した。蜀の大将が敵を大破して手勢を集めたところ、関興 の姿がない。張苞は仰天して、 四「安国 ( 関興の字 ) に間違いがあったら、わし一人生きてはおれぬ」 と言うなり、矛をひっさげて馬にまたがった。行方を尋ねて数里もゆかぬうち、関興が左手に薙 あんこく くつわ
102 とます うち、忽然、西北の方に、斗のように大きな星が、地に流れ落ちた。いたく不審に思って、夜のう ちに使者を孔明のもとに派してその意味をただしたところ、孔明より、 しらせ 「大将ご一名を失われる兆。三日のうちに、驚くような知らせがありましよう」 とど との返事があったので、軍勢を止めて待ち受けた。と、侍臣より、 ろう 「闔中張車騎の部将呉班の使者が、上奏文を持って参着いたしました」 じだんだ とのこと。先主は地団駄ふんで、 「おお。張飛が死んだのか」 ふほう と言ったが、上奏文を見れば、果たして張飛の訃報であったので、わっと泣き声をあげ、その場 こんとう に昏倒した。百官が手当てしてふたたび気をとりもどしたが、そのあくる日、一隊の軍勢が風をま いてはせつけてくるとの知らせがあったので、先主は陣を立ち出でてながめた。ややあって、一人 ひたたれしろがわよろい の若年の大将が、白い袍に白銀の鎧といういでたちで馬からまろびおり、前に平伏した。張苞で ある。 はんきよう しるし 「范疆・張達が父を殺害し、首級をもって東呉へのがれました」 先主はあまりの悲しみに、食事もとらなくなってしまったが、臣下たちが、 「陛下には弟さまがたの仇を討たれようとなさっておられまするに、みすからお身体をそこなわれ ることは、こギ、りますまい」 と諫めたので、ようやく食事をとって、張苞に言った。 「そなたは呉班とともに、手勢をひきいて先鋒となり、そなたの父親の仇を討とうとは思わぬか」 こっぜん からだ
194 口先の遊戯にかかずらうことはござりますまい」 と取りなしたので、張温は礼を述べた。かくて孔明はふたたび鄧芝を答礼の使いに任じて張温と 同道するよう命じ、二人は孔明に別れを告げて東呉へ向かった。 ここに呉主は、張温が蜀にいったまま音沙汰がないので、文武諸官を集めて協議していたが、と ころへ、近臣が、 「蜀の鄧芝が張温殿と同道し、答礼の使者として参りました」 と取り次いだので、ただちに案内するよう命じた。張温が庭先に平伏して後主・孔明の徳をたた しようしょ え、蜀が末長く誼みを結ぶためふたたび鄧尚書を答礼の使者としてつかわしてきた旨を申し述べ れば、孫権はいたく喜んで、もてなしの宴席を設けた。その席上、鄧芝に、 あるじ 「もし呉と岡が心を一にして魏を滅ばし、天下泰平の世となって、二人の主がそれそれの国を治め ることとなったら、さぞや楽しいことであろうな」 と一一一一口 , っと、彼が、 「『天に二日なく、民に二王なし』と申します。魏が滅んだのち天命が誰に帰するかま、、 。しまだ分 かりませぬ。君たる者がその徳を修め、臣たる者がその忠を尽くさば、戦いはおのずとやむもので 。こ、り士玉しょ , つ」 と答えたので、孫権はからからと笑い 「ううむ、そなたの誠実さには恐れいった」 と、彼にかすかすの恩賞を与えて蜀に帰し、これより呉と蜀は末長く誼みを結ぶこととなった。
さて、ここに張飛は、闃中に立ち帰るや、軍中に触れて、三日以内に白旗白衣をととのえ、三軍 はんきようちょうたっ ばっか しろしようぞく 割白装束にて呉を討っことを下知した。あくる日、幕下の末将、范疆・張達の両名がまかり出て一言 張 て「白旗白衣は、一時にてはととのえかねまするゆえ、しばらくご猶予を賜わりとう存じまする」 急すると張飛は大いに怒り、 ち「わしは一刻も早く仇を討ちたいのだ。明日にも呉に攻めいれたらと思っておるのに、貴様たちは 大将の命令がきけぬというのか」 の 兄 と、刑手に命じて二人を木に縛りつけ、背中を鞭で五十回たたかせておいて、指をつきつけて言 回 つ 0 そろ 十 「明日中にきっと揃えるのだそ。もし遅れたら、見せしめのため首を刎ねるからな」 第 二人はたたかれて口から血を吐きながらおのれの幕舎に引き取り、話し合った。范疆の言うのに、 「今日はひどい目にあわされたが、われらにはとても揃えることはできぬ。あの男は火の玉のよう かんちゅう ちんまく えん は、鎮北将軍魏延を助けて漢中を固め、魏の軍勢に備えることを命じておいて、虎威将軍趙雲に こうちゅう ばりようちんしん りト ` うまっ ごづめ は後詰として糧秣の宰領を兼ねさせ、黄権・程畿を参謀、馬良・陳震を文書の管理、黄忠を先鋒、 ふとうちトうよく ちト 4 うゆう りようじゅん ふうしゅうちょうなん 馮習・張南を副将、傅形・張翼を中車護尉、趙融・廖淳を後詰とし、両川の大将数百名、これ し。ようぶ ひのえとら に五の蛮将らをあわせ、都合七十五万の大軍を催して、章武元年七月丙寅の日を択んでうち立 こうけんていき たま えら
後主に挨拶をすれば、後主は錦の敷物を与えて上座にすえ、酒宴を設けてもてなした。後主はひた へりくだ すらって応対し、宴が果てると、百官こそって客舎まで送っていった。あくる日は、孔明が宴 席を設けたが、席上、彼に言うのに、 こんにち 「先帝はご在世のみぎり、呉と事を構えられましたが、すでにお隠れになって、今日、陛下には呉 した きゅうえん 王を深くお慕いになられ、旧怨を棄てて末長く誼みを結び、力をあわせて魏を討たんとお望みに しなっておられます。大夫にも、なにとぞお帰りのうえは、よしなにお取りなしのほど願い上げま ごうぜん 逞張温はこれを承知したが、酒が回るにしたがい、あたりに人なきがごとく、傲然とふるまった。 きんばくたま 弁あくる日、後主は張温に金帛を賜い、城南の駅舎に送別の酒宴を設けて百官を出席させた。孔明 いんぎん ~ 必が慇懃に酒をすすめて、酒宴たけなわとなった時、一人の者が酔っぱらってはいってきたので、 張温は て〔張温は不快げな顔をしたが、〕その男はそ知らぬ顔で軽く会釈すると、黙って席についた。 じ 難とがめるように孔明にきいた。 を 温「あれは何者でござるか」 しちよく えき ふく ( 注一一 ) 「姓は秦、名は広、字を子勅と申し、益州の学士でござる」 回 「学士とか申しても、胸中、果たして学があるかどうか分かるものではござるまい」 十 張温が笑うと、秦宀必はきっとなって言った。 「蜀では三尺の童子ですら学問をしておる。それがしに学問がないと仰せでござるか」 「すると貴公はどんなことを学ばれたのかな」 しん
もくねん 〔一同、黙然として言葉もないとき、〕一人の者が進み出た。 「使者のお役目、それがしにお申しつけ下さりませ」 ちょう ちゅうろうしよう おんあぎなけいじよ 一同が見やれば、これぞ呉郡呉県の人、姓は張、名は温、字恵恕、時に中郎将をつとめる者で ある。 「そなたでは、蜀に参って諸葛亮と対面し、わしの心をよう伝えることはできぬのではないか」 一 ) うめい 「孔明も人でござります。恐れるものではござりませぬ」 孫権はいたく喜んで、張温に過分の恩賞を与え、鄧芝と同道して西川におもむき、誼みを結んで くるよう命じた。 さて孔明は、鄧芝が打ち立ったあと、後主に言った。 「このたび、鄧芝が参りましたうえは、必ずやお役目を果たして参ります。呉には賢者が多いゆえ、 誰かが答礼の使者としてまかり越すに相違ございませんが、陛下には礼を厚くしてこれを迎え、彼 を呉に送り返して誼みを結ぶようにお取り計らい下さいますよう。呉が誼みを結ぶことを承知いた しますれば、魏も二度とわが国をうかがおうとはいたしますまい。呉と魏の懸念がなくなりました ら、臣は南征をおこない、南蛮を平定いたしたのち魏を討とうと存じまする。魏が滅びますれば東 かん 呉も長くは保たれず、漢の天下をふたたび興すこともかなうでござりましよう」 後主がげにもとうなずくとき、東呉から張温が鄧芝と同道して答礼に参ったとの知らせ。後主は 文武百官を殿中に集めて、鄧芝・張温を引見した。張温が得意の色を浮かべて昻然と殿中に通り、
106 と言って、その場で焼き棄てさせると、軍勢を進めることを命じた。ところへ張苞がまかり出て 奏上した。 「呉班の軍勢が到着いたしましたので、臣に先鋒をお申しつけ下さりませ」 先主はその意気を壮として先鋒の印を授け、張苞が腰につけようとした時、一人の弱年の大将が 憤然として進み出た。 「その印はそれがしがいただこう」 見れば関興である。 「なにが、それがしがすでにいただいたものだそ」 「貴公にこの大任の果たせる能があるというのか」 「それがしは幼少のころより武芸を学び、百発百中の腕がある」 「朕はそなたたちの手並みのほどが見てみたい。い ずれがまさるか決めてつかわそう」 先主の言葉に、張苞は兵士に命じて百歩先に赤丸を描いた一面の旗を立てさせた。弓をとって矢 をつがえ、続けて三本射かければ、いずれも赤丸を貫いたので、一同、口々にほそめやす。関興が 弓を手にして、 「赤丸に当てるくらい、取り立てて言うほどのこともない」 と言うおりしも、頭上に雁の列が渡ってきかけるのを指さし、 「それがしは、あの第三の雁を射落としてご覧にいれる」 と矢をきって放せば、雁は弦声とともに落ちて来た。文武百官、どっとどよめくところ、張苞は がん
な奴だから、明日揃えられねば、二人とも命はないぞ」 2 「奴に殺されるくらいなら、われらが奴を殺した方がましだ」 「しかし、どうして近づくかた」 「もしわれらに運があれば、奴は酔いつぶれておろうし、運がなければ、奴が正気でおろう」 かくて二人は手はずをととのえた。 さて、張飛は幕中にあったが、思い乱れ、心落ち着かなかったので、部将に尋ねてみた。 「なんとなくいらいらして、居ても立ってもおられぬような心地なのだが、何の兆なのだろうか」 「それは殿が関公のことを思っておられるからでございます」 彼は酒を取り寄せて、部将とともに飲んだが、いっかひどく酔って、床に寝てしまった。范・張 の二人は、この由を聞き出すや、初更のころ、おのおの短刀を懐中にして、機密の大事で申し上げ たき筋があるといつわって、枕もとに通った。もともと張飛は眠るときも瞼を閉ざさなかったが、 ひげさかだ その夜も床に眠っているところを見た二人は、彼が鬚を逆立て、かっと眥を決しているありさま いびき に手を下す気も失った。しかし、雷の如き鼾を聞いて、はじめて進み寄るなり、短刀をその腹に突 き立て、張飛はひと声叫んで息絶えた。時に五十五歳であった。後の人が嘆じた詩に とくゆう あんき かっ 安喜に曾て聞けり督郵を鞭うちしこと こうきんそうじん えんりゅうたす 黄巾を掃尽して炎劉を佐く ・ 1 ろう 虎牢関上声まず震い まぶた まなじり と・一 きギ、し