申し - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 6
158件見つかりました。

1. 三国志演義 6

だま 詐され、城門を開いてしまったため、やむなく降ったもの。このたび、陛下のご親征の由を承り、 すす この賊を殺して陛下のお恨みをお雪ぎいたしました。なにとぞ臣らの罪をおゆるし下されませ」 先主は大いに怒り、 「朕は成都を出てすでに久しくなる。詫びにくるならもっと早くこれたはすじゃ。 いまさら形勢非 なりと見て、巧いことを申して死を免れようときおったか。貴様たちをゆるしては、冥土において 関公に会わす顔がない」 と言って、関興に命じ、本陣の中に関公の霊位を祀らせた。先主はみすから馬忠の首を捧げて祭 びはうふしじん こなごな 壇にもうで、また関興に糜芳・傅士仁の着物をはいで霊前に引きすえさせると、みすから刀で粉々 に斬りきざんで関公の霊を慰めた。すると、張苞が進み出て泣き伏した。 ちゅうりく 「伯父上の仇はこれにてすでに誅、戮することがかないましたが、臣の父親の仇は、いつになった ら取れるでご、いましょ , つか」 こうなん 「よいよし 心配するな。朕が江南を平らげ、呉の犬どもを殺しつくして、かの二人を召し捕り、 そなたにそんぶんに斬りきざませて、そなたの父親の霊を祀らせてつかわそうぞ」 張苞は涙ながらに因 5 を謝して引き退がった。 この時、先主の威名、大いに奮い、江南の領民は恐れおののいて、日夜、泣きつづけた。韓当・ 周泰は大いに驚き、急ぎ呉王のもとにまかり出て、糜芳・傅士仁が馬忠を殺害のうえ蜀帝に降り、 ′、んじよう そんけんお 二人とも蜀帝に殺された旨をつぶさに言上した。孫権が怖じ気づいて、文武百官を集めて謚った ほしつ ところ、歩驚の言うのに、 まっ

2. 三国志演義 6

げしく、未・申・酉の三刻の間しか往来できず、その他の刻限は瘴気が立ち籠めて、これに当たれ ば立ち所に死んでしまいます」 「おお、それでは蛮族を平定することはかないますまい。蛮族を平定せすしては、呉・魏を滅ばし て漢室の再興を計ることなそおばっかなく、先帝に託された大任に背くことになる。かくなるうえ は、ここで死ぬるまででござる」 「と孔明が、崖から身を投げようとするのを、老人は止めて、〕 「丞相、そのご懸念にはおよびませぬそ。それがし、この難を解くことのできるところをお教えい たします」 「おおそれは、なにとそお教え下されい」 ばんあんけい 用「これより真西に向かって数里ゆかれると谷があって、その谷の中を二十里はいられると、万安渓 計 と申す淵がござります。そのほとりに「万安隠者』と申し、数十年このかた、かしこより一歩も出 番 そうあん 四たことのない隠者がおられまして、草庵の裏手に『安楽泉』と申す泉がござります。人が毒にあた はれもの ったなら、その水を飲むだけでたちまち治り、腫物ができたり瘴気に当たった時は、万安渓に浸か かいよううん一う ればおのずと治癒いたします。また庵の前に『薤葉芸香』と申す草があり、この葉を一枚、ロ中に 回 九含んでおれば、瘴気に当たることはありませぬ。早くおいでになるがよろしゅうござりましよう」 孔明が拝謝して、 「お蔭さまにて生き返った心地がいたします。このご恩は決して忘れませぬ。なにとぞ、お名前を お聞かせ下さりませ」 ふち ひつじさるとり そむ っ

3. 三国志演義 6

「むかしの契りを他人が知ろうはずはござりませぬ。もし陛下がゆかれぬなら、それがし一命を棄 てて兄者の仇を討ちに参ります。してもしそれが果たせぬときは、生きて陛下にはお目にかかりま せぬ」 - 一う ろう 「朕もそなたと参ろうそ。そなたは手勢をひきいて闃州より出陣せよ。朕は精兵をひきいて江州 すす ( 巴郡 ) にて出会い、ともども東呉を打ち破って、恨みを雪ごうではないか」 命を受けて張飛が打ち立とうとするおり、先主は重ねて、 蠍「そなたは酒に酔うと乱暴を働き、士卒を鞭打ち、そのまままた身近においておるが、これはみず 割から禍いを招くようなものじゃ。これからはっとめて寛大にし、以前のようなことはむように て といましめ、張飛は暇乞いして立ち去った。 がくししんふく 急あくる日、先主が出陣の勢そろいをさせているところへ、学士秦広が奏上した。 からだ ち「陛下には万乗のお身体を捨て、小義につこうとなされておいでにござりますが、これは古人の取 のらぬところにござります。いま一度ご考慮のほど願い上げます」 うんちょう 兄 「雲長と朕とは一心同体じゃ。大義を忘れることはできぬ」 一秦広が平伏したまま、 十 「臣の申すことをお聞き届け下さらねば、変事があるやも知れませぬ」 第 と言うと、先主は大いに怒り、 「朕が軍をおこそうという時に、貴様はなぜかような不吉なことを申すのか」 わぎわ いとま )

4. 三国志演義 6

気百倍いたすに反し、他の国の者が飲めばたちまち死ぬとか。かかる蛮族はたとい平定なされまし たところで益もないこと '0 早々にお引き揚げになるがよろしかろうかと心得まする」 孔明は笑った。 。月日には必す平定の策をたて 「折角、骨折ってここまで来たのに、引き揚げるという法はない日 かくて、趙雲に魏延を助けて陣を守るよう命じ、軽々しく討って出ることを禁じた。 あくる日、孔明は土地の者に案内させてみずから車に乗り、桃花水の渡しの北岸の人気のない山 破中に分けいって地の理を見てまわったが、山道が険しくなると車を棄てて歩いた。ある山までくる 兵と一つの谷が見えた。形は長蛇の如く、そそり立っ岩壁に囲まれて一本の木も見えず、真ん中に一 蛮 び筋の広い道が通っている。 「この谷の名は」 て っ と案内の者にきくと、 とうろうてん ばんだ を「ここは盤蛇谷と申し、谷を出れば三江城へ通ずる道があり、谷の前は塔郎甸と申すところでござ 巨ります」 回「これそ天がわしに勝利を下され賜うたものじゃ」 第いたく喜んだ孔明は、もとの道を通って車に乗り、本陣に立ち帰ると馬岱を呼んで命じた。 たけぎお 「そなたに黒塗りの箱車十輛を預けるゆえ、竹竿を千本用意せよ。車の中の物はこれこれじゃ。手 勢をもって盤蛇谷の両の出口を固め、申しつけたとおりに手配せよ。半月の期限を与えるから、す る」

5. 三国志演義 6

「それはわしも知っておる。だが、関公はわしの叔父だ。見殺しにすることはできぬ」 すると孟達はからからと笑った。 「将軍が関公を叔父上と思っておられても、関公の方では将軍を甥御と思ってはおられますまい それがしの耳にしたところでは、漢中王がはじめ将軍をご養子となされたときからして、関公は好 ・一うめい い顔をせず、のちに漢中王がご即位遊ばされてお世嗣に立てようとなされ、孔明殿におはかりにな ちょう ったところ、孔明殿が『これは一家のことゆえ、関・張ご両所におはかりなされませ』と申された ので、ご使者を荊州へ遣わして関公におはかりになったところ、関公は将軍がご養子であるからお のちのちわぎわ 立てになるべきではないと申し、将軍を上庸の山城へ遠ざけて後々の禍いの根を絶っよう漢中王に お勧めしたとか。これは誰でも知っておることなのに、将軍にはまだご存じではござりませんでし たか。それだと申すに、し 、まさら叔父甥の義理にこだわられて、わざわざ危険に身をさらされるこ ともギ、ります・まい」 「いかにもそなたの申すとおりだが、何と断わったらよいだろうか」 なっ 「この山城はまだ得たばかりのこととて、領民も懐いておらぬゆえ、軽率に軍をおこしたりしては、 かえってここまでも失うようなことになろうと仰せになればよろしゅうござります」 劉封はこれに従い、あくる日、廖化を呼んで言った。 「この山城は取ったばかりのことであるから、まだ葷勢を分けて加勢することはできぬ」 仰天した廖化が、その場にひれ伏して、 「それでは、関公のお命もこれまでにござります」 おいご

6. 三国志演義 6

ここに先主は、連日、馬場に出て親しく軍勢の調練にあたり、出陣の期日を定めて、親征におも じようしようふ 、一うめい むくことにしていた。ここにおいて、重臣たちはうち連れて丞相府にまかり出で、孔明と対面し て言った。 しやしよく 。いかにも社稷 「天子には御位につかせられて日も浅いと申すに、親しく軍勢をひきいられるま、 を重んじられぬなされよう。丞相には国家を領かるご要職におられながら、なにゆえお諫めなさら ぬのでござりますか」 「わしもしばしばお諫めしたのじゃが、いっかなお聞き届けがないのじゃ。今日はご一同ともども 馬場へ参ってお諫めしてみよう」 言って孔明は、百官を従えて馬場に至り、先主に奏上した。 「陛下にはこのたびご即位あそばされたうえは、漢の逆賊を討っために北征せられて大義を天下に 布かれるならば、六師をご統率になるもよろしいと存じまするが、呉を討たれるなら、大将を一人 やって討たれればすむことにて、ご親征にはおよびますまいと存じまする」 先主は孔明の切々たる言を聞いて、思い直しかけた。ところへ、思いがけぬ張飛到着との知らせ えんぶ に、急いで召しいれた。張飛は演武庁にはいるやその場に平伏し、先主の膝に抱きついて泣き出し た。先主もともに泣くところ、 こんにち 「陛下は今日、いったんご大位にお昇りのうえは、桃園の契りをお忘れにござりますか。どうして 兄者の仇を討とうとされないのでござる」 「皆の者が止めるので、軽々しく動けぬのじゃ」 ひぎ

7. 三国志演義 6

思われぬ。血を分けた兄弟同然のそなたとしたことが、何で逃げようとするのか」 と言えば、関公は落涙して、 あにじゃ 「兄者、兵をおこしてわしの恨みを晴らして下されい」 と言うなり、吹き過ぎる冷たい風とともに消え失せた。はっとして気がつけば、それは一場の夢。 おりしも三更の太鼓が聞こえてきた。いかにも不思議なことなので、急いで殿中に立ち出でると孔 明を呼びにやらせた。孔明がきたので夢の話を詳しく物語ると、彼の言うのに、 「それは大王が関公のことを思っておられたがゆえ、さような夢をご覧になられたもの。ご懸念に はおよびますまい」 玄徳はなおも疑っていたが、孔明は言葉をつくしておさまらせた。 きよせい 孔明が辞去して中門を出たところ、やってきた許靖に出会った。 やかた 「ただいま軍師のお館に内密のお知らせをもってあがったのでございますが、ご出仕と聞いて、ま いったところでございます」 「その内密の話とは」 「されば、それがし、外からまいった者が、東呉の呂蒙が荊州を襲い、関公が討ち死になされたと か申しておるのを耳にいたしましたので、お知らせに参ったのでございます」 てんしよう けいそ かた 「いや、わしも夜、天象を見ていて、将星が荊楚 ( 楚は荊州の一部 ) の方に落ちたので、雲長殿が なくなられたのは存じておったのだが、王がご心配になってはと思って控えておったのだ」 そで 二人が話しているところへ、とっぜん殿中からまろび出た者が、孔明の袖をとらえて、

8. 三国志演義 6

にしてしまったのは、わしの大きな罪じゃ」 「丞相のご妙算、鬼神といえどもおよびますまい」 ばっかひぎまず 一同は平伏した。孔明は孟獲を連れてくるよう命じ、孟獲が幕下に跪くとその縄を解かせ、別 つかさど の幕舎に案内して気付の酒食を与えるよう命じてから、酒宴を掌る役人を身近に呼んでかくかく と命じてゆかせた。 さて孟獲が祝融夫人や孟優・帯来洞主その他一族郎党の者たちと別に設けられた幕舎で酒を飲ん でいるところに、一人の者がはいって来て言うのに、 破「丞相には ( 策を弄したことを恥じて ) 貴公にお会いになるのをはばかられ、貴公をお許しになるゆ 兵え、もう一度軍勢を集めて勝負をしに参るようと仰せられている。ただちにお引き取り下されい」 蛮 び孟獲は涙を流して、 いこしえ 六「七度捕えて七度許すというようなことは、古よりあったためしはない。わしは王化の外にある つ者ではあるが、礼儀はわきまえておるつもりだ。そのような恥知らずなことはできぬ」 にくたん を と一 = ロ、 し、かくて兄弟妻子、郎党とともに、孔明の前に這い進んで跪き、肉袒 ( 上衣を脱いで身体を 巨表わし降参の意を示す ) して謝罪した。 回「かくまで丞相のご恩顧をいただいたうえは、南蛮の者どもは二度と背きませぬ」 第「では、心から帰順いたすと申すか」 「子々孫々にいたるまで、このご恩は忘れませぬ。背くなそはもってのほかにござります」 と孟獲が落涙すれば、孔明は彼を幕中に請じて慶賀の酒宴を開き、彼を末長く洞主とすることと きつけ

9. 三国志演義 6

さん・、う ごしようせんとう 難関あり、呉には三江 ( 呉の境界をなす呉松・銭塘・浦陽江のこと ) の要害があって、もし、両国が誼 ひ へいどん しんし みを結び、唇歯の間柄をなす時は、進めば天下を併呑することを得、退けば左右の足となって立っ ことがかないましよう。今、もし大王が魏に降られれば、魏が朝貢を求め太子を人質として差し ちょう ひつじよう 出すよう申してくるのは必定。これに従わぬ時は軍勢を催して攻め寄せ、蜀もまた長江を下って こうなん 攻めいることになり、かくては江南の地がふたたび大王の手に帰することはかないますまい。それ しがしの申すことに誤りがあると仰せられるなら、それがしこの場にて命を絶ち、二度と説客とはな ゆります・まい」 逞と言うなり、衣の裾をかかげて庭先に駆け下り、煮えたぎる鼎の中へ躍りこもうとした。孫権は ひんきやく 弁急いで引き留めさせ、奥に請じいれて賓客の座になおすと、 一必「先生のお一一一口葉は、わしの思うところでござった。わしは蜀主と誼みを結びたく思うのじゃが、仲 て介の労をとっては下さらぬか」 難「さきに、それがしを煮殺そうとされたのも大王でござれば、今それがしをお用いになろうとする 温のも大王でござります。さようにお迷いのありさまでは、なかなか信するわけには参りませぬが」 「わしの心は決まっておる。その疑いは無用じゃ」 回 とうし かくて呉主は鄧芝を引き留めておき、諸官を集めた。 十 「わしは江南八十一州を手に収め、荊・楚の地まで持っておるというのに、西蜀ごとき僻遠の国に あるじ も劣るとは無念に思うそ。蜀には、その主を恥ずかしめぬ鄧芝のような者がおるのに、わが呉には、 蜀へ参ってわしの心を伝える者もようおらぬのか」 すそ へきえん

10. 三国志演義 6

「いや、孫権が礼をもって降って参ったのにこれを攻めるようなことをすれば、天下の降参を望む 者の心を失 , っことになる。しばらくは黙っておいた方がよい」 なんしよう ひょうき 「孫権は英雄の器にはござりまするが、位は漢の驃騎将軍・南昌侯に過ぎず、官が低きため勢い もなく、したがって、中原を恐れる心もあるのでござりますが、彼を王位におすすめある時は、陛 下との間わずか一階にすぎませぬ。いま、彼のいつわりの降参を信じて位をおすすめになり、力を 貸すようなことをなされるのは、虎に翼を添えるがごときことではないかと存じまするが」 「いやちがう ~ 朕は呉も助けなければ、蜀も助けぬ。呉と蜀が戦い、いずれか一方が他方を滅ばし て一国となるのを待ち、その時になって攻めればむずかしいことはないではないか。朕の心は決ま をつておる。このうえ、何も申すな」 錫 九 言って曹丕は太常卿邪貞に、趙咨と同道して、沙汰書と錫を捧持し、東呉におもむくよう命じた。 て っ ここに孫権が百官を集めて、蜀の軍勢を防ぐ方策を協議しているところへ、魏王が殿を王に封じ 降 られるゆえ、使者をお出迎えありたしとの知らせがあった。顧雍が、 きゅうしゅう 物「殿にはおんみすから上将軍・九州の伯の位を称えておいでになりまするうえは、魏帝の爵位な そお受けになるにはおよびませぬ」 回 と諫めたが、孫権は、 十 「むかし沛公が項羽の封爵を受けたのも、すべて時の勢いに従ったものじゃ。受けぬ法はない」 ちよくし と言い、出迎えのために百官をひきいて城を出た。邪貞は中原よりの勅使であることを鼻にかけ て、門をはいっても車を下りようとしない。張昭が激怒して、 うつわ とな せき