陛下 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 6
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1. 三国志演義 6

っ なことは考えようともなされなかった。それを、兄は王位を嗣がれていくらもならぬのに、早くも ふらち そのような不埒な考えにおよぶとは、天の神とてお許しあろうはすはありませぬそ」 ののし とはげしく罵り、声をあげて泣きながら奥へはいった。左右に控える者たちも、みな涙を流して すすり泣く。 曹洪・曹休がなおも出御を迫ったので、帝はやむなく、御衣をお召しかえになってお出ましにな った。すると華歌が奏上するのに、 「陛下には臣らが昨日、申し上げたようになされまするよう。されば大きな禍いをお受けにならず ともおすみになりましよう」 つう - 一く 帝は痛哭されて、 「そなたたちは、いずれも長く漢の禄を食んできた者であり、功臣の子孫も多いことであるのに、 どうしてそのような臣下にもあるまじきことができるのか」 「陛下が臣らのご意見をお聞き届け下さらねば、近々のうち、朝廷の中より禍いが起こるでござり ましよう。決して臣らが不忠なのではござりませぬ」 「では朕を弑しようとする者がおるとでも申すか」 「天下の者がみな陛下を不満としたればこそ、四方、千々に乱れるようなことになったのではござ りませぬか。これで魏王が朝廷におられなかったならば、陛下を弑しようとした者は一人や二人で はござりませぬぞ。これでも陛下は恩徳に報いることを知らす、天下の者どもにこぞって陛下を討 とうとの心を起こさせよ , っとなさるのでごギ、りますか」 ろく ぎよい わぎわ

2. 三国志演義 6

く協議してはくれぬか」 りふくきよし と仰せいだされると、華歌は李伏・許芝を連れてご前に進みいで、 「陛下にご不審のむきがござりましたなら、この二人よりお聞き下されませ」 と奏上し、李伏が、 きりんあまくだ ほうおう・ 「魏王のご即位以来、麒麟が天降り、鳳凰が飛来し、黄竜が現われ、嘉禾 ( 異なる苗より出た穂が、 ぞくせい あまくだ ずいちょう 一つとなった稲 ) 蔟生して甘露天降るなどのことがありましたが、これは天がお示しあった瑞兆に きギ一し して、魏が漢に代わるべき兆にござります」 と奏上し、つづけて許芝も、 てんもん てんしよう つかさど えんかん 「臣らは天文の事を掌っておりまするが、夜間、天象を見まするに、炎漢 ( 漢は火徳の王であるゆ えかくいう ) の気数はすでに尽きて、陛下の帝星は光を失い、見ることもかないませぬ。これにひ きかえ、魏国の天象は天地にあまねく、言葉につくせぬほどに盛んなものがござります。また、こ としん れは図讖 ( 天より降されたという予言書 ) にも示されておりますが、その文面には、『鬼辺にあって、 委相つらなる、まさに漢に代わるべきこと、言をまたず。言東にあり、午西にありて、両日並び輝 ゆず きて上下に移る』とございます。これによってみても、陛下には早々に御位をお禅りになるべきか と存じまする。すなわち、『鬼辺にあって』、『委相つらなる』は、「魏』となり、『言東にあり、午 西にあり』は、『許』となり、『両日並び輝きて上下に移る』は、『昌』となりまするが、これはと きよしよう りもなおさず。魏が許昌において漢の禅りを受けるべきことを告げるもの。なにとぞご考慮のほ ど、願わしゅう存じまする」

3. 三国志演義 6

110 お耳にいれたく参上っかまつりました。先に関公が荊州においでのみぎり、呉侯よりたびたび縁組 みをお申し入れになったのに対して、公がご承知なされなかったことがござりました。その後、関 ド ) し・うよう そうそう 公が襄陽を取られたときには、曹操から呉侯に、荊州を襲うようとの申入れがあったにかかわら り・よもう ず、呉侯には、ご承知なさる気もござりませんでしたところ、呂蒙が関公と不和となり、勝手に軍 を出して思いがけぬ大事を仕出かしてしまったため、呉侯には今も大変お悔みでござります。あれ は呂蒙の罪にて、呉侯には全く存じよらなかったことにござります。今日、呂蒙も世を去りました えんこん そん うえは、怨恨の種子もすでになくなったと申せましよう。孫夫人には、かねてより陛下の御許への お帰りを待ちわびておいでにござります。よって、このたび呉侯には臣を使者といたし、夫人をお ふしじ人 連れいたすこと、および、降参して参った者ども ( 傅士仁らを指す ) をお返しし、荊州を前どおりお そうひ さんだっ ただ 引き渡しいたすことをもって、末永く誼みを結び、ともどもに曹丕を滅ばして、簒奪の罪を糾さん ものをと願っておられる次第にござります」 とう 1 ) 「東呉は朕の弟を殺しておきながら、巧言をもって取りいろうと申すか」 かん - 」うしゆく 「臣は軽重大小の事について一一一一一口、申し上げとう存じます。そもそも陛下には漢朝の皇叔にわた ほうてき らせられまするに、漢帝が曹丕のために御位を奪われたいま、逆賊をお討ちになることを放擲して、 義理のご兄弟のため、万乗の御身をもってご出陣なされまするは、大義を棄てて小義につくことで ちゅうげん もと らくようちょうあん ござります。中原は天下の中心にして、両都 ( 洛陽・長安 ) はいすれも大漢が基いを置かれたとこ ろにござりまするに、これを取ることをなさらず、荊州を争われるは、重きを棄てて軽きを取るも のにござります。天下の者はひとしく、陛下がご即位のうえは必すや漢室を興され、滅んだ国を取 かん

4. 三国志演義 6

かえ 呉に降るを可ならずとして却って魏に降る 忠義安んそ能く両朝に仕うるをえんや 嘆くべきは黄権が一死を惜しみしこと しよう ( 注一 ) かろがろ 紫陽が書法軽しく饒さじ はか 曹丕は賈訒に言った。 託「朕は天下を統一しようと思うのだが、まず蜀を攻めるべきか、それとも呉を攻めるべきか」 そんけん りゅうび しよかつりよう 児「劉備は英雄の器にして諸葛亮のごとき能臣をかかえており、東呉の孫権は深謀を蔵して陸遜が て いま要所を固め江湖の険をたのんでおりますゆえ、早急に取ることはむずかしく、かっ臣の見ます 遺ところ、わが諸将のうち孫権・劉備に敵しうる者は遺憾ながら一人もおらぬと存じまする。いかに 詔陛下が天威をもって臨まれましても必勝は期し難く、しばらくは守りを固めて両国に異変の起こる 洗のをお待ちになるが至当かと存じまする」 「朕はすでに三手の大軍を呉に出しておる。敗れるはすはない」 回 しようしよりゅうよう 五曹丕が言うと、尚書劉曄が、 「このほど東呉は陸遜が蜀の七十万の大軍を破ったばかりにて上下心を一にしており、加えて川や 第 湖を控えておりまするゆえ、にわかに破ることはできかねると存じます。それに陸遜は智謀にたけ た者でござりますから、備えを怠っておるはずはござりませぬ」 ゆる

5. 三国志演義 6

ここに先主は、連日、馬場に出て親しく軍勢の調練にあたり、出陣の期日を定めて、親征におも じようしようふ 、一うめい むくことにしていた。ここにおいて、重臣たちはうち連れて丞相府にまかり出で、孔明と対面し て言った。 しやしよく 。いかにも社稷 「天子には御位につかせられて日も浅いと申すに、親しく軍勢をひきいられるま、 を重んじられぬなされよう。丞相には国家を領かるご要職におられながら、なにゆえお諫めなさら ぬのでござりますか」 「わしもしばしばお諫めしたのじゃが、いっかなお聞き届けがないのじゃ。今日はご一同ともども 馬場へ参ってお諫めしてみよう」 言って孔明は、百官を従えて馬場に至り、先主に奏上した。 「陛下にはこのたびご即位あそばされたうえは、漢の逆賊を討っために北征せられて大義を天下に 布かれるならば、六師をご統率になるもよろしいと存じまするが、呉を討たれるなら、大将を一人 やって討たれればすむことにて、ご親征にはおよびますまいと存じまする」 先主は孔明の切々たる言を聞いて、思い直しかけた。ところへ、思いがけぬ張飛到着との知らせ えんぶ に、急いで召しいれた。張飛は演武庁にはいるやその場に平伏し、先主の膝に抱きついて泣き出し た。先主もともに泣くところ、 こんにち 「陛下は今日、いったんご大位にお昇りのうえは、桃園の契りをお忘れにござりますか。どうして 兄者の仇を討とうとされないのでござる」 「皆の者が止めるので、軽々しく動けぬのじゃ」 ひぎ

6. 三国志演義 6

「瑞兆とか図讖とか申すは、すべてとるにたらぬことである。さような根も葉もなきことで、朕に 祖宗の大業を棄てよと申すのか」 おうろう 帝が仰せある時、王朗が、 、 , 、しえ 「。より、興るものは必す滅び、栄えるものは必す衰えるが常道。滅びざる国、離散せぬ家とい うものがあったでござりましようか。漢皇室は陛下まで四百余年伝わって、すでに運は尽き果てま しゆったい した。一刻の遅滞なくご退位あればよし、さもなくば変事、出来いたしましようそ」 と奏上したので、帝がはげしく泣かれて奥へおはいりになると、百官はどっとあざ笑って退出し たのであった。 かんがん あくる日、諸官はまたも殿中に集まって、宦官をやって献帝の出御を請うた。帝がおそれてお そう を 出ましをためらわれているところ、曹皇后が、 劉 て「みなが陛下の出御を請うておりまするに、なにゆえお出ましにならないのでございますか」 廃と尋ねられたので、帝がお泣きになって、 そうひ 帝「そなたの兄 ( 曹丕 ) が位を簒おうとして、みなに朕を責めさせておるゆえ、出とうないのじゃ」 丕 と仰せられれば、皇后が激怒して、 曹 たくら 回「なんと、兄がそのような不忠を企んでいるのでございますか」 そうこうそうきゅう 十 と言うところへ、曹洪・曹休が剣を帯びたままはいってきて、帝の出御を請うたので、 第 ふうき むほん 「これもみなそなたたち逆賊が、富貴を望んでの謀反であろう。父上は天下をおおう大功をお立て になり、誰一人さからう者もおらぬばかりのご威勢であったのに、なおかっ、御位をうかがうよう ( 注こ しゆっぎよ

7. 三国志演義 6

日蝕海峡黒樹五郎鳥と人間と植物たち田村隆一わが胸に冥き海あり勝目梓 田岡一雄自伝《全三冊》田岡一雄ばくの性的経験田村隆一好色な狩人勝目梓 山口組三代目田飯干晃一悲将ロンメル岡本好古夢地獄勝目梓 雷鳴の山口組飯干晃一日本海海戦岡本好古赦されざる者の挽歌勝目梓 実録柳川組の戦闘飯干晃一登龍 岡本好古扉の中の祝宴勝目梓 新黙示録北辰の秘宝志茂田景樹色魔《全三冊》梶山季之官能の狩人勝目梓 冷血の罠志茂田景樹ミスターエロチスト 梶山季之地獄の十点鐘勝目梓 覇志茂田景樹かんぶらちんき《上下》梶山季之闇に光る肌勝目梓 花勝目梓 庫越山田中角栄佐木隆三秘本西遊記宇能鴻一郎人喰 黒豹の鎮魂歌 大藪春彦 文日本漂民物語佐木隆三馬賊戦記《上下》朽木寒三 ・二・三部》 間沖縄住民虐殺佐木隆三炎の残像勝目梓長く熱い復讐《上下》大藪春彦 徳娼婦たちの天皇陛下佐木隆三薔薇の葬列勝目梓諜報局破壊班員大藪春彦 マフィア経由 アメリカ行常盤新平夜の牙勝目梓みな殺しの歌大藪春彦 実録越山会 」林吉弥夜を真昼に勝目梓凶銃ワルサー大藪春彦 田中角栄は死なず蜷川真夫獣たちの熱い眠り勝目梓特務工作員礙大藪春彦 大藪春彦 力道山物語牛島秀彦女神たちの森勝目梓トラブル・シューター 天下盗り狼石井代蔵処刑台の昏き祭り勝目梓ベトナム秘密指令大藪春彦・ 未完の対局南里征典夢追 肌勝目梓若き獅子の最期大藪春彦 巨魁《岸信介研究》岩 隆墓碑銘は炎で刻め勝目梓偽ドルを追え大藪春彦 ザ・巨人軍岩川 隆妖精狩り勝目梓処刑軍団大藪春彦

8. 三国志演義 6

ゆず 「朕は天下を魏王に禅ろうと思うが、せめて天寿を全うさせてはくれぬか」 と仰せいだされれば、賈訒が、 みことのり 「魏王とて陛下のお望みにそむくことはござりますま い。ただちに詔をお降しになって、民心を 安んぜられるがよろしゅうござります」 ちんぐん と言うので、帝は仕方なく陳羣に命じて禅国の詔を起草せしめられ、華歌に、詔と玉璽を捧持し、 そうひ 百官をひきいて魏王宮におもむいて魏王に献するよう命じられた。曹丕はいたく喜んで、詔を読み 上げさせる。 あ 朕、位にあること三十二年、天下の大乱に遭えど、幸い祖宗の霊のご加護によりて、危うくも えんせい また存し得たり。然れども今仰ぎて天象を観じ、俯して民心を察るに、炎精 ( 漢室 ) の気数すで ′一ぎよう あ これ い寺」おし に終わり、行運 ( 五行のめぐりあわせ ) は氏に在り。是をもって前王 ( 曹操 ) すでに神武の蹟を た あきらか 樹て、今王 ( 曹丕 ) また明徳を光り耀かして、その定めに応ず。暦数 ( 天命 ) は昭明にして、信に 知るべきなり。それ大道のおこなわるるや、天下に公をなす。唐堯がその子を私せずして、名を した じようしよう 今に残せしこと、朕がひそかに慕うところなり。今、堯の典を追いて、位を丞相の魏王に禅る。 王、こばむことなかれ。 曹丕は詔を聞きおえるや、一も二もなく拝受しようとしたが、司馬懿が、 「しばらく。詔と玉璽が届けられたとは申せ、いったん上奏文を奉ってご辞退され、天下の謗りを のり くだ ゆず ま - 一と

9. 三国志演義 6

つかわして利害をもって説伏いたさば、東呉の出る気づかいはなく、他の四手の軍勢なそは恐れる ちゅうちょ 絽には当たりません。ただ呉を説きつけにやる者がなかったがゆえ、臣は躊躇いたしておったもの、 陛下のおいでを仰ごうなそとは誠に思ってもおりませんでした」 「実は皇太后も相父にお目にかかりにおいでになるところでありましたが、ただいまお伺いしたこ とで、まことに夢から覚めたごとくでございます。これで心配もなくなりました」 やかた 孔明は後主と何杯か酒を飲んだのち、館の門まで送っていった。門前を取り巻いていた諸官は、 後主が喜色を浮かべているのを見、孔明に別れを告げて車に乗って宮中にお帰りになるのを見て、 いちょうに不思議がっていた。一方、孔明は官僚たちのなかで、ただ一人、嬉しそうに天を仰いで とう ぎようしんや しあざなはくびよう 笑う者があるのを認めた。よくよく見れば、義陽郡新野県の人、姓は鄧、名は芝、字伯苗、この しばとうう こぶ ( 注五 ) とき戸部尚書を勤める、漢の司馬鄧禹の末孫である。孔明はひそかに人をやって彼を引き留めさせ ておいた。皆が帰っていったあと、孔明は鄧芝を書院に案内して尋ねた。 ていりつ 「今は知ってのとおり蜀・魏・呉の三国が鼎立しておる。この二国を滅ばして天下を統一し、漢を 再興いたそうと思うのじゃが、どちらから攻めるべきであろうか」 「それがしの思いまするに、魏はいかにも国賊にござりますが、はなはだ強大であって早急にはゆ るがすことはむずかしく、ゆるゆると滅ばさねばならぬと存じます。当今、陛下にはご即位より日 きゅうえん しんし も浅く、民心も定まっておりませねば、まずは東呉と唇歯の誼みを取り結んで、先帝よりの旧怨 をいっさい忘れ去るようにいたすことこそ万全の策と存じまするが、丞相のご所存はいかがにござ り、ます・か」

10. 三国志演義 6

たっ みむね りゅう ますから、諸侯の列にお加えあるべきかと存じまする。御旨をもって、劉氏をいずれかの地へ封ぜ られまするよう」 さんよう と奏上し、献帝を台下にひざまずかせて沙汰を待たせた。曹丕が帝を山陽公に封じ、即日、出 ちよくし 立するようとの勅旨を降すと、華歌は剣の柄に手をかけ、声をはげまして、 い , 、しえ きんじよう 「一人の天子が立てば、一人の天子が廃されるのは、よりの常道である。今上陛下にはご仁慈 をもって、そなたに害を加えるに忍ばれず、山陽公に封じられたのである。今日、出立の後は、お 召しなき限り二度と朝廷に出ることはまかりならぬそ」 献帝は涙ながらに拝謝し、馬に乗って立ち去ったが、台下の兵士や人民は、悲しみをこめてこれ を見送ったのであった。曹丕は群臣に、 「舜・禹のことは、朕もよう心得ておるそ」 と言い、群臣は声をそろえて万歳をとなえた。後の人がこの受禅台を見て嘆じた詩に、 両漢の経営事頗る難く 一朝に失却す旧江山 - 一うしよとうぐ 黄初唐・虞の事を学ばんと欲さば 司馬将ち来りて様 ( 手本 ) と作して看る 百官が曹丕に天地の神々を拝するように願いいで、彼がぬかすこうとするおりしも、にわかに狂 もきた すこぶかた な み しゆっ