馬 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 6
277件見つかりました。

1. 三国志演義 6

132 いってきた。潘璋は関公の亡霊と知って、あっとひと声叫んで生きた心地もなく、ふたたび身を翻 いっせん すところを、関興の剣一閃、その場に倒れていた。関興はその心臓をえぐり出し、血をそそいで関 せいりようえんげつとう 公の霊前に供えたのち、父親の使っていた青竜偃月刀を取り戻し、潘璋の首を馬の首にかけて老 人に別れを告げると、潘璋の馬に乗って本陣へと引き揚げた。老人は潘璋の屍を引き出して焼いた ここに関興が数里もゆくうち、にわかに人声や馬のいななきがして、一手の軍勢が現われた。真 っ先に立ったのは潘璋の部将馬忠である。馬忠は関興が自分の大将潘璋を討ち取り、首を馬の首に ばっぜん かけて、青竜刀までが彼の手に渡っているのを見るや、勃然として怒り、馬を躍らせて打ちかかっ どはっ た。父親の仇を見て関興は、怒髪天をつき、青竜刀を振りかざして斬りかかったが、馬忠の部下三 百がどっと襲いかかって、逆に関興を真ん中に取りこめた。関興は、ただ一騎のこととて、あわや こっぜん これまでかと思ったとき、西北の方に、忽然として一手の軍勢が現われた。これそ張苞である。馬 忠は援車のきたのを見てあわてて軍勢をひきいて逃げ出し、関興・張苞はひと手になってこれを追 びほうふしじん った。数里も追ううち、行手から糜芳・傅士仁が手勢をひきいて馬忠をさがしにき、両軍、入り乱 おう れての揉み合いとなったが、張苞・関興は味方の無勢を見て急いで引き退がった。琥亭にもどって、 先主の前に首を献げ、これまでのことをつぶさに物語れば、先主は驚嘆して軍勢の労をねぎらった のであった。 さて馬忠は立ち帰って韓当・周泰と合流し、討ち洩らされた軍勢をまとめておのおの陣屋を構え たが、兵卒の傷を負った者は数知れぬほど。馬忠は傅士仁・糜芳を従えて岸辺に陣を取った。その 夜の三更ごろ、兵士たちの泣き声がしきりに聞こえてくるので、糜芳がそっとうかがってみれば、 * 一さ かた

2. 三国志演義 6

見たので、夜が明けてから賈訒に ・ばとう 5 「わしは前に三頭の馬が一つ槽で秣を食う夢を見て、馬騰父子 ( 馬騰・馬休・馬鉄 ) を疑い、〔皆殺 きギし しとしたが、〕もはや馬騰もおらぬに、昨夜また同じ夢を見た。これは何の兆であろうか」 ときくと、・が、 「禄馬 ( 禄は福 ) は吉兆にござります。禄馬が曹 ( 槽と同音 ) にはいったのでござりますに、お疑い になることはごギ、りませぬ」 しよう と答えたので、曹操はそれ以上、疑わなかった。〔注・後に司馬懿・司馬師・司馬昭の三人が権 をもつばらとし、曹家を廃するに至ったのは、この夢に応じたものである。〕後の人の詩に、 そう 三馬槽を同じくす事疑うべきも すでしん 知らじ已に晋の根基の植えられしこと そうまんむな かんゅう 曹瞞空しく奸雄の略を有するとも し 豈朝中の司馬師を識らんや この夜、曹操は寝室で横になっていたが、三更ごろ、はげしい目まいを覚えたので、床を出て机 にもたれてうとうととしていたところ、にわかに殿中に絹を裂くような叫びがおこったので、はっ ふく とうきじん ふくかんとうし・トっ として見やれば、伏皇后・董貴人・二人の皇子および伏完・董承ら二十余人が血まみれの姿で、 不気味な雲の中に立っ姿があり、命を返せという声が陰々と聞こえてくる。剣を引き抜きざま、空 おけ そう し

3. 三国志演義 6

言っているところへ、数は分からぬが蜀の軍勢がひそかに瀘水を渡って、夾山の糧道を絶ち、 へいまく 『平北将軍馬岱』という旗じるしを上げているとの知らせ。 「そんな小輩なぞ、言うにもたらぬ」 ばうが↓つよう 笑った孟獲は、ただちに副将忙牙長に三千騎をつけて夾山峪へ向かわせた。 さて馬岱は南蛮の軍勢が押し寄せたのを眺めるや、二千騎を山麓に展開させた。両軍、相対峙す ると、忙牙長が出馬して馬岱に打ちかかったが、ただ一合にして馬岱に斬り落とされ、さんざんに 討ち崩された蛮兵は、孟獲のもとに逃げかえってつぶさにこの由を知らせた。孟獲が大将たちを集 縛めて、 王「馬岱と合戦してくる者はおらぬか」 び と言うと、言下に董荼那が進み出た。 再 て「それがしが参ります」 渡孟獲はいたく喜び、三千騎を授けて打ち立たせると同時に新手が瀘水を渡ってくるのを恐れて、 を 水阿会喃に三千騎をつけて沙口を固めにゆかせた。 さて董荼那が蛮兵をひきいて夾山峪に至り陣を取ったので、馬岱が手勢をひきいて出陣したが、 回 配下に董荼那を見知っている者がいて、馬岱にかくかくと彼のことを話した。そこで馬岱が出馬し そむ 「恥知らずの痴れ者め。丞相に命を預けられながら、また背くとは、恥を知らぬにもほどがあろ とうとな あらて さんろく

4. 三国志演義 6

262 て、さても見事なと胸中舌をまいたが、両名、馬を駆けたがわせて切っ先を交えること数合、やに わに夫人は馬首を返して逃げだした。張嶷が追いかけるところ、空中から飛刀が飛来したので、急 いで手で防いだが、左の臂にぐさりと突き立ち、もんどりうって落馬する。すかさず蛮兵がどっと ばちゅう 駆け寄り、縛り上げて連れ去った。馬忠は張嶷が捕えられたと聞き、急いで救いに駆けつけたが、 たちまち蛮兵に取り籠められる。と、遙かに祝融夫人が槍を小脇にして馬を止めているのが見えた ので、たけり狂って打ちかかるところ、乗馬をからみ倒されて、同じく擒となった。夫人は二人を 洞中に引っ立てていって孟獲の前に引き据え、孟獲は祝賀の酒盛りを開いたが、夫人が刑手に張 嶷・馬忠の首を打ってくるよう命じたところ、孟獲が、 「諸葛亮はわしを五度までも放してくれたのじやから、いま彼の大将を斬ったりしては、義理が立 たぬ。しばらくここに捕えておいて、諸葛亮を生捕りとしてから、 っしょに殺したらよいではな し、刀」 と止めたので、げにもとうなすいて、酒盛りを楽しんだ。 さて討ち洩らされた兵士が、逃げもどって孔明にこの由を注進すると、孔明はただちに馬岱・趙 雲・魏延の三人を呼んで計を授け、三人は手勢をひきいて陣を出た。あくる日、趙雲が合戦を挑ん できたとの蛮兵の注進で、祝融夫人はすぐさま馬に乗って迎え撃った。数合も打ち合わぬうちに趙 雲は逃げ出したが、夫人は伏勢を恐れ、軍勢をまとめて引き揚げた。次いで魏延が手勢をひきいて 戦いを挑んできたので、夫人は馬を躍らせて迎え撃ったが、戦いたけなわとなった時、魏延がわざ と逃げ出し、夫人は追おうとしなかった。あくる日、趙雲がまたも戦いを挑めば、夫人は洞兵をひ ひじ とり - 一

5. 三国志演義 6

とど いつわ きいて迎え撃ち、数合もせす、趙雲が詐って逃げたが、夫人がじっと踏み留まって、軍勢をまとめ ののし て引き揚げかけたとき、魏延の軍勢が声をそろえて罵ったので、槍を取りなおして魏延に打ちかか ると、魏延は馬を飛ばせて逃げた。夫人が怒り狂って追いかければ、魏延は馬を飛ばせて山あいの あお 間道に走りこむ。ところへ、背後にあっという声があがったので、魏延が振り返れば、夫人が仰の けざまに落馬するところ。これは馬岱が伏勢していて、縄で馬をからみ倒したもので、たちまち縛 り上げて、本陣に連れ帰った。救いに駆けつけた蛮将や洞兵は、趙雲に追い散らされる。孔明は幕 中にあったが、馬岱が祝融夫人を引っ立ててくると、急いで刑手にその縄を解くよう命じ、別の幕 ちょうぎよく きつけ 破舎に案内させて気付の酒を与えるとともに、孟獲のもとへ使いをやって、夫人を張嶷・馬忠と引 兵き換えようと申し入れた。 下承知した孟獲が、ただちに張嶷・馬忠を孔明のもとに送り届けてきたので、孔明も夫人を送り返 六せば、迎えいれた孟獲は喜んだりまた怒ったり。ところへ、八納洞主の到着が取次がれたので孟獲 またが つが迎えに出ると、その人は白象に打ち跨り、金銀・珠玉の首飾りをつけて、腰には二振りの大刀を を帯び、虎豹・豺狼を連れた兵士たちをひきいて堂々とはいって来る。孟獲が前にぬかずいて、これ ふくしゅう 巨までのことを話せば木鹿大王が復讐を承知したので、いたく喜び酒盛りを開いた。あくる日、木 回鹿大王は己の洞兵に猛獣を連れさせて出陣した。趙雲・魏延は蛮兵が討って出たと聞いて、軍勢を し 第出し、陣を布いたが、二人が陣頭に駒を並べて打ち眺めれば、蛮兵の旗さし物・武具なそ、いっさ よろい いが見なれぬものばかり。兵士はほとんどの者が鎧もつけぬ赤裸で、醜怪な顔立ちをし、身には四 しきん どら 振りの鋭い刀を帯びている。陣中、太鼓・笛を使わず、篩金 ( 馬上で使う小型の銅鑼 ) 一つを合図に おのれ

6. 三国志演義 6

むほん 「それはなりませぬ。ゆるゆる手を下すこととするがよろしく、急いではかえって謀反を促すよう なことになりましよう。まず二人を郡守 ( 太守 ) に昇せ、引き離しておいてから捕えたらよろしい と存じます」 めんちく 玄徳はこれに従って、使者を劉封のもとへ遣わし官を昇せて綿竹を守らせることとした。ここに ほら ( よう 彭策は孟達と親しい仲であったが、このことを耳にすると、急いで家へもどって書面をしたため、 ばふつト 4 う 腹心の者を孟達のもとへ走らせた。、 カ使者は南門を出たところで馬超の手の見回りの兵士に捕え られ、馬超の前に引っ立てられ、すべてを知った馬超はすぐさま彭柔を訪ねた。彭策は迎えいれ、 酒を出してもてなしたが、その酒がほどよく回ったとき、馬超はわざと気を引いてみた。 「前には漢中王は貴公を重用されたものでござったが、近ごろはどうなされたか、あまり首尾がよ くないようでござるな」 彭策が酔ったまぎれに、 「あの不届きな老いばれめが、見ておられい。それがし、きっと返事をしてやろうほどに」 と罵ったので、重ねて、 「おおこれは、それがしもかねてから腹にすえかねておったところだ」 せいせん 「しからば貴公、手勢をひきいて孟達とともに攻めいり、それがしが西川の軍勢をひきいて内応い たさば、よもや仕損ずることはあるまいが」 「いかにも仰せのとおりでござる。では明日、改めて評議いたしましようぞ」 と馬超は彭策のもとを辞し、ただちに人をやって彼の書面を漢中王のもとへ届け、この由を逐一、 ちくいち

7. 三国志演義 6

そこで孔明は土地の者に案内に立つよう命じ、屈強の者ども五、六百を択りすぐって馬岱につけ てやった。沙口に着いて筏を組み、夜半に押し渡ったところ、案の定、何事もなかった。かくて馬 きようざんよく 岱は精兵二千をひきい、土地の者に案内させて蛮族の糧道の中枢たる夾山峪に来た。この夾山峪 は、馬一頭しか通れぬ細い道をはさんで、両側が山になっているところ。馬岱は夾山峪を占拠する や、兵士たちに陣屋を設けさせた。これを知る由もなく兵粮を運んで来た蛮兵は、馬岱のために前 りよう 後をさえぎられて糧秣車百余輛を奪われ、孟獲の本陣に駆けこんだ。 この時、孟獲は本陣にあって、軍務も見すに、終日酒びたりとなっていたが、酋長たちに、 かんけい 「わしがもし諸葛亮と合戦すれば、必す奸計にかかるだろう。今度はこの瀘水の難所を盾に陣地を 固めて対陣しておるのだから、岡の奴らは暑さにやられて逃げてゆくのは間違いない。その時にわ しがお前たちと追討ちをかければ、諸葛亮めを生捕りじゃ」 かかたいしよう と言って、呵々大笑した。すると一人の酋長が進み出て、 ただごと 「もし沙ロの浅瀬から蜀の軍勢がはいってくるようなことがあっては只事ではすみますまい。軍勢 を出して固めておくがよろしいでしよう」 孟獲は笑った。 「お前もこの土地の人間であるからは、知っておるだろうに。蜀の奴らがあそこを渡るのをわしは 待っておるのだ。渡れば命はないのだからな」 「もし土地の者が、夜のうちに渡る方法をしゃべったら、どうします」 「心配することはない。わしの国の者が敵を助けるものか」

8. 三国志演義 6

馬良が諫めたが、 くち・はし こわっぱ 「朕は長年戦さをしてきた。嘴の黄色い小僧などに負けはせぬ」 さきて とみずから先手の軍勢をひきいて、各所の要害へ攻めかかった。 韓当が先主の軍勢の押し寄せたのを見て、人を陸遜のもとへ走らせたので、陸遜が韓当の妄動を きゅうきょ 恐れて急遽馬を飛ばせてきてみれば、韓当はおりしも山の頂に馬を止めており、はるかに山野を きめがさ うすめて、押し寄せる蜀の軍勢が望まれ、その中に黄色の絹傘が見えかくれするのが見えた。韓当 は陸遜を迎え、馬を並べてこれをながめたが、手をあげて、 「あの中に必すや劉備がおる。それがし討って出たいと存するが」 「劉備は東征に出て以来、十余の合戦に勝ちつづけて意気、大いにあがっている、今はこの要害に とくれい ぼうぎよ こもって出ぬがよい。討って出れば負ける。しばらくは将士を督励して広く防禦の策を講じ、形勢 の変わるのを待とう。敵が平原を馳せまわっておるいまは、得意のところであろうが、われらが討 って出ねば合戦もできす、必ず森の中に陣を移す。その時には、奇計をもって打ち破ってくれる」 韓当はロでは承知しておきながら、内心いたく不満を感じていた。先主は先手を繰り出して戦い をいどみ、さんざんに罵らせたが、陸澄は耳をふさいでそれを聞かぬよう下知して迎え撃っことを 禁じ、みすから各要所を見回って、はやる将士をなだめ、守りを固めるよう命じて歩いた。先主は 呉の軍勢がいっこう討って出ないので、しだいにあせってきたが、馬良がこれを見て言った。 「陸遜は謀略に長けた男にござります。陛下のこのたびのご遠征は、すでに春より夏にわたってお られますが、彼が討って出ぬのはわが軍が戦法を変えるのを待っておるものにござります。この段、 ののし

9. 三国志演義 6

ろから謝旌が躍り出て迎え討ち、両将、三十合の余も渡り合ったすえ、謝旌が逃げ出したので張苞 きんめつきま、かりふる は勢いこんで追いかけた。謝旌敗れたりと見た李異は、あわてて馬を飛ばせ金鍍金の斧を揮って たんゅう 加勢に出で、二十余合も打ち合ったが勝負がっかぬ。呉の部将譚雄は、張苞が武勇すぐれ、李異に は勝っことおばっかないと見てとったので、陣中から遠矢を射かけ、矢は張苞の乗馬に突き立った。 ふかで 馬は深傷を受けて、自陣へ走ったが、門旗までゆき着けすにばったり倒れ、張苞を地面に投げ出し せつな 李異が急いで大斧を打ち揮って進みいで、張苞の頭目がけて振り下ろそうとしたその刹那、紅 の光一閃、彼の首は地面にころがっていた。これは関興が張苞の馬のもどってくるのを見て、加勢 に乗り出したところ、馬が倒れ、李異が迫ったので、大喝一声、馬下に斬り落としたもの。張苞を を救い出し、余勢を駆って孫桓の軍勢をさんざんに打ち破った。 どら 九 かくてこの日は、両軍、銅鑼を鳴らして軍を収めたが、あくる日、孫桓がふたたび軍勢をひきい 。て寄せかかれば、張苞・関興も轡を並べて討って出た。関興が陣頭に出馬して孫桓に戦いをいどん だので、大いに怒った孫桓は馬を躍らせ薙刀を揮って迎え撃ったが、三十余合打ち合ったすえ、カ ちょうなん 物たらず打ち敗れて陣に逃げかえり、二人の大将がこれを追って陣中へ斬りいれば、呉班も張南・ しやせい ふうしゅう 馮習を従え軍勢をひきいて攻めいった。張苞は真っ先駆けて呉の軍中に突きいったが、謝旌に出 回 二会ってひと突きに刺し殺し、呉軍は四散した。蜀の大将が敵を大破して手勢を集めたところ、関興 の姿がない。張苞は仰天して、 四「安国 ( 関興の字 ) に間違いがあったら、わし一人生きてはおれぬ」 と言うなり、矛をひっさげて馬にまたがった。行方を尋ねて数里もゆかぬうち、関興が左手に薙 あんこく くつわ

10. 三国志演義 6

が討ち死にし、溺れ死んだ者、数知れずというありさま。大将たちが奮戦して魏主を救い出した。 あし さらに進むこと三十里たらず、河中一帯に葦の茂ったあたりにはいるや、あらかじめ魚油を注いで あったところへいっせいに火がかけられた。火は追風を受けて燃えくだり、はげしい風にあおられ て、天をこがさんばかりとなって、竜舟の行手をさえぎった。仰天した曹丕が急いで小舟に乗り移 り岸に漕ぎ寄せる間に、早くも竜舟に火が移る。あわてふためき馬にまたがる時、一手の軍勢が殺 到した。真っ先に立つ大将は丁奉である。張遼が馬を躍らせて迎え撃たんとするところ、丁奉の放 たす った矢を腰に受け、徐晃がこれを救けてともどもに魏主を守って落ちのびたが、討たれる者は数知 れず。追手の孫韶・丁奉に馬・車・船・武器なぞ無数を奪い取られ、さんざんな目にあって逃げも どった。かくて呉の大将徐盛は大勝を収め、呉王から重い恩賞にあずかった。張遼は許昌にもどっ て、矢傷がはりさけて死んだ。曹丕がこれを手厚く葬ったことはさておく。 じようしよう ここに趙雲は軍勢をひきいて陽平関を討って出たが、途中、丞相からの書面を受け取った。益 ばちょう ・ - 画・つんい もうかく 州の老将雍闔が南蛮王孟獲と結んで蛮兵十万をおこし、四郡に侵入しているゆえ、馬超に陽平関を 固めさせて趙雲を呼びもどし、丞相みずから南征の軍をおこす所存とのこと。趙雲は急ぎ軍勢をま とめて帰途についた。ときに孔明は成都にあって軍勢をそろえ、みすから南征に出ようとしている。 正に、東呉は北魏に立ち向かい、西蜀は南蛮と戦わんとす、というところ。さてこの勝負はどうな るか。それは次回で。 えき