馬岱 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 7
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1. 三国志演義 7

かんせい と言えば、一同はどっと喊声をあげ、大半が逃げ去った。魏延は烈火の如く怒り、薙刀を揮い馬 2 を躍らせて何平に打ってかかり、何平また槍をしごいてこれを迎えたが、数合せずして、詐って逃 げ出す。魏延は逃さじと追い払ったが、 いっせいに矢を浴びせられて馬首を返した。見れば兵士た ちがてんでに逃げてゆくので、怒り心頭に発し、馬に鞭うって追いすがるなり、数人の者を斬り殺 したが、それくらいのことで止まるものではない。、、 しっと動かずにいるのは、馬岱のひきいる三百 騎ばかりである。 あかっき 「そなたの志はよう分った。事がととのった暁には、きっと礼をするぞ」 と言い、二人して何平を追えば、何平は兵をひきい、後をも見ずに逃げ去った。魏延は残ってい た兵たちをまとめてから馬岱に諮った。 「いったん魏に身を寄せてはどうだろうか」 「これは将軍のお言葉とも思えませぬ。男と生まれながら、王霸の業を打ち建てることも思わす、 しつか 軽々しく人の膝下に屈する法がござりましようや。それがしの見るところ、将軍は智勇兼ねそなえ たお方、西川の者どもなそ足もとにもおよびますまい。それがし、将軍と力を合わせてまず漢中を 取り、勢いに乗って西川へ攻めかかりたく存じまする」 魏延はいたく喜び、馬岱とともに兵をひきいて南鄭 ( 漢中 ) へ攻めかかる。姜維は南鄭の城頭か ら、魏延・馬岱が威風、地を払い風をまいて押し寄せて来るのを見るや、急いで吊り橋を引き上げ させた。魏延・馬岱は、 なんてい むち いつわ ふる

2. 三国志演義 7

てながめ渡せば、羌兵は鉄甲の車をすき間もなく連ねてここかしこに陣を取り、車上に武器を立て 並べてあたかも城のごとくである。しばしの間ながめていたが、打ち破る策も立たないので、陣に もどって張苞・馬岱に諮ると、馬岱が言った。 「とにかく明日、小当たりに当たって、敵のカのほどを見たうえで改めて策を練るがよろしかろ あくる朝、軍勢を三手に分けて正面に関興・左に張苞、右に馬岱が、い っせいに討って出た。羌 えっきっ ちょうきゅう 兵の陣地からは、越吉元帥が鉄鎚を手に腰には宝玉をちりばめた雕弓を掛けて、猛然、馬を躍ら せて進み出たので、関興は三手の軍勢に合図して突き進んだ。と、羌人の軍勢がさっと左右に開く やだま とみるや、真正面から鉄甲車が潮のわくがごとく繰り出し、矢石をいっせいに飛ばして来たので、 蜀軍は大敗して、馬岱・張苞の両名はいち早く引き退がったものの、関興の同勢は羌兵に押し包ま れて西北の方へ揉み立てられた。 関興は真っ只中に取りこめられて右に左に切りまわったが、鉄車が城壁のごとくむらがって切り 抜けることができず、兵士たちも互いを顧みるいとまもない。関興は山あいに退路を求めて走りこ んだ。やがて日が傾くころ、一群の黒旗がひきしめ近づくと見るや、一人の羌人の大将が手に鉄鎚 をひっさげて呼ばわった。 「若僧、逃げるな。わしは越吉元帥だ」 関興は鞭をふるって馬を飛ばせるところ、険しい崖にゆき当たり、やむなく取って返して越吉に むち

3. 三国志演義 7

「丞相にはご在世のみぎりより、とうに貴様が背くことを見越されて、わしに用心するよう申され 四ておったが、今日、果たしてそのとおりとなったな。貴様に、そこで『おれを殺す者があるか』と 三声叫ぶことができたなら、まこと男じゃ。わしはこの漢中の城を開け渡してやる」 魏延はからからと笑って、 「下郎めが、よいか、孔明がおらば、わしも三分がほどは遠慮もしようが、彼も死んだ今は、天下 にわしにかなう者はおらぬ。三声はおろか、三万回でも叫んでやるわ」 と薙刀小脇に、手綱をひかえ、馬上で声高らかに、 「おれを殺す者がおるか」 と叫ぶ。その言も終わらぬうち、うしろで一人、 「わしが殺してやる」 いっせん と大喝一声するや、薙刀一閃、魏延を斬り落とした。一同、あっと仰天したが、魏延を斬ったの は、これぞ馬岱である。もともと孔明は臨終の時、馬岱に計を授け、魏延が叫んだ時に不意打ちに 斬り棄てるよう命じておいたもの。この日、楊儀は錦の袋によって、すでに馬岱が魏延の下に回さ れていることを知ったので、計略どおりにしたところ、果たして魏延は殺されたのであった。後の 人の詩に、 しよかっ 諸葛が先機魏延を識り

4. 三国志演義 7

らし、『そなたはこの道よりわしの息子を助けに参れ』と仰せになったので、急いでやって来たの 関興もおのれの出会った事を物語って、二人は互いに不思議がり、連れ立って帰陣すれば、馬岱 が迎えいれて言うのに、 「あれではとうてい追い払うことはできない。わしが当所を固めておるゆえ貴公らは祁山へいって、 丞相から計略をうかがってきて下されい」 かくて関興・張苞は、夜を日に継いで孔明のもとへ急ぎ、つぶさにこの由を告げた。 ちょううんぎえん 孔明は、ただちに趙雲と魏延に命じて伏勢させておき、その後、三万の軍勢をととのえると、 きようい 姜維・張翼・関興・張苞らを伴い、親しく馬岱の陣におもむいて陣を構えた。あくる日、小高い 岡に登って眺め渡せば、鉄車、連綿と続いて、人馬が縦横に馳せまわっている。 「これしきのものを破るのは雑作ない」 と言って孔明は、馬岱・張翼を呼び、かくかくと命じた。二人が打ち立ったあと、姜維を呼んで、 「伯約、かの車陣を破る法がわかるか」 「姜人はカばかりをたのしみとしておる者。妙計をさとろうはずはござりませぬ」 姜維の答えに、孔明からからと笑い 「ううむ、よくそ申した。かように雲が垂れこめ、北風がはげしくなってきたから、間もなく雪に なるに違いない。わしはそれを待っているのじゃ」

5. 三国志演義 7

150 「この孫礼なる者、かって魏主曹叡に従って大石山に巻狩したおり、かりたてられた猛虎がとっぜ じよう ん曹叡の前に躍り出したので、馬から飛び下りるなり剣で斬り殺し、その功によって上将軍に封じ られた者で、曹真の腹心にござります」 孔明はからからと笑い 「魏の大将め、わが軍の兵粮の乏しくなったのを見越してこんな計を立てたものじゃな。その車に 積んであるのは、燃えやすい草じゃ。日ごろより火攻めを得手としておるこのわしが、火攻めの計 略にかかると思ってか。敵はわが軍が糧秣を奪いに出たと見れば、この陣地へ夜討ちをかけてくる し違いない。敵の計略の裏をかいてやろう」 と言うと、馬岱を呼んで、 「そなたは三千騎をひきいて魏の糧秣のあるところへゆけ。陣にははいらず、風上から火をかける のじゃ。首尾よく焼ければ敵が囲みをかけてくるに違いないから」 ばちゅうちょうぎよく と言い、また馬忠・張嶷にそれそれ五千騎を授けて、中にいる馬岱と呼応して外から挾撃する かんこうちょうほう よう命じた。三人が承知して打ち立ったあと、今度は関興・張苞を呼んで、 「魏の前備えの陣地は四方に通じる岐れ道に構えられている。今夜、もし西の山に火の手があがっ たなら、必ず魏の軍勢はわが陣屋に夜討ちをかけてくるゆえ、そなたたちは敵陣の左右にひそんで おって、敵が陣を出たあとに斬りいれ」 と命じ、また呉班・呉懿を呼んで、 わか だいせき

6. 三国志演義 7

「取るにたらぬ伏勢なそ気にすることはない」 ごうおん と、ひたすら軍勢を促して押し進む。ところへにわかに山がくずれ地が裂けたが如き轟音がして、 羌兵はどっと落し穴にはまりこんだ。あとにひしめく鉄車は、勢いづいていることとて止めること しんがり もならず、そのまま味方の上へのしかかる。殿の軍勢が、あわてて引き返そうとする時、左から 寸、ナ、うしろから姜維・馬岱・張翼の軍勢が斬り 関興、右から張苞が討って出て矢を雨あられと身力。 いったから、さしもの鉄車兵も総崩れとなった。越吉元帥は裏手の谷あいへ逃げこもうとしたが、 待ち受けた関興とぶつかり、ただ一合、彼が大喝一声、振り下ろした薙刀にかかって斬り落とされ 雅丹丞相も馬岱に生け捕られて本陣に引っ立てられ、羌兵は八方に逃げ散った。孔明が幕中に 待ち受けるところ、馬岱が雅丹を連れてくる。孔明は兵士に命じて縄を解かせて、気付の酒を与え てから、やさしい言葉をかけてやった。雅丹がその恩義に感じいると、孔明は、 ちくめい あるじ 「わしの主は大漢の皇帝である。このたびは勅命を奉じて国賊を討ちに参ったものじゃが、そな たはなぜ国賊を助けるようなことをしたのか。今日のところは許してつかわすゆえ、帰国のうえは そなたの主にもよく言いきかせ、隣邦たるわが国と末長く誼みを結んで、二度と国賊の言葉になそ 従わぬようにせよ」 と言い、とりことした羌兵や車馬・武器などいっさいを雅丹に返して国に帰してやれば、一同は 恩を謝して立ち去った。かくて孔明は三軍をひきいて急ぎ祁山の本陣へとって返すこととし、関 興・張苞を先行させるとともに、使者を成都へ立てて勝利を奏上した。 せいと きつけ

7. 三国志演義 7

しばしよう と命じゃった。諸方への下知を終わると、司縣師・司馬昭の二人に兵を授けて先手の陣屋へ加勢 四にゆかせ、おのれは一軍をひきいて北岸の台地へ加勢に向かった。 ばたい さて孔明は魏延・馬岱に渭水を渡って北岸の台地へかかるよう命じ、呉班・呉懿には筏の兵士を おうへいちょうぎよく ばちゅう りようか↓っトうよく ひきいて浮き橋を焼くことを命じ、王平・張嶷を先手、姜維・馬忠を中軍、廖化・張翼を後詰と して兵を三手に分け、渭水の岸の敵本陣に向かわせた。この日の午の刻 ( 昼の十二時前後 ) 、兵馬い っせいに打ち立ち、渭水を渡って陣形をととのえると、しすしすと進み出た。 ここに魏延・馬岱が北岸の台地に近づいた時は、すでに日も暮れ方。孫礼はこれをはるかに眺め ただけで、陣を棄てて逃げ出した。さては敵が備えていたかと、魏延が急ぎ軍を退こうとするおり かんせい しも、四方に喊声どっとわきおこり、左から司馬懿、右から郭淮が討って出る。魏延・馬岱は死に 物狂いでようやく斬り抜けたが、蜀の兵士たちは大半、川に落ちて死に、他の者たちは退路につま って右往左往するばかり。ところへおりよく呉懿が加勢にきて、討ち洩らされた兵士たちを対岸に 運んで陣を取った。呉班は呉懿に半ばを分けて残った者どもをひきい、筏を流れに浮かべて下って きたが、張虎・楽継に岸から矢を雨のように射かけられた。呉班は矢に当たって水中におばれ死に、 兵士たちは水に飛びこんで逃げたので、筏はことごとく魏の軍勢に奪われた。この時、王平・張嶷 は、北岸の台地へ向かった味方の敗れたのも知らず、魏の本陣へ押し寄せてきた。すでに二更ごろ であったが、四方から喊声が聞こえてくる。王平が張嶷に 「北岸の台地の方はどうなっているのだろう。南岸の本陣は目の前にあるが、ここまで来ても、敵

8. 三国志演義 7

都督が正面からかかりますれば、鹵城ごときひと押しにて破れ、孔明も手捕りにできましょ 司馬懿はこれに同意し、二手に分かれて攻め寄せた。 ここに孔明は鹵城にあって小麦を干していたが、とっぜん諸将を呼ぶと、 「今夜、必ず敵が寄せてくる。見たところ、鹵城の東と西の麦畑は、伏勢にまことに好都合と思う のじゃが、ゆこうという者はおらぬか」 「われらが参りまする」 妝 を と、姜維・魏延・馬忠・馬岱の四人が進み出たので、喜んだ孔明が、姜維・魏延に二千騎ずつ与 いしびや 神 えて東南と西北に、馬岱・馬忠にも同じく二千騎ずつ与えて西南と東北にそれそれ伏勢し、石火矢 諸の音を合図に四方からいっせいに討って出よと命じれば、四人は命を受け、兵をひきいて打ち立っ でた。孔明もみずから石火矢を持った兵士百余をひきい、城外の麦畑にひそんで待ち受ける。 出 さて司馬懿が兵をひきいて鹵城間近に迫ったころは、すでに日も落ちていたので、諸将に、 上 隴「もしこれが日中であったなら、城内も備えを固めるところじゃ。夜の闇に乗じて攻めかかろうそ。 回ここは城壁も低く濠も浅いゆえ、ひと押しにて破れよう」 百 と言い、城外にいったん兵を止めた。初更ごろ、郭淮も兵をひきいて到着したので、兵を合わせ 第 てっとう やだま て太鼓の音を合図に鹵城を鉄桶のごとく取り囲んだが、城内から矢石を雨のごとく射かけられて近 寄れない 。ところへ魏の軍勢の中で、合図の石火矢 ( 号砲 ) がたて続けに鳴ったので、全軍あっと

9. 三国志演義 7

この時、孔明は勝利を得て帰陣すると、鄭文を斬り棄てさせ、ふたたび渭水の南岸を攻め取る策 いど 幻を協議した。以来、連日、兵を出して戦いを挑ませたが、魏の軍勢はいっこうに討って出ない。か くて孔明はみずから車に乗り、祁山の前に出て渭水の東西にわたり地形を見てまわった。と、一つ ふくべ の谷の入口に出たので、中にはいって見たところ、形は葫蘆の如く、千人余りはいることができ、 また続いて左右から山が迫って四、五百人ほどはいることのできる一つの谷を作っており、突き当 たりは二つの山がつながって、人ひとりがようやく通れるほどの小路になっている。これを見定め た孔明は、心中いたく喜んで案内人にきいた。 「ここは何と由・すところか」 じようほう , く - 一ろ一く 「ここは上方谷と申し、また葫蘆谷とも呼ばれておりまする」 こちゅう 孔明は本陣にもどり、部将杜叡・胡忠の二人を呼んで耳もとで何事か密計を授けると、軍に従っ ばくぎゅうりゅうば てきた大工千人余りを集めて葫蘆谷にいれ、「木牛」「流馬」を造らせた。また馬岱を呼んで、兵 五百をもって谷のロを固めるよう命じたが、 「大工たちを外に出してはならず、また外の者を中に立ちいらせることもならぬ。わしもたびたび 様子を見に参る。司馬懿を捕えるか否かはこれ一つにかかっておるものゆえ、決して様子を外に洩 らしてはならぬそ」 と言いふくめれば、馬岱は命を受けて立ち去った。杜叡ら両名は谷の中で大工たちの仕事を監督 し、仕様書によって造らせる。孔明は毎日、出向いていって指図した。 とえい

10. 三国志演義 7

「そなたたちはおのおの手勢をひきいて陣屋の外に伏勢し、敵が参ったなら退路を絶て」 と命じた。かくてすべての手はずをととのえると、孔明は祁山の高みに登って待ち受ける。こち ら魏の軍勢は、蜀の軍勢が糧秣を奪おうと陣を出たのを探知するや、あわてて孫礼に知らせ、孫礼 がくちん は曹真へ早馬を立てた。曹真は前備えの陣地へ人をやって、張虎・楽琳に、 あ 「今夜、山の西に火の手があがれば、蜀の軍勢は陣を空けて馳せ向かうに違いない。そなたたちは 討って出て、かくかくせよ」 やぐら と命じ、承知した二人は、櫓に兵士を登らせて、合図の火の手を見張らせた。 受 を さて孫礼は山の西側に伏勢して、蜀の軍勢を待ち受けた。この夜の二更、馬岱は三千騎をひきい、 双人は枚をふくみ、馬はロを縛ってひたひたと山の西に向かってきた。見れば、多くの車がすき間も てなく並んで陣を作り、人影はなく、旗さし物だけが空しく立っている。おりしも西南の風が吹き起 追こったので、兵を陣の南へ駆って火をかけさせれば、またたくまに無数の車に燃え移って、火炎、 ちゅう 軍天に沖する。孫礼が、すわ蜀の軍勢が陣中にはいって合図の火の手をあげたものと思いこみ、手勢 をひきいていっせいに討って出るところ、背後にどっと笛・太鼓が響きわたり二手の軍勢が討って 回 ちょうぎよく 出た。これそ馬忠・張嶷で、魏の軍勢を囲んで揉み立てる。孫礼があっと仰天する時、またして 十 第も魏の軍勢の中に鬨の声があがり、一牟の軍勢が火の光のかげから討って出る。これぞ馬岱。内と 外から揉み立てられて、魏の軍勢はさんざんに討ち崩され、吹きつのる風にあおられた火の手の下 で、人馬ひしめき合って死ぬ者、数知れず。孫礼は傷ついた者どもをひきい、火の海からのがれ出 とき