兵士 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 8
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1. 三国志演義 8

140 ( 坑道掘りの兵士 ) 五百をひきいて、その夜の二更、坑道から左備えの陣地へ至り、裏側から一挙に 討って出ることを命じた。 よろい さて王含・蒋斌は、まだ陣取りがすっかりすんでいないので、魏の夜討ちに備えて鎧のまま寝て えもの いた。と、にわかに兵士たちが騒ぎ出したので、急いで得物を取り馬に飛び乗るところ、陣の外か ら鄧忠が斬りこむ。内外から揉み立てられて、王・蒋二人は、死に物狂いで戦ったものの、ついに かなわすに陣を棄てて逃げた。姜維は幕中にあって、左備えの陣中で鬨の声のおこるのを聞き、内 外に敵勢がいるのに違いないと見たので、急いで馬にまたがると本陣の前に立って、 「みだりに騒ぎまわる者は斬って棄てるぞ。近づく敵があったら、有無を言わせず、射殺せ」 と下知し、右備えの陣へも、騒ぐことのないよう命じゃる。果たして魏の軍勢は十度余りも斬り いろうとしてきたが、いずれも射すくめられて引き返し、明け方まで繰り返して、ついに斬りいる ことはできなかった。鄧艾は軍勢をまとめて陣に引き揚げると、 「姜維は孔明の兵法を、すみずみまで心得ておる。兵士たちが夜討ちにもあわてす、部将たちが変 事を聞いても落ち着きはらっているとは、まことに見上げた大将じゃ」 と、嘆息したものであった。あくる日、王含・蒋斌が討ち洩らされた手勢の者どもをまとめ、本 陣に処罰を請いにまかり出たところ、 「これはそなたたちが仕損じたのではない。わしが地理にくらかったのじゃ」 あらて と姜維は、二人に新手の軍勢を与え、陣を取るよう命じて、討死にした兵士たちの屍を坑道に理 とき

2. 三国志演義 8

移し下されますよう」 と言ったが、司馬懿が、 「公孫淵を捕えるのも、もはや今日明日というのに陣を移す馬鹿があるか。二度とこんな事を言っ てくる者は打ち首にする」 きゅうれん と怒ったので、恐れいって引き退がった。と、間もなく右都督の仇連が、 「兵士どもが水に悩まされておりまする。なにとそ陣を高所にお移し下さりませ」 と願い出たので、司馬懿は大いに怒り、 「わしの命令に従えぬと言うのか」 と、即座に引き出して首を打たせ、首を陣門の外にさらしたので兵士たちは震え上がった。 たきぎ 司馬懿は城南の軍勢をしばらく二十里退かせて城内の軍民が外に出て薪を取ったり、牛馬を放牧 ちんぐん するにまかせた。司馬の陳羣が尋ねた。 じようよう もうたっ 「先に太尉が上庸を攻められた時には、兵を八手に分けてただの八日で城下に攻め寄せ、孟達を 生捕りとして大功を収められましたが、このたびは四万の軍勢をもって数千里の遠方に参りました のに城攻めもなさらず、久しく泥濘の中におられ、しかも今度はまた賊どもに存分に木を切らせた り、牛馬を放させたりなされるとま、、 。しったいどのようなお考えからにござりますか」 彼は笑った。 ひょうろう 「そなたは兵法を知らないのか。前の時は、孟達の兵粮多く兵少ないところ、味方の兵粮少なく

3. 三国志演義 8

あわ 憐れむべし漢に投ぜし夏侯霸 たちまち やもとほろ 頃刻に城辺の箭の下に亡ぶ 司馬望が城内から討って出れば、蜀の軍勢は大敗して逃げたが、ところへ姜維が援軍をひきいて い - 一ろ 馳せつけ、司馬望を追いかえして城下に陣を取った。姜維は夏侯霸が射殺されたと聞いていたく嘆 いたが、その夜の二更のころおい、侯河の城から討って出た鄧艾が、ひそかに一手の軍勢をひきい て夜討ちをかけてきたから、蜀の兵士たちは上を下への大騒ぎとなり、姜維がしずめようとしたも ののとうていおさまらない 。ところへ城内から天をゆるがす笛・太鼓の音とともに司馬望が兵をひ も きいて討って出で、前後から揉み立てたから、蜀勢はさんざんに討ち崩された。姜維は右に左に突 きまわり、ほうほうのていで逃げのびると、二十里あまり退いて陣を取った。蜀の兵士たちは、た 姜維は諸将を顧みて言った。 て続けに破られていたく動揺していたが、 「勝敗は兵家の常。このたび大将を討たれ兵を失ったとはいえ、いささかも憂える要はない。中原 を取るか否かは、この一戦にかかっておるのじゃ。そなたたちも、あれこれ思いまどってはならぬ そ。もし引揚げを口にするような者があれば、容赦せぬからな」 ちょうよく 張翼が進言して、 ひつじよう 「魏の軍勢は、みなここに集まっておりますゆえ、祁山が空になっておるのは必定にござります。将 軍には軍勢をととのえて鄧艾と合戦を続けられ、陽・侯河をお攻め下さりませ。それがし一軍をひ から

4. 三国志演義 8

ることができょ , つ」 と、姜維は廖化を呼んでかくかくと命じ、また張翼を呼んで何事か命ずる。二人が兵をひきいて てっしつり 出てゆくと、兵士たちを使って道に鉄葆藜 ( たくさんの釘を植えつけた玉 ) をまかせ陣のまわりに幾 さケも 1 重にも逆茂木をしつらえて、対陣に備えた。 徐質は連日のように軍勢をひきいて戦いを挑んだが、蜀の軍勢はいっこうに討って出ない 司馬昭のもとに早馬が来て、 てつろう 「敵は鉄籠山の山かげにて、木牛・流馬を使って糧秣を運び、羌兵の到着を待っ備えをいたしてお 奇る模様にごギ、ります」 の司馬昭は徐質に言った。 漢「先に蜀を破ることができたのは、その糧道を絶ったからじゃ。今、蜀の兵士が鉄籠山の山かげで しりぞ れ糧秣を運んでおるとのこと。今宵、五千騎をひきいて糧道を絶って参れ。蜀の軍勢はおのずと退く 。ま 困であろう」 命を受けた徐質が、初更時分に兵をひきいて鉄籠山に来てみれば、果たせるかな、岡の兵士二百 回人余りが、百余頭の木牛・流馬を駆って糧秣を運んでいる。魏の軍勢がどっとおめきかかり、徐質 百が真っ先に彼らの前に躍り出ると、蜀の兵士たちは糧秣を棄て先を争って逃げだした。徐質は兵を 二手に分け、一・手の兵に糧秣を陣に運び帰らせ、残りの一手をひきいて蜀の兵士を追った。と、十 里もゆかぬうち、行手をさえぎって車が積み上げられている。兵士に下馬を命じて車をとりのけさ レス

5. 三国志演義 8

106 っせいに響きわたり、旗さし物がずらりと立ち並ぶ。これぞ魏の軍勢でその中央にひるがえる黄色 の旗には、「鄧艾」と大書されている。蜀の兵士たちが仰天するところ、山上数カ所から、屈強の 者どもが猛然、斬って下ったから、先手の軍勢は総崩れとなり、姜維が中軍の人馬をひきいて馳せ ふもと つけた時には、魏の軍勢はすでに退いていた。姜維はそのまま武城山の麓に寄せかけ、鄧艾に戦い いど を挑んだが、山上からは誰一人出て来ない。兵士たちにさんざんに罵らせておいて、日も暮れかか とどろ ったので退こうとすると、山上に笛・太鼓がいっせいに轟いたが、攻め下る気配はない。山に攻め 登ろうとしたものの、石を雨あられと投げかけられて、とうてい登れない。かくして三更 ( 夜の十 二時 ) まで睨み合っていて、引き揚げようとすれば、山上ではまた笛・太鼓が鳴る。やむなく麓に 屯営することとし、兵士たちに木や石を運ばせて、陣を構えようとするところへ、またも山上に どうてん 笛・太鼓が鳴り響いて、魏の軍勢がなだれのように攻め下りたので、蜀の兵士たちは動顛してわれ りようまっ 先にともとの陣地へ逃げ帰った。あくる日、姜維は兵士たちに糧秣車を武城山に押してゆかせる たいまっ と、それを並べて陣屋の柵とし陣取ろうとした。この夜の二更、鄧艾は五百人に松明を持たせ、二 も 手に分けて山を駆け下りさせると車の列に火をかけさせた。両軍は夜の明けるまで揉み合ったすえ、 陣取りはまた、失敗に終わった。姜維は兵をひきいて退いてくると、夏侯霸に、 じようけい 「南安が取れぬからは、まず上邦を取るがよかろう。かしこには、南安郡の糧秣が貯えられてお るゆえ、かしこを取れば南安もおのずと崩れよう」 おのれ と言い、彼を武城山に残して、己は精兵猛将をひきい、上邦へ急いだ。途中、一泊して、夜が明 ののし

6. 三国志演義 8

8 族は罪せられぬことになっております。将軍はもはや九十日余りもお囲みになっておいでにござり ますれば、あと数日いたさば、大将は軍民をひきいて投降いたしまする。ここに取り敢えず降参の 書面を差し上げまする」 諸葛恪はこれを真に受け、軍勢に城攻めを手控えさせる。張特の方は、呉の軍勢を首尾よく退か つくろ やぐら せるや、城内の家を取り壊し、城壁のこわれかかったところを繕うと、櫓に登って大音に罵った。 りようまっ くだ 「わが城中には、まだ半年分も糧秣がある。呉の犬にむざむざ降ってなるものか。破れるものな ら破ってみよ」 やだま 諸葛恪が大いに怒り、軍勢を駆り立てて攻め寄せるところ、城壁の上から矢石、雨の如く注がれ たす て、その一本が真っ向から額に突き立ったからたまらない、もんどりうって落馬し、大将たちが救 きず けて帰陣したが、思ったよりひどい疵。兵士たちは戦意を失い、加えてきびしい炎暑にさいなまれ て病いとなるものあとをたたず、矢疵ようやく癒えた諸葛恪が、ふたたび攻めかかろうとしたとこ ろ、陣中の役人が、 「兵士たちは、みな病いにかかっておりまする。とうてい戦えませぬ」 と言って出たので、 「二度とさようなことを申す者は、斬って棄てる」 と大いに怒った。兵士たちはこれを聞いて続々と逃げ去った。ところへ、都督蔡林が手勢をひき いて魏に降ったとの知らせ。仰天して、みすから各陣屋を見回ったところ、果たして兵士たちはい こわ さいりん ののし

7. 三国志演義 8

ここに鄧艾は兵をひきいて追ってきたが、行手に蜀の軍勢が旗さし物も整然と、一分の乱れもな くしずしずと退いてゆくのを眺めて、 「あれは武侯の兵法そのままじゃ」 と嘆急し、そのうえ追うことをあきらめて祁山の陣に引き取った。 せいと えつけん さて姜維は成都にもどると後主に謁見し、召還の理由を尋ねた。 ちん 「朕は、そなたが辺境に出陣して久しくなるゆえ、兵士が疲れはせぬかと思ったので、呼びかえし したまでじゃ。別に他意あってのことではない」 死 「臣はすでに祁山の敵陣を奪って、勝利も目前と思っておりましたに、中途でもどらねばならぬと 南は思いもかけませんでした。これは鄧艾の離間の計にかかったものにござります」 っ 後主がはたと黙りこむところ、 を「臣は誓って逆賊を打ち平らげ、国恩に報いる所存に存じまする。小人の言葉なそに耳を傾けて 髦疑いを抱かれるようなことは、切にお控え下されますよう」 後主はややあって、ようやく言った。 かんちゅう 四「朕もそなたを疑ったことなそない。そなたはひとまず漢中にもどり、魏の国内に異変のおこる 第のを待って攻めいるがよかろう」 姜維は嘆息して退出し、漢中へ去った。 と・つがい

8. 三国志演義 8

118 うなことを申せば斬って棄てるそ」 二人は引きさがってくると、天を仰いで長嘆した。 「諸葛誕もこれで終わりか。今のうちに降参して、死を免れるに越したことはない」 かくてこの夜の二更ごろ、二人は城壁を下りて魏に降参し、司馬昭に取り立てられた。かような ことがあって以来、討って出ようと望んでいる者たちも、ロをとざして言わなくなった。 はんらん 諸葛誕は城中にあって、魏の兵士たちが四方に土の壁を築いて淮水の氾濫に備えているのを眺め、 淮水があふれてその土の壁が押し流される時、一挙に討って出て追い払ってやろうと心待ちにして いたが、秋から冬になってもいっこうに長雨になる気配がなく、淮水はいつまでも増水しない。 内の兵粮はもはや底をついた。文欽は小城を息子二人と固めていたが、兵士たちが飢えのために 次々に倒れてゆくの見ていて、やむなく諸葛誕に申し出た。 「兵粮、全く尽きて、兵士たちが餓死しております。北方の兵士たち ( 諸葛誕の旧来の部下をさす ) を城より出して、食い延ばしを計ってはいかがでしようか」 「おのれ、わしを北軍から引き離そうというのは、わしを殺そうとしてだな」 ぶんおうぶんこ 大いに怒った諸葛誕は、刑手に命じて彼を打ち首とした。文鴦・文虎は、父親が殺されたのを見 るや、おのおの白刃をきらめかせて数十人を斬り殺し、城壁から身を躍らせて外に飛び下りると、 濠を越えて魏の陣屋に降参して出た。司馬昭は、前に文鴦ただ一騎のために追い返されたことを根 にもって首を刎ねようとしたが、鍾会から、

9. 三国志演義 8

さんだい 宮中に参内して皇后に謁見したところ、皇后はそのまま宮中に引き留めて、ひと月してはじめて帰 ばっか ( 注こ 宅を許した。劉璞は妻が後主と私通したのではないかと疑い、幕下の兵卒五百人を呼んで並ばせる くっ と、妻を縛り上げ、兵卒一人一人に、履でその顔を何十回もなぐらせたので、妻は何度も気を失っ た。後主はこれを聞いて大いに怒り、係りの者に命じて劉璞の罪を定めさせたが、係りの役人より、 兵士に己の妻をなぐらせたのはよくない、顔をなぐらせたのはよくない、斬首して市にさらすべき みようぶ であるとの答申があった。かくて劉璞を打ち首とし、以来、命婦の参内をいっさい禁じた。しかし、 じ 時の官僚たちは後主の淫乱の所業に恨みを持つ者が多く、かくして賢人は次第に朝廷より少なくな 信 えんう をつて、小人が日ましに力をもつようになってきた。時に右将軍閻宇といって、身に寸功もないのに、 主黄皓にへつらうことで重職にありついた者があったが、姜維が祁山に出陣していると聞くと、黄皓 てをそそのかして後主に奏上させた。 詔「姜維はたえて勝ったためしがござりませぬゆえ、閻宇に代わらせるがよろしゅうござります」 ちよくし 師後主はこれに従い、勅使を遣わして姜維を呼びもどした。姜維はおりしも祁山にあってきびしく 攻めたてていたが、引揚げを命ずる詔が日に三通ももたらされたので、勅命にそむくわけにもゆか 回 五す、まず溌陽の軍勢を退かせておいてから、張翼とともにしずしずと引き揚げた。鄧艾は陣中にあ 第って、ある夜、夜どおし笛・太鼓が鳴り響くのを耳にして、何事ならんと思っていたところ、夜が たくら れ明けると、蜀勢が一兵あまさず引き揚げて、陣地だけが残っているとの知らせがあったが、企みが あるのではないかと疑って、追討ちをかけるのを差し控えたのであった。 おのれ えつけん

10. 三国志演義 8

せるところ、にわかに左右に火の手があがったので、急いで引き返してくれば、山の迫った谷あい うずま に車が積み上げられていて、火が渦巻いている。徐質らは煙を衝いて駆け出ようとしたが、とっぜ いしびや ん、石火矢の音一発、左から廖化、右から張翼、二手の軍勢が殺到して、さんざんに駆け散らす。 徐質はただ一騎、死に物狂いで斬り抜けたものの、人馬とも綿のように疲れきっていた。 えもの 一散に逃げてゆくところ、正面から一手の軍勢が殺到した。これそ姜維。徐質が仰天して得物を 取りなおすいとまもなく、姜維が槍を繰り出して彼の乗馬をひと突き、徐質が馬もろともに倒れる ところへ、兵士たちが寄ってたかって斬り殺した。この時、徐質が手を分けて糧秣を運ばせていた よろい 者どもも、夏侯霸に襲われて降参していた。夏侯霸は魏の兵士たちの鎧から馬まですべて取り上げ、 蜀の兵士にその鎧を着せて馬に乗らせると、魏のしるし旗を先頭に、間道ぞいに魏の陣屋へ殺到し た。魏の兵士が味方のもどったものと思いこんで陣門を開けたところを、蜀の軍勢が手当たり次第 に陣中を斬りまわったので、仰天した司馬昭があわてふためいて馬を飛ばせば、行手から廖化が殺 到する。やむなく、急いで引き返せば、ここにも姜維が兵をひきいて間道から討って出た。四方を 囲まれたとみて司馬昭は、もはやこれまでと手勢をひきいて鉄籠山へ駆け登って陣を取った。もと もとこの山には道が一本あるだけで、四方は切り立った崖となり、山上には百人ほどしか飲めぬ泉 が一つあるきり。この時、司馬昭の手勢は六千あまり、姜維に四方から囲まれて水がたらす、人馬 のどかわ はたちまち喉の渇きに苦しみはじめる。司馬昭は、天を仰いで長嘆した。 「ああ、わしの命もこれまでか」