「明日、そなたが正面から彼と陣法を戦わしている隙に、わしが一手をひきいて祁山の裏手に回り こむ。前後から揉み立てれば取りもどすことができよう」 ていりん かくて鄭倫を先鋒として鄧艾みずから祁山の裏手に回ることとし、一方、使者を姜維のもとにや って挑戦状を届けさせ、明日、陣法を戦わせようと言いやった。姜維は、承知の旨を書き付けて使 者をかえすと、諸将に言った。 「わしが武侯より伝授された密書には、この陣立てに、全天の数に合わせて三百六十五の変化がの とうろうおの せられている。わしに戦法を戦わせようなどと申しいれるとは、まさに『蟷螂の斧』というものじ をや。じゃが、この挑戦には裏があるが、誰かそれがわかるか」 孫「これは、わが軍と陣法を戦わせるがごとく見せかけておいて、一軍をもって背後から衝こうとし めているのではござりませぬか」 を 廖化の一一一一口葉に、姜維は笑って、 計 奉「おお、よくぞ申した」 と、ただちに張翼・廖化に、兵一万をひきいて山の裏手に伏勢するよう命じた。 回 = 一あくる日、姜維は九つの陣屋の軍勢をことごとく繰り出して祁山の前に布陣した。司馬望は軍勢 第をひきいて渭水南岸から祁山の前に進むと、陣頭に出馬して姜維を呼び出す。姜維が、 昭「貴様から言い出したからは、まず貴様から陣を布いてみよ匸 はつか と言えば、司馬望はたちまち八卦の陣を布く。姜維はからからと笑った。 すき
つけた。 さて姜維が牛頭山に近づくと、にわかに先手の軍勢に鬨の声があがり、魏の軍勢が行先をさえぎ ったとの知らせ。あわてて馬を乗り出だせば、陳泰が、 「雍州を取るつもりで参ったか。待っていたぞ」 と大喝する。姜維は大いに怒り、槍をしごき馬を躍らせてまっしぐらにうちかかれば、陳泰また 薙刀を揮って迎え撃ったが、三合とせすにかなわすに逃げ出し、姜維は兵を駆って揉みたてる。雍 ふもと 州の軍勢は山の頂に逃げ登って陣を取り、姜維は軍をまとめて牛頭山の麓に陣取った。それより連 日、兵を繰り出して戦いを仕かけたが、なかなか勝負がっかない。夏侯霸が、 「ここに長居は無用でござります。毎日のように戦いながら勝負を決めようとしないのは、われら をここに引きつけておく敵の策略、何かの企みがあるに相違ござりませぬ。いったん兵を退いて出 直す方がよいのではござりませぬか」 と言うおりしも、郭淮が一軍をひきいて溌水に出、糧道を絶ったとの注進。仰天した姜維は、急 いで夏侯霸に先手を命じて引揚げにかかりみずから後詰となった。陳泰はすかさず兵を五手に分け て追討ちに出たから、姜維は僅かの手勢をもって五手の追手を一手に引き受けることになり、陳泰 やだま の軍勢は山の上から矢石を雨あられと浴びせてくる。急いで水まで退いてくるところ、郭淮が兵 てっとう をひきいて殺到したので、姜維は縦横にあばれまわったが、魏の軍勢はあたかも鉄桶の如く退路に さきて とき ひ
けには陣を布いて待ちかまえた。、、、、 カ鄧艾の陣中は旗さし物も見えず、音もなく静まりかえって人 なきがごとくである。姜維は日暮れまで待って引き揚げた。あくる日、ふたたび挑戦状を送って違 しゅ・・ ) う 約をなじれば、鄧艾は使者に酒肴を出して、 「いささか身体の具合が悪かったため、心ならずも約束にそむいたが、明日は必ず戦うであろう」 と返事した。あくる日、姜維はふたたび兵をひきいて出陣したが、鄧艾は相変わらず出てこない ふせん かくすること五、六度におよんで傅僉が姜維に言った。 たくら 「これは企みがあってに相違ござりませぬ。用心が肝要にござります」 「察するところ、関中の軍勢が到着するのを待って、三方からわが軍を攻めようとしておるに相違 ない。使者を東呉の孫貅にやって、向こうからも攻めかからせよう」 姜維が言うおりしも、早馬が到着して、 「司馬昭は寿春を攻め破って諸葛誕を討ち取り、呉の軍勢はすべて降参いたしました。彼はすでに 洛陽に引き揚げ、長城へ加勢に参らんといたしております」 との注進。姜維は仰天して、 がぺい 「今度の討伐も、また画餅に帰したか。ままよ、 いったん引き揚げよう」 よたび 正に、四度いずれも功ならず、今また無念の涙のむ、というところ。さて姜維、いかにして兵を 退くか。それは次回で。
を斬りぬけ、本陣に走りこむと、ひたすら守りを固めて援軍を待った。ところへ早馬が来て、 しようじよ ふせん 四「鍾会が陽安関を破って、蒋舒は降参、傅僉は討ち死にし、漢中もすでに魏に奪われました。楽 おうがん しようひん 城の王含、漢城の蒔斌も、漢中の落城を知って、城をあけ渡しましてござります。胡済はささえ きれず、成都へ加勢を求めに参りました」 きようせん 姜維は仰天して、すぐさま、陣払いを下知した。この夜、疆川の渡しまで - くると、前に一手の 車勢が控えている。真っ先に立っ魏の大将は、これぞ金城の太守楊欣であったから、怒った姜維が 馬を飛ばせて打ちかかれば、ただ一合にして、楊欣はまっしぐらに逃げ出した。姜維は弓をとって つづけざまに三度射かけたが、いずれもはすれたのでますますいきりたち、弓をへし折るや、槍を しごいて追いかけた。、 : が馬が前足を折って、地面へ振り落とざれる。それと見て楊欣は馬をかえ し、姜維目がけて駆けつけたが、姜維はひらりと立ち直るなり、繰り出す槍で楊欣の馬の頭を突き たす 通し、押し寄せた魏の兵士たちが楊欣を救けて逃げもどる。姜維がそえ馬に飛び乗り、あとを追お うとするおりしも、背後から鄧艾の軍勢が迫ったとの知らせがあり、前後に敵を受けてはかなわぬ ので、兵をまとめて漢中を奪い返しにゆこうとした。ところへ、物見の者より、 「雍州の刺史諸葛緒がすでに退路にまわっております」 との注進。やむなく山中の難所に陣を取れば、魏の軍勢は陰平の橋のたもとに陣を布いた。姜維 が進退きわまって、 「わしは天に見離されたか」 ・一寺一い し
仰天した姜維が、夏侯霸を呼んで諮ると、 「それがし、たしか前に申し上げたはずでござりますが、鄧艾は弱年の頃より兵法に明るく、地理 に通じておった者。彼が大将となって参ったからは、なかなかの強敵にござりますそ」 「敵は遠路はるばるやって来たものゆえ、息つく間を与えずに揉み立ててやろう」 と、姜維は、張翼を留めて城攻めに当たらせ、夏侯霸には陳泰を迎え撃つよう命すると、みすか ら兵をひきいて鄧艾を迎え撃った。ゆくこと五里たらず、とっぜん、東南の方にあたって石火矢の 音一発、笛・太鼓、地をゆるがせ、天に沖する狼煙があがる。 はか 「鄧艾め計りおったな」 と、あわてた姜維は、夏侯霸・張翼に狄道を棄てて退くことを命じ、全軍、漢中に向けて引き退 退 けんかく ごづめ を がって来た。姜維はみずから後詰をしたが、背後の太鼓の音は、いつまでもついてくる。剣閣道ま 雄で退いた時になって、はじめて二十余力所の狼煙や太鼓が疑兵の計と知ったのである。かくて姜維 しようてい 単は軍をまとめ、鍾提に屯営した。 さて後主は、姜維が溌水の西岸で大功をあげたので、詔を下して彼を大将軍に封じ、姜維はこれ 文 回を受け、上奏文をのばせて礼を述べるとともに、ふたたび魏討伐の軍議をもよおす。正に、手柄立 十 百てるに蛇足はいらぬ、逆賊討つに虎威を惜しまず、というところ。さてこのたびの北伐はどうなる 9 か。それは次回で。 ちゅう かた
「無念、逃げられたか」 と、姜維が馬を飛ばせてこれを追ったが、陣門まで迫った時、一人の大将が薙刀をひっさげ出馬 「下郎、控えろ。鄧艾これにあり」 とうちゅう 姜維はあっと仰天したが、先の白面将軍こそ鄧艾の子、鄧忠だったのである。姜維は心中、彼 の手並みをたたえ、なお鄧艾と渡り合おうとしたが「馬の疲れが気になったので、鄧艾に指をつきっ 死 おやこ 「今日はじめて貴様たち父子の顔を知った。互いに兵を退いて、明日、改めて雌雄を決しよう」 節 詮鄧艾も戦い利あらずと見て、馬をひかえ、 ひ ひきよう て「そうとあらば互いに兵を退こう。卑法なまねはすまいぞ」 っ 救かくて両軍は兵を退き、鄧艾は渭水のほとりに陣取り、姜維は二つの山にまたがって陣を布いた。 を 春鄧艾は蜀勢の陣取りを見ると、司馬望に書面をやった。 かんちゅう 「ここは決して戦わす、ひたすら守りを固めるよう。関中の軍勢が着くころには、岡勢の糧秣も 回 二尽きるゆえ、三方から揉み立てれば勝利は疑いない。城内へは加勢として長男鄧忠をつかわす。司 第馬昭殿にも加勢を求める」 さて姜維は、使者を鄧艾の陣屋に遣わして挑戦状を届け、明日、合戦をおこなおうと申しいれた。 鄧艾はいつわって承知する。あくる日の五更 ( 朝の四時 ) 、姜維は全軍に兵粮をとるよう触れ、夜明 ひ
220 でんしゃ こうおうりゅうぜん 終に降王 ( 劉禅 ) の伝車を走らすを見る かんがく はず 管・楽・才有りて終に忝かしめず かんちょう いかん 関・張命無し何如ともなしがたし きんり しびよう 他年錦里に祠廟を経ば りようほぎん 梁父の吟成して恨余りあらん しようけん ちよくめい ここに、太僕蒋顕が剣閣に至って姜維に対面し、後主の勅命を伝えて、降参したことを伝えれ ばうぜん ばっか ば、姜維は呆然自失して言葉もなく、幕下の諸将はこれを聞いてこぞって怒り狂い、歯をかみなら まなじり し、眥を決し、髪の毛を逆立てて剣を抜き放ち、石に斬りつけて、 「われらが命をまとに戦っているのに、どうして降参なそしてしまったのか」 と泣き叫ぶ。その声は数十里に響きわたった。姜維は人々の心がなお漢より離れていないのを見 て、これをなだめた。 「皆の者、嘆くのは早いぞ。わしに漢室再興の計略がある」 一同が尋ねると、姜維はみなの耳もとで、その計略をささやいた。かくて、すぐさま剣閣に降参 し、よう力い 4 っしムうよくりようか の旗を立てつらねると、ます人を鍾会の陣屋へやり、姜維が張翼・廖化・董厥らをひきいて降参 すると申しいれさせる。鍾会はいたく喜び、姜維を幕中に迎えいれさせた。 「伯約、なぜ今ごろまでぐずぐずしておったのか」 は′、や′、 うらみ とうけっ
172 姜維は漢中まで急いで引き揚げてくると、軍勢を休ませておいて、使者とともに成都におもむい て後主に謁見しようとした。しかし、後主は十日たっても朝廷に出ない。いたく不審に思っていた ひしよろうげきせい が、たまたまこの日、東華門のところで秘書郎の郤正とゆき会ったので、 「貴公は天子がわしを召還された理由をご存じかな」 ときくと、郤正は笑って、 - 一う、一う えんう 「なんと、大将軍にはまだご存じなかったのでござりますか。実は、黄皓めが閻宇に手柄を立てさ とうがい せようと思って天子に奏上し、詔を出して将軍を呼びもどしたのでござりますが、鄧艾がなかなか の智将と聞き、そのまま沙汰やみとなっているのでござります」 かんがん 「ううむ、あの宦官めをぶち殺してくれる」 と、姜維がいきりたっところ、 「あいや、大将軍は武侯なきあとの大任を引き継がれたお方、さような軽率な振舞いはお控えあそ ばされますよう。もし天子のお許しがおりなければ、かえって大事になりましようそ」 言われて姜維は頭を下げ、 「、かにも先生の仰せのとおりでござった」 あくる日、後主が黄皓とともに後園で酒盛りをしていたところ、姜維が数人の者を従えてはいっ てきた。これをいち早く黄皓に知らせた者があったので、彼は急いで築山のかげに身を隠す。姜維 は亭の下まで来て、後主に拝謁すると、泣きながら、 つきやま
126 姜維はさらに乾いた薪を城壁のまわりに積み上げさせ、いっせいに火をかけさせれば、紅蓮の炎、 ちゅう 天に沖し、城は今にも落ちんばかりとなって、城内の魏の兵士たちの号泣の声、四方の野にこだま きびしく攻めたてるおりしも、にわかに背後に天地をゆるがす鬨の声がおこったので、姜維が馬 を止めて顧みれば、魏の軍勢が太鼓を打ち鳴らし、旗押し立てて、堂々と押し寄せてきた。ただち * 」きて に後詰の軍勢を先手とし、みすから門旗の下に立って待ち受けるところ、魏の陣中から一人の弱年 よろいかぶと の大将が、鎧兜に身を固め、槍を小わきに馬を躍らせて進み出た。年のころは二十歳余り、顔は おしろい くちびる だんおんじよう 白粉をはたいたがごとく、唇は朱を塗ったかと思うばかりなのが、大音声に、 とう 「鄧将軍を知っておるか」 とう力い 「これが鄧艾であったか」 と、思った姜維、槍をしごいて出馬した。二人はここを先途と三、四十合も打ち合ったが、勝負 がっかぬ。かの白面将車の槍先にいささかの乱れもないのを見た姜維は、心中「まともに打ち合っ ても、勝ち目はない」と思い、馬首をかえして左側の山道へ走りこんだ。白面将軍が追ってくると ちょうきゅう ころ、姜維はひそかに鋼の槍を鞍にかけ、彫弓を取るなりひょうと射かけたが、白面将軍は早く もこれを見てとり、弦音とともにさっと伏せて矢をやりすごす。姜維が振り返るとき、白面将軍が 早くも身近に迫って、槍を繰り出した。体をひらいて、槍が肋のわきをかすめるところ、すかさず 腕ではさみつけたので、白面将軍は槍を棄てて、自陣へ逃げもどる。 たきぎ とき ぐれん
をしごいてこれに続こうとするや、あっと一声、人馬もろとも落し穴に落ちこんだ。ところへ、陳 泰が背後から、郭淮が左から衝きいったから、羌兵は右往左往、押しあいへしあいして踏み殺され る者、数知れず、生き残った者たちはすべて降参した。俄何焼戈は、みずから首を刎ねて死んだ。 郭淮・陳泰は時を移さす羌人の陣屋に押し寄せる。迷当大王は、急いで外に出て馬に乗ったところ を魏の兵士に捕えられ、郭淮の前に引き据えられた。郭淮があわてて馬を下りその縄を解いてやっ て、 よみ 「天子にはかねて貴公の忠義の心を嘉しておられたのに、今更、蜀を助けるとは何事でござるか」 奇 と言えば、迷当がいたく恥じいって罪を詫びたので、 の 「これより貴公が先手となって鉄籠山の囲みを解き、岡の軍勢を追いのけてくれるなら、身どもよ 将 漢 り重いご沙汰を賜わるよう奏上いたすでござろう」 て れ と説きつけた。 困承知した迷当が、先手となって羌兵をひきい、魏の軍勢がその後について鉄籠山へ馳せ向かった が、先立って姜維に知らせれば、姜維は大いに喜んで本陣に通すよう命じる。魏の兵士たちが、羌 とんえい 回人の中にまじって蜀の陣地の前に着くと、姜維は陣の外に屯営するよう命じ、迷当は百人余りをひ 百きいて本陣に通った。姜維・夏侯霸が迎えに出たところを、魏の大将たちが迷当が口を開くのも待 3 たずに一挙に斬って出たから、仰天した姜維は馬に飛び乗って逃げ、そこへ羌兵・魏の兵がいっせ いに衝きいったから、蜀の兵士は四分五裂、てんでに逃げ去った。姜維は身に寸鉄も帯びず、わす