張翼 - みる会図書館


検索対象: 三国志演義 8
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1. 三国志演義 8

祁山を助けに向かったもの。鄧忠は城にとってかえす。姜維は諸将を呼んで、 「鄧艾が夜戦を仕かけるかの如く見せかけてきたのは、祁山の陣地を救いにいったものに違いな と言い、傅僉に命じた。 「そなたはこの陣地を守っておれ。決して討って出るではないそ」 かくて、みすから三千騎をひきいて張翼の加勢に馳せ向かう。 し一ん 、。もはや破れるかに さて張翼は祁山に攻めかかったが、留守の大将師纂は無勢ゆえ防ぎきれなし 思えたとき、忽然として鄧艾の軍勢が現われ、さんざんに蜀勢を駆け散らして張翼を山かげに取り こめ、退路を絶ってしまう。張翼があわてふためくところへ、にわかにどっと鬨の声がわき、笛・ 太鼓の音が天をゆるがせるとみるや、魏の軍勢がばらばらと引きさがり、左右の者が、 「大将軍姜伯約さまがお出で下さりました」 と注進したから、張翼は勢いに乗り兵を駆って進み出た。前後から揉み立てられた鄧艾はさんざ んに討ち崩されて祁山の陣地に逃げこみ、ひたすら守りを固める。姜維は四方からひしひしと取り 囲んで攻めたてた。 か・れがん - 一′ - 一ら・ 話かわって、ここに後主は成都にあって、宦官黄皓の甘言にまどわされ、またも酒色にふけって、 りゅうえん まつり ) 一と 政事をないがしろにしていた。時に大臣劉璞の妻胡氏は、生まれつききわめて美しかったので、 ふせん こっぜん せいと とき

2. 三国志演義 8

148 め、、うか さて、姜維が陣払いを下知したところ、廖化が、 みことのり 「『大将は外にあらば、君命をも受けざるところあり』と申します。たとい詔をいただいたとは いえ、今は動くべきではないと存じます」 ちょうよく と言ったが、張翼は、 しよく こんにち 「蜀の人民は大将軍が連年、出兵されていることを恨んでおります。今日、勝利を得たのはかっこ ・一う・と うのおりゆえ、 いったん引き揚げて民心を安んじ、改めて後図を策したほうがよいと存じます」 と言う。姜維は、 とうなすき、各車、順々に引き揚げるよう下知し、廖化・張翼に後詰を命じて、魏軍の追討ちに 備えさせた。 そうばう か 曹髦車を駆って南闕に死し ロきようい かてす 第百十四ロ 姜維糧を棄てて魏兵に勝っ きようい なんけっ

3. 三国志演義 8

おうけい ちんたい 雍州の刺史王経・副将軍陳泰に注進したから、王経はとりあえす歩騎七万の軍勢をおこして、迎え 撃った。姜維は張翼にかくかくと命じ、夏侯霸にも何事か命じた。二人が承知して打ち立っと、 おのれ 己は大軍をひきい、溌水を背にして陣を取った。王経は部将数人をしたがえて出馬し、 ていそく 「魏と呉・蜀とは、すでに鼎足の形をなして定まっておる。貴様は、なにゆえ、たびたび攻めいっ たりするのか」 おのあるじ 「司馬師はいわれもなく己が主を廃した。隣邦として当然、黙って見逃すことのできぬことじゃ。 きゅうてき しかも仇敵の国ではないか」 ちょうめい かえいりゅうたっしゅほう 王経は張明・花永・劉達・朱芳の四将を顧みた。 「蜀の軍勢は水を背にして陣を取っている。いったん敗れたら、一人残らず溺れ死ぬばかりじゃ。 姜維は剛の者ゆえ、そなたたちは四人していっせいにかかれ。彼がもし一歩でも退いたら、すかさ す追い討て」 四人は左右に討って出て、姜維に挑みかかった。姜維は数合も渡り合うや、不意に馬首を返し、 本陣目指して逃げ出したから、王経は大軍に下知していっせいに追討ちに出た。姜維は軍勢をひき いて溌水の西岸へ逃げて来たが、流れに近づくや、将士に叫んだ。 「これでは死あるのみだ。しつかりせぬか」 ひるがえ 諸将は一時に奮い立ち、身を翻してどっとうちかかれば、魏の軍勢はさんざんに斬り立てられ る。ところへ、張翼・夏侯霸がその背後にまわりこんで、左右から討って出るなり、ひしひしと取 いど

4. 三国志演義 8

194 聞き、それがし一存で兵をおこし、加勢に参りましたが、陽安関はすでに鍾会に奪われており、将 軍も囲まれておられると聞き、加勢に参ったのでござります」 はくすい と言うので、兵を合わすと白水関へ向かおうとした。すると廖化の言うのに、 「もはや四方敵に囲まれ、糧道も絶たれておりますゆえ、 いったん剣閣まで退いて後図を策するが よいと存じます」 姜維が思いまどって心を決めかねているところへ、鍾会・鄧艾が兵を十手余りに分けて押し寄せ てくるとの知らせ。張翼・廖化と手分けして迎え撃とうとしたが、廖化が、 「白水はせまい道ばかりで、合戦をする場所ではござりませぬ。ともかく剣閣に退いて守りを固め るがよろしゅうござります。もしかしこを失えば、帰る道もなくなりますぞ」 と言ったので、ついにこれにしたがい、兵をひきいて剣閣へ退いてきた。関に近づくところ、に わかに笛・太鼓の音がいっせいに鳴りひびき、どっと喊声がわいて、旗さし物が林立するとみるや、 一手の軍勢が関の前に立ちふさがる。正に、漢中の難所すでに落ち、剣閣に風波まき起こる、とい うところ。さてこの軍勢は。それは次回で。 注一相国参軍相国に属する参軍。司馬昭は元元年相国となる。 一一左将軍張翼前に「左車騎将軍」とある方が正しい。廖化も同じ。

5. 三国志演義 8

後主はこれを聞き届けて、姜維に魏討伐の軍をおこすことを命じ、姜維が漢中に至って軍勢をと ちょうよく とのえるところ、征西大将軍張翼が言った。 「わが蜀は国土狭く、銭糧も豊かではなく、遠征は不利と存じます。むしろ分を守って要害を固め、 軍民をいたわってやることこそ、国を保つ万全の計と存じますが」 さんぶん じようしようばうろ 「それは違う。むかし丞相は茅廬にいながらにして、すでに天下三分の大計を定められたが、し たお しし仆れ、つ かも六度まで祁山に出陣して中原回復を意図せられた。しかるに中道にして不幸、病、 いに望みを達することができずに終わられたもの。わしは丞相のご遺命をいただいた者として、尽 すき 忠報国、ご遺志を継がねばならず、たとい死すとも思い残すことはない。今、魏に乗ずべき隙がで けきておるというのに、みすみす見逃してしまっては、またとおりはあるまいか」 か、一うは を姜維が言えば、夏侯霸も、 ろうせい ふかん 雄「さよう。まず軽騎をもって枹罕に出で、水の西の南安を落とすことができれば、隴西の諸郡を 単一挙に手中にできましよう」 文すると張翼が言った。 回「これまで勝っことができずにもどったのは、いずれもわが方の出陣が立ち遅れたからでござりま 百す。兵法にも『その備えなきを攻め、その不意に出する』とござりますが、これよりただちに兵を 5 進めて、魏の者どもに備えるいとまを与えませねば、勝利は疑いござりませぬ」 ふかん かくて姜維は、兵五万をひきい、枹罕目指し打ち立った。水まで至ると、国境を守る軍勢が とう なんあん ・、一」ギ、かい

6. 三国志演義 8

仰天した姜維が、夏侯霸を呼んで諮ると、 「それがし、たしか前に申し上げたはずでござりますが、鄧艾は弱年の頃より兵法に明るく、地理 に通じておった者。彼が大将となって参ったからは、なかなかの強敵にござりますそ」 「敵は遠路はるばるやって来たものゆえ、息つく間を与えずに揉み立ててやろう」 と、姜維は、張翼を留めて城攻めに当たらせ、夏侯霸には陳泰を迎え撃つよう命すると、みすか ら兵をひきいて鄧艾を迎え撃った。ゆくこと五里たらず、とっぜん、東南の方にあたって石火矢の 音一発、笛・太鼓、地をゆるがせ、天に沖する狼煙があがる。 はか 「鄧艾め計りおったな」 と、あわてた姜維は、夏侯霸・張翼に狄道を棄てて退くことを命じ、全軍、漢中に向けて引き退 退 けんかく ごづめ を がって来た。姜維はみずから後詰をしたが、背後の太鼓の音は、いつまでもついてくる。剣閣道ま 雄で退いた時になって、はじめて二十余力所の狼煙や太鼓が疑兵の計と知ったのである。かくて姜維 しようてい 単は軍をまとめ、鍾提に屯営した。 さて後主は、姜維が溌水の西岸で大功をあげたので、詔を下して彼を大将軍に封じ、姜維はこれ 文 回を受け、上奏文をのばせて礼を述べるとともに、ふたたび魏討伐の軍議をもよおす。正に、手柄立 十 百てるに蛇足はいらぬ、逆賊討つに虎威を惜しまず、というところ。さてこのたびの北伐はどうなる 9 か。それは次回で。 ちゅう かた

7. 三国志演義 8

り囲んだ。姜維は勇躍して魏の勢の中に斬りいり、右に左に駆け散らせば、魏の兵士たちは総崩れ となり、押し合いへあいして半ば以上が踏み殺され、水に追い落とされる者、数知れず、首を ししるいるい 取られた者は一万余、死屍累々と重なって数里におよんだ。王経は討ち洩らされた兵士百騎余りを てきどう ひきいて、ようよう斬りぬけ、一散に狄道城へ逃げこむと、固く門を閉じた。姜維が大勝を収め、 ねぎら 兵士たちを犒ってから、狄道城へ攻めかかろうとすると、張翼が諫めた。 とどろ 「将軍にはすでに大功をあげられ、ご威名を天下に轟かせたのでござりますから、これでおやめに なるがよろしゅうござりましよう。このうえ進んで、万が一、不覚をとるようなことがあったら、 蛇を描いて足を添えるようなことになりますそ」 「なにを馬鹿な。先には、戦いに敗れながらも、なお進んで中原を馳せめぐらんと思ったはどであ 退 をつここ、 オ。今日の溌水の一戦では、魏の者どもの胆をとり挫いでくれたのじゃぞ。狄道ごとき、わし 雄 よりすればひと押しで取れる。気の弱いことを言うものではない」 単張翼はなおも再三、諫めたが姜維は耳もかさず、ついに兵をひきいて狄道城へ寄せかけた。 文 さて雍州にあった征西将軍陳泰は、おりしも兵をおこして王経の敗戦の仇を討とうとしていたと えん 回ころ、思いがけなく州の刺史鄧艾が軍勢をひきいて到着した。陳泰が迎えいれて挨拶を終わると、 百鄧艾の言うのに、 「このたびは大将軍の命を受け、ご加勢に参上っかまつりました」 陳泰が計略を尋ねると、 ひし

8. 三国志演義 8

と、長嘆した時、副将甯随が言った。 「魏の軍勢が陰平の橋のたもとをさえぎったとは申せ、雍州に残っている軍勢は数少ないに違いご ・」うかん・一く ざりませぬ。孔函谷より一挙に雍州をつきますれば、諸葛緒が陰平の軍勢を引き払って雍州を救いに け′れ・鶸・、 もどるは必定。そこで剣閣に馳せもどって立てこもりますれば、漢中も取りもどせると存じます」 し , い、ただちに軍勢をひきいて孔函谷に向かうと、雍州攻めの構えを見せた。間者が 姜維これこ従 これを諸葛緒に注進すれば、仰天した緒は、 「雍州はわしが守らねばならぬところ。もし取られでもすれば、重いおとがめをこうむるであろ 分 と、わずかな軍勢を橋のたもとに残し、大軍をあげて南の道から雍州を救いにおもむく。姜維は 道 中北の道にはいって三十里ばかりもいったが、魏の軍勢が打ち立っころを見はからってただちにとっ を てかえし、後詰を先手として橋のたもとに殺到した。案の定、魏の大軍は去ったあとで、ひと握り 兵 会の軍勢が守っているばかりであったから、ひと押しに駆け散らして陣屋を焼き払う。諸葛緒が橋の たもとに火の手があがったと聞いて引き返してきた時は、姜維の軍勢が通った半日もあとのこと。 回 六仕方なく追うのをあきらめた。 百 ここに姜維が同勢をひきいて橋を渡り、はせもどってくるおりしも、行手に一手の軍勢が近づい 第 た。これそ左将軍張翼、右将軍廖化である。どうしたのかときくと、張翼が、 ・一う - 一うみ , 一 「黄皓は巫女の言葉なそを信じて、軍勢を出すことを承知いたしませぬ。このたび漢中が危ういと

9. 三国志演義 8

太傅司馬孚は王の格式をもって曹髦を葬ることを願い出で、司馬昭はこれを許した。かくて賈充 らが魏の禅りを受けて、天子の位につくよう司馬昭に勧めると、彼が、 「むかし ( 周の ) 文王は天下を三分してその二まで有しながら、殷に臣事したゆえ、聖人も至徳の そうそう 人としてたたえたのじゃ。魏の武帝 ( 曹操 ) が漢の禅譲を受けようとしなかったのは、わしが魏の 禅譲を受ける気のないのと同じ心からじゃ」 しばえん と言ったので、彼が子の司馬炎を天子にする心でいるのをさとり、二度とこれを勧めようとはし ナいげーれ じようどうきようそうこう いなかった。この年の六月、司馬昭は常道郷公曹璞を立てて帝とし、元元年と改元した。曹瑣は じようしよう えんう あざなけいしよう 死 即位して奐と改名した。字は景召、武帝曹操の孫、燕王宇の子である。奐は司馬昭を丞相・晋公 びき 南に封じて、銭十万貫、絹一万疋を賜い、その余の文武百官にもそれぞれ加増の沙汰をした。 っ ようりつ を この由は早くも間者によって蜀に報じられた。姜維は司馬昭が曹髦を弑して曹奐を擁立したと聞 髦くや、 「これで魏を征伐する名目ができた」 回 あるじ 四 と小躍りし、ただちに呉に書面を送って、司馬昭が主を殺した罪をただすための軍をおこすよう 十 りようまっ 第促すとともに、後主の裁可を仰いで十五万の大軍をおこし、車輛数千に糧秣の箱を積みこみ、廖 や・一く らく - 一く せんほう 療化・張翼に先鋒を命じ、廖化を子午谷に、張翼を駱谷に差し向けて、おのれは斜谷に出で、祁山の 前で集まることを約すと、三手の軍勢、いっせいに祁山目指して急行した。 かん

10. 三国志演義 8

りようか↓っト - うよく きようい しよくかんえんき 奇蜀漢の延熙十六年 ( 二五三 ) 秋、将軍姜維は二十万の大軍をおこし、廖化・張翼を左右の先鋒、 ようへい ん 2 、 : つは ・ちトうぎよくうんりようしりようまっ 響夏侯霸を参謀、張嶷を運糧使 ( 糧秣輸送の指揮官 ) として、陽平関より魏へ向かった。姜維が、 よう 漢「前に雍州を攻めた時には、ついに取れずに引き揚げたが、今度またわれらが出てゆけば、敵も備 何かよい考えがあろうか」 れえているに違いな、。 困 と夏侯霸に諮ると、 ろうじよう ひょうろう 可「隴上の諸郡のうち、兵粮の豊かなのはます南安でござります。かしこを攻め取りますれば、こ 回の上もない足掛かりとなります。前回むなしく帰らねばならなかったのは、羌兵がこなかったがた ろうゆうろうせい 百めにほかなりませぬゆえ、このたびはます人をやって羌人と隴右 ( 隴西 ) にて合流し、その上で石 営に出で、董亭より一挙、南安を衝くがよろしかろうと存じまする」 いかにもそれは妙計じゃ 百 九 回 ・曹弩司し 芳馬ば 廃困 さま れれ てて 魏ぎ漢 家将 報 果 た奇 さな とうてい っ なんあん はかり 1 ) と きよう せんほう せき