まっすぐ目を見て一一一一口うと、溝ロは沈黙した。仙石は、「でもな、おれが行けば、あいつは すぐにスイッチを押すなんてことはしない」と続けた。 「そういう気がするんだ。理由はうまく説明できないけどな」 筆をくれた時に見せた、一瞬の笑顔。それだけを思い起こし、後は考えないようにして、 仙石はあらためて宮津に向き直った。 「なんとか奴と話してみます。それで、隙を見て爆弾のスイッチを奪って、中から扉を開け ます」 「それこそ都合がよすぎる。失敗すれば全員死ぬことに・ : 横からロを挟んだ溝口に、「《いそかぜ》が沈むのも、盗まれるのもまっぴらだ。そう思う 気持ちは、あんたらより強いつもりだ」と返した仙石は、宮津だけを正面に見た。 「これ以上、もう誰も死なせたくないんです。お願いします」 目を閉じ、深い息を吐いた宮津は、しばらくの沈黙の後、「任せると一一一一口う資格は、わたし にはない」とれた声を出した。 章「だが、止める権利もない。先任伍長自身が決めることだ」 言いきった宮津に抗議の目を向けた溝ロは、他に言う術のない艦長の立場を理解したの 第 か、仕方ないというふうに顔を伏せていった。それきり一一一一口葉を失った宮津に、「ありがとう ございます」と脱帽敬礼した仙石は、を返してラッタルへと向かった。
と顔をこちらに向ける。 「最初の図面には記してませんが、改修を k の途中で不都合が生じて、いくつか点検用ハッ チを増設した箇所があります。この第一犠室にも」 「そうか」酒井が、ばんと手のひらを打つ。「排気筒の点検をしやすくするんで、煙路室の 床にハッチを作ってもらったんだった。あそこからなら第一機械室に入れる」 「宝 ~ 側から見れば天井部分にあるハッチで、梯子はついてないし、排気筒の陰になって るからちょっと見にはわからない。如月が初期の図面を元に行動しているなら、あるいは気 づいていないかも」 仙石が続けると、溝口が「どこです」と勢い込んだ。 。あんたたちは遠慮してくれ」 「この真上、煙路室の床だが・ : 虚をつかれたといった風情の顔の溝口から、宮津に視線を移した仙石は、「自分が行きま す。許可してください」と言った。誰もが小さく息を呑んだ中、最初に口を開いたのは、 「危険すぎる」と言った溝ロだった。 「気持ちはわからんでもないが、あなたはそういう訓練を受けてはいない。ここは我々に任 せて : : : 」 「あんたらの顔を見た瞬間に、あいつは爆弾のスイッチを押すよ。ハッチから狙撃して、一 発で仕留められるんならともかく。そうそう都合よくはいかねえだろ ? 」
402 に残ったままであることを確認してから、竹中が使っている士官寝室に向かった。同部屋の 横田航海長は当直中で、一一つのべッドと机があるだけの殺風景な部屋で艦長と副長を面前に した仙石は、竹中に話した通りのことを宮津にも説明した。 「それで、先任伍長の気が済むのか ? すべてを聞き終えた宮津は、それだけ尋ねた。確信が持てないまま、仙石は「はい」と答 えて北以肋をのばした。 「可能でありましようか ? 「このあたりなら、夜間漁の漁船が出ている。当直のレーダー員に因果を含ませておけば、 やれんことはないが : : : 」 「しかし、先任伍長ひとりが危険を背負い込むことになる。今のうちにその物騒な荷物を押 さえてしまった方がよくはないか ? 」 竹中が一一 = ロう。仙石はそちらに向き直って、 「当直につく前に、如月は荷物のすべてをどこかに隠そうとするはずです。荷物がなくなっ たことに気づけば、どんな反応をするかわかりません」 「だったら、溝ロたち情報本部の連中を待ち伏せさせておいて : : : 」 竹中は、ダイスという固有名詞を聞かされてはいないらしい。仙石は、「居住区には大勢 のクル 1 がいます。そこで捕り物をやらせるわけにはいきません」と一 = 口下に答えた。
させるのです」 婉曲な武石のセリフに最初に反応したのは、作戦『アドミラルティ ( 錨の一種 ) 』におい て、鑼 ' の役割を果たす渥美だった。 ( やれるのか ? ) と聞き返した声に、武石は「今の 《いそかぜ》に残っているのは、不慣れな初任幹部がほとんどです」と答えた。 「一撃必殺の覚悟で行けば、可能性はある。やれます」 ( ちょっと待て。必殺とはなんだ ) と管理 ( よもや《いそかぜ》を沈めようというので はあるまいな ? ) 「そうです。内部からの制圧が不可能になった以上、他に手はないかと」 っ一」ゝゝ ( 冗談ではない ! くらの金が《いそかぜ》に注ぎ込まれていると思ってるん だ。せめてスクリューを潰して足を止めるとか、そういった方法は取れんのかね ? ) 「お言葉ですが、当方には手加減をする余裕はありません。敵に反撃の余力を残しては、こ ちらが沈められる。魚雷と同時に対艦、いサイを撃ち込んで、完全に無力化する必要があ ります。これは仕掛けるにあたっての絶対条件です」 章意外そうな視線をこちらに向けた後、同意したように姿勢を正した宮下の気配を背後に感 三じつつ、武石は言いきった。 ( : : : それしかないか ) と言った渥美に、管理官が ( 待ってく ださい ! ) と狼狽しきった声を被せる。 ( 本作戦の実施で、それでなくても海幕に多大な借りを作っているのです。この上《いそか
できなかった。 国民の生命と財産を守るため、と言いながら、その力をし続けるために、結果的に国 民の生命を奪いもする。永遠に解決できないジレンマ、矛貭 : 終わらない苦痛を地獄というなら、我々はとっくの昔に堕ちているのかもしれない。が、 今は絶望する間も惜しい時だった。事案の一環ではあっても、これはダイスだけで解決し なければならない。警察力の一元化を宿願にする警察に知られれば、今度こそ市ヶ谷は潰さ れる。現実的な思考で咸を追い払った渥美は、じっとこちらを見つめる野田に微かな笑み を返した。 「そのための『アドミラルテイ』です。堕ぎますよ」 他に言える言葉もない。野田も頬を動かしたが、微笑と呼べる表情を作るには至らなかっ た。代わりになにかを言おうとして、不意に鳴った内線電話の音に中断された。 受話器をつかみ、「わたしだ」と応じてから数秒。その顔がみるみる青ざめていった。 「 : : : わかった。すぐそちらに行く。現場のウォッチャーには、手出し無用を徹底させろ」 抑揚のない早ロは、危機的状況の到来を教えていた。軽く息を吸って衝撃に備えた渥美 に、野田は蒼白な顔を向けた。 「奴らが籠城を解いた。オーストラリア行きの航空券を七人分、要求しているそうだ」 その言葉が頭の中でされるより前に、渥美は部屋を飛び出していた。
そこで映像は途切れた。瀬尸がビデオを止めたのだった。暗闇の中に、頭を抱えて動かな い吾妻の姿が、ほんのりと浮かび上がった。 「 : : : 狂ってる」 「確かに。だがバカじゃない。与えられた〈哭下を蒄するために、その肉体も意志も強靭に 鍛えられている。簡単な相手ではないのです。 : : : 七人いれば、見張りのシフトも楽に組め ますしね。どれだけ時間をかけても、相手の消耗は期待できない」 会議室の電気をつけながら、瀬戸は言った。すっかり脂気の抜けた顔で、吾妻は「電気も ガスも、水道も止められている地下室でもか ? 」と空しい抗弁をする。瀬尸はちらりと渥美 を振り返って、 「自衛隊からお借りした赤外線カメラで調べたところ、地下一一階には水や食料がどっさり貯 蔵されてるし、発電機だってある。排泄物を化学分解する携帯便器やら浄水機やら、野戦キ ットがひと通り淮庸されてるんですよ。七人なら、節約すれば一一年は暮らせる量だ。彼らの 祖国の惨状に較べれば、どうってことはないでしよう」 章瀬戸の視線を追って、吾妻も疲れきった顔を渥美に向ける。瀬戸め、だんまりを決め込ん 一でいるこちらに対する嫌がらせか。渥美は素知らぬ顔で無一 = 〔を通しておいた。瀬尸は微かに 苦笑する。 「で、その偵察局長とやらに話は通したのか ? 奴らが直接会談を要求している : : : 」
「スリ 1 パ 1 だろうがなんだろうが、あいつはまだこの艦のクルーで、おれの部下だ。おれ なりに確かめたいことがある」 もやもやと胸の中に滞留するいら立ちの膜を突き破って、ほとんど無意識に出てきた一一一一口葉 だった。溝ロは「危険だ」と一言下に返した。 「向こうはプロの工作員です。情が通じるような相手では : : : 」 「だから、それを確かめるんだ。あんたの言い分を一方的に聞いて、クルーをこそこそスパ イするような真似はおれにはできねえ。ダメだってんなら他を当たってくれ」 なにをどう確かめるのか見当もっかず、ただ絵筆をくれた時に一瞬だけ見せた笑顔と、死 地に赴く兵士の硬質さを宿した横顔が交互に浮かび上がる胸の底を覗いて、仙石は言ってい た。しばらく睨みあった後、目を伏せた溝ロは、「あなたもプロというわけだ」と、仕方な いといったふうに呟いた。 「お任せしましよう。ただ、これはあなたが擎戒されていないからこそ頼めたことだ。正体 を気取られたと判断すれば、如月行はあなたに危害を加えようとするかもしれない 章反論を手で制して、溝ロはアタッシェケースから取り出したものを仙石に差し出した。部 三品のほとんどが強化プラスチックで形成されているグロック自動拳銃を見て、仙石は 「 : : : 必要とは思えないがね」と、衝撃を隠して言った。 「あなたも殺せば、如月はもう強行手段に出るしかなくなる。そうなれば艦内は戦場になっ
菊政の血の色が、下士官としての分限も吹き飛ばしてしまい、仙石は「副長、わかってるで しょ一つ ? ーとさらにめ寄っていた。 「人が死んだんですよ。遺体を乗せつばなしで訓祝行なんて、そんなバカな話は轍な いんだ。すぐに寄港して、調査隊の立ち入り検分を待つのが当たり前のはずでしようが。い くらこれが大事な演習だっていっても、どうしても明日やらなきゃならんってことはないは ずです。せめて遺体を降ろしてからでないと : ・ 「 : : : すまない、先任伍長。自分には話す権限がない」 おまえには知る権限がない、の巧みな言い回しだった。ようやく口を開き、目を逸らした 竹中から一歩退いた仙石は、「防衛秘密だってんですか、これが ? 」と呆れ返った声を出し 「冗談じゃねえ。そんなメチャクチャな話があるもんか」 「ロが過ぎるぞ、先任伍長」と杉浦。これ以上、上官に唾を吐けばどうなるかわかっている な ? の脅しを滲ませた目と声だったが、構うつもりはなかった。「じゃあ菊政を、肉や魚 章と一緒に冷蔵庫にでも放り込んどけってんですか ? , と怒鳴り返して、仙石は竹中だけを正 面に見つめた。 第 「艦の運用や訓練計画に口を出すつもりはねえです。でも自分には、クルーの安全を守る義 務がある。わけのわからねえ理由でクルーを危険に曝そうってんなら、それが幹部でも容赦 さら
父にとって、ここにある美術品の数々は現金化される前の政治献金でしかなかったという。 献金したい相手にこの絵をプレゼントする。あくまでも贈り物であるから規制には引っかか らない。で、贈られた方は、その後すぐにやって来る美術商に絵を売ってしまう。美術商は 絵を贈った側が差し向けているわけで、あらかじめ決められた値段で絵を買い取れば、お咎 めなしで献金が成立する、という筋書き。価値を完全に無視されたまま、カードのようにや りとりされる名画を見るに忍びなく、祖父はいっさいの手を引いて隠遁する際に、自腹でこ こにある美術品を引き取ったのだった。 本来は美術館に飾られるべきものだが、放っておけば、どこぞの企業の倉庫で不渡り手形 になっていたものたちだ。死ぬまでの少しの間、世捨て人の慰みものになるのもよかろう。 そう言った祖父は、隠遁の理由についてはなかなか語ろうとしなかったが、ある時、病に伏 せった妻のためだったことをそっと告白した。 まつり′」と 「心の病でな : : : 。政の世界に身を浸すうちに、その毒がすっかり頭に回ってしまった。 今となっては言い訳にしかならんが、儀がダメになったのもそこに原因がある。もともと臆 病な男だ、痴呆になった母親を目の当たりにして、いっかは自分も狂うという恐怖が心に根 づいてしまったんだろう。だからなにをやっても成功しない。ぎりぎりのところで踏んばれ ずに、安易な道に逃けてしまう。いろいろ意地汚いことをやってきたわしの因果が、子に報 いたのかもしれんが : : : 」
272 演習中は四直交代から三直交代に切り換わり、通常航海直より多い人員を配置につける。 交代のサイクルが早まり、勤務がきつくなるのを見越した宮津艦長が、昨晩のねぎらいも兼 ねて臨時の休日を設けたのだろうとわかったが、それで胸のわだかまりが解消されるもので もなかった。「了解しました」と応じた仙石は、背中を向けかけた竹中を「 : : : あの」と呼 び止めた。 「捜索隊の出足がずいぶん遅かったようですが、なにやってたんですかね」 「ああ : : : 。他にも漂流物の散乱してる海域があって、そっちの捜索に回ってたらしい。結 局、おれたちのいた方が・个ョの墜落地点だったようだがな」 不審のんもない返答だったが、それが事実なのか、事前に用意された周到な嘘なのかを 判断することはできなかった。「 : : : そうですか」と言って目を伏せた仙石に、「たまに遠出 すると、ろくなことがないよな」と竹中はいつもの笑顔を見せた。 「ま、厄落としだと思って、今日はしつかり休んでくれ」 そのままラッタルを昇ってゆく。仙石は「副長」と、もう一度その背中を呼び止めた。 「昨夜、なにをおっしやろうとしてたんですか ? すっかり忘れていたのに、急に思い出したのは自分でも意外なことだった。「仮定の話だ が、もし《いそかぜ》に : : って」と付け足した仙石は、「 : : : さて、なんだったかな」と 応じた竹中の背中が、微かに揺れるのを見た。