夢想だにしていなかったのだ。米軍が、沖縄の辺野古弾薬基地で密かに育て上げた魔物は、 ごうか 基地を焼き尽くした業火ーー「辺野古ディストラクション」とともに一掃されたと誰もが信 じていた。だからその試料がまだ沖縄に残っていて、正体不明のグループに強奪されたと聞 かされた時には、渥美も冗談だろうと笑ったものだった。 が、それは冗談ではなかった。「辺野古ディストラクション」から一年、マスコミ攻勢も ようやく収まり、重内部でも極秘で開発が進められてきた〃あれ〃の試料を本国に持ち帰ろ うとしたペンタゴンは、その運び役を民間人を装った情報士官に託すという、三流スパイ映 画並みの愚策を弄した。 辺野古基地の爆発以後、在日米軍全体をった後ろめたい空気に多くの将兵が不満と疑惑 を抱き、誰が内部告発者になるかわからない恐怖に晒されていたペンタゴンとしては、基地 を往復する輸送機をチャーターすることさえ気が引けたのだろう。その弱気が。したの か、水も漏らさぬ輸送計画は強奪グル 1 プたちに筒抜けとなり、彼らは″あれ〃を手に入れ た。そして慌てた米軍が自身の身体を探り出す前に、情報源に利用した技術攫を殺害して 章姿を消した。 見事な手際だった。潜伏先が判明したのは九カ弖則のことで、事件発生からは実に四カ月 第 が経過していたのだ。徹底した保秘のもと、それこそ泡を吹く勢いで強奪グル 1 プの行方を 追ってきた日米協同捜査チ 1 ムーー実態は、抜け駆けと場け足とりが何する醜い寄り合い
内陸から突き出た岬の上に、すり鉢状に抉られた巨大な穴。まるで死火山の頂か、天体 図鑑で見る月面のクレータ 1 写真だった。周囲には瓦礫や噴き上がった土砂が散乱してい て、それをかき回しているユンボの大きさから判断しても、穴の直径は五百メ 1 トル近くあ る。核爆弾かなにかの実験場かと思い、どこの国だと聞こうとした途端、「沖縄県、辺野古 崎の写真です」と、溝口が冷静な声を発した。 「これが : 在日米軍最大の火薬庫、辺野古弾楽基地で起こった未曾有の爆発事故ーー「辺野古ディス トラクション」が、基地を全壊させたことは知っている。新型高性能火薬の爆発が、半地下 ル土式楽に貯蔵してあった他の弾薬類も誘爆させた結果だと新聞にはあったが、この写 真はそれとは明らかに異なる事実があることを示唆していた。 爆心地を中心に、きれいに半球状に抉られた大地。複数の爆発で生じるものではなかっ た。なにか巨大な破壊力を持つものが、単独の爆発で穿ったものとしか考えられない。六千 度の熱ーーっまり核でなければ発生し得ない熱で焼かれた飛散物が発見された、というタブ 章ロイド紙のまゆっぱ記事を思い出し、ぞっとなった仙石の心中を読んだかのように、「ミサ イル装備のエキスパートであるなら、おわかりでしよう」の声が重ねられた。 「民間航空路までねじけて、米軍が一一年経った今でも辺野古一帯を封鎖しているのは、こ れを見せないためです。三十九個のイグル 1 が、一斉に誘爆するなんてバカな話があるわけ いただき
49 序章 以外ありえない。安保死守を屋台骨にしてきた自民党までがそのような趣旨の声明を出し、 そじよう 先から俎上にのぼっていた海兵隊撤退と合わせて、移転ではない、縮小のための話合いが日 崟女保理事会でもたれるようになった。 憲法問題や集団的自衛権など、入口での論議に終始してきた日本に、アメリカ抜きの安全 保障を語る頭があるのか。各国注視の中で審議が進められたが、そこに再び事態を逆転させ る事件が勃発する。朝鮮半島の北端から放たれた弾道ロケットが、日本列島上空を飛び越え て太平洋に突き刺さったのだ。 建国の父を失って以来、水害、飢餓、果ては大物書記の亡命と御難続きだったあの国が、 ついに発狂したかーー。衝撃は「辺野古ディストラクション」を押し退ける勢いで国内を走 り抜け、結局、弾道ロケットのテストを兼ねた小型衛星の打ち上げだったというオチがつい たのだが、それでロケットが通過するのを指をくわえて見ているしかなかった日本の無防備 ぶりが許されたわけではなく、弾道ロケットを完成させた北朝鮮が、次はミサイルを撃ち込 んでくる可能性が消えたわけでもなかった。「辺野古ディストラクション」によって推進ム ードにあった在日米軍縮小は事実上白紙撤回になり、なかば決まりかけていた沖縄海兵隊撤 退も無期限延期。実現不可能と思われていた (---(äも日米共同で研究開発が始まり、偵察衛 星の保有までが取りざたされるようになった。 あまりにもできすぎの事態に、これを日米朝の出来レースだと噂する者もいたが、現実的
手がそれを止め、暗い、冷たい目がまっすぐに宮津を見た。 「息子さんは殺されたんです」 否定を許さない、闇の世界に通じる目と声だった。頭が空白になった一瞬の後、宮津は男 を家に招き入れていた。 そうせずにはいられなかった。この男が何者だろうとかまわない。隆史に関することなら 何でも知りたい。い や、知らなければならない。たとえどんなにおぞましい話であっても 。そんな思いを察しているのかいないのか、男は彼の知るすべての事情を話し始めた。 ひどく長い話になった。「辺野古ディストラクション」の真相と、そこから生まれ出たと いう「魔物」。ミサイル騒動の背後に蠢く複数の思惑。指導者の大半が売国奴と化し、滅亡 の淵に立たされている男の「祖国」。阻止するために「魔物」を手に入れた経緯と、闇の世 界で繰り広げられたその争奪戦。潔癖であったがゆえに巻き込まれていった隆史。己の良心 と信念に従った、ただそれだけのためにすべてを失い、国家の「保険定理」に従って抹殺さ れた無惨 : ・ どれもが信じ難く、また理解の範物を越えた話だった。だが、嘘でないことだけは宮津に もわかった。男は必要であるならどんな嘘でもっき、辻褫を合わせるために人を殺しさえす る。それは属する国家や仕事の種類こそ違え、彼が自分と同じ「兵士」であるからでーー危 険を顧みずにここにやってきたのは、彼もまた自分の信念に従っているからに他ならなかっ う′」め
には、組織の中に埋没する人間性、その結果として生じる無思考、無責任、無節操という影 があることを、我々は無視しすぎてきたのではなかったか》 「四年に進級して、隆史さんは初めて実名で論文を掲載した。それが『亡国の楯』です。真 っ向からの防衛体制批判 : : : いや、日本という国家そのものへの批判とも取れる文章。自衛 官としては不適格の烙印を押されかねない内容です」 《上意下達の徹底は強固なチームワークと経営体質を企業に与えたが、上に対して口を閉ざ すのを当たり前にしすぎた結果は、参政意欲のない、主権意識のきわめて希薄な国民たちを 生み出すことにもなった。そうして : : : 個人としては考えることも責任を取ることもできな くなった国民が、経済という制御の難しい化け物と場当たり主義でつきあい続けた結果が、 バブルの災厄を招来した》 「でも隆史さんはあえて実名でそれを発表した。匿名で陰口を叩き続けるのを、潔しとしな かったのでしよう。自分なりにけじめをつけてから、任官されたいと思ったのか : ・ 。今と なっては知りようがありませんが」 《バブル崩壊が経済システムを袋小路に追い込み、辺野古ディストラクションが安全保障の 存立を揺るがせた今こそ、日本は独自の姿勢を表明すべきだった。だが結局もとの鞘に収ま ってしまうのも、誰一人として「日本とは何か」「何を優先して、何を誇るのか」について、 世界に通用する明確なロジックを持っていなかったからだ》 さや
万一、漏出事故が起こっても、自分たちには被害が及ばないように他人の庭先に屡呂して おく。その破廉恥な傲慢ぶりも、必要な安全措置のひとっということなのだろう。苦い納得 をした仙石は、代わりに「・ : : ・″あれみってのはいったいなんなんだ」の質問をぶつけてみ ? 」 0 「あらゆる防御・対抗策を無力化する兵器の一種とお考えください。正式名称について はわたしも存じません。なにしろ米省が「しているものですから」 六千度の熱で焼いて分解する以解毒できない生物・化学兵器。考えた瞬間、テレビで 見た湾岸戦争の一一ユ 1 ス映像ーーマスタ 1 ドガスで皮膚が爛れ、腕と顔半分の肉が膿んでめ くれ上がった子供の姿ーーが脳裏をよぎってしまい、肌が粟立つのを感じた仙石は、それを 払うように溝ロの能面を睨みつけた。 「だが、連中はそれを辺野古の地下に置いて、挙句に漏出事故を起こしたんだろ ? なにを 義理立てする必要もねえんじゃねえかって思うがね」 かでな 章「おっしやる通りです。しかも事故の後、嘉手納に別途保管してあった一リットルの試料 三を、ホ・ヨンフアに盜まれるという失態まで犯してくれた。 " あれ。を持って都内に籠城し た奴の部下たちのために、一千万都民が人質に取られたも同然になって : : : 。確かになにを 制言われる筋合いもないし、わたしだって、許されることならすべてをぶちまけて、家族だけ ただ
ない。ご覧の通り、これはたった一発の爆弾があけた穴です。それも故意に」 「漏れ出した″あれ〃を消去するには、それしかなかった。『解毒の副作用です。爆発 と同時に真空込態を作り出し、六千度の熱を放射して″あれ〃を焼き尽くす一一液混合爆薬、 プラス。その開発が、米軍に″あれ〃の研究管理を可能にさせた。漏出事故が発生した際 には、こうして基地ごと吹き飛ばす安全措置が講じられたために」 基地を巻き添えにする自爆装置。六千度の熱でなければ葬れないという″あれ % 比喩で はなく、開いたロが塞がらなくなった仙石の顔を冷徹に見据えて、写真をケ 1 スに戻した溝 ロは続けた。 「″あれ〃はもともと新エネルギ 1 開発の過程で、たまたま生まれてしまったもの。 e プラ スという解毒剤の存在がなければ、米軍も遺棄していたに違いない代物です。基地ごと焼き 尽くしておいて、安全措置もあったものじゃないと思うかもしれませんが、〃あれ〃にはそ れだけの価値があった。六千度の熱で分解するのではなく、もっと簡単で効率的な制御方法 が見つかって、それを独占することができたなら : ″あれ〃は究極の戦略兵器になる。米 軍が研究をあきらめきれなかったのはそのためです」 その究極の兵器の研究が、辺野古弾薬基地の地下で人知れず行われていた。どうにかそれ を理解し、なぜ自国でやらなかった ? と訊きかけた仙石は、すぐに理由を察して口を閉じ
を継いだ。 「誰にも顧みられず、孤独感を募らせていた隆史さんに、ひとりの女性が接近した。彼女は 以前、隆史さんが門前払いを食った出版社に勤める雑誌編隹杢で、同僚から噂を聞いて興味 を持ったのだと言った。ぜひ力になりたい、できるならその北朝鮮の工作員と直接会って、 取材もしたいと。それはできないと隆史さんは断った。だが相手は的で機知に富み、新 人ながら職業倫理をしつかり持っている女性。寮生活で外部とのがほとんどない隆史さ んにとっては、頭に描いていた理想の女性像が現実化したようなものだった。まる二カ月、 休日で外出するたびに彼女と会っていた隆史さんは、次第に彼女に魅かれていった。そして 愛情を、彼女を信頼することで示そうとした。 どんな目的があろうとも、大量の人間を死に至らしめる兵器を個人が所有するべきではな 。すべてを公開するとともに、強奪グループは " あれ。を国連の手にねるべきではない か。『辺野古ディストラクション』の真相、北朝鮮崩壊のシナリオを世に知らしめ、一国家 。そう提案した彼女の一 = ロ葉が、決定打に ではなく世界の審判を仰ぐのが正しいやり方だ 章なった。自分と同じ情熱を確かめて、隆史さんは彼女をョンフアと会わせようと決めた」 = 一「あんたらが描いた絵の通り : : : ってわけだな」 当然の推測を言った仙石に、押し固めた顔の溝ロは、「それが我々の仕事です」と返した。 「好きな食べ物から性的嗜好に至るまで、すべて調べた上で条件に合致する局員をあてがっ
した頃のことでした。その時には両者の関係はかなり親密なものになっていた。 g.* メールの やりとりから始まった関係が、直接顔を合わせるまでになっていたのです。慎重なョンファ としては、異例のこととしか言いようがない。彼は隆史さんにすべてを話していました。 『辺野古ディストラクション』の真帽弾道ミサイルの打ち上げから始まる、北朝鮮崩壊の シナリオ。それをぎ、人民の手で新国家を建設するために″あれ〃を盗み出した自らの思 。まっすぐな人柄の隆史さんには、信じ難い無法と卑怯の記録だったと思います。自 分がその立場にいたら、ヨンフアと同じ行動を取っていたかもしれない。あるいはそんなふ うに考えたのかもしれません。すべてを聞いた隆史さんは、真相をマスコミに公開すべく動 き始めた」 《重要なのは、国民一人一人が自分で考え、行動し、その結果については責任を持っこと。 それを「潔い」とする価値観を、社会全体に敷衍させ、集団のカラーとして打ち出していっ た時、日本人は初めて己のありようを世界に示し得るのではないだろうか》 「孤独な戦いであったろうと思います。有事法制研究会のメンバーは、しよせんストレス発 章散で好き勝手なことを話しあっていたに過ぎない。危険な真似をして、自衛官としての将来 三を棒に振るつもりはなかった。隆史さんが実名で批判的な論文を発表したために、それでな くても周囲の風当たりが強くなっている時です。誰も手を貸す者はおらず、隆史さんはひと りで各マスコミを回って、真実を公表してくれる場を探し続けた。しかしあるのはなんの根
366 わからずに飢え、病死してゆかなければならない北朝鮮一般国民との差でもあり、この違い はいったいなんなのか、世界はいっからこんなに複雑で不公平なものになってしまったのか と、思わずにいられなかったからだった。 静寂の間にエアコンの低い音が降りつもり、司〈亠の空調が入れられていたことに今さら 気づいた仙石は、ふと菊政の顔を思い出して唇を噛み締めた。感慨に浸っていられる時では ないと思い、咳払いの後、「 : : : じゃあョンファって野郎は、″あれ〃を盗み出して弱り目の 北朝鮮を建て直そうってしたのか ? 」と尋ねると、溝ロの長身が再び立ち上がった。 「当初の目的はそうだったでしよう。あらゆる場所に協力者を獲得しているヨンフアなら、 『辺野古ディストラクション』の真相も知悉していたはずです。″あれ〃の試料が沖縄に残さ くわだ れていると察知すれば、密かに強奪計画を企てて、ピョンヤンに実施を促していたに違いな 。もし″あれ〃が入手できれば、究極の戦略兵器として使えるばかりでなく、対米カード に転化してアメリカからあらゆる譲歩を引き出すこともできる。しかし本国政府は一向にゴ ーサインを出そうとしない。一一派に分裂して、大物幹部の亡命さえ阻止できない混乱の渦中 にある国防委員会には、もうアメリカを全面的に敵に回す強奪作戦を強行する能力も度胸も 残ってはいなかった。 0*<< との内通も始まっている状況では、デモンストレーションに弱 小偵察部隊を南進させるのが精一杯のはずだったが : : : 」 「弾道ミサイルの打ち上げ実験が強行された。待ったをかけられてるヨンフアには、不自殀