・ : そう、機雷掃海用のーだ。ばんやり思いっ 潜哨戒ヘリではない。もっと大きい いた仙石は、その後部ハッチからホイストのロープがのびていることにも気づいて、誰か降 下して来たんだなと続けて考えた。七枚のプレ 1 ドが巻き起こすダウンウォッシュの風圧の 中、航空ヘルメットをかぶった男がぬっと顔を出したのは、その瞬間だった。 こちらを覗き込み、なにか話しかけたようだったが、音は聞こえなかった。全身が弛緩 し、重いゴムの塊になった感覚に、モルヒネを打たれたらしいとわかった途端、ああそう か、手旗信号が宇宙に届いたのかという理解がゆったりやってきて、仙石は身振りを交えて 話す航空士の顔に、目の焦点を合わせた。 行は、クルーはどうなった ? 尋ねたかったが、腹にまったく力が入らず、ロも満足に動 かない状態ではどうにもならなかった。航空士はこちらの思いに気づく様子もなく話し続 け、胸の前で両手を土子に組み合わせる仕種をした後、上空のヘリを指さしてみせた。ホイ し。引き揚げ中に下 ストで引き上げるから、腕を胸前に固定して動かすなと言っているらし ) 手にヘリの機体に触れると、感電する恐れがあると思い出した仙石は、ゆっくり瞼を閉じ、 章再び開いて了解の意志を伝えた。航空士は大きく頷き、両脇を抱えて仙石の体を起こしてか 五 ら、ヘリから垂れ下がるホイストのベルトを脇の下にくぐらせてくれた。 第 傷口が開いてしまうのではないかと不安になったが、上半身を起こされると、止血帯でし つかり固定された腹が目に入った。助かるらしい、とモルヒネで鈍った頭の中に一一一一口葉を組み
振り向くことさえできなかった。 「抜錨がどうとか言ってた。艦を動かすつもりらしい そう続けた行は、無一言の仙石をちらとだけ振り返ったようだった。しばらくの沈黙の後、 「 : : : 怒ってるのか ? 」という声が水の張った装薬室に響く。一一一一口葉を出す気になれず、仙石 は首を横に振ってそれに答えた。 「あの場合、ああするしかなかった」 こちらの気分を察した行の、低い、静かな声が背中を打つ。仙石は、「 : : : わかってるよ」 と、どうにか搾り出した。 「戦場で銃を持ってれば、誰であろうと脅威になる。排除すべき対象だ。クルーだろうがヨ ンフアの部下だろうが、関係ない」 「わかってる」 「撃たれる前に撃つ。それが鉄則だ。銃を構えるってことは、殺されても文句は一一一一口えない立 場に立つってことなんだ。ああしなきゃあんたが死んでたかもしれないし、おれだって 「わかってるつつってんだろ ! 」 耐えきれずに発した大声が浸水区画に響き渡り、溜まった水に跳ね返って、ひそやかな波 紋を拡けていった。押し黙った気配を背中に感じながら、仙石はしつかり握り合わせた自分
332 人を感動させる絵が描けるんだ。その心があれば、理想の大切さだってわかるはずだ。狭い 考えに自分を閉じ込めとくことはねえ。おまえにはもっと : : : 」 歪思に片膝を立て、身を起こした行が、その先の一一一一口葉を封じた。テ 1 プルが軋み、水面に 波紋が走ってゆくひそかな音を耳にしながら、仙石はその背中を見上げた。 「 : : : 艦が移動するのは、多分『解毒剤』が使われるのを阻止するためだ」 湿った空気を断ち切る乾いた声だった。仙石は思わず「『解毒剤』 : : : ? 」と聞き返した。 「『』を完全消滅させる高性能火薬、 e プラス。使用されれば、《いそかぜ》は破 壊される。中にいる人間はひとりも助からない。全員、死ぬ」 容赦のない現実が周囲を取り囲んでいることを教えると、行は少しだけ首を動かして、青 ざめたこちらの顔を窺った。 「ヨンフアは、艦を陸に近づけてそれを防ぐっもりだ。艦が移動を開始したら、あんたは艦 底の亀裂から脱出しろ」 体が揺れるのを自覚した途端、足もとのテープルが再びギッと軋んだ。仙石の反論を封じ るように、行は間を置かずに続けた。 「発見されても、ヨンフアには引き返す余裕はない。この海域は四方から監視されているか ら、すぐに誰かが見つけて救助してくれるはずだ」 なにをどう言ったらいいのか、すぐにはわからない自分の鈍さが腹立たしかった。しばら
516 ( また露骨な真似をしてくれたもんだな ) 四月三日、午前八時四十分。出庁早々にかかってきた電話の相手は、名乗りもせずにそう 切り出した。瀬戸内閣情報調査室長だとわかった渥美大輔は、防諜回線の受話器を肩に挟 み、いれたばかりのコーヒーを手前に引き寄せた。 「なんの話だ ? 」 ( 惚けるなよ。お陰でこっちは完徹させられたんだ。例の八人の逃亡、おまえが段取ったん だろう ? ) 看破されることは予想していたので、渥美はコーヒーをかき回す手を休めもせずに、「知 らんよ」と答えておいた。徹夜を強いられたのは、なにも瀬戸だけではあるまい。昨晩は日
なにかしら湿ったものを感じさせる視線に、行はわけもなく居心地の悪さを感じた。先 刻、マイクを挟んで向かい合った時にも、宮津の目には自分でない誰かを見ているような、 重い情念のゆらめきがあったことを思い出す。それが誰であるのかはわからなかったし、ま た興味もないというのが行の本音だった。 息子の仇を討っためにすべてをなげうち、国家を相手に戦争を仕掛けた男。宮津の心理は 理解の範疇を超えたものとしか言いようがなく、それが親の心情だと言うのなら、自分には ますますわからない話だと行は思う。行の知っている親は、自分が生きるのに精一杯で、子 供のことなどこれつばっちも考えようとしなかった。自堕落で、身勝手で、生き物で しかなかった : ・ そんな暗い想いに捕らわれた一瞬、ヨンフアの腰につけた携帯無線機が朝鮮語をわめき出 して、行は目だけを動かしてそちらを見た。切迫した声の様子に宮津たちも振り返り、「ど うした。無線はすべて日本語を使えと言ってあるはずだ」と応答したヨンフアに、蚤訝な目 を向ける。それぞれ目的の異なる者同士が共同戦線を張る都合上、互いの行動を監視し合う 章意味を含めて、通信はオープンで行うのが取り決めになっているのだろう。 ( は、も、申し 躯わけありません ) と返した無線の声に、行は聴覚を集甲させた。 ( 三甲板第三機械室前にて、ドンチョル少尉が失神していたのを発見。不審者に襲撃され て、武器を奪われた模様です )
そこでロを噤んだのは、風間の名を口にした瞬間、撃たれる前に撃つはずの行がこうなっ てしまった理由が、わかったような気がしたからだった。沸騰していた体が一気に凍りつ き、まさかと思いながら行の顔色を窺った仙石は、薄く目を開き、こちらを見返した行が、 微笑を浮かべるのを見てしまった。 極限の苦しみの中で紡がれた微笑は、ただおろおろするしかない仙石の顔を見返し、そこ に張りついた海恨をすべて洗い流して、別にいいんだと言っていた。気にするな、あんたの せいじゃない。そんな思いを届けた微笑は、しかし、襲いかかる激痛に呑み込まれてすぐに 消えてしまう。不意に視界がばやけ、仙石は自分が泣いているらしいと気づいたが、それは 悲しさや悔しさに衝き上げられたからではなく、再び沸騰し始めた体液の煮汁が、窩から 噴きこばれていると言った方が正しかった。傷口を両手で押さえたまま、仙石は「バカだ、 バカだよ、おまえは ! と叫んでいた。 「絶対に死ぬなって、それが優先〈哭だって言っただろうが : 苦痛に歪められた行の頬を、仙石の頬から流れ落ちた雫がばたばた濡らしてゆく。もう声 章が聞こえているのかどうかもわからず、せめて苦痛を止める方法はないかと考えた仙石は、 五 目の前の管制室に救急キットが常備してあることを思い出して、顔を上げた。 第 キットの中にはモルヒネと注射針も入っている。止血帯や他の薬もあるはずだ。どうして 今まで思いっかなかったんだと自分をなじった仙石は、床に置いたクルツを手に取った。
長がこの期に及んでも隠蔽工作を続けるとは知らされていなかったらしく、その表情と口調 の端々に警察とダイス両者に対する嫌悪が覗いていたが、そうした咸僣が見え過ぎてしまう ところに渥美の限界がある。彼を蚊帳の外にした野田の気分もわからないではなかったが、 だからといってダイスのやり方を認めるつもりは瀬戸にはなかった。 公安委と監視委の承認をもって行われた宮津隆史の処理は、確かに「国家の意志」であっ たろう。生き馬の目を抜く情報活動の現実を知る者として、瀬尸にはやむを得ないと認める げんち 部分もあったが、その決定の裏には、ダイス潰しの一一一口質を反対勢力に取られまいとした梶本 政権の思惑ーーーダイスを利して政崋大現と権力基盤の補強を目論む、市ヶ谷びいきという言 葉に集約される暗い相の流れがあったことも生夫だった。 それをここぞとばかりに糾弾し、事件の発端を作ったのは市ヶ谷だとわめき散らして、事 態への対処を遅らせているのが警察。一方、事件に立ち向かえるのは我々しかいない、その ために真相を隠すしかなかったと言い張っているのがダイス。もはやタマゴが先か、ニワト リが先かといったレベルの言い争いでしかないのだが、市ヶ谷びいきの看板を素早く下ろ し、しつかり身の安全を図った梶本総理は、その不毛な論争を傍観することしかしない。そ れぞれが勝手なエゴを吐き出し、結果的に自分の首を絞めているのだが、わかっていてもや こざか められないのが人のどうしようもない小賢しさなのだろう、と瀬戸は既嘆した。ガラスケ 1 スの中で動き回る一一匹のラットをディスプレイの中に見下ろし、哀れなのは人間様も同じだ
より辛い責め苦に綿を苛まれても、命を持っ肉体は生きる欲求を捨てはしない。そこより 先はなにもない死と、その手前で踏み留まる命の重さが全身にのしかかり、精神が二つに引 き裂かれる苦痛に苛まれた後、自分は徹底的に無知だったのだという理解が、羞恥とともに 風間に訪れた。計画が失敗した時は潔く自決しようと決めていた自分への嫌悪、人の命を無 残に、一方的に奪う行為に加担したことへの後悔といったものがわき上がってきて、どうし ていいかわからずに泣いた。泣きながら管制室に向かい、宮津艦長の手当を始めた。 泣いてもどうにもならないとわかっていても、涙は後から後から溢れて、涸れることを知ら なかった。 先任伍長の声がスピーカ 1 から流れてきたのは、その時だった。宮津に突き刺さった弾丸 は腎臓の上あたりに留まっているらしく、内臓が破壊された様子はない。重体に変わりはな かったが、止血バンドでしつかり被覆すれば、ここから連れ出すこともできると判断した風 間は、どんなに辛いことがあっても生き延びてみせろ、と言った仙石の声を反芻し、大量の 血がこびりついた自分の手を見つめた。泣く以外にもできることがあるらしい、とばんやり 章考えた途端、複数の足が駆け寄ってくる音が管制室の外に響いた。 五 どっしりした疲労が足もとをふらっかせ、よろよろと管制室を出ると、主通路を駆け抜け 第 てゆく一団がこちらに気づいた。立ち止まり、「あ、水雷士 ! 無事か ? 」と声をかけてき 芻たのは同期の機関士で、よく見れば一団はすべて自分と同じ初任幹部たちだった。クルツを
「発射できなくすればいい」 即座に言い返し、こちらを見返した行の顔にきよとんとした仙石は、すぐにその考えに思 い至って呆れ返った。ここには行と自分の一一人しかいない。なにをするにも、自分たちが動 と声を荒らげた。 くしかないということだ。仙石は「冗談じゃねえ : 「この込悲で、おれたちだけでどうやるってんだ。 0—0 の武器管制システムはループ構造 で三重のプロテクトがかかってるし、ミサイルはそれぞれの管制室からマニュアルで発射す ることもできる。その全部をどうやって使えなくするってんだ。だいたい、『』 がどのミサイルに積まれてんのかもわかんねえんだぞ ? 「さっき、ヨンフアはあんたが仕掛けた爆発を政府の攻撃と思い込んで、報復のためにミサ イルを発射しようとした」 仙石の昂りを無視して、行は再び思索する顔になった。 「艦長たちに止められて思いとどまったが : : : あの時、ヨンフアは迷わずの発射スイ ッチを押そうとした」 四「ディスプレイには自動制御の表示が出ていた。のミサイルのどれかに『』 が搭載されているなら、発射制御は手動になっているはずだ。『』を搭載したミ サイルのセルだけ残して、他のセルのミサイルは使えるように」
376 「わたしが私怨だけで動くと思っているのなら、間違いです。ジョンヒは偵察局でも最強と われた兵士だった。それを倒したのであれば、如月たちに対する脅威評価は改める必要が いても、先任伍長たちにはわからないんだった ) ( 奥歯に物が挟まったような言い方をする。なにが不満なんです ) ( 心配なだけだ。『解毒の攻撃を防ぐために、一刻も早く東京港に向かわなければなら ないのが我々の立場だ。先任伍長たちにかかずらわってる暇はなかったんじゃないのか ? ) も、つら 奇妙に多すぎる副長の一一一一口葉に、こちらが欲する情報のすべてが網羅されていた。罠か ? 自問した仙石は、しかしそんな小細工をする必要がどこにある、とすぐに思い直した。彼ら の戦力はこちらを圧倒している。まさか : : と思いかけた途端、「作戦変更だ」と一 = ロった行 の声が間近に弾けた。 「バリケードをとっ払うんだ。急げ」 仙石が慣れない勘ぐりをしている間に、兵士の本能で事態を察したらしい行の声は明確だ った。包囲される前に、がら空きになっている後部デッキに向かう。 ハリケードに取りつい た仙石は、積み上げた椅子や砲弾を手当たり次第にどかし始めた。