「消えない、確かなものが、この世界にはあるって : : : わかったから : : : 。でも : : : そうし 。それ たら、今度はおれの方が : : : 消えてしまう。助けられただけで、助けられずに : が、今は : : : 海し、 両の手のひらで覆った行の左手から、急速に力が失われてゆく。慌てて握りしめた仙石 は、「なら死ぬなっ ! 」と腹の底から叫んでいた。 「好きな女のひとりも作らないで、本当の生き甲斐もわからないで ! このまま死んじまっ ていいのか起きろ ! 先任伍長の〈哭には従うもんだ。こんなところで死ぬな : 行は応えなかった。その顔がぎゅっとしかめられた直後、命が抜けるような吐息を漏らし て苦痛の歪みが消えてゆく。慌てて呼吸を確かめ、頸動脈に指先を当てた仙石は、弱々しい が辛うじて続いている生命のサインを知覚して、心持ち肩の力を抜いた。 気絶したのだろう。もうどうすることもできず、仙石は這い寄ろうとする死に抗い、独り 闘い続ける行の顔を見つめた。ぐっぐっ煮えたぎる体液が、余分な水分を揮発させて固体に 変化してゆくのを感じながら、自分の中に消えない、確かなものを見出したと言ってくれた 章命を見つめ続けた。 五ひたすら中途半端で、その場の感情に振り回され、目の前の瑣事に追われ続けて、理想は わ ) しよう 描けても実現することはできない小な生き物。それが自分であり、人間の限界であるとい うなら、行はなんのために撃たれたのか。なんのために死んでゆこうとしているのか。両手
416 室に足を踏み入れた。 待ち伏せされているかもしれない、と考えもしなかったのは、全身を支配する熱の塊が、 恐怖を感じる神経を麻痺させていたからだ。なにがあろうと救急キットを手に入れるという 冷徹な意志しかなかった仙石は、管制室の中にまったく想像外の光景を見て、一瞬棒立ちに なってしまっていた。 床に仰臥する人の姿は、宮津艦長のものだった。《いそかぜ》を支配する意志の中心にい たはずの男は、今は生気を失った顔を天井に向け、絶望し尽くした体を枯れ木のように横た えていた。腰の周辺に水溜まりを作った血は、赤色灯の下では黒い液体にしか見えず、「艦 長 : : : 」と我知らず口にした仙石は、びくりとも動かない宮津のそばに近づいていった。 反射的に脈を確かめようとした途端、びったり閉じられた宮津の瞼が微かに震え、生と死 の狭間にある瞳が仙石を見返した。「先任 : : : 伍長、か」と呟き、苦痛に顔をしかめた艦長 を見下ろした仙石は、床についた手がぐっとこわ張るのを感じた。 自分を、《いそかぜ》の曹士クルーすべてを欺き、前代未聞の叛乱行動を起こした男。顔 を合わせたら必ずぶん殴ってやると決めていたはずなのに、実際、死を間近に控えた宮津を 目前にすれば、胸には同情に似た痛みしか感じられないのだった。「 : : : 笑っていい」とか 細い声で続けた宮津に、仙石はぶつけどころのない怒りを感じながらも、無意識に顔を近づ
回っていた。 ひとく 存在が秘匿されているらしい彼らは、部外者に顔を見られることを嫌うのだろう。全員が 目だけを露出させたフェイス・マスクを装着しており、格納庫上から見下ろす阿久津に気づ くと咎める視線を向けてきたが、幹部であることを確かめると、仕方ないといった目で作業 に戻っていった。 自分の艦を失い、他人の艦に身を寄せている現在、制圧作戦がどのようなものかは想像す るしかなかったが、少なくともこの《ひえい》がべースキャンプの役割を果たすことは間違 いあるまい。阿久津が彼らの様子を見物しているのは、暇を持て余したからではなかった。 自分に残された使命ーー宮津と対決するために必要な条件が、目の前で整いつつある。その 予感を確かめ、これから作戦が始まった時にどうするべきか、考える材料を求めてフェイ ス・マスクたちの作業を見つめているのだった。 実戦の気配を濃厚に漂わせた一団は、ヘリのパイロットでさえ、救命胴衣のポーチから自 動拳銃の太い鏘把を覗かせている。簡単にはいかないだろうが、この一時間、彼らの動きを 《うらかぜ》 章観察してだいたいの指揮系統を把握した阿久津には、勝算があった。どだい、 第が沈むのを座視したような連中の企てた作戦だ。付け入る隙はあるだろうし、兵士たちはと もかく、ヘリのパイロットなら、虚をつくタイミングを間違えなければ指揮下に置くことも 不可能ではないと思えた。
260 受けて変わらず発信灯を光らせる。それを確かめれば、もう男を生かしておく必要はなくな 男の口から吐き出される大量の水泡は、恐怖の叫びか、の一 = 〔葉か。ちらと考え、その 醜さを嫌悪したジョンヒは、男のロにライフルの銃口を押し込んで、引き金を引いた。 最後の水泡が、血の塊とともに立ち昇ってゆく。動きを止め、沈み始めた男の体を抱きか かえたジョンヒは、彼が装着するーを外して、通信機ごと自分の身につけた。体が 重たくなるのを不愉快に感じながらも、前より強めに水を蹴って《いそかぜ》に戻る。 彼ら先遣隊は、単に偵察を目的にしていたわけではあるまい。兄の予測に従い、《いそか ぜ》の繿底下を滑るように移動したジョンヒは、監首ソナーの膨らみの下に、すぐに問題の 物体を発見することができた。 四角いプラックポックスから、昆虫の脚を思わせる六本のアームが生えて、バウ・ソナー を覆う外板に張りついている。周囲をぐるりと観察し、容易に取り外せるものではないと判 断したジョンヒは、爆薬が設置されていないことを確かめてから、水中ライフルの銃口を迷 わずその物体に向けた。 四発目を撃ち込んだところで、プラックポックスは水中に火花を弾けさせた。アームも粉 砕され、支持を失ったプラックポックスは《いそかぜ》の繿低から剥がれ落ちると、ヘドロ の堆積する海底に急速に沈んでいった。 たいせき
342 「今の《いそかぜ》は、少佐の力を必要としている。わたしの代わりはいても、少佐の代わ りはいない」 だから、宮津はそう答えるしかなかった。しばらくこちらを凝視した竹中は、嘆息した顔 を伏せていった。 「 : : : 自分の気持ちは、さっき o—o で言った通りです。それだけは覚えておいてくださ 艦長が自分の心に従うなら、どんな結果であろうとも受け止める。先刻、 o—o に響いた 竹中の声を思い起こした宮津は、刺すような胸の痛みを感じてその顔を見返した。立ち上が った副長は、しかしこちらの顔を見ることなく、士官室を後にした。 ひどくやさしい声音が、決別という言葉を思い出させて雑然とした胸中に滞留した。金槌 に潰された盗聴器を見下ろした宮津は、自分は嫌われたのだろう、とばんやり相黴した。 変事が報告されたのは、時計の針が午後四時ちょうどを指し示した時だった。伝令役の職 員に続いてコマンドルームの鉄扉をくぐった渥美は、報告通りの光景をメインスクリーンに 確かめて、息を呑み込んだ。
232 た 如月一一曹と仙石曹長も、水平燈のモ 1 ルス信号を通じて、作戦実施を了解した旨の返事を 寄越してきている。総理の言葉ではないが、後は祈るのみ、だった。午後一時十分の時刻を パネル上に確かめた渥美は、握り合わせた拳に額を押しつけた。 午後一時五十三分。四十八年間の人生で、これほど時間の経つのが遅く感じられたことは なかった。一向に進まない腕時計の針を急かすように、仙石は狭い電気整備室の中を行った り来たりしているところだった。 「少しは落ち着いたらどうなんだ」 床に仰向けになり、腕枕をして昼寝を決め込んでいる行が、片目を開けてうるさそうに言 う。こうなってしまえば待っしかないのが道理とはいえ、リラックスしきったその様子に、 仙石はますます神経がささくれ立つのを感じた。 「おまえこそ、よくもまあそう落ち着いていられんな ! あと一時間ちょっとでドンパチが おっ始まるってのに : 「だから、今は体を休めておく必要があるんだろうが。上官風を吹かすんなら、もっとドッ
あらわ 章やはり、そういう関係だったのか ? 常になく焦燥を露にしたヨンフアが停船を命じた 五 時、宮津の頭に浮かんだその思いは、ジョンヒの捜索に向かったダイバーが戻ってきた今、 第 確信に変わっていた。 「発見されたものの中では、これだけが辛うじて原形を留めていました。今も捜索は続けて 定した。たったひとりの兵のために作戦を変更するほど、ヨンフアは人のいい指揮官ではな 。なにか他に理由があるはずだ。午後四時十分を過ぎたばかりの時刻を確かめ、スクリ 1 ぎようこう ンを凝視した渥美は、 ( とにかく、時間が稼げるというのは僥倖だ ) と言った梶本の声を聞 ( あと二十分で〈アンダ 1 ティカー〉は発進できる。ひょっとしたら、如月一一曹らがなんら かの妨害エ作をしてくれたのではないか ? ) その推測だけはしていなかった渥美は、一一人はすでに死亡したものと決めつけていた自分 に気づいて、胸がちくりと痛むのを感じた。そうとでも考えなければ、プラスの使用を容 認できなかったからだが、それこそ自分を慰める行為でしかないのだろう。海上に停止した 《いそかぜ》の姿を見つめた渥美は、あり得るのかな、と頭の片隅に呟いてみた。
337 第五章 れない別の男のことを考え始めた。 如月行。彼は若さと、自らをも破壊しかねない暴力の衝動をうちに秘めている。ただ兄が 一一一一口う通り、つまらない既成観念に囚われているために、己の本質と向き合うのを恐れて跳べ ずにいるのだ。 なら、それを引き出してやればいい。互いに命がけになるだろうと予感しながらも、自分 が男を育てるという想像は、兄とは別の意味でジョンヒの女の部分を刺激するようだった。 「・ : ・ : どうした、ジョンヒ ? なぜなにも言わない。なぜ考えを隠すんだ。こっちを見てく れ」 閉ざした意識に気づいたのか、手をきつく握りしめながらョンフアが一一一一口う。ジョンヒは、 もうそれをうっとうしいものとしか感じなかった。敗者の翳りを漂わせ始めた男の目は見ず に、如月行と接触する方法を考えていた。 呆れるほど小さいものだな、という感想しかわかなかった。発見された十一一個の盗聴器は どれも大豆ほどの大きさで、平らな円形の本体から、芽のようなアンテナ線をちょろりと出 している。出航準備の合間を縫い、盗聴器の捜索状況を確かめようと士官室に降りてきた宮 とら
288 父をその手で惨殺した時からだろう。だからこそ、息子を失ったことによって狂った自分の 人生の歯車と、彼の歯車が合致して回り始めた・ : ( ョンファ少佐、バカな真似はよせ ! ここまで来て、すべてを台無しにするつもりか ? ) タータ 1 にミサイルが装填されたことを知ったのか、渥美が焦りを露にした声で一一一一口う。あ まりの慌てぶりに、それがなにを意味するものか知っているのか ? と怪訝に思った宮津 は、ヨンフアの低い笑い声が響くのを聞いた。 「やはりな。ターターに『』が搭載されていることは、お見通しか。でなけれ 。いくら底に穴が開いているとはいえ、制圧部隊を送り込んだりはしないでしようから な」 渥美が絶句する気配が、スピーカー越しにも伝わった。すべては、それを確かめるための 芝居ーー。竹中たちクルーも驚きの顔を向ける中、嘆息した宮津は、それは違うと内心に呟 自分を認めようとしなかった養父への処礬を爆発させたヨンフアも、それを利用して渥美 から情報を引き出したヨンフアも、偽りのない彼の素顔。「裏の裏をかいた、いいチョイス だと思ったのだがな」と続けたヨンフアは、コンソ 1 ルから離れて無一言のスピーカーに近づ いていった。 「他のミサイルに移し替えねばならんが、それも面倒だ。いっそ景気よくぶっ放して、お互
258 「生命維持装置と連動した信号は、発信され続けております」 ( なら、作戦は続行だ。ここで弱腰を見せれば、勝てる戦も勝てなくなる。そうだろう ? ) 生来の武人傾向ぶりが、ここにきて炸裂したといった感じの総理の言葉だった。なにかし ら危険な匂いを知覚しながらも、自分が総理の尻を叩いて始めさせたことだと自見した渥美 は、「了解です」と答えるよりなかった。 メインスクリーンに目を戻し、いまだサプジェクト・インディアのマーカー付近に留まっ ている万を確かめる。数が足らず、宮下三尉だけに持たせた通信機だったが、やは り二名分、用意しておくのだった。赤い点の輝きに一一人の無事を託さなければならない不便 さに、そんなことを考えた渥美は、一向に《いそかぜ》から離れようとしない信号を 見て、奇妙に思った。 「寄生虫」の設置が済んだら、後退して本隊と合流する予定のはずだったが。放射能塵洗浄 装置を作動させた《いそかぜ》を不審に思い、監視を続けているのか : ・ : ? ますます濃く なった危険な匂いに、渥美は握り合わせた手の力を強めていった。 肩につけた携帯無のような装置が、通信機の類いであることはすぐにわかった。そこ