の中で混沌とした子ども時代を過ごした人もいます。ろくに世話してもらえすに育った人もい れば、身体的虐待や性的虐待を受けて育った人もいます。きようだいを早く亡くして、死への 怖れや、家中を覆う悲しみの中で育った人もいます。人に一言えない秘密を抱えた家に育った人 もいます。息が詰まるほどの厳格さに支配された家庭に育った人もいます。 どの人の子ども時代にも共通するものがあります。その環境を支配する土台となっていたも の、それは「否認」「孤立」「硬直性」「シェイム」。これが真実を見えなくしていたのです。 否認 否認というのは防衛のメカニズムで、心の痛みから自分を守るための自然な反応です。衝撃 に耐えられないと感じたり、起こったことか恥すかしくてたまらないとき、人はしばしば否認 という手段に頼ります。否認が存在するとき、人はそのことへの感情を大したものでないかの ように扱ったり、切り捨てたり、理屈をつけたりします。 否認のもとで育っということは、「話すな」「感じるな」「信頼するな」というルールを教え こまれることです。私たちは子ども時代に、本当のことを口にするのはますいと学び、実際と は違うふりをすることを身につけたのです。自分が見たり聞いたりしたことを否定され、無視 されたかもしれないし、思ったままを口にしたら罰を受ける怖れがあったかもしれません。話
と一緒になごやかな時間を過ごすことはありません。決して父親から認めてもらうこともあり ません。今になって父親から聞きたくてたまらなかったのだと気づいた「愛しているよ」とい う言葉を、決して聞くことはないのです。 すでに父親との関係における喪失に目を向け、何度ものグリーフワークを繰り返してきたに もかかわらず、その死によって初めて姿を見せた深い嘆きは、彼女をさらに掘り下げたグリー フの作業へと導きました。リタと同様に多くの人にとって、しばしば相手を決定的に失うこと が、もっとも深い悲しみと受け入れの段階へと背中を押すものになります。 この世を去った人に対して言葉を伝える手助けとなるのは、多くの場合、プロのセラピスト の治療技法です。サイコドラマなどの技法によって亡くなった人と対話をするのは、とても治 療的な効果があります。亡くなった人の墓に出かけて語りかける人もいます。その人の写真を イスに置いて向き合い、話すこともできます。「私はあなたに怒っていることがあります。それ は : : : 」と怒りを伝えるのが必要な人もいるし、「私はあなたが : : : したことを許します」「私 : だとい、つことをあなたにわかってほしいと語りかける人もいます。 何より言っておかなければならないのは、回復はあなた自身のためのものだということです 親が生きているかどうかに関わりなく。大切なのはあなた自身、そしてあなたと人生との 関係ですーーその中には、肉親の死を受け入れるということも含まれるのです。 214
ぐらい不健康な方法でこうした物質を使っているかに気づくのが難しいのです。 こうした物質は一時的に痛みをコントロールしてくれるだけでなく、私たちが自然な形で手 に入れる方法を知らなかった何かを、しばしば与えてくれます。たとえばアルコールは、自分 が無力だと思いこんでいる人に力の感覚を与えてくれるでしよう。勇気が出て、ふだんは欠け ているはずの自信が沸いてきたような感じがするものです。これは間違いなく薬物の効果で、 一時的なニセものの感覚ですが、多くの人にとってはニセものでもないよりましなのです。孤 独で人と交われないと感じている人にとって、アルコールは周囲の人に近づきやすくしてくれ ます。つまり自分が満ち足りて完ぺきだと感じるための強壮剤となるのです。 遊んだり笑ったりするための時間などない深刻な人生を生きていて、「私にはやらなければい づ けないことがたくさんある」と考えている人にとっては、アルコールはリラックスする機会を 与えてくれます。アリスは長いこと人の世話ばかりして生きてきて、毎日やるべきことを数え イ上げ、自分がそれをしなかったらこの世界は回らないと考えていました。そして二十六歳で初 の めてアルコールと出会ったのです。 み 痛 の 「どうして飲み始めたのかわかりません。最初の何回か、自分が他の人たちと笑い声をあげる 現のを聞きながら、なんだかポーっとしているみたいと思ったのは覚えています。自分をなくし 章 たみたいで怖かった。でも、素敵な感じもしました。今まで自分でも気づかなかった自分、知
は誰ともあまり親密な関係をつくれなくなってしまいます。そして、自分にとって大切な相手 と十分な時間を過ごさすに、表面的な関係の人と過ごしている時間ばかりが多いという結果に なったりするのです。 おとなどうしの人間関係は、目的によって次のようにレベル分けすることができます。 礼儀をふまえてつきあい、顔を合わせればあいさっする程度の関係。あるい は、具体的なサービスを受けたり、またはサービスを提供するだけの関係。 職場の人や社会的な活動の仲間など、共通の目的にたすさわる関係。ここで は人よりも目的を果たすことが優先であり、人は取り替えがきく。 支えあい、お互いに楽しむという目的でつながっている関係。人が重要であ って、何をするかは二の次。 快感への欲求・情熱を分かち合い、性的な存在としての自分を分かち合う恋 人どうしの関係。それは単なる情熱や性を超えた関係で、友情を含むもの。 恋愛レベル 友情レベル 協同レベル 日常レヘル
4 章インナーアダルトを育てる 感情を怖れ、その正体を見分けられずにいる人は多いのですが、自分が何を感じているのか はっきりわかっている人もいます。ただしそれはたいてい、中心となるひとつの感情が存在す る場合です。ある人にとって、人生で知っている唯一の感情は怒りであり、別の人は悲しみし か知りません。「自分にはどうしようもない」という無力感だけを意識している人もいます。 中には「愛に満ちた」生き方をしているように見える人もいます。決して怒らす、悲します、 不安におびえることもないかのようです。彼らはいつも物事を受け入れ、愛し、理解にあふれ ているのです。けれど本当は何が起こっているのかといえば、この人たちは怒りや悲しみなど の感情を首尾よく隠していて、けれどときたま、葬ったはずの感情が表面に現われるために、 怒りを爆発させたり、つつになったりするのです。 イラつきも、怖れも、悲しみも、喜びも、どんな感情であれ自分のものとして受けとめるこ とができたとき、私たちは愛を生きることができるのです。回復とは、さまざまな感情に気づ くようになり、適切に表現する方法を学ぶことでもあるのです。 どんな親でも子どもにとって完ぺきな手本となることはできませんが、問題を抱えた家族の 親たちは、中でもゆがんだ模範を示してしまいます。それは真実を見ることを拒み、たいがい の場合、プラスの感情もマイナスの感情も健康的に表わすことができない態度なのです。私た ちはしばしば、隹、 言力か怒り狂ったり、むつつりと立ち去ったり、怖れや困惑に押しつぶされる 141
せて演じていたことに気づくものです。たいていの人は、主となる役割があり、何かの状況で は別の役割で行動します。たとえば、自分は問題児だった気がするけれど、順応者でもあった かもしれないという人もいるでしよう。なため役であると同時に責任を負う子でもあったとい 、つ人もいます。 自分の役割について探っていくには、あてはまると感じるそれぞれの役割を、別々に見てい くことが役に立ちます。組み合わせで考えるよりも、役割の特徴がはっきりしやすいからです。 人はおとなになっても、子ども時代の家族の役割を引きすっています。子ども時代にすっと 責任を負う子を演じていた人は、おとなになっても同じように行動していることが多いでしょ う。モナがまさにそうです。彼女は非常な努力の末にロースクールを優等で卒業しました。三 十二歳の時にはもう弁護士として個人開業していました。ただし彼女が個人で事務所を持った のは、チームとして働くことができなかったからなのです。いつもすべてを自分で管理してい ないと気がすみませんでした。人の一一一口うことを聞けなかったし、決断を下す上司の存在は怖か ったのです。その頃には、彼女の三度めの結婚は暗礁に乗り上げ、女性の友だちは誰もいませ んでした。彼女が自分の役割を頑固に守り続けた結果がこれだったのです。 自分が順応者だったと感じる人は、今でも誰かに物事を決めてもらいたがっていることでし よう。スティープは将来について漠然とした希望や夢を持っていますが、自ら決断を下すのが
せん。何かで引き金が引かれて怒りが噴出するまでは、あらゆる感情にしつかり蓋をしている のです。だからなんの兆候もなく、 突然に、誰かの横っ面に怒りが投げつけられることになり ます。たとえば部下の仕事をさんざんにこきおろしたり、レストランやガソリンスタンドの店 員に向かって限りない文句を並べ立てたりします。どんな意見の食い違いにもがまんならす、 肩を怒らせて出て行ったり、あるいは暴力や暴言の形をとるかもしれません。 しじゅう怒ってばかりの人というのは実際にいるものですが、この人たちは近所や地域でも 敬遠されがちです。一人孤独に暮らしていたり、いつも激怒の犠牲となる家族とともに人づき あいの少ない生活を送っていることも多いでしよう。どこに住んでもすぐにうまくいかなくな り、引っ越しを繰り返す場合もあります。 怒りで荒れ狂っている人は、はた目からはコントロールを失っているように見えますが、本 人はまさに怒りの只中で支配権を握り、カにあふれていると感じています。怒りを爆発させて いるときは、もはや自分が無能だとも欠点だらけだとも感じずにいられるのです。激怒の背景 には、これ以上傷つく体験をしないよう自分を守りたいという思いがあります。怒りの爆発は、 偽りのカの感覚 ( けれど本人にとっては魅力的な感覚 ) によって無力感や自己否定感を埋め合 わせようとする行動なのです。怒りが、空しさや無力感や痛みから自分を守るためにとれる唯 一の方法だとしたら、人はそれに飛びつきます。怒りを表わすことは、人々を遠ざけて自分を
強み 自分で自分をきたえる 目標に向けて行動する 完全を期す 自分から行動を起こす 決断力がある リーダーの資質がある しつかりしていて有能 187 リーダーシップをとれる ユーモアのセンスがある 創造性がある 否認が少なく、自分に正直 自分の感情に素直 強み 素敵な笑顔と温かい態度 メ、則カゞいい 人の様子に敏感 話を聞くのが上手 人の気持ちがわかる 思いやりがある 強み 悪い状況でも逆上しない 流れに任せることができる 人に従うことができる 柔軟性がある 強み 5 章 なため役 役割の強みと弱み 秘密はいらない、役割はいらない 責任を負う子 弱み 人の話が聞けない 人に従うことができない 遊ぶことが苦手 柔軟性・自由な発想に欠ける 正しくなければいけない すべてコントロールせずにいられない 間違うことを非常に怖れる 順応者 相手の理不尽な行動に耐えてしまう 人の怒りを非常に怖れる 罪悪感にとらわれやすい 自分の気持ちに目を向けられない 人に世話してもらうのが苦手 弱み 自分の力を知らない 選択肢をあげられない こうしたいという方向性がない 決断を下すのが怖い 自分から行動を起こせない 弱み 校の中退、依存症、十代の妊娠など ) 若年で社会的トラブルを起こす ( 学 他人の境界を侵略する 指示に従うことができない 怒りの表現が不適切 弱み 問題児
う。人の意見に反対する必要もあるでしよう。相手の存在意義や、価値や、本質を攻撃するこ となく、相手の行動に対して怒りを表現する方法を学べばいいのです。かってあなたがされた ことを他の人にしなくてもいいのです。 あなたの中には積み重なった怒りがあるかもしれません。だからといって、あなたが今感じ る怒りが、これまでのすべての怒りの総決算である必要はありません。膨れあがった怒りはど こか別の場所でまず表現して、それから現在の腹立ちのもととなった人に対して直接怒りを表 わす必要があるかどうか、判断するといいでしよう。 覚えておいてほしいのは、いつどのように感情を表現するかについて一人で答えを出す必要 はないということ。あなたと回復のプロセスをともにする人が、方向を指し示せることは多い はずです。 なお、もしもあなたが身体的な暴力の存在する家庭で育っていたり、あるいはおとなになっ スてから自分自身や他の人を身体的に虐待したことがあるなら、あなたが感じる怒りへの怖れは っ 大きくて当然だし、他の場合よりも現実的な根拠があります。怒りを表現するプロセスを安全 の へ なものにし、意味あるものにするためには、怒りの作業を手助けできるプロのカウンセラーの 由 ・目 力を借りることを強くすすめます。 章
3 章自由への 4 つのステップ たら、ゆっくり、深く息をすることが大切です。自分の呼吸を確かめ、深呼吸してください。 泣けば、顔が赤くなります。涙が鼻からボタボタたれます。誰だって、泣けばそうなるので す。けれど徐々に、解放感を感じます。今までのように自分をガチガチにコントロールしてい なくていいのだし、そう思うことで楽になるはすです。泣き終わったとき、あなたは自分が背 負っていた重荷が少し軽くなっていることに気づくでしよう。 人は自分の怒りに恐れを抱くことも多いものです。癒されない痛みを抱えた人は同時に、未 解決の怒りをたくさん抱えています。自分の怒りに十分気づいている人もいるし、怒りから目 をそらし、理屈でごまかしている人もいます。多くの人の、怒りを表わしたら何が起こるだろ うという布れは、現実とはかけ離れています。 人は怒り出したとき、声が高くなり、顔が紅潮し、身体は緊張します。怒りとともに、布れ や悲しみを感じる場合もあります。怒っているのに表現しないでいると、やがて予期しないと きに怒りが爆発したり、間接的でねじれた形になって出てきたりします。たとえば過食、不眠、 皮肉、体調の悪化、暴力などです。 私がもっともよく耳にする、怒りについての不安は、自分が怒り出したら「誰かを打ちのめ