感情に圧倒される感じはしなくなるでしよう。感情というのは、否認したり、切り捨てたりし た末に積み重なっていったときに限って、自分を傷つけるものになるのです。 癒しが始まった段階では、感情はさまざまな背景から浮かび上がってきて、中には互いに相 容れないものもあるでしよう。悲しみと幸せを同時に感じるかもしれないし、悲しみと怒り、 愛と憎しみが一緒に出てくることもあります。どんな人でも、相反する感情を同時に感じるこ とがあるのです。あなたは正気を失ったわけではありません。単に悲しいけど幸せだったり、 悲しくて怒っていたり、愛しているし憎んでもいる、というだけのことです。 感情の深さにも理由があることを信じてください。大切なのは、あなたがその感情について 語れるようになること、それを誰かの前で表現し始めるということです。感情がどこからくる のかわかっていなくてもかまいません。ただ口を開いて、「私は悲しい。何が起きているのか プ わからないけれど、悲しい気持ちなんです」と言えばいいのです。自分の気持ちに気づいて、一一一口 テ ス葉にすればするほど、その感情がどこからくるのかをたどることができるようになります。 っ 最初のうちは、痛みに圧倒されそうな感じがするのがふつうです。けれども、あなたが痛み の へ をきちんと認め、自分のものとして受けとめることで、つらさは過ぎ去ります。重要なのは自 由 ・目 分を支えるしくみをつくっておくこと、定期的に自分の感情について語れる相手を持っことで 章 す。内に秘めておくよりも語ることで、感情の威力を発散することができます。他の人に確認
4 章インナーアダルトを育てる 感情を怖れ、その正体を見分けられずにいる人は多いのですが、自分が何を感じているのか はっきりわかっている人もいます。ただしそれはたいてい、中心となるひとつの感情が存在す る場合です。ある人にとって、人生で知っている唯一の感情は怒りであり、別の人は悲しみし か知りません。「自分にはどうしようもない」という無力感だけを意識している人もいます。 中には「愛に満ちた」生き方をしているように見える人もいます。決して怒らす、悲します、 不安におびえることもないかのようです。彼らはいつも物事を受け入れ、愛し、理解にあふれ ているのです。けれど本当は何が起こっているのかといえば、この人たちは怒りや悲しみなど の感情を首尾よく隠していて、けれどときたま、葬ったはずの感情が表面に現われるために、 怒りを爆発させたり、つつになったりするのです。 イラつきも、怖れも、悲しみも、喜びも、どんな感情であれ自分のものとして受けとめるこ とができたとき、私たちは愛を生きることができるのです。回復とは、さまざまな感情に気づ くようになり、適切に表現する方法を学ぶことでもあるのです。 どんな親でも子どもにとって完ぺきな手本となることはできませんが、問題を抱えた家族の 親たちは、中でもゆがんだ模範を示してしまいます。それは真実を見ることを拒み、たいがい の場合、プラスの感情もマイナスの感情も健康的に表わすことができない態度なのです。私た ちはしばしば、隹、 言力か怒り狂ったり、むつつりと立ち去ったり、怖れや困惑に押しつぶされる 141
悲しみ 私たちは悲しくなると、誰もそばにいて自分を慰めてくれないのではないかと怖くなります。 周りの人は目の前から立ち去るか、あるいは自分の弱みにつけこんでくるのではないかと すでにお話ししたように、喪失には悲しみがともない、悲しみには涙がっきものです。私た ちの多くは、長いこと泣いたことがありません。もしも五年、十年、あるいは二十年、ひょっ としたら三十年もの間泣いたことがないとしたら、涙におびえるのもおかしくありません。泣 き始めたら二度と泣きやむことができないのではないかと不安に感じたりするものです。 私はクライアントと面接する際に何度も、「あまりに泣きすぎるからといってこの部屋から放 り出された人は、一人もいませんーと繰り返してきました。あなたが泣いている時間は永遠の ように思えるかもしれませんが、実際はほんの数分です。激しく涙にくれる時間というのは、 たいていは三、四分続くだけだし、長くても九分か十分です。たぶんあなたは自分のことをぶ ざまに感じ、恥ずかしさや不安を感じるでしようが、それは泣くことに慣れていないからで、 あなたは死にはしません。正気を失うこともありません。 人が感情的に傷つきやすい状態にあって、つらい気持ちを感じたくないと思うとき、たいて いは呼吸がとても浅くなります。お腹で息をするのではなく、胸が上下します。やがて耳のう しろに痛みを感じ、なんだか耳から呼吸しているかのように思えてきます。そんなふうになっ
6 章新しい関係をつくる 親がすてに亡くなっていたら : 自分の思いや感情を分かち合うべき大切な人がすでに亡くなっているために、回復の重要な 部分を逃したように感じている人がいるかもしれません。親が亡くなっている人は少なくない でしようし、他の家族や、 ートナーや、あるいは友人を亡くしている場合もあります。そん なときでも、象徴的な方法による相手との分かち合いは可能です。 大切な人を亡くしていて、その人との関係であなたが何か傷ついていたとすると、喪失の悲 しみはとても大きなものになります。それは過去の悲しみであり、かっ決して手に入らない未 来の悲しみでもあるのです。 リタの父親が亡くなったとき、彼女は深い悲しみと怒りをともなった、ほとんど身体的な痛 みを感じ、その喪失感の大きさに戸惑いました。リタは今まで父親に親近感を持ったことはあ りませんでした。娘を寄せつけない冷淡な態度を、リタはしかたないものとあきらめていたっ もりでした。けれど父親の死によって、彼女は今まで父から得られなかったものではなく、こ れから決して得られないもののことを、心から思い知らされたのです。彼女はもう決して父親
2 章現在の痛みのサイクルに気づく た結果だというものです。またさらに、、つつは喪失によっても引き起こされ、喪失の悲しみに 区切りをつける「グリーフワーク」ができなかった結果として生じる場合があります。グリー フワークとは、きちんと嘆き悲しむことで喪失を過去のものにしていく作業です。 自己否定感が土台にある家族で育っことは、途方もない喪失をともないます。そこでは否認 が支配していることも多く、率直に語ることが許されずに、痛みを乗り越えていく方法がない ままで喪失感がつのっていきます。傷つきも、失望も、怖れも、怒りも、そして見捨てられ体 験も、すべて一緒になって渦巻き、心の奥に根づくのです。そこへ「自分が悪いんだ」という 思いまでが加わったとしたら、本当の自分は無価値だと信じて他人から隠そうとしても不思議 ではありません。そして最終的には、三十五歳のときか五十五歳になってからかわかりません か、いきなり壁にぶち当たります。しまいこんでいたものがあまりに重荷となり、今まで長い こと自分を守りコントロ 1 ルしてきたしくみが破綻します。うつが始まるのです。 喪失にからんだうつを経験している人のほとんどは、自分の感情を極度に恐れています。そ して実際は、とてもたくさんの感情を感じています。それを語ることが安全でない場合、感情 は自分の内面に直接ぶつけられます。これが、自己否定感を持続させるもうひとつの原因とな り、さらにうつ気分を長引かせるものとなるのです。 子どものときに悲しみを表現することが安全でなかったとしたら、おとなになってから経験
れなのに問題を抱えた家族では、子どもはこうした支えが得られなかったり、感情を表わすこ とを禁じられたりするのです。泣くのはダメ、「子どもみたいに」ふるまってはいけないと言い 聞かされることだってあります。また、きようだいの死といった喪失体験の場合、親の側には 遺された子どもを支える余裕がない場合がほとんどです。また、親の行動が喪失をつくりだす こともあります。たとえば子どもがかわいがっている猫を捨ててしまい、もう片方の親はそれ を見ないふりしたり、あるいは全くなかったことにしたりするのです。 子どもが自然な喪失を経験し、親からのサポートがもらえたときは、悲しいけれど同時に、 愛されて、安全であることを感じます。サポートが得られないとき、子どもは悲しみを感じる と同時に、愛されていないと感じ、見捨てられていると感じるのです。つまり、不必要な喪失 を生み出す体験は「見捨てられ体験と言い換えることもできます。 子どもが「見捨てられるーということ 子どもというのは「権利の目録を手にしてこの世に生まれてきます。それは次のような権 利です。
しません。他の選択肢が考えっかないのです。 私たちは安全を確保することに目を奪われて、しばしば自分の内面はお留守になり、怖れと 自己否定感でいつばいになって、おなじみの手段に頼りますーー・・コントロールです。けれどそ の結果は、私たちが望んだものとは逆です。ニーズは満たされません。人間関係はバランスを 失います。結局は、警戒しすぎて疲れきってしまいます。けれど悲しいことに、他にどうやっ ていいのかわからないのです。物事が正しく進んでいくように必死になっているのに、なぜま ずいことになるのかわからなくて混乱しながら、、つつの波に襲われたり、悲しみや痛みに対処 するための不健康な方法に頼ってしばしば何かに依存したりします。 子ども時代に自分の生活をコントロールしようとしていたことに気づかない人もいて、そん な人はよく、親がいかに自分をコントロールしようとしたかという話をし、自分はその犠牲者 る て なのだとほのめかします。こうした人は、おとなになって次の二つのいずれかの態度をとるよ 育 うになります。ひとつには犠牲者の立場をとり続けて、自分をコントロ 1 ルしようとする相手 ダ と関係をつくること。もうひとつは管理者の不在を埋めるように自分で自分の生活のあらゆる ア ナ面をコントロールしようとすることです。後者の人たちの多くは、外から見ると明らかにイラ イ イラしていますが、自分では怒りの感情に気づいていません。ほとんどの場合、これは自分を 章 コントロールしていた親との関係に対する怒りです。 131
番組の話をしたりします。彼女はアルコール依存症の父親が亡くなるまでの数年間、父親と近 所の森を散歩するのを楽しみにしていたものです。父親が酔っぱらっていない時間を慎重に選 び、会話にも気をつけていました。そうやって父親とのきずなを感じられる話題を見つけたの です。木の葉、森の動物たち、そして樹木の話です。 アニーが二人の姉妹を訪ねるのは、親と会うほど頻繁ではありません。お互いの違いが目に 見えているからです。何か話せば衝突しそうなため、話題は日常の必要事項だけに限っていま す。アニーとしては、もっと親密で心から分かち合える関係を望んでいるのですが、家族に大 きな変化が起こらない限り、それは実現しそうにありません。 アニーの場合は、得られないものを喪失として認め、その悲しみを味わいつつ、現実を受け 入れ、どう行動するか自分で選んでいるのです。日常生活の中で、もっと親密な関係を他の人 たちとっくっているし、その多くはやがて健康なきずなへと発展していくでしよう。 回復を続ける人たちが、仲間を「自分で選んだ家族」と呼ぶことがよくあります。母親や父 親に対するニーズは、年上の友人や相談相手によって満たすことができます。きようだいのよ うな関係は、同世代の仲間たちとっくることができます。自分の子どもに近い年齢の人と友情 を育んでいるおとなも実際にいて、その人たちは子どもに与えることができなかったものを若 い友人に与えているのです。こうした関係でかっての親子としての体験が帳消しになるわけで 198
3 章自由への 4 つのステップ や悲しみなど喪失にともなうあらゆる感情を、当時と同じ深さで感じることが大切。 ・こうした感情を尊重し、しつかり受けとめる。悲しみが置き去りにされて残らないよう に、もっとも深いレベルの感情を通り抜けなければならない。 ・感情を他の人と分かち合う。これは、傷を光と空気のもとにさらして治癒を可能にする 方法。傷がもはや秘密ではなくなったとき、恥に満ちた自己否定感は消えていく。他の 人に受けとめてもら、つことで、日の光によって氷が溶けるよ、つになくなっていく。 人は大切なものを失ったとき、否認、怒り、取り引き、抑、つつという段階を通って最後に受 容へと至ります。最初は否認によって自分を守り、やがて理不尽な事態に怒りを感じ、次には 失ったものを取り戻す手段を探し求め、それがうまくいかずに深い悲しみに沈み、時間をかけ て喪失を受け入れていくのです。その受容の末に、希望や笑いが少しすっ戻ってきます。けれ ど何かの原因でグリーフの段階が途中で止まってしまうと、悲しみは癒されすに残ります。 私たちにとってグリーフワークが難しい理由のひとつは、喪失が慢性的なものであり、それ にすっかり慣れてしまっているため、喪失があったことにさえ気づくのが難しいこと。もうひ とつは、怒りや悲しみなどの感情に対する怖れです。 安全な形で過去にまつわる感情を感じ、語るためには、準備がいります。
3 章自由への 4 つのステップ ②痛みがどこからやってくるのか見きわめる。 3 その場で感情を表現する。すっかり習慣になるまで、意識的にこのプロセスを繰り返す。 安定して自分のニーズを満たせるようになるまで。 ′次の質問を手かかりに、自分の感情を探り、痛みに目を向けてみましよう。 ・あなたか決断を下すことを学ぶプロセスにいるのなら、おとなの今になってこのス キルを学ふことに、どんな感情かわいてきますか ? 怖れ ? 怒り ? 悲しみ ? の話を聴くことを学んで ・あなたにとって大切な人ーー・家族、友人、ハートナー いるところなら、これまであなたが耳を貸さなかったことで生じた問題についてど んな感情かわきますか ? 悲しみ ? 罪悪感 ? 後悔 ? ・あなたか自分の一一ーズを見分けようとしているなら、そのことでどんな感情かわい てきますか ? 混乱 ? 不安 ? 自信のなさ ? 怖れ ? ・自分の一一ーズかはっきりしないということは、一一ーズを満たせていなかったという ことです。人との関係で自分の一一ースを満たそうとすると、どんな感情かわいてき ますか ? 怖れ ? 混乱 ? 不安 ? 109